ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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全6話編成の第12章2話目です。
12章は、永夜抄のお話になります。


見たいモノと見えないモノ、そして見えたモノ

 昨日から希となごみの様子がおかしい。昨日の朝からお互いに謎の意識をしあっている。こうして暖かくなってきたお昼の陽気を打ち払うような気持ち悪さがいつもあるはずの和やかな雰囲気を打ち破っていた。

 個別に話しかけると違和感がないのに、二人が話そうとするとちぐはぐになってしまう。噛み合わないというか、噛み合わせたくないというか、どうにも意識しているのは希の方だけのようだが、その理由は分からないでいた。

 

 

「藍は、希となごみに何があったのか知っている?」

 

「残念ながら私は知らないぞ。思春期には色々あるのではないか? 悩み事も多い年ごろなのだろう」

 

 

 興味なさげに告げられた言葉に、二人の様子を眺める。部屋の中にいる希はどこか上の空で考え事をしているように見えた。

 なごみは、ぼーっとしている希に手話や魔法を使った会話など様々な方法で必死に話しかけている。だが、希はなごみの問いかけに対してひきつった笑みを浮かべるばかりで、曖昧な反応を返すだけだった。

 

 

「……生きていればなんでもあるか。僕たちは生き物だもんね」

 

 

 こうして一人で納得する。どうしてそうなったのか疑問はあるけど、どうしてそうなってしまうのかについての疑問はない。だって、全くならない方がおかしいのだから。変化をしながら生きている生き物ならば、絶対に起こりうることなのだ。

 空を見上げながら、半分が終わった今日をどう過ごすかを考えてみる。雲が流れて、風が吹いて、時間が過ぎていく。

 隣には藍がいて、後ろにはちぐはぐな希となごみがいて、目の前には昨日は見かけなかった影狼さんと大妖精が椛と一緒にいた。

 影狼さんと大妖精が笑っている。昨日は見せなかった笑顔を浮かべている。椛に家事のやり方を教わりながら、苦戦する影狼さんを大妖精が手伝っている。洗濯物を干している二人の姿はどこにでもいそうな主婦とその子供に見えた。

 

 

「穏やかだな。このまま平和な日々が永遠に続けばいいのだが……」

 

 

 隣から静かに声がこぼれた。

 永遠に続けば――僕はその声に思わず反応した。

 

 

「永遠に続くなんて僕は嫌だな」

 

「……ん?」

 

 

 不意に藍の口から疑問符が漏れ出す。

 藍は同意が得られると思っていたのだろうか――あっけにとられたような顔が固まったままこちらを見ている。

 理由を教えてくれ、藍の目が僕にそう告げていた。

 僕には、永遠というものの良さが分からなかった。

 永遠とは、終わらないということ。

 このままとは、変わらないということ。

 それは、余りにも残酷ではないだろうか。

 それは、余りにも悲しくはないだろうか。

 でも、そう思うのは僕だけだろうか。

 妖怪のように長く生きてきた者にとっては、永遠という言葉が甘美な言葉に聞こえるのだろうか。

 病気を抱えていない者にとっては、障害を抱えていない者にとっては、異常を感じていない者にとっては、永遠というものが綺麗なものに見えるのだろうか。

 僕は、藍に見つめられた視線に臆することもなく心の奥底に想いをこめて首を横に振った。

 

 

「ううん、なんでもないよ」

 

「いや、今確かに嫌だと言っただろう? 和友はこの生活が続くことの何が嫌だと―――」

 

 

 藍が再度僕に問いかけている途中で、不意に僕の肩を叩かれた。叩かれた衝撃に追いつくように後ろを振り向くと、困ったような顔の希が映った。

 

 

「希か、なにかな?」

 

「ちょっといい?」

 

 

 希の纏っている雰囲気は完全に強張っていた。固くなって、窮屈そうだった。普通なら藍と話しているところに割って入るようなことをしない希のことを考えると、相当思い詰めていることも察することができた。

