ぶれない台風と共に歩く   作:テフロン

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人里への歩み、迫りくる妖精

「「…………」」

 

 

 藍と少年は、暫くの間、何もせず縁側に佇む。二人は、ただただ座って外を眺めているだけ、そんなゆったりとした時間を過ごしていた。

少年は、飽きることもなく遠くを見つめている。藍は、少年の視線を追って遠くを見つめた。

 少年の視線の先には、何もなかった。いくら目を凝らしてもそこにあるのはやっぱり空だけで、少年の視線が何に囚われているのか見当もつかなかった。

 

 

「ふむ」

 

 

 藍は、少年が何に引き付けられているのか少しだけ不思議に思いながらも口には出さず、黙ったまま目をつむる。

 視界は真っ暗になる。だけれども、真っ暗な中でも温かい光の流れが感じ取れる。ゆったりとした、ぽかぽかとした時間の流れている。隣には、少年がいて空を見上げていることだろう。先ほど目に焼き付いた光景が瞼の裏に映っていた。

 藍は、これからのことを考えた。

 今日は、何をする予定だっただろうか。穏やかな心で今日起こるはずの出来事を想像し、先程話した人里へ買い物に行くことについて少年に話した。

 

 

「もう少ししたら人里へ行こうと思うのだけど、いいだろうか?」

 

「全然問題ないよ」

 

 

 少年は、藍の申し出を受け入れると、人里に行く上で気になるところを尋ね返す。

 

 

「それまでに何を用意しておけばいいかな? 何か持っていくものとか、必要なものとかあったら教えて欲しいんだけど」

 

「特に何も持ってくる必要はないな。その身一つあればとりあえずは大丈夫だ」

 

「了解です」

 

 

 少年は、藍の言葉に一度だけ頷いて立ち上がると居間から出て行った。おそらく、自分の部屋に戻ったのだろう。

 藍は、部屋を出て行った少年に対して疑問を口にする。

 

 

「何もいらないと言ったのだが……和友はどうして部屋に戻ったのだろうか。まぁ、体だけでいいと言われて本当に体だけを持ってくる人間も稀か」

 

 

 藍は、少年に追いつくように立ち上がる。

 

 

「さて、私もそろそろ準備をしようか」

 

 

 人里に買い物に行く場合、必要となる物が複数存在する。買い物という単語から何が必要なのかは、容易に想像できるだろう。

 それは、物を買うためのお金と物を入れるための手提げカバンである。

 

 

「お金は、十分にあるな。入れ物もこのぐらいの大きさがあれば大丈夫だろう。寝ぐせもついていないし、服装に乱れはない。準備は万全だな」

 

 

 藍は自身の部屋の中に戻り、人里へ行くための身支度を済ませた。

 身支度を終えた藍は、廊下を歩き玄関へと向かう。

 玄関には、まだ少年の姿は確認できなかった。

 

 

「和友は、まだ……か。一体何に手こずっているのだ?」

 

 

 何をそんなに準備しているのだろうか―――藍はそんなことを考えながら玄関付近で少年の準備が終わるのを待った。

 

 

「来たか」

 

「ごめん、少し手間取っちゃって」

 

 

 少年は、藍が待ち始めてほんの数分が経過したところでやってきた。本来少年が人里へ行くための用意にかかる時間は、藍よりも短くなるはずだった―――藍よりも持っていくものが少ない分、時間はかからないはずだった。

 しかし、少年は現実に藍よりも遅れている。何かしら遅れる理由があるはずだ、藍はそっと少年の姿を確認した。

 

 

「ははっ、遅れた理由はそれか」

 

「これ、間違っていないよね? 最初着た時、間違えたと思ったんだけど……」

 

「いや、間違っていないさ。それで合っている」

 

 

 藍は、少年の姿を見て少年が遅れた理由を把握する。時間がかかった原因は、はっきりと少年の姿に映し出されていた。

 原因は―――少年の着ている服にあった。

 当然のことであるが、少年用の服はマヨヒガには存在しない。少年は病院服でマヨヒガに来たため、外に出るために藍か紫の衣服を着ることになるのは必然である。

 少年の今着ている服は、もちろん藍の衣服である。昨日藍は、寝間着を少年に与えると同時に、平常着る用の服を一着貸し与えた。少年が準備に時間がかかったのは、藍がこれに着替えるといいと言って手渡した服に着替えるのに時間がかかったためである。

 少年が着ている服は、藍の物であるためサイズが大きく、少年に合っていなかった。大きい藍の服をところどころ折り曲げて丈を合わせている状態である。

 藍は、少年の姿に満足したようで、深く頷いた。

 

