連れられた先は、紅魔館の主であるレミリアのいる部屋。
勧誘され、それを断る少年。
得られるものがない。
欲しいものがそこにはないという理由で。
少年は、流されるようにフランと呼ばれている人物に会うために移動を開始した。
少年の前方には常に咲夜の後姿がある。少年は、咲夜の背中を視界に収めながら廊下を歩いていた。
目的地は、レミリアが口に出したフランという人間がいる部屋である。
(やっぱりこの真っ赤な空間は目に悪いな。目の前に咲夜さんがいなかったら頭がおかしくなりそうだ)
廊下は相も変わらず真っ赤に染まっており、目に悪い。常に圧迫感を感じる。まるで自分が赤しかない世界に飛び込んでしまったのかと錯覚してしまいそうになる光景だった。
目の前にいる咲夜がいなけば本当にそう思っていたかもしれないほどに―――赤しかないのだ。こんなところで生活している紅魔館の人間は凄いなと思わずにはいられない。
そんな紅魔館の一員である咲夜は、後ろから聞こえている少年の足音を聞きながら、心の中に徐々に不安が立ち込めてくるのを感じていた。
(笹原を妹様に会わせて大丈夫かしら……)
咲夜の経験則から言って、人間をフランに会わせるという行為は一直線に死に直結する。そこに例外があったことは今までに一度だってない。
食料となるべき人間だったという前提条件があるものの、次の日に生きていたことが一度もない時点で、生き残ることが非常に難しいことは分かる。
そんな場所に少年を送り出していいものか。例え、主であるレミリアの命令だとしても死ぬ可能性が高いところに送り出してもいいものか。
今やっていることは―――少年を殺す行為を補助しているのではないのか。
その疑問に対して否定する言葉を用意できない。
ただ、それを考えてもどうしようもできない実情がある。主であるレミリアに対して何も言うことができてなかったという結果はさっき出ている。言い分を認めたという結果が示されている。
これからのことを考えると気が滅入る。気持ちが重くなる。
咲夜は、意図せずに少しトーンを落とした声で少年に話しかけた。
「笹原、妹様は……少し、気性の荒い方というか……」
これから少年が会うことになっているレミリアの妹―――フランは、単刀直入にいうと情緒不安定な吸血鬼である。
性格面の話をすれば、誰かの言うことを素直に聞き入れるような者ではなく、遊びたい、壊したいといった感情に支配されることが多い人物で、抑えの利かないブレーキのかからない暴走マシンのような印象を持っている人物である。
フランが情緒不安定ということは紅魔館の人間ならば周知の事実であり、この評価をしているのも紅魔館の人間ではあるが、少なくとも危険な人物であることは、フランドール・スカーレットという人物を知っている者ならば誰もが口を揃えるだろう。
俗にいえばそれは―――狂気に満ちているということだ。
どんどんとフランの部屋へと近づくにつれて心に不安が募ってくる。そして、心にかかる負担を減らすように咲夜の口からは言葉が吐き出された。
「少々気難しい方なので気を付けなさい」
「気を付けるって……何をどう気をつければいいの?」
少年は、咲夜の言っている言葉の詳細が分からず尋ね返した。
「それって下手に出ればいいってこと? 褒めるような言葉を並べればいいってことなのかな?」
気を付けてくださいというのは、何ともアバウトな表現である。特にこれから会う人物がどんな人物なのか分からなければ、どう対処していいのか皆目見当もつかないし、想像することも難しい。
気難しい方だという咲夜の口から出た言葉の万能性も、少年の判断の基準を鈍らせている。結局のところ咲夜の気を付けてくださいという説明では、実際に会ってみるまでどうもしようがなく、対処のしようがないのだ。
咲夜は、それもそうかと思いながら少年の問いかけに答えようと口を開こうとした。
「それは……」
「それは?」
「…………」
咲夜の頭の中にレミリアの妹であるフランのことが巡る。頭の中で必死にフランドール・スカーレットの対処の方法を模索する。
