魔法少女体験コースがスタートする。
サチと入理乃は、思いのほかまめに、定期的に魔法少女活動を夏音に見えせていた。
魔女の捜索、討伐、調査。
おまけにグリーフシードの管理の仕方まで教えていた。
おかげで夏音は、日に日に魔法少女のことについて詳しくなっていった。
今では自ら魔女について調べ、サチと入理乃をサポートする程である。
それくらい、彼女達と馴染んできたと言えた。
でも……入理乃とはギクシャクしている。
彼女が夏音を嫌っているからだろう。
夏音の方は仲良くしようとしているようだが、距離は一向に縮まらなかった。
「……はあ、どうしましょう」
だからか、夏音は最近ため息が多くなった。
見ている結が嫌になるくらいに。
今日この日だって、帰ってきた途端、椅子に座り、机に突っ伏してしまっている。
そうやってしばらく彼女が俯せていると。
「やあ、夏音」
そんな頭に響く、幼い声が聞こえてきた。
「キュゥべえ?」
正しくはキュゥべえに化けた何か――である。
その白い獣は、いつの間にか開いた窓から侵入していた。
机にスッと降り立つと、挨拶をする。
「こんばんは。今日は良い夕焼けだね」
「……そうですね」
「おや、反応が薄いね?」
夏音がゆっくりと顔を上げる。
もう既にキュゥべえの言う通り、空はすっかり赤くなっていた。
部屋の中もすべて朱色に染まっている。
「でも……何でなんでしょう。夕焼けは寂しいです……」
しかしその美しい色に、夏音は切なそうに目を細めるのだ。
本人も理由は分からないようで。
それを見てキュゥべえは、やけに人間臭い苦笑を溢した。
「――ま、君ならそうだろうな」
「キュゥべえ……?」
「いや、忘れてくれ。ただの独り言、戯言だ。あ、ちなみにボクは、夕焼けは結構好きだけどね」
「へぇ。キュゥべえがそう言うなんて珍しいですね」
夏音が少し驚いたように言った。
キュゥべえの雰囲気が明らかに普段と違っていたからだろう。
どういう訳か、さっきから感情的な部分を出している。今度はちょっと笑っていた。
「まあね。今日は誰かと喋りたい気分だったんだ。ほら、若い子に話を聞いて欲しい時ってあるだろう?」
「……なんか理由が親戚のおばちゃんみたいですね」
「ッ!? 親戚のおばちゃん!?」
瞬間、くわっと目を見開いてショックを受けるキュゥべえ(普段の彼は無表情なのでシュールである)。
よっぽど心に来たのか、わなわなと震えていた。
「おまっ……わた……じゃなかった、ボクはそりゃあ長生きだけども。キミが言うように老人じゃないって! 感性が年寄り臭いだの、精神年齢は百超えだの、言わないでくれる!?」
「……別にそこまで言ってないんですけど」
「とにかくそういう話はNGだからな! NGだからな!」
「わ、分かりましたよ」
必死になっている分、余計に年寄り臭いのだが、夏音は仕方なさそうに頷いた。
「で、要約すると、なんやかんや暇だから来たってことですよね?」
「そうだけどざっくりし過ぎじゃないかい?」
「でも、間違ったこと言ってないと思います」
「キミも相変わらず毒舌だね」
と言っても、このキュゥべえは楽しそうである。
得体が知れないが、案外、気の良い奴なのかもしれない。
(不気味だけど……)
「しかしお喋り……ですか。何が良いんでしょうか」
「さっきため息吐いていたね。良ければ相談に乗るけど」
「うーん、どうしよっかな。白ダヌキに言ってもなぁ」
「そこはせめて白猫と言ってくれよ」
「何故に」
「猫、好きだから」
「……、その成りで言うんです……?」
自分も小動物のくせに、他の動物が好きとは……夏音からして見れば、随分変に聞こえただろう。
結だってそうだ。
何ともズレていて、掴みどころがない感じである。
(? ――掴みどころない?)
