“天災”
そこは、確かに地獄だった。
――見滝原市。
それがここ数年、あらゆる面を急成長させた開発都市の名前だった。
最新技術が生活システム、インフラなどの至るところに普及。ビルの群れが建ち並び、いたるところにある人工物はオブジェ地味いて、一風変わった町並みを形成している。
まさに見滝原は近未来都市と呼ぶに相応しい町であった。
だが、今宵一瞬にしてすべてが崩壊した。ワルプルギスの夜によって。
この結界を持つ必要のない大いなる魔女は、その強すぎる力のせいで人間からはスーパーセルとして観測される。いつしか伝説になったそれは、過去に滅ぼしてきた町と同様に、一切の区別なく、平等に公平に、見滝原のあらゆるものを蹂躙した。
その結果が目の前の燦々たる光景だ。
倒壊した建物だらけの、風と雨が吹き荒れる荒廃した町。
でも果たしてそれを“終わり”と呼ぶのなら――まだマシな地獄だ。
本当の絶望は、ここからなのだから。
「……」
その少女は、呆然と空を見上げていた。
風になびく、肩までのオレンジの髪。ヒビが入っているメガネ。
菊の花飾りがついた帽子。下半身が前垂れ、ガーター付きのハイブーツという露出度の高い黒装束は、何処か喪服めいてもいて。
「アハハ……」
そうして彼女は、壊れたようにひくっと口の端を引きつらせていた。
考えられることは一つだけ。
何だアレは。
その視線の先には、世界を覆い尽くすような、果てが見えないくらい大きくて、すべての恐怖を表すかのようにドス黒い、きっとこの世で一番強い魔力を持っている、天災と呼ぶに相応しい魔女がいる。
魔女は枝分かれした下半身を揺らめかせ、上へ上へ、伸びていく──渇望するかのように、手を伸ばしていく。
しかし両手は何も届かない。ただ、その手は哀れな魂をつかみとるだけ。
彼女は救済の魔女という。その性質は慈悲。
この現世という名の鳥籠から、魂を拾い上げ、その手で天国へと導く救世主。
だがそれは何もかもを崩壊させる恐るべき化け物。いや、化け物と呼ぶにしてはこれはあまりにも強大すぎる。これを表すには、それこそ“神様”とか、そういう言葉しかないだろう。
(……神様、か……)
心底、皮肉に思えた。
何故ならその“神様”こそが、少女の大切なものを、仲間を、故郷を、皆壊してしまったのだから。だから、血塗れの牛木草うしきそうから前の時間軸に戻ってきたというのに。
「間に合わなかった……」
こうなったらもうこの世界は諦めるしかない。
現に今まさに顕現したばかりであるというのに、その力は計り知れないオーラとなって、ビリビリと市全体に轟いている。
それだけでもこの魔女にとっては微々たる力だ。いかにこの魔女が危険は語るまでもない。
多分、このままここにいたって死ぬだけだろう。
しかし、それで良いのかもしれないとも思えた。
――だって。
側に黒髪の骸が転がっている。倒壊したビルに足を挟み、傷だらけのその魔法少女は死んでしまっている。
ある意味では皆の仇である「暁美ほむら」が。
世界を破滅させた愚か者が。
でも何故だか憎みきれなかった。
彼女の経歴を一方的に聞いて、同情したためだろうか。それともその覚悟に胸を打たれたから?
今となっては何も分からないが、そもそも彼女を殺したのは少女自身だ。目の前で魔女化しそうだったからとは言え、責めてはいけないのかもしれない。
「けどさ……一言、言ってやりたくもなるじゃん? どうしてなの? 何で勝手に絶望して、何で勝手に……」
いっそ、不満の一つ二つ、本人に言えれば良かったのに。
感情をぶつける矛先が何もない。そこには怒りもなくて、ただただあるのは無力感、諦観、やるせなさ。そして何で殺さなければいけなかったのだろうという、暁美ほむらへの罪悪感で。
……本当に、迷子になった気持ちだ。人間、キャパオーバーを超えると、涙ながらに笑い声を上げる他なくなるのだろうか。
「アハ……ハハハハ、ハハハハ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!! ハハハハハハハハ……」
だが、それさえも馬鹿馬鹿しくなってくる。
一体何のために。自分はここにいるのだろう。
何のため? 故郷のため? 仲間のため?
「もうわっかんないんだよ!!」
答えなんて出て来るはずがない。
選択肢なんて初めからなかった。半ば追い詰められて、少女は――
「ちくしょう!! ふざけるなよ、どいつもこいつも!!」
――死ねよ! 死んでくれ!
少女はすべてへ向けて慟哭する。
まったく理不尽過ぎて反吐が出る。
だから嫌いなんだ、“現実”は。いつだって優しくなくて、少女をギリギリと締め上げる。
世界すべてが、都合の良い理想で埋め尽くされたらどんなに良いか。
「――――」
そこでふと、思い出す。ある先輩の言葉を。
彼女は泣きながら、こう言ってたっけ。
――逃げて。
『あたしのことも、皆のことも。神様のことも、牛木草のことも。全部忘れて逃げるの! お願いだから、貴女は貴女だけの人生を生きてよ……お願い……!!』
彼女は最後に、そう願ってくれた。
特別にならなくて良い。ただ生きろと。
一番大切じゃないのに、それでも少女のことを思ってくれた。
(ごめんなさい。でも、出来ないんです)
こんな暁美ほむらの姿や、死んでいった仲間達を前にして、少女は目を逸らす程無神経ではいられなかった。
どっちみち選択肢は最初から存在等していない。
(私は皆の未来を食いながら生きているもの――)
「くっそぉ……何でことになるのかなあ」
少女は壊れかけの眼鏡を外した。まるで「暁美ほむら」が決意を固めた時のように。
そして虚空から取り出したマスカレードの時につけるような道家の仮面を被って。
余計な心を殺す。
いらない過去を殺す。
これより少女は何者でもない、無貌の存在となった。
けれども、けじめだけは必要だった。
瓦礫を退かし、死んでしまった魔法少女を抱き抱え、もう一度だけ空を覆う魔女を見やる。
「――行こう」
彼女は、背を向けて歩き始めた。
◆◇◆◇
――それは、数ある「暁美ほむら」が辿った結末の内の一つ。
――見滝原の魔法少女が全滅するという未来。
普通ならば、その遺体はそのままに、やがては朽ち果てていくだろう。
だが、そうはならなかった。
ある少女が、一部とは言え遺体をすべて回収したのだ。
埋められた地面の上には、結界の起点となる突き立てられた一本のハルバード。
救済の魔女が地球を破壊するまでの十日間、結果は何者をも通さなかった。
まるで奮闘した魔法少女を讃えるかの如く。
だが、この世界の誰も知らない。
同時にそれが、少女自身の墓標であることに。
彼女は己が目的のため、時を飛び越え、果てのない旅路へと出たのだった。
――これは、その後の話である。