魔法少女かのん☆マギカ   作:鐘餅

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長い間お待たせしました。


自分を愛して

 夢を、見ていた。

 すべての始まりの夢を。

 

 ある少女が泣いていた。ある少女が何度も犠牲になっていた。

 少女は人柱として捧げられ、勝手に神様として奉られていたのだ。

 その結果すべての絶望を負わされ、宇宙の彼方で一人ぼっちに泣いていた。

 

 ただ、特別になりたいと願っただけなのに。

 

 ──その少女は、どこまでも哀れで愚かだった。

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 初めて(・・・)見たのは、真っ暗な世界だった。

 

 辺り一面、闇だけ。

 光という光は一切なく。色という色もなく。方角も重力も感覚も何もかもが曖昧で、嗅覚も視覚も聴覚するも働いているのか怪しい。

 だから、自分が曖昧だった。自分とこの闇との間に差はなく、自分と闇を隔てる思考すらなく、むしろ闇こそが自分と言っても良かった。

 

 闇はまさに、ゆりかごのようであった。

 無垢な自分の魂を両手で抱きしめ、大事に大事に汚い世界から守ってくれた。

 ふわふわした微睡は、いつまでもいつまでもそうしていたいと思えるくらい心地が良い。

 

 そんな状態で、一体何百、何千年時を過ごしたのだろう。

 ある時唐突に、脳内に声が響いた。

 それが“彼女”の──××××の意識が明確になった瞬間。闇と自分が分離した瞬間だった。

 

「……起きて。起きなさい。貴女はもう、起きなきゃいけないんだよ」

 

 両目の目蓋をゆっくりと開く。すると闇が少し晴れて、目の前の人影を“視覚”がとらえた。

 

 それは大人びた顔立ちの、背が高い少女だった。

 瞳に何か達観したかのような冷たさを宿し、長い橙色の髪を横に結んで流している。

 全身を覆っているのは黒を基調とした衣装で、下半身を隠しているのが前垂れのみという大分ハレンチな格好である。

 被っている帽子には菊の花飾りがつけられ、その黄色の色彩がやけに目についた。

 

 彼女を見て最初に思ったのは、見慣れている、だった。

 自分はこの少女に、既視感を持っている。

 そう、その髪も。目も。格好も。全部全部、知っている。

 

 しかし、同時に違和感もあった。何か、何か違うような気がする。

 例えば、髪型だ。彼女は、確か橙色の髪をツーサイドアップにしていた。その大人びた顔立ちが嫌いで、だからせめて髪型だけは幼いものにしていた。

 それに、ここまで背が高かっただろうか?そりゃあ同年代より少し背は高かったが、それも百六十いくかいかないかぐらいで、決して百六十六センチもなかった。

 

「あれ?」

 

 そこで疑問に思う。何で自分は、この少女の身長がはっきりと“百六十六”だと断定できたのか。

 目見当だと、〜くらい、とかいう言葉を使うはずだ。知っているからといっても、だからってどうして他人の身長をはっきり覚えている。彼女と自分は、そこまでの仲だっただろうか?

 

 ──仲も何も、そんなの“自分”で“自分”を測ったんだから、知っていて当然じゃあないか。

 

「あ……、……」

 

 そう考えて、気がつく。

 自分の目線と、少女の目線の高さが同じことに。

 肩に乗る長い髪の毛を触る。それは橙色をしており、横に結ばれていた。

 よく見ると、自分が着ている服も少女と同一のデザインである。

 

 つまり──眼前にいるこの背が高い少女は、“自分”だ。

 

 頭の中で、ある姿が思い浮かぶ。

 それは、橙色の髪をツーサイドアップにし、身長が百六十前後の、中学校の制服を来た“自分”の姿だった。

 その姿が、段々と“二年”という歳月を重ねていき、成長していく。

 それが、目の前の少女になった。

 