ふと、どうしてか、その思考が引っかかった。
何故だろう。このキュゥべえの雰囲気、何処で覚えが……、
(――っ、とにかくこのまま見ていけば、違和感の正体に気付けるかもしれない)
今は見守るしかないだろう。
出来ることなど、それくらいしかないのだから――。
そうして、短い思考の海から戻ると、夏音がこの白い獣に興味を持ったところだった。
「ていうか、キュゥべえのことについて、私ってよく分かんないんですよね。貴方って何なんです?」
どうやらキュゥべえの正体や秘密について知りたいらしい。それを察してか、キュゥべえは楽しそうに、うんうん、と頷きつつ、
「それなら出来る範囲で答えてあげようか」
と返した。
「じゃあ、まず何について聞きたい?」
そしてキュゥべえが聞くと、夏音が僅かな間悩んだ。
「んーと、ならキュゥべえがいつからこの町にいるか知りたいです。神様のことも知っているんでしょう?」
「そうだね」
赤い目を伏せ、彼は尻尾を揺らす。
そこには深い思いがあるようだった。
「ボクは生まれた時からこの町にいるよ。出た事がない」
「え? でも外にも魔法少女はいるって――」
「そのキュゥべえは別の奴。今ここにいる自分は、この町で生まれて、この町をずっと見守ってきた存在なんだよ。何百年も昔からね」
「……そう聞くと途方もない存在ですね、貴方」
確かにそうかもしれない。
この偽物が言っていることが本当だとしたら。
ただの魔法少女や魔女の範疇に収まらない。
(それだけの絶大な力があることになる)
それがどれだけ恐ろしいか。
一層不気味さが増して鳥肌が立つ。
「本当に長い間生きたんだ」
だが、そんなよく分からない何かは、結を無視して己の人生を語り続ける。
「色んな魔法少女がいた。追い詰められて自殺したり、子供を亡くしてしまったり、中には生贄に出された時もあったなあ」
「それって……全部貴方が契約した子ですよね?」
「フフ……まるで昨日のことのように覚えているよ」
違和感満載の口調で話すキュゥべえ。
夏音の質問に答えているようで答えていなかった。
「その中でも特に覚えているのが玉だ。彼女は純粋な分、ひたむきでね。けど報われなかった」
「何かあったんですか?」
夏音が首を傾げると、キュゥべえは自嘲めいた響きを乗せて、言った。
「絶望して自殺したんだ」
(それって――)
グリーフシードになる前に、ソウルジェムを砕いて死んだ?
魔女にならないために?
「彼女は多くの者を殺し過ぎたからね。二人の妹がいたんだけど、皆お産と病気で亡くなって、一族も幼い頃に死んだから一人だった。でも、そこで姫様達に優しくされて、人を殺すことに迷いが生まれた」
「……」
「結果として魂が黒く染まり、限界が来たところで……」
「自ら死を選んだと? 罪悪感に押し潰されて?」
「フフ。言った通り碌でもない最後だろ?」
だからこそ双子姫は玉を哀れに思った訳か。
説明を聞くと納得のいく話である。
「そして彼女を認める者は誰もいなかった。むしろ血塗れの彼女を避けて遠巻きに見てたんだ。死後に神様となったのも皮肉だね。死んだ後に祈りが届いてもしょうがない」
「じゃあ、早島の“神様”になることが玉の願いだったんですか?」
「ああ。彼女はこの土地を守るために、神のような力が欲しいと思っていた」
しかし、そんなとてつもない願いが叶う訳でもなく。
きっと玉の因果では足りなかったのだろう。そのため、しょうがなく双子姫を神に仕立てた。
擬似的とは言え、裏で操れば絶大な力を行使出来る。
実際にキュゥべえが言うには、玉は彼女達を口八丁に丸めて誘導していたらしい。
「そう考えるとなかなかエグいですね。まるで操り人形じゃないですか」
「まあ我ながら言うけど、玉って結構性格悪いから。むしろこの最後で妥当だと思うよ? 巻き込みたくないから自殺したんだしね」
「……? どういう意味ですか、それ?」
「ンフフ。キミはどう思う〜?」
偽物は挑発的に、酷く艶やかに笑う。
キュゥべえの体でその表情やっていたとしても、ゾッとしかしなかった。
「……」
そのため、夏音でさえ言葉を失った。
やがて何を言うべきか考え始めたようで、数秒の沈黙の果てに、
