公園は結界が浸食するたびに、その光景をかえていった。遊具のある広場は墓地になり、草がわずかに生えた地面は、石が敷き詰められた通路へ。
結界の空は外と比べれば明るいが、外の闇夜とかわらず色は黒く見える。天井に逆さに生えた漆黒の彼岸花が、一面に咲きほこっているせいだ。花弁の中央から墨が滴り落ちて、漆黒の雨が結界内に降り注ぐ。そしてそれを浴びている魔女はゆらゆらと空に浮かんでいた。
その姿を一言で言うならば、和紙でできた人。紙でできた人間の体に死装束を纏っている。その顔を長く伸びた、先端が筆となっている白い頭髪が覆い隠していた。彼女は墓地の上を浮遊する。周囲には使い魔とおぼしき落武者のような格好の折り紙を何体か護衛として侍らせていた。
「あれが…、阿岡入理乃だっていうの?」
船花サチは思わずといったように、声を漏らした。とても、目の前の“それ”が、もともとは自分の相棒であったなんて思えなかった。一ミリだって同じところなんてないし、似ても似つかない。
だいたい、人が化け物になるなんて馬鹿な話があってたまるものか。もしそうならば、最初からサチ達は化け物になる運命だったということになる。そしてそれが事実ならば、サチ達は化け物にならないために、化け物を狩っていたことになってしまう。
でも確実にサチはこの目で、入理乃が魔女に変貌する姿を見たのだ。間違いなくこの魔女は入理乃。あの魔女のそばで寝ている体は、死体であり捨てられた脱け殻のようなものだ。
入理乃の話はすべて真実だ。入理乃は自ら魔女化して、その話が真実だと証明してくれた。信じられないが、信じるしかなかった。
サチは相棒が魔女化したというあまりの現実に立ち尽くした。ショックに頭が混乱し、どう行動したらよいかわからないーーそう思ったとき、魔女の周りにいる兵士が弓を手にもち、こちらにつがえていた。
「……………くそったれ!!」
ソウルジェムを構えると、魔法少女へと変身。武器を振るう。ごう、と重い音と、ヒュウ、という軽い音が同時になる。まっすぐに放たれた矢が横から錨に介入されて弾かれる。
しかし一度外したからといって使い魔は攻撃をやめるわけではなく、再び弓を引き絞って射る。サチは後ろに軽やかに飛び回避する。すとんと数本の弓矢が石畳に突き刺さった。
続いて、狙撃が無駄だと悟り、突撃してきた折り紙武士を切り払う。そして上斜めにもち、空にいる使い魔に向けた。がちゃりと武器の仕掛けが音を立てる。サチの手の中で、錨の爪が折り畳まれ、形状を変形させていき、やがてそれは長い大きな銃となった。
無言でサチは引き金を引く。反動とともに大きな銃声が響き渡る。発射された弾の軌跡は四方に枝分かれし、使い魔のみに直撃する。白い紙っぺらの武者が貫かれて火を吹き上げ、空気抵抗を受けて回転しながら落ちていく。
魔女はそのやられた配下が死んでいくのをじっと見て、次にサチを見た。どことなくその仕草が入理乃に重なって、サチはやるせなくなった。
「入理乃、私達さ、長い付き合いだよね」
サチは唐突魔女にそう話しかけた。しかし魔女は首をかしげるばかりだ。サチは悲しげな表情をして銃を下ろす。
魔女が話を理解していなくても良い。何も返事がなくても良かった。ただ何故だかサチは話を聞いてもらいたかった。だからサチは何の反応もない魔女に向かって喋り続けた。
「あのとき入理乃は初めて魔法少女になったばっかでさ、笑っちゃうくらいに弱くて、魔女にやられそうになってた。そんなピンチな状況を、この船花様が華麗に助けてやったのが、私達の出会いだった」
得意気に言うサチ。しかし偉そうに言ったものの、サチだって三年前のあの頃は魔法少女になったばかりだった。他の魔法少女など知らず、ましてやサチにとってその時が、魔法少女としての初戦闘であった。当然のように魔女相手に即座にやられ返され、窮地に追いやられた。しかし入理乃と協力することでなんとか魔女を倒すことに成功した。
