縄張り争いは、約三ヶ月に渡って繰り広げられた。
結は入理乃達のグリーフシードを奪い、時には深い傷を負わせた。入理乃達もまた、仕返しとばかりに結から魔女を取り上げ、その活動を妨害した。
争う中で、結は残存魔力を活用するようになった。
元々その存在はキュゥべえから聞かされていたが、入理乃が残存魔力を使って罠を仕掛けたことから、結も色々と何か出来ないか研究するようになったのだ。
その魔力は、何故か結と抜群に相性が良かった。鉈を媒介にすれば、自分の魔力だけでは足りない、規模の大きい魔法だって使えた。例えば、大きな結界を張って魔女を閉じ込めたり、入理乃と同じように罠を張ったり。
それはつまり、残存魔力がある土地を有すれば、その分だけ大きな力を手に入れるということだ。
だから縄張り争いは、グリーフシードの奪い合いだけでなく、残存魔力がある土地の奪い合いもあった。次第に戦いの場は路地裏などといった場所から、古い神社跡地に移っていった。
それが結には、とても奇妙に思えた。あれほど龍神信仰を嫌っていたのに、神社を手中に収めようと躍起になっているのだ。これではまるで、熱心な信仰者のよう。相手も同じように神社を手に入れようとしていて、実に滑稽だった。
そのせいか、結はどんどん魔女を壊すことにのめり込んでいった。それに伴い、結はやるべきことを半ば放棄した。
例えば学校には行っていたが、受験勉強は完全に止めていた。毎日毎日家を飛び出しては、夜間に徘徊を繰り返り返し、不良みたいに悪ぶったことさえあった。
すべて魔法で隠していたので、学校や両親にばれることはなかった。まあ、ばれていたとしても、無視していただろうが。
今となってよくよく考えてみれば、ただの現実避難だった。
縄張りを奪おうと暴れている広実結は、傍若無人。入理乃達のような、幼い子供を傷つけるろくでなし。まるで狂人そのもの。
それを自覚したくなかった。自分を必死に正常だと言い聞かせて、何も考えないように、何かをし続けた。
それでも衝動は、まるで呪いのように常にある。
気がおかしくなりそうだった。いや、既におかしくなっていた。
もうとっくに、結は運命の歯車に沿って、狂っていた。
しかしそれはある意味、結にとっては救いだったかもしれない。おかげで辛うじて絶望せずに済んでいるのだから。
狂気がなくなった時、結は──
◆◇◆◇
夕焼は沈もうとしている。それを、僅かに忌々しく思った。
この朱色を見ていると、昔の記憶が思い起こされる。その記憶は大切なものかもしれないが、捨て去りたいものでもある。だからそのことを考えると、どうしても苦々しく思ってしまう。
「……でもまあ、今更よね」
独り言を呟いて、気分を切り替える。今から、“あいつ”を呼び出すのだ。こんな顔じゃあ、何か言われるに決まっている。
入理乃は、今いる公園を見渡す。
この時間帯だからか、誰もいない。そもそも、この公園は随分と昔から忘れ去られているのだが。
「出てきなさい、インキュベーター」
ブランコに座り、虚空へ向かって呼びかける。すると、すぐに視界の端からあの白い獣がやってきた。そして彼は何も悪びれることなく、淡々とした感じで入理乃へ問う。
「君が自分から僕を呼び出すなんてね。何か僕に聞きたいことがあるのかい?」
「ええ。勿論そうに決まってるでしょ」
冷たい声を出す。
けれど、無駄。キュゥべえは顔色一つ変えない。
やはり、本人の言う通り、こいつには感情が備わっていないのだ。だから、罪悪感なんて持つはずがない。
「その口調……」
予想通り、言葉遣いに反応してくる。キュゥべえは首を僅かに傾け、あたかも興味深そうな仕草をした。
「入理乃、以前はもっと違う喋り方をしていなかったかい?それは、ミズハの真似──」
「もう違うわ」
きっぱりと言い切る。
最初は、確かにミズハの物真似だった。だが、この口調を日常会話でも、思考でも無理やりしていたのだ。一ヶ月もすれば、完全に素になってしまっていた。
……だから入理乃が喋る言葉は、ミズハを真似た言葉ではない。入理乃の意思による、入理乃の言葉だ。
「だとしても、ミズハの真似を君がするなんてね。……よっぽど彼女の魔女化に何か思うところがあったんだね」
「……」
そう言われても、自分でもよく分からない。
もしかしたら、夏音の影響かもしれない。彼女は兄の真似をすれば、兄に近づけるとよく喋っていた。
それと同じように、入理乃もミズハの口調を真似ることでミズハに近づことしたのだろうか。
そこまで考えたところで、入理乃は心の中で首を振った。
……ミズハの口調を真似たのは、恐らく戒めのためだ。ミズハの真実は入理乃だけしか知らない。そして魔法少女の真実もまた、入理乃しか知らない。それを自覚して忘れないように、ミズハの口調を真似たのだ。そうすれば自然と、ミズハのことを意識するから。
「……貴方、結と契約したのは何で?」
気を取り直して質問する。だが言った途端、大声で罵りたい気分に襲われた。
