アルザーノ帝国魔術学園。アルザーノ帝国の人間でその名を知らぬ者はいないだろう。
今から四百年前、時の女王アリシア三世の提唱によって巨額の国費を投じられて設立された国営の魔術師育成専門学校だ。今日、大陸でアルザーノ帝国が魔導大国としてその名を轟かせる基盤を作った学校であり、常に時代の最先端の魔術を学べる最高峰の学び舎として近隣諸国にも名高いその学園に彼――テラス=ヴァンパイアは学園の制服を身に纏い、学園に到着した。
「ここがセラさんの言っていた魔術を学ぶ学園かな…………?」
彼がこの世界に誕生して三年。一年前から魔術師であるセラから魔術を学び、セラの強い要望もあってテラスはこの学園に転入生として訪れた。
何故、吸血鬼であるテラスが学園に通うことになったのか、それは一週間も前の事を昨日のように思い出す。
「ねぇ、テラス君。学園に行ってみないかな?」
「学園…………?」
「うん、魔術を学ぶ学び舎でテラス君と同じ歳ぐらいの子と一緒に魔術を学ぶの」
テラスはセラに魔術を教わり、一年が経っていた。
その一年でテラスはそれなりに魔術を身に付け、使いこなせる様になったのはセラの熱心な教育と呑み込みが早く、理解も速いテラス自身の才能と努力が実を結んだ結果。
魔術を教わる前に不安だった吸血鬼が魔術を使えるのかという不安は杞憂に終わり、今は『汎用魔術』の呪文改変も当たり前のように行えている。
セラはテラスに魔術を教え、正直に彼の魔術師としての才能に驚いていた。
吸血鬼だからだろうか?
セラの知る限り、帝国宮廷魔導士団でもテラス以上の逸材はいない。
だからセラは彼に魔術学園に通わせようと決断した。
彼ほどの才能を腐らせない為に。彼自身にももっと同年代の子供と関わって欲しいという思いやりを込めてテラスを魔術学園に通うように勧めた。
「どうかな? きっと色々なことが学べると思うよ」
「吸血鬼が人間の学園に通えるのかな?」
「テラス君なら上手いこと誤魔化せるでしょ?」
「まぁ、そうだけど…………」
吸血鬼としての能力は完全に掌握している。学生として転入することぐらいわけない。
「将来のことも考えて、ね? 行ってみようよ」
断る理由もなく、セラの強い要望もあり、テラスは魔術学園に転入生として転入することができた。
「忘れ物はない? お弁当は持ってる? 最初の挨拶はしっかりとしないと駄目だよ」
「大丈夫だよ」
今朝もセラに見送られながら住処を出たテラスは学園に到着すると一人の女性がテラスに歩み寄ってきた。
「転入生だな? 私はここで教授を務めているセリカ=アルフォネアだ」
「初めまして。今日からこの学園で学ばせて頂きますテラス=ヴァンパイアです。よろしくお願いいたします」
セリカと名乗る女性は教授と呼ぶには相応しくない女性だと思った。
超絶と呼べるほどの美女。豪奢な金髪に鮮血を想起させる真紅の瞳。身にまとうは丈長の黒いドレス・ローブ。低癪な雰囲気を漂わせながらも、解放された胸元やベルトで強調されたボディラインはそれを超えてなお、艶美。
教授よりも貴族の娘の方がしっくりくる。
「ああよろしく頼む。早速、お前が学ぶ教室へ案内しよう」
「ありがとうございます」
セリカの案内の下、テラスは学園内に視線を泳がしながらついていく。
「ここだ。少しここで待っていてくれ」
「はい」
案内された教室は魔術学士二年次二組の教室。今日からこの教室でテラスは魔術を学ぶ。
『では、転入生を紹介しよう。入っていいぞ』
「はい」
セリカに呼ばれてテラスは扉を開けて教室に入ると、教室内にいる今日からクラスメイトとなる同級生達の視線が集中するもテラスは緊張した素振りも見せずに教卓に立って黒板に自身の名前を書く。
「テラス=ヴァンパイアです。趣味は食事と読書。特技は…………ないかな? わからないことも多いので皆さんには迷惑をかけるとは思いますが、どうかよろしくお願いします」
やや控えめに、無難な自己紹介を済ませる。
「まぁ、同じ校舎で学ぶ者同士仲良くしてやってくれ。席は―――」
「アルフォネア教授。私の隣が空いています」
「ああ、ではあそこに座るといい」
「はい」
挙手して自分の隣の席を空いていることを告げる金髪の少女にセリカはテラスにそこに座る様に促すとテラスもその少女の隣に腰を下ろす。
「よろしくね。えっと、テラス君でいいかな?」
「いいよ。えっと…………」
「あ、私はルミア。ルミア=ティンジェル。ルミアでいいよ」
「よろしく、ルミア」
お隣同士で軽い自己紹介を終わらせるとセリカが話を続ける。
「今日からこのクラスに、ヒューイ先生の後任を務める非常勤講師がやってくる。まぁ、なかなか優秀な奴だよ」
