魔法少女かのん☆マギカ   作:鐘餅

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個人の定義

あんなに強い魔女と戦ったのは久しぶりで、終わったと思うと全身を倦怠感が襲ってきた。かなりの体力の消耗を感じる。気づかないうちに、随分息が上がっている。帽子をとってソウルジェムを見てみるととても濁っていて、予想以上に我ながら身体的にも魔力的にも無茶をしたらしい。

 

サチはグリーフシードの元にまで歩み寄ると、それを拾ってちょっと観察する。黒い球体の中は、普通のとは違ってすけすけで、何気に面白い。グリーフシードは、一つ一つ魔女によって形が微妙に異なっている。それが少し興味深かったりするのだが、特に眺める状況でもないし意味もない。

 

サチは少し名残惜しいと思いながらグリーフシードをちらりと見ると、結に投げた。結は突然こちらに投げられて驚いたのか、慌ててキャッチして手を滑らせ、落としそうになりながら受け取った。

 

「な、何で僕に!?とどめを刺したのは君と夏音ちゃんで…」

「…だからだよ。もう魔女倒すのに疲れて文句言う気力もないんだよ。その前にアンタに譲る。それに夏音と一緒のいるのは結でしょ?」

 

魔女を殺したのはサチの魔法により生み出された銃だし、その銃を時間移動によって魔女にぶつけたのは夏音だ。どちらとも魔女を殺したと言えるし、言えない。判断が難しいところだ。

 

これがパンとかクッキーだったら、二つに分けて仲良く半分こできるだろうが、グリーフシードはそうはいかない。分け合うことは不可能だ。だからこそ、魔法少女の争いの主な原因の一つとしてなりうるのだ。

 

そうでなかったら、魔法少女は一人で戦わず複数で戦っているだろう。その方が効率は良い。しかしそうしないのは報酬が独り占めできないから。

 

魔法少女が基本、一人かツーマンセルで行動するのは、そういう理由だ。群れているところはそうそうない。複数いる地域は必ず争いが発生するし、実はサチ達のように町を区画ごとに縄張りをそれぞれに分割して、それで互いに黙認しているなんてケース、珍しくもない。

 

とにかく、争いごとは面倒だし、サチも人を傷つけたいわけじゃない(頭に血が上って冷静じゃなくなると、その限りじゃないが)。いくらサチが暴力的とはいえ根は善良だ。誰かが怪我をしているのを見ているのは好きじゃない。争いなど避けられるのなら避けたいのが本音だ。

 

「いや、そんなこと言われても…」

 

しかし、結は結で困っているらしい。自分に貰う権利が初めからないと考えていたようだ。しかも魔女戦において彼女はあまり活躍できてはいない。功績というものはほとんどないのだ。それがいきなりグリーフシードを渡されたのだから、こちらに悪いと思っているのだろう。

 

せっかく譲歩してやっているのに、とサチは不満に思う。こういうものは素直に受け取ってくれた方が、ありがたいのだ。しょうがなくサチは、今まで黙って突っ立っている夏音に何か言ってもらうべく声をかけた。

 

「ねえ、グリーフシード譲るから、それで良いでしょ?」

「………」

「夏音?」

 

しかし、夏音はこちらの声が聞こえていないのか、ぼんやりと両手を見続けた。そしてうわ言のように、菊名夏音は呟いた。信じたくないとばかりに。認めたくないとばかりに。

 

「あれは…“私”じゃない。“私”は、“菊名夏音”は、もっと“特別”で“力”があるはずなのよ。私が求める“私”はあんなじゃない。望んでいないのに…!!何なの…?一体何なのよ…!?」

「お、おいおい、大丈夫か!?」

 

サチは本当に気でも狂ったのではないかと疑った。それ程までに錯乱していた。今すぐ正気に戻そうと、会った時と同じように夏音の肩に手を置こうとした瞬間、夏音は頭を抱えて蹲った。

 

「違う…!!違う、違う、違う…!!」

 

苦悶の声を上げて逃れるように、激しく首を振る。震えを抑えるように、夏音は自分自身を抱いた。顔の血色は悪くて、蒼白していると言っても過言じゃない。彼女には淡々とした様子もなければ、厭世的な雰囲気もなかった。

 

「おま、お前…。お前元に戻ったの?本当に菊名夏音だよね?」

 

思わずサチは夏音に尋ねる。緩慢に眼球を動かされた。その目には、馬鹿なことを言うんじゃない、という言葉が浮かんでいた。

 

「そうですよ。逆に“菊名夏音”以外ありえません。私が菊名夏音じゃないなら、私は何なんですかね?そんな当たり前のこともわからないんですか?貴女は脳味噌がないんですか?」

「な、脳味噌がないだって!?」

 

突然の暴言に、カチンと来て怒鳴る。そのまま文句を言おうとして、結はどうどうとサチを抑える。サチはそれに免じて口を噤む。結は夏音の顔を覗き込みながら聞いた。

 