 

「うん、良い見栄えだ。サイズがちゃんと合っていればもうちょっと良くなると思うが、そこは仕方がないか」

 

「体は急に大きくなったりしないよ」

 

 

 少年は、折り曲げていた服の袖を片側だけ伸ばしてパタパタさせる。振られる勢いに、巻くっていた袖が完全に伸びる。

 少年は、丈が合っていないことを藍に見せつけるように示した。

 

 

「飛び出ているのは10cmぐらいか? 今度丈を合わせようか? そのままというのも居心地が悪いだろう」

 

「ありがとう。でも、このぐらいだったらきっと2年ぐらいで伸びるよ。そろそろ僕も成長期だからね」

 

 

 少年は、藍の提言にお礼を述べるとともに大丈夫と返事を返した。そして、再び折り曲げて丈を合わせると、靴を履いて玄関先に出て藍のちょうど隣に並び立った。

 少年と藍が隣に並ぶと藍と少年の身長差がはっきりする、まるで親子のような身長差である。

 

 

「和友、ちょっと後ろを向いてくれ」

 

「ん?」

 

 

 藍は、少年の肩を掴んで後ろを向かせた。少年は、不思議そうな顔をしたまま藍にされるがままに背を向ける形になる。

 藍は、後ろ向きになった少年の頭を確かめるようにポンポンと叩いた。

 

 

「ん、そうだな、これからに期待だ。和友の伸長はどこまで伸びるのだろうか。170cmを超えるといいが、どうだと思う?」

 

「どうだろう……父さんも母さんもそこまで大きくなかったし、藍ぐらいの背丈で止まっちゃうかもね」

 

 

 少年は、少し考えるようなそぶりを見せながら答えた。

 藍は、程よく小さい少年を後ろから抱き締める。少年の体はすっぽりと藍に包まれ、ちょうど少年の頭の上に藍の頭が乗るような形になった。

 藍の体勢的には、非常に楽な状態である。重力によってかかっている力が程よく少年に体に伝わり、体が休めている。そして、同時に少年の体温が広がり、藍の心にまで温度が伝搬した。少年がまだ幼いからか、人間と妖怪で体温が違うからなのか、少年の方が少しばかり体温が高いように感じられた。

 

 

「私は、このぐらいがちょうどいいと思うがな。丁度いい高さで抱き心地がいいからな」

 

 

 昨日の一件で色々あった藍は、少年の存在を完全に受け入れ始め、家族の一員として扱うレベルまできていた。

 少年の存在は、藍の心に深く侵入している。少年が自分の服を着ていることもあってちょうど自分に子供ができたような感覚に陥り、余計に可愛らしく見えていた。

 少年は、冗談のように話す藍に微笑みながら言う。

 

 

「藍がいいからって、さすがにこのままっていうわけにはいかないよ。僕はちゃんと成長しているんだからさ」

 

「ふふふっ。和友は可愛い奴だな。人間なのがもったいない。和友が妖怪だったら、背丈も変わらずちょうどいい抱き心地のままだったのだがな」

 

「無理無理、僕は人間以外には成れないよ」

 

 

 少年ははっきりと明言し、人間以外には成れないと断言した、確信めいたように藍へと告げた。

 藍は、少年のばっさりした答えに首をかしげる。

 

 

「どうしてだ?」 

 

「僕は、人間だからさ」

 

「それは、どういう……」

 

 

 少年は、人間だからという意味不明な回答を残す。

 藍は、よく分からないといった顔で少年に深く尋ねようと口を開きかけるが、少年は会話を中断させるように、ごまかすようにして人里へ行こうと急かし始めた。

 

 

「藍、こんなことしていたら一向に人里へは行けないよ? 早く行こう?」

 

「おっと、時間をかけてしまったな。では、行くとするか」

 

「準備はオッケーだよ」

 

 

 藍は、少年の発言に余計に時間を消費してしまっていることに気付き、人里へ行こうと足を進めようとした。だが、その途中で少年の持ってきている物が気になり、足を止めた。

 少年は、歩くときに邪魔になる程度のある大きさの物を抱えている。それは、持ち歩くにはどうかと思うような物である。

 少年が抱えている物、それは昨日も見た物―――書き記す物である。

 

 

「ノートを持っていくのか?」

 

 

 少年の右脇には、ノートが抱えられていた。

 ノートは、昨日紫から貰ったものと同一の物のようである。

 

 

「覚えなきゃいけないことあったら、文字だけでも書いておこうと思ってさ。放置して帰ったらきっと忘れちゃうから」

 