しかし―――考えてはみたものの何一つとしてフランに対処する方法が見つからなかった。
フランに対しては、これをすればいいというような明確な対応方法が存在しない。これまで癇癪を起こした場合に対処した方法など、癇癪を起こした原因を絶ってやるか、新しいおもちゃで発散させるか、吸血鬼の嫌う流水で動けなくする対処しかしたことがなかった。
アイデアが出てこないのは、対処しようとも思ってこなかったから。
対処できた試しがないから。
できたといえば、それは―――力ずくで止めたようなことしかない。それこそ、吸血鬼の弱点をついての強制停止しかない。
それが、少年にできるのか。
咲夜は、困った顔をしながら少年へと視線を向ける。
「それは……」
少年にできること。
美鈴と闘った時に少年の実力はある程度割れている。あの姿を見て、フランドール・スカーレットに対してできること。
―――何があるだろうか。
「僕にできることって何かある?」
「笹原にできること……」
これまで対処してきた方法があるのならば、それをやればいいという話ではあるのだが―――力を持たない少年に自分たちと同じことをやれというのは酷な話である。
別の所にフランの矛先を持っていくことも。
フランの力に対抗することも。
発散させるまで踏ん張ることも。
流水のような吸血鬼の弱点に触れる行動をとることも。
少年にとってはどれも非常に難しい。だからこそレミリアは、パチュリーを連れて行けと言ったのだろうが、少年自身ができることはこれといってなかった。
情緒不安定というのはつまり―――少年にとって対処のしようがないということと同義である。
フランドール・スカーレットという人物は、決まった入力によって決まった出力が返って来るような相手ではない。Aをすれば、Bが返って来るなどありえない。そんな相手に対して少年にできることなど何もなかった。
咲夜は、淀んだ口調で少年に向けて分からない旨を伝える。
「ごめんなさい。私には分からないわ……」
「そっか」
はっきりとしない咲夜の回答に対して返されたのは、余りにそっけない言葉だった。
何を言われても特段不安はない。今まで会ったことがない人間に対して不安を抱えても仕方がない。結局不安を抱えても、覚悟をしても、未知のことが待っていても、未来なんてそんなものである。
「まぁ、何とかなるでしょ。何とかならないことなんて―――ほとんどないんだから」
未来なんて―――行き当たりばったりの交通事故の連続だ。
産まれたときからずっとそうだった。
境界を曖昧にする能力に選ばれたことも。
能力に対する努力をしてきたことも。
能力に対する努力が実になったことも。
今まで能力が他の人間に対して露見しなかったことも。
紫と出会ったことも。
幻想郷に連れてこられたことも。
何もかもが偶然の産物でしかない。
そして、少年が気にするのは―――いつだって自分のことではなく相手のことである。
「ただ、みんなも気を付けてね」
「え?」
少年からの思いもしない台詞に、咲夜の表情がきょとんとする。
少年の言葉は、あまりにも場の雰囲気に沿っていない。
これから死地に向かうというのにみんなの心配をするのか。
これまで送られた咲夜の言葉は不安を煽るような言葉しか含まれていなかっただろう。
先程まで咲夜の顔に張り付けられていた表情も不安を募らせる要因の一つになっただろう。
しかし、少年の表情には僅かな不安も見えず、咲夜からの影響を受けている様子は一切見られなかった。
「貴方は怖くないのかしら?」
「何も怖くないよ。僕が怖いのは、みんなに被害が出ないかというところだけ」
やはり少年は変わっている人間だ。少年の関心は、どこまでいっても外へと向かっている。内に秘めている恐怖や不安よりも、外に対する被害を気にしている。普通の人間ならば、ありえない心の動きである。
「僕はみんなに迷惑をかけたくない」
自分のことがどうでもいいのか。
死にたいのか。
だが、そんな雰囲気は感じない。あるのは、自分は大丈夫だから他の方を心配するべきだという様子だけだ。
