魔法少女かのん☆マギカ   作:鐘餅

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遠い未来の昔話の番外編です(つまり番外編の番外編?)。
遠い未来の昔話を読んでいることを前提に書いております。
また二章後半、二・五章全体のネタバレを含みます。
ご注意下さい。


潰えた希望と幸せは

 ――これはとある昔話。

 五百年以上も前の古いお話。

 

 それは誰からも忘れ去られ、覚えているものなど一人もいない。

 ……当事者であった土地神様さえ例外ではない。

 

 それでもこれは確かにあったお話で。

 その物語があるからこそ今がある。

 

 今一度紐解いて、見てみよう。

 失われてしまった兄妹の……戦国時代のとある一族の物語を……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼の名前は火雨史郎と言った。

 

 富枝という土地の武家に生まれ、当主の息子、正妻の長子、おまけに長兄と来たものだから、割とそこそこ歳のいった人で、立場としては次期当主だった。

 下の兄弟とは二十以上も歳が離れていた。

 九人兄弟姉妹の一番目。

 小さな妹、弟に、興味を持つことはあまりなかった。

 

 なのにどうしてだろう……。

 いつの間にその子に目が行ったのは、なんの偶然か。

 

 上から数えて七番目。

 白雪のような長い髪と赤く辰砂のような瞳が特徴の、十にならぬ幼い妹だった。

 そんな目立つ外見でありながら、しかし一族の中で比較的大人しい彼女は、玉と呼ばれていた。

 

 由来は分からない。

 単に呼びやすかったからか、あるいは別の何かがあったのか。

 とにかく気付けば彼女は玉という名が付いていて、他の兄弟がそうであるように家のことを手伝ったり、下の末妹二人を面倒見たりして過ごしていた。

 

 普通の子ではあった。

 よく働きよく気が利きよく言うことを聞いた。

 落ち着いてはいたが、けれども無口かと言えばそんなこともなく……。

 

 でも笑わなかった。

 泣きもしなかった。

 人形のように諦めた目で世界を見ていた。

 今思えばそれが気になったのかもしれない。

 大人に都合の良い子供がそこにはいたのだ。

 

 他の兄弟姉妹は何だかんだ言って我が強かったりしたのだが、玉は違った。

 我儘を言わないし、甘えないし、はしゃがない。

 しかも末妹二人を相手にする時は大人のように振る舞おうとするのである。

 

 成熟したしっかり者に見えた。

 一見すると。

 けれどもあんまりにも主義主張を言わないものだから、どうしたってその立場もあって、一族の中で埋没した存在だった。

 

 無論、だからと言って冷遇されているかと言うとそうではない。

 火雨家と言うのは、家族愛が実はとても強い一家だったのだ。

 

 だからこそ子供は守るし、大切にする。

 出来るだけの食事を与えるし、教育を施す。

 

 兄弟姉妹の七番目、かつ側室の子である玉もまた、その境遇からはあり得ない程に大事にされていたのだ。

 

 ……とは言えだ。

 一般的に見れば子は道具であり、いざとなった場合のスペアであり、働き手である。

 七番目の子は、その中でも価値は低い存在だ。

 特別冷遇されない代わりに特別愛されもしない。

 

 玉はそういう子だった。

 そんな子が……寂しそうにしない代わりに、密かにある行動を取るのが見ていると分かってきた。

 

 それは近くの祠へ祈りを捧げるというものだった。

 玉は毎日そこへ通っていた。

 一心不乱に。真剣に。

 

 見ている史郎でさえ、胸に来るものがあった。

 

 当然のように疑問に思うのだ。

 何がしたいのだろう。

 何を願っているのだろう。

 

 知りたかった。

 話がしたかった。

 

 兄妹として、初めて心を通わせたいと史郎は思ったのだ。

 

 そうして彼は……何の偶然か、散歩の時に祠へ通りかかってしまった。

 その祠は小さくって、あんまり立派なものじゃない。

 でも荒れ果てた様子はなく、どうやら玉が掃除をしているようだった。

 そこにある祈りと信仰は、ささやかだか立派なものだった。

 

「熱心だな。毎日来ているのか?」

 

 祠へ祈りを捧げる玉へ話しかける。

 すると玉はびくっとして振り返り、怯えたような目付きでこちらを見つめる。

 史郎とてどうすれば良いのか分からず内心苦笑い。

 黙っていると気を利かせてくれたらしく玉から声をかけてくれる。

 

「お兄様。お兄様はどうしてこちらに?」

 

 お兄様。

 この子は兄弟をそう呼ぶのか。

 そんなことすら知りもしなかった。

 

「散歩だ」

 

 そう答えて、それからどうにも気まずい空気が流れた。

 なので、仕方がないので笑って、しゃがんで、視線を合わせてやる。

 玉は視線を彷徨わせた。緊張しているらしい。

 

「玉こそ、ここで何をお願いしていたんだ?」

「み、皆が……争いをやめますようにって……お願いしてました」

「争いを? ……そうか。玉は優しいな」

「優しい……?」

 

 心からそう言ったのに、玉はどうにも納得がいってないようだった。

 もしかしたら、そんなものに価値はないと思っているのかもしれない。

 皮肉なものである。

 実は火雨の方が、何処よりも家族愛が強いのに……。

 この少女は外での戦争を何度も垣間見ていた筈で、なのに家という世界だけでしか生きていない。

 だから気付きようがないのかもしれなかった。

 

 この家は普通であって普通ではない。

 玉の立場は本来は使用人であっても何もおかしくはないのに、こうして普通の兄弟として自分と話せている時点で玉は家族から優しさをもらっているのだ。

 だからそんな風に、皆のために祈りを捧げられる子になっているのだ。

 彼女はとても純粋だった。

 