「そうか」

 

 

 藍は、少年の言葉にそうかと一言だけ言い、さりげなく右手を差し出した。

 少年は、藍の行動に少しだけ驚いた様子を見せると、すぐさま優しそうな表情を浮かべた。

 藍は、持ち歩くことが難しそうなノートを代わりに持つと行動によって少年に伝えている。少年は、藍の気持ちを汲みとりノートをそっと手渡した。

 

 

「ありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

 藍は、少年からノートとお礼を受け取り、持ってきているカバンの中に入れ、玄関の扉へと足を進めた。二人は、今度こそ人里へと向かう。

 藍は、扉を開けて外へと歩き出す。

 外は晴れ渡っていて綺麗な景色を眺めることができた。

 

 

「今日は、天気の心配をする必要はなさそうだな」

 

「そうだね、太陽はいつにもまして元気そうに見えるよ」

 

「その元気に負けないように、私たちも元気を出していかないとな」

 

「うん!」

 

 

 藍は、数歩歩いたところで後ろから響く玄関を占める音を耳にした。少年が扉を閉めてきているようである。

 

 

「別に閉める必要はないのだが」

 

「一応だよ、一応。開けっ放しは気持ちが悪いからね」

 

 

 藍は、少年の几帳面さを改めて実感した。

 幻想郷には、マヨヒガを訪ねる者など存在しない。むしろ、できる者が存在しないと言った方が正しい。

 マヨヒガは、紫によって境界が歪まされており、招かれている場合は別にして、来ようと思って来ることができる場所ではないのだ。そのため、玄関を閉めてくる必要性は無いと言っても差支えなかった。

 少年は、その事実を知らないから玄関の戸を閉めたのだろうか―――いいや違う、あれは完全に少年の習慣の一部なのだろう。変わることができないと、変えることができないと言っていた、身に付いた習慣というものなのだろう。

 少年は、藍の開けた玄関の扉を閉めて藍の後を追った。

 

 

「人里ってここから結構遠いの?」

 

「そんなに遠くはない。あっという間に着くほど近くもないがな」

 

 

 目の前に広がっているのは、何処までも続いているように見える草木の生えた草原である。二人の視界には、青々とした緑が広大に広がっている。何もない緑の空間に、二人分の草木を踏み鳴らす音が絶え間なく響いている。

 少年は、藍との会話で思い出したように口を開いた。

 

 

「あっ、そうだ。ここに来た時から聞きたかったんだけど、ここって幻想郷のどこらへんになるのかな?」

 

「ここはだな……いや、口で説明しても分からないか」

 

 

 藍は、少年の質問に答えようと口頭で少年に伝えようとする。

 しかし、口頭で場所を伝えることは非常に難しいと、口を開きかけたところで気づいた。

 少年には、幻想郷の地理に関する予備知識が存在しない。予備知識のない状態の相手に対して、あれこれ言葉で伝えても決してまともに伝わらないだろう。東京駅の場所を知らないものに、東京駅から歩いて何分という情報を与えても理解できないのと同じである。

 藍は、少年に対して口頭で説明する考えを捨てて、別の方法で説明することを決めた。

 

 

「ここはマヨヒガと言われる場所だ。幻想郷のこの辺りになる」

 

「へぇ~すごいなぁ」

 

 

 藍は、聴かせるという方法ではなく、見させるという方法をとった―――百聞は一見に如かずということである。

 藍は、空中に幻想郷の簡単な地図を描き出した。線は青白く光り、主要なポイントごとに点が振ってある。

 少年は、藍の技術に見ほれるようにして目を輝かせていた。

 

 

「ここだ、ここ」

 

「おお~」

 

 

 藍の動きは、本当に見事なものだった。流れるように地図を描き出し、光り輝く図面を広げながら空中に描いた地図上の在る場所を指でトントンと叩き、現在位置を示す。

 少年は、眩しくなるぐらいの笑顔で両手を差し出し、藍に向けて合図を送った。

 

 

「お願いします!」

 

「ふふっ、分かりました」

 

 

 少年の行動を見た藍は、先程カバンに入れたノートを渡すことで少年の合図に答えた。少年は、ご機嫌な様子でノートを開いて空中に描かれた地図を模写する。

 

 

「どれどれ?」

 

 

 藍は、そっと少年の書いているノートに視線を移す。

 少年の書いている地図は、子供とは思えないほど上手かった。まるでそのまま上から書き写したみたいに見える。

 藍は、歩きながらでも正確に書くことのできる少年の技量に感嘆した。

 

 

