「あれ、ここは……?」
眉を開ければ、そこは結界に取り込まれる前にいた場所、船花家の廊下だった。顔の全体を覆っていた仮面をとる。白一色のそれを一瞥し、きょろきょろと辺りを見渡す。混乱する頭で、さっきのは夢であったのだろうか、と思う。そうしているうちに、着ているものに目がいった。
「これ、魔法少女服?」
黒いその服は、いかにもコスプレっぽい。夏音には、こんな服を着がえた覚えなどない。これは、夏音の魔法少女服なのだろうか。
では、あれは本当に起こったことで、自分は本当にキュゥべえと契約したのか。と、すると、今日はあの二人にあった日なのであろう。だが、しかし、何故自分はこんなところにいるのだ? アニメの知識だが、こういう時は、普通二人があった直後に戻されるとか、そういうのではないのか?
とりあえず、この前垂れだけの格好は恥ずかしい。見よう見まねで、夏音はさりげなくポーズを決めながら、変身を解除しろ、と念じた。すると、すんなりと、黒い魔法少女服は消え、元の制服に戻った。驚いたり喜んだりしながらも、土足のままであったので、靴を脱いで、手に持った。
さて、ここからどうすればよいか。とりあえずこのままここにいたらまずい。外に出よう。それから、それからーーーそうだ、阿岡入理乃と船花サチ、二人と接触したほうが良いのかも。
自分は、この時はまだ、魔法少女に関係ない部外者の一般人だった。それが、いきなり魔法少女になったらびっくりするだろう。話をしないまま、その事実を知らせないと、何が起こるかわからないのではなかろうか。そう、二人に会おう、二人に会わなければ、と夏音は必死に自分に言い聞かせる。
さあ、いますぐにでも、行動しないと。そう考えていた時だった。ギシリ、ギシリ、と廊下の向こうから足音がしたのは。
「ーーー!!」
驚きのあまり、心臓の音がドクンと鳴った。
こっちに、誰かが向かってる。まさか、サチがこちらに来ているのかだろうか。それとも、父親の久士であろうか。とにかく、この状況は、やばすぎる。このまま誰かと会えば、犯罪者になってしまう。いや、もうすでに、夏音は不法侵入しているも同然ではあるが、しかし警察に厄介になり、兄達家族に迷惑をかけるわけにいかない。
慌てて、部屋に隠れようと、ドアのぶを掴んだが、背後から大きな声で呼び止められた。
「何してんだ、テメエ!!」
「!? あ、貴女は……」
振り返ると、廊下の奥には小柄な少女、船花サチがいた。服装は、制服のままで、私服には着替えていない。バックを持っているあたり、今帰ってきたのだろうか。侵入者に対する怒りのせいか、すざましいまでの形相で、こちらを睨み付けている。
夏音は言葉をなくし、サチを凝視した。それもそのはずだ。目の前に、死んだはずの少女がいたのだから。夏音はその事実が許容できなくて魔法少女となった。彼女が実際に生きているのを見て、うれしくならないわけはない。
だが、サチを見て生まれた感情は、それだけではなかった。そしてその感情は、喜びを塗りつぶし、かき消した。
その少女の姿に、ふと脳裏に記憶が再生された。前にいた時間軸での、さっきまでの船花家での出来事が、フラッシュバックする。
倒れてきたサチを合図に、突如として広がった、海中の結界。現れた船の魔女。恐怖で混乱して動けなくなっているときに、突き飛ばされたさいの痛み。そして、夏音の代わりに、船花の父がピラニアに食べられて、意識のないサチも生きたままーーー
ああ、あの牙が、あの牙が少女の体をいともたやすく引きちぎる。骨を砕く歪な音が、そのたびに鳴って。鳴って、鳴って、鳴って。赤い鮮血が、ぼたりぼたりと使い魔の口から滴り落ちる。そんな光景が、明滅しては、その感情を呼び起こしてーーー菊名夏音は、
「いーーー」
「い?」
「イヤアアアアアアアアア、アアアアアアア!!!」
絶叫した。頭を抱え、叫び続けた。頭を訳がわからないほどのものに、支配されて。
「え、何、ちょっと……!?」
サチは、あまりの豹変に戸惑う。だが、次にはできるだけ、自身と相手を落ち着かせようと、声をかける。しかし、夏音の耳には入らない。ただ錯乱しているだけだ。手に負えず、しびれを切らしたサチは、乱暴な手つきで肩を掴んだ。
「おい、いい加減に黙れよ!!」
「ヒッ!! は、離せ!!」
興奮し、夏音はサチを思いっきり突き飛ばした。そこで、はっとなるが、もう遅い。サチはドスンと大きな音を立てて、床にしりもちをついた。慌てて夏音は、大丈夫ですか、と声をかけた。が、しかし。サチは遭遇した時のように、いや、それ以上に怒りの炎を燃え滾らせ、鬼のような目で、笑っていた。