 藍も希のことを想ってか、いつもなら文句が飛び出しそうなところを黙ったまま口を紡いでいる。

 僕は、了承を得るために希から藍に視線を向ける。藍は視線だけで「私の方はいい、希をかまってやれ」と言った。

 僕は、希に再度意識を向けた。

 

 

「どうしたの?」

 

「二人で話したいことがあるから、少し付き合って」

 

「二人で話したいって言われても、ここに二人きりになれるところってある?」

 

「……どこかないの?」

 

「質問したのは僕なんだけど?」

 

「霊夢の次に博麗神社のことを知っているのは和友でしょ? どこか二人になれるところってないの?」

 

 

 僕の質問に対して希が疑問を口にしてしまうほどに、博麗神社はその予想以上に広大な敷地面積に反して一人になれる空間がない。部屋の数は3つしかなく、隔てているものはふすま1枚分の薄い壁だけである。話をしようものならば、たちまち聞こえてしまうだろう。そもそも、普段使っている部屋を使用する場合は人の出入りが多い時点で無理がある。

 博麗神社において二人だけになれる場所、あるとすれば一つだけである。僕は、ありえない選択肢と思いながらその可能性を口にした。

 

 

「……あんまり気乗りしないけど、トイレとか?」

 

「冗談でしょ!? 馬鹿じゃないの!? 却下! そんなところで話したくない!」

 

 

 案の定、希が両手を振り下げて体と言葉で強い拒否を示す。

 だが、提案を拒否するだけでは話は進まない。人の意見を否定するには、否定するだけの理由とそれに代わる意見を言わなければ、会話を停止させることになる。

 この場合、断る理由は言わなくても分かるから言わなくてもいいけど、代案は必要である。そうでもなくては、無理ですねという回答で終わりだ。

 

 

「文句を言うだけなら誰でもできるよ。否定するだけなら簡単さ。人の意見を否定するのなら別の代案を出さなきゃ。そうじゃなきゃ、文句を言うだけの奴だって見限られちゃうよ?」

 

「それでも、トイレで二人は嫌よ。臭いし、狭いし、落ち着いて話なんてできないわ」

 

「うん、それには同意する」

 

 

 トイレが無理となると、いよいよもって博麗神社で二人きりになれる場所がなくなる。それではどうしようか――考えた瞬間、逆転の発想が頭の中に浮かんだ。二人になろうと思うのならば、博麗神社から出ればいいのである。

 

 

「希が良ければ遠出することもできるけど、どこかに行く?」

 

「それだとみんなに怪しまれるわ。わざわざ距離を取らないといけない内容なんだって周りに気を使われたりするのは本意じゃない。なごみには、この件をあんまり感くぐってほしくないし、あくまで些細な立ち話程度で済ませたいの」

 

「難しい注文だね。考えてはみるけど、僕からはこれ以上の意見は出ないかも」

 

「……だったら、あそこなんてどう?」

 

 

 ゆっくりと持ち上がった希の右手がある場所を指し示す。僕は、希の人差し指の先端が指示した先に視線を向けた。

 視線の先には、神社から少し離れた場所にある物置小屋があった。そこは、掃除用具や行事で使う物がしまわれている場所である。

 確かに、二人で話をする場所として物置小屋という選択肢は「ない」わけではない。だけど、あそこで話すのには致命的な欠陥がある。もちろん僕が借りている部屋を使うよりははるかにましな選択肢ではあるのだけど、話を出さなかったのには、それなりの理由があった。それだけの理由があった。

 

 

「物置小屋でするの? 僕は別に構わないけど、二人で話すには不適切な気がする」

 

「何、和友も文句を言うの?」

 

「そういうわけじゃないけど」

 

「私が構わないって言ってんだから問題ないわ! ほら! 一緒に行くわよ!」

 

 

 勢いよく手を引かれて、縁側から引き下ろされる。引っ張られながら草履を履こうとしてうまく履くことができず、引きずるような形で希に追随した。

 後ろ髪をひかれるように後方へと目を向ける。先ほどまで話していた藍はやれやれというような顔で手を振った。そして、その奥で静かにこちらを見つめるなごみの姿が、目の端に映った。