彼女はそれをどうにか押さえつける。ここで怒鳴っても、しょうがない。
「隠さず、正直に話して。私はあらかた、予想はついている」
そしてそれは多分、外れていない。入理乃は頭が良い。他の人間よりもずっとずっと。だから、致命的なことまで外さない。外したことなんてない。
キュゥべえはしばらく無言になる。本当のことを言うか、考えでもしているのだろう。
「君達の魔女化を狙ったんだよ」
やがてキュゥべえは答える。その内容は、最悪のものだった。
「……お前って、本当に悪魔そのものよね」
思った通り、インキュベーターはソウルジェムの穢れるスピードをより加速させ、いずれ誰かがミズハに次ぐ第二の魔女になるよう計画を企てていたのだ。
入理乃、サチ、結は皆、ミズハのことで少なくとも精神的にダメージを負っていた。そして結を魔法少女にすれば、グリーフシードの争いは確実に起き、魔力消費も増大する。
……まったく、ろくでもないことを考える。流石は
「……ふふ、残念ね」
「……どういうことだい?」
「お前の企みが、無駄ってこと」
インキュベーターの計画なんて、結をどうにかすれば阻止できる。
そして今夜で、結は早島から排除されることとなる。だから、魔女化なんて起きるわけがない。もし魔女化するとしたら、それはグリーフシードの入手ルートを失う結だけの話だろう。
「まさか……」
「そういうことよ」
無表情だったが、内心ほくそ笑む。キュゥべえの反応が、実に心地良い。
ざまあないな、と思う。キュゥべえが悔しがることはないけれど、その企みを邪魔出来ただけで、少しやり返せたような気持ちになる。
「そういうわけで、もうその手には引っかからない。……言いたいことはそれだけよ。死ね」
刹那、風を切り裂く、ひゅ、という軽い音がした。その次の瞬間、キュゥべえが血を流し、がくりと倒れる。その体にはいつの間にか、白くて硬い四角形が刺さっていた。
入理乃が素早く、見えない速度で硬化させた紙を投げたのだ。
彼女はブランコから立ち上がると、キュゥべえにぺっと唾を吐き捨てた。
「……私は敵を許さない。容赦しない。いつかお前も、私の世界から排除してやる」
◆◇◆◇
夜の町の中を、ふらふら歩いた。その途中で、人混みに紛れ込む。
湖面に浮き、風に翻弄される木の葉のように、人にぶつかっては流されていく。しまいには人混みから弾かれて、尻餅をついた。だが、それに手を差し伸べてくれる者はいない。誰も見えていないように、あるいは見ないふりして、通り過ぎていく。
「…………。アハハ」
おかしくて、嗤う。微笑う。
笑みを仮面みたいに顔に貼り付けたまま、結は立ち上がる。
手のひらにソウルジェムを乗せて歩き、魔力を探知。
しばらくすると、突然宝石がちかちかと光り出す。すぐ近くに、魔女が出現したのだ。
「ハハハハハハ」
笑い語を漏らす。変な風に周りから見られたが、気にしない。
上機嫌に魔力を追って、導かれるように既に閉まったスーパーに行く。魔力を確認すれば、思った通り先程感知した魔女のものだった。
だが何故か、その正面ドアには既に魔女の紋章が浮かんでいる。つまり、誰かが結界への入り口を開けたのだ。
「……?アハハハハハハ、関係ないアハハハハハハハハハハ」
一瞬疑問に思ったものの、結は笑う。余計な思考なんて、したくなかった。
迷わずメイド服に変身して、結界に入る。
途端、結界の背景が後方へ伸びて、別の背景へ変わった。そして一秒を数える間も無く、また同じように景色が後方へ流れ、見知らぬ世界へ入れ替わっていく。
まるで絵本のページを捲るみたいに、次々に背景が歪んで、異なる背景へ切り替わっていく。
その度に、おどろおどろしい気配が強くなっていった。どうやら入った瞬間、魔女に気づかれたらしい。こうして背景が変わっていっているのは、階層を強制的に跨がされているからだ。結は最深部へ向けて、誘われているに違いない。
やがて、背景の切り替わりが終わる。
そこは、見事な内装だった。天井には煌びやかなシャンデリアがあり、床には豪奢な家具の数々が並べられていた。その中央には大きな天蓋付きのベットが備え付けられており、そのカーテンは完全に閉められている。
だからか、その場所だけかなり違和感を覚えた。不思議に思って、不用心に近づいていく。
そして二メートル弱まで近づいたところで──カーテンの奥からジャコ、という無骨な音が聞こえた。
それを認識した途端、発砲音が響く。カーテンの内側から銃弾が飛び出し、右腕の付け根に当たった。
思わずよろめく。
そこへ、カーテンが開かれて飛び出した人影が、手にした長銃で結を横から殴りつけた。体が吹っとび、家具の一つにぶつかって止まる。その衝撃で、カハ、と息が漏れた。
「入理乃!!」
人影──セーラー服の魔法少女、船花サチが叫ぶ。
それに合わせ、上から紙の帯が降ってくる。それはぐるぐると結に巻き付き、きつく縛り上げる。