これまで死にそうになった経験がないのだろうか。
他に何か特殊な力でもあるというのだろうか。
―――こういう雰囲気が興味を引くのだろう。
こういう様相があるから、主であるレミリア・スカーレットが興味を持ったのだろう。
(お嬢様が笹原に興味を持った理由が分かった気がするわ)
「これから会う子は、みんなが気を遣う程度にはどこかが特異な子なんだよね。そんな子と僕が会って何かが起こらなければいいけど……いや、何も起こらないなんてありえないか……人と人が会って何も起こらないことなんてないんだから」
この出会いが―――何かの引き金を引くことにならなければいいけど。
自分が会うことで刺激を受けて、何かがどうにかならなければいいけど。
なんて、これからのことを考えても何も浮かんでくるものはなかった。
「僕には、これからその子に会ってどうなるのか想像もつかないんだ。何があっても動揺しない気持ちは持っていた方がいいよ。きっと、想像以上のことが起こるから」
相手の心に対してどれほどの影響を与えるのだろうか。
能力の弊害を知ってしまっている今となっては、考えなければならいことの一つだ。考慮しなければならない項目だ。
だが、少年は相手の心の影響を与えるような状況においても、自分という存在を曲げない。結局のところ、少年自身がやるべきことだと思っていることに向けて行動することになる。いつも通り迷いなく判断し、相手を引っ張り、率先することになる。
少年は、咲夜に向けて忠告した。
「しっかり準備をしておいてよ。どうなるか分からない、どう注意すればいいのか分からないような相手に僕が会って、普通の結果にはなりはしないから」
(確かにそうよね)
咲夜は、少年の言葉に押し黙った。
少年の他人を巻き込む力は群を抜いている。
少年には、人を惹きつける不思議な魅力がある。
少年の姿は、人の心を強く揺さぶるのだ。
それは、つい先ほど体験した。
何度も立ち上がる―――存在感に。
迷いなく前に突き進む―――力強さに。
命が輝いている姿に―――視線が囚われた。
そんな少年がフランと会った時にどうなるのか、想像することは酷く難しい。
極端なことを言えば―――どうにでもなる、どう転んでも何も疑問を持たないだろう。
「だから、気を付けてね」
「ええ……」
少年の言葉が頭の中を巡っていく。結局のところ咲夜には何もできなかった。これからフランドールと会う少年と同じように、できることなど何もなかった。
しばらく歩き続けると、当初の目的地である図書館へと入る扉の前までやってきた。咲夜の足が扉の前でぴったりと停止する。
少年は、咲夜が止まるのと同時に足を止めて咲夜へと視線を向けた。
「ここが図書館よ」
「紅魔館には図書館があるんだね。幻想郷で書物を扱っているのは、寺子屋ぐらいだと思っていたよ」
「意外と幻想郷で本を取り扱っているのは紅魔館だけかもしれないわね。私は他に知らないわ」
少年は、幻想郷には寺子屋を除いて書物を扱っている場所はないと思っていた。ただ、書物があるといっても国語や算数、読み書きそろばん、歴史を習う場所である寺子屋の書物は、俗に言う教科書だけである。あるのが教科書だけでは、一概に書物があるということは言えないかもしれない。
だが、寺子屋を除いてしまえば、幻想郷に書物を扱う場所は存在しないといってもいいだろう。それこそ、稗田家が書いている書物以外にはということにはなる。
実のところ―――貸本屋である
「幻想郷には、書物を扱っているところがあまりにも少ないんだよね。僕が知らないだけかもしれないけど」
そもそも幻想郷という場所は外界から遮断された土地であり、技術の進歩から隔離されている土地である。外界との接点を絶った土地において、知識を蓄えている書物を扱っている場所など本来ありはしない。外の知識はそのまま妖怪の存在の否定になりかねないため、知識の宝箱である書物を幻想郷内に留めておくことにリスクがあるからである。
しかし、紅魔館には書物が置かれている場所がある―――目の前にあるとのことである。
図書館か――――外の世界でもあんまり行ったことないな。
