藍の質問に対する答えは、想像の通り、苦しみを増長するような回答だった。
「最終的に……痛みと共に覚える方法を取ったそうよ。痛みは、確かに物事を覚えるのに適しているわ。何か気持ちの動くものが併用されると物覚えは格段に良くなるもの」
「痛みと共に……刻む」
紫は、言葉に出しにくそうにしながらも、決まり事というのが痛みと共に覚えるものだと告げた。どこか悲しそうな目をして藍へと伝えた。
「紫様は、和友の成長記録を見て諦めることを決めたのですか?」
「そう、なのかしら……」
紫は、藍の言葉に言い淀んだ。
この時の紫は、確かに藍の言う通り少年を止めることを、少年を変えることができないと完全に諦めてしまっていた。
だが、少年を止めることを諦めたきっかけがどこに在るのか自分自身でも分からなかった。どうしてこの結論になったのかと問われれば、数多くの理由が存在する。少年に同情しているから、少年の努力を認めているから、変化させることができないから、理由は他にもいくらでもある。
でも、やはり一番影響が大きいと言える理由は、おそらく少年の両親がとっていたこれまでの少年の記録を見たからだろう。少年の生き方を目の当たりにしてしまったからだろう。
紫は、悩める頭を振りほどき、決意を持った瞳で藍を見つめる。
「よく分からないけど、これだけは確かよ。私は、このままあの子に努力し続けて欲しいと思っているわ」
「そうですか」
藍は、紫の想いを聞いて、それだけの内容が成長記録には書かれているのだと想像した。成長記録には、紫の心を動かすだけの何かが書かれている。
しかし、それが分かっていても藍は少年を止めることを諦めなかった、諦めたら終わってしまう、何も変わらないまま終わってしまうという想いが心を占拠していた。
「紫様、紫様のお気持ちはおおよそ理解しました。しかしながら、私には聞きたいことがいくつかあります。お答え願えますか?」
「いいわよ」
藍は、会話を前に進ませるために、痛みを感じながら作業を行うという不穏な言葉について追求する。
「先程の決まり事を覚える方法について、詳しく教えてもらえますか?」
「ノートに書いてあったことを全て信じれば、背中に刃物を突き刺して、何度も突き刺しながらあの作業を続けるそうよ」
「っ……背中ということは、両親がやったのですね」
「間違いなくそうね。背中じゃ本人では見えないし、刺し所を間違える可能性もある」
藍は、紫の言葉で一瞬に察した。通常の人間は自分の背中に刃物など刺すことはできない、覚えるために必要だからといって軽々しく刺せるものではないのだ。
もちろん怖いから、痛いからという理由によって行動が制限されるということもあるが、これは心の持ちようでどうにでもなることである。
ここで決定的なのは―――背中が本人から見えないということだ。
何処になら刺しても大丈夫なのか、何処までなら刺しても大丈夫なのかという部分が本人では見えてこない。背中に刺しながら覚えたということが事実であるならば、背中に刺していたのは少年自身ではなく、他の誰かが手伝ったのだということが予測される。
藍は、紫がそこまで言ったところで立ちあがると、居間の出口へと足を進めようとした。
「やはり、和友を止めてきます!」
「待ちなさい!」
紫は、動きだした藍の腕をすかさず掴むことで藍を静止させる。
藍は、紫の手に掴まれた腕を見ると、続いて目線をずらして紫を見下ろした。藍の瞳は、怒りの色で一色に染まっていた。
「藍、言ったでしょう。あの子を止めては駄目よ。私達にできることは、見守ることだけなの」
紫は、藍と視線を合わせることなく冷静を装ったまま口を開き、凛としたはっきりとした声で藍に言い聞かせる。有無を言わさないという様子で上から下へと言葉を押し付ける。
しかし、藍は紫の言葉を意に返さなかった。今まで付き従っていただけの藍が明確に反抗の姿勢を示した。
「もう、止めるべき両親はいないのですよ。私達が止めなくて、誰が止めるというのですか? 手を離してください」
「私の話を聞いていたの? あの子を止めては駄目よ。それは、あの子を殺す行為に等しいわ。これからのあの子の未来を潰す行為、これまでのあの子の過去を潰す行為なのよ」
