入理乃は、世間一般の女子が好むもの、例えば洋服やインスタ、アイドルやイケメン俳優などに、まったく興味がなかった。彼女には、そのどれもつまらないもののように見えたからだ。
洋服は着れればそれで良いし、インスタ映えとかいって、料理の写真に拘る人を見かけた時などは、さっさと食べれば良いのにと思ってしまう。テレビだってどうせ家に帰ってわざわざ点けないから、芸能人の名前さえも分からない。だから当然、アイドルやイケメン俳優と騒がれる彼らの名前を聞いたところで、誰かまったく分からない。
とにかく入理乃は、そういうものにとことん疎かった。そして、それらの知識を会得する必要性も、今までまったく感じていなかった。
普通の年頃の少女ならば、仲間と価値観を共有するために、常に流行りの情報を敏感に収集するだろうが、他人と極力接しないように周囲と距離を置いている彼女は、その分同年代に合わせる必要性が皆無だった。だから入理乃は趣向においては、他人に配慮することなく、自由に没頭した。そうして、自分にしか分からない愉悦を噛み締め、思う存分楽しむ事が出来たのである。
しかし困ったことに、そうもいかなくなった。最近になって、入理乃は一つ年下で、同じ魔法少女であるサチと出会い、コンビを組むことになった。つまりは二人という最低限の人数ながら、初めて同年代の友人のコミュニティに属することになってしまったのだ。
しかし、人付き合いの苦手な入理乃は、どうやって他人と一緒に共通のものを楽しめるのか分からなかった。考えても悩んでも答えは出ず、結果入理乃はサチに合わせることにした。そうした方が、一番無難なような気がしたからだ。
だが、盛大に失敗してしまった。本当に、思い出すたびに顔を曇らせてしまう。
それは、この間、サチに誘われて一緒に遊びに出かけた時にやってしまった。
サチはその日、わくわくとした様子で入理乃をある場所へ連れていった。そこは、可愛らしい洋服や、煌びやかなアクセサリー、化粧品などが並ぶ店。サチは、入理乃とは正反対にそういったいかにも女子らしいものが好きだったのだ。
入理乃はそれが分かった途端、目眩が起きたかのように鬱屈とした気分に陥った。
それはとてつもなく無縁の極致にあったもの。慣れてなくて、見ているだけで恥ずかしくて仕方がない。そもそもあの女子特有のノリが入理乃は苦手なのだ。派手で可愛らしくて甘ったるいその空間や雰囲気に当てられ、くらくらしてしまう。きゃっきゃと騒ぐ店内にいる女の子の声も、耳障りな黒板を引っ掻いたような音にしか聞こえない。
当然、テンションが上がったサチのノリにも付いていけず、最終的にサチの方も入理乃が嫌がっているのを察した。結果気まずい雰囲気のまま、次に予定されていたレストランへ行くことになってしまったのだ。
あれ以来サチは、妙に不機嫌になって、ふてくされている。ご機嫌伺いをしても素知らぬ顔でふんと鼻を鳴らされるばかりで、元に戻る気配は微塵も感じられない。
「……あのさあ、何でこの船花様が怒ってんのか、テメエまだ分かんねえの?」
そんなある日のこと。必死な入理乃に対し、彼女の家に遊びにきたサチは、不満げな顔をして静かに言った。本当にその部分が気に入らないという様子で、憤慨している。ついに堪忍袋の尾が切れてしまったらしい。
「……ご、ごめんなさい。私、その……」
萎縮しながら謝る。付き合いきれなかった自分に非があるから、怒られたって仕方がない。それにサチの事だから、どうせ怒鳴られて責められるに決まっているのだ。
入理乃は思わず、俯きながら密かに彼女の顔色を伺ってしまう。来るのが分かっていても、やっぱりそういうものは怖い。いつだって、それにいちいち傷ついてしまう。入理乃の心は、繊細ですぐに壊れてしまいそうなほどにボロボロだったから。
案の定、サチは入理乃の態度にむっとなったようだ。すざましい形相で、苛ついたかのように目を釣り上げた。
「よく聞けよ、ボケカス。私さあ、テメエに自分の好きなものを紹介したいと思って、あの店に連れてきたわけ。なのに、何であんな態度とるの?阿保なの?」
「ほ、本当に……ご、ごめんなさい……。私、つい……嫌そうな顔しちゃったと思う……。今度はもっとちゃんと……」
「そっち怒ってんじゃねえよ!!」