「あ、貴方なんなんですか。そんな軽い口調で言って。そもそも、それを見ていて何とかしようとは思わなかったんですか。貴方だって契約したなら責任が……」
「アハハ。でもどうしようもなかったんだよね、それ」
「え?」
夏音がびっくりする。
「過去は変えられない。過去に戻る方法なんてない。玉だって契約しなきゃ生き残れなかったし、一族を殺された報復も出来なかった。そのために戦ってきた彼女が止まれたと思う?」
再び無言になる夏音。
キュゥべえは語る。
玉はこの土地を誰よりも呪っていたのだと。
幼い時に全てを奪われたのだと。
父も、母も、兄も、姉も、一族郎党皆殺し。
ただ内乱を止めようとしただけなのに、邪魔だからって排除された。
逃げ出せたのは、玉と妹達だけだった。
その時、彼女は運命を恨んだ。
毎日、神の御使の祠に祈っていたけど、祀られていた巫達は、玉の家族を守ってはくれなかった。
だから彼女は決めたのだ。
代わりに本物の神様になろう。
争うぐらいなら力で抑えつけ、真の平穏を齎す。
それがこの土地に滅ぼされた、我が一族を認めさせる唯一の方法。
妹達も守るから。
そのためだけに。
そのためだけに、人を殺し続けた。
神様のような力があれば、家族を取り戻せるかもしれないと思いながら――
「結局そんな彼女に、最初っから救いなんてなかったのさ。すべてを奪われた時点でもう終わりだった。他の魔法少女もまた然り。早島の魔法少女は、多かれ少なかれ、早島のために犠牲になってしまう。それが玉が残した呪い」
「……っ、じゃあ阿岡さん達もそうなんですか?」
「まあ、と言っても大分呪いも薄れてるよ。後は本人達次第だろうね」
キュゥべえは曖昧な表現を使って断定を避ける。
「でもここにいるこの自分だけは変えられないよ。ボクは早島を守るための機構。そのためにどれだけ生きても、契約を続けなければいけない。そこに自由意志などありはしない」
「なら、今後も魔法少女を増やし続けるって言うんですか?」
「いいや。キミで最後だ」
赤い瞳が夏音を射抜く。
執着と偏愛が、入り乱れたような、そんな闇のような瞳。
「キミで終わりなんだよ、夏音、キミという神の――神殺しの器が現れたからね」
「神……殺し?」
「そうさ。本物の神になるためには、前にいる神をちゃーんと殺さないといけない。だって早島の神は一人だけで充分なんだ。早と島は所詮、失敗作なんだよ」
失敗作。
そうはっきりと言う声には、明らかに侮蔑が篭っていた。
「だからね、キミだけが本物で特別なんだよ。キミだけが、早島をあるべき姿へ戻せるんだ」
「――っ」
「夏音。キミならサチも、入理乃も、この自分だって救えるよ。そうしたら魔法少女は増やさなくて済む。サチ達からも感謝されるよ。認められて友達になれるかも」
「……!?」
夏音はびくりと肩を跳ねさせる。
心に入り込むような言葉だった。
その瞳は全てを見通しているみたいだった。
「どうせ自分に自信なんて持ってないんでしょ。ただでさえ、サチと入理乃には魔法少女ってことでコンプレックス持ってるのに、差がつきっぱなしでいいの?」
「な、何故そのことを……」
動揺する少女に、白い悪魔はほくそ笑む。
「見ていれば分かるよ。キミの心はスカスカのチーズみたいだ。他の何かで埋めても満たされない、欠陥だらけの空虚な存在」
「……」
「そろそろ遅い時間だね。夕焼けが沈みそうだ」
いつの間にか結構時間は経っていた。
夜の気配が近づいてくる。
「ああ、この夕焼けだけは、戦国時代と何も変わらない」
キュゥべえは窓の方を向いて、そう一つだけ町を眺めながら呟きを残した。
「今日は話せて良かった、夏音。キミが満たされるためには、神様になることでし果たせないこと、覚えていおいて」
「キュゥべえ……」
「ずっとその時が来るまで待ってるから。“勿論、この話は誰にも言わないようにな”」
そうして次に瞬きをすると、キュゥべえはいなくなっていた。
何らかの魔法を使ったのだろうか。
夏音は暗示をかけられたのか、ずっとぼぅっとしていた。
ひたすらに、ぼぅっとしていた……。
◆◇◆◇
――意識が暗転する。
これは誰の夢だろう。
誰かの記憶。
ずっとずっと昔にあった――。
(……ここ……は?)
