夜のフェジテの繁華街を、グレンとテラスは歩いていた。
しつこい客引きをスルーしながら、賑やかな繁華街に背を向け、とある路地裏へ。
人気のない路地裏を進んでいると、ひっそりと隠れるように据えられた、場末のバーが現れる。
その店に足を踏み入れると、店内は薄暗く、客は殆どいない。
この店は客に対して徹底した秘密厳守・非干渉を貫くことが売りの店で、密談・密会に使うような店だ。
そんな店内のカウンター席、その端の席に。
「…………遅かったな。二分の遅刻だ」
「すみません、アルベルトさん」
「うっせーな、二分くらい誤差の範疇だろうが」
グレンはアルベルトの隣に腰かけ、毒突く。
「また何やら、派手に動いているようだな、グレン」
「ま、お前なら当然、こっちの状況も把握しているか」
「惚れてもいない女を賭けて勝負など…………下衆の極みだ。少しはシスティーナ=フィーベルに申し訳ないと思わないのか?」
「はっ…………いーじゃねーか? 成功して白猫とくっついちまえば、もう働かなくてもいいんだぜ? こんな逆玉の輿、滅多にねーよ。こりゃ乗るっきゃねーよなぁ?」
にやりと口の端を吊り上げ、くっくっと喉を鳴らして笑うグレンにテラスは呆れながら言う。
「独善ですよね? 先生のそれは」
「はぁ? 何言ってんだ?」
「だってそうでしょ? レオス先生とシスティーナの間には家同士が決めた強い拘束力があっても先生とシスティーナにはそれはないのですから、先生がレオス先生に勝てば後は自分が嫌われてしまえばシスティーナは自由の身に。それがグレン先生の筋書きでしょ? そうじゃなかったら逆玉の輿なんてわざわざ連呼せずに嘘でも愛の言葉の一つでも囁いている筈ですから」
「…………教え子にまで見透かされているとはな」
「うるせぇよ」
「ちなみにルミアも気づいていますよ。先生は理由もなくそんなことをする人じゃないと」
「…………ルミアもか」
肩を落とすグレンは不貞腐れたようにグラスに注がれた酒を口にする。
「ところでお前…………なんでまた突然、俺達と接触した?」
グレンはアルベルトの使い魔が届けたメッセージの端切れをちらりと見せながら、神妙に尋ねる。
アルベルトはしばらくの間、重苦しい沈黙を保ち―――恐らく探査魔術で周囲の様子を確認しているのだろう――――そして、不意に言った。
「このフェジテに『
「な―――ッ!?」
「…………すみません、その
強張ったグレンの表情からとんでもないことというのはわかってもそれがどういうものなのかわからないテラスは尋ねた。
「
非投与者の思考と感情を完全に掌握し、筋力の自己制限機能を外し、ただ投与者の命令を忠実なまでにこなす無敵の兵士を作ることを目的として開発された
だが、一度この薬を投与された人間は確実に廃人と化し、もう二度と元には戻らない上、定期的に『
たった一度の使用で、肉体的に生きてはいても、人としては死んだも同然となるのだ。
「馬鹿なッ!? 『
(一年前とちょっと前の事件………?)
それはあの変死体と死にかけたセラを眷属にした時期と合致する。
「その通りだ。そして唯一『
「だったら、なんでまた――――」
「それがわかれば苦労は無い。現在、政府上層部はこの事態をかなり重く見ている………軍は勿論、魔導省の高級官僚達も総出で、この事件の調査に当たっている……無理も無い、かつてこの
「あの、規格外のあの男とは………?」
二人の会話に出てきた人物を尋ねるとグレンはぎりっ、と拳を握り固める。
「錬金術の天才にして、元・帝国宮廷魔導師団特務分室に所属していた――執行官ナンバー11、《正義》のジャティス=ロウファン。一年余前、『
「つまり、お二人の元同僚と?」
「…………ああ、胸糞悪いがな」
アルベルトも、『
「急遽、俺も暫くこの『
「まーな。今のリィエルも、ルミア好き好きオーラは半端じゃねーしな……それに頼もしい彼氏様もいることだし」
ちらりと横目でテラスを流し見る。
「こんな事を、お前達に言うのも筋違いだが……お前達も王女や生徒達の身辺には気を付けてやれ。天の智慧研究会……どういうわけか最近は大人しいが…………この『
「わかりました」
「……………………なぁ、アルベルト………………」
「断る」
グレンが何かを言いかけた瞬間にアルベルトは即答した。
「ま、まだ何もいってねーだろ……」
「お前の言いたい事などお見通しだ。大方、『俺も
「ぐ……」
図星だったグレンは苦い顔で押し黙る。
