“それ”を願ったのは、いつの頃だっただろうか。
恐らく、生まれた時からだ。
だって、“それ”は人が誰しも望む、根源的な欲求だから。この世に存在する意味を、そのためだけに考える者もいる。中には人生のすべてをかけて、たった一つの“それ”を守ろうとする者もいる。逆に身近にある“それ”に気づかず、一生を棒に振る者も。
人間は良くも悪くも、“それ”に振り回される。しかもそれぞれ人によってその形は変わっていて、他人の“それ”が、自分にとっては“それ”ではない、なんてことも珍しくない。
実に“それ”は曖昧模糊であり、不定形で定義できない。概念としての意味を皆が知っていても、だからといって、“それ”を答えられる人間は、どれだけいるのだろう。どれだけの人数が“それ”を手に入れているのだろうか。
……その答えを誰か教えてほしい。“それ”が何なのか知りたい。
◆◇◆◇
自分がどうなったのか、よく分からなかった。
これまでの経緯は覚えている。
結は入理乃によって忘れていた過去を思い出し、一面何もなく、ただっぴろい黒い空間で目を覚ました。そこで夏音──正確にはそれを模した使い魔とのことだが──に自分を愛せとかいうふざけたことを言われ……、結果として結は逆上し、彼女と戦闘になった。
……そして、負けたのだ。
そこまでは良い。そこまでは理解できる。だが、この現状は何なのだろう。結は困惑と共に辺りを見渡す。
そこは、意識を失う前にいた、あの黒い場所ではなかった。
夕暮れの空に浮かぶ、たくさんの雲。その上にはそれぞれ白い鉄塔が立ち並び、下を見れば地面を支える鉄の構造と雲が見える。空中では、目玉が生えたランプのような物体がふよふよいくつも泳いでいて、空間を明るく照らしていた。
何回か来たことがあるから分かる。ここは鉄塔の魔女の結界だ。
……一体いつの間にワープでもしたのか。こんなの意味不明だ。頭が状況に追いついていない。
「……キャー!!」
戸惑っていたその時だ。ふいに遠くから悲鳴が聞こえた。弾かれたように結はそちらの方を見る。と、その次の瞬間には、反射的に体は走り出していた。
そうして、急いで急いで急いで。一分にも満たぬ時間でそこに着いた時、結は我が目を疑った。
だって目の前にいた少女は──
「夏音ちゃん……!?」
見た目は少し幼く、身長も低い。
だが、そのツーサイドアップにされた、オレンジの長い髪の毛。大人びた顔立ち。早島中学校の制服。初めて結が会った時の菊名夏音にそっくりだ。
……間違いなく本人と言えるだろう。
結はまさかの展開に、一瞬だけ驚愕と共に硬直。しかしすぐに冷静さを取り戻す。今は混乱しているどころではない。
夏音は見るからに絶体絶命だったのだ。
一、ニ、三……、ざっと十を超える使い魔に彼女は囲まれている。
その種類は嫌に豊富だ。猫と犬の頭が生えた、鉄屑の二足歩行の動物。カンテラを持つ鳥。他にも、馬の頭部に蜘蛛の足がある奴までいる。
そのどれもが、不気味な怪物どもだ。ビジュアルだけで、恐怖を与えるのに十分であろう。夏音は蒼白し、震え、すっかりその場にへたり込んでいた。
「……!!」
鉈を二つ召喚して構えた。
あれだけ死にたい死にたいとわめいて夏音と戦っていたのに、眼前の光景のせいで、それがすっかり頭の角に追いやられていた。
代わりに助けなければいけない、という使命感でいっぱいとなる。
結はその感情に従い、使い魔達へ向けて飛び込む。
夏音に近づこうとする二足歩行の動物の首を切り落とそうとし──またも、我が目を疑った。
斬撃が、当たらなかったからだ。
……いや、正確には当たったのだ。
しかし刃がぶつかった途端、“すりぬけた”。まるで空気を切り裂くかのように。当然手応えなんてものはない。再び蹴りを入れ込もうとするも、こちらも“すり抜ける”。
そして、滑稽な醜態を晒し続ける結を見ても、夏音は何も言わない。その視線は使い魔に向けられており、相変わらず怯え続けたままである。
すべてが不可解であった。現実ではあり得ない事態。
結は更に困惑する。だが、珍しく冴えていたのか、夏音が言っていたことをふと思い出した。
『目的のためには、何も貴女を倒さなくても良いんです。直接、ここに内包されている記憶を打ち込めば良い』
(まさか……!?)