「和友は、真似て書くのが上手いな」

 

「書くのには慣れているからね。模写するぐらい楽勝だよ」

 

 

 少年は、ノートの上の現在位置にマヨヒガという文字を大きく書き記した。そして、藍の描いた地図を描き終わると、手を止めて藍へと質問を投げかける。

 

 

「それってどうやってやっているの?」

 

「力のちょっとした応用だよ。指の先から妖力を出して空中で固定しているのだ」

 

「どういうこと?」

 

 

 少年は藍の言葉がよく分からなかったようで首をかしげる。基本的な知識のない少年には、藍の話している内容がよく理解できなかった。

 

 

「きっと、今日にでも紫様から聞くことになるさ。紫様は昼頃には起きてくるはずだから、能力の練習もその辺りでやることになるだろう」

 

「そっか、聞くならその時だね」

 

 

 藍は、首をかしげる少年を優しい顔で見つめて答えはいずれ分かると言った。

 少年は、藍の言葉に納得したのか、追及することはしなかった。

 藍は、話をつづけるように次の話題を口にし、紫の存在の重要さ、マヨヒガの在り方を少年に説明する。これは、いずれ知っておかなければならないこと、知っておくべきことである。

 

 

「ちなみにだが、私と紫様は別にマヨヒガに住んでいるわけではない」

 

「そうなの? あんなに広い家なのに?」

 

「紫様はああ見えても幻想郷の管理者だからな。命を狙われることも少なくない」

 

「そっか、そうだったね」

 

「紫様は、基本的にマヨヒガではなく別のところに住んでいる。私も何度も連れて行ってもらっているが、未だによく分からない場所だ。おそらくあそこは紫様以外には辿り着けない場所なのだろう」

 

 

 藍は、紫基本的な所在地についての情報を少年に伝えた。

 紫と藍は、基本的にマヨヒガに住んでいない。藍と紫は別の場所で寝泊まりをしている。食事のときだけマヨヒガに来る、用事があるときだけマヨヒガに来訪するような生活を送っている。

 少年は、昨日聞いた紫の立場を思い返し、記憶から消えそうになってしまっている情報を取り出す。必死に頭の中を整理して記憶を固定する。手を動かしノートに書き記した。

 

 

「でも今は、紫も藍もマヨヒガにいるよね」

 

「和友がいるからな」

 

 

 藍は、少年の質問に端的に答えた―――紫と藍がマヨヒガにいるのは、少年がいるからだとはっきり告げた。

 

 

「私も紫様も、和友が能力の制御ができるようになるまでは、マヨヒガに住むことになるだろう。和友が無理そうなら、能力の制御ができるようになった後もしばらく住むことになるだろうけどな」

 

「いや、大丈夫だよ。僕は一人でも大丈夫」

 

 

 少年は、心配するような藍の物言いに確信めいた様子で答えたが、藍は断言するように言う少年が心配でならなかった。昨日のことを考えると一人で大丈夫という言葉は信用に値しないのである。

 藍は、わずかに声に力を込めて少年に伝えた。

 

 

「無理はするなよ」

 

「…………」

 

 

 少年は―――藍の言葉に返事をしなかった。

 

 

 

 

 少年は、周りをきょろきょろと見渡す。

 草原は、ずっと続いている。目を配っても、遠くを見ても、目に入るのは草原だけである。

 藍と少年は、ここに来るまでずっと歩き続けている。マヨヒガからずっと歩きっぱなしである。

 少年の視界には、緑の生い茂っている景色、空の澄んだ青色しか映っておらず、それ以外に何も見えていなかった。

 少年は、一向に見えてこない人里に疑問を抱える。このまま歩き続けて本当に人里に到着できるのだろうか。少年は、何も変わらない景色に不安を感じて藍に問いかけた。

 

 

「何も見えてこないんだけど、このまま歩いていくの? 歩いていけば、着くんだよね?」

 

「……少し話し過ぎたな」

 

 

 藍は少年の言葉で予想以上に歩いてきてしまっていることに気付き、少年との会話に意識を取られ過ぎたと少しだけ反省する。実のところ、別にこんなところまで歩かなくてもマヨヒガを出たところで飛んで行ってもよかったのである。

 

 

「人里へは、飛んで向かう。歩いて行くと時間がかかりすぎるからな」

 

「えっ……」

 

 

 少年は、藍の飛んでいくという言葉に明らかに表情を曇らせた。

 飛ぶ―――それは少年にとって死に直結する言葉である。

 夢の半分が転落死によって終幕を迎える少年にとって、飛ぶという行為は死を連想するに十分すぎた。それに、飛行機にも乗ったことがない少年には飛ぶという言葉の意味が分からない。少年にとっては、飛ぶという言葉は、落下すると併用される言葉である。