行ってみたいな。
少年は、少しばかり心を躍らせ、笑顔をふりまきながら言った。
「もしよかったら、今度ここに本を読みに来てもいいかな?」
「それはパチュリー様にお聞きください。私には、ここで決定できる権限がございませんから」
「じゃあ、そうさせてもらうよ。何とかして許可をもらう」
「頑張ってくださいね」
咲夜は、少年の笑顔につられるように笑顔を浮かべると当たり障りのない回答を口にした。少年は、唐突に敬語を使って話す咲夜に微笑みながら扉の方向へと目を向ける。
咲夜の両手は図書館への扉へとあてがわれる。
扉は、力を受けてゆっくりと開け放たれた。
「うわっ、凄いな。広いし、本の量も多い」
扉が音を立てて開かれると、そこには大きな本棚が大量に並んだ光景が一面に広がっていた。
天井は、数十メートルありそうな高さまで伸びている。中学校の体育館よりもはるかに広い。今まで見たことがないレベルの大きさ、蔵書量である。
少年の足は、圧倒されるような空間の広がり方を見て扉の前で止まってしまっていた。
咲夜は、感嘆する少年を置き去りにするようにして前へと足を進める。
「ほら、立ち止まっていないで行くわよ」
「はい」
駆け足で咲夜の後ろに追随する少年の顔に満面の笑みが浮かぶ。
知らないものばかりが視界を埋め尽くす。
見たことないものばかりが頭の中を徘徊する。
本棚には所狭しと本が並べられており、日本語からアルファベットから見たこともない文字が並んでいた。
知りたいなぁ。
読めるようになりたいなぁ。
読めたら―――何かが変わるのかな。
パチュリーという人に聞けば、教えてもらえるだろうか。
これから初めて会うのに、それは余りに図々しすぎるか。
じゃあ、どうやって勉強すればいいのだろうか。
少年は、左右をきょろきょろと見ながら前へと進む。
そして、ある程度進むと咲夜の足が唐突に止まった。
「うわっ」
左右に意識を奪われていたため、あわや咲夜の背中にぶつかりそうになった。
何が起こったのだろうか。状況を確かめるために、咲夜の背中から僅かに横に逸れて視界を確保してみる。
すると―――少年の視界の中に初めて見る人物が入り込んだ。紫色の長い髪の物静かそうな雰囲気を持った女性が椅子に座りながら読書をしていた。
咲夜は、ゆったりとした動きで頭を下げ、相手に向けて敬意を示す。
「パチュリー様、お時間よろしいでしょうか?」
咲夜が話しかけている相手―――パチュリーは読書をする体勢から僅かたりとも動かない。視線を動かすこともないため、咲夜の声が届いているのかさえも判断できなかった。
相当に集中しているのだろうか。もう一度話しかけないとダメなのでは―――そう思った矢先、パチュリーは視線を本へと落としたまま静かに口を開いた。
「血相を変えてどうしたのかしら? 瀟洒なメイドなら余裕を持ちなさい」
「申し訳ありません、事が事ですので」
パチュリーの視線が本から咲夜へと移る。咲夜は、申し訳なさそうな表情でパチュリーを見つめていた。
「……厄介事ね」
パチュリーは、咲夜が訪ねてきた理由が厄介事だということを瞬時に理解した。
そもそも、咲夜がパチュリーの下に来る理由というのは、ごく限られた状況においてだけである。
具体的に挙げれば、咲夜がパチュリーに話しかける時は、基本的に食事の準備ができた場合と面倒事があって手伝って欲しいという場合、レミリアからの用事の3パターンしか存在しない。
そして、普段読書をしているパチュリーに対してできる最大限の配慮は邪魔をしないことである。
つまり、気を利かせた場合には1つ目と2つ目の要件の場合はメモを置いておくか、後々もう一度来ることになるのである。
それを破って話しかけてくるのは、十中八九レミリアからの言葉が飛んできたときだけだ。
「また、レミィから?」
「はい」
「それは、そこの人間と関わりがあることで間違っていないかしら?」
パチュリーの問いに対して咲夜が一度だけ頷いた。その直後、パチュリーの目線が見知らぬ少年へと向けられる。