ある可能性が頭の中をよぎる。当然、否定したい気持ちになったが、しかしそれ以外にこの状況を説明できない。
結はあまりのショックに、その場で棒立ちになる。
使い魔は構わず夏音に歩み寄った。その過程で結と接触したにも関わらず、やはり“すり抜けて”しまう。
夏音が命の危機に、一層甲高い悲鳴を上げる。
二足歩行の化け物の、二つの頭。その顎門が今ゆっくりと開かれ、夏音を捕食せんと襲いかかる。
夏音はせめてもの抵抗か、耐えるように身を縮めた。
「危ない!!」
まさに飲み込まれる寸前であった。唐突に、バン!!という、発泡音が響いた。
それと共に鉄屑の動物が倒れる。結と夏音は、思わずといったように息を飲んだ。
その場にいる全員の視線が、自然と発泡音の発生源に注がれる。
そこにいたのは、露出度の高いセーラー服を身に纏う、小柄な少女。
彼女は五メートル向こうで長銃を構え、大胆不敵に笑っている。
「……サチちゃん」
何処からどう見えても、その少女は船花サチだった。
夏音と違い現在の姿と同じだが、考えている通り、この世界が“それ”なのだとしたら、間違いなくこのサチは、自分が知るサチとは同一人物のはずだ。
それを証明するように、サチも結を見ていない。無視して、夏音や使い魔の方へ目を向けている。
「貴女は……!?」
「間一髪ってところだね。ふふん。さっすがは船花様!!」
片手で長銃を肩に担ぎ、サチは得意げだ。一方、上手く状況を飲み込めないのか、夏音は混乱したままの表情であり、ちょっと結は同情したくなる。
使い魔達は夏音から離れて、サチへと臨戦態勢をとった。この新たに現れた敵を、排除しなければならないと悟ったらしい。サチはニッと笑うと、わざとらしく煽った。
「そんな奴じゃなくて、こっちに来なよ!!このクソボケ使い魔ども!!全部相手してやらあ!!」
鉄屑の動物が、鳥が、馬の頭部が、一糸乱れぬ動きで小柄な少女に飛びかかる。普通ならば、その時点で彼女の死は確定したようなもの。
当然、夏音は三度目の悲鳴を上げる。……だが、そんなことは無用の心配だ。
「おらぁ!!」
サチが裂帛。
途端、一斉に化け物の群れはぶっ飛ばされた。一瞬すぎてよく分からなかったが、どうもサチが長銃を振るって迎え撃ったらしい。
見れば、担がれていたはずの長銃は両手の中にあり、剣を構えるように握られている。
息も上がっていない。サチにとっては、本当に軽く、たった一振りしただけに違いない。それだけで、あれだけの数の使い魔を退けた。恐るべき膂力だ。
機械が作動するような音がして、長銃が変形し始めた。そうして、折り畳まれた爪が飛び出し、柄の形や長さが変わり、アンカーになったその時。
空飛ぶ鳥のランタンがピカリと光り、炎を放出した。
……サチは迷わず一閃。錨の爪が火炎を切り裂く。
その勢いで横から来た別の化け物を殴りつけ、上からの振り下ろしで、襲いかかってきた馬の頭部達を粉砕する。
サチは入理乃の相棒を務めるだけあって、強かった。
一騎当千とも言うべき暴れっぷりで、次々と使い魔をミンチに変えていっている。
まあ、この結界を作り上げた魔女は大したことはない。だからどれだけ来ようが、鉄塔の魔女の使い魔では、サチを殺すことは不可能だ。
それでも、小さな子があれだけのパワーを見せているのは、何も知らない夏音からしても、ある意味衝撃的だろう。
サチから目を離せずにいる。
「すごい……」
夏音の目に、最早恐怖はなかった。
そこにはただただ純粋な、キラキラとした輝きがあった──それは“憧れ”なのだと、結はなんとなく感づく。
……自分が知るあの使い魔の夏音では、絶対にしなさそうな目だ。
(……そりゃそうだろうね。だってこの子は生前の……)
念のため、握っていた鉈を消し、確かめるように夏音に手を伸ばす。その体に触れた瞬間、使い魔の時と同じく“すり抜けた”。
改めて確信する。
結はこの世界に干渉できない。何かをやったとしても、この世界には何の影響も及ぼせない。
では何故、こんな現象が起きているのか。
──ここに来る前に夏音は言った。
直接、ここに内包されている記憶を打ち込めば良い、と。
ならば、この世界そのものが、その内包されているとかいう記憶なのだろう。
……そう考えれば色んなことに辻褄が合う。
