どこにもなくて、どこにでもある宇宙に、ある一匹の怪物がいました。小さくて、醜くい姿をしていて、その声は外見以上に酷い声でした。
怪物は、いつも一人ぼっちでした。仲間は誰もいません。怪物に寄り添うものは、ゼンマイがついたお人形だけ。誰も怪物のことなんて、見てくれないし、名前も呼んでくれません。怪物がどれだけ歌っても、その歌はやっぱり酷いもので、無視されてしまいました。
怪物の周りでは、幾つものレコードが、無数のレコードが、常に回っていました。レコードは、ゆっくりと回るものもあれば、早く回るものありました。
それらは光を反射しながらチカチカ瞬いて、まるで生きているかのようでした。しかし光の強さは皆違います。早いものほど輝いていているのです。
やがていくつかのレコードは、回転が遅くなるにつれて光を漸減させて、最後に一際眩しくカッと瞬くと、二つに割れて消えてしまいました。そしてまた新しいレコードとなって、回っていくのです。それが延々と空では行われていました。
レコード達は、まるで星のよう。ガスの塊から惑星は生まれ、死ねばまたガスの塊となり、生まれ変わる。同じように、レコードもまた、生産されては割れて、また新しいレコードの材料となるのです。
一人ぼっちの怪物には、その繰り返しが、命のサイクルのように思えました。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。生は死へと向かって行き、死は生に邂逅します。
怪物は、その輪廻をもう何回見たでしょうか。怪物自身、それは分かりませんでした。もう完全に見慣れていて、もう飽きる程です。思わず、溜息が出ても仕方がないでしょう。
怪物はレコードを壊したくて壊したくて、仕方がありませんでした。レコードに刻まれた魔法少女の歌声が、自分よりも遥かに綺麗だったからです。怪物は嫉妬して、人形相手にぐちぐちと少女達の悪口を言いました。
どうして彼女達は、私よりも上手く歌えるのかしら?彼女達だって、私と同じじゃない。それなのに、おかしくないかしら。ねえ、貴女もそう思うでしょう?
ええ、そうね。あんまりよ。女神さまは何故この子達に、祝福の歌を歌って差し上げるのかしら?
人形の口をパクパクと動かして、怪物は誰かと会話をするふりをします。怪物は自分で自分の考えを肯定しながら、早速レコードを壊そうと、手を伸ばしました。
でも、レコードから流れてくる少女達の歌声は、怪物にとって心地よいものでした。時々過去を思い出して、悲しくなるけれど。時々未来のことを思って、切なくなるけれど。
歌は泣きたくなるくらい、美しくて尊くて。声は可憐で素晴らしいものに思えて。怪物の中で紡いでいる絶望の歌は、この時ばかりは希望の歌へと元に戻り、怪物は懐かしくなって、安心するのです。
結局手はレコードに触れる前に、自然と止まって。諦めて怪物は大人しく人形を手に取ると、ゼンマイを巻いて、レコードの回転に合わせ、その周りをとことこと歩かせました。そうしていると、何だかいつの間にか自分も、ただの一人の少女になった気がして、胸が踊りました。
しばらく遊んでいると怪物の耳に、聞き慣れた歌が飛び込んできました。それは、忌々しくも、どの歌よりも美しいと感じる調べでした。
遊ぶのを中断して、顔を上げて見れば、そこには神々しくも恭しい、魔法少女の女神さま。彼女は優しくにっこりと微笑まれ、星の円盤に座りながら、暖かくレコードを見守っておられました。
怪物は女神様に同調するかのように、歌い始めます。ガラスを引っ掻いた時のような、金属が擦れた時のような、この世で最も聞くに耐えない声が喉から発せられます。息が空気に触れるたびに、世界に拒絶されてるかのように、歪な音がしました。
やがて段々と声は掠れて小さくなっていきました。怪物を除け者にして、女神さまと魔法少女の合唱が響いて、怪物の歌を飲み込んでいきます。女神さまは一等星よりも輝いていて、怪物は惨めになって口を閉じます。漏れた声は、余韻一つ残しません。
そんな可哀想な怪物に、女神さまはまったく気がつきませんでした。というより怪物の姿は、女神さまには見えないのです。怪物は、宇宙の領域の外に存在を固定されていて、概念である女神さまよりも、上のところにいるのです。何でも見通し、知り尽くしている女神さまにとって、怪物は唯一視認できない、未知の存在でした。
怪物はそれを分かっていたので、また諦めて溜息をついてから、今度は箱の中を開いて、収納している円盤を一つ取り出しました。それは、怪物の宝物。女神さまとは違う、金と銀の二対の龍の神様が下さった、大切なレコードです。このレコードのみ、怪物は歌を刻むことができるのです。
怪物はレコードに荒く針を落とし、回しました。同時に怪物は人形を抱きしめながら、壊れたメロディーを歌います。ネジがずれたオルゴールの音が狂っていくように、レコードも悲鳴を上げて、軋んでいきます。因果という楽譜に沿って歌っていた少女達の歌声も心なしか、共に共鳴しているようです。
ふと、女神さまがはっとなされて、こちらを向きました。怪物はあまりのことに驚いて、レコードの上に人形を落として、歌うのをやめてしまいました。怪物は期待して、女神さまに呼びかけました。
ねえ、女神さま。私、寂しいの。救われたいの。だから、私にも祝福の歌を、歌ってくださらない?