やってしまった。そんな言葉が、頭の中に浮かんだ。
「テメエ、まじで何? 勝手にこの船花サチ様の家に入ったりしてさ、おかしいよ。常識ないの?ないよね?そこんとこ、自覚すべきだよ。しかもあまつさえ私を見るなり、いきなり騒ぎ出して。ねえ、何なの?」
「…す、すいません…」
今回はこちらも悪いことと、サチのあまりの怒りに、夏音は自然と謝ってしまった。何も言い返せない。サチは腰に手を当てて、
「てか、そもそもテメエ何者なわけ?鍵がしまってたのに、どうやって侵入したんだよ」
「そ、それは私にもさっぱりわからなくて」
「わからないわけないだろ!!はっきり言え、泥棒が!!」
「え、ちょ、私は泥棒じゃありません!!あ、そ、そうです。多分必死だったせいです。無我夢中だったから、魔法でここに飛んできちゃったんです!!ほら、泥棒じゃないでしょう?ここにきた原因は、魔法の失敗なんですから!!」
「は? 魔法?」
と、そこで、サチは“魔法”というワードに反応した。魔法という言葉を、何故この不法侵入者が使っているのか、サチはいぶかしげな顔をする。しかし、夏音の薬指に光る指輪と、彼女が“少女”であるということから、
その言葉を発した理由に到達するまで、そう時間はかからなかった。
「もしかして、魔法少女…?」
「そう、そうですよ。まだなったばっかりなんですけど。け、決して怪しいものではなくてですね…」
「十分に怪しいだろ。キュゥべいからもそんなこと聞いてないしさあ。仲間に知らせて、テメエの処置はそいつに任せる。それまで縛っとくからな。泥棒!!」
「泥棒じゃありません!!そう見えても仕方ないですけれど!!」
「あー、もう黙れよ、このクズ!!」
そういうと、サチは魔法でロープを作り出す。そのまま、夏音の両手首を、手錠をかけるようにしっかり縛り上げて自室に共に入ると、カバンから携帯を取り出して入理乃に電話し、彼女を呼び寄せた。そして、電話をし終えた後は、夏音が何かしないように、また何かしたさいに対処できるように、魔法少女に変身し、夏音をずっと見張っていた。
やがて、ドアをノックする音が聞こえた。阿岡入理乃が、やってきたのだ。船花家と距離のある場所に住む入理乃は、必然的にここまで来るのに時間がかかる。到着したのは、夏音が縛られてから、数十分後だ。しかし、それでも急いで来た為か、乾いた声で、入るよ、と弱弱しく言った。そうして、ドアを開けて、夏音を目にした瞬間、入理乃は目を見開いた。
「……………。夏音、ちゃん?」
入理乃はゆっくりとした足取りで、夏音に近づく。夏音は、またもサチのとき同様、入理乃を凝視した。しかし、サチのときのように、喜びを消す感情はわきあがらない。故に、こちらにきた少女に、涙を流しながら笑顔を向けた。だが、入理乃は、疑わしそうに眉をひそめた。
同様に、顔をしかめたサチが、入理乃に聞いた。
「入理乃、こいつの名前わかんの? てか、知ってるの? このいきなり泣き出した気持ち悪いやつのこと」
「え、ええ…。で、でも、何でいるの…?というか、ありえない…。彼女が、ここにいるはずがない……、そんな可能性は…。貴女は…、本当に、菊名夏音、なの?」
恐る恐る尋ねられたその質問に、夏音はもちろん頷く。自分は菊名夏音。それは、間違いないのだから。阿岡入理乃は、そんな夏音を見て、また、ありえないとつぶやく。
「どうする? 入理乃なら、良いこいつの処遇を決めれるよね。てか、決めろ、ボケが!!」
「う、うん…わかった。わかったから、そんなに…怒らないで…。今から彼女の処遇を考える…。考えるわ…」
どこか、取り乱しているようにも見られる彼女は、無理やり平静に保つように、自身にそう言い聞かせる。そうして、夏音を見据え、考え始めた。やがて、ふとーーー何かを理解したのか、阿岡入理乃は、気弱な顔から一変、その表情を、冷たいものへと変えた。夏音は、急激なその変化に、戸惑いを隠せず、入理乃の表情を見つめた。
「ああ、そういうことなのね。……サチちゃん。決めたよ…、彼女の処遇を」
「おお、さすが、この船花様の相棒だよ!! で、それは?」
「彼女は…、怪しすぎる。言っている言葉を信じることが…どうしても無理なの。野放しにできないーーー監禁するしかないかないと思う……。それに、船花ちゃんは、その方法が一番納得すると思うの…。ごめんね」
刹那、ずがん、と突然の頭をなんらかの衝撃が与えられた。何者かに、殴られたのだ。しかし、それを理解する間もなく、菊名夏音は意識を手放し、倒れた。