「心が綺麗ということだ。それはとても良いものだよ」

「……」

「その優しさは大切にしなさい。こんな世の中だからこそ、それはとても尊いものなのだ」

 

 だって家族から与えられた、それは紛れもない愛情の証なのだから……。

 守られ、育まれたことに由来する貴重な善性なのだから。

 

 ずっとずっと、彼女にはその優しさと純粋さを持っていて欲しいと史郎は思った。

 そこに価値がないなんて思って欲しくもないし、大事にしていて欲しい。

 こんな世の中なのだ。せめて家族の絆くらい、穢されたくはないというのが史郎の思いなのだった。

 

 だから――

 

(血を注ぐような場所が、自分の居場所などと思うなよ……玉)

 

 だからそんなことにもなって欲しくもない。

 そう。

 史郎には無理だった。無理だったのだ。

 

 戦国に、この土地の争いに適応するためには、自ら罪に塗れ、人を殺すしかなかった。

 人でなしになった。

 そうしているうちにいつの間にか戦場こそが生を実感出来る場所になり、こんなことになるくらいならただの農民でありたいとさえ思った程だ。

 

 だけども史郎は家族を愛しているし、こんなにも良い人達が他にいることを知らない。

 だから彼らを守るため武器を手に取った。

 

 歯痒く思う。

 この家に生まれて良かったと、そう心から思っているのに、争う程に平和からは遠ざかっていくのだ。

 

 史郎もまた玉と同じだったのかもしれなかった。

 毎日毎晩、一族が平和に穏やかに笑う夢を見る。

 その度に濃い焦がれる。幸せな未来を。皆が手を取り合い生きていく光景を。

 

 案外妹とは似た者同士なのだろう。

 ちょっと笑ってしまう。彼女が気になっていた理由がこの時少し分かった気がした。

 

「……玉。お前は、女だ。非力な子供だ。その意味が分かるな?」

「はい」

「お前はこの先、政治の道具として利用されるか、争いに巻き込まれて死ぬだろう。お前の人生は最初から定められ、縛られている。奴隷と同じだ。……そんな人生が嫌だと思ったことはないのか?」

「仕方がないことだと思います」

 

 諦めているような玉の顔。

 

 まあそれが当たり前。

 それが戦国の常識。

 それが普通のことである。

 

 が――とても悲しい。

 自分と似た妹がそんなことを言うのは……史郎にとっては身を裂かれるくらいの痛みがある。

 そう感じる。

 

「……」

 

 ふと堪らなくなって。

 頭を撫でてみた。

 丸い丸い小さな頭だった。

 

 まだ八歳かそこらだと言うのに、誰にも甘えられず、子供のように笑わない玉。

 次に感極まって、抱きしめてしまって、可哀想になあ、と言った。

 しばらくそうしていた。

 

「玉。良いか、玉。今から兄上の言うことをよく聞くんだ。良いな?」

「は、はい。お兄様」

「玉、お祖父様の遺言通り、決して俺達大人から、呪いを引き継ぐな。お前はお前らしく、自由に堂々と生きろ。お前にはその権利がある。お前は、お前の望む通りに生きて良いんだ」

「え……」

 

 それは遂に言ってしまった絵空事だった。

 何の力もない言葉のくせに、まったくの理想論のくせに、そうであれと願うのは無責任で、傲慢なのだろう。

 なのに口は止まらずに、喋り続ける。

 この小さく暖かい存在が、聞き返すからだ。

 

「そんなこと、本当に良いんですか?」

 

 声が震えていた。

 ようやく玉の本心みたいなものが飛び出した瞬間だった。

 

「ああ」

 

 頷くと玉の体が強張る。

 

「けど、そんなの絶対、許されるはずがありません。大体、妹達はどうなるんですか」

「妹達もお前と同じだ。好きに生きて良い。お前達子供は可能性の塊なのだ」

「でも、でも……」

「大丈夫だ。兄上が全部変えてやる。子供の未来を作るのは、いつだって俺達大人の役割だ。俺がこの土地の争いをなくす。一族の皆と協力してな」

 

 そして最後にそう約束してしまった。

 だけどもやっと覚悟が決まったような気がして、今まで何も行動していなかったのだとこの時気が付く。

 

 ああ、そうだ。

 

 嘆くばかりで何もしていなかった。何もやれていなかった。

 自分は怠け者だった。

 

 出来ることは何かあるかもしれない。

 始められることは何かあるかもしれない。

 

 たとえ恒久的に平和が手に入らなくても、束の間の穏やかな時間くらいは……。

 

 そのために戦おう。

 そのために頑張ろう。

 愛する兄弟と、父母と、家族のために。

 

 史郎はそんな無謀なことを思ってしまったのだ。

 前のめりで、一途で、夢想家で、理想主義者で。

 彼はどうしようもなく善人で、だからこそ大馬鹿者だったのだ。

 

「うああああああああああああああああん、ああああああああああん!」

 

 ……でも。

 玉の辛い気持ちを受け止めれたのも、何処までも優しい史郎だけで。

 この瞬間だけは、彼は兄として玉を真の意味で救うことが出来ていた。

 

 それが更なる悲劇の種になるとも、知らずに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 以来、二人の距離はとても近くなったのである。

 相変わらず玉の表情は硬いところもあったのだけれど。

 少しずつ……少しずつ、玉はよく笑うようになったし、よく泣くようにもなった。

 

 二人の交流は続いていた。

 

 例えばこんなことがあった。

 

 ある時、史郎はとある貴重なものを手に入れた。

 それは滅多にお目に掛かれぬ甘い菓子。

 