 ……同時に、少女に感じていた違和感が急激になくなっていく。むしろ、“二年前”の姿である方に違和感が出てくるほどに、その姿はしっくりきていた。

 

「……二年前の自分を、ちゃんと殺した?」

 

 少女が、平坦な声で聞く。××××は一瞬だけそれを不快そうに顔を歪めると、

 

「……その意味は分からないけど、自分のイメージを二年前から二年後には切り替えはした。けど、どうして私が目の前にいるの?」

 

 ドッペルゲンガーじゃあるまいし、自分が二人いるなどおかしいではないか。

 まさに異常事態である。

 ていうか、そもそもここはどこだ。どうしてこんな場所にいるのだ?

 

 何故、何故、何故?

 疑問ばかりが増えていく。正直この現状に、混乱しかない。

 

「……もしかして、自分が何なのか分かっていないの?普通生まれた時から、役割を自覚しているはずなのに」

「役割……?自覚……?」

 

 言っている意味がわからず、××は更に困惑。首を傾げるしかない。

 するとその様子に呆れ果てたのか、目の前の“自分”は物凄く嫌そうにしかめっ面をして、とてもとても大きな溜息を吐いた。

 

「うわー……。そこで戸惑うとか意味わかんね〜。我ながら何でこんなボンクラなんだよ。ここまで間抜け面だと腹がたってくるわ」

「よく言うなあ。間抜け面は貴女もでしょ?私の顔と貴女の顔は同じなのだし」

「……そのすぐ煽る癖。太々しい態度。うん。どうやら精神年齢はともかく、性格については“私”らしい」

 

 悪口を言いながら、何かを納得する“自分”。

 何か釈然としないというか、不愉快である。少女を半目で見ながら、××はそう思う。

 しかし××の視線を少女は気にせず、両手をぱちんと叩いた。

 

「……よし。じゃあ、基本的なプロフィールから、自分のことを話してみて」

「何でそんなことを……」

「これは大事なことなんだよ。貴女にとっても私にとっても」

 

 そう言うと、少女の瞳の中でどす黒くて鈍い光が蠢いた。

 ××は、“自分”はこんなにも絶望していたのだろうか、と恐怖する。

 あれは狂気そのものである。何かを異常なほど執着し、欲している醜い欲望が、少女の全身から発露している。

 

 これは自分のことを言わねば不味い。渋々としながら、××は自分のことを話していく。

 

「……私は……、私は、菊名夏音。正確なところは分からないけど、多分十六才。魔法少女。

 出身地は……、恐らく早島。

 高校には通っていない。本当は通いたくて仕方がなかったけど、通えなかった。

 身長、百六十六センチ。前は皆と同じだったのに、私だけが伸びた。私だけが、二年間時間がずれた。

 家族構成は……、母さんと父さんと、それから──兄さん」

 

 兄さん、と呟いた瞬間、××は苦々しい表情を浮かべる。

 

 兄に対して、××は複雑な感情を抱いていた。それはもはや愛憎といってもいいくらい、強く強く絡み合っている。

 

 兄は、生まれた時からすべてだった。

 色んなことを教えてくれたのも兄だったし、遊んでくれたのも兄だった。

 兄は××の第三の親で、憧れで、なんでも出来て、かっこよかった。

 しかし──だからこそ、幼い頃から兄と無意識のうちに比べてしまう。

 

 何故兄は出来るのに、自分は出来ないのか。

 何故兄は特別なのに、自分はそうではないのか。

 

 その能力差に憤慨し、失望し、諦観し、最終的には憎悪した。

 

 だってだってだってだって、能力的に劣った人間は、ただそれだけで負けているじゃあないか。

 誰もが優れている方を見る。力があるものに従う。人格に魅力がある人についていく。

 自分には何もない。何も。ただ周りを真似るだけの塵芥。その本質は、惨めで馬鹿で愚鈍な凡人なのだ。

 だから××には価値などない。××の存在意義は、何処にもない。

 

 ……別に兄がいなければいい、とは思わない。

 ただ、勝ちたい、見下したい、その特別という座から、引き摺り下ろしてやりたくてたまらなかった。

 

「……それは、兄さんだけじゃない。私は皆より上に立ちたくて、皆より特別になりたくて……、だから私は約二年も……」

 

 ──何をしていたんだっけ?