藍は、掴まれた手を振りほどこうと激しく腕を振る。
けれども、紫の手は藍の手を決して離さなかった。
紫は、どうしても少年を止めたくなかった。これまで生きてきた少年の人生や、苦悩していた両親のことを考えると、とてもじゃないが少年を止めるという選択肢を選ぶことができなかった。
しかし、藍には紫の言っている意味が理解できない。紫の言葉こそ、間違っているように思えて仕方がないのだ、このまま放置する方が異常なのである。どう考えても、このままにしておけば寿命を削ることになる、これからの未来が、狭く、苦しく、辛くなる。これから積み立てていく新しい過去が重苦しくなる。
それは、藍に許容できることではなかった。
「いえ、分かりませんね。和友が苦しんでいてそれを助けない紫様の気持ちが分かりません」
藍は、はっきりとした声で自身の意志を明確に紫に告げる。これまで従順を貫いてきた藍の牙が、紫へと向けられていた。
「紫様は、和友をあのまま泥沼の中に置き去りにしようとしています。私には、到底理解できません」
「あの子は、これまでに普通に生きて行くために無数の決まり事を作ってきた。あなたの行為は、あの子の作った決まり事を破らせる。それは、あの子の努力を潰す行為に他ならないわ」
紫は、藍を握る手に力を入れる。紫の目には、僅かに怒りが含まれていた。
藍は、紫の言葉を聞いた後、暫く黙りこみ、何も言えなくなった。
紫の言っていることも理解できる。藍が今からしようとしていることは、これまで少年が守り抜いてきたものを破らせる行為である。ずっと、ずっと守ってきた決まり事を打ち砕く行為なのである。
それでも、それでもなのだ。藍は引きたくないという強い思いを抱えていた。
「それでも、それでもです。未来のために過去を捨てる必要があるのですよ。未来へ進むためには重くなった荷物を下ろすことだって必要です」
これは、必要なことなのだ。これからを生きていくために。これからの未来のために。少年が嫌がることだとしても、少年のこれまでを台無しにすることになったとしても、しなければならないことなのだ。変わるためには捨てることだって必要なのだと、伝えなければならないのである。
「それに、いらない決まり事なら無くなってもいいでしょう。和友は、これから別の道を歩んで行くのですから」
「いらない? まだそんなふざけたことを言うのっ!? 決まり事は、あの子の両親が一生懸命悩みに悩んで、あの子が人間として上手く生きていくために作ったもの。血と汗を流してできた結晶なのよ!?」
紫は、藍の無神経な言葉に怒りを露わにして立ち上がると、すさまじい剣幕で藍へと迫った。
紫は、これまで少年が歩んできた道のりを知っている。成長記録に書かれている言葉にどれほどの重みが、想いが乗っているのか分かっている。少年と少年の家族がどれだけ苦労をして安定を築き上げてきたのか痛いほどに理解している。少年がどれほどの努力の中で、どれほどの苦しみの中で、その生涯を送ってきたか想像できてしまっていた。
「それを簡単に捨て去れなんて、よくも言えたものね!」
「過去のために未来を捨てる気ですか!? 和友は、これからの方がずっと長いのですよ!?」
「それでもよ! あの子は、その重みに支えられて立っているのよ。頑張ってきたと、普通を追い求めて努力してきたという糧で、あそこに立っている。それがあるから、未来へと歩いていけるのよ」
「紫様は、何をおっしゃっているのですか。そんなものを抱えていても、これからも背負って行っても……」
紫は、少年の努力を想うと、少年の努力を水の泡にするような行動を取ることなどできなかった、少年の両親の気持ちを裏切るような行為をしたくなかった。
しかし、藍は紫の言葉を決して受け入れない。いつもとは違う、しっかりとした決意をもって紫と相対している。
藍は、迫る紫に対して頑なに退くことはなかった。
「それでも、もうあの子は普通の状態には戻れないじゃないですか!」
「あなたねぇ!!」
「治らない病気に対して、血反吐を吐きながら努力して何になるのですかっ!? それが何のためになるというのですかっ!!」
紫は、藍の言葉によって激昂し、怒りを内包した表情で藍に迫る。
