ミズハが失踪した。夜、家を飛び出したと思ったら、そのまま行方不明になった。
そのことをミズハの母親から電話で聞かされた時、世界が真っ暗になった気がした。引きこもったことを知った時よりも、ミズハがいじめをしていたことを知った時よりも、遥かに大きな衝撃を受けた。
どうして、と思わずにいられなかった。自分勝手にも、ミズハを心底恨んだ。
いなくなったのは、まさか自分が嫌になったから?すべてが嫌になったから?
逃げたって、結は責めはしない。何もかも捨てたって、結は止めない。
だけど、せめて自分と一度だけは話して欲しかった。
結局心の何処かで、ミズハと仲直りしたいと思っていた。そうじゃなくても、せめて視界の端には入れて欲しかった。
喧嘩して以来、ミズハは結を居ないものとして扱っているように感じられた。だっていくら話しても、無視するだけで何も言わない。それどころか、部屋に閉じこもって顔も合わせようとしないのだから。
一族は皆、ミズハの行方不明に悲しんではくれたが、探そうともしなかった。神を信じなかったから天罰が下ったに違いないとか、そんなことばかり言うだけだ。
順那でさえ、呼びかけても何もしない。結はとうとう順那に怒り、やがて口論となった。それで、完全に絶交だ。もう彼女のことも、信じれない。
結は心当たりを巡り、知らない場所まで行って、見滝原中を探し回った。
ミズハの家族も、色々な場所や人に、ミズハを探すよう呼びかけた。警察も動き出し、ミズハの失踪はニュースにも報道された。
だが、一向に成果は出ない。仲が良かったという入理乃という少女にも会ってみたが、彼女は何も知らないと首を振るだけだった。
ミズハは、その足取りさえも何も残さなかった。まるで完全に、この世から消え去ったみたいだった。
それがあまりにも奇妙すぎて、snsは逆に盛り上がりを見せ、ある者は好き勝手に予想を立て合い、ある者は不謹慎だと騒ぎ立てる。
従姉妹が行方不明だということで、クラスメイトも結に詰め寄る。面白がっている彼らに、結はもう、同じクラスの仲間としての親愛を持てなかった。
世間は、残酷なまでに自分勝手だった。好きなように悪口を言って、好きなように好奇心を向けてくる。まるで個人なんか見ようとしない。同情と偽善に塗れ、自分の価値観だけを押し付ける。これでは、まるで広実一族のようではないか。
信じられるのは、もう飼い猫だけになっていた。ミアのみが結のことを気遣って、分かってくれる。こんな醜い自分を、見てくれる。
それ以外、すべて信用できない。結はすっかり、人間不信になっていた。
本音を言えば、結だって人をもっと信用したいのだ。だけど、もう無理だ。人の冷たさを一旦知ってしまったら、忘れることができない。
結はこの世界を呪うしかなかった。
こんな現実、嫌だ。すべてが憎い。すべて疲れた。いっそのこと……、全部なくなってしまえば良いのに。
◆◇◆◇
その日の夜。結は自室でぼんやりと、開け放たれた窓の外を覗いていた。特にそうしていた意味はないが、なんだか眠れなくて、少しでも夜風に当たって気分転換でもしようと思ったのだ。
空には、煌々と輝く満月が浮かんでいた。人間の血を最も凝縮させた色をしていて、禍々しく不気味ではあったが、不思議と美しい。
その月へ結は手を伸ばし、掴み取るような仕草をする。そして、急に何をやっているのかと馬鹿馬鹿しくなって、腕を下ろした。
本当に欲しいものなんて、何一つ掴み取れやしないくせに。こんなことをしたって、何になるのだろう。
「ミアちゃん。僕って、馬鹿じゃないかな?」
布団の方にいるミアに近づき、語りかける。しかしミアは眠っていて、何も答えない。