この世界は過去の映像だから、すべて現実ではない。謂わば夢のようなものなのだ。
だから周りが突然変わったりしたし、サチも夏音も使い魔も、結を見ない。すべて幻影で実体ないから、干渉できない。
(よく出来た嘘だよ、本当に)
結は鉈を再び召喚し、手首を切ろうとしたが、虚しく“すり抜ける”だけだった。
この体も実体がないらしい。鉈を呼び出せるようになっているのは、それを実感させるためか。
こんなのいくら足掻いても無駄だと、暗に言っているようなものだ。
結は逃げもできないし、もう過去の映像をこのまま見せ続けられるしかない。
……まったく、菊名夏音という少女は、なんと意地が悪いのだろう。
「分かった。良いよ、夏音ちゃん。大人しくこの茶番劇を見続けてあげるよ……」
おかしくなって、皮肉げに笑う。だけど怒りもあったから、半ば吐き捨てるように言葉を呟いた。
すべてが無駄なことだ。
生きる気力を失っていたことを、結は思い出している。この人生に意味を見出せない。
そして今更のように何かをされたところで、……煩わしいだけだ。
何も出来ない分、こうなったら最後まで抵抗してやる。
どんな出来事があろうとも、絶対に心を変えない。
「……僕にも意地ってもんがあるからね。……戦闘では負けた分、精神的な部分では思い通りになってあげないよ」
結は鉈を消し、目の前の光景を睨みつけた。
結界は既に消え、現実世界に戻りつつある。
サチが使い魔を倒したことで、魔女は怖気付いて逃走したのだろう。
夏音は周囲を見渡すと、ゆっくりと立ち上がった。
彼女は一先ずの危機が去ったことに気が緩んだのか、心の底から安堵したような顔になる。そして歩み寄ってきたサチの手を取ると、
「あ、ありがとうございます!!……助かりました、本当に……!!」
そう深々と頭を下げて、涙声でお礼を言うのだった。
◆◇◆◇
現実世界で戻ってきたその場所は、どうも夏音の自室らしかった。
几帳面な性格なのか、はたまた真面目な性格なのか、割と遊びがないという印象の部屋で、余計なものが何もない。家具も必要最低限であり、どれもがよく掃除されてある。結の家の中とは大違いだ。
あの後で変身をといたサチ(ちなみに靴は脱いで手に持ったまま)は、この部屋に戻ってからずっと、かなり気まずそうにしていた。
夏音がサチの手を握り、赤ん坊のように泣いていたからだ。
……それも仕方ないことだろう。
夏音はソウルジェムの指輪もしていないし、使い魔に抗う素振りも見せなかった。つまりこの時点では、まだ普通の女の子なのだ。
しかも、状況から考えるに、夏音は自宅にいたところ、運悪く魔女の結界に取り込まれたみたいだった。突然訳の分からない場所に──非日常に叩き落とされたのだ。……そこを救われれば、号泣の一つや二つする。
といっても、こんな夏音の姿を見るのは少々複雑な気分だ。
ここにいる夏音こそが“本物”──“本当の菊名夏音”。
だが、結の知る夏音は、使い魔の方の夏音だ。その人格は元となった“菊名夏音”をコピーしているとのことだが、結からしてみれば、そんなの関係ない。菊名夏音は誰か、と聞かれたら、迷いなく使い魔の方を指す。
だから、逆に“本物”の方が“偽物”に思えてきてならない。はたして、この泣いている“夏音”は、使い魔の夏音と同一人物といえるのか……、よく分からなくなってくる。
……そもそもの話、夏音が使い魔だとかいうのも、未だに飲み込めない。
こっちは今まで人間だと思って接してきたのに……、それが今まで殺してきた化け物と一緒とか言われても、戸惑うだけだ。
「おいテメエ……、大丈夫?どっか怪我でもした?」
「ずび……。すいません、ちょっと安心しちゃって……。私は大丈夫です。本当に……、ありがとうございました」
しばらくして、ようやく泣き止んだ夏音は、サチの手を離し、改めてお礼を言った。サチは気恥ずかしかったのか赤面し、胸を張った。
「ま、まあ、大丈夫なら良かったわ。怪我してもらっちゃ、この船花様が困るし……?むしろ、お前みたいなクソが生き残ったのは、私のおかげなんだから、もっと感謝しても良いんだよ」
「おい、今クソって言いませんでしたクソって。昨今でも貴重なツンデレなんでしょうが、貴女割と口悪いですね。失礼ですよ」