 この土地は盆地で、なのに海へ続くように川があるものだから、生産性は低いくせに物流には優れると言う大きな特徴があった。

 おかげで昔から川の利権を巡る争いが起き、外の牛木草も外圧をかけてくるなど不安定で、おまけに山ばかりの地形は田畑を作るのには向いていない。

 

 内戦に次ぐ内戦。

 飢饉が起きようと下手に物が入ってくるせいで物資が手に入る。更には各勢力は分散し、強くもなく弱くもないので、中途半端に勝つことも負けることも出来ない。

 トドメに戦争をしている方が儲かると言う有様で、結局争いは起きてしまうのだった。

 

 まぁ、この土地はそんなところでもあるから、完全に閉じてもいなければ開けてる訳じゃない変な場所だった。

 時には甘いものなんてのも流れてくる。

 それを運良く手に入れられたのは幸運なことだった。

 

「玉、見てみろ」

 

 せっかくなんで、その甘い菓子を真っ先に玉に見せてみた。

 玉は目をぱちぱちと瞬かせ、その薄い紙に包まれたものを見る。

 

「……? 何ですかこれ」

 

 玉は首を傾げていた。

 菓子など見たこともないのだろう。

 それは麦芽糖の水飴だそうで、史郎でも年に一度食べられるかどうかといったものである。

 開けてご覧、と促して、あーん大きく広げる玉の口の中に水飴をほんの一欠片を入れてやった。

 

 すると――

 

「? ???? ……! 〜〜〜〜〜!!」

 

 最初はカラコロと舌で転がしよく分からないといった風な玉だったが、段々と初めての甘味にはしゃぎ、頬を興奮で赤く染める。

 すごい、とキラキラと目を輝かせた。

 

「こんなの初めてです! ふわふわで、きらきらで、美味しくって、うきうきして……! すご〜い! この世界に、こんなものがあるだなんて!」

「ふふ、そんなに驚く程か?」

「はい! とっても」

 

 ありがとうお兄様、なんて笑ってくれるものだから、史郎はますます嬉しくて仕方がなかった。

 

 またある時は、一緒に部屋で遊んだりもした。

 独自に作った室内の遊び。

 それは史郎が玉のために考えたものだ。

 勿論火雨家に贅沢な道具はありはしない。せいぜいが、紙と木片と折れた矢羽ぐらいなもの。しかしそれら使って陣取りのようなものをした。

 

 紙に線を引いて史郎が言う。

 

「ここは川、ここは森、ここは山。さあどうする?」

「むむむ……なら私はここを攻めます!」

「じゃあこちらを奪おう」

「では守ります」

 

 中々に接戦になった。

 玉は結構、こう言うのが得意なのかもしれない。

 境界線を作る。決まりを作る。支配する。切り捨てる。

 そこに非凡なものを感じたが……史郎は気のせいだと思った。

 あったとしてもそれを活かす機会など永遠にはこないのだと、彼はそう思い込んだのである。

 

 それに玉はいつも勝ちそうな時に負けるから、史郎からすれば、玉は勝者ではなかった。

 

「むぅ悔しい。どうしたら勝てるのでしょう?」

 

 思いの外毎回玉は悔しがる。

 その度に一緒に反省会をしてあげる。

 その時の玉の表情は楽しそうで。

 

「面白いか?」

 

 と聞けば、案外素直に答えてくれた。

 

「面白いです」

 

 だって。

 それは決まりがあって。

 規則があって。

 勝ち負けがあって。

 そして終われば全部なかったことになって。

 また始めれば、また最初から自由に出来て……そんなところが好きなのだと、玉は言う。

 

「どうせなら現実もそうだったら良いですよね……みんな好きに生きれたら……」

「そうだなあ……」

「戦争……早く終わらないかなあ」

「ああ……」

 

 ――それでも。

 この瞬間確かに2人は辛いことを忘れられているような気がした。

 一緒にいれて、お互いに楽しいし、嬉しいし、時が経るごとに絆も結びつきも育まれていったのである。

 それを何と呼べば良いのやら。

 分からなかったけれども何かが暖かく、現実から目を逸らすように笑うのだった。

 楽しくて楽しくて……笑うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 史郎と玉の関係は、どんどん複雑になっていった。

 それは年齢差も立場も離れ過ぎてるからで、そんな二人が距離を縮めれば色んな感情が湧き上がるの必然だった。

 当然玉が不憫な子であったのも史郎の心を動かし続けていた。

 

 しかし何度も言うが玉は愛されなかった訳ではない。

 前にも言った通り逆に火雨家は家族愛が強くて、子供は大切しており、玉は将来困らぬよう教育を施され、教養も礼儀作法もきっちりと見につけていたのだ。

 ではそんな玉が飢えていたものはなんだったのか。

 

 それは触れ合いだった。

 誰かに甘えると言うことだった。

 

 武家の娘としてしっかりとした自立した存在になる。

 そう教育された玉は真面目だったので律儀にそれを守ろうとしていたのだ。

 だが玉はずっと我慢していて、誰かに抱きしめられるということもなければ、人前でも泣けなかった。

 

 だから、史郎がそれを与えた。

 年齢以上に情緒が幼かった玉に、キラキラとした思い出を与え続けた。

 楽しみ、喜び、悲しみ、怒り。

 それらを共有し続けた。

 一緒に遊んであげて、一緒に悩んで、一緒に綺麗なものを見て、一緒に眠って、抱きしめて、あやして、肩車をしてあげた。

 勿論こんなものは年齢以上に子供扱いというものだ。

 でも玉はそれらに飢えていた。

 だから玉は史郎の前だけただの子供でいられた。

 