 僕がそっと微笑むと、なごみは一瞬驚いた顔を見せたが――儚げに笑った。

 

 

「さぁ、誰にも見つからないうちにさっさと入るわよ」

 

 

 もう見られているよ、しかも二人に――とは言わなかった。

 物置小屋の扉が砂をかんだ音を立てて開かれる。扉が開いたことによる風が、普段全く空気が循環しない空間内に攻め込む。風によって舞った砂埃が乾いた匂いと共に襲い掛かる。僕は思わずむせそうになる口元を手で押さえた。

 

 

「ごほっ!! ごほっ!!」

 

 

 希が喉を通ってきた埃にせき込みながら物置小屋の中央まで進む。僕は、希の足が止まるのを確認すると唯一光が入り込む入口を閉じた。

 光の出入り口を失った小屋は、完全な暗闇に支配される。

 目の前が僅かに見える程度、何かがいることは分かる。輪郭線が黒さの濃淡によって表現されている。目線が合っているのかは分からない。分からないけれども――僕は視線を希に合わせた。

 

 

「ここって、掃除されていないし、思ったよりも暗いのね。喉がおかしくなりそうだし、和友の顔が見えないわ」

 

「普段から掃除されているわけじゃない上に、明かりがないからね。本当なら入口の扉をあけっぱなしにして作業する場所だから。こうして閉めちゃったら見えなくても仕方がないかも。でも、目が慣れてくれば見えるようになるよ」

 

「そう……」

 

 

 汚れていて暗くて視界が悪い、物置小屋が話し合いの場所に適さない理由の一つである。普通であれば隙間からいくらでも光が漏れてきそうなものなのだが、保存が効くようにするためか扉を閉めると真っ暗になるのである。

 しかし、真っ暗でどんな顔をしているのか分からない希だが、声のトーンから物憂げな様子をしているのは伝わってくる。

 待てどもなかなか次の言葉が出てこない希に、それほどに言い難いことなのだろうかと、僕は背中を押すように言葉を促した。

 

 

「で、話したいことって何かな。わざわざ二人で話すってことは他の人には聞かれたくないことなんだよね?」

 

「うん、特になごみには聞かれたくない」

 

 

 特に聞かれたくないと言われると、やはりなごみとの関係のことだろう。昨日何があったのか、どんなことがあったのか。

 きっとその経験を得た話をするのだと、僕は頭に事前準備を行いつつ希が言葉を放つのを待った。

 数秒だろうか、十秒が経過しそうになるころ、希は少し困った様子で言った。

 

 

「……なごみと違う部屋が欲しいんだけど、新しく場所を設けることってできる?」

 

 

 まさかの提案――というわけではなかった。

 ちぐはぐなものを切り離すのは、十分に考えられることだ。

 噛み合わせが悪かったら、矯正するか、引き抜くかの大きく二択の選択肢がある。希はどうやら引き抜く方法を選ぼうとしているようだった。

 

 

「今のままじゃできないね。そもそも博麗神社は僕のものではないから。許可を求めるのなら僕じゃなくて霊夢に言うべきだよ」

 

 

 博麗神社は、霊夢のものだ。僕のものではない。僕の手が届くのは、借りることができている1部屋だけである。それも、借りることができているだけで僕の部屋になっているわけではない。

 

 

「でも、霊夢に言う前に和友が家の大黒柱じゃない。あの部屋で生活しているんだから、まずは和友にいうべきかなって思って。これは、相談も兼ねているのよ」

 

 

 相談という言葉が出てくるということは、悩んでいるということである。

 まだ、自分の中でなごみと別居することを決めたわけではないのだろう。

 僕は、できる限り悩みに触れないように気を付けながら会話を進めることを決めた。

 

 

「相談か……希の願いを叶える可能性としては、今考えて思いついた方法が二つあるんだけど、どっちも難しい気がする」

 

「その二つの可能性っていうのは?」

 

