結は歩く女性と男性の姿を追う。気づかれないように物陰に隠れ続け、つかず離れずの距離を保ちながら、彼女はその様子を伺った。
遠くから見ても、女性と男性はとても仲睦まじい。談笑し、時にはふざけあって冗談を言い合う。
そして、何だか異常なまでに距離感が近い。自然と腕を組んだり、手を繋いだり……。
どう見ても、二人はカップルだった。しかも、付き合って一ヶ月や二ヶ月と言った、あの初々しいしさがどこにもなかった。二人は妙にそういう行動に慣れていた。
恐らく半年か、下手したら一年以上の関係なのだろう。それでも結が知らなかったのは、女性がその間バレないように上手く黙っていたからに違いない。
しかし、結は二人を見てしまった。隠していたのに、偶然といえど知ってしまったのだ。
(僕は、どうすれば良いんだろう……。こんなの、予想していなかったよ……)
女性がこのことを黙っておきたい気持ちが、結には痛いほどよく分かっていた。
だからこそばつが悪くて、申し訳ない。
だが結は尾行を止めるつもりはさらさらなかった。
結は女性の気持ちが知りたかったのだ。男性と付き合って、果たしてどうしたいのか。その気持ちがどこまでのものなのか、気になって仕方がなかった。
女性と男性が、進路を右に進む。その道中で何か会話をし、とある喫茶店に入っていった。
結ももちろんこっそりとその店内へと入り、女性と男性が座っている座から、程よく離れている席へ座る。メニュー表を開いて、料理の写真を見るふりをしながら顔を隠し、じっと二人を観察した。
「……実は、大事な話があるんだ」
男性は唐突に神妙な顔になって、そう女性に言った。その男性の雰囲気のせいか、女性も緊張したような顔になった。
「な、なあに?」
「……俺、お前といてすっげえ楽しいんだ。時々喧嘩もするけどさ、お前の笑ってるとことか……、拗ねたりするとことか。以外と子供っぽいところも……、全部好きだ」
途端、ぼんっと女性の顔が赤くなった。あまりに直球な愛の告白に、女性はかなりやられてしまったらしい。
(こ、これは……、聞いている僕も恥ずかしい……。す、好きとか……。こんな目の前で彼女に言うの……!?)
結も顔が熱い。何かいけないものを見ている気がして(まあ、実際はそうなのだが)、メニュー表で上手く顔が隠れているのか、心配になった。
「あ、ありがとう」
女性は照れながら、なんとかお礼を言う。男性はキザな性格なのか、そんなとこもかわいいと言って、さらに女性を赤くさせた。
(うわ……)
結は、少しだけ驚く。普段の彼女と、全然違ったからだ。
いつも女性は、どこか諦めたような……、それでいて、どうでもいいような、そんな無気力さに溢れていた。顔だって、こんなに表情豊かではなかった。
しかし女性は男性の眼の前で、結達にも見せない顔をしている。きっと、男性には本来の自分を出せるのだ。……それ程までに、心を許しているに違いない。
「お前さ、以前俺といて楽しいって言ってくれたよな?」
「うん。貴方と一緒にいると楽しい。だって……大好きだから」
「そうか……」
男性は女性の返答に、覚悟を決めたように真剣な眼差しになった。そして、少し間をあけてから叫ぶ。
「俺もお前が大好きだ。だから、これからも俺の側にいて欲しい。どうか、俺と一緒にいてくれ!!」
彼はポケットから、紺色の小箱を取り出す。そしてぱかっと開いて、中のものを見せた。
「!?」
女性は目を見開く。結も口をあんぐりと開けてしまった。
そこにあったのは、大粒のダイアが輝く、銀のリング──婚約指輪だった。
「プ、プロポーズだ……」
結は恥ずかしさのあまり、さらに身を竦める。
いくらなんでも、展開が予想外の上に早過ぎる。付き合っていると分かっただけでも衝撃なのに、まさか結婚という段階まで至る仲だったとは。……女性には悪いが、いくらなんても信じられない。
「…………嘘」
女性も結と同じで驚き過ぎたのか、そう言ったきり、黙り込む。目線は、結婚指輪に釘付けだった。
「た、頼む……」
男性が懇願するように女性に頭を下げる。しかし女性は表情を変えず、何も言わない。
……それが、その後数分も続く。流石に男性の額にも脂汗が滲み始めていた。
(…………。……さ、さっさと返事して!すっごくもどかしいから!!)