 そしていつしかそんなことをしている内に妹というよりは我が子のような……そういう感覚を抱いていき、気付けば玉は大きな存在になっていた。

 初めの頃よりずっとずっと。

 玉の方もまた兄をよく慕うようになっていた。

 共通の趣味はいくつも出来た。

 まるで二人は兄妹というよりは親子で、なのに時に師弟のように色んなことを教え合い、友達のようにはしゃいで、対等な同志のように秘密を打ち明けあった。

 分かり合えたし、やはり気が合うのだった。

 玉は宝物になった。史郎にとっての生きる理由だった。

 

 そんな存在が、ようやく最近夢のようなものを語るようになってきた。

 それは無相応な……けれども本当にささやかな望みだ。

 

「お兄様。私ね、この土地から出て、色んな場所に行ってみたい!」

 

 彼女はキラキラとした目をしていた。

 それは史郎が語った外国や外のお話に影響されてのことだった。

 

「京の都を見たいんです! それから怖ーい森とか、綺麗だって川とか、後は海とか……すごい綺麗なんだろうなあ。私、知らない世界を見てみたい。やりたいことも沢山ある。もっともっと自由に、楽しく、自分の人生を生きるの!」

 

 明るい表情で夢を語る玉。

 こんな戦国の世にあって、玉はあり得ないほどに価値観が変わってしまっていた。

 史郎が変えた。そうであって欲しいと願ったから。

 

「……」

 

 ――なのに。

 何故いざそうなったら、どうしてこんなにもざわついてしまうのだろう。

 ……怖いのだろう。

 腹の底が冷たくなって、胸の奥がキュッとなって、ただ動揺だけが広がっていく。

 

 いや、少し違う。怖いのではない。

 自分の手が汚れているので、純粋な玉と接しているだけで、己の醜さを見せつけられているような気分になるだけなのだ。

 

 しかしそれを表に出す訳にもいかない。

 史郎は平然とした振りをしていて話を聞いていた。

 そこで玉は言う。

 

「あ、でも……やっぱり世界を見るのは一回だけで良いかもしれません。世界を見終わったら、またこの場所に戻って来たいなぁ」

「何でそう思うんだ?」

 

 史郎は優しく聞いた。

 玉は笑顔で答える。

 

「みんなが大好きだから。この家が私の居場所だから。あの時お祖父様のお話を聞いて抱いた願い。……穏やかにみんなで年を取っていつまでも平穏に暮らす。それも外に出る夢と同じくらい大切なんです。おかしいですか?」

 

 首を振る。

 玉は何処かホッとした様子だった。

 そして。

 

「お兄様。お兄様はいつも私を受け入れて下さいますね。今もそう。夢を笑わないし、馬鹿にしない……だからこそ、そんなお兄様が私にとってはすべてなんです。大好きです。世界で一番」

 

 史郎が思っていることと同じことを言った。

 

「お兄様――知っていますか? 私の時間は、貴方と出会ったあの瞬間から動き始めたんです。多くのものを下さいました。頭を撫でられるのも、抱きしめられるのも、初めてで。貴方は私に笑って下さいました。掛け替えのないものをもらいました。お兄様といると心があったかくってポカポカする……」

 

 そうして玉は胸の前で両手をやって……柔らかく微笑んだ。

 

「お兄様。これからも玉のお話聞いてくださいましね。いつか一緒に外を巡り、この地に帰り、幸せな毎日を送るんです。お兄様と共に夢を見たい。この時間がいつまでも……いつまでも続いて欲しい。私はそれだけで――」

「……」

 

 史郎はいよいよ居心地が悪くなって来た。

 誤魔化すと言う訳ではないが、頭を撫でてやった。

 玉が嬉しそうにする。

 

「ああ、そうだな」

 

 自分も同じだよ。

 そう言えるのに、史郎はもう純粋にその思いを受け止めきれなくって。

 

 胸の何処ががズキリと痛くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この地に平和を齎すために。

 この地に平穏を齎すために。

 

 史郎は動いていた。

 玉には秘密裏に動いていた。

 

 協力してくれと、一族を説得するのは大変だった。

 無謀だ。無茶だ。何を言い出すのだ。

 そんなことを当然のように言われたのだ。

 

 だがしかし……ある一人がこう口にした。

 

「……けれども、このままでは戦っているだけでは、いずれ無駄死にするだけだろう。未来は作れない。我々はそのために、命をかけて来たのだろうか? 武器を手に取ったのは、身内を守るためではないのだったか?」

 

 そう。そうだったのだ。

 元来は自由のために、尊厳のために、子や家族を守るために武装化したのが火雨家である。

 その理念を彼らはすっかり忘れかけていた。

 場に沈黙が下りる。その中でその人は続けた。

 

「子は未来だ。子は宝だ。私は子のためならばいくらでも命を張れる。血なんか残さなくたって良いし、子供が夢を見れるなら私達の元から離れても全然良い。私は次期当主の言うことに賛成だ。皆はどうだ? 同じ思いだろう?」

 

 すると史郎の弟が答えた。

 次男の寅次郎である。

 

「――そうだな。俺はさ、家族を殺した奴らが憎くて今まで戦って来たんだ。けどアイツら……弟妹達の中にいるだろ? 仁介と松太郎。アイツら、側室の子なのに可愛いんだ。兄ちゃんって呼んでくれるんだ。俺はそれだけで絆されて……アイツらが幸せになれるのなら確かび命を賭けても良い。俺はそのために戦ってみたい」

 

 次に嫁いでいない妹の中で一番年長である囲炉裡が呟く。

 

「私も……出来るだけのことはしてあげたい。玉もだけど、その下の茅も理沙も、大事だよ。私はみんなが好きなの。みんなが幸せでいられるならばどうなろうと構わない。こんな苦しみは、私達の代で終わらせるべきだわ」

