家に帰ると、父と母、それと兄と弟、祖父を含めた家族全員が居間にいた。
彼らの目は、とても冷たかった。当たり前だ。ミズハと会ったのだから。
家族のあまりの態度に、ショックを受けなくもなかったが、意外なほど結は平気だった。冷めたような気持ちが、心の底にあったからかもしれない。
その後、何か散々言われ、勝手に自分のことで揉めていたような気がするが、ぼんやりとしか覚えていない。会話の内容なんて、興味がない。
結はその日から、家族と必要最低限のことしか話さなくなった。
もう、彼らにはうんざりだった。あんな人達、どうでも良い。家族なんかじゃない。家族だったら、もっと自分のことを大切にしてくれるはず。でも彼らは一族のことしか考えず、結のことを考えない。なら、こちらも考えるものか。たとえどんなに酷いことが起ころうが、知ったこっちゃない。
それよりも大事なことは、ミズハのことだ。ミズハとちゃんと、話をしなければいけない。
まずは、二年前に自分がやってしまったことをちゃんと説明して、謝りたい。自分が思ってきたことも、全部話そう。ずっと隠してきた分、この際ミズハには正直になりたい。
嫌われたのはとても辛くてショックだったけど、よく考えたらこれも因果応報だ。やってきたことを考えると、“しょうがない”。
でも、これだけは伝えたい。たとえどんなに嫌われても、ミズハのことが大好きだと。
◆◇◆◇
忙しい受験勉強の合間を塗って、結は定期的にミズハの元へ行くようにした。そして彼女の部屋の前に行くと、色んなことを一方的に話す。
それは、もしかしたら己の傷を癒すための行為だったかもしれない。だが止めなかった。止めたくはなかった。たとえどんなことがあろうとも。
そんな生活が続いて二週間近く経った頃。親に聞いたのか、はたまた他の親戚から聞いたのか、家に遊びに来た順那は、結にふとこう尋ねてきた。
「……もしかしてさ、ミズハのこと、あたしに隠しているつもりなの?」
……その時、つい結は何と言ったら良いのか分からず、目を泳がせてしまった。
順那の言う通り、ミズハのことを結は黙っていた。心配などかける訳にもいかなかったし、自分が解決しなければいけないと思っていたからだ。だからこの悩みを言うことも憚られた。
だが、どうやらそれも限界らしい。結のことを、きっと順那は見抜いている。どう取り繕ろうが、無駄でしかない。
結は堪忍して、その通りだと答えた。
「……ごめん。実はミズハと喧嘩しちゃってさ。そのことで、順那に迷惑かけたくなかったんだ」
「別に良いよ。……それより、どうして喧嘩なんかを?」
当然の質問にも関わらず、結はぎくりとする。
流石に本当のことをすべて言う訳にもいかず、結はあえて言葉を濁した。
「……ぼ、僕が言っちゃいけないことを言ったからだよ。それで怒らせたんだ」
「それでその後もミズハのところへ通っているのか。……お姉ちゃんも大変だね」
順那は妙に達観したかのように言う。結は彼女の様子をおかしいと思いながらも、ちょっとだけ不快感を抱き、眉を寄せた。
「……何でそんなことまで知っているの?親に聞いたの?」
「いいや。噂になってから、それで知った」
結は顔を渋くさせた。
連絡網は、ありとあらゆる一族に張り巡らされていて、また一族は近所同士に住んでいることも多い。
情報が伝わるスピードは、尋常じょないほど速い。恐らく、もうほぼ全員、結が何をやっているか知っている筈だ。
それでも妨害がなかったのは、長が許可を出したからか。いずれにしろ、あまり気持ちが良いものではない。
「……それで、お姉ちゃんはこれからもミズハのとこへ通い続けるの?」
「あたり前だよ。誰に何を言われても、これだけは止めない。……順那はどうする?」
「……あたしは何もしないよ」
順那は平然と、無表情でそう言ってのけた。結は思わず、順那に詰め寄る。
その、さもどうでも良いと言いたげな態度が、結には薄情に感じられた。それだけではない。ミズハへの愛情が、順那から欠落しているようにも思えた。
「どうして、何もしないの!?ミズハのことが、大切じゃないの!?」
すると順那は、乾いた笑い声を立てた。
結はびくりとして、黙ってしまった。手に汗が滲んでいく。
「……あたしさ、ミズハと電話したんだ。彼女は全部、話してくれたよ。何で引きこもったのか、とか。本当、聞いてびっくりしたよ」
「そうだろうね。まさか、ミズハがあんなことになるなんて思いもしないよ」
ミズハは元々明るいこともあり、友人も多くいた。クラスの中では中心的な存在だったらしく、弱いものいじめをしたクラスメイトを叱るなど、堂々とした性格だった。
決して、取り巻きなどをするタイプでもなく、人の顔色を伺う性格ではなかった。
彼女は、見滝原に来て変わってしまった。結が環境を変えたせいで、いじめをしてしまった。
「……あたしちょっと、幻滅した。まさか、いじめをやってたなんて」
「な……!?」
順那の発言に、声を詰まらせる。……まさかそんな理由で何もしないなんて、思いもよらなかったのだ。
(ちょっ、ちょっと待ってよ。それだけのことで嫌っちゃうの?)