「まず一つ目が、霊夢に言って後一つ余っている部屋を借りる。これは結構難しいと思う。僕が想いを告げたあの日以来、僕と霊夢との関係は悪化しているから。それに大人数になっても、もう一つの部屋を使ってもいいみたいな話を一切聞かないあたり、おそらく使えない理由があるんだと思う」

 

「……私がお願いしても、多分無理よね?」

 

「やってみるだけやってみたら? 何が起こるかはやってみないと分からない。未来ってそういうものでしょ? 未来が分かっているのならやらなくてもいいけどさ」

 

 

 おそらく希から頼んでみたところで不可能だろうけど、やらなければ分からない。話してみなければ、可能性はゼロのままだ。

 ただし、もしも部屋を増やしてもらえる方向になるとしたら条件が付くだろう。霊夢のことだ、プラスでお金の請求が来るに違いない。現在借りている一部屋だってお金の力で借りることができているのだから2部屋目も同じような条件が提示されるはずである。

 仮にお金を要求された場合、正直なところ僕だけじゃ厳しくなる。家賃という名目でお金を提供している僕だが、当初の予定では自分だけが部屋を使うはずだった。それなのに、希、なごみ、椛と増えて、影狼さんに大妖精が追加されようとしているのだ。部屋の窮屈感の増加に加えて、食費にかかる費用も馬鹿にできなくなっている。

 正直言って――このままの収入では今の生活を維持できない。それは一緒に住んでいる者ならば分かってもらえるはずだった。

 部屋を借りるお金は、きっと新しい場所を必要としている希が出してくれるのだろう。僕は期待をもって言葉を投げかけた。

 

 

「僕からも頼んでみるけど、お金を出してって言われたら手伝ってくれるんだよね? 期待しても大丈夫? これ以上費用が増えるのは僕としても辛くてさ」

 

「そこはまぁ……追々かな?」

 

「今の修業が終ったら真面目に考えてね。部屋を欲しがっているのは希なんだから。自分が欲しいものはできるだけ自分で得るように努力してよ」

 

「う、うん。それで、もう一つの方は?」

 

 

 僕は、そそくさと話題を流す希の対応に、期待が持てないことを薄々感じながらももう一つの可能性を提示した。

 

 

「2つ目が、ここみたいに別に小屋を建ててそこに住むという方法だね。時間とお金はかかるかもしれないけど、一番意見が通りやすい気がする。大事なことだから2回言うけど、時間とお金がかかるよ」

 

「…………どっちにしても難しそうね」

 

 

 2つ目の可能性を提示した時の沈黙の時間は、一つ目を提示した時よりも長かった。時間とお金がかかるという部分、特に時間という部分に引っかかるところがあったのだろう。そう思うのは、希がなごみと距離を置くことを急いているように見えたからだ。

 難しいと言うなごみを静かに見つめていると、僅かに後ろの扉がガタガタと揺れた。風が強くなったのだろうか。

 僕は、嫌な予感を覚えながら静かに後ろを振り向いた。そこには変わらず年季を感じさせる木目調の扉が少しも動かずに佇んでおり、特に変わった様子は見受けられなかった。

 

 

「和友は、私がこんなことを言い出した理由を聞かないの?」

 

 

 後ろを気にしているといきなり希に質問を投げかけられ、再び前を向く。

 さすがに暗さに目が慣れてきて、表情が読み取れるようになってきた。

 

 

「何のかな?」

 

「私がこんなことを言い出した経緯とか……気にならないの?」

 

「気になるけど、聞かないよ。僕からは聞かない。聞いてほしいのなら聞くけど、僕からは聞かない」

 

「気になるって言っても、聞くほどでもないってこと? 和友って、意外と冷たい人なんだ。家族のことなのに興味ないの? 困っている人を見つけたら助けようとか思わないの?」

 

 

 怒っているようにも、軽蔑しているようにも見える瞳に暗い色を見つける。

 不機嫌な声が、苛立ちを感じていることを訴えかけてくる。

 そして、それ以上に希の目に映る僕が随分と気持ち悪く見えた。

 僕に何を期待しているのだろうか。

 僕のどこを見ているのだろうか。

 ちゃんと僕が見えているのだろうか。

 僕は、希の見ている僕を見つめながら僕のことを冷たいと表現する希に言った。

 