それからだ。入理乃とコンビを組むようになったのは。入理乃は頭が良かったが、当時はまだまだ弱くて、戦闘方法を確立できていなかった。サチは反面頭がそれほど良くはなく、しかし強さは入理乃以上にあった。互いの弱点を補うために、彼女らは一緒に魔女を退治した。
「ずっと三年間一緒にいた。コンビだから、一緒にいるのは当たり前だと思うかもしれないけど、でもそれだけじゃない。今さら気づいたけど、入理乃がかけがえのない存在だったから、ずっと一緒にいたいと思ったんだ」
最初は、なんて使えそうなんだと思った。なにしろ彼女は、気が弱くてこちらにあまり逆らわない。パシリとして有料物件だ。ほどほどに面倒ごとを押し付けられそうで、ほくそ笑んだものだ。
でも互いに関係を深めていくうちに、彼女のコンプレックスを知った。それは自分の存在に対するもの、自分が存在してもいいのだろうかと言う疑問だった。
その疑問につい哀れんだ。サチは罪による苦しみを抱えていたが、同じようなものに入理乃は自分以上に苦悩しているのだと思い、同情したためだ。
だから彼女を理解してあげられるのではないか、という偽善も顔を出した。それがやがて“理解したい”にかわり、最後には友情が生まれた。そして入理乃の価値はサチの中で昇華され、“信じたい、支えてあげたい”とさえも思うようになったのだ。
「でも、私なんかを、入理乃は信じてくれてないのかもしれないと悩んでたよ。隠し事もずっとされたから。だけど、隠していたのはすべて私のため。最後には本当のことを話してくれた。私のことを信じてくれたんだね。……、こんな形で話してほしくなかったんだけど」
サチは怒りをこめた目で魔女を睨み付けた。涙腺から熱いものこみあげほほをつたう。黒の雨と涙はまじりあい、地面に滴り落ちる。激情のままサチはかつて入理乃であった化け物に対してその思いを叫んだ。
「ふざけんなよ!!知らない間に絶望して、目の前で魔女になりやがって!!テメエはどこまで勝手なんだよ!!この船花様に相談でもなんでもしてくれたらよかったのに!!こんなの、こんなの……!!」
何がどうなっているのかとか、何が起こっているのかとか、そんなの考えたくない。そんなふうに思うのさえ嫌だ。相棒が魔女になったのも、魔法少女の真実も、あの阿岡入理乃の入れ物であった体も、受け止め切れない。
見たくない、見たくない、見たくない。もう、全部、見たくない。すべて嘘なら良いのに。
サチは、立ったまま泣き続けた。キャパオーバーを超えてしまい、ついに我慢できなくなったのだ。
死装束の魔女は傾げていた首をもとに戻した。そしてゆっくりと地面にまでくると、ふわふわと浮遊したままサチに近づいた。はっと気づき驚いた彼女は銃を構える。
しかし撃つことを体が拒否しそのまま固まってしまう。髪の触手を手で魔女はかきわけ、素顔をさらした。セーラー服の魔法少女は目を見開いてそれを凝視した。
その顔は鱗に覆われていた。口は前に突き出されて横にさけて、鋭い牙が覗く。小さな二つの鼻の穴はひくひくと動き、顔の両端に耳らしきものはどこにもない。ちろりと、長い舌が一瞬だけでた。
完全に、魔女の頭部は爬虫類のそれ。おまけに歪に変形していて、ところどころが腐っている。とても直視できるようなものではない。
しかしそれでもサチはその顔に見入ったのだ。何故ならその瞳から、黒い液体が流れていたから。入理乃が、泣いていたからだ。
「どうして、泣いてんだよ…」
元の人格なんて魔女になった時点で失われているはずだ。しかし、この魔女はサチが泣くのを悲しんでいる。三年間一緒にいた魔法少女の仲間を心配しているという事実に、サチは困惑とともにさらなる悲しみと暖かなものを一緒に感じて顔を歪ませる。その蛇の目が生前の彼女の瞳とどうしてもかぶって見えてしまい、切なくなる。
と、突然に魔女が髪を動かして、銃をサチの手ごと自分の首にあてがわせた。それだけで魔女が何をしてほしいのかわかってしまう。彼女は死のうとしている。自分の手でその命を狩られようとしている。
思わず、サチは声を荒げた。