ぐわっとサチが吠える。入理乃はさらに肩を竦ませて、びくりと震えた。
「何で嫌なら嫌って言ってくれねえんだよ!!そしたら、別の場所に連れていったりして一緒に楽しく遊べたかもしれないのに!!」
「……は?」
思わず間の抜けた声を発してしまう。完全に予想していなかったことを言われて、ぽかんとしてしまった。
「えと、つまり……、不満を言わなかったから……、船花ちゃんは、怒ってるの?」
「そうだよ!!私は、入理乃と同じものを楽しみたいんだよ!!それで仲良くしたいの!!」
「え……?」
瞬間入理乃の脳裏に、かつての光景が浮かんだ。
赤い夕焼けの空。その色と同化するように、染め上げられていく遊具達。まるですべて、一体となって境目がなくなるよう。腰掛けるブランコの感触はでこぼこで、握る鎖は冷たい。そんな中で、隣にいる少女は微笑んで──
「私と仲良く……?」
入理乃の中で、言い知れぬ歓喜が湧き上がった。
入理乃の心の器は、何もなく空虚だけがあった。前は充足していたが、願いによって伽藍堂になってしまったのだ。しかしそこに、サチは自ら入りたいと言ってきた。その気持ちはまるで、冷めきったカップに、熱々のミルクティーが注がれて満たされていくように、入理乃を暖かさでいっぱいにしてくれた。
そう、だから。本当に、嬉しくて仕方がなかった。舞いあがらんばかりに、心が弾んだ。
──でも。何で、こんな自分と仲良くするのか、心底分からない。……意味が分からないものは、排除しなければならない。だって、恐ろしいから。どんな意図がそこに眠っているのか、検討がつかないから。
「………私なんかと仲良して良いの?どうしてこんな私なんかと?」
「……それは、その……」
と、そこでサチは言い淀んだ。顔も先ほどの入理乃のように俯きがちになっていく。心なしか、頰が赤くなって、動作ももじもじとしているような気がする。そうして、意を決したように、実に恥ずかしそうに彼女は叫んだ。
「ふ、普通に考えろよ!!分かるだろ、頭良いんだから!」
…それで出した結論が答えだ、とサチは主張するのを聞いて、入理乃は考え込む。
彼女のメリット。そしてデメリット。それを加味に、分析し、吟味し、ひっくり返し、何度も何度も反芻する。
──それで、ようやく理解する。彼女が何を思っているのか、何を思っているのかを
「……うん。分かったわ。ごめんね、私そんなことにも気づけなかったよ」
納得したように頷く。サチはそれで、嬉しそうに顔に笑みを浮かべた。
「よ、ようやく分かったのかよ。この船花様はなあ、ずっとずっとそれを望んで来たんだよ。なのにテメエは、何も喋らず、何も興味もねえみたいな顔しちゃってさぁ!!淡白すぎんだろ!!それで、だからしょうがねえなあと思って遊びに誘ったら、失敗してさあ!!……分かる!?この気持ち!!本当に、本当に、嫌になるんですけど!!」
そうやって口では散々文句を言っているが、その語調は弾んでいる。その様子は、いかにも彼女らしいと言える。乱暴で口が悪く、態度も大きいサチ。しかしその実彼女は喜怒哀楽がはっきりとしている、愛らしい少女なのだ。
「ごめん。私、お前に迷惑かけてた。けど、……これ以上、こんなの嫌だからね。だから、せめてこれはっていう、共通で楽しめるようなものはないの?……思いつくなら、言ってみて。私も考えるから」
入理乃はそこでヒントはないかと辺りを見回す。すると、机に置かれていたカップに目が入った。
瞬間、入理乃は台所にある不要だと思って収納していた紅茶のティーパックを思い出す。もしかしたらサチも、紅茶というカテゴリーなら楽しめるかもしれない。噂で聞いたが、サチの養父も紅茶が好きだというし、サチ自身も嗜んでいてもおかしくはないだろう。
……そう思って、淹れて一緒に飲んだお茶は美味しくて。美味いじゃん、と言って笑ったサチの笑顔が、入理乃の網膜に焼き付いた。
◆◇◆◇
目覚めはいつだって、億劫なものだ。幸せな夢を見た後だと、特にそれは酷くなる。
ぼやけた視界の目の前には、レポートの束。そして、今や旧種となったガラゲーに、紅茶が注がれ、今やそれが一滴しか残っていない陶器製のカップ。