 

 場の空気は確かに変わっていた。

 次々と一族のみんなは言い出す。

 

「それを言うなら……実は俺も」

「僕も」

「儂だってそうだ」

「子が幸せになれるのならそれが一番良いのだ……。武家じゃなくなっても、やりたいことがあれば出来るようにさせてあげたい」

 

 それが彼らの本音で、総意で、家族を思うあまりにずっと抱いていた夢だったのである。

 子供のために未来を見たい。

 作りたい。

 

 こうして火雨一族は動き出した。

 それは茨の道のりで、簡単なんてものじゃない。

 大人達は全員が犠牲になる覚悟で、子供に不安を与えないため自分達のやっていることを悟らせないようしていたし、嫁いだ女性達までも間者のように敵側の情報を送り続けた。

 自分達だけが血に染まれば良いのだと。

 

 史郎はその中心として最前線で戦い続けた。

 殺して殺して殺して、奪って奪って奪って。

 誰よりも多くの敵を屠り、誰よりも謀略を巡らせた。

 その度に己が汚れていくような気がして。

 味方が倒れてる度に己の判断が間違っているような気がして。

 とは言え言い出しっぺである以上責任から逃れる訳にもいかず。

 

「お兄様」

 

 なのに玉から笑顔を向けられて、嬉しいのに、いつの間にか複雑故に苦しみも生まれていた。

 平和を……夢を与えると言っておきながら、嘘と略奪と殺しと言う手段でしかそれを実現出来ない現実。

 そこに史郎は罪悪感を感じていた。

 毎晩殺した人や、史郎のせいで死んでいった同胞達の顔が浮かぶ。

 

 言うならば玉に幸せになって欲しいと言う史郎の我儘で死んでいった人々だ。

 生き残りたくて戦っているのとは訳が違うのだ。

 

 けれども妹のために頑張るしかなかった。

 約束したからだ。責任がある。

 戦いの中で沢山の人々の醜さを目の当たりし、裏切り、不信心、妬み、暴力……それらを見て本当に平和など実現できるのかと弱気な考えも浮かぶ。

 張り裂けそうになりながら必死に前へ進み続けた。

 

 暗い気持ちは日記にぶつけた。

 誰にも話せぬと言うのなら。誰にわかってもらえぬというのなら。

 墓場まで持っていくために、このモヤモヤとしたものを紙へ乱雑に叩きつけ、それを本として閉じ、部屋の中へと封じ込めた。

 この思いも迷いも懺悔も恨みも後悔も、すべては己が背負うもの。

 

 さぁ行こう。

 平和へは後少し。

 ほんの後少しの筈だった。

 

 未来はきっとすぐそこにある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この土地の領主一族は元々川を祀る祭祀の一族だった。

 この地の川は東西南北様々なところへ繋がっており、物資を運んでくれるが、その分氾濫も多い。

 それを鎮める役割を持つその一族は、一定以上の権威と名声と歴史を持っていた。

 争いを収められる唯一の家として残った領主一族は、しかし調停役としては無能も良いところだった。

 

 なにせ権威はあるのに力だけは中途半端なのだ。

 これでは各勢力を抑え込める筈もなし。

 年々その影響力は衰え、返ってそれに執着した領主本人が暴れているのだから手に負えない。

 

 だからそうだ。

 この土地で一番邪魔者は領主その人だった。

 火雨家は領主を殺したかった。

 だが火雨家は名家であってもやはり普通の家系ではあった。

 頭を殺したところでその代わりを務められる訳ではない。

 

 なので領主の弟に就くことにした。

 領主の弟は優れた人物で、平和を求める火雨家にとても真摯に向き合ってくれたのだ。

 発展を約束してくれた。先見性があった。この土地の争いを収める方針と豊かにする計画を立ててくれた。

 この人ならば信用出来ると、そう思わせる何かがあったのだ。

 

 領主の弟の命令で、史郎と他の火雨家の大人達は両手を血に染めてきた。

 多くのものを踏み躙り、多くを殺した。それが必要なことであると納得のいく説明をしてくれたので、従った。

 報酬だってちゃんともらって、約束を破られたことなど一度もない。

 

 ――だからこそ、史郎は目の前の光景が信じられなかった。

 

 少し大きい程度の火雨家の屋敷。

 それが燃えていた。火雨家の家はすべてが燃えていた。

 攻め込んでくる兵士ども。殺されていく家族達。

 

 一瞬で悟る。裏切られたのだ。

 自分のせいだった。

 自分があんな男を信じたばかりに。

 蒼白する史郎をだが誰も責めることなく、残された小さな子を守るべく皆が立ち向かう。

 しかしやられていく。必死に戦うのに大切なものが踏み躙られる。

 

 ああ……どうしてこうなったのだろう。

 理想など始めから抱かなければ良かったのか。

 でもあのまま無意味に争い続けていても未来などなく、ジリジリと追い詰められて結局のところ同じようになっていただけなのではないか。

 

 色んなことが頭を過ぎる。

 信用する人を間違えた。何もかもを間違え続けたのだろう。

 愚かで大馬鹿ものだった。警戒はしていても、結局のところ信じたいから、信じ続けていただけだったのだと……今更ながらに気が付いて。

 

「お兄様!」

 

 それでも何かを守るために戦うしかなかった。

 そして最後の最後に、史郎は玉と末妹達の姿を見る。

 このまま無事に逃げれるように、生き残った大人達が彼女達の盾になっている光景だった。

 

「愛している」

 

 だからそう伝えた。

 もう火の手があちこちに伸びて逃げ場なんて自分にはなかったから。

 優しい思い出ばかりが蘇っては消えていった。

 

「生きろ」

 