 

(あれ……?ちょっと待って……?私は……、“私”は何を──)

 

 思い出せない。思い出せない。思い出せない。

 記憶はある。今まで何をしてきて、今までどんな思いをしてきたのかという記録は、この脳髄にちゃんと収まっている。

 でも、十四才から十六才にかけての“二年間”だけがごっそり抜け落ちている。

 

 それは奇妙な感覚だった。

 精神は十六として成熟しているのに、記憶だけは十四才で完結している。そのギャップの差がとてつもなく気持ち悪い。

 

「……貴女、ループの記憶がないのか。それに、どうやら十四才の時と十六才の時の“私”が中途半端に混ざった人格をしてるみたいだし。やっぱり、こんなバグまみれの私が貴女を作っちゃったから、自分が何なのか“自覚”ないんだね」

 

 少女は可愛そうな目を××に向ける。

 完全に××の存在自体を馬鹿にして見下していた。

 

 流石の××××もその態度に腹を立てる。何故よりにもよって“自分”からそんなふうに見られなければならない。

 いや、そもそも、

 

「貴女本当に私?私なんですか?魔法か何かで私のふりしてんじゃないんですか?」

 

 バグまみれだの作っただの、こんな訳の分からないことをペラペラ喋る人物が、××××のわけがない。

 これが××ならば、もっと××が分かるように説明してくれるはずだ。

 きっと、この少女は××をこんな変な場所に拐い、××の姿をしてこちらをおちょっくているに違いないのだ。

 そうじゃなきゃ、この状況が理解できない。

 

「私のくせに鋭いじゃないか」

 

 少女は相変わらず、××の神経を逆撫でするような言い方をしてくる。

 一つ、彼女はまた溜息を吐いて、仕方がなさそうに答えた。

 

「……そう。私は、『私』であって“私”じゃないよ。故に私は『菊名夏音』であり、“菊名夏音”ではない」

「……菊名夏音であって、菊名夏音じゃない?じゃあ、貴女は誰なんです?まさか、同じ見た目で同じ名前の別人だとでもいうんですか?」

 

 ──そう言った瞬間。少女の唇が上がった。

 

 それは肯定の意味でそうしたようにも見えたし、反対に否定の意味なのかもしれなかった。

 ××には、その答えは分からない。分かろうはずもない。××は、少女の考えが一ミリも読めなかったから。

 

「そうだね。……まあ端的に言うと、私はある怪物が置いてったゼンマイ人形なんだよ」

「ゼ、ゼンマイ人形……?」

 

 ××はぽかんとし、訝しげに聞く。

 またこの少女は、訳の分からないことを言う。

 ゼンマイ人形?怪物?ちんぷんかんすぎて、考えてもまったく推論が出ない。

 

「うん。私、その怪物に作られた存在なの。歌を歌って怪物を慰めるのが私の存在意義であり、役割だった。それ以外何もなくて、何もできなかった。

 でも、今は違うの。私は置いていかれたことで自由になって、成長することが出来たんだよ。私は“私”に──怪物になれたんだ」

 

 うっとりと何かに耽溺し、赤く染まった頬に手をやる少女。その仕草は妙に艶かしく、その姿が自分だということもあって気味が悪い。

 全身から発露するあの絶望はより濃く深くなり、それを側で感じているだけでこちらがおかしくなりそうになる。

 

 ××××はますます目の前の“自分”との差異を感じ、全身が粟立つほど恐怖を感じていた。

 最早ここにとどまっていたくなかった。

 この少女は本人が言う通り、悍しい怪物だ。

 

