それからの日々のことは、過ぎ去るのがあまりに速すぎて、毎日を記憶に留めておくのに必死だった。だってそうしないと別れた後に、思い出が気泡みたいに消えてなくなりそうだった。
他の従姉妹二人も、結と同じように思っているに違いない。何かと理由をつけては用事を断り、三人で過ごすように努めているようだった。
彼女達の日常は、表面上はいつも通りに見えた。
それぞれの家に定期的に集まって、アニメを見たり、三人で対戦ゲームしたり。そこでミズハが圧勝して、負けた順那をからかい、順那が拗ねて結がミズハを叱った。
そんな普段の習慣とお決まりの流れが、毎日毎日繰り返された。
そうしていると、ずっとずっとこれからも、三人で一緒にいられる気がしてきて、時々別れが訪れることを忘れてしまいそうになる。
そして、その度に後悔する。どうして、もっと上手くやれなかったのか。
本当はもっと上手くやろうと思っていた。
ユミハを結婚させて、ミズハを守る。その二つを最良の結果で達成したかった。
だがミズハの方は上手くいかなかった。どうすれば差別をされずに済むのか考えた結論は、ミズハを苦しめるだけだった。
いや、ミズハだけじゃない。順那も苦しめている。仲の良い二人を、結は引き剥がしてしまった。そんなことしたら、どんな風に思うのか、ちょっと考えれば分かるのに。
結は守りことばかり必死になって考えていた。だからそのことばかりに目がいって、視野が狭くなっていた。結果、簡単なことさえ気がつくことができなかった。その余裕がなかった、とも言えるからもしれない。
よく考えてみたら、広実結は何と無責任だったのだろうか。
衝動的にユミハを選んで、出来もしないくせに守るなんて言ってしまって。ミズハの心を度外視しして見滝原へ行かせ、順那までも傷つけた。
そもそもの話、見通しも甘すぎたと言わざる得ないだろう。それは奢りと傲慢の考えだった。
全部全部全部──結の責任。結のエゴ。結のせい。
何もかも、結が悪いのだ。
◆◇◆◇
その賑やかな声が、まだ耳に残っていた。結はそのせいか、つい昨日のことをぼんやりと思い出す。
昨日は、約束だったパーティーを前倒しでお祝いした。その日が、三人で一日中いられる、最後の日だったのだ。
本来ならば親達も参加させる予定だったが、しかしいきなりだったので、三人だけで行った。
だからそれは、いつもの誕生日パーティーと言えるほど豪華ではなかった。バースデーケーキを買ってきて、ただゲームをするだけだった。毎年三人揃っているパーティーでは、ちゃんとしたお店に行って、それなりに豪華な食事をしていた(もちろん、その分お小遣いは引かれるし、それぞれの親に頼みこまないと無理だが)。今年の誕生日パーティーは驚くほどぱっとしない。
でも異様なほど楽しかったのは言うまでもない。柄にもなくはしゃいで馬鹿騒ぎしたのは久しぶりだったけれど、昨日は最高の一日だった。
(……今日は、まったく逆だな。そしてそうしたのは……)
結はぼんやりと自室で、天井を見上げる。そして俯くと、はあとため息をついた。
さっきから楽しいことを考えようとしているのに、憂鬱な気持ちがまったくいって晴れなかったのだ。もう少ししたらミズハが見滝原に行くので、その見送りまでに笑顔にならなきゃいけないのに、どうしようもなく暗い気持ちになる。
「もうさあ……。ネガティブ思考、やめた方が良いんじゃないかなぁ?」
順那はあまり優れない表情の結に、そう声をかけた。見送る前に、順那は結を心配してやってきてくれたのだ。
「……僕ね、今までミズハのお姉ちゃんを上手くやれてるつもりでいたんだ。けどさ、失格だよ。……あの子の姉でいる資格なんて、僕にはなかったのかも。もちろん、順那のお姉ちゃんでいる資格なんて……」
ミズハには言えない心の声を、順那に話す。ここにはミズハはいない。ただ結と順那だけがこの場にいる。
「そんなことはない。お姉ちゃんは、あたし達のお姉ちゃんだよ」
ミズハはさも当然のように言う。彼女はこういうことを、躊躇なくさらりと言ってのけてしまうのだ。
それが前なら嬉しくもあったが、しかし今は違った。
「どうして君は、僕をお姉ちゃんなんて呼べるの?」
「だって、あたし達を誰よりも、愛してくれてる。貴女は優しくて最高のお姉ちゃん。それはミズハだって同じことを思ってるはずだよ」
ならばミズハは、そんな風に思っている人から裏切られたということになる。そんなの、結だったら到底耐えきれない。いつまでもいつまでも引きずるだろう。しかしそれを、結はミズハにしてしまったのだ。
……自分がますます最低に思えてる。罪の重さが、また増えた気がした。
「……僕は、なんてことを……」
「……そうやってまた抱えこんじゃって。……可哀想に」
順那は憐れむような、あるいは呆れるような感じの口調で言った。結はそんなことを言われると思っていなかったので、驚いて目を見開いた。
(聞き間違い……だよね?)
