「僕もできれば争いたくないんだけどね。また停戦することはできないだろうし」
夏音を助けるために、結は無断で結界を踏み越え、向こうがわの縄張りに入った。結自ら、ルールを破ったのだ。そんな奴が、今更また停戦しようなどと言ったところで、虫の良い話だ。停戦の取り決めがもう無理であるということは、結も夏音もわかっていた。
「ですが、一応話し合いはしなければいけませんよね。このまま放置しておく訳にもいかないですし」
「そうだね。あの子らが応じてくれるかはわからないけど、でもーーー」
「その話し合いについてたけど、少しいいかい?」
突然として、頭に少年の声が割り込むように響いた。聞き覚えのある声音に、二人はその持ち主を思い浮かべ、次にはひどく驚いた様子で、振り返った。そして、そこに居たのは、まさしく予想どうりの、白い体躯を持つ小動物であった。
夏音は、彼がいつの間にか現れた事実に目を見開いて、穴が開くかというくらい、その姿を見つめた。キュゥべえも、初めて会う魔法少女を観察しようと、彼女を視界に入れる。二つのルビーが、夏音の瞳の奥を垣間見ようとし、互いの目が合うーーーふっと、脳裏に知らない、いや、知っている光景が浮かんだ。
それは、崩壊した都市の様子。変わり果てた、“災害”による被害を受けた見滝原だ。そんな残骸の町に、菊名夏音が、すべてを諦めたかのように笑い、曇った、暗い空を見る。そのはるかなる天空には、黒い何かが塔のように伸びている。
ーーあれは、何なのだろうか。私は何を見ているのだろうか。“天災”がこの世界を、天国という救済の地へと、数多の命を引っ張りあげている。でも、時間の檻に閉じ込められているから、もうすでに地獄にいるから、助けてもらえない。
自分は檻のいるのは嫌だ。だから、ここから出たい。そう願っているというのに、出られないのだ。こんなに頑張っているのに、あいつらと、白い孵卵器のせいで、それが失敗する。彼らはいつも、檻から脱出するのを邪魔する。
ああ、だからこそ、憎くて仕方がない!! 憎い、憎い、憎い、もうそれしか思えない!! もはやこの感情に、愛さえも沸くほど憎い!! 彼女らさえいなければ。特にあいつとインキュベーターさえいなければ、自分はーーー自分は!!
「×××××」
「……夏音ちゃん? どうかしたの?」
声をかけられ、はっとする。隣を見ると、不思議そうな結が首を傾げていた。正面を見ると、いきなり現れたキュゥべえが、結と同じように首を傾け、こちらの様子を伺っていた。
先程、眩暈がした気がするのだが、意識が少し飛んでいたのだろうか…。一瞬だが、記憶がない。とにかく、何かをごまかすように笑う。
「どうもしてませんよ。ちょっと、くらっときただけですから」
「それって、大丈夫なの?」
「はい。心配しなくていいですよ」
そう言うと、夏音は今度はキュゥべえに向き直り、少々変な気分になりながらも、彼に挨拶した。
「キュゥべえ、ですよね。初めまして。菊名夏音です」
「初めまして、菊名夏音。君は、ボクのことを知っているんだね。ボクは君のこと、まったく知らないけどね」
つい彼と昨日契約したばかりだというのに、そんな風にはっきり言われ、夏音は奇妙な感覚に陥って、なんとも微妙な顔をした。やはり、ここは自分がいた世界ではない。証拠を改めて突きつけられ、そのことを痛感せざる負えなかった。
「今すぐにでも、キミのことを、自分の口から説明してほしいけど、その前にここにきた目的を果たそうとしよう。結、夏音。君たちに伝言があるんだ」
「伝言…?」
それは、一体、誰からの伝言なのか、と結が首を傾げる。だが、この状況で、言葉を自分達に伝えてくる人物など、それこそ彼女らしかいないだろう。すなわち、船花サチと、阿岡入理乃。あの二人が、夏音達に伝言をしたと考えるのが妥当だ。そのことに結より先に思いあった夏音は、真剣な顔になって、キュゥべえに、その確信を確かめるために尋ねた。
「それは、船花達からの伝言ですか?」
「そうだよ」
「あの二人が僕達に…? キューベー、その内容は何なの?」
「そちらも思っていることだろうが、こちらも話し合いがしたい。今から五日後に、早島神社跡地に集合して、そこで話し合おう。だそうだよ」
相手側も、話し合いをしたいと言ってきたことに、夏音と結は顔を見合わせた。こっちから提案しようと思っていたら、向こう側から提案してきたのだ。夏音達は、二人が応じてくれるかどうかもわからないと考えていたので、素直に驚いた。
だが、同時に不可解なこともある。それは、“五日”という、長い日にちの後に話合いがあることである。こういうのは、すぐにやってしまったほうがいいに決まっている。五日も延ばす必要はない。そんなことを考えられない入理乃ではないはずだ。
「不審がるのも無理はない。だが、彼女達は、考えをまとめる期間をほしがっている。そして、それは君達も同じのはずだ」
「それはそうだけど…。五日のうちに、むこうがこっちに何かをやってこないとは限らないじゃないですか。大体、私達が逃げたりする可能性だってあるんですよ?」