いつの間にか、結は見覚えのない場所に来ていた。
さっきと違って、まるで意識だけ浮いているような感覚だ。
一瞬慌てるも、不思議なことに視点だけは動かせることに気が付く。
落ち着いて辺りを見渡せば、病室だった。
(……)
室内には二人の男女がいる。
女性の方はベットで横になっていて、お腹が膨らんでいる。妊婦なのだろうか。
側に座る男性は旦那のようで、ひたすらに女性を心配していた。しかし、それを抜きにしても、二人とも浮かない顔である。
(何かあったんだろうか)
そう思っていると、ふと男性が表情通りの沈んだ声で言った。
「にしても、まさかこのタイミングで妊娠してしまうとはな……避妊はちゃんとしていたはずなんだが」
「しょうがないわよ。出来てしまったものは仕方ない。この子に罪なんてないわ」
女性は優しい手つきで、膨らんだお腹を撫でる。
「でも今後のキャリアを考えると、君にとっては歯痒いだろう? せっかく、チャンスが来たのに」
「それを言うなら貴方もでしょう? 夢を犠牲にしてしまったわ」
「そうだね……」
男性は肯定する。
落胆の色は隠せていなかった。だからか、母親の目が厳しくなった。
「まさかこの子のことが嫌いなんて言わないでしょうね、貴方」
「それこそまさか。嫌いじゃないよ。けれど望んでいた子じゃない。それを考えると複雑なんだ」
すると女性も顔を伏せた。彼女もまた何処かで、男性と同じことを思っていたのかもしれない。
「そうね。私達の愛の器は、あの子の存在でいっぱいだった。あの子だけを愛したいと思っていたわ」
「……。僕達は、この子をどう受け入れば良いんだ」
つまり夫婦にとって、お腹の“赤ちゃん”はいらない子供らしい。
しかも第一子だけが特別で、その子と比較すると愛情を持てない。
何とも身勝手な話だ。
そして、身勝手ついでに、夫婦は言った。
「――せめてお兄ちゃんに似てると良いな」
やがて時が経ち、可愛らしい赤ん坊が生まれる。
音楽が好きだった両親の影響で、「夏音」と名付けられた。
――カノン。
主に輪唱と訳されることが多い、楽曲様式を表す単語の一つである。
そこから時計の針がどんどん進んでいく。
赤ん坊から幼児へ、幼児から少女へ。
成長していく度に、夏音は色んなことを覚えていく。
人並みに優秀だった。
優秀で、聞き分けも良かった。何処にでもいる普通の子供だ。
でもお母さんとお父さんは、家に帰ってこない。
「どうして母さん達は家にいないの?」
「お仕事が忙しいからだよ」
幼い夏音に、彼女の兄はいつもそう答えた。
そしてこうも言った。
「夏音が良い子にしていれば、すぐ帰ってくるよ。それまで頑張れるかい?」
「うん!!」
幼い夏音は、その言葉を信じただろう。
でも。数日経っても、数週間経っても、家には全然帰ってきてくれない。
やがて一ヶ月経って、やっと両親が家に姿を見せた。
しかし、いつだって真っ先に声をかけられるのは、兄の方なのだ。
「ただいま。元気にしていたかい?」
「ただいま!! 聞いたわよ! お爺さんを助けて、賞をもらったんですってね」
誇らしいわ、なんて言ってはしゃぐ母。
兄と親し気に話す父。
一人取り残された夏音は、その輪に入るように、おずおずと両親に話しかける。
「あの、母さん、父さん」
「……あら、夏音」
「なんだ。そこにいたのか」
父親が頭を撫でる。夏音が期待するように彼らの顔を覗き込み、手に持っていたテスト用紙を広げ、
「あのね! 昨日のテスト頑張ったんだ! 少し点数上がったんだよ?」
だが、そう言う割には、点数自体は平均的なものだった。