 耐えきれず、××は絶叫にも似た怒声を放つ。

 

「貴女……、貴女何なんですか!?私の姿をして私を混乱させないで下さい!!貴女を見ているだけで、吐き気がします!!」

「ごめんね。それは無理な相談だよ。私は“私”を模するように“私”からデザインされているし。ていうか、私の姿をしないでって言ってるけど、それ逆だからね?私が貴女の姿をしているんじゃなくて、貴女が(・・・)私の姿をしているんだよ」

 

 少女はそう軽い口調で、××を指しながら指摘する。

 その刹那──世界がぐるりとまとめて反転するかのような、そんな衝撃が××に走った。

 

「……は?……嘘でしょ、まさか、そんな馬鹿なことが……」

 

 作っちゃったから。自覚。貴女が私の姿をしている──それらの言葉が意味するものが、頭の中で自然とある一つのことに結びついていく。

 

 そうして最悪の可能性に気がつき、全身が震えた。

 少女に感じたのとはまた別の根源的な恐怖が湧き上がり、××はその場に崩れ落ちる。

 

 こんなの認めたくない。あり得ない。

 ××××は正真正銘、本物だ。今まで生きてきた××××の記憶がそれを証明してくれている。それが嘘だというのなら、今いる自分は何だというのだ。

 

 ××は必死に頭を振って自身の考えを否定する。そうしなければ、とてもではないが××自体が文字通り無くなりそうだった。

 

 しかし、少女は容赦などしないとばかり、

 

「嘘じゃない。貴女は、私が作り出した私だけのゼンマイ人形だ。私には、最早私しかいないんだよ。私のために、これからは歌を歌ってもらう」

 

 とん、と、少女は××の額に人差し指を押しつけ、その指先に淡く白い光を灯した。

 同時に脳内で火花が散り、すざまじい勢いで映像が次々と流れていく。

 

 それは十四歳の自分が、十六歳になっていく過程の記憶であった。

 

 その中で××は、いくつもの絶望を見た。いくつもの嘆きを感じた。

 ××はそれを覆そうと必死になり、何度も何度も世界を渡り、時間を繰り返す。

 それは平坦な道のりではなく、世界を渡るたびにすべての人物に忘れられるという孤独が常に付き纏う地獄だった。

 おまけに、その身ひとつで世界を渡るために、自分だけが周囲と時間がずれていく。

 

 そのため、二年間で急に伸びた自分の背の高さが、いつの間にか強烈なコンプレックスになっていた。

 成長は、ループを積み重ねた時間を表す砂時計だったのだ。

 

 それと共に、手にできないものがどんどん増えていく。

 中学校はおろか、高校にすら通えない。

 友達もいない。家族もいない。当たり前の日常すらない。

 ないないづくしの二年間だった。

 

 そんな環境で、どのくらい発狂したか自分でも分からない。

 世界を渡る都度、不安定になり、自我が分裂していく。

 最終的には、自分と自分で会話をして孤独を慰め、自分の人形を作って遊んでいたくらいにはイカれた。

 “暁美ほむら”はよくループに耐えたものだ。あの魔法少女の精神構造は、どうにかしている。

 

 すべてをやり直したいと思って、その手段を問うた時、キュゥべえから聞かされた“暁美ほむら”の存在。

 彼女は過去を変えるべく、別の時間軸に旅立ったという。その願いで得た魔法で。

 

 ……十四歳の××は、その“暁美ほむら”の真似をし、彼女と同じ魔法を手にすることを選んだ。

 だが、所詮××は凡人である。何も為せず、無為な繰り返しばかりを行い、十六歳になるまでの二年間、何も積み上げられなかった。

 

 それでも××はループすることをやめなかった。

 何故なら、××はすべてを救うことで特別になって、周囲を見下したかったから。

 そして──

 

「              」

 