 

「困っている人を助けないことが冷たいの? 興味がないことと聞かないことは一緒なの? どれも希がそう見たいと思って見ているだけだよ」

 

 

 こうして真正面から「冷たい」と言われたのは初めてだった。

 これまで生きてきて初めての経験だった。

 外の世界にいた僕だったら、必死に否定しただろう。

 これまでの僕だったら、その言葉に訂正を入れただろう。

 だけど、今の僕には思い詰めるような気持ちは一切なかった。

 

 

「でも言わせてもらうと、僕はそういうのはもう止めたんだ。自分のために惰性で助けるのは止めたんだよ」

 

「自分のために惰性で助けてた?」

 

「人を助けていれば、悪い人にはならないから。浮いた人にはならないから。誰かと繋がりを持てるから。独りにはならないから。良い人でいられるから。そういう自分ありきな考えで、人を助けるのは止めたんだ」

 

 

 助けなければならないと思っていた。

 手を差し伸べなければならないと迫られていた。

 ひどい奴だと思われないように。

 冷たい奴だと思われないように。

 最低な奴だと思われないように。

 普通じゃないと思われないように。

 そう思っていたあのころとは違う。あの時とは違う。

 ここにいる僕は、変わってきた僕だ。

 

 

「自分のために誰かを助ける、惰性で手を差し伸べる――そういうのって別に悪くはないんだろうけど、相手が善意を100%の純粋なものだと履き違えることも多いから。僕の差し出した手が邪な考えの一切ない綺麗なものに見えてしまう人もいるから。僕はね、あんまり相手にそういう期待をさせちゃいけないと思うんだよ。相手のために、僕自身のためにね」

 

 

 人は、誰にかに助けられたときに恩を感じる。感謝の気持ちと頭の上がらない気持ち、借りを作ったという何かを背負ったような気になる。

 お金に困った時、時間が足りない時、人手が欲しい時、困難に陥った人は差し伸べられた手に込められた思いを見つけられない。

 手を差し伸べられた人は手しか見えていないから。苦しんでいる現状に視野が狭くなっているから。想いは手のひらに現れるのではなく表情の奥底に現れるのに、そこにまで視界が持ち上がらない。仮に持ち上がっても、切迫している状況が色眼鏡をかけてしまう。

 

 

「人の心は見えないようにできている。だから僕たちはそこに光を見るんだけど、現実と理想の相違が良心の呵責からくる気持ち悪さを呼び起こすんだよね。それもまた、そういうものだと言われればそうなんだけどさ」

 

 

 見えないものを見ようとしない。見たくないものを見ない。

 それが人間のやり方だ。それは、肯定されるべきものではないけれど、拒絶されるものでもなく、否定されることでもなく、侮蔑を受けることでもない。

 全てが見えてしまったら伸ばされた手を掴むことができなくなるのだから。手を取ることに迷いを覚えてしまったら人間として生きていけなくなる。人と人の間、それを取り持つのが人間なのだ。手を取り合えなければ、人間でいられなくなる。

 僕たち人間は、受け入れるのだ。分からないことを、見えないことを自分の中で落とし込んで享受する。相手の存在を、相手の気持ちを、自分の気持ちにくみ取って溶かし込む。

 

 

「僕の場合は、どちらかといえば上手くキャッチボールできなかったことの方が多かった。みんなが見ている僕はどんどん大きくなって、投げてくるボールは次第に取るのが難しくなった。みんなには、僕が巨人にでも見えていたんだろうね。そう見せた僕も悪かった」

 

 

 助けてくれた相手に感謝の気持ちを伝えて、助けた相手はお礼を受け取る。本来それだけのことのはずなのに――二人の関係に大きな変化を生むことになる。

 良い方向に進むのか、悪い方向に進むのか――それはその人たち次第である。その人たちの受け取り方次第である。

 僕の場合は、悪い方向に進むことの方が少しだけ多かったように思う。期待値だけがどんどん大きくなって、みんなの見る僕が本来の僕からかけ離れているように感じることも沢山あった。