結は耐えきれず、心の中で叫ぶ。かなり今の状況がじれったい。早く何とか言ってくれと、結も女性に懇願する。
「わ……私は……」
やがて女性が、何かを言おうとする素振りを見せる。結は女性をドキドキしながら注目した。男性も、穴があかんばかりに女性を見つめた。
これでプロポーズは成立──
「指輪を受け取れません……」
しなかった。
(…………)
結は思わず、俯いてしまった。その結果を……、どこか考えていたいたからかもしれない。
「ごめんなさい……」
女性は謝る。
しかし男性はショックだったのか、固まったまま何も反応を示さなかった。
彼女は一瞬だけその姿を一瞥すると、逃げるように店外へ出て行った。
「……」
唇を噛み締め、立ち上がる。そのまま、すたすたと店の外に出た。
「ちょっと待って」
低い声で、女性を呼び止める。振り返った女性は、かなり驚いた様子で一歩下がった。
「……!?ゆ、結……ちゃん!?」
「さっきのことで、話がある」
「……」
女性は、いつかこんな日が来ると分かっていたのかもしれない。彼女は仕方がなさそうに頷いた。
そんな女性に、なんだか怒りが湧いてくる。結はぐっと握りこぶしを作った。
「じゃあ、こっち来て」
結は女性の手を引き、歩いていく。
その間、女性は一言も喋りはしなかった。そして結もまた、何も話さない。
「……一体何してるの?」
その辺の建物の裏へ連れていくと、結は女性に向き直り、尋ねる。すると怯えたように、女性が萎縮した。
結は確認するかのように、また問いかける。
「どうして、あんなことをしたの?伊尾ユミハ」
……伊尾ユミハ。それが女性の名前だった。
ユミハは、伊尾家の次女。伊尾ミズハの実の姉。……つまり、ユミハも広実一族の一人であり、“責務”を果たす役割を持っている。
でもそれが、決められた家の者以外と付き合っていた。これは、責務を放棄していることに他ならない。
「ご、ごめんなさい……!!」
ユミハは謝る。いつの間にか、瞳には涙があった。
それでますます、イライラして不機嫌になってくる。それが顔に出たのか、ユミハは言い訳するみたいに、一気に自分の気持ちを喋った。
「ほ、本当は責務を果たさなきゃいけないって分かってた!でも、彼を好きになってしまったの!!だから結ちゃんやミズハ達にも黙って彼と付き合ったのよ!彼は本当に良い人だった。本当に大好き。お母さんが決めたあの人よりも、よっぽどよ!」
「……それなのに、プロポーズを断ったんだね」
結は冷ややかに言う。ユミハは雫を目から流しながら、どうしようもないと、首を振った。
「結局、駄目なのよ。私は広実一族。私は……責務を果たすしかない。……本家として、駄目だとでも言うんでしょ?従うよ。彼と別れる。私はもう、諦めた」
「……それがどうしたの!?」
大声を出せば、びくっと、ユミハの肩が跳ねた。しかし構わず、睨みつける。
本当にこの人は何を言っているのだろう。そんなこと言うなんて、自分の前では許さない。
「もう一度言う、それがどうしたんだよ!!何でそこで諦めちゃうんだよ!」
ユミハはここまで、彼の存在を隠し通して見せた。しかしその分、彼女は一人で孤独に戦ってきたはずだ。一族の古臭い考えに。自由を手に入れようと、彼との未来のために必死になったのだ。
……正直結は、それが嬉しかった。だって、自分が抗えなかった責務に、彼女は抗ってみせたんだから。その勇気は、結には輝いて見えた。
けれどユミハはプロポーズを断った。最後の最後で、抗うのを止めてしまったのだ。
その中途半端さが、かなり癪に触る。抗うのなら、それを貫き通せ。
ユミハは、奴隷とは違う。広実一族の責務なんて、背負って欲しくなんかない。
だから、