僅かに仰ぐと、家具の上には着物姿の魔法少女、阿岡入理乃がいた。その手には、結を拘束している紙の帯が握られている。
入理乃はすとりと家具から降りると、逃げられぬよう結の上に乗って、彼女を床に押さえつけた。普段ならば退けられるだろうが、縛られている以上、それは叶わない。
「……意外とあっさり」
少し驚いたように、入理乃は呟く。そしてしばらくの間、信じられないような顔をしていたものの、ゆっくりと満面の笑みを浮かべる。
「……でも、あの時とは逆に、お前が船花ちゃんにしたことをやり返せてる。……ふふふ、ざまあみやがれ」
サチに気づかれないためにか、小さく控え目に入理乃は笑う。だがそ
れは勝利に酔いしれている声で、明らかにこちらを嘲ったものだった。
「……」
にもかかわらず、結は口の端を持ち上げる。そして、そこから一切他の表情に変えない。
……もう結は、魔女以外のことしか考えていなかったのだ。だから、いくら馬鹿にされようと、何も思わない。反応しない。
「……魔女。魔女魔女魔女魔女……」
結は笑って、魔女魔女魔女、と譫言のように言い続けた。
早く早く、魔女を壊さなきゃという気持ちでいっぱいだった。湧き上がる衝動に心が支配されて、思考は完全に凍結されている。
抵抗できないことも認識できなくて、結はもがき続ける。魔女の元に、一ミリでいいから近づきたかった。
「……っ」
そんな結が気に入らなかったのか、入理乃は笑うのを止めた。そして納得できない様子で、結を睨み続けた。
「お前はどこまで……」
恨み節を吐き捨てる。そこには、彼女の中で暴れ、渦巻いているであろう感情がすべて込められているようだった。
「入理乃……」
側にやってきたサチが、心配そうに入理乃の顔を覗き込む。入理乃はそれにはっとし、一瞬だけ瞳を揺らした。何か言おうとしたのか、口を開きかける。しかし、首を振ると、
「私は……、大丈夫」
「けどよぉ……」
結を見下ろすと、サチはどうすればいいのか分からないといった表情になった。
それもその筈だ。
結の状態は普通ではない。そんな異常なもの前にしたら、誰だってそんな顔にもなる。
「大丈夫……。だから……」
「……任せてってことね。分かったよ……」
しょうがない、とサチは肯首する。入理乃は少しだけ嬉しそうに微笑すると、すぐに真剣な顔つきになった。
「……結」
入理乃が呼びかける。勿論、結の耳には届かない。
彼女は、はあ、とため息をつく。そして面倒臭そうに、紙の帯を握っていない方の手で、袖口からあるものを取り出す。
(……!?)
眼前に現れたそれに、結は目を奪われ、一瞬のうちに釘付けになってしまった。魔女、魔女と連呼するのさえ忘れてしまう。
何故なら入理乃の手にあるものは──魔女の卵、グリーフシードだったからだ。
正確にはグリーフシードが加工がされたもの、といった方が正しいか。その先端の両方にはどちらとも白い紙に覆われており、中心部はくり抜かれていた。
入理乃は自分が持っているものを、結がちゃんと見ていることを確認すると、静かに告げた。
「……この結界に、魔女はいない」
「……魔女……、いない……?」
あり得ないと、戸惑ってしまう。
だって、ここはどう見ても魔女の結界だ。それに感知した魔力は、確かに魔女のもので──
「……詳しくは忘れたけど、“これ”はな、魔女を孵化させずに魔女の結界を張れるっつー便利なもんなんだ。まあ、その代わり使い切りなんだけどね」
サチが入理乃が持つ、黒い球状のものを指指しながら説明する。
ほらとでも言うように、入理乃はそれを結に突き出すと、握ってヒビを入れてみせた。
すると結界が消え、夜のスーパーへと世界が戻る。
結は目を見開いて、周りをきょろきょろと見渡した。当然、魔力反応も、消えてなくなった。
「……元はグリーフシードよ。結界の魔力反応も、……元のグリーフシード──魔女のものになる。……勿論、少しは違うけど。でも……貴女なら、引っかかってくれる……。魔女を目の前にすれば、私達への注意も鈍くなるし」
大変だったよな、この三ヶ月間、とペラペラとサチが話し出す。
曰く、使い魔とか魔女が出ないように細工するのが大変だった。しかも結は残存魔力のあるところしか現れず、また残存魔力でパワーアップするから、それ以外で捕獲しなければならなかった。それで行動圏内を調べるのにかなり時間もかかった。“これ”が完成するまでの間、残存魔力がある土地とられねえようにしなければならないのが、一番辛かった。
懇切丁寧な説明だった。こうして捕らえた以上、どうしてこうなったかの答えを教えてあげているのだろう。
そうして一頻り喋った後で、数分沈黙すると、
「……お前は私達に負けたんだ。大人しく、奪った縄張りを私達に返せ」
若干苦しげに銃を結の眉間に押し当てた。
「……」
結はぽかんとした表情になった。
サチが説明してくれたのに、今の自分の状態がよく分からなかったのだ。
だから、サチが言った言葉を復唱してみる。
「……負け」
自分が負けた?