 飛べば落ちる。それが、少年の飛ぶという認識。

 落ちれば死ぬ。それが、少年の落ちるという認識。

 少年は、不安を抱えて藍へと声を漏らた。

 

 

「僕、飛べないよ……?」

 

「和友は心配しなくていいぞ、私が抱えていくからな。こう見えても九尾の妖怪だ。人ひとり抱えて飛ぶぐらい、わけもないさ」

 

 

 藍は、少年の目の前で膝を折ってかがむ。

 少年は、顔を少し赤くして恥ずかしがるそぶりを見せた。

 

 

「ほ、本当におんぶしていくの?」

 

「空を飛ぶのは、怖いか?」

 

 

 少年は、きょろきょろと周りを見渡し、恥ずかしそうに告げた。

 しかし、藍は少年の表情に表れている羞恥心ではなく、少年の瞳の奥にある恐怖心を感じ取っていた。少年の表情と瞳は、感情が一致していない。表情は恥ずかしそうな感情を、瞳は怯えた色を映し出している。

 藍は、怯える少年をできるだけ安心させるように大きな背中を見せて、しっかりとした言葉を口にした。

 

 

「和友、大丈夫だ。私を信じてくれ」

 

「で、でも……」

 

 

 少年は、藍の言葉を聞いても戸惑いを抑えきれず、視線を泳がせる。

 藍は、少年を安心させるように再び優しい声色で少年に告げた。

 

 

「ほら、早く。心配しなくていいから。大丈夫だから、大丈夫だからな」

 

「う、うん」

 

 

 少年は、藍の言葉に押されて藍の背中に覆いかぶさる。

 藍は、少年を背負うと一度ひざを一気に伸ばして少年の位置を調整し、少年をリュックサックのようにおんぶした。

 

 

「よっと……」

 

「うわっ!」

 

「はははっ、急に持ち上げてすまないな」

 

 

 少年は一気に持ち上げられて驚きの声を上げたが、藍はそんな少年の反応が面白くて仕方がなかった。

 

 

「このぐらいがちょうどいいな。尻尾にもかかっているし、安全だろう」

 

「うう、恥ずかしいな。それになんだか……」

 

 

 藍は、背中のちょうどいい位置、尻尾の上に乗るような形で少年を安定させる。藍の背中に乗った少年は、未だに顔を赤くしたまま何かを言いかけたところで言葉を止めた。

 藍は、ここで少年が何を口にしようとしていたのか聞き返すことはしなかった。少年と話すのはとても楽しく有意義な時間ではあるが、人里へは行かなければならない。

 藍は、人里へ行く目的のために少年の言葉を無視して忠告する。

 

 

「落ちないようにしっかり掴まっていろよ」

 

「うん……」

 

 

 少年の腕が藍の首にまわり、背中にしっかりと掴まる。

 少年は、藍の背中にくっついた瞬間に頬を緩ませ、目を細めると小さく呟いた。

 

 

「あったかい……」

 

「どうした?」

 

「なんだか懐かしくて」

 

「そうか……」

 

 

 少年は、甘えるように体だけでなく頭まで藍の背中に押しつけるようにして預けた。

 藍は、少年の言葉を聞いてきっと母親のことを思い出しているのだろうと察しながら、少年の重みを感じていた。

 

 

「行くぞ」

 

 

 藍は、少年が背中にしっかりと捕まったことを確認すると、足を地面から離す。足と地面との距離はどんどん遠くなり、最終的に数百メート上空を飛行する形になった。

 飛行速度は、少年をおぶっているということを考慮して40キロ前後を維持している状態である。

 少年は、藍の背中から顔を出し、空の景色を見渡しながら口を開いた。

 

 

「空が飛べるっていいね。景色はいいし、遠くまで見える。何より坂道がない。地形に左右されないのは大きいね。楽々だ」

 

「思ったより平気そうだな」

 

 

 藍は、思ったよりも少年が飛ぶことに対して平気そうで安心した。飛ぶことに対しての恐怖は、藍の思ったほどではないようである。恐怖を感じるどころか、普段よりも声色が高く、声が若干大きくなり、実に楽しそうに周りを見渡している。

 

 

「和友もいずれ飛ぶことになるはずだ。外の世界のように移動手段が豊富ではない幻想郷で飛べないというのは、不便極まりないからな。飛べるようになれば、どこに行くのにも楽に辿り着けるようになる」