夏音は先程の態度から一点、不愉快そうな目になり、容赦なく毒舌を吐いた。こういうところは、昔でも変わっていないらしい。
サチはものすごく面倒くさそうに顔を歪めた。
「……テメエ、泣いてた割にはっきり言うじゃん。泣いてた割に……」
「うっさいです。それとこれとは話が別ですよ。あと二回繰り返さないでください」
夏音は少し怒ったような口調で抗議した。サチはへーい、と面倒臭そうに返事を返す。
「それであの……、さっきの一体何だったんですか?あんな変なとこ、見たことも聞いたこともなくて……」
「あー、まあ、そりゃそうだろうね……。なんせあんなとこに入った時点で、生きて帰っては来れないから」
「……そうですか」
夏音は暗い表情になる。身を持って使い魔の恐怖を知っただろう夏音にとっては、サチの言葉は、より重く聞こえたのかもしれない。
「……そんな場所から私を救ってくれた貴女は、凄い人ですね。あんな化け物を簡単に倒せるなんて……、まるで小さい頃、アニメの中で見た魔法少女のようです」
「……」
その発言で、サチが渋い顔になるのも無理はなかった。
だって本当にサチは魔法少女なんだから。
それに夏音の目には、キラキラとした“憧れ”の輝きがあった。
「何より、とてもカッコいいですね、貴女!!変身したり、長銃に変形する錨とかって、正直心をくすぐられるんですよ!好みど真ん中です!貴女は一体何者なんですか?悪の秘密結社に魂を売った改造戦士だったり、この世に蔓延る悪と戦う正義の使徒だったりするんですか!?ねえ!?」
「お、お前何の話をしてるんだよ……」
急に夏音のテンションが上がり始めたので、サチは困惑気味になった。
結はそのやりとりに苦笑いを浮かべ、やっぱり夏音はこの年頃特有の病気にかかっていたんだなあ、と思う。
(なんせブラッドとか武器に名前つけちゃうくらいだしなあ……)
この“夏音”には、あの使い魔の夏音との共通点があり過ぎた。
しかし、こちらの“夏音”の方が明るいし、普通だし、その差異をますます奇妙に思う。
「あ、ああ……、ごめんなさい。つい一人で盛り上がってしまいました」
夏音ははっとすると、慌てて謝った。でも興奮は収まっていないらしく、鼻息を荒くしている。
「ですが、さっきも言いましたけど、貴女カッコ良かったんですもん!!とっても素敵でした!!」
「私が……?」
「ええ、そりゃあもう!」
「……そっかあ。私ってそんなにカッコいいかあ!!」
力強く夏音がこくこくと頷くので、サチはすっかり機嫌を良くした。相変わらずちょろい子だ。
こういうところがサチの弱点でもあるのだが、結はサチのこの純粋さが嫌いではない。見ていて微笑ましく思う。
思うのだが……、サチは鈍感だから、気づいていないのだろうか。
夏音の目。そこには変わらずあの“憧れ”の輝きがあったけれど、しかし、少しだけ鳥肌が立つような目つきをしていた。
まるで、惑溺したかのような視線をサチに向けていたのだ。
結には、“夏音”が何を考えているか全然分からなかった。ただ、この子は思っていたよりも、ずっとずっと、元から怖い子だったのかもしれないと感じた。
「貴女、あの場所のこと知っているってことは、何度かあの場所に行ったことあるってことですよね?」
「うん。この船花様はね、ああいう奴らを相棒と一緒に日夜倒して、善良な市民様を守ってやってるんだよ。マジで感謝してよ!私達がいなかったら、テメエは平和な暮らしを享受出来ていないんだからなあ!」
「おおー……」
調子にのっているサチに、感心したようなリアクションを夏音が取る。
何処かズレているようなやりとりだった。
「やっぱ、貴女ってこの世界で特別な存在なんですね!どうやってそうなったんですか?」
「──え?」
そこできょとんとなり、サチは声を漏らした。
「どうやってなったかって……、それは……」
「……私、貴女の姿に感動したんです。だから、怖くても良いから……その……、私も“特別“になりたい」
「────」
夏音がもじもじと、恥ずかしそうに願望を吐露したことで、またサチは渋い顔になった。
……結にはその気持ちが痛いほど分かる。魔法少女として、長い期間過ごしきたからこそ、サチはその役割の重さを知っている。だから、夏音の発言に危ういものを感じたに違いない。