 ……××の口から、空白の言葉が漏れ出す。

 ××はガチガチとあまりの恐怖から歯を噛み鳴らした。白目を向いた目からは惨めったらしく涙が零れ落ち、その他にも口やら鼻やらからも体液を垂らした。

 

 ××の脳内で、さっきから同じ光景がフラッシュバックのように繰り返されている。

 それは、数ある××のループ中でも一際鮮烈な記憶──船花サチが魔女化し、その使い魔が船花久士を襲った光景だった。

 

 ××は、それをはっきりと覚えている。

 何せその出来事が、ループを始めたきっかけなのだから。

 

 深海のような結界の中。宙に浮かぶのは、サメのような顔をした巨大なガレー船。

 こちらに向かってくる、ピラニアのような使い魔。その顎が××を庇った船花久士の体に食らいつき、噛み砕き──

 

「あああ、あああああああああああああああ──」

 

 空白の言葉が、今度は意味のない掠れた叫び声となる。

 ××××は、たしかに××××だった。

 しかし、同時に××××は“××××”ではない。不完全な××××は正真正銘狂う前の××であり、一般人と同程度のメンタルだった。だから、その酷い記憶に押し潰される。

 

 それを見る少女は指を離して不自然な角度で首を傾ると、しばらくしてメソメソと泣きながら、嬉々としてその場でくるくる回り始めた。

 

「……何故そんなに叫ぶの?これが、“私”。これが貴女。これが、本当の記憶だというのに。理解ができないなあ。不思議だなあ。でも自分が何なのかは自覚したでしょう?自覚したよね?……え?なんて?うん、うん。自覚したよ。ありがとう。誠心誠意私のために歌うよ。気に入らないけどね?やったー、自覚したんだね!おめでとう!!なーんてうっさいバーカ!!あはははははは母者はじゃjkswぇぇwsーslslslーsーkfuxeoemrxeelfdxextsumemeーeーxtsuxtsuxtsuxtsuldddasshi !!」

 

 後半になるにつれて、ガラスを爪で引っ掻いたような、そんな耳障りな声となっていく。

 それと共に変化する少女の姿。

 黒い魔法少女服がどろりと溶け落ち、代わりに全身を露出の少ない喪服が覆っていき、ベールが顔に被さる。

 手には菊の造花が握られ、そしてその腕は──白い毛が生えた、巨大な猫の手に変貌しているのだ。

 

「怪物……」

 

 ××××は涙でぐしゃぐしゃになった視界でそれを捉え、呆然となる。

 そうして自分の手も見ると、少女と同じようにいつの間にか白い毛が生えた猫の手となっていて。

 

「は、はは……」

 

 乾いた笑い声を立てる。

 ××××は、自分があのピラニアの使い魔や目の前の少女と同じ存在だというのを、はっきりと“自覚”する。

 

 少女が言っていたことは正しい。××××は偽物だ。この記憶もこの考えもこの体もすべて、模倣、擬態、複製。

 ……皮肉な話だ。××はいつだって誰かの真似しかしてこなかった。自分が何一つなかったのだ。

 その結果、全部が全部、紛い物になってしまった。

 

 心が、絶望に喰われていく。救いがない。こんな××、誰も見ない。誰も、見つけてくれない。

 

 ああ、それでも××は──ループ中に何度も優しくしてくれた、あのメイド服の魔法少女に、どうしようもなく焦がれるのだった。

 

 

 

 

 

 

◆◇◆◇

 

 

 

 

 

 

 

「起きて。起きて下さい。貴女はもう、起きなければいけません」

 

 聞き覚えのある少女の声が、先程から自分に何度も何度も投げかけられた。

 それは酷く優しく、しかし何処か必死な声音で。

 だから、起きなければならない、と結は思った。自分を待ってくれているこの少女を、一人にしてはいけない、と。

 

 徐々に、意識がその輪郭を取り戻していく。結は寝そべっていた体制から重い体を起こし、数回目を開けては閉じたりを繰り返すと、すぐ側で座っている少女を見た。

 