紅魔館からほとんど出ないというか―――図書館からほとんど出たことのないパチュリーは、今まで見たことのない人間を目の当たりにして厄介事の原因がその人間であると見当をつけていた。
少年は、パチュリーからの視線に応じるように頭を下げ、自己紹介をする。
「初めまして、笹原和友と申します」
「ああ、レミィの言っていた噂の人間ね」
パチュリーは、少年の名前を聞いて状況を察した。
これまでに聞いたことがある名前だ。いつだっただろうか。レミリアから少年についての情報を与えられている。話をした時期で言えば、1カ月ほど前だろうか。
言えば―――八雲紫の連れ子とのことらしい。いかにも胡散臭い噂だった。
「関わるなって言ったのに……」
パチュリーは、少年と関わることに反対の意見を述べた立場だった。八雲紫が関わっている人間と会うなど、静かに読書ができていればいいパチュリーにとってはあまり好ましくなかった。
しかし、パチュリーは一旦言い出したレミリアの意見を捻じ曲げることもできずに、結局のところ目の前の現実―――少年が紅魔館へと来ているという光景を作り出してしまっている。
やはり、止められなかった。パチュリーにあったのは後悔にも似た呆れだった。
「はぁ、仕方がないわね」
パチュリーは、内心複雑な感情を巻き上げながら少年に自己紹介する。
「私は、パチュリー・ノーレッジ。ここ―――図書館を拠点にしている魔法使いよ」
「はい、これからよろしくお願いします」
少年は、パチュリーの自己紹介に対して満面の笑みを浮かべて手を差し出す。
握手をするつもりなのだろう。差し出された手が今か今かと待ち望んでいる。
パチュリーは、少年の反応に思わず笑みを零した。
「本当に変わった人間ね。貴方は外来人でしょう? レミィが興味を持つのもなんとなく分からないでもないわ」
少年は、パチュリーから変わった人間と言われる理由が分からず、不思議そうな表情を浮かべる。
今までの会話や行動で変わった人間だと思われる要素があっただろうか。まだパチュリーと会ってからほとんど言葉を交わしていないし、時間を共にしたわけでもない。
―――それなのに見透かされた様に変わっていると言われている。
少年は、パチュリーの変わった人間だと評価する言葉に不思議そうに問いかけた。
「そこまで私は普通の人間と違いますか? 自分ではあまり自覚がないのですが……」
「貴方と人里の一般の人間とでは全然違うわ」
自覚のない少年に思わず笑みを浮かぶ。こういう人間を天然と呼ぶのだろうか。それとも無知な奴とでもいうのだろうか。
少年は、すでに普通とは違う点を披露している。十分なほどに人里の人間との違いを見せつけている。
「人里の人間は、人間以外の種族に対して畏怖の感情を持ち合わせているのよ。自分より強い者に対する警戒心、命を守るための臆病さを兼ね備えているものなの」
人間には、自己を守るための防衛本能が備わっている。人間が強そうな相手に会った場合に恐怖を少しながら感じるのは、命を失うのではないか、傷つけられるのではないかという想いに駆られるからに他ならない。
相手が―――人ならざるものならばなおさらである。
幻想郷の人里に住んでいる人間には特に顕著に現れる。
遺伝子に刻まれているが如く―――恐怖心に火が点く。
「人里の人間は魔法使いと聞くと拒否感を示す。それは身に沁みついた性質、簡単に取り除けるものではないわ」
人里の人間は外の世界の人間と異なり、命を脅かされる恐怖が周りに存在していることが非常に大きく影響している。
「生まれたときからずっと危険と隣り合わせで、身に沁み込むほどの教育を受けてきたんだもの。簡単に吹っ切れるはずがないのよ」
人里の人間がまず学ぶことは、人里の中で生きていく仕組みである。骨にまで染み渡るような徹底した自己防衛のための知識、妖怪にどれだけ出くわさないように生活できるかというノウハウだ。
人里の人間であれば―――魔法使いという人間じゃない者に出くわした際、僅かなりとも恐怖がにじみ出るはずである。命を取られるのではないかという緊張が走るはずなのである。