「それは君達も言えているんだけどね。だけど、入理乃曰く、そんなことはありえないそうだよ。夏音はサチ達を気にしているし、結はこの対立を起こしたことを心ぐるしく思っているから、他のところとまたそういうことをしたくない。それに、君達はサチ達と争いたくはないと本当は思っている。だから、こちらが仕掛けないかぎり、君達が何か危害を加えることはしない、とね」
すべて、こちらの考えは、お見通し、というわけらしい。結が渋い顔をしているあたり、キュゥべえが言った入理乃の主張は間違いではないようだ。そして、自分の考えもあたっている。夏音は、自分らの思いをぴたりと当てた入理乃に驚嘆し、同時に薄らと寒いものを感じた。
「僕らが断ったら?」
「彼女達は、話し合いをするつもりがないと判断するだろうね」
もしそうなったら、夏音達にあの二人は攻撃をしてくるということなのか。どちらにせよ、こちらに決定権はないに等しい。結は前述した通り、自分からルールをやぶっており、夏音は助けられた捕虜で、自ら出しゃばる事ができない。要するに、夏音達は発言力というものが、入理乃とサチと比べて低いのだ。
「わかった。そう入理乃ちゃんとサチちゃんに伝えて、キューベー」
「うん、伝えておくよ。それで、もう一つ、お願いしたいんだけど、夏音と二人きりにさせて欲しいんだ」
そう純白の獣が言った瞬間、夏音は少々固い顔つきをした。結は、そんな夏音とキュゥべえの、一人と一匹を、見比べるように視線を動かした。おそらく、キュゥべえは、菊名夏音の事情を聞きだそうとしているのだろう。そのことぐらい、結も理解していたが、やはり未知の魔法少女のことが気になるのか、頷いたものの、そわそわとした様子で出て行った。
彼女の気配が、完全になくなると、改めて、夏音は緊張してキュゥべえと向き合った。彼は、その長くふさふさとした尻尾をふると、率直に菊名夏音にこう言った。
「菊名夏音。君は、一体何者だい? 君は、一体いつ契約したんだい?」
「…私は、別の世界から、別の時間軸からやってきた魔法少女です。つい、昨日…いえ、貴方にとったら数日後なんですけど…とにかく、最近契約したばかりです」
一瞬だけ、本当のことを言うか言わないか、葛藤がうまれた。だが、厘差で前者が軍配が上がり、夏音は静かに質問に答えた。ここで、何も話さないわけにもいかないと思った。キュゥべえは、きっと何でもしっている。だから、もう少し、自身の現状を入理乃よりも詳しく教えてくれるに違いない。それに、自分だって、色々と聞きたいことがあった。
「別の時間軸から…? ひょっとすると、君は契約のさいに、過去に戻りたいと願ったのかな?」
「はい。私は手に入れた自分の魔法で、昨日に戻ってきました。私は今日から数日後の未来から来た人間なんです」
「……しかし、それならボクは君にある程度目星をつけているはずだ。だがボクは君のことを知らない。初めて君を知ったのは、サチがうっかり君のことを喋ったときだ」
入理乃とサチの二人は、夏音を隠蔽していた。そして、契約者に秘密のままに、夏音をどうにかしようとしていたらしい。だがら、入理乃はキュゥべえに何にも言わなかった。しかし、サチは思慮深くなく、慎重でもないためか、口が軽い。ついついポロリと菊名夏音のことを、いる場所まで、相方に禁じられているにも関わらず、彼にすべて話してしまった。
だが、阿岡入理乃はそうなるだろうということがわかっていた。キュゥべえがあの夏音が監禁されていた館にいくと、すでにそこには結界が貼ってあった。あれは、単に夏音を逃がさないためだけのものではなく、キュゥべえを中に入らせないためのものでもあった。やむなく彼は、夏音と接触するために、結に情報を流した。争いが再び起こることはわかっていたが、正体不明の魔法少女の方が、キュゥべえには重要だったのだ。
「それが、リノによれば、私が来たことによって、この世界の私が消えたらしいんです。私が二人いるのは矛盾があるから…」
「なるほどね…。同じような願いでも、これほどまでに、手に入れた魔法が違うとはね…」
「ーーー!?」
同じような願い? まさか、自分のように、契約して過去に戻った魔法少女がいるというのか? 自分と同様の存在が!?
「他にも、私のような子がいるんですか!? 」
「うん。いるよ」
ザワりと、心がざわついた。鼓動の波打つ音が体に響き渡り、流れる時間が急激に、遅くなった。夏音は期待のような、あるいは不安のような何かをキュゥべえにぶつけるように尋ねた。
「その子の名前は、何ていうんですか!?」
「ほむら。暁美ほむらだよ」
聞いた瞬間、頭の中である記憶が射影された。夏音は途端に、目の光を閉ざした。彼女は、実際に見ている光景を見るのをやめて、その記録による演劇を鑑賞する。それにより、感情が這い出て、夏音の内部を縦貫し、横断し、あちらこちらを駆け巡った。
嫉妬に似た思いが、動き出し、動き始めた。