HDDの整理をしていたら10年前に書いたものが出てきました。(苦笑)
坂井君があれこれと青年らしく悶々とするお話です。
悶々としていた。
僕は本当はミュージシャンになりたかったのだが、急に怪物にとって喰われて、トーチなんてものにされてしまった。
トーチという発音そのものには親しみがあった。
ビリーホリディが良く歌っていたやつだ。
トーチソング。
悲恋を歌う歌のことだ。
「ねぇ、トーチっていうからには、寂しいのかな?」
僕がそう問い掛けると、赤い髪をした灼眼の少女は
「そりゃ悲しいでしょうね、存在が薄れちゃってるんだから」
と言った。
「ふぅん、やっぱり悲しいのか」
そんなことよりも僕は歌を歌いたかった。
レコードを気が狂うほどに聴きたかった。
クラスメートの吉田一美とはほんの少し仲が良かった。
彼女がボブ・ディランを聴いているところを発見した日以来の仲だった。
僕は、ウォークマンでボブ・ディランを聴く(音が漏れていた)彼女に、そっと耳打ちした。
「ジョン・ウェズリー・ハーディングとか聞いたことある?」
彼女はイヤホンをはずして微笑んでくれた。
素晴らしい微笑だった。
今でも僕の頭にこびりついている。
だが、そんな彼女も、今は級友たちの性の慰み者になっている。
大人しい上に美少女で、その上にボブ・ディランなんて聴いていたからそうなるのだ。
彼女は今、肉便器と呼ばれている。
ちょっと気の効いた男は、ラップ調の『サブスタリアンズ・ホームシック・ブルース』をみんなに歌わせながら吉田さんの膣内でピストン運動をして(リズムに乗ってだ)、曲が歌い終わるまで耐えられるかどうかを競っている。
たいていのやつはトレンチコートの男が歌の中に登場するあたりで果てるし、ちょっと長いやつでも『マーチバンドのご登場だぜ』という歌詞のくるあたりには果てている。
一方で僕は自分がトーチになってしまうと、性欲が薄くなってしまったのか、そんな吉田さんに対する性行為の列には加わる気持ちがうせてしまった。
何よりも、僕をトーチにした少女はシャナと名乗っていて、幼い顔立ちで、可愛らしかった。
僕は彼女の妄想で何度も自慰をした。
彼女は日本刀(ニエトの遮那というらしい)を持ち歩いていた。
危険思想の持ち主なのかと思ったのだが、頭のネジがほんの少し外れているだけなのかもしれなかった。
彼女は時折困ったことがあると、胸のペンダントに話し掛けていて、僕は最初、そこに両親か何かの写真が入れられているのかと思って、そういうのに話し掛ける少女というのも可愛いと思ったものだが、ある晩、
「何いってんのよ、これはアラストールよ。生きててしゃべるの」
と、彼女が教えてくれた段になっては、精神病院にでも電話しようかと本気で悩んだ。
シャナは時折、目に見えない敵と戦っているらしかった。
僕だって戦っている。
日々悶々とうち出てくる性欲とだ。
そう考えると、僕が吉田さんに対して興味を失ったのは、彼女がもうただの肉便器に過ぎないからなのかもしれない。
でも僕にも感傷というものは存在するもので、時々急に思い出したように、数ヶ月前に、ボブ・ディランを聴いていた吉田さんに声をかけた屋上で、一人っきりでハーモニカを吹きたくなった。
でも残念ながら僕にひけるのはギターだけなので、それは不可能だし、ディランを何か演るのに、やっぱりハーモニカじゃないというのは不格好なので結局何もしなかった。
一応屋上まで足を運んだ。
何かいい方法があるだろうか、と悩んだのだが、せいぜいここで楽器代わりに男性自身をしごくことぐらいしか思いつかなかった。
こういうふうに短絡な思考になってきたのも、トーチになってしまったせいに違いないと思った。
存在が薄れてくると複雑な思考が困難になってくるのだろう。
そうこうしているうちに、いよいよ僕は自分の存在が希薄になってきたように感じられた。
ある朝、シャナが僕をたたき起こして(いつのまにか彼女は僕の家に入り込んでいた)、
「悠二、敵がくるわ、修行よ」
と言った。
僕はそれに対して
「もう存在が薄くなってきたよ、シャナ。君ももっと不格好に生きたらどう?そんなに気張っているから、髪の毛まで真っ赤に染まっちゃうんだ。さては君、コミュニストだな」
と答えた。
すると彼女は、布団越しに僕のわき腹に一発蹴りをいれて
「もういい! 悠二のバカ!」
と怒鳴って部屋を出て行った。
はぁぁん、これはあのちびっこ、俺に気があるな、とふんだ僕は、その日の夜、シャナの布団にもぐりこんだ。
眠っている彼女の耳元で
「俺は君を愛しているよ、君のその細い体が好きだ」
と繰り返し囁きながら股間を愛撫しつづけた。
そのうちに彼女は目を覚まし、烈火の如く怒り狂い、僕は家を放り出される羽目になった。
何とか持って逃げられたのは彼女の日本刀とギターだけで、日本刀のほうはヤフーオークションで売りさばいてやろうかと思ったのだが、警察に職務質問をされるとやっかいなので、結局明け方の大井川に放り込んでおいた。
ギターが唯一の持ち物になり、僕は街頭でギターを弾いて小銭を溜めて、適当に金を持っているふりをして、郊外の安アパートに潜りこんだ。
ここまでくるともう、働く気持ちにもなれず、音楽で身を立ててやろうかと決心をしたのだが、スランプに陥り、家賃を半年も滞納したので、トイレを改造した薄汚い部屋に移動させられた。
以後、およそ8年間を、この部屋で鬱屈としてすごすことになった。
苦悩の季節であった。
この時期にはいつもしくしくと泣きはらしていたので、僕の目もまた、シャナと同じように赤くなった。
鏡を見るごとに、シャナのことを思い出し、どうしてあの少女を上手く抱けなかったのだろうか、と悔しくなってはまた繰り返して泣いた。