しかし、少年は少したりとも表情を変えることなく、自然体でいた。それができるのは、幻想郷の人間を除いて外来人しか存在しない。
「けれども、貴方にはそれが全くなかった。表情からも、声からも、何も感じなかったわ。緊張もしていないんでしょう? 貴方は、何よりも楽しそうだもの。何者よりも楽しそうだもの」
パチュリーは、魔法使いという単語に対する少年の反応の無さから人里の人間ではないことを把握した。
ただ、それはあくまでも人里の人間じゃないということを判断した要素に過ぎない。変わった人間と表現したのは、別の理由からである。
「もちろんそれだけじゃないわ。貴方は他の人間とはどこか雰囲気が違う。纏っているものが―――まるっきり違うもののように感じられるわ」
「纏っているもの、ですか?」
少年は、雰囲気が違うという核心に迫るような言葉に少し動揺しながら質問を投げかけた。
雰囲気が違うという言葉は、今までもさんざん聞いたことがある言葉である。その言葉のどれもが、おおよそ軟らかい、安心するような感覚に陥るというものだった。
―――心の大きさに惹かれ、寄りかかっているということから来ているものだった。
人間も、妖怪も、例に漏れていない。
だけど、魔法使いからはどうなのだろうか。少年は、魔法使いが見た自分の存在がどのようなものなのか非常に気になった。
「貴方の纏っているものは……そうね、どう表現するのがいいかしら……」
「あの、お話の途中に申し訳ありませんが……」
パチュリーが少年の質問に答えようと口を開こうとした瞬間―――横から言葉が挟み込まれた。
少年とパチュリーの二人の視線が口を挟み込んだ人物である咲夜へと注がれる。
咲夜は、このまま続いていきそうな会話の流れに口を出さずにはいられなかった。
「そろそろよろしいでしょうか?」
このまま少年とパチュリーの話が続いてしまえば、与えられた目的を果たすことができなくなる。すぐにでも終わるような雰囲気があれば、少年とパチュリーの会話が終わるまで待っていてもよかったのだが、残念ながらその雰囲気が目の前の二人から感じられなかった。
「パチュリー様がこんなに笹原と長く話をされるとは思っておらず、時間がかかることを想定しておりませんでした」
パチュリーは、もともと人と長く話すようなタイプではない。持ち前の喘息の持病もさることながら、会話の中身に興味を持たないことがほとんどである。
魔法使いという種族だけあって魔法を発展させる、開発することに関心がある。そのために行っている読書による知識欲の充填に喜びを感じている人物である。
会話が継続するのは―――魔法に関することを話しているとき。
あるいは―――レミリアと話しているとき。
この二つしかない。
前者は、稀に訪れる魔法使いと話しているのを目撃している。
後者は、付き合いが長いのかレミリアのお願いであれば話を聞いたり、その話を受け入れたりすることがしばしばある。
ただ、余計な会話はほとんどしない。対象がレミリアであったとしても、べらべらと長話になるほど喋り続けるようなことにはならないというのが咲夜の中の通説だった。
だから―――初対面の普通の人間である少年と会話が長くなるようなことは基本的にありえないと思っていたが、その想像は脆く崩れた。
「このままですと、お嬢様の目的が果たせませんから……」
少年と話しているときのパチュリーは嫌に饒舌である。読書をするからとか、先にレミリアからの用事を済ませるからとか、何一つ言い出す気配はない。優先順位を度外視して少年と会話をしている。
パチュリーは、咲夜の進言に僅かにハッとしたような表情を見せると謝罪した。
「ああ……ごめんなさい。それで、何の話かしら?」
「お嬢様が笹原を妹様に会わせるとおっしゃられました」
咲夜の口から単刀直入に目的が告げられる。
パチュリーの表情は、一気に無表情になった。そして、酷くつまらなそうに疑問の言葉が口から漏れ出した。
「…………それで?」
「もしもの時は、パチュリー様にご助力を願いなさいとおっしゃられていたので、お願いに来ました」