 そうして一言言い終わるその頃に、敵の兵士の槍が胸を貫いて。

 玉が泣き叫ぶ。

 

「お兄様っー!!」

 

 意識は急速に切り取られていった。

 ここに希望は崩れ去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――玉。

 

 お前に会えて本当に良かった。

 どうか広い世界をその目で見てくれ。

 

 愛している。

 

 愛している。

 

 俺達の呪いを引きつかずどうか幸せに……。

 

 幸せに生きてくれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ザーザーと雨が降っていた。

 滝のような大雨。湿ったような臭いが鼻をくすぐる。

 空気は雨の影響か何処か重い。

 この暗い暗い洞窟の中にまで、雨粒が入ってきそうになっている。

 

「はぁ……うぅ……うぅ」

 

 ――奥の方でボロ布の上に寝かせられた幼い少女が、丸まって苦しそうにしていた。

 名は茅。

 その隣でオロオロとしているのが末妹、理沙。

 彼女達は玉と逃げた後、こんな洞窟に身を潜めていた。

 

 だが茅はこの逃亡生活に耐えきれなかったのか熱を出して倒れてしまい、理沙は泣きそうになりながら姉に助けを求める。

 

「あ、姉上、どうしよう。茅お姉ちゃんが……」

「うん。どうにかしなきゃいけないね」

 

 玉は真顔のままに答えた。

 なのに目には爛々とした輝きがあり、年齢に似つかわしくない怪しげな光がそこに灯っている。

 そんな姉に理沙は怯えたような顔をしたが玉はまったく気付かなかった。

 すくりと、立ち上がった。

 

「薬草、必要だよね。私が取ってくるよ」

「で、でも外は兵士がっ」

「大丈夫。だって私には力がある」

 

 変身する玉。

 彼女は死装束の格好になる。それは現実離れしている服装。

 玉は言う。

 

「茅のことお願いね。入り口に糸を貼っておくから近付かないようにね」

 

 洞窟から出ると、玉は宣言通り洞窟の入り口に糸を幾重にも張って即席の罠を作り出す。

 奥から茅の、小さな声が聞こえてきた。

 

「姉……上」

「大丈夫だよ。私がなんとかしてみせる」

 

 玉は安心させるようにそう言っているのに、にこりともしなかった。

 相変わらず真顔の状態で、

 

「……行ってくる」

 

 走り出した。

 雨の中を。洞窟がある森の中を。

 人では出せぬ速度で駆け抜ける。

 水溜まりを踏むと、バシャッと音が鳴った。

 

(ああ……)

 

 玉は思った。

 

 憎いな。

 どうしようもなく憎い。

 

 ――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎いッ。

 

 憎くて憎くて仕方がない。

 

 家族を奪う全てが。

 こんなことで妹を奪われそうになっている己の弱さが憎たらしい。

 

 どうしてこんなにも無力なのだろう。

 

 思い出すのはあの日の夜の事。

 みんな死んだ。みんな殺された。

 許せなかった。

 みんな良い人達なのにどうして?

 

 お父様。

 ご当主で忙しかったけど、私の名前を呼んで下さった。

 私のことを気にかけてくれた。

 

 お母様。

 私が仕事を手伝うとありがとうって言ってくれた。

 嬉しかった。

 

 叔父様も伯母さまも、その他の兄様も姉様も全員が優しかった。

 無惨に殺されて良い人達ではなかった。

 

 勿論、彼らは愚かな判断をしていたのかもしれない。

 だがその祈りを侮辱して良い訳がないッ!

 

 許さない許さない。

 これ以上持っていくな。

 私の大事なものをあっちに持っていくな。

 

 せめて残された妹達は絶対に守るんだ。

 そのために甘えた心は全部捨ててやる。

 

 もう泣かない。夢も見ない。甘えない。

 

 私は大人になるんだ。

 冷酷な大人になる。残忍で、誰もが恐れる妖怪のような存在。

 

 子供の私はもうここにいない。さようなら。もし甘えたいと泣きたくなるのならその度に殺してあげる。

 甘えない。泣かない。絶対に夢を見ない。

 何もかを忘れて何も知らないところでなんて笑えないから。

 

 この時点で玉は既に何かを見失っていた。

 

 だから――ただ一匹の化け物がそこにいて。

 兄の本当の思いなど知らず地獄への道を突き進む。

 

 そして、薬草を手に入れるのを邪魔していた落武者を躊躇なく殺し、返り血を浴びて真っ赤になったその姿で、薬草を手にして玉は微笑んだ。

 

 その上に――雨が降り注ぐ。

 

 穏やかな幸せは二度と……彼女のもとにやってこなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうかご照覧を。

 私の復讐の物語を。

 

 この地に真の安寧を。

 この地に災いあれ。

 

 ずっとずっと……呪い、殺して、祟ってやる……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 •おまけ小噺集『後の祭り』

 

 

 

 

 

 

 

 

 その1 『とある商人達より』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 冨枝は厄介な土地だった。

 

 年がら年中戦争してるもんだから危なっかしくて仕方がないのに周りは山があって急だし遠回りだしで、結局のところ物資を運ぶ時はその川を使わなければならないから、避けては通れぬ道だった。

 周辺の商人は、その土地を呪われた地と呼んでいた。

 

 冨枝の噂話はすぐに広まった。

 だからその話も瞬く間に拡散され、方々の商人の耳にも入ったのである。

 

 それは冨枝の火雨家が滅んだと言う話。

 しかも一族浪党皆殺しらしい。

 まあよくあることである。

 そりゃあそこそこの武家だから力があったかもしれないが……かと言って、いつどうなるか分からないのがこの世の中というもんである。

 

