何故、どうして、自分はこんな“渇望する何かが”あるのだろう。昔から、彼女はそう思っていた。
彼女の中には、常に衝動があった。それも、とてつもない。ふとした時や、何気ないとき。そして、赤い何かを見た時。それはとても、強くなった。
だが、彼女は無償に欲しているにも関わらず、その“渇望する何かが”どうしても、わからない。自分が何をしたいのかもわからなくて、ただただ衝動を持て余す。息苦しくて、景色は灰色になっていった。心には、風穴ができた。その風穴は、たぶん虚しさと呼ばれるものだった。
だから、このままなのは駄目だと思い、他にもやりたいことを数多くもった。幸い、この心を埋めるための夢を持つことは、そこまで苦労はせず、そして、その分だけ、挑戦してきた。そのすべてを、一生懸命、頑張ったつもりだった。
だが、どれもうまくいかない。失敗ばかり。他の子に先を抜かれる。彼女はドジでノロマで、それはどうしようもなかった。それに、たとえ得意になったものができたとしても、上には上がいることもそのうち知った。
だいたい、その夢は偽物の夢だった。本当にやりたいことじゃなった。だから、本物の夢に勝てるわけがなかった。ただ現実だけが突きつけられて、絶望した。
また彼女は、他人とは全然感性が違っていた。周りの子が、“かわいい”と感じるものが、かわいいと思えない。“流行り”とかも、よく分からない。更には味覚まで自分はおかしくて、周囲から引かれてしまうくらいだった。
“仲が良い”二人も、同じようにどこかネジが数本飛んでいたが、しかし、一人はそれを偽ることに成功し、一人はずれた感性などを肯定した。だが、どちらも彼女にそれは無理だ。演技できない。割り切れない。本当に、彼女は自身が情けなかった。
しかし、一族のみんなは、それでもいいのだと肯定した。その役割を果たすことのみ、考えればいいのだと、誰もが当然のことのように言った。
だけれども、それが当然のことではないと、彼女は思ってしまった。皆、どうしてそんなことを言うのか、不可解だった。
そんな思いを抱く中で、二人のうちの一人がいじめに関わってしばらく引きこもり、やがて失踪して行方不明となった。喧嘩していたもう一人とは別に、何日も何日も、探して、探して。何か知っていると思い、いなくなった子の友人と会っても、何の事実もわからない。だがしかし、彼女はその日出会ったーーーあの純白の獣、キュウべえを。
赤い満月の夜。失意に沈む彼女の部屋に、彼は訪れた。彼女に接触し、彼は話した。この世に蔓延る魔女の存在と、それを狩る魔法少女のことを。そして、その魔法少女が、いなくなった子であることを。その内容はあまりにも、咀嚼することも躊躇うほど、非現実的だった。
それでも彼女は、訳もなく、根拠もなく、それらが真実であると思った。きっと彼は本当のことを知っていると感じたのだ。だから彼女は尋ねた。
「あの子はどうなったの?」
彼はすぐに、単調な言葉で答えた。
「死んだよ」
心の窓の外から、ザワり、と風が動く音がかすかに聞こえた。それは穴に、吹き込んで、彼女を動揺させた。ただ彼女は、“死”というワードそのものに、衝撃を受けて、震えていた。
身近でそんなことがなかった彼女にとって、死とは、ふわふわとした現実味のないものであった。どこか遠くのことだった。だからこそ、彼女は“死”に目を向けなかった。
だが身近で、しかも親しい人間が死んでしまった。初めて死というものが、リアリティを帯びた。そして、その分死の重み、死の概念が、彼女の中で、明確になって刻まれた。彼女はようやく、死というものが何であるのかを認識した。
それによって、自分が求めていたものの正体がわかった。衝動が欲する、渇望する何か。それが、はっきりとわかった。
そしてキュゥべえが帰ったあともーーー数日後も、そのことばかりを考えてしまった。大切なものは頭から欠落し、そしてその事自体を、排除してしまった。衝動を押さえつけようにも、どうしようもなく、彼女は“それ”を渇望した。
今までわからなかった分、彼女は我慢してきた。ずっと、ずっと、ずっと。だがわかった今、もうその必要などなく、彼女の理性は本能に支配された。
彼女は手頃な“獲物”を掴むと、誰もいない、人気のない空き地へと連れ込む。持ってきた包丁を取り出す。そうして、その刃を獲物へと下ろした。“刺した”手応えと共に、鮮血が、手やらアスファルトやらに、勢いよく、巻き散った。
「アハ…、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
笑い声をあげる。嬉しくて、嬉しくて、あまりにも楽しくて、充実感があって、恍惚として、ぞくぞくとして、目の奥が熱くなった。