「フランに会わせるなんて本気で言っているの?」
「私は反対したのですが……少なくとも、お嬢様は本気のようです」
パチュリーは、フランと会わせるという言葉を聞いて疑心暗鬼な様子を見せる。異議があるのは咲夜も同じである。咲夜は決してレミリアの妹であるフランドール・スカーレットに少年を会わせることを善しと思っているわけではない。少年とフランを会わせていいことなど何一つ見つからないからだ。
最悪は、少年がフランに殺される。最善で五体満足で部屋から出てくる。無傷の帰還が最上の結果だといっている時点で、少年とフランに会わせるメリットは存在しなかった。
パチュリーは、少し考え込むようなしぐさを見せるとぼそりと呟く。パチュリーの口から小さな小さな声が漏れた。
「レミィには、何かが見えたということかしら?」
「今何とおっしゃいましたか?」
「……いえ、何でもないわ」
咲夜はパチュリーが何を言ったのか聞き取れず尋ね返したが、パチュリーは答えなかった。
「レミィが言ったんじゃ仕方がないわね。早速行きましょう」
パチュリーは、一旦咲夜との話を区切ると素早く行動に移り始める。レミリアが言いだしたのであれば、紅魔館に住まうパチュリーにどうこうできる話ではない。
レミリアのお願いの手伝いを断ることもできる立場ではあるのだが、先ほど自己紹介をしたばかりの人間を見殺しにするほど根が腐っているわけでもない。自分が行けば、高確率で少年を助けることができるだろう。
「笹原と言ったかしら……」
「そうです。間違っていませんよ」
パチュリーの口から少年の名が自信なさげに呼ばれる。少年の名前は笹原で間違っていないが、自信がなさそうに言うあたり、少年に対する認識はパチュリーの中では低いようである。
パチュリーの頭はこれからのことに向けて回転する。
これから少年がフランという人物に会えば、少年の全てが壊れる可能性がある。全てが終わる―――人生が詰む。それは誇張でも過大評価でもなく、多くの人間がその道を辿っている。今一度、聞いておかなければならないだろう。
ここで、行かないという選択肢を選ぶことだってできるかもしれないのだ。レミリアと話し合いをして今の状況を打開できるかもしれないのだから。
パチュリーは、少年にここから先に進むのか問いかけた。
「一応私たちが貴方のフォローをするけれども、死なないということを保証することはできないわ。それでも行くの?」
「私に向けてその問いかけはどうなのでしょうか?」
少年の表情がパチュリーの問いに不思議そうなものに変わる。
パチュリーの問いは、今からならば行かなくてもいいといえるような選択が残っているような印象を受ける。ここで嫌と言えば、行かなくてもいいのだろうか。行きたくないと言えば、マヨヒガへと帰してもらえるのだろうか。
そんなことは―――決してありはしないのに。
彼女―――レミリアに限ってそれはない。あの目をしている人間は、自分の気持ちを曲げない。決めたことを変えたりしない。それは目の前の二人も分かっているはずである。
なのに―――問いかけるのだろうか。答えはもう出ているんだ。あの時、行けと言われて付いてきた瞬間に答えは出てしまっているのだ。
「逆に聞きますけど、ここで行かないと言えば帰してもらえるのですか? 彼女は行けと言ったのですよ? 説得なんて無理だと思いますよ。彼女は言ったことを曲げたりしません」
「聞くまでもなかったわね」
パチュリーは、僅かに口角を上げて笑みを作る。
よく分かっている。まるで多くの時間を共にした人間のようだ。
パチュリーは、真面目な表情に一転させて本を腕に回し、空いた方の手で進行方向を指し示した。
「フランの部屋は、この図書館を抜けた向こう側にあるわ」
少年は、パチュリーの指し示した方角へと足を向けて前へと進む。パチュリーと咲夜は、少年を視界に入れながら付属するように真後ろを歩き出した。
迷うことなく一直線に進む。本棚の間を縫うように示された方角を進む。
パチュリーは、正面に少年の背中を収めながら隣を歩いている咲夜へと声をかけた。