いや、聞き間違いであって欲しい。そんなことを、順那に言われたくない。“可愛そう”なんて、広実結がかけられるべき言葉じゃない。
「……そろそろ時間だね。じゃあ行こっか」
「そ、そうだね」
さっきのは気のせいだということにしておいて、結は順那と共に自室を出ると、家を出た。
しばらく歩くと、ミズハの家が見えてくる。その駐車場には赤い軽の車が止まっていて、中に伊尾一家が乗っていた。
ちなみに見送りに結や順那の親達は来ていない。もう既に、挨拶は済ましてあるようだ。
「叔父さん、叔母さん」
近づくと、ほぼ同じタイミングで車の窓が開いた。
「順那、結様。わざわざありがとうございます」
ミズハの父が礼をする。いえいえと言って、結も頭を下げる。
「……すいません。僕が不甲斐ないばかりに……」
「いえ。……僕らが悪いのです。僕ら、伊尾家が」
古臭い価値観に基づいた発言に、結は叔父に少しだけ呆れ返った。この人は、昔からこういうところは変わらない。
そして同時に、すまなく思う。結は、伊尾家に迷惑をかけたのだから。
「元気でね。あたし、見滝原で始めるっていう書道教室も応援しているから」
「ええ。精一杯頑張るわ」
伊尾家はやらない代もあるが、ずっと書道教室を開いていた。ミズハが生まれてからは諸事情により止めてしまったが、これを機会にまた始めることを決意したという。
新天地で何かやらねば、虚無感に襲われるからだろう。早島から離れることが、よっぽどショックなのだ。
「結……、順那……」
ミズハが潤んだ目で、従姉妹達を見た。
もう、別れの時だ。一応、電話番号やラインなどのコミニケーションツールを使えば、会話もできるし顔も合わせられる。しかしそれらを媒介としなければ、こうやって面と向かって話す機会は少なくなる。
やはり機械越しと直接会うのとは、まったく違う。それが彼女にとって一番辛いかもしれない。
「……これも、姉さんのせいよ」
ミズハはボソリと呟く。そして、嘲るように鼻で笑った。
「……」
今、自分の顔に浮かんでいる表情が分からなかった。
結は唐突に、どうしようもなく声を荒げたくなった。そして、ミズハの顔を引っ張たいて、笑ったことを否定したくなる。
怒りの感情とユミハを馬鹿にされたくないという思いが、結の中で湧いてきたのだ。
(ユミハは立派なんだ。……自分で自由を掴みとった)
ユミハは一族とずっと一人で戦ってきた。そこには当然孤独感もあったし、悩みもあっただろう。だがそれを、ついには乗り越えることに成功した。
そんな彼女を、結は誇らしく思う。だから、ユミハを罵るのは許せなかった。
しかし、結はミズハには何も言えない。言うことなんてできない。
そんなことを……、どの口が言うのだろう。
「……見滝原に行っても、二人のこと忘れないよ。ちゃんと、あたし頑張る。二人がいなくても、上手くやれるよう努力する。結に勉強教えてもらってたけど、自分の力でやれるようする。順那をからかって遊んでたけど、それももうやめる。……あたしのこと、何も心配しなくて良いから」
そこまで言うと、ミズハの涙腺が決壊して、瞳から涙を溢れさせた。
順那はミズハに悲しげな顔を浮かべると、しきりに頷いた。
「……あたしも、忘れない。お姉ちゃんもそうでしょう?」
「う、うん……」
答えたものの、胸はとてももやもやしていた。先ほどの怒りが、まだ残っている。
純粋に悲しめなくて、酷く嫌な気分だ。何故このような時にこんなことを思うのか。薄情に思えて仕方がない。
「……というか、忘れることなんてできやしないよ。何年いたと思ってるの?」
順那は少しだけ結の顔を見て、その気持ちを察したのかだろう。場を和ませるために、ウインクまで決めて、ちょっとおどけてみせる。
ミズハはくすりと笑った。その笑みはとても彼女らしいものだ。
(ありがとう、順那)
ちょっと空気が変わったせいか、気持ちが随分楽になる。そのおかげか、まだ完全に消え去ってはいないけれど、怒りが収まった気がした。
「……これだけは、ちゃんと伝えるね」
顔はすでにぐしゃぐしゃだったが、ミズハはそれを元に戻すように手で涙をごしごしと拭う。
そして、普段ではしないような、珍しい真剣な眼差しで従姉妹達に言った。
「あたし……、二人のこと大好き!これだけは絶対、何があっても変わらないから!だから、二人ともあたしのこと思ってて」
「……!!」
思わず、はっとなる。ミズハの思いが、強く感じられたのだ。
気がつけば、視界がぼやけていた。そして、暖かい水滴が頬を伝う。
……結は、今更のように自分が泣いていることに気がついた。
「当たり前だよ」
小指と小指とを、三人で絡ませる。本来ならば二人同士でやるものだが、この際そんなのは構わない。仲良く、指切りの歌を歌う。そして指切った、のところで、それぞれ器用に指を離した。
「バイバイ」
ミズハが手を振って、窓を閉める。
叔父達は一礼すると、赤い車を発進させた。すぐにそれは道路の車の流れに乗り、あっという間に見えなくなっていった。
「行っちゃったね……」
「そうだね」
もう、これでミズハとはさよならだ。三人でいられた日々は、終わった。この手で、終わらせてしまった。
「……っ、うっ……」
また、涙腺が熱を帯びる。みるみるうちに、目元に涙がたまっていく。
結はみっともないような気がして、ぐっと涙をこらえた。順那が泣いていないのに、自分が泣くわけにはいかない。
でも。
「……お姉ちゃん。思い切り泣きなよ。我慢なんかせずに、泣いても良いんだよ」
そんなことを言われたら、もう耐えられなかった。
「う、うあああああああああああああああああああ!!!!」
咆哮するように泣き声を上げる。通行人が見ていても、構わず泣き続ける。
悲しくて悔しくて寂しくて、自分に怒りが込み上げて、この身に流れる一族の血を呪った。
順那が、頭を撫でてくる。この時ばかりは、それを甘んじて受け入れた。
まるで、立場が逆転したような気がする。お姉ちゃんなのに、自分が妹みたいで、それが心底おかしかった。