「夏音ちゃん、どしたの…?具合が悪いの?」

「あんまりにも“私”が気持ち悪くて吐き気がしただけです。…もう楽になりましたから」

「いや、この船花様が見る限り、全然そう見えないんだけど。夏音、マジで病気か何かじゃないの?どこかやっぱり悪いんじゃ…?」

 

サチが心配して聞くと、夏音は緩慢に目を動かしてこちらを見た。瞳には明らかに、面倒くさいという言葉が浮かんでいる。呆れたように、やれやれと、

 

「…平気だと言っているじゃないですか。あ、そうか。わかりました。貴女の耳はちくわと同じで、穴から穴へ聞いたことがすり抜けていくんですね。なら、仕方ありません。ごめんなさい、無理なことを言っちゃって」

「はあ!?無理じゃねえよ、何で哀れんでんの!?腹が立ってくるんですけど!?」

 

脳味噌がないだの、耳がちくわと同じだの、酷い言い様だ。結果の中でもそうだが、夏音は何て毒舌で嫌味な奴なのだろう。この船花サチは頭も良いし、他人が話した内容はちゃんと一回で聞いて覚えれる。それなのにどうして理不尽に、こんなことを言われなければならないのだろう。

 

「そんなこと言っちゃ駄目じゃないか。いつからそこまで口が悪くなったの?」

 

そう結が言った途端、夏音は肝を潰した。そして夏音は考えるような仕草をした。顔は無表情になったようにも見えたが眉間には少しの皺が浮かんでいる。

 

それは、注意しなければならないほどの微妙なものだったためか、結は気づかなかったようで、再び注意した。

 

「サチちゃんは君の身を案じたんだよ?イライラしたとしても言い過ぎだよ」

「…そう、ですね。船花、すいませんでした」

 

夏音は無愛想に謝罪を言ってから、またぼーとしている時と同じように黙り込んだ。俯いて目を伏せたまま、体育座りをする。そうしていると、高い身長であるはずなのに、小さく見えて仕方なかった。

 

結は、そんな夏音にちょっと苦笑してため息をついてから、すぐに真剣な顔になった。結の喉がゴクリと動いて、緊張しているのがサチには分かった。結は努めて優しく質問した。

 

「ねえ、君は何か知っているの?どうしてあんな風になったの?」

「…家主さん。私は何も知りませんし、自分の身に起こったあの状態が何なのか、わかりません。一言言えるのは、あんな“私”は私じゃないと言うことだけ。だって、あんなのが“私”とかあり得ないですよ」

 

半ば笑って否定する。“私”、つまり“お菓子の魔女の結界で一緒に戦った菊名夏音”を、吐き捨てるように。心底嫌いで嫌いでどうしようもない様子で、怨嗟すらしていると言わんばかりに、彼女は忌々しげに語る。

 

「私、魔法を使った記憶はあるし、自分が魔女を殺した実感もあるんです。生々しいくらい覚えてます。でも私がやったように思えないんです。あの時、私の体は私じゃなく別の誰かが操っていた。その感覚が染み付いて離れてくれなくて、私の意識がその誰かになっていくような気がして寒気がしてきます。吐き気がする程、それが不快で不快で仕方がないのよ…!!」

 

結は自分の袖を掴んだ夏音の両手を見る。結は夏音が言った言葉がどういう意味かよくわからなかったようで、何も返さなかった。それでいて夏音は、目を震わせて無言で、わかってくれと訴えてくるのだから、結はどうしようもなく困ってしまったような表情を浮かべた。

 

サチも夏音が言っていることが、まったく信じられない。しかしサチの目から見ても、夏音は演技しているようには見えないのだ。不思議と真実味があるように聞こえてくる。

 

「私は確かに二人を助けようとした。でも、私は魔女が恐ろしいんです。あの子みたいに食われたくないと願うこの私が。菊名夏音が。魔女を今殺せますか?殺せませんよね?だって私は私なんだから!!殺せたとしたら、もう別人じゃないですか!!」

 

夏音は必死に、それこそ死にものぐるいで、泣きながら主張し続けた。それはこちらが圧倒され、飲み込まれそうになるほどの勢いだった。

 

「私は何も知りません!!知るすべもありません!!大体、残存魔力に詳しい魔法少女は貴女です!貴女はずっと、残存魔力を扱ってきたのですから!!家主さん自身が知っているでしょ!?」

「それはそうだけど…」

「家主さんが知らないことを、私が知ってるはずがないよ!!私は“私”じゃないんだ!!あの“私”は偽物!!私の方が本物なの!!」

 

ふと、全然違う、と思った。この少女は、お菓子の魔女の結界で共に戦った“夏音”ではないような気がした。支離滅裂なことを言っている辺り、本当に彼女自身が一番困惑しているのだろう。上手く表現できないが、まるで照明のスイッチがオフからオンに切り替わったようだと思った。

 

陰から陽。闇から光。黒から白に移り変わるように。不可思議なことに、大人びたような感じもするが、それでも夏音の印象は先ほどとは格段に相違がある。まるで正反対だ。

 