「ねぇ、咲夜」
「どうしましたか?」
「どうしてレミィは、この人間をフランに会わせようとしていると思う?」
「それは……ただの気まぐれではないでしょうか?」
パチュリーには、咲夜に話を持ち掛けられた時から気掛かりなことがあった。これから少年をフランに会わせるということだが、会わせる理由が全く見当たらなかったのである。
そして、残念ながら咲夜もレミリアの意図は理解できていない。人間をフランに会わせる理由なんて、ストレスの発散か食事の意味を持つ以外に今までなかったのだから。少年が八雲からの使者だということを考えれば、食べさせる、殺してしまうということはないだろう。他の用途、他の理由があるはずであるだが―――それが分からない。
咲夜はレミリアの真意が分からず、答え辛そうにパチュリーの問いに対して言葉を並べた。
「あるいは、笹原さんの態度が悪かったので意趣返しをもくろんでいるのかもしれないです」
「まぁ、その可能性も無くはないかもしれないわね」
パチュリーは、咲夜の言葉に否定も肯定もしなかった。
パチュリーの視線が少年の後姿を捉える。少年の背中からは不安も恐怖も感じられない。楽しそうに周りを見ている様子だけが目立って見えている。嬉しそうに、楽しそうに、心から喜んでいる。
パチュリーは、少年の様子にそっとため息をついた。
「本当に、変わった人間よね……」
「そうですね……本当に変わった人です」
そこまで話すと両者の口が塞がれる。沈黙が場を支配し、足音だけが聞こえる。
二人は、少しだけ重くなった空気を抱えながら前へと足を進めていた。
少年をこれから傷つけることになる。もしかしたら死んでしまうかもしれない。これから大変になるというのに、気持ちが上がるわけがなかった。特に神経を使うことになるのが目に見えていると、さらにやる気が削がれる気持ちだった。
そんな気落ちしている二人に―――少年から予想外の声がかけられる。少年は、何かを思い出したように唐突に後ろを振り返って言った。
「そうだ、聞いておきたいことがあったんですよ」
「何かしら?」
「今度この図書館に本を読みに来てもいいですか?」
「……別にいいわよ。本を大事に扱ってくれるのならね」
「やった! あ、いえ、ありがとうございます……」
「ふふっ、貴方に読める本があるかしら? 少し探してみないといけないわね」
本当に変わっている人間だ。重い空気をたった一言で一掃する。さっきまでの暗い雰囲気が一気に無くなった。
「私も探すのを手伝いますよ」
「助かるわ。その時はお願いね。人間が読める本なんて探すのは久方ぶりで、どこに置いているか覚えていないのよ」
場を明るくする―――これが無くなってしまうのか。そう思うと同時に悲しさが込み上げてきた。
そんなパチュリーの気持ちを知ってか知らずか、少年は満足した顔を浮かべながら再び正面を向いて歩き始める。先ほどよりも雰囲気が明るくなっている。そんな少年の後姿を見て余計に悲しい気持ちになった。
「貴方が無事に生きて帰ってこれたら、いくらでも読ませてあげるわよ……」
ぼそぼそと呟かれた声は隣にいる咲夜の耳にだけ届いた。咲夜は、パチュリーの言葉に複雑な表情を浮かべる。
無事に帰る―――その前提条件を達成することが何よりも難しいことを知っている。
だけど、成し遂げなければならない。
少年はフランと会うだけ。そんな少年を無事に帰す役目を担っているのは―――笹原を守る役割を果たさなければならないのは、咲夜とパチュリーである。
「私達が笹原を守ればいいだけの話です」
「咲夜……ええ、そうね」
真剣な表情を浮かべる二人の目の前で、少年は相変わらず楽しそうに足を進めていた。
この紅魔館での話が終われば、原作に入れます。
感想でも書きましたが、原作に入れば、細かい説明などは極力外し、おおざっぱに説明するのでストーリーが長くなることはなくなると思います。
唯一不安なのが、フランについて書くのが不安ですね。フランが495年も地下にこもっていた理由は、想像で書くしかないのでもしかしたら合わない人がいるかもしれませんね。