「今ね、学校で催眠術が流行ってるんだ!」
そんな突拍子もないことを言い始めたのは、三つ下の妹だった。聞くところによると、これにかかると何でも術者の言いなりになってしまうらしい。
それに対して私が鼻笑う仕草をすると、彼女はリスみたいに頬を膨らませた。
「今笑ったでしょー。これはホントに掛かっちゃうんだから」
しっかり者の亜加梨がそんなことを言い出すことが可笑しく、振り返って由佳利に同意を求めたが、帰ってきたのは真顔だった。
「ひか姉、催眠術は本当にあるよ」
え!? 由佳利まで!
堅物な末の妹にまで反論された。
そのまま如何にして科学的に催眠術があり得るものなのかを説明されたが、残念ながら私にはチンプンカンプンだった。
とりあえずあれでしょ? プラシーなんちゃらがすごくて、なんとか試験で明らかになったってこと?
首を傾げながら「そんなことも知ってるなんてすごいねー」と頭を撫でると、馬鹿にされたと思ったのか、こちらにもリスがもう一匹増えてしまった。
ちゃうねん。お姉ちゃんには難しすぎてわからないんだよ……。
不機嫌な雰囲気を漂わせる二人を前にして、私には催眠術を受けることを承諾するしか道は残っていなかった。
―――
「じゃあ、被験者はお姉ちゃんだからね」
いや、まあいいけど。
そうして言われるがまま亜加梨の膝の上に、向き合うような形で腰を下ろした。
うわっ。これ恥ずかしいかも……。
キスできそうなほど近い距離にある整った顔を見て、気恥ずかしさから顔をそらした。大体私の方が背が大きいのにこの体勢は、なんだか事案っぽく見えてしまう。
「いい? 今から私が机を軽くたたくから、お姉ちゃんはその音だけに集中するんだよ」
私は軽く頷いた。
しかし、この体勢をどうにかしないと集中できそうにない。
まず目線の置き場がない。先ほどから私は挙動不審なほど視線を彷徨わせていた。緩めの胸元から覗く大振りの『ソレ』に視線が引き寄せられていくのだ。
それだけではない。甘い匂いとか、太ももの感触とか、かすかに聞こえる息遣いとか、五感を刺激するものが多すぎる。
だがそんな中でも、無防備な笑顔を浮かべる亜加梨によって催眠術は始められた。
「はい、じゃあ力を抜いてー。深呼吸」
私は従順に亜加梨に従った。亜加梨は私に話しかけながら、『トン、トン、トン』と軽めのタッピング音を打ち鳴らし始めた。
その音は思ったよりも小さくて、私はそれを聞くために耳を澄まさなければならなかった。
「右腕の力を抜いてー」
わざとなのか、気の抜けるような話し方に、私もゆったりとした気分に浸り始めた。
「次は左腕ねー」
タッピング音が鳴り続ける。
意識しなくても力が抜けて、リラックスしてきた。ただし睡魔すらやって来る気配がない。
「今度は右あしー」
意外と『トン、トン』という音が癖になる。胸の奥がぽかぽかとした気分になり、いつの間にか心地良さを感じ始めていた。
「最ご――だり脚のちか――抜いてー」
気が付くと、解放感と多幸感が体を包み込んでいた。心地よい音に包まれ、幸せな気分で「ふはぁ」と息を吐く。
その時、プシュっという音と共に脳を震わすほどの甘い匂いが蔓延し、体が一瞬ふらついた。
フッと部屋の照明が落ちた気がした。それくらい急に視界が暗くなった。
―――
トン、トン、トンと規則正しく音が続く。先ほどから、やけに頭の中に響いて聞こえる。
「どうー?」
あぁ、なんかいいかも……。
極楽極楽……。
「ふふっ。お姉ちゃん気持ちよさそう」
亜加梨の笑い声が聞こえる。なのに、反響していてどこから聞こえてくるのかがわからない。それに返事をするのも億劫で、私はその言葉に軽く頷くことで応えた。
その間にも音は鼓膜を優しく叩き続け、私の意識を曇らせていく。
「これ、凄い効果だね。ひか姉、もう腕とか上がらない?」
ぼんやりと霞んだ思考の中、由佳利の声が聞こえた。ただ、いっている意みがよくわからない。うでならほら、こうやって――
「ぁれ? あか゛らなぃ……」
私の腕はピクリとも動かなかった。
なんで? どうして?