……もしかして、こうして縛られて銃口を向けられているのはそのせい?
しかしそれこそ、おかしい。どうして結なんかが、こんな簡単に負けなければいけない。
それに負けちゃったら、もう好き勝手出来なくなるではないか。縄張りを失えば、当然魔女も壊せなくなる。
(……あれ?あれ、あれ、あれ?)
おかしいことに、内から何か熱いものが込み上げてきた。それは胸のところに集まって、心臓を締め付ける。
その感情を止めようと、いつものように笑った。だけれども、全然止まってくれない。更におかしくなって、結はげらげら笑った。
「……何がそんなにおかしいんだよ」
サチが暗い表情で俯いた。こんな状況で笑っているのが、未だに彼女には解せないようだった。
「……もう笑わないでよ。気分が悪くなってくる」
入理乃がぼそりと呟く。そして、行き場のない苛立ちをどうしたら良いんだとでも言いたげに、憎々しげに奥歯を噛み締めた。
「……ねえ、一つだけ聞かせて……」
「アハハハハハハハハハハハハ。………………」
笑うのも疲れてきた頃、入理乃がそう聞いてきた。その声に、ちょっとだけ耳を傾ける。
「結……。どうして、貴女は私達の縄張りを奪おうとしたの?……何か理由があるんでしょう?」
そう言われて、どうしてだっけ、とぼんやり考える。
きっかけが思い出せない。……いや、思い出せるけど、思い出しくない。
でも、どうして思い出したくないんだろう。
「もしかして……、ミズハさんのせいなの?」
「……?」
首を傾げた。ミズハ、なんて覚えがない名前だったからだ。
(……そうだっけ?)
けど、本当は知っていたような気がする。ずっとずっと昔から……、いつもその名を呼んでいたような気がする。
「ミズハ……」
愛おしくなる響きだった。魔女、魔女、と連呼する代わりに、ミズハ、ミズハ、と心の中で繰り返した。
……ずき、と頭が痛む。その時、“ミズハ”の顔が脳裏に浮かんだ。
「あ……」
結は青ざめた。
……自分がやってきたすべてのことを、ミズハのことを思い出したのだ。
それと同時に、心底ぞっとした。大切な従姉妹を、今まであろうことか忘れていた。そんな自分が、とても恐ろしかった。
ようやく、狂気が薄れて正気に戻っていく。結はしっかりと現状を把握し──残酷な現実をも、把握してしまった。
「あ、ああああああああ、あああああああああ!!!!」
黒い絶望が心を襲った。
自分の罪を、今こそはっきりと自覚する。その罪の重さに耐え切れる訳もない。泣きながら、言葉にならない叫びを上げた。
「な、何だ一体……」
何が何だか分からない、とサチは怖がる様に顔を引きつらせた。
一方の入理乃はぎょっとした様子で、慌てたように袖口からグリーフシードを取り出す。
そしてすぐに結の体から離れ、彼女の太ももにある宝石──穢れがかなり溜まったソウルジェムへと押し当てて浄化した。
その時、紙の帯が弛む。急いでいたあまり、うっかり帯を手放してしまったのだ。
「……ま、まず!!」
はっとして入理乃がそれを再び握ろうとするが、もう遅かった。結は起き上がる反動で銃口を押し、サチに尻餅を着かせる。入理乃が飛びかかるも、その頃には紙の帯は解けていた。入理乃を容易くかわすと、結はその場から走り出した。
「待て!!」
後ろから入理乃達が追いかける。だが、その足の速さは結に軍配が上がっていた。
どんどん距離を離し、結は暗闇の町へ溶け込んだ。