「本気で好きなんでしょう?断ったのは、本当の気持ちじゃない!!自分を偽つわるな!!素直になってよ、ユミハ!!自由に選んで良いんだよ?何で選ばないんだよ!僕こそ責務の奴隷なんだよ。責務を果たす役割の未来しか選べない!!この名前の通りにね!でも君は違うでしょ!?だから、僕の代わりにユミハは自由な未来を選んで!!」
「……結ちゃん」
驚いたように従姉妹は呟く。結は責務に対する反感を、誰にも話したことがなかった。だから、こんな思いを抱いていたなんて、きっとユミハは思っていなかっただろう。
「だ、だけど、私は自由になれない。他の人もそれで、大変なことになったでしょう!?」
一族の考えに反発して嫌がった若者が、勝手に結婚して出ていくことが、ここ十数年では急増していた。そのせいで、取り潰されたり、一族から追放されたりといった罰を受ける家が多発したのだ。
そうなると、この早島の古い家から差別的な目で見られ、嫌がらせを受けることになる。広実一族は力はないが、一応龍神信仰の祖だ。一族から捨てられることは、龍神信仰からも捨てられることを意味する。だから蔑まれ、馬鹿にされるのだ。
「……今更かもしれないけど、でも家族がそんな目にあうのは、私は耐えられない」
「けど、本当は結婚したいんじゃないの?……彼を、捨てられるの?」
「…………。……出来ないよ」
しかし口ではそう言っているが、あまりにも弱々しい。家族のことを考えると、安心して彼氏を選ぶことができないのだろう。
(だったら僕が、安心させてあげなきゃ)
選ばせてあげたい。その気持ちを無駄になんてできない。もしもしがらみがあると言うのなら、この広実結が引き受けよう。
責務なんて、いらない。一族なんて、捨ててしまえばいい。幸せのために、自分を犠牲にする必要なんかない。
結は、そっと彼女の手を包み込む。出来るだけ、勤めて柔らかく微笑んだ。
「僕に……任せて」
「……え?」
「僕が、ミズハ達を守ってみせるよ。だから、君は安心してあの人と一緒になって欲しいんだ。君は……自由だよ」
自由。その言葉に、ユミハの瞳が揺れる。
「……良いの?私、一族から解放されるの?」
「後のことは、どーんと僕に任せとけば良いよ。仮にも、本家の人間だからね。長の爺様を説得してみせるよ」
今度は、力強く笑ってみせる。ユミハは、はっとしたかのように目に光を宿させた。
「……ごめんなさい」
一言謝る。その返答に、結も満足した。
「ううん」
「……でも、大丈夫?」
「大丈夫」
ユミハは心配そうに結を見る。……だが、それだけ。止めようともしないし、反論もしない。
もう、覚悟が決まったのだ。
「……じゃあね」
手を振って、ユミハは去っていく。その背中を、結は消えるまで見送っていた。
◆◇◆◇
結は自宅である、無駄に大きな日本屋敷の戸を開いて玄関へと入る。そして並べられている靴が、自宅のものより二組多いことに気がついた。
その二組の靴には、見覚えがあった。この靴は、ミズハと順那のお気に入りの靴だ。
(ミズハ……)
複雑な気分になってくる。ミズハはまだ、自分の姉が駆け落ちしようとしていることを知らない。多分今頃のんきでいるはずだ。それを今から知る羽目になる彼女のことを考えると、途端自分でそのユミハに結婚のことを説得したのに、罪悪感が湧いてきてしまう。
これから、きっとミズハは少なからず大変な目にあう。一族内の立場が、悪くなるだろう。しかしその原因を作ったのは、結だ。結は何が起こるか分かっていて、ユミハのことを優先してしまった。
……諦めて欲しくなかったのだ。自由になって、自分の分まで幸せになって欲しかった。
けれど、ミズハ達を守るなんて大口を叩いてしまったが、正直不安でしかない。どうやって守ったら良いかなんて、分かるはずがない。
(どうすれば良いんだ。僕はどうすれば……)
結は俯いたまま、木張りの廊下を渡り、自分の部屋の前に来る。そこで暗い表情になっているのに気がついて、無理やり笑顔を作り、ばっと襖を開けた。
「ミズハ、順那、お土産買ってきたよー……って、何勝手にくつろいじゃってんの!?」