 

「交通機関が無い状態で車を持っているかどうかっていうぐらいの違いがあるわけだね」

 

 

 幻想郷の交通手段は、基本的に徒歩である。外の世界のように自動車が走っているわけでも、バスが走っているわけでも、電車が通っているわけでもなく、少年が通学に使っている自転車もない。飛べないということは、すなわち幻想郷において不便を抱えることと変わらなかった。

 幻想郷において飛べるということは、大きなメリットがあるのである。

 少年は、暫くすると楽しそうにしていた顔をひそめて複雑な表情を作った。

 

 

「それにしても、空を飛ぶかぁ……あんまり気のりはしないなぁ」

 

「どうしてだ? 空を飛べると色々便利だぞ。人里に行くのにも、妖怪から逃げるのにも、色々なところで使える技術だからな」

 

 

 少年は、先程まで見える景色に表情を躍らせていたのにもかかわらず、空を飛ぶのはあまり気のりしないらしい。

 少年は、ちょっとだけひきつった表情で藍の質問に答える。

 

 

「飛ぶのに苦手意識があってさ……僕は、高いところが苦手なんだよ」

 

「やっぱり和友は怖かったのだな。でも、飛んでいればじきに慣れるさ」

 

「そうなのかなぁ……」

 

 

 少年は、藍の言葉に一言だけ呟いた。どうやら藍の言葉を信じられないらしい。

 藍から言わせれば、高いところが苦手と言っている少年の言葉の方が信じることができなかった。先程まで楽しそうに周りを見渡していた人間が発する言葉とは到底思えなかったからだ。

 少年は、藍の言葉を頭の中で回転させながら目の前の絶景を見渡し、空中に浮いている「あるもの」を発見した。それは外の世界には、絶対に存在しないものである。

 

 

「藍、この、ところどころに飛んでいる変な生き物は何なの?」

 

「ああ、こいつらのことか」

 

「羽が動いていないけど、この生き物の羽は何のために付いているの?」

 

「それは、私にも分からないな……」

 

 

 幻想郷の上空数百メートルの所には、ふわふわと浮かんでいる生き物が点在していた。浮いている生き物の姿形は幼い子供のようであり、背中からは透き通った羽が生えている。少年が今までに見たことのない生き物である。

 少年は、謎の生き物の背中に生えている羽を見て不思議に思った。謎の生き物の背中の羽は、微動だにしていない。普通であれば、羽をはばたかせて浮いているというのが、羽を持ち空を飛んでいるものの常識だが、動いていない羽を見ていると浮くために羽がついているのかどうか判断がつかなかった。動いていないということは、要らないのではないか。ただ、そう考えると、どうしてついているのか分からない。

 少年には、今見ている生き物に生えている羽が何のためについているのか不思議だった。

 

 

「とりあえず、あれは自然現象が具現化したもので妖精と呼ばれる生き物だ。浮いているのは、さっき私が作った地図と同じような力を使って浮いている。妖精は、悪戯好きのやつが多いから気をつけろよ」

 

 

 藍は、空中に浮いている生き物は妖精だと少年に説明した。

 少年は、妖精は悪戯好きという説明を無視するように、生き生きとした表情で手を伸ばす。

 

 

「ねぇ、触ってもいい?」

 

「和友、私の話を聞いていたのか?」

 

「お願い」

 

「はぁ、仕方がないな……暴れない程度にするのだぞ」

 

 

 藍は、少年のお願いに大きなため息をつきながらも少年の想いに答えるように妖精のいる場所へと飛行した。少年は、藍の首に巻きつくように回していた片腕を振りほどき、自由になった片手を妖精のいる方向に伸ばす。

 少年は、近づいていく妖精との距離に気持ちを躍らせる。少年の片腕は、妖精との距離を徐々に詰めていく。そしてついに少年と妖精との距離が零距離になった。

 少年は、妖精をがっしりと掴みとる。妖精は羽のように軽く、妖精を掴んでいる腕に負荷を感じなかった。

 

 

「おお! (さわ)れた! すごいすごい! ちっちゃい! 軽い! こんな生き物がいるんだね!」

 

「□△○×」

 

 

 掴まれた妖精は、何事かと両足をばたつかせて声を発した。

 しかし、二人には妖精の言葉が全く理解できなかった。妖精は、人間の言葉を覚えていないのだろうか、そもそも言語そのものを持ち合わせていないのかもしれない。

 少年はもちろんのこと、藍も妖精の事については詳しい事まで把握していなかった。喋る妖精もいれば、喋れない妖精もいる、それだけのことである。

 