それで、どうやら自室の机に突っ伏して眠っていたらしいということを思い出す。眠ってからそれほど経っていないように思えたが、しかし窓の外では太陽が沈みかけている。そろそろ良い時間だった。
しばらくぼんやりとしていると、とんとん、と軽く戸を叩く音がする。入理乃は無表情のまま、扉の向こうの人物に言った。
「入って良いわよ」
静かに室内に、小柄で肩ほどまでの髪を持つ少女、サチが入ってくる。
今日は四日目。明日には、話し合いがある。そこで入理乃は、そろそろ集めてもらったグリーフシードをそろそろ回収せねばと思い、サチを自室に呼んだのだ。
「遅かった?」
「いいえ、むしろ早いくらい」
「なら良かった。この船花様が相方を待たせてたとか、阿保みたいだからな。ま、それは良いとして。……入理乃。残念ながら、私はグリーフシードを一切持ってきていない。利用されたらたまったもんじゃないからね」
「……何のつもりかしら」
相方を見つめ、問いを投げかける。サチもニヤリと笑みを返した。
「私はね、テメエがやろうとしていることを止めるよう、説得しに来たんだよ」
どうせ頭脳を使って阻止しようにも、無理がある。だから、真っ向からぶつかることにしたんだよ、とサチは言う。
「私な、テメエの狙い知ってんだよ。グリーフシードを何に使おうとしているのか、ある程度の推測もついている。順那のおかげでな」
「……貴女、彼女に会ったのね」
思ったよりも、低い声が出た。冷徹な怒りがふつふつと湧いてきている。
……非常に不可解で不愉快だった。どうして彼女がそんなことをしたのか、意味が分からない。やっぱり、東順那という少女は嫌いだと、改めて思う。
「でも、その順那はどうやって私のやろうとしていることを知ったの?……盗聴器か何かでも、使ったのかしら?」
「そうだ。あいつが盗聴器を仕掛けたんで、それを使ってね。あとこういうのも何だけどさ、順那ってばご丁寧にビデオカメラ使って資料とか撮ってきてくれたんだよね……。ていうか、お前驚かないんだね。やっぱり盗聴器とか資料とか撮られたの、ばれてたのか」
サチは不敵な笑みを浮かべた。しかしその顔には冷や汗が浮かんでいる。きっとその胸中は、決して穏やかではないだろう。
彼女は確かにそれほど賢い人間ではない。しかも意外とこう見えて、信じ込みやすい。上辺では疑っていながら、しかし心の奥底では他人の言葉を鵜呑みにしてしまう、ある意味純粋な部分があるのだ。だからこそ、利用されやすいし場合によっては騙されてしまう時もある。
……でも、鈍いわけじゃない。だから、入理乃がサチのことをお見通しだということを、どこかで覚悟していたに違いない。諦めたような笑みが、その証拠だろう。
「いや、私は使われてるだろうなあと予想していただけ。それに盗聴器とか初めて知ったし、資料とか撮られてるのも初めて知ったんだけど」
「……なら、どうやって知ったんだ。私がテメエの狙いを知ったってのを。そんなの嘘だろ?それとも、自分で考えてそこまでたどり着いたのか?」
それもそれでありそうだ、と彼女は笑い飛ばす。決して嘘を言ったわけではないのだが、信じられないらしい。
「断言する。私はそんなの知らなかったわ」
だから、きっぱりと入理乃は言ってやった。別に隠すようなことでもないし、嘘だと思われるのはあまり良い思いはしなかった。
サチは、そんな入理乃をじっと見る。訝しがる色が、表情には浮かんでいた。
「それじゃあ、どうして知ってるんだよ?」
「教えてもらったの。“彼女達”にね」
「っ!?」
サチは目を見開いた。入理乃の隣に、揺らめくように少女が突如として現れたのだ。
「こんにちは。この姿で会うのは、初めてだね」
彼女はにサチに挨拶の言葉を言う。それはまるで、懐かしき友人に百年ぶりに会うかのような感じだった。
「お前、何で……」
「……驚いているよね。そりゃあそうだよね。……こう見えても、君とは別の意味でこっちだって驚いているんだよ。こんなの夢みたいだから」
サチは完全に混乱している様子で、少女の顔をじっと見つめた。そうして、まじまじとその場にいるはずのない少女に酷く狼狽した。
「…お、…お前何なんだ!!あり得ない!……何がどうなっている!!入理乃、どうしてアイツがそんなとこいるんだ!?」
問われても、入理乃は無言のままだった。