 だが。

 火雨家はある意味有名でもあった。

 稀有な程に、接してみれば付き合いやすくて、信頼が出来て。あそこだけは真摯に商売が出来ると評判で。

 ……そんな最後の良心とも言える家が潰れたということは、ますます戦争は荒れるに違いない。

 

 商人達は話し合う。

 これからどうなるのだろう。

 

 何故だか嫌な予感が止まらないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その2 『兄妹の日々』

 

 

 

 

 

 

 

 

 火雨史郎と火雨玉は非常に仲睦まじい兄妹だった。

 しかし二人は忙しい合間を縫って共にいることが多かったから、それだけ一緒にいるひと時が重く貴重なものだったのは言うまでもないことだろう。

 その中で史郎は妹に抱えきれない程の愛情を注いだ。

 

 遠出など出来ぬ玉に面白おかしい遠い国の話を聞かせ。

 今日あったことの報告を聞いてあげた。

 時には戦争で家を離れる度に、帰ってくると埋め合わせとして花を贈り、また普通の武家の娘が必要としない知識まで教えこむことがあった。

 

 政治や礼儀作法や歴史に文学。

 玉は頭が良かったのでみるみる内にそれらを吸収していった。

 まあそれが結局のところ、後の謀略を行う際の基礎になってしまったのだが……ともかく史郎が玉を可愛がったので、段々玉は明るい部分や素の性格を見せるようになってきた。

 

 それは元気でおしゃまでちょっと生意気という、前の玉から考えつかない性格だ。

 イタズラだってやられた。

 ある日自室の部屋にある戸棚を開けた瞬間……ぴょこーんとカエルが飛び出したのだ!

 

「うお!!」

 

 尻餅をついた兄に、いつの間にかいて後ろで妹がニヤニヤ笑う。

 

「やーい。お兄様引っかかってやんの〜」

 

 そう言って逃げ出す玉を史郎は追う。

 すぐに捕まえられた。子供と大人の体格差は大きいものだ。

 そして今度は史郎がニヤッとする番だった。

 

「こんなことをするなんて悪い子だなあ。悪い子にはお仕置きせねばならん」

「お仕置き?」

「つまりはこうだ!!」

「キャー!!」

 

 こちょこちょこちょこちょ――!

 史郎の手が素早く玉の脇をくすぐる。

 玉は心の底から耐えきれないように笑っていた。

 

「うふふ、あははは、お兄様、やめってったら〜」

「このこの!!」

「あははははははは! ふふふ、あははは!」

 

 玉と史郎は楽しそうに笑っていた。

 ずっとずっと……いつまでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その3 『古びた祠が見守るのは』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その祠は少し古い祠だった。

 神の御使い。それを讃える小さな祠。

 祠の中には石で削られた小動物の像がちょこんと座っていて、それは猫なのか兎なのか判別がちょっとつかない。

 でも地元住民の間じゃあこの動物は白猫なのだと信じられていて、大事に大事に拝まれてきた。

 なのにいつからだろう。

 信仰は戦いと貧困の中で消えていって。

 

 あまり人が来ない場所になっていた。

 ただ一人村の老婆だけが、その祠に定期的にやってきて、話しかけるのみだった。

 

 ……しかし。

 ある日何のきっかけか、幼い少女がこの祠に通うようになっていた。

 一心不乱に祈るものだから、老婆は関心したもんである。

 そして憐れむような、悲しいような気持ちになって、これで祠の神様も寂しくはないだろうと思いつつも、不憫に感じていた。

 

 が、それも何年も続かなかった。

 最悪な形で祈りは途切れた。

 まさかあの火雨家が潰れてしまうだなんて。それにあそこの子はとても良い子で、老婆と会うと挨拶もしてくれていたのに。

 

「もうあの子は来ないのかねぇ」

 

 歳が歳だ。寂しくなった。

 白猫の像は何も答えない。物言わぬ石像は沈黙を貫くのみ。

 

 老婆はせめてと願う。

 何処かで生きていて、幸せでいてくれますように。

 

 ……叶わないと思っても、どうしてもそんなことを祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その4 『貴女が生まれた日』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 火雨華は火雨家当主――火雨末吉の側室である。

 よく働きよく気が利きそして優しかった。

 元は使用人の娘だったが当主に見染められ、正室から可愛がられるなど、幸せな生活を送っていた。

 そんな華が長くに渡る苦節の末、ようやく孕った。

 そのことを聞き、一番に喜んだのが件の正妻である。

 

「おめでとう、華! これで貴女も母親ね!」

「はい!」

 

 華は喜びに笑顔を咲かせた。

 当主である夫もまた舞い上がる程に嬉しがって、仕事を忘れて華の元へ通おうとする始末だった。

 

 お腹の赤子は元気いっぱいだった。

 歌を歌えば動くのが分かる。時々お腹を蹴る。その度に愛おしさが湧き上がる。

 

 そうして生まれた赤子はまるで玉のようにふっくらとしていた。

 しわくちゃの顔が何故か可愛かった。男の子じゃなかったが、「子供に性別なんて関係ないだろ!」と末吉が言ってくれたおかげで、ああその通りだと思った。

 華はその子を抱き抱え、微笑む。

 

「“玉”。生まれてきてくれてありがとう。健やかに育つんだよ」

 

 どうかどうか、無事に、幸せに。

 

 ――えーんえーんと、応えるように赤子の玉は泣いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その5 『残骸』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 側室、華から生まれた子は三人いる。

 一人目が玉。

 その次が茅。

 三番目は理沙。

 

 幼い頃から仲が良かった三人は同母姉妹として一緒の屋根の下で暮らした。

 生憎華は側室だったが忙しく、殆どを玉が妹達の面倒を見ていた。

 玉は優しく穏やかな姉だった。

 