 

「妖精は、幻想郷中に生息している。幻想郷が自然でいっぱいな証だ」

 

 

 藍は、外の世界よりも優れているといえる、幻想郷の良い部分を少年にアピールする。これから、幻想郷で生きて行く上で幻想郷自体を好きになってもらうことは、いいことである。

 だが、肝心の少年の意識は完全に妖精に持っていかれてしまっており、少年の耳には入らなかった。

 

 

「ほいっと、しっかり掴まっていろよ」

 

「?????」

 

 

 少年は、妖精を頭の上に設置する。

 妖精は、わけも分からないまま少年の髪の毛を掴むと少年の頭にしがみつく。

 その表情は綻んでおり、風になびいて気持ちよさそうにしている。少年と妖精の顔は、同じような表情をしていた、同じように楽しそうに笑っていた。

 少年は、笑顔のまま自由になっていた片腕を再び藍の首に回す。藍は、少年と妖精の様子を気にして少年に尋ねた。

 

 

「和友、私の背中で何をやっているのだ?」

 

「ちょっとね! なっ!」

 

「△×」

 

 

 少年は、藍の質問に対して元気よくはっきりと答えた。

 藍は、少年の回答に不安になった。少年と妖精が自分の見えないところで何かをしていると思うと不安でいたたまれなかった。

 少年の能力については不透明なところが多く、少年自身が力を使いこなせているわけでもない。力を持たない少年にとっては、妖精といえども脅威に違いなく、危ない存在であることに変わりはないのだ。

 けれども、少年は藍の心配をよそに楽しそうに笑っていた。妖精も、心なしか少年の言葉に返答するように返事をしており、二人は藍の背中で楽しそうにじゃれ合っていた。

 

 

「和友、決して無茶はするんじゃないぞ」

 

「ははははっ、すごいなぁ。幻想郷ってすごい」

 

「◇◆■□○●◎」

 

「人里に着いたら覚えていろよ」

 

 

 藍は、今ここで少年に注意を促そうと一瞬考えたが、それは危険だということを理解して口を紡いだ。ここは、地上から約100メートル上空である。空中で注意をするのは、もしもが起きる可能性を考えると非常に危険だった。

 藍は、人里に着いたらきちんと注意をしようと心に決め、速度を上げる。その背中では、少年と妖精が元気いっぱいに笑っていた。

 

 

 

 

 

 ―――人里付近―――

 

 二人と一匹は、お互いに独自の気持ちを抱えながら人里が見える位置にまで飛んできた。

 少年は、藍にしがみついている右手を離し、ある方向に向ける。右手が指さす先には、建物が複数立っているのが確認できた。

 

 

「ねぇ、人里ってあれのこと? なんか色々建っているけど」

 

「そうそう、あれが人里だ」

 

 

 藍は、少年の認識が正しいことを伝えた。

 少年は、初めて行く人里に目を凝らす。その瞬間―――少年の頭の上にいる妖精から何とも形容しがたい音が発せられた。

 

 

「ん?」

 

 

 少年は、何があったのだろうかと少しだけ意識を、音を出した妖精へと向ける。

 しかし、妖精はそれ以上何かをすることは無く、声を発することも音を出すこともなかった。少年は、訝しげな表情で視線を上にあげる。視線の先には、特にも変わらない視線を人里に向けた妖精がいるだけだった。

 

 

「人里へは何度も来ることになると思うから場所を覚えておくといい」

 

「う、うん。分かったよ、頑張って覚えるね」

 

 

 少年は、妖精に気を取られていたため藍の言葉に一瞬戸惑ったものの、一度頷いて返事をした。

 

 

 

 

 ―――人里入り口―――

 

 藍と少年と一匹の妖精は、人里の入り口に降り立った。少年は、藍にしがみついていた腕を振りほどいて地面に足を付ける。

 人里の入り口には、大きな門がそびえ立っていた。門の外には人里の入り口と言うだけあって警備員らしき人達が複数人立っている。扉は、妖怪などの外敵から身を守るために厳重に閉められているようだった。

 少年は、人里への入り口に向かって歩き出し、藍を追い抜くように走っていく。

 藍は、前を進んで行く少年の後ろ姿を見て、来るまでの道中、背中で行われていた事柄を理解した。

 

 

「和友、そんなところに妖精を置いていたのか。妖精だって力を持った生き物なのだからあまり変なことはするなよ」

 

「変なこと?」

 

「§@!!」

 

 