先程の怒りはまだ尾を引いている。しかしその対象は、何も順那だけではない。サチに対しても、入理乃は同じように燻る熱が湧き上がるのを感じていた。
入理乃は少女をちらりと見る。彼女はもう、笑っていなかった。それを確認してから、入理乃は相方へ尋ねた。
「……貴女はどうして、何であんな夏音ちゃんや結を庇おうとするの?」
「当たり前だろ!!だって、そんなこと絶対間違ってるじゃんか!!」
サチは当たり前のように言う。それは、確かに世間一般で言うところの正しい倫理観に基づいた、至極当然の主張だった。
「入理乃こそ、どうしてそんなことをする!?気持ち悪いって、ただそれだけの理由でか!?」
「……それだけって何よ!?」
入理乃は怒鳴った。今までの人生で一番、大きな声で。それ程までに、今の発言は聞き捨てならなかった。
理解できないものは、いつだって大事なものを奪っていく。そして夏音と結は、その理解できないものなのだ。きっと今度も、すべて無くしてしまう。すべてが瓦解してしまう。
それが嫌だから、入理乃はどうにかしようと思ったのだ。しかしサチは“それだけ”と言ってのけた。決して、そんな軽い理由じゃないのに、あたかもどうでも良いような感じで。
「私は貴女を大切に思ってるの!!だからこそ、こんなことをしているの!!なのに、どうしてそんなこと言うのよ!!私は正しいことをやっている!!」
──そう、これは正しいことなのだ。こうすることが正解なのだ。二人を排除すれば、何も失わない。恐怖しなくて済む。
「……笑える冗談言わないでよ。こんなの正しいわけあるか!!」
しかし、サチはそれを否定する。愚かしいと入理乃を蔑み、嘲笑う。
「船花ちゃん……、何でよ……!!正しいって言ってよ!!私のこと認めてくれるのは、貴女だけなの!だから──」
どうして肯定してくれないのか、分からなかった。いつだって重要で危険なことの対処は任せてくれたのに、今回ばかりは駄目だと言われて、裏切られたような気持ちになってくる。
「いつもみたいに、流石私の相方だって、任せてよ!!そのために、仲良くなったんでしょう!?」
思わず、絶句したと言わんばかりに。サチは固まった。
空間は、時間が止まったかのように静かになった。沈黙が訪れる。
少女はこの場にいる二人を見比べる。その表情は、悲しげなものに対する憂いが浮かんでいた。
「……何言ってんだよ。そんなわけないだろ」
……やがて、サチは震えるような、掠れるような声で言った。静かに再度、そんなんじゃないと否定する。
「……嘘」
だったら、何でこんな自分に仲良くしようなんて言ってくれたんだろう。優しくされる価値なんて、あるはずがないのに。こんなつまらない子何て、嫌なはずなのに。
分からない、と入理乃は思った。サチのことが、訳の分からないもののように感じた。
瞬間、虫が這いつくばるかのような悍ましさが身を包み込んだ。ぎらぎらと視界が散らつく。衝動は、抑えられそうになかった。
「……彼女を取り押さえて!!」
少女に向かって叫ぶ。少女の方も、仕方がないといった表情でサチに手を向けた。
当然危険を察知した相方は、すぐさま魔法少女へと変身する。しかし瞬間、全身の力が抜け落ちて床に倒れ込む。
「テメエ……、何したんだ?」
床に這いつくばった姿勢のまま、サチは少女を睨みつける。
そのまま立ち上がらないのは、上手く力を入れられないからだろう。いや、その“感覚”がそもそもないのだ。サチは今、力を入れるという動作そのものに伴うすべての“感覚”を、この少女に操られている。だから、力を入れても“何も感じられず”、故に“何もできず”に動けないでいる。
「“彼女”の魔法を使ったの。……じきに、意識も薄れる」
その直後。サチの目がとろんとなり、瞼が落ちていく。恐らく少女は“眠気という感覚”を増長させたのだ。
「……入……、理乃……、どうして私を……」
「……だって、私もう──」
それを言い終わった時。サチは完全に意識を手放していた。
彼女の頰を、涙が一筋流れる。いつの間に、泣いていたのだろうか。
入理乃には、それが分からなかった。でも、むしゃくしゃした。どうしようもなく、ムカついた。
カップを手に取ると、思い切り床に叩きつける。がしゃん、と何かがと一緒にカップは割れ、壊れた。