今の夏音の瞳は正常で、あれ程荒れ狂うような濁りは完全に消え失せていた。いっそ違和感を覚えるほどだった。泣いているせいか、常人と同じか、それ以上に異常なほど透き通っている。まるで水晶のようだ、と思った。

 

「…それとも、もしかしたら、私の方が偽物で、あっちの方が菊名夏音なの…?私を指す言葉は菊名夏音なのに、あいつの方が菊名夏音と呼ばれるべきなの!?私は菊名夏音以外の何者でもないのに、私が“菊名夏音”じゃなかったら、私は誰なのよ!!」

 

夏音は心からの思いを吐露した。それは懇願に近い、絶叫だった。

 

「…夏音ちゃん」

 

結はその二つの双眼を観察するように目を合わせた。そうして、辛そうに目尻を下げながら、それでも瞳を逸らさずに、言い聞かせるような、静かな声音で言った。

 

「名前なんてのはね、固有名詞なんだ、所詮呼び名なんだよ。名前よりも大事なのは、個人を個人として見ることじゃないかな。人は、存在そのものをありのまま見てくれる他人が必要なんだよ。そうじゃないと自分を自分だと定義できない。外から僕を認識してくれる人がいないと、僕は僕じゃなくなる」

「……」

 

サチは聞いていて、何だか心が抉られる感じがして、胸がずきずき痛んだ。思えば、サチがサチとして自分を認識できるのは、養父が、入理乃が、何より自分自身が、船花サチを船花サチだと見ているから。

 

実の両親はサチをお人形として見ていたから、過去のサチはサチじゃなかった。言ってしまえば傀儡だ。あっちこっち振り回されて、自分の意思はなかった。自分の意思を持って、ようやくサチは自分を肯定できるようになった。

 

逆に言えば、サチは養父か入理乃を失えば、ただの傀儡に戻るだろう。見てくれないのなら、一人になってしまう。そうなったら、自分は最早存在している価値はないとさえサチは思う。それほどまでに二人の存在は大きかった。

 

「だから、僕が君を君個人だと思う限り、君は君だよ。ね、サチちゃん」

「え!?」

 

こっちに同意を求められ、サチは戸惑った。これが事前のことだったなら自然に喋れるが、突然のことだったので、上手く言葉が紡げない。意外とサチはこういうのは弱いのだ。

 

「まあ、うん…。何というか、その…。よ、よくわかんないけど、結の言う通りなんじゃね?それに、元気出してもらわないと、こっちが困る!やりづらいんだよ、しょげられるとさ!早く立って、しゃんとしろよ!!」

「…粗野なくせに、貴女は良い奴ですよね」

「何か言った、今?」

 

あまりにも小さな声だったので、サチは聞き取れずに首を傾げた。夏音は目を細めると、首を振って何も言ってないと否定した。

 

「…二人とも、心配してくれたり、励ましてくれて、ありがとうございます」

 

手のひらをぐっと僅かに握りしめて立ち上がる。そして意を決したように、サチに握っていた手を差し出した。サチは意図が読めずに、その手と顔を交互に見た。

 

「あの…、私凄い怪しいですし、沢山そちらに迷惑かけました。私は、静かだった池に投げ込まれた石のようなものですし、 さっきみたいなことがあった後だから、貴女は私のことが嫌いでしょうがないと思います」

「そりゃそうだよ。嫌いにならない理由がないし。アンタが言うように怪しいよ」

「信じられないと承知の上で話しますが、私は何もするつもりはないです。縄張りを奪うこともしない。私は、ただ貴女と阿岡入理乃と仲良くなりたい」

 

サチは何と返したら良いのか、困り果てた。こちらと仲良くなりたいなど、口にするのは難しいだろうと思う。サチ達に捕まえられて、運良く助けられて、結の庇護下に入れた状況で、よくもまあ言えたものだ。しかもその結の目の前でわざわざ言っているのだから、どんだけ恐れ知らずなのだろう。それは見方を変えれば結ヘの裏切り行動のようにも見えるというのに。

 

そう思ったら、意外なことに結も真剣な顔でサチに頼んできた。

 

「僕も概ね、君達とは争いたくない。夏音ちゃんの処遇、縄張りのこと。問題は山積みだし、それぞれ事情や不満もあるよね。けど、どうか争う意思がないということは、君の相方に伝えて欲しい」

 

頭を下げてくる。夏音も彼女を一瞥してそれを真似して、頭を下げた。年上二人にそんなことをされたものだから、サチはさらに困ってしまった。サチは慌てて、口を開いた。

 

「…私はーー」

 

しかし言葉を発する前に、何処からかカラスの鳴き声が聞こえてきて、驚いて口を閉じた。鳴き声の方を見れば、不吉なものを感じさせる、漆黒の羽を持つ鳥が彼方から飛んできていた。影は頭上を旋回し、一声鳴いてあっという間に過ぎ去っていく。

 

一体何だよと思ったところで、突如としてポケットから電話の音が鳴り響いた。


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