それを結は残念に思いながら、ミアを静かに撫でた。
(……ミズハ)
ミズハのことをふと思い出し、結は彼女のことについて考える。
今、何処にミズハはいるのだろう。もしかして、危険な目に合っていないとも限らない。それとも、無事で安全なところにいて、楽しく暮らしているのだろうか。結や順那、一族のことを忘れて。
でもミズハの現状なんて、ミズハを見つけるまで知ることが出来ない。そしてもうミズハは、見つからないかもしれない。
探していた最初のうちは、皆絶対に見つけてやると意気込んでいた。しかし徐々に徐々に、諦め気味になってしまった。
なんせ手掛かりがなさすぎる。これで捜索を成功しようというのも無理がある。
結も最近、何をやっているのか疑問になってきた。自分の努力がすべて無駄だと感じてくるのだ。
初めから、分かっていた。いつも結は、空回りばかり。何も出来ず、何も得られない。
だから──
「……諦めるしかないかも。どうせ……」
「諦めるのはまだ早い。君が望めば、僕はその願いを叶えてあげられるよ」
頭の中に、聞き覚えのない可愛らしい少年の声がする。結は肩を跳ねさせ、窓のそばにいつの間にかいたものを凝視する。
それは、今までに見たことがない獣だった。白い毛に、尖った耳。円らな丸い赤い目。四足歩行で、長い尾がある。
全体的にはとても可愛らしかったが、暗がりでも分かるほど表情はまったく動いておらず、それが返って無機質というか、不思議な印象を与えていた。
結は驚きすぎて、獣から目が離せなくなった。
自分は何を見ているのだろう、と思った。それに動物が喋って、しかも願いを叶えるなんて、出来すぎている。
でも、だからこそ惹きつけられて、興味が湧いてきた。願いを叶えるというその言葉が、酷く魅力的に聞こえた。
結は混乱したままだったが、何とか白い動物の存在を受け入れると、真剣な表情を向けた。
「……願いを叶えるってどういうこと?」
「僕と契約して、魔法少女になって魔女と戦って欲しいんだ。その代わり、何でも一つだけ願いを叶えてあげる」
「ま、魔法少女……?」
何が来るだろうと身構えていた結は、少しだけ気が抜けてしまう。
魔法少女なんてワード、あまりにもファンシーすぎる。この場の空気に、まったくそぐわない。
だが、妙に納得してしまった。確かにこの動物の姿は、魔法少女のマスコットにはぴったりだろう。
「魔法少女とは、希望を振りまく存在。この世に呪いを齎している魔女と戦う使命を持った存在のことさ」
聞けば聞くたびに、まるでアニメの中の話のように思えた。いまいち現実味が薄い。
しかし話を聞く限り、どうやら魔法少女とはとても凄い存在らしい。そんな存在に自分がなれるなんて、とてもではないが信じられない。
「僕が、魔法少女?そんな、まさか……。僕なんて、どうせ何をやったって駄目なんだよ?僕にはなれっこない」
「僕は嘘は言っていないよ。君は魔法少女の素質を持っている。それもとても優れたね。……正直、ミズハよりも君の方が才能は上だね」
「ッ……!?」
動物からミズハの名前が出たことに、結は激しく戸惑う。
何故、この動物はミズハのことを知っているのだろう。そんなこと、あり得る訳がない。
思わず結は、白い獣に近寄って質問する。
「……ど、どうしてミズハのことを知っているの!?」
「彼女が僕と契約した魔法少女だからさ」
「あの子が……?」
その返答が、またとても予想外な答えで、結の頭の中はこんがらがった。
つまり、ミズハはこの動物に会って、そして願いを叶えてもらっていた?
一体いつ?何処で?いつの間にこんなのと?
(ミズハが、魔法少女……?)