空気が重たい。よく疲労感が増した時に『泥の中を動かす感じ』とも言うが、そんな感じだ。
今回のこれは、まるでコンクリートで押し固められているように感じた。それくらい体が全く動かなかった。
だがしかし、なぜか危機感のようなものはほとんど感じられなかった。
「へー、本当に手も動かなくなるんだね」
感心した声を上げる末妹に抗議の声を上げようとするが、代わりに口からは「ぅぁあ」という気の抜けた音が零れ落ちた。
なにぃ? これぇ?
思こうがまどろっこしい程におそい。いつの間にか後頭部に感じる亜加梨の胸の存在を知り、初めて体勢が崩れていることに気付いた。
「これ、声聞こえてるのかな?」
「大丈夫。寝てるのは身体だけだから。心は起きてるよ」
少し不安そうに話す由佳利に、亜加梨は満面の笑みで答えた。
「ねっ、お姉ちゃん!」
そしてキラキラ眩しい笑顔を私に向けてきたが、当然反応は返すことができなかった。
―――
動かなくなった私の身体は、二人にとって絶好のおもちゃだったようだ。頬っぺたを軽く抓られ、唇を指でなぞられる。さらにはおふざけ半分で脱力しきった腕を持ち上げては下げてを繰り返して、完全に遊ばれているようだった。
今、私の身体は完全に二人の妹の手の内にあった。
「金縛りみたいなものかな、これ……?」
そう言ってペタリと脇腹に触れる小さな手の感触で、私の二の腕にゾッと鳥肌が立った。
「あっ。こうやって反応はするんだ」
体を動かすことはできないのに皮膚だけが反応しているのが面白かったのか、そのままフニフニと揉まれ続ける。その度に私の頭に直接その感触が伝わってきた。。
体を動かすことができれば少しは紛らわすこともできるのだろうけれど、今の私は手足を拘束されているとき以上に動くことができず、体を震わすこともできなかった。
送られてきた感覚は逃げ場がなく、頭の中を暴れまわりながらどんどん蓄積されていく。
優しく揉まれているだけなのに、形容しがたいほどのもどかしさが私を襲う。
「ぅひぃぃ……、ひは、っぁ」
呼吸が辛い。意識して息を吸うことができなくなっていて、規則正しく動いているその呼吸を遮られてしまうと、その分の息が吸えなくなってしまう。
酸欠で頭のボーっと具合が加速していく。
さらに甘い声が脳髄に響く。
「可愛い……お姉ちゃん。もっと乱れて……」
蠱惑的な囁き声が頭の中を犯していく。
同時に手の感触が徐々に臍の下辺りへと移動していく。
「っふぅ、ん……。ゃめぇ」
半開きの私の口から涎が零れた。
思こうがとぎれていく。
おなかのあたりがなんだかあつい。
――。
わけゎかんない……。
――。
――。
あれ?
りせいがくす゛れて……。
――。
――。
――。
――。
頭の中の思考領域を白い何かで覆いつくされた時、私の意識はプツンと途切れた。
―――
今日はなぜか妹たちが優しい。
何があったのか聞いてみたものの、二人は顔を見合わせると首を横に振って「なんでもない」と口をそろえた。
そうそう。結局催眠術はあまりうまくいかなかったらしい。私が眠るだけ眠って、体を支配するみたいなことは全くうまくいかなかったようだ。
なぜか亜加梨は申し訳なさそうに謝っていたが、私としては変なことにならずに良かったくらいで、別に謝られるようなことはされていないと思うけれど。
そうして上機嫌で部屋に戻る私の横で、なぜか亜加梨と由佳利が気まずそうに視線をそらしたのが見えた気がした。
ちょっとネタ切れなので(シチュエーションが思いつかないという今更の告白)、あと二話で完結にします。