そこにはだらしなく畳の上で寝転びながら、DSでゲームをしているミズハと順那の姿があった。
画面はよく見えなかったが、やたら効果音は打撃音、ビームを放っているような電子音が多く、bgmは激しいロック調だ。恐らく、格ゲーでもやっているのだろう。
「あ、ああ……!!負ける、負けちゃう!」
「くらえ、必殺技!!」
バアン、といった破裂音が響く。そしてやたら大きな悲鳴が、順那のゲーム機から流れる。それに合わせ、ミズハは勝ち誇ったようにいえーいとガッツポーズをした。
「ひ、酷い!!あそこでするのなしだよ!!鬼畜、悪魔、外道!!」
「おーほっほっほ、何とでも仰いな!」
敗者の悔しがる様が面白かったのか、ミズハはどこぞのお姫様でも真似るように高笑いする。順那はふて腐れたように、ぶすっとした顔になった。
「……二人とも、遊ぶのはいいけど、ちょっとは僕の部屋なんだから遠慮してよね」
「あ、お帰り」
注意を華麗にスルーして、ミズハが結に寝たまま顔を向ける。結は相変わらずのふてぶてしさに、額に手をやった。
「お土産買ってきたよ。はい、ミズハ」
「おおー、マジか!やったー!」
起き上がったミズハに、ゲームのパッケージを渡す。するとミズハは無邪気に喜んで、上機嫌にパッケージを開け始めた。
結は買ってきたかいがあったなと、笑顔を浮かべる。ここまでリアクションがいいと、こっちも嬉しくなるものだ。
「むぅ。ミズハばっかりずるい……。あたしにはないの?」
「あ……」
少しだけしまったと思う。いつもはミズハに何か買ってやったら、順那にも不公平にならないよう、同じようなものを買ってあげていた。しかし、今回はそれをすっかり忘れていた。
「ごめん。でもミズハ誕生日だしさ、大目に見てやってくれないかな?後でちゃんと何か買ってあげるから」
「……まあ良いけど。でもなんか……」
そこで順那は、じっと結を見つめる。
結は僅かにたじろいだ。彼女は時々、物凄く鋭い時があるのだ。
「ふーん……。……お姉ちゃん。もしかしてあれかな?何か良いことあったんじゃないの?」
「ど、どうしてそう思うの?」
「なーんか、嬉しそうだから」
その言葉に、少しだけほっとする。どうやら、この罪悪感は見抜かれてはいないらしい。
「……それは、ミズハが喜んでくれているからだよ」
「そっかぁ……」
納得したように笑う順那。結も複雑な感情を表に出さぬように笑う。
「にしても、あれドラゴン使ってダンジョン攻略するやつじゃん。よく見つけたね」
「うん。まさか見つけるなんて思ってもいなかったよ。あ、良かったら来年もシリーズが出るらしいし、買ってあげようか?ちょうど来年、中学校だもんね」
「良いんじゃない?ねえ、ミズハ」
しかしミズハは微妙な顔をする。
「いやいや、中学校祝いがゲームって……」
「わがままだなあ。なら何が良いの?」
「特に何も……」
「何もって……。そういう訳にもいかないよ。何かないの?」
んー、と悩ましげにミズハは考え込む。そして、閃いたように、ぱんと手を叩いた。
「なら、一緒にパーティーでもしようよ。どうせ結は四月、誕生日なんだし。ならそれも兼ねて、盛大に祝うってのはどうかな?その後で思いっきり今日買ってくれたゲームとかで遊ぶの。その時は、対戦相手になってよね」
満面の笑み。その純粋なまでにこちらを慕う気持ちに、結は心臓を跳ねさせた。
……正直、今の自分には眩しすぎる笑顔だ。見ているだけで、心が痛くなってくる。
(……なんとしてでも、守らないと。僕の都合で、大変な目に合わせるんだから。任せてって僕から言った……。その責任を果たさなきゃ)
密かに、胸の内で決意を固める。結は、自然とごくりと唾を飲み込んでいた。
ちなみに結さんの誕生日は四月二十五日。夏音は三月二十九日。サチは七月二十日。入理乃は四月六日。順那は七月二十六日。ミズハは十一月十一日。