 希は、僕の話を聞いて何か思うことがあったのか、少し困惑した様子で震える声で言った。

 

 

「もし、もしだよ。自分勝手な理由で誰かを助けて、その人が自分をヒーローだと思っていたらさ。和友はどう思う?」

 

「悪いと思う。申し訳ないというか、罪悪感が出てくるよ。それで相手が傷ついたらなおさらね」

 

「じゃ、じゃあ……その罪悪感を拭うためにはどうしたらいいと思う?」

 

「心の中に生まれた罪悪感を飲み込めないのなら吐き出すしかない。助けた相手に正直に告げるのがいいと思うよ。僕はこれまで飲み込めなかったことがないから飲み込んでいたけど、余り気分のいいものではないからお勧めはしないかな」

 

 

 思ったままを口にした。

 自分の中で消化できない想いは、吐き出すしかない。

 行き場を失った想いは溢れてしまうから。

 溜め込んでしまえば、壊れてしまうから。

 

 

「そんなの無理よ。なごみに正直に話したら、軽蔑されちゃう。嫌われちゃう」

 

「ふうん、じゃあ止めておけばいいんじゃないかな。頑張って飲み込むしかないよ。僕は、内に溜め込むために心の壁を堅くするのには反対だけどね。話せるうちに話した方がいいと思う」

 

 

 人は、飲み込んだ気持ちを出さないようにと心の壁を堅牢にしていくたびに弱くなる。塞いだ心は意外と脆弱で、外からの攻撃には強いのに、内から出てこようとする感情にとても弱い。

 本来受け止めるためにある柔らかいはずの外壁は、硬さを得ることで脆さを兼ね備えることになり、クッションとしての役割を失ってしまうのだ。

 もしも限りなく溜め込める心の持ち主の場合は別だが、僕はやらない方がいいと断言できた。

 でも、どれを選ぶのかを決めるのは当人である希だ。

 悩んで、苦しんで、答えを見つければいい。

 納得できる答えを、自分で選べばいい。

 それがきっと希にとって一番いい選択なのだろうから。

 これで話は終わりだ、後は希次第である――僕は、自分の中で回答を飲み込むと話を打ち切ろうとした。

 

 

「話はもう終わりだよね? 部屋についてはどうするか決まったら教えて。お金については協力できないかもしれないから、そのつもりでね」

 

「ちょっと待ってよ!!」

 

 

 言葉を残して振り返って外に出ようとすると、勢いよく肩を掴まれ引き寄せられる。僕の視界の大半が切迫した表情を浮かべた希で埋め尽くされた。

 

 

「和友ならなんとかできるんじゃないの!? なごみに話をしてくれたりとか、それとなく伝えてくれたりとか、この問題を有耶無耶にしてくれたりとか、何でもできるんじゃないの!? 和友なら私より上手くやれるでしょ!?」

 

「何を言っているの? 僕がやったって希が納得できる結果になんてなりはしないよ。だって、これは僕がやるべきことではなくて、希がやらなきゃいけないことなんだから」

 

「私には無理!! こんな不安な気持ちを抱えたまま生活するのも、ちぐはぐなままなごみと一緒にいるのも、かといって離れて生活するのも無理!!」

 

 

 希は、想いをぶちまけるように吐き出してくる。

 このまま生活することも、このままなごみといるのも、なごみと離れるのも、どれも選べないと、涙と共に声を漏らした。

 僕は希に何も言わなかった。無理だという希に何も言わなかった。

 ただただ、見つめているだけだった。

 

 

「何とかしてよ! 私を助けてよ! 手を差し伸べてよ! 私たち家族でしょ!?」

 

 

 助けてと泣き叫ぶ希に、過去の光景がフラッシュバックする。

 私を助けてと僕を呼んだあの子が、同じ目をしている。

 苦しそうに、悲しそうに、救いの手を求めている。

 

 

「私、私……和友君に見捨てられたら……」

 

 