藍は、正面に対峙する紫に物怖じすることなく、紫の声の大きさに合わせるように少年を見てずっと感じていた想いを大きな声と共に吐き出した。
藍は、紫とは違う意味で少年に対して諦めを持っていた。紫とは違い、能力と向き合っていくことに対して諦めを持っていた、少年の状況が変わることはないのだと諦めていた。
少年の能力は、これからどんなに少年が努力をしたとしても消えてなくなることはない。少年がどれだけの時間を費やしたとしても、きっと普通と呼ばれるような状態になることはないだろう。
ならば、努力をする必要なんて無い、それはただの徒労なのだから。
少年の能力に対する努力は、不治の病を治そうとする努力に酷く似ている。決して治らない病気に対して、努力して治療を行い、生を伸ばしている作業に酷似している。
辛かったら逃げるのもありだろう、少しだけ甘えるのもありだろう、現実から目をそむけることも大事なことである。不治の病を忘れて、どこか遊びに行けばいい。それは、自身を守るために必要なことなのである。
少年は、きっとこのままの生活を続ければ心に穴をあけて沈んでしまうだろうから。
そこから水があふれ出して沈没してしまうだろうから。
藍は、だからこそ少年の行動を止めようとしている。
しかし、紫には藍の考えが理解されない。
紫は、別の想いをもって少年の行動を押していた。
「藍っ!! ふざけたこと言うのもこれまでよ!!」
「ふざけているのは紫様の方でしょう!?」
紫は、藍の答えにどんどん声が大きくなる。
「あの子はねぇ、戦っているのよ!! 今も諦めずに現実と向き合っているの!! 貴方には分からないのかもしれないけど、それは、最も難しくて、最も辛い道。それをあの子とその家族は、これまで諦めずに歩んできたのよ!」
「和友には、まだまだこれからがあるのです! 過去に縋って、もういない両親の幻影に憑りついて何処に向かおうというのですか!? 和友は、どこに行けるというのですか!?」
お互いの意見は、真っ二つに分かれている。お互いがお互いに少年の事を思って意見を述べているが、その方向性が真逆になっていた。真逆では、交わらない。交わらずに、心が離れていくだけである。
「それを今から諦めろなんて、どの口が言うのよ!!」
「過去のために未来を捨てろなんて、口が裂けても言わないでください!!」
紫は、少年にこれまで通りに能力と向き合って欲しいと願っている。
藍は、能力と向き合うのを止めて、少しだけでも自身を労わって欲しいと願っている。
そのどちらもが正しい意見に思われるだけに、お互いが引くことはなく、自分の言っていることが正しいのだと疑わずにぶつけ合う。
言い争いは時間の経過と共に大きくなり、ついには手が出そうな空気になる。どうにもならない空気を武力によってねじ伏せる瞬間が刻々と近づいていた。
そんな争いの起きている場所に―――一筋の声が通った。弱弱しく、今にも消え入りそうな声が二人の耳に届いた。
「ねぇ……喧嘩はやめてって、言ったよね?」
「「!?」」
紫と藍は、ハッとしたように声のした方向を向く。
居間のふすまが半分ほど開けられており、紫と藍の視線の先には部屋で一人努力をしているはずの少年の姿があった。
どこか悲しそうにしている少年の表情が二人の瞳に映り込む。少年の視線には、哀しみの色が見て取れた。
二人は、少年の視線に今にも相手に向けて出しそうになっている両手を慌てて降ろした。
少年は、どうやら二人が争っている間に騒ぎを聞きつけてこの部屋にやって来たようである。紫が少年と藍との争い合いの声を聴いたように、少年にも紫と藍の争い合いの声を耳にするだけの音の通りがあったようだった。
「…………」
「ごめんなさい、邪魔したかしらね」
紫は、何事もなかったかのように少年に対して謝罪する。少年を気遣い、できるだけ平静を装って言葉を口に出した。
藍は、少年の言葉に下を向いて押し黙った。気まずい雰囲気に言い訳の言葉が何一つ出てこなかった。
少年は、二人を見くらべると、悲しそうな表情をそのままに震えた口を開いた。
「ねぇ、それもきっと僕が悪いんだよね。そうなっている原因は、きっと僕なんだよね」
藍と紫は、余りに弱弱しい少年の声に驚いた。