これから訪れるであろう非常勤講師を評価して教室から出て行くセリカ。非常勤講師が来るまで時間が余ったホームルームを使い、ルミアの隣に座っていた銀髪の少女がテラスに声をかけて来た。
「この時期に転入なんて珍しいわね。私はシスティーナ=フィーベルよ。よろしくね」
「よろしく、フィーベルさん」
「システィーナでいいわよ。私も名前で呼ぶから」
「わかった、システィーナ。僕の事もテラスでいいよ」
「ええ、一緒に頑張りましょう。テラス」
ルミアとシスティーナ。二人の少女との挨拶を終えてこれから来る非常勤講師を待つ。
「…………遅い!」
システィーナが苛立ちを隠そうともせずに吐き捨てた。
その理由は明白。今日来るはずの非常勤講師が授業開始時間を過ぎてもいまだに現れてはいない。
この学園で講師が遅刻するなどという事態は通常あり得ない。にも関わらずに授業時間が半ばも過ぎているのに一向に現れる気配がない。
「えっと、ここはね」
「なるほど、ルミアの説明はわかりやすくて助かるよ」
システィーナの隣では本日の授業で習う勉強範囲をルミアに教わっているテラスに背後から男子生徒の鋭い視線を感じられるが無視していた。
「ふふ、そうかな? でもそれならテラス君の力になれて嬉しいな」
微笑むルミア。転入してきて数分で仲睦まじい様子を見せる二人を置いてシスティーナはこれからくる非常勤講師に一言言おうと考えていた時。
「あー、悪ぃ悪ぃ、遅れたわー」
がちゃ、と教室前方の扉が開かれた。
どうやら噂の非常勤講師とやらが今、やっと到着したらしい。魔術学園設立以来、前代未聞の大遅刻だ。
「やっと来たわね! ちょっと貴方、一体どういうことなの!? 貴方にはこの学園の講師としての自覚は―――」
早速、説教をくれてやろうとシスティーナが男を振り返って………硬直した。
「あ、あ、あああ――――貴方は―――――ッ!?」
「…………違います。人違いです」
「人違いなわけないでしょう!? 貴方みたいな男がそういてたまるものですかっ!?」
「こらこら、お嬢さん。人に指をさしちゃいけませんってご両親に習わなかったかい?」
「システィーナの知り合い?」
手を止めて男と話しているシスティーナに尋ねた。
「知り合いじゃないわよ!? 今朝会った変態よ!!」
「それは知り合いって言わない?」
最もな疑問を投げたテラスにルミアは苦笑。
「ていうか、貴方、なんでこんなに派手に遅刻してるの? あの状況からどうやったら遅刻できるの!?」
「そんなの…………遅刻だと思って切羽詰まていた矢先、時間にはまだ余裕があることがわかってほっとして、ちょっと公園で休んでいたら本格的な居眠りになったからに決まっているだろう?」
「なんか想像以上に、ダメな理由だった!?」
清々しいまでのその物言いにテラスは逆に感心した。
しかし、教室中がざわめくなかで男は教卓に立ち、黒板にチョークで名前を書く。
「えー、グレン=レーダスです。本日から約一ヶ月間、生徒諸君の勉学の手助けをさせていただくつもりです。短い間ですが、これから一生懸命頑張っていきま…………」
「挨拶はいいから、早く授業を始めてくれませんか?」
苛立ちを隠そうともせず、システィーナは冷ややかに言い放った時、テラスは男の名前に心当たりがある。
(偶然? それとも…………いや、今はいいかな)
セラの口からよく出てくるグレンという男の話。教卓に立っている男がそのグレンなのか疑念を抱いたが、それは今は置いておいた。
「あー、まぁ、そりゃそうだな…………かったるいけど始めるか……仕事だしな…………」
先ほどの取り繕った口調はどこかへ消え、たちまち素が出てきた。
「よし、早速始めるぞ……一限目は魔術基礎理論Ⅱだったな…………あふ」
あくびをかみ殺してグレンがチョークを手に取り、黒板の前に立って文字を書いた。
自習。
黒板に大きく書かれたその文字に、クラス中が沈黙した。
「え? じしゅ…………え? じしゅ……う? え? …………え?」
「自習って書いてあるね」
真っ先に思い当たる意味とは別の意味についての解釈を何度も試みたシスティーナ。
「えー、本日の一限目は自習にしまーす」
さも当然、とばかりにグレンは宣言した。
「…………眠いから」
さりげなく最悪な理由をぼそりとつぶやいて。
「………………………」
圧倒的な沈黙がクラスを支配する。その中で教卓に突っ伏して十秒も経たずにいびきが響いてくる。
テラスは席から立ち上がってグレンの傍に歩み寄り、確認するかのようにグレンをつつくと頷く。
「ぐっすりだ」
「ちょおっと待てぇええええ――――――ッ!?」
システィーナは分厚い教科書を振りかぶって、猛然とグレンへ突進していった。