何度も何度も、包丁をめちゃくちゃに“獲物”に振り下ろす。そのたびに感じる、肉を切り裂く感覚が堪らない。加虐的な彼女は、紅をもっと見たくて、狂い咲く。原型を留めぬほどの、ぐちゃぐちゃになったものが醜く、美しく、おもしろい。
「フフフ………、アハハハ………」
ふとその死体から目を離すと、赤まみれの彼女の前には、二つの赤い瞳が、暗闇の中で、浮かび上がっていた。煌々と輝く月の元で、彼女は双眸に手を伸ばす。
「ねえ、キュゥべえーーー」
刃から、血が滴り落ちる。それが、愉快で仕方なかった。彼女は笑った。声をあげて笑った。
まるでーーー怪物のように。
◆◇◆◇
意識が底から浮上してきて、夏音は目を開ける。カーテンから漏れた光が眩しくて、顔を顰めて数度瞬きをする。唸りながら、無理やり身を起こすと、体の節々が痛かった。
きっと、フローリングに直接布団を敷いたせいだろう。疲れもあまりとれていないのか、それとも起きたばかりだからか、ひどくだるい。一つ、大きく欠伸をする。
そばに置いていた眼鏡をかけると、彼女は億劫な気持ちで、中からでて、布団を畳んで左手の隅に積む。次に、パジャマを着替えようと、服と髪を結んでいた二つのリボンを中に入れた、押し入れを開いた。
ここの部屋は、元々物置きだったので、箪笥などは無い。だから、そういうものに収納することはできず、服とリボンはここに置いておくしかなかった。結も流石にカラーボックスは用意できなかったらしい。では制服はというと、こちらは元々この家にあった物干し台を、部屋の右手の片隅に移動させて、それにかけて、乾かしていた。
私服を手に取って、振り向いた瞬間、ふと制服が視界に映った。
「……………」
彼女はしばらく、制服を無償に変な気持ちで見続けた。服を一旦押し入れに置いて、制服を触ってみると、既に乾いていた。夏音は制服をとって、体に重ね合わせるように前に持ってきた。だが、やはり“強烈な違和感”があって、馬鹿馬鹿しいと思ってしまって、再び制服をかけ直し、私服に着替えた。
リボンを手にとり、風呂場に行くと、鏡台の前に立って、顔を洗い、髪をくしで梳かす。そうしていつものように、ツーサイドアップに結わえた。だが、しかしーーー
「なんか、しっくりこない…」
普段自分が着ている服とは、別のものを着ているからだろうか。セーターに、スカートという落ち着いた、悪く言えば派手でない適当な組み合わせに、この髪型は浮いてしまっている。
髪を解き、今度はツインテールにする。だが、同様に不釣り合いだ。下に二つに結んでも、思いっきってサイドテールにしても、やはり子供っぽい感じがする。わざとそんな髪型をし続けたとはいえ、なんだか果てしなく似合っていない気がした。
しばらく考えて、夏音は自分から見て右手に、編み込みをいれ、リボンで横結びする。残ったリボンは、不必要に思われたので、手に持ったままにした。そうして、鏡を見て、おかしなところがないかをチェックして、出来栄えに満足して微笑んだ。
さあ、これで完璧に身支度が終わった。後は、結の部屋に行って、彼女に会いに行こうか。だが、もし眠っていたとしたら、気まずくて起こすことができない。リビングで待っていよう。そう考えて、廊下の方を夏音が見た丁度その時、結が欠伸をしながら、こちらにふらふらとした足どりで歩いてきた。
「………おはようございま〜す」
先程起きたばかりなのだろうか。風呂場にやってきた結は、ひどく眠そうだった。心なしか元気もなく、けだるげな様子だ。寝癖はくるくると飛びはね、髪はボサボサで、それを無造作に一つ結びにしていた。
「おはようございます、家主さん。…あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。いつものことだし…」
もう一度、大きな欠伸をした。そして、結はふとそこで夏音の髪型に気がついたようで、声をもらした。
「髪型昨日と違うね」
「ちょっと普段とは変えてみたんです」
「あっちが普段の髪型なの? なんだかしっくりくる髪型だから思わず、昨日と同じ髪型と思っちゃったよ」
そう言って、微笑まれた。だが、正直褒められているのか褒められていないのか、よくわからない。なんとなく、夏音は髪の毛先をいじる。
「心配しなくても、似合ってるって」
結は三度目の欠伸をして、続けて四回目の欠伸をした。そして、目を細めて、瞬きしながら、しかしニッコリと笑いながら、
「あ、そうだ。どこでするのか、僕言ってなかったわ」
「…特訓のことですか? 一体どこでやるんですか?」
「富枝神社跡地だよ」
特訓、楽しみだねと、そう言って。三日月の目はぎらりと光る。結は口角をあげる。こちらを見ているようで見ていない彼女は、声をたてて、狂い、笑った。
まるでーーー怪物のように。