「な…、私に何させる気なんだよ!!」
自分が大事な友達を殺すなんて、とんでもない。ゆるゆると、首を振る。彼岸花から振りそぞく雨が雨量を増す。ザア、という音が結界に反響する。
魔女は強い瞳で魔法少女を見続ける。その目はやはり阿岡入理乃という少女を想起させるような目だ。まるで懇願するように光が揺れる。
そのときに気がついた。瞳の光が闇に食われそうになっていることに。
きっと入理乃の人格は魔女となった時点で、もうとっくに失われている。しかしその意思というのが、奇跡的に魔女に残滓として残っているように思えてならなかった。だがそれも、絶望に飲み込まれようとしている。そうなったら、その意思を抱いて死んだ入理乃の思いはーーなくなってしまう。
「わかった…。入理乃が信じてくれるなら。それが望みなら、私が…」
引き金に添えた指先が、震えている。それをサチは必死に抑え、軽く力を入れた。銃の筒から魔力の弾が放たれ、あっけなく魔女の首を打ち抜いた。
刹那魔女の体がどろどろと溶けていった。結界に地響きがなり、天井が崩れ去り、彼岸花の花びらが雨や破片とともに落ちてくる。墓地は瓦解し、紙でできた不可思議な形の遊具が立ち並ぶ景色へと一瞬だけ姿を変えると、結界は完全に消え去った。地面には、グリーフシードが刺さっている。入理乃の遺体は、どこにもない。
彼女は魔法少女の姿から普段の姿へと戻った。それと同時に体に付着した墨も蒸発した。
「……………」
グリーフシードを拾いあげ、手の中で転がす。そしてそれを見続けた。しばらくそうしていると、足音がこちらにかけてきた。振り返ると、そこには橙色の髪を左右の上に結った少女がいた。思わずサチは手にもっていたものを後ろに隠した。
「夏音…。帰ったんじゃないの?」
「こんなときに帰れるわけないじゃないですか。今までずっと入理乃のことを探していたんです」
「…まじかよ。本当、アホなんじゃないの?」
呆れたようにそう言うと、夏音はアホじゃないです、と不満そうに反論した。
「それで、船花はどうだったんですか?リノは見つかったんですか?」
「……見つかっていない」
サチは嘘をついた。本当のことを教える気はない。だって最後に入理乃が頼んだから。魔女と魔法少女の真実を知られるわけにはいかない。
ふとサチはあることを思いつく。それはとてもとても、良いことのように思えてならなかった。普段ならば絶対思いつかないだろうし、否定するだろう。本当なら、こんなの悪いことだ。
でもなんだか、上手く考えれない。もう、今更という感じがした。思考が笑っちゃうくらい、狂ってて、おかしくなっている。夏音がいなければ、その場で本当に大声を立てて爆笑するくらい、愉快で愉快で仕方がない。
サチは後ろにもってきた手を前にもって、夏音に渡した。思わず受け取った夏音はそれを見ると、わけがわからん、といった表情をした。
「何でグリーフシードなんか…」
「まあ、もっといてよ。これ以上見つからないってことは、入理乃は魔法を使って、一時的に隠れてる可能性があるってことだし。でも、そういうのには魔力を多く使うし、だいぶ消耗するはずだよ。もう手持ちは持っていないはずだから、もし見つかったら渡してほしいんだよ」
「…ああ、そういうことですか。そういうことならもらっておきます」
夏音はポケットに、黒い宝石をいれる。サチは、それを少々悲しげな顔をして、気づかれないように下唇を噛んだ。
死装束の魔女。その性質は、悲しき思い出。
本当はじめじめとしたところにいたくないが、明るいところに行けない魔女。ただ延々と生前を思い出しては、悲嘆にくれているが、恐ろしく頭が良い。自分の心、結界に踏み入れられることを極端に嫌い、敵には容赦がない。しかし、唯一相棒であった少女のみは、踏み入れられることを許されるであろう。
死装束の魔女の使い魔。その役割は迎撃。
結界から敵を追い出すためにつくられた兵士。魔女に従順かつ絶対の忠誠を誓っているが、当の魔女には、便利の良い道具としか思われていない。