いじめをしたのは、間違いなく許されることではない。引きこもったのも自分勝手と言えなくもない。
しかしミズハには同情の余地がある。そもそもミズハは、率先して自分からいじめを行った訳ではないし、逆らうのが怖いというのは、誰もが持つ感情で、その点は責められるべきではない。
だから、見方を変えればミズハだって、いじめの被害者みたいなものだ。
それでも嫌うなんて、少しあんまり過ぎる。
「……信じられない。君が、そんな事を言うなんて」
「正直酷すぎるかなって、自分でも思うけどね。……でも、それだけじゃないんだよ。話してて分かったけど、ミズハは周りと向かい合う気がさらさらないんだよ。そのまま心を閉ざしている。誰の声も、きっと彼女には届かない。ミズハはもう、駄目だ」
はっきりと、断言する。順那はもう、ミズハのことを諦めきっていた。
結は順那に怒りの表情を向けた。
そんなに簡単に、どうして見捨てられるのか不思議で仕方がない。自分達が味方にならないで、どうするというのか。それにミズハに声が届かないなら、届くまで何度も何度もかけ続ければ良い話だ。
「……さっきも言ったけど、僕は止めないから」
「勝手にすれば良いよ。あたしはもう、見守るだけにする。でもどうせ無駄だよ」
「無駄じゃない!!いつか──」
「諦めなよ。これは“しょうがない”ことだからさ」
「……」
そうなのか、と強く疑問に思った。
これは、すべてしょうがないことだったのか。何も変えることは、できないのか。
(そんな筈がない)
変えられないことなんて、あっちゃいけない。しょうがないことなんて、あるわけがない。
順那は言いたいことだけ言ったからか、手を振ってその場を去っていった。結はその後ろ姿を追いかけることができず、見つめることしかできなかった。
◆◇◆◇
平日、学校の帰り道。結は俯きながら、道を歩いていた。
頭の中は、常にもやもやしていた。色んなことが、ごちゃごちゃしている。
家族のこと。ミズハのこと。順那のこと。受験のこと。最近では一族から酷い言葉も浴びせられた。その言葉も、忘れる事が出来ない。
正直ここ最近、気分はあまり良くなかった。悩みが多過ぎて、気持ちが悪い。
最早どうしたら良いのか、分からない。どうしたら悩みが解決するのか、考えられない。
「あ……」
そこで、はっとなる。学校に宿題を忘れたことを思い出したのだ。
あれには結構、重要なことが書かれていたし、提出しなければ先生がうるさい。
結は億劫な気持ちなった。重たい足を動かし、道のりを引き返す。
幸いにもすぐ近くだったので、数分で学校に着く。上履きに履き替えて階段を上がり、教室へと入ろうとしたところで、結はストップした。
教室から、仲の良い友達の話し声が聞こえてきたのだ。しかもその内容から察するに、どうやら自分のことらしい。結は気になって、そっと聞き耳を立てた。
「ここのところさ、結ちゃんおかしいよね。冷たくなったっていうかさ」
「なんかいつも周りを睨みつけてるよね。心配してやったらさ、何でもないって言われるし」
「マジで?酷すぎじゃん。仲良くしてやってるのに、あの子何様のつもりなの?」
「てかさ、あの子元々から変わっているっていうか、変だよね」
「分かる。周りと違うよね。あの子だけめっちゃ浮いてる」
「他の子に聞いたけどさ、あの子の家も相当変わってるらしいよ。親があそこの家は、色んな意味でやばいって言ってた」
「やっぱそんなんだから、結ちゃんもおんなじで変わってるのかな。なんか納得だわ」
それ以上先を聞く前に、結は教室から離れた。友達の会話が、下らないものに思えたからだ。
(……あの子達、僕のことを多少なりとも分かってくれてるって思ってたのに。とんだ勘違いだったよ)
結は心の中が、嘲笑でいっぱいになっていくのを感じた。
雨が降ってきそうになったので、走って学校を飛び出す。それでも逃れることはできず、空から降ってくる豪雨に激しく叩きつけられる。
しかし、結にはそれが心地よく思われた。すべてどうでも良い事のように、思わせてくれた。
雨は結の感情を洗い流すように振り続ける。結は愉快になってきて、人知れず笑い声を立てた。
◆◇◆◇
家に着くと、結はずぶ濡れの制服を脱がず、自室に閉じこもった。
畳の上に大の字になって寝転がり、ぼんやりと天井を見上げた。何だか、とても疲れた気がする。
何も、する気になれない。何もしたくない。だって、何をしたところで、何にもなりはしないような気がしたから。
目を閉じて、視界を閉ざす。
今までのことを、振り返ってみる。そうして、自分がいかに空回りしてきたか実感する。
今まで自分がやってきたことは、すべて裏目に出てきた。望んだ未来なんて、これっぽっちも実現できていない。
それどころか、どうしていつの間にか一人になっているんだろう。
家族も信じられない。ミズハと喧嘩して、順那とも気まずくて話せない。仲良くしていた友達は、本当の友達ではなかった。
……これも、罰なのだろうか。何もかも、しょうがないんだろうか。
ああ、だとしたら受け入れるべきなのかもしれない。この孤独に諦めきって、目を逸らして……。
(そんな訳には、いかない……)
諦めるなんて、したくない。こんな現実、認めたくない。しょうがないなんて、絶対に嫌だ。
「でも、どうしたら良いんだよ。何をすれば……。何を信じれば……」
その時、かりかりと襖の方から音がした。結は起き上がると、気になって襖を開いた。
そこには、あの白い猫がいた。まだ子猫ではあるが、随分と成長している。だがそのくりくりとした目の輝きは、当時と何も変わっちゃいない。
「……ミアちゃん。心配してきてくれたの?」
名前を呼べば、ミアは返事をしてくれた。それが堪らなく嬉しくて、結はしゃがむと、ミアを強く強く抱きしめた。