両親は一瞬顔を見合わせ、やがて一見すると愛情深く、しかしよく見ると義務的な感じで、夏音を褒めた。
「本当にえらいわね。その調子でもっと頑張るのよ」
「ああ。お兄ちゃんを見習うんだぞ」
やがてそのことを察してか、夏音の表情が曇る。
両親は淡白なもので、真っ先に疲れたと言って部屋に行くのだった。
「……。じゃあ夏音も遅いから、部屋に行こっか」
そうしてこういう場合、大抵兄だけが夏音の相手をしてくれたのだった。
でも――
「お前、あの人の妹なんだよな?」
「スッゲー! お兄さんめちゃくちゃ優秀なんでしょ?」
「けど思ったよりお前って普通なんだな」
「ガッカリ。妹だから期待してたのに」
年を重ねるごとに、そんなことを言われることが増えてしまった。
更に夏音は、兄が友達と話してるところも見てしまう。
「正直な話、夏音といる時はしんどいんだ」
「親にさ、比べられて夏音の見本みたいにさせられて」
「ほら、夏音って普通だから。必死に頑張っても、父さん達の期待には答えられないみたいで」
「歯痒く思う父さん達の気持ちが分からないでもない。俺は優秀過ぎて夏音の気持ちが分からない」
「だから思ってしまうんだ。幼い夏音の相手は本当に大変で、どうして出来ないんだってイラついてしまうことも多くって。夏音に対して本気で愛せてるか――」
そこから先は夏音が逃げてしまって、声がぶつ切りのように聞こえなくなった。
辺り一面、闇だらけになった。
(……なんなの、これ。こんなことって……)
結はここまで見守ってきて愕然となった。
この光景は間違いなく夏音の夢だ。
夏音の心だ。しかし思ったより過去が酷過ぎて、驚いてしまう。
こうしている今でも、感情が流れてこんでくる。
自分の居場所が何処にもない。
自分は誰からも認められない。
最初から居ない方が良い、皆にとって邪魔な存在。
だったら何で生まれてきたの。
誰が私を愛してくれるの。
良い子でいるのは疲れたよ。
誰か私を――
(夏音ちゃん!!)
結は思わず叫んでしまう。
虚空の果てに夏音がいる気がした。
でも、心の声だから、彼女には届かなかった。
◆◇◆◇
「ッ……、――!?」
またもや続いた意識の暗転。
今度は目を覚ますと体の感覚が戻ってきていた。
「夏音ちゃんは!?」
慌てて例の如く辺りを見渡す。
紅茶みたいな色の空。下に見えるは早島の町並み。見覚えはないが、何処か学校の屋上だろう。柵が四方を囲んでいる。
すぐに夏音は見つかった。
一つ並べられたベンチ、そこに座る色素の薄い髪の少女が、彼女を横にさせて、膝枕をしている。その頭を優しく撫でながら。
「ふふふ、ふふふーん♪」
そして歌っている鼻歌は、アニメのテーマソングだろうか。
聞いたことが、あるような、ないような。
でも少女の正体は知っている。結にとっては妹のような存在。
「――順那」
そう、彼女は東順那だった。
そう言えば夏音とは友達のはずだ。
こうして膝枕をする辺り、相当気仲が良いらしい。どういう状況か知らないが、実際安心して夏音は眠っている。スースーと寝息まで立てて気持ち良さそうだ。
だが既に夕方である。
そろそろ帰らないと、屋上が施錠されてしまうかもしれない。
「おーい、夏音。起きて!」
そのため順那は鼻歌を中断、撫でていた手を止め、何度か名前を呼びかける。
すると、夏音がそれに反応して目を開けた。
「……あれ? 私眠っていたんですか?」
でも表情がとろんとしていて、どうやら寝ぼけているようだ。
順那が呆れたように、もう、とため息を漏らした。
「夜眠れなかったから、ちょっと寝かせていったのは夏音でしょう。覚えてないの?」