「夏音、ちゃん……?」

 

 最後の方で疑問符をつけてしまったのは、彼女の雰囲気があまりに変わりすぎたせいだった。

 

 高い身長。黒い魔法少女服。オレンジ色の、横に結ばれた長い髪。

 見た目は、菊名夏音と相違ない。

 しかし、目が違う。

 そこには絶望の闇が禍々しく宿り、こうやって目を合わせているだけで寒気がしてくる。

 まるで、お菓子の魔女との戦闘中、いきなり現れた時の夏音と同じようである。

 

「君、一体どうしたの……?何でそんな……」

「記憶、思い出したんですよ。自分の正体ってやつを」

 

 静かに、無表情に答える。その振る舞いも一段と大人びたように思え、結は愕然とする。何より、その正体とやらに嫌なものを感じた。

 

「正体……?」

「ええ。私は、ある怪物を慰めるためだけに存在するゼンマイ人形。人格分裂した“私”が作り出した、自我のあるイマジナリーフレンドなんですよ?」

「……何言ってんの?ゼンマイ人形?イマジナリーフレンド?」

 

 夏音の言っている言葉の意味が、理解できない。

 それとも、起きたばかりで頭が上手く働いていないのだろうか。

 そもそもここは何処だ。自分はどうなっている。何故夏音が目の前にいる。それに入理乃はあれからどうしているのだ。

 疑問点が多すぎて、結は当惑するしかない。

 

 それを煩わしそうに夏音は溜息を吐くと、服の裾についている己のソウルジェムを取り外し、結の眼前に突きつけた。

 結は息を飲む。そのソウルジェムの輝きは穢れに侵食され、真っ黒に染まり切っていたのだ。

 

「は、早く浄化しないと!!」

 

 このままでは、夏音は魔女になってしまう。結は慌てて手持ちのグリーフシードを取り出し、夏音のソウルジェムに押し付けようとする。

 しかし夏音は、こちらに伸びる結の手首を掴んで彼女を止めると、

 

「良いですか。よく見ていてください。これが私の正体ですよ」

 

 ソウルジェムを握りしめ、強く強く圧力をかけていく。

 末端からひびが走り、ピキピキと音を立てる宝石。それはやがて、ガラスが割れるような音と共に──砕け散った。

 

「!?」

 

 夏音の行動に頭を白くさせる。

 当然だ。ソウルジェムは、魔法少女の命だ。それを自ら割ることは自死を意味する。

 

 だが、結は別の意味でも瞠目していた。

 ソウルジェムが眼前で割れたのに、夏音は平然としているのだ。何処か具合が悪くなった、という様子すらない。

 それによくよく考えれば、まずソウルジェムが汚れ切っているのに魔女化してない時点でおかしい。

 夏音は、普通の魔法少女から逸脱している。

 

「……まさか、君は──」

「家主さん。私……、ただ特別になりたかっただけのはずなのに、いつの間にかこんなことになってしまいました」

 

 夏音は自嘲をしながら俯いた。その視線は自分で砕いたソウルジェムに向けられている。

 その破片は最早墨のように炭化してしまい、魔力を失ってしまっているように見える。

 

 結は、はっきりと理解する。夏音のソウルジェムは、ただのイミテーション。夏音を魔法少女であると誤認させるためだけの、ただの飾りなのだ。

 

「でも、当然の末路ですよね。だって私……、人の為に頑張ってなかったんですもん。自分がないからただ皆見下したくて、出来もしないことして……。その罰が、きっとこれなんですよ。そうなるだけのことをしてきました。でも、そんな偽物の私でも──」

 

 夏音が顔を上げる。強い決意をする様に、悲痛そうに唇を結んで。

 

「君は君だと言ってくれた貴女を助けさせてください。だからどうか過去と向き合って、もうそろそろ自分を愛してください。家主さん」


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