 そう言われたとき、小学生のあのとき、僕は伸びてきた手を振り払った。怖くて、怖くて、分からなくて、突き放した。

 けれども、今の僕は違う。あの時とは違う。

 僕は、希に向けて黙ったままゆっくり右手を伸ばした。

 

 

「た、助けてくれるの!?」

 

 

 勢いよく飛びつくように右手を掴まれる。

 だが、掴まれても僕は何もしなかった。

 握り返すこともなかった。

 不信に思った希が顔を上げてこちらを見てくる。

 疑心のこもった瞳が僕の目を一直線に見つめてきた。

 

 

「ようやく僕の目を見たね」

 

 

 怯えた瞳が僕を映している。

 怯えた希が僕の瞳に映っている。

 希の見ている世界には、さっきまで見えていた僕と違う僕がいた。

 いつもの僕が映っていた。

 

 

「僕の言いたいこと、分かるよね?」

 

「私、和友に同じことさせようとしてた。昔、私がなごみにしたことと同じことを……」

 

 

 これでは同じなのだ。

 なごみが希を見ているのと同じ。

 クラスメイトが僕を見ているのと同じ。

 相手の気持ちを汲み取らず、自分の見たい世界で生きている。

 希は何かに気づいたようで、目元に溜まった涙を右手で消し去ると、瞳に強い意志を宿して力強く宣言した。

 

 

「私、なごみのところに行ってくる!」

 

「うん」

 

「もし、なごみから軽蔑されたら、嫌いだって言われたら和友が慰めてくれる?」

 

「慰めないよ。だって、そんなことになりはしないって信じているから。普段の希となごみを見ていれば分かるよ。そんなことで、二人の関係が崩れるほど適当な積立て方をしていないでしょ?」

 

「そうね、なごみは私の一番の友達――親友だから。それはこれからも変わらないわ」

 

「うん、何も心配いらないよ。頑張れ、希ならきっと繋げられる。みんなと手を繋げる。僕は待っているからね。希となごみが一緒に戻ってくるのを待っているから」

 

「うん! ありがと! 当たって砕けろ、の精神で行ってくるわ!」

 

 

 希はそう言って物置小屋から出ようと僕を通り過ぎて物置小屋で唯一の扉を勢い良く開けた。開け放たれた部屋から暗がりに慣れた目に大量の光が入り込む。眩しい――そう感じた視界の中には5つの影が映った。

 数秒もたたずに両目が瞳孔を閉じ、光を調節する。

 目の前にいたのは、藍、椛、大妖精、影狼、そして、なごみだった。

 

 

「なごみ!!」

 

 

 希は、中心に立って居たなごみに勢いよく抱き着く。その瞬間――なごみが抱えていたスケッチブックが音を立てて地面に落ちた。

 なごみは勢いに押されながらもなんとか希の体を受け止め、共に涙を流している。影狼さんが優しく希の背中を撫で、椛がなごみの傍で微笑んでいる。

 

 

「すまないな。どうしても話が聞きたいとなごみに頼まれたのだ」

 

 

 藍が謝罪をしながらこちらに近づいてくる。藍の傍には、落ちたスケッチブックを拾った大妖精が控えていた。

 

 

「ああ、そういうこと。あの時の物音は風のせいじゃなかったのか」

 

 

 大妖精が抱えるスケッチブックには大きく「希、おかえりなさい。これからもずっと親友だよ」と書かれた文字が涙の跡と共に刻まれていた。

 




見えているモノが本来の形から外れてしまうことはあります。
思い入れや過去の経験――そういうものが特に影響を与えますよね。

今回は、話を読めばどういうことだったのか分かると思いますが
物置小屋の外で藍が会話を筒抜けにしてなごみに伝えていました。

物置小屋の欠点は、主に4点。
暗がりであること。
汚れていること。
声が外に漏れてしまうこと。
外から聞かれていることに気付けないこと。
特に入っていく様子を見られていたのが致命傷でした。

今回の話で、なごみと希が和解しました。
次回から異変に突入します。
遅ればせながら、更新が遅くなって申し訳ありませんでした。
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