当然、女神さまは聞こえていないご様子で、声に応えることはありません。不振に思って女神さまの視線を追うと、そこで初めて怪物は、時が止まったかのように静止している、淡い光を放っているレコードを見つけたのです。
そのレコードは、他のレコードにも良く似ていました。しかし怪物にはそれが、今にも割れそうなくらいに形がおかしくて、脆いもののように思えました。そこから流れる魔法少女達の歌は、めちゃくちゃになっていて、こんがらがっているに決まっています。こんなレコード、自分が持っているレコードの中にもありません。
女神さまも驚かれているようです。無理もありません。きっとそれは、怪物以外に初めてできた、知らないもの。すべてを把握しているのに、“把握しきれていなかった”なんて、異常にも程があります。
女神さまは、止まったレコードを回しました。思ったよりも、いつも通りの聞き慣れた歌が鳴り始めます。
頭の良い少女の、内に秘めた叙情的なアリアも。
明るい少女の、陽気なバラードも。
優しい少女の、眠気を誘う子守唄も。
どれも、何千、何万回と聞いた歌です。寸分違わず、彼女達の歌声です。女神さまは知っているはずのレコードを、どうして知らなかったのか疑問に思われたようで、首を傾げておいででした。
と、そこで、初めて聞く少女達の歌声がしました。これには怪物もびっくりして、女神さまと一緒に目を見開きました。そして、女神さまの後を追いかけ、共に色んなレコードを確認しましたが、やはりそのレコードだけがおかしいようでした。
何故こんな歌が聞こえてくるのかしら?とっても耳障りだわ。
女神さまは初めて聞く歌に聞き惚れておられましたが、怪物にはその歌が、不快に感じられました。それは、自分が歌う旋律と、かすかにイントロが同じ歌。明らかに絶望の歌だったのです。
でも、同じ絶望の歌といっても、毛色が違うようです。よくよく聞いてみれば、希望の歌も聞こえてまいります。その他にも、色んな歌が錯綜しているのです。この円盤に刻まれた音楽は、どうやら絶望でも希望でもない音色をしているようです。
そのためか、女神さまがいくら歌っても、レコードには祝福の歌が刻まれません。女神さまは不安に思われたようで、顔が曇りました。このままでは、このレコードに刻まれた魔法少女に、祝福を授けることは愚か、全体の宇宙に何が起こるかわかりません。
怪物は僅かに期待します。このレコードは、普通のレコードとは違います。ならば、自分の歌を刻めるかもしれません。怪物が駄目でも、限りなく人間に近い人形ならば、可能性はあります。
レコードから怪物の歌が流れれば、きっと女神さまは自分に気がつくはず。やらないより、やってみる方が、数倍良いように思えます。怪物は表情を明るくさせました。
怪物は箱から新たな人形を取り出して歌を吹き込むと、ゼンマイを回します。そうしてレコードに近づくと、人形を置きました。人形は静かに動き出し、レコードの回転とは逆に周りを歩きます。
怪物はそれを確認すると、落ちた人形を探しにいきました。そして探している中で、置いてきた方の人形のことなんて忘れてしまいました。
取り残された人形は、存在しないはずの肺に空気を送り込み、吐き出します。呼吸は歌となって響き、虚空に広がってゆきます。ジリジリ、ジリジリと、レコードには怪物の望み通り、絶望と希望の歌が溝として刻まれます。
それはやがて、一つの歌と重なり、二重奏となりました。その響きは、今までにないくらい、女神さまも聞いたこともないハーモニー。それが一体この先何を齎すのか、怪物にも、女神さまにも、数えきれないレコードも、知りませんでした。