「情報を共有したのは助力が必要だからではないし、お前が今回の件に関わる資格もない。魔導士である俺にしか為せない責務があるように……今は教師であるお前しか為せない責務を果たせ」
立ち上がって出入口に向かいながらアルベルトは最後に――――
「尤も、道化を演じている今のお前では……そんな事は夢のまた夢だろうがな……」
そう言って店から出て行った。
「ちっ……わかってるよ、ンなの」
アルベルトが去った後、グレンは苦々しい表情で頭を掻いた。
「…………それで、どうするんですか? 多少でよければ僕やセラ姉さんが動きますが?」
「いや、お前らにそんなことはさせたくはねぇし、それに…………この件のことをセラに知らされたくはねぇ。テラス、悪いが…………」
「了解しました。セラ姉さんには言いません。最悪の場合は命令で強引にでも止めます」
「…………助かる」
一年余前の事件でセラは一度死んだ。
今は吸血鬼として第二の生を受け、血塗られた世界から離れることが出来た。
そんなセラをグレンは巻き込みたくはなかった。
だが、もし、あの場にテラスがいなければもうセラと会うことさえ叶わなかっただろう。
「…………全てを救える『正義の魔法使い』ですか?」
「!?」
不意に放たれたテラスの言葉にグレンは目を丸くする。
「セラ姉さんからよく聞きました。先生は『正義の魔法使い』という理想を目指している、と。現実を直視しながらもその夢を諦めなかったと」
席から立ち上がり、テラスは語る。
「ならそれを続けてください。先生は怪物である僕とは違い、日向の世界にいるべき人間です。その手がどれだけ血で汚れているのかはわかりませんが、先生のその理想と魂はどこまでも尊く、気高いものだと思います。なら、教師という今の先生の立場が一番先生に合っていると思いますよ?」
「お前、何言って――――」
「お休みなさい、グレン先生」
その店から去っていくテラスはある疑問が確信にへと変わっていた。
路地裏を歩き、更にその奥まで進んで行くとテラスは不意に足を止める。
「…………さて、と」
テラスは人払いと音声遮断の結界をこの周囲に展開させて振り返る。
「…………よく僕がグレン先生とあの店に行き、この場所に来ることがわかりましたね? レオス先生の御者さん―――いえ、それとも元・帝国宮廷魔導師団特務分室所属、執行官ナンバー11、《正義》のジャティス=ロウファンさんと呼んだ方がよろしいですか?」
すっ、と物陰から姿を現した山高帽を目深に被った青年が姿を見せる。
「なに、君がここにくることは読んでいただけさ。テラス=ヴァンパイア。いや、吸血鬼と呼んだ方がいいのかな?」
「出来れば名前の方でお願いします。今の僕にはそちらの方が呼ばれ慣れておりますので」
「ならそうさせてもらうとしよう」
「それで? レオス先生を『
「なに、大したことじゃない。君を僕の正義の礎になってもらいに来ただけさ」
穏やかな口調で語るジャティスにテラスは耳を傾ける。
「悪の塊ともいえる怪物である君を倒すことで僕は僕の正義を高め、グレンの正義と対峙する…………ッ! これはグレンの正義と僕の正義、どちらが上か、それを証明する為に必要な前哨戦なんだ!」
己が捧げている正義を高める為には悪であるテラスを打倒する必要がある。
その為にジャティスはテラスと対峙している。
だけど、テラスにとってはいい迷惑だ。
戦う理由もなければ、戦う必要もこちらにはない。
さっさと飛んででも逃げてしまおうと一考していると―――
「逃げれば君が守っているルミア=ティンジェルを殺すよ?」
その言葉に一瞬、逃げようとした体が硬直した。
「いずれ根絶せねばならない、穢れた邪悪な血を持つ王室の家系を持つ少女だ。廃嫡された存在とはいえそのような悪を見逃す―――おっと」
ジャティスの言葉を遮るようにテラスは
「…………僕の事を悪や怪物と呼ぶのは構いません。それは紛れもない事実ですから。ですが、ルミアを、僕の彼女を悪く言うのは止めて頂けませんか?」
いつものように言葉を交えるテラスの瞳は真っ直ぐジャティスを見詰める。
「出なければグレン先生と戦う前にここで貴方を殺します」
今日の夕飯を決めるかのように手軽に殺すと宣言するテラスにジャティスの狂気の笑みが深まる。
「それでいい…………それでこそ、正義に倒されるのに相応しい怪物だ!」
「その怪物に戦いを望んだことを死んで後悔してください」
正義と怪物がぶつかる。