白い獣の存在以上に、上手くミズハが魔法少女だということを認められない。
だが、動物は嘘をついているように見えなかった。そう思う決定的な根拠はなかったが、何となく直感でそんな気がした。
「じゃ、じゃあ、ミズハは……、魔法とか使えたりしたっていうの?……それで手がかりがなかったとか……」
「確かに魔法を用いれば、そのくらい造作もないだろうね。だけどミズハはそんなことしてないよ」
「その言い方……。やっぱり真実を知っているんだね。……じゃあ教えてよ。あの子はどうなったの?」
すると彼はすぐに、単調な言葉で答えた。
「死んだよ」
「………………………………は?」
意味が、分からなかった。何を、言っているんだろう。
心の窓の外から、ザワり、と風が動く音がかすかに聞こえた。
◆◇◆◇
“死”は、結の世界に今までないものだった。
祖父母は健在だし、親だって元気。もちろん友人が事故にあって死にました、なんてこともなかった。
だからこそ、“死”に対して何処かリアリティがなかった。ニュースで誰かが死んでも、他人事のように感じられた。
でもミズハが“死んで”、初めて死に目を向けた。そして、初めて結は“死”が何なのか分かった。
死とは、永遠にこの世から消えることを指す。死んだら、すべてが無意味になるのだ。
結は“死”を理解して、初めてこの衝動が何であるのか自覚した。自覚した以上、渇望する何かの正体も分かる。
それは、何かのモノを壊したいという気持ちだった。何もかをもぐちゃぐちゃにしたいという暴力的な感情だった。
……明らかに、とても危険で嫌悪感を催す衝動だった。だが、衝動は結の中で激しく暴れ、その存在を主張し、悪魔のように甘美な言葉を耳元で囁くのだ。
ずっとずっと、この衝動に従えば幸せになれると信じていたのだろう?やっと分かったのだ。なら、我慢する必要なんてない。ようやく、夢を叶えられる。もう諦めなくていい。
数日の間、結は必死に衝動を我慢した。
しかし、もはや頭から大事なものは欠落していた。そして結はそのことを思い出そうとすることもなく、綺麗に忘れ去った。
どうしようもなく、感情が止められない。
今まで分からなかった分、彼女は我慢してきた。ずっと、ずっと、ずっと。だが今、もうその必要などなく、彼女の理性は本能に支配された。
◆◇◆◇
キュゥべえと名乗った、あの白い獣が来た時と同じような、赤い色をした三日月。今宵も、それが夜空に浮かんでいる。
結は自室の窓を開け放つと、片手で月を掴む仕草をしてみせる。そして、すっぽり手で隠れたのを確認すると、ニタリと異形の笑みを浮かべた。
気分が今までにない程高揚している。今なら、どんなことでも出来そうな気がした。
結は机の上に置いていた、鈍く光る包丁を手に取る。見つからないように、台所から持ってきたものだ。
刃を三日月の光に照らすと、より恍惚としてしまう。
これを自分の腕に振り下ろせば、どんな綺麗なものが見られるんだろう。
……壊すなら、まずは自分からだ。じゃないと、大変なことになる。だって今の結は──
「……!!」
その時、かたんと襖の向こうから音がした。結はすぐに反応すると襖を開け、そこに座るミアを見つめた。
……そういえば最近、遠ざけているにも関わらず、ミアは結の元によく来てくれるようになった。今日も、同じように甘えに来てくれたのだろうか。
(………)
結は手の中の包丁と、ミアを見比べる。瞬間、脳内で真っ赤なイメージが浮かび、興奮が湧き上がった。
呼吸が荒くなり、心臓の音がうるさくなる。けれど顔に浮かぶのは、醜悪な笑み。
思考が、塗り潰されていく。そして最後の、一本の拙い拙い理性の糸が、ぷつん、と切れた。
ガッっと、結は“獲物”を掴んだ。当然激しく暴れるが、結はそれすらも愛おしく思う。
捕まえたまま窓から裸足で庭に降り立つと、“獲物”の口元を防いで、家の外へ飛び出す。
幸いと言って良いのか、車も周りの人影もなく、引かれることなく道路を横断する。途中で見つけた茂みの中を通り、誰もいない空き地へ辿り着くと、結は“獲物”を地面に抑えつけた。
抜け出そうと“獲物”がもがき、手に爪を立てられる。
その痛みは、麻薬のように結に快感を与えた。傷から流れ出る血液も、まるでワインのように見えた。
「アハハ……」
包丁をゆっくりと、高く高く掲げる。そして次には、その胴体めがけて振り下ろした。
刺した感触と、絶叫。鮮血が咲いて、愉悦が広かっていく。
「アハ……アハハハハ、」
刺した、刺した、刺した!!壊した、壊した、壊した!この、広実結の手で!!
壊れている様が、実に美しい。壊れる刹那が、目に焼き付いて離れない!!
ああ、一緒に、世界と滅びたい。一緒に、世界と消えたい。こんな世の中、何もかもめちゃくちゃになってしまえ!!