何と言っていいか迷うように、サチは言葉を詰まらせた。
「……」
「あ……」
これには流石の夏音も無言となる。傍目から見ている結でさえ気まずくなるほど、室内に重い空気が広がった。
そして、それに耐えきれなくなったのだろう。サチは視線を彷徨わせた後、窓の方へと走り出し、それをガラッと開けた。
「うっせえ、ボケカス!!知るかそんなこと!!」
それだけを言い残し、サチは勢いよく外に飛び出すと、夏音が呼び止める声を無視して、そのまま逃げてしまった。そうすれば魔法少女のことについて、これ以上夏音が関わることはないと考えたのだろう。
サチはやはり、本質的に優しい。
だが、夏音がこの後魔法少女となることは確定している。それを思うと、悲しい気分になった。
「……まだお礼してないのに」
夏音は呆然としたように開け放たれた窓を見つめると、残念そうに溜息をついた。反省して罪悪感が出てきたのか、ベットに背中から倒れ込み、両手で顔を覆う。
「ああ〜……悪いことしたかも、私……。ああ〜……どうしようどうしよう……。どうやってこの恩を返せばいいかなあ……」
彼女はその後も、どうやってお礼をすればいいのか、と独り言を言って悩み始めた。
根が真面目で、お人好しな性格なのか。この少女があの惑溺したかのような目をしていたとは思えないし、一瞬だけでもそれを忘れそうになる。
だが──次の言葉で、結は“夏音”の異常性を、はっきりと感じ取った。
「……“特別”なれる方法も慎重に聞けばよかった。そしたら何もわからずに仕舞いにならずに済んだのに。これじゃ“特別”になれないじゃないか。……戦うのが怖くても良いから、“特別”になって“力”が欲しい……」
夏音の瞳に、“憧れ”と“惑溺”の色が宿った。それらは混ざり合い、どろどろとした、恐ろしい闇──文字通り、本当に何処までもどす黒い闇となって、夏音の瞳の中にあった光を食いつぶしてしまった。
そしてその光の代わりに、夏音は闇をギラギラと光らせるのだ。
(何だこの子……。特別……?)
仕切りに繰り返される、特別という単語。使い魔に恐怖しながらも、時折見え隠れする、力が欲しいという渇望。
“夏音”が何故そんな執着を抱いているのか分からないが、しかし、そこに込められた感情の重みは……尋常じゃない。
とても歪だ。実体なき体だというのに、首筋に寒気が走る。
(こんなの見せて……、夏音ちゃんは一体何を考えているんだ?意味が分からない)
あの使い魔の意図が分からず、漠然とした気持ち悪さを感じた。
それがどうにも認め難い。イライラしてくる。
「ああ、“特別”になりたい……。特別になれば、こんな何もない私でも、変われるのに」
夏音の独り言は続いていた。良く聞き取れない音量だったが、時々出てくる“特別”という言葉だけは、やけに鮮明で、瞳の中の闇は一層深くなっていくばかりだ。
……やがて悔しげに、ぎりっと夏音は唇を噛んだ。顔には苛立ちの感情が張り付いている。
「……畜生。畜生畜生畜生……!!やっと夢見た瞬間が来たかもしれないってのに、……特別になれないなんて嫌すぎる……!!……私はどうしても、どうしても勝ちたいのに!!特別になれなきゃ私なんてなんの価値も──」
「──“特別”になる方法を、教えてあげようか」
少年の声が聞こえた。結にとって聞き覚えのある、そして夏音にとっては、聞き覚えのない声が。
突然のことに、がばっと夏音が起き上がる。
一体いつの間に現れたのか。
勉強机の上には、白い四足歩行の獣がいる。
猫のように尖った耳と、狐のような尾を持ち、背中には円が刻まれている。
見た目は可愛らしく、ぬいぐるみのようではあったが、赤い両目は微動だにせず、昆虫のような無機質さを感じさせた。
夏音が今まで見たことがないような、不可思議な生物だ。夏音は何度も何度も何度も、眼鏡を外してはかけ直し、目の前の動物が本当にいるのか確かめた。
「夢じゃない……?」
「夢じゃないよ、菊名夏音」
「うわあ、喋った。しかも私の名前まで知ってるとか……、気持ち悪……」
正直な夏音は、不気味なものでも見るような目をして、思ったことを素直に口にした。
だが白い獣は気にせず、媚びたように仕草で尻尾を振り、挨拶をした。
「初めまして。僕の名前はキュゥべえ。──僕と契約して、“最後の魔法少女”になってよ」