 茅が転べば駆け寄って、理沙が泣けばあやしたし、もう一人のお母さんみたいに振る舞って、一歩も二歩も先を進んだすごい人に見えた。

 だけど……変わってしまった。

 あの日あの時、お屋敷が燃えてから、何かに取り憑かれるように玉は狂っていった。

 

「姉上が怖い」

 

 茅と梨沙は怯えていた。

 

 血の臭いがする玉に。お前達のために人を殺すからねと笑う玉に。

 怖い。怖い。怖かった。

 しかし玉が自分達を守るために頑張っているのは事実で、一族の仇を取るために動いているのを誰が責められよう。最も茅と理沙は薄情なのか家族が死んでも悲しいとしか思わなかったし、戦争だとか、殺し合いだとか、そういう争いごとに関わる事自体が見るのも聞くのも苦手で、精神的な負担になっていた。

 正直、逃げたかった。

 でも姉から離れられなかった。そんなことをすれば生きてはいけないし、姉を一人にしてしまう。

 最早妹達の思いも届かず、いくら止めようともその言葉を認識出来ず、無駄に思える程壊れていようとも、かつて優しかった、大好きな姉はそこにいた。

 思い出は残っていた。

 

 そしてとうとう双子姫を担ぎ上げ、玉はこの地を平定してみせた。

 その時の姉のはしゃぎぶりは異常だった。

 

「やったー! ハハハハハハハハ、やった! やったぞ! やったー!」

 

 子供のように転がりまくり、ぴょんぴょん飛び跳ね、笑い声を響かせた。

 彼女の時間はもう十歳のあの時から完全に止まっていた。

 だから感情が昂ると容易に退行し、こんな風になってしまう。

 いっそ滑稽で哀れで、痛々しい姿なのだ……。

 

 なんとも言えぬ気持ちで、茅と理沙はそれを見つめていた。

 どうしてこうなってしまったのだろう。

 姉が何をしたのだろうか。

 そう思うのに、もうここにいる大きな玉はかつての残骸で元には戻らない。

 

「くふふ、私ってやっぱりすごい! 今まで頑張ってきて良かったー!」

 

 玉は無邪気にもう一度笑うと、茅と理沙の手を取った。

 無垢なまでに何かを信じているような瞳だった。

 

「茅、理沙! これでみんな、いつまでも幸せでいられるね!」

 

 幸せ。

 これが果たして幸せ……と言えるのだろうか。

 

 胸が苦しいような感情に襲われて、茅達は悲しそうに俯いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その6 『夢と虚無』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――屋敷が燃えた夜から、何年経ったのだろう。

 

 私は戦ってきた。

 戦って戦って、この道が正しいのだと信じて、突き進んできた……。

 

 そしてようやくこの地に安寧を齎し、妹達と一緒に穏やかに暮らせると思ってた。

 なのにあの子達は死んでしまい、私はこうして取り残されている。

 私は何がしたかったのだろうか。

 私は何が欲しかったのだろうか。

 もう分からなくなってしまった……。

 

 疲れて体が重くって。

 なんだか何もかもが億劫で。

 

 血反吐を吐いて、這って、ここまで傷だらけになりながら生きてきたと言うのに。

 両手の隙間から大事なものは零れ落ち、かつての輝いていた思い出は、遠く霞んで見えなくなっていく。

 縁は何もない。

 

 いや、あるにはあったのか。

 上の妹……茅が産んだ赤子。

 あの子は最後に言った。この子を頼みます。

 私は引き取って、その子を大切に育てている。

 

 でも……とても苦しい。

 この子を抱いていると得体の知れない恐怖心が湧き上がる。

 多分、多くの命を奪ってきたからだ。

 

 最近、すごく悪夢を見る。

 私が踏み躙ってきた人達が私を責め立てるそんな夢。

 そのくせ終わり際には家族の顔が浮かび上がる。

 お兄様と妹達は言う。

 

 自由になって下さい。幸せになって下さい。生きて下さい。

 

 そんな権利が何処にあるのだろう。

 私はもう心の底から笑えないのに。

 一人にしたくせに、何でみんなそういうことを言うんだろう。

 

 分からない。

 もう何もかもが分からない。

 

 だがこの地を祟るにしては疲れ過ぎ、生きようと思うには途方に暮れ過ぎていた。

 双子姫に甘やかされ、優しくされる痛みを知った。

 罪悪感と後悔に苛まれ、四六時中幻覚を見る。

 

 それはもう一人の子供の私が、私を罵り泣き喚き、苦しんでいる様子そのもの。それを見る度にこんな弱さを認める訳にはいかず、吐いてしまう。

 怖いと思う。

 

 これまで私は命を軽いものだと思ってきた。

 でも妹達が死んでこの子が生まれた時。

 何故かそんな風に思えなくなってしまった。

 

 そして命の重みを思い出した。

 だから命に触れる度に怖くなる。

 殺すのも怖いし死ぬのも怖い。幸せなんて考えたくない。

 

 泣きたくなった。

 でも全然泣けなくなって更に苦しくなった。

 

 私の魂の宝石の色は、日々濁って、輝きを失っていっている。

 それは私の命の刻限を明確に告げている。

 

 死にたくないなあ……。

 死にたくない。

 

 私は怖くて情けなくて、泣き笑いのような下手くそな笑みを浮かべる。

 残酷にも赤子は元気いっぱいに笑っていて、無邪気なもんだった。

 

 ――ねぇお兄様。

 どうして私こんな風になっちゃったんだろう。

 私のせいでみんな不幸になっちゃった。

 

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――生まれてこなければ良かった。

 

 そうやって一日中、誰も聞いていないのに、少女は一人で謝り続けていた。

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