二人から見た少年の様子は、昼間とは驚くほど大きく違っている。声のトーンは、昼間に会っていた時よりもはるかに弱弱しくなっており、気持ちが弱気になっていることが嫌でも伝わってきた。
「僕のせい……ごめんなさい、ごめんなさい」
「ち、違うぞ。和友、それは違う」
「貴方……」
紫は、少年のもうひとつの変化にも気付いた。
少年の一人称が俺から僕に変わっている。
紫が少年の一人称が変わるところを見たのは、これまでで二回である。警察官に対応していた時、そして教えを乞うていたとき。
一人称が変わったというのは、相手によって一人称を使い分ける少年の性質から言うと、少年の紫と藍への見方が変わったという証明だった。
藍は、気弱に言う少年に慌てて近づく。
少年は、微動だにせず、ただただ謝っていた。藍は、少年へと手伸ばし、努力して真っ赤になった少年の両手を引っ張り、正面の位置で包み込むように握った。
「和友のせいではない」
「…………」
藍は、必死な顔をしながら少年に対応する。優しく包み込むように少年の両手を掴んで、何も問題は無いということを必死に伝えた。
少年は、藍の瞳を凝視し続ける。そして、暫くの間視線が交錯すると、少年は追い込まれている藍をさらに追撃するように言葉を並べ出した。
「何も、違わないよ。だって、原因が僕しかいないじゃないか……」
少年は、二人が喧嘩していたことに責任を感じ、それを拭うことができなかった。
周りの人に人一倍気を使い、人間として普通に生きていこうと決めて過ごしていた少年は、人の様子や感情を機敏に感じ取ることができた。
今だって、会って間もない二人のことをよく分かっている、自分が来るまでは紫と藍は仲良く暮らしていた、それは二人の様子からもよく分かっていたことである。
そこまで分かっているからこそ―――理解できてしまう。少年がやってきたから喧嘩が起こっているのだと理解できてしまっていた。
「お願いだよ、お願いだから……僕のせいで喧嘩をするのはやめて……」
少年は、自分を責めたて今にも擦り切れそうな声で続ける。
「僕は、頑張るよ。だからさ、二人も頑張ってよ。僕だけが頑張るなんて不公平じゃないか……」
少年は、自分が選ぶことのできる選択肢が全くないことを悟っていた。
少年には、二人から離れて暮らすという選択肢が存在しない。紫は、少年が幻想郷に行くことを散々拒否しても、能力の練習をさせるために力ずくで連れて来た。
少年は、自分がいかに無力な存在なのか紫との病室でのやり取りから把握していた。
その事を考えれば、少年は逃げる事ができないし、仮に逃げることができても連れ戻されるのが落ちだ。
だからこそ少年は、ここから逃げようとはしない。外に戻ることを許されるその日まで、幻想郷を出ることはしない。
ここで、幻想郷で生きていくしかない。
少年は、分かっていた。
「僕は、逃げないよ。僕は、頑張るよ。負けないように、勝つために努力する。最後の最後まで、折れて死んでしまうまで、戦うよ」
少年は、瞳を潤ませながら二人に向かって訴える。
「両親は頑張ってくれたよ? 僕の顔を見ても、僕の傷を見ても、泣きそうな顔で我慢してくれていたよ。泣きながら僕と一緒に戦ってくれた」
少年は、自分自身の弱さを自覚していた。
少年にあるのは―――
両親からもらった人間という繊細な身体
母親からもらった優しさ
父親からもらった強い意志
―――それだけのもの。
両親という支えを失った少年には、新たな支えが必要だった。
「二人は一緒に頑張ってくれないの? 僕を一人にするの? 僕を連れてきたくせに、僕を一人にするの?」
「和友……」
少年は瞳に涙を溜めこみ―――二人に助けを求める。今にも泣きそうな表情になりながらも必死に涙を堪え、二人を見つめた。
藍は、少年の言葉を聞いて何も言えなくなった。少年の必死の懇願に、少年の想いに、少年の本心に、押し黙ってしまった。
何も分かっていなかった。藍は、少年の気持ちをないがしろにしていることに今更ながら気づいた。自分の想いだけで、自分のエゴで想う通りに少年を動かそうとしていたのだと改めて感づいた。
「藍、これで分かったでしょう? 貴方の想いも分かる、でもそこには貴方の意志しかない。これからを決めるのは、この子の選択よ」