「ああ、そう言えば。じゃあ、もう時間なんですか……?」
「うん」
「そうですか」
夏音がむくりと起き上がる。
軽くお礼を言って立ち上がると、柵の方に近寄って、眼下の町を見下ろした。
「本当、夕焼け見るの好きだよね。いっつも放課後ここに来てさ〜」
順那が揶揄うように言う。
夏音はまだ眠いのか、ぼんやりとした目で、
「……別にそんなんじゃないです」
「ならどうして?」
「分かりません。……ただこうして一日が終わっていく。その光景を目に焼き付けて、自分の不確かさを改めて実感したいのかもしれません。自分の人生が無意味だって、逆に確認しなきゃいけないんです。本当に生きているか、時々分からなくなるので」
「ふーん」
順那は何を考えるのかよく分からない、実に曖昧な顔で夏音を見ていた。
「そっかー。まあお兄さんのこともあるもんね」
「……」
「気持ちは分かるよ。私、夏音のことはいっつも大変だなーって思うもん。お兄さんと比較されるのは、そりゃキツイよ」
「そう言っていただけて、ありがとうございます」
夏音が振り返って、微笑みを投げかける。
順那は「フフフ」と笑って、立ち上がると、夏音の隣までやってきた。
「私も似たような思い、したことあるなぁ。あの時は大変だった」
「え? そうなんですか? 予想外です」
夏音が驚愕すると、順那がじと……と視線を向ける。
「ちょっと、失礼なんだけど」
「だって普段から、人のことどうでも良さそうにしてるから」
「そりゃ有象無象に構う必要ないもの」
「ほら、言った通り」
「馬鹿。私の方が、皆よりお姉さんなんだよ。ガキの相手は疲れるだけ」
しかし、ここで「私より大分年上みたい」などと言えば、逆ギレするのが順那である。過去に似たようなシチュエーションがあって、こっぴどく怒られた記憶がある。
あの時は「その話は二度とするな、ババアじゃない」などと、普段とは違う口調で叱られたものだ。
「とにかく意外です。貴女も私と同じだったんですか?」
「いいや。けど、私はこの町に縛られてるから。生きてちゃいけないのに、まだここにいるのが不思議でさ」
くしゃっとした、泣きそうな順那の顔が印象的だった。
もしかしたら龍神信仰やミズハのことを言ってるのだろうか。
何だか違う気がする。何かもっと別の――
「私、この町が好きだよ」
ふと、順那は話題を変えた。
「……え?」
「縛られてるけどね、守りたい場所なの」
また変わった、今度はびっくりするほどの真剣な表情。
この順那は結でさえ見たことがない。見たことがない一面を、夏音にだけは見せている。
「田舎だけど、ここまで発展してきたのは、多くの人が頑張ってきたからでしょ? それにね、こうしてる今でも、色んな人が生きてる。その事実が、私にとってはただ愛おしいの」
だからね、と続けて。
「この早島の歪みは……正さなきゃいけないって思ってる」
「――っ、正す?」
ここに来ていきなり話が飛躍した気がした。
順那の背後でカラスが鳴き始める。
カア、カア、カア、カア――
一羽、二羽どころじゃない。
沢山のカラスが空を飛んでいる。まるで不吉な呪いを呼び寄せてるようで、不気味だった。
「フフ」
そしてあり得ないほど美しく、笑い声を漏らす順那。
「一番の呪いは愛。早島を縛り付けているのは、神の愛。神の愛が、早島のすべてを歪ませ、人々に苦しみを与えている」
「貴女まさか、早島の神を知って――」
「それでね、夏音。貴女が本当に特別な存在になって、“神の愛”をなくせたら……」
――私を、この町から解放してくれない?
人格が切り替わったみたいに、順那の顔は能面のような無表情だった。