「アハ……、アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!! アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
笑い声をあげる。嬉しくて、嬉しくて、あまりにも楽しくて、充実感があって、恍惚として、ぞくぞくとして、目の奥が熱くなった。
何度も何度も、包丁をめちゃくちゃに“獲物”に振り下ろす。そのたびに感じる、肉を切り裂く感覚が堪らない。加虐的な彼女は、紅をもっと見たくて、狂い咲く。原型を留めぬほどの、ぐちゃぐちゃになったものが醜く、美しく、おもしろい。
やがて、何時間時が経っただろう。
気がつけば、“獲物”の息は無くなっていた。その姿も、無残なものになっている。
臓器を撒き散らせ、あらゆる部位が血の海の上でバラバラとなって転がっている。
これが元々元気に走り回っていた猫だと、結も思えなかった。それでも確かめるように、しゃがんでその体に触れる。
「……僕は、何を……」
頭が、この時になってようやくクリアになっていく。結は包丁を見て、真っ赤に染まった全身にも視線を移す。そして最後に猫の惨殺死体を見ると、呆然とした。
(……何これ。誰がこんなことを?)
……そんなの、分かりきっている。これをやったのは、結だ。
つまり、“ミア”を殺したの結だ。
「フフフ………、アハハハ………」
力なく結は笑った。手から包丁が滑り落ちる。
不思議な感覚だった。愉快なのに、胸の内から悲しみが込み上げてくる。絶望で心が彩られているのに、意味不明なくらいに馬鹿馬鹿しい。
幼い頃からやりたかったことが、こんなに残忍なことなのか。抱いていた夢は、未来は、暖かくて輝きに満ちたものではなかったのか?
確かに、今までにないくらい楽しくて、最高に自分が生きている感じがした。
でも、これは望んでいたものではない。こんなことを、したかった訳じゃない。幼い頃から見ていた夢と、全然違う。
……結はふと、飼い猫から目を逸らす。それ以上、何も見ていたくなかったからだ。
だが、結の視線の先には既に別のものがいた。それは白い毛皮の獣。赤い目をした魔法の使者。
「広実結。まさか君の呪いは……」
すぐさま包丁を掴むと、腕を振り下ろす。するとあの白い獣が、悲鳴一つあげずに絶命した。
結は瞳から雫を零しながら、ニタァ、と口を裂けさせた。
これで、この白い獣も壊れた。
「……会って早々、殺さないでくれるかな」
「!?」
殺したはずなのに、また声が聞こえてくる。驚いて辺りを見渡すと、まったく同じ姿をした獣が、こちらに歩いてくるのが見えた。
信じられなくて、結は少し目を見開いた。
「代わりがあるとはいえ、もったいないじゃないか」
「……君、不死身なんだね」
「ちょっと違うね。僕達の本体は別にあるんだ。これは端末に過ぎない。確かに君達からすれば、そう見えても不思議ではないけど」
「ふーん。でも、……それじゃあ壊し放題ってことだよね。アハ……」
「無闇に殺さないでくれるかな。代わりは無限ではないんだ」
動物はあたかも困ったように言う。それがいちいち偽物臭く感じられる。
「……そういえば君の名前って何だったけ?」
「キュゥべえだよ」
「キュゥべえ……」
不思議な名前だ。呟けば、まるで神に対する信仰心のようなものが湧いてくる。
だが、同時に悪魔に対する嫌悪感のようなものを感じる。
「ねえ、キュゥべえ。僕が願えば、どんな奇跡も起こせるんだよね?」
「もちろんさ。さあ、……君の願いを言ってごらん」
「僕の願いは……」
結は闇夜に浮かぶ赤い目に、手を伸ばす。その様は、何かに縋り付くように見えた。
ごくりと息を飲み込むと、結は少し黙る。そして意を決したように、自身の願いを口にする。
「ミアちゃんを、生き返らせて欲しい」
瞬間、胸に痛みが走り、何かが抜き出ると共に光となった。それは緑色に強く輝き、辺りを真昼のように照らし出す。結はその光を抑え込むように、両手で包み込んだ。
「おめでとう。君も今日から魔法少女だ」
力が溢れて、陶酔する。結は気持ち良さのあまり、うっとりとした表情を浮かべた。