「はい……」
藍は、紫の言葉に静かに頷き、しっかりと少年の手を握り締めた。
「私達も頑張るから、和友も頑張れ、最後の最後までやりきれ。私達は、和友が終わるのを待っているからな」
「うん、頑張ってくるよ。ちゃんと待っていてね」
少年は、瞳にたまった涙をぬぐい、嬉しそうな顔をしながら部屋へと戻って行く。廊下を歩く少年の背中は、しっかりと伸びきっていた。
「和友は、戦うつもりなのですね。私……ずっと和友の気持ちを無視していました」
「私たちがあの子を支えてあげましょう。あの子の両親の代わりに」
「はい……」
「……さっきの暴言は、聞かなかったことにするわ」
「ありがとうございます……」
紫が微かに藍へと微笑み藍のこれまでの暴言を許すと、藍はぎこちない笑顔で紫へと微笑み返した。
紫と藍は、炬燵を中心に据えて静かに待つ。少年が区別するために書き記す作業を行っている間、ずっと静かに待ち続ける。少年と交わした言葉の通り、待ち続けた。
「そろそろ和友が言っていた時間です」
「そうね」
時間が刻々と進む、少年が言っていた時間である6時間が経過する。
晩御飯は作らなかった。そんな雰囲気ではなかった。
外は真っ暗になって星が輝き、月が光る綺麗な夜である。
紫と藍は縁側に座って空を眺め、星を数えるようにして時を過ごした。
そんな静かな暗い夜の中、二人の影の付け根あたりにさらなる黒が入り込む。内側の明かりに延ばされた影が入りこんだ。
紫と藍は、満たされたような顔でお互いの顔を見つめる。
「きたわね」
「そのようですね」
「やっと終わったよ。紫、藍」
名前を呼ばれた紫と藍はゆっくりと立ちあがり、少年を迎えるために、影を伸ばした。
藍と紫は、名前の呼ばれた方向へ意気揚々と向かう。待っていた疲れを感じさせない様子で、喧嘩していた時の雰囲気など微塵も感じさせない様子で、少年の元へと向かう。
「和友、お疲れ様。遅くなったけど晩御飯にしましょう」
紫は、少年にすれ違いざまに肩をポンと軽く叩き、部屋の中に入っていく。
少年は、紫の言葉に嬉しそうに笑顔を作った。
「さぁ、座ってくれ。私が今から作るからな」
藍は、すれ違いざまに少年の両肩を掴んで少年を180度回転させる。少年が振り返ることで、3人が同じ方向を向く形になる。3人の視線は、同じ目的地に向かっていた。
「ほらほら、早く行くぞ!」
「わ、分かったから押さないで!」
藍は、少年の言葉を無視してそのまま少年の背中を押し、部屋の中に押し込む。
少年は、思った以上に強く背中を押してくる藍に、転ばないように気を付けながら足を前へと進ませた。
藍は、少年をテーブルのところまで押すと、随分と時間が遅くなった晩御飯を作るためにキッチンに向かって移動しようと行動を開始する。
少年は、藍が調理を始めるのだと察し、藍へと声をかけた。
「あ、僕も手伝」
「和友、座って待っていてくれ。今度から手伝ってくれればいいからな」
「うん、分かったよ。今度からは、僕もやるからね」
「いい子だ」
藍は、少年の口元に人差し指を当てて強引に言葉をさえぎった。
少年は、藍の言葉を素直に受け入れる。藍は、少年の回答を聞き、満足そうな顔で少年を座らせた。きっと今度から手伝ってくれればいいという言葉が少年に妥協させたのだろう。
もしも、ここで座って待っていてくれとだけ言ったならば、無理にでも少年は手伝おうとしたかもしれない。少年はそういうやつだ、藍は少年の性格を理解しつつあった。
「未だに半信半疑だったのだけど……和友って本当に書くことで区別しているのね」
「そうだよ、紫。書いて覚えるなんてものすごく普通のことなんだけどね」
「意外と普通が一番良かったりするものなのかしら?」
紫と少年は、料理をする藍を眺めながら雑談を交わし、食事が来るのを待った。時間が経つにつれて次々と料理が並ぶ。そして、テーブルの上の隙間が料理で埋まると、藍も椅子に座った。
3人は、料理を囲んで座った状態になると全員が全員の顔を見渡し、目配せをしてタイミングを計る。
「「「いただききます」」」
3人は、あるタイミングで両手を合わせて笑顔を作り言葉を合わせた。
3人での共同生活は―――ここから始まった。