 少年は、藍に話しかけられて動かしていた足を止めた。

 頭の上の妖精は、いきなりの急ブレーキに少年の頭から落ちないように必死にしがみつく。

 少年は、一生懸命にしがみつく妖精を頭に乗せたまま振り向き、困ったような表情で藍へと告げた。

 

 

「変なことって言われても、両手は藍にしがみついていたんだから使えなかったし、そうなると頭か背中しかないでしょ。背中だと離れた時にどうしようもないから頭に乗せたんだけど」

 

「和友……大事なところはそこではない」

 

 

 藍は、少年の弁論に自分の想っていることと少年の考えの間に齟齬があると感じた。何も妖精を頭に乗せていることに怒っているわけではないのだ。妖精と遊んでいることに対して怒っているわけでもないのである。

 

 

「力を持っているという所が大事なのだ」

 

「えっと……どういうことなの?」

 

 

 少年は、よく分からないといった様子で首をかしげた。

 藍は、余り理解できていない少年に分かってもらえるように説明する。

 

 

「妖精は、人を殺せるだけの力を持ち合わせているということだ。知識や殺意の問題で人を殺すだけの事態にはならないことが多いが、持っている物だけを見れば十分に死ぬことだって考えられる」

 

 

 妖精は、一般的に大人の人間より弱いと言われている。

 しかし、それは単純な話―――知恵がないからである。妖精には、人間に対して悪戯をしようという気持ちしかない、だからこそ無事にすんでいるだけなのだ。

 仮に、本気で妖精と人間の両者が争った場合、妖精の方に分があるのではないかと思えるぐらいに妖精は力を保持している。人間と妖精では、持ち合わせている武器が違うのだ。例えて言えば、丸腰の大人と銃を持った子供という具合だろうか。

 

 

 

「ごめんなさい、今後気をつけます……」

 

「ちゃんと反省するのだぞ」

 

「うん……」

 

 

 少年は、命の問題なのだと告げる藍に対して頭を下げて謝罪し、頭の上に乗っている妖精を持ち上げて地上に下ろした。

 

 

「…………」

 

 

 少年は、無言のまま妖精を見降す。

 妖精は、不思議そうな表情をしたまま少年を見返した。身長80cmあるかどうかの妖精は、少年から見てもとても小さく幼く見えた。

 

 

「それじゃあね」

 

 

 少年はしばらく妖精を見つめた後、妖精に向けて別れの言葉を告げると、妖精に向かって手を数回振る。妖精は、少年に返事をするように手を振り返した。

 少年は、手を振り返す妖精を見て満足した笑顔を作る。

 

 

「じゃあ、行こっか」

 

「そうだな」

 

 

 藍と少年の二人は、妖精に向いていた体を180度回転させて人里に向かって歩き始める。妖精を置き去りにして、寄り添うように並列に並び、人里の門へと近づいた。

 

 

「人里はあの門を通ったところだ。先に人里に入れてもらえるように門兵と話をつけてくるから、和友はのんびり歩いてきてくれ」

 

「うん、いってらっしゃい」

 

 

 藍は、急ぎ足で人里の門にまで走っていった。

 

 

「やっぱり、すんなり人里に入れるわけじゃないんだね」

 

 

 人里の門を開けてもらうためには、開けてもらうための交渉が必要なようである。妖怪が人里に入るには、さすがに素通りというわけにはいかないのだろう。

 

 

 少年は、藍の後を追うように歩いて近づく。

 その時―――声が後方から聞こえた。

 

 

「バイバイ」

 

 

 少年は、後方からの声に反応して慌てて振り返る。先ほどまでそこにいた妖精は、跡形もなくなっていた。

 妖精は―――自然の権化である。おそらく、自然へと帰ったのだろう。

 

 

「バイバイ」

 

 

 少年は、わずかに微笑み、誰もいなくなった空間に向かってもう一度手を振った。

 はたから見れば、奇妙に見える光景だった。誰に対して向けられたものか分からない声は、静かに拡散して消えていった。

 少年は、しばらく手を振ると満足した表情で振り返る。少年の視界の先にある人里の門は、すでに迎え入れる準備を終えて開かれていた。藍が門番との交渉を終えたようである。

 藍は門の傍で少年を待っており、少年は慌てて止めていた足を前へと進めた。

 

 

「随分とゆっくりだったな」

 

「ごめんなさい。でも、もう大丈夫だから」

 

「……そうか、では行くとしよう」

 

 

 藍は、沸き立つ疑問を飲み込み、少年と人里へと歩き始める。

 少年は、藍と合流すると藍と離れないように並んで人里の中へ歩く。消えた妖精のことを忘れるように人里へと意識を向けていた。

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