ここ数日、ルミアとリィエルは学院が終わるとある場所に必ず訪れる。
「いらっしゃい、二人とも」
「ん、セラ。昨日ぶり」
「お邪魔します」
いつものように挨拶を交えると、ルミアは心配そうに尋ねた。
「あの、テラス君は…………?」
その問いにセラは神妙な顔で小さく首を横に振る。
「まだ、なの。ごめんね?」
「あ、いえ! セラさんが謝るようなことでは…………ッ!」
「…………起きないテラスが悪い」
「ここじゃなんだし、中に入って」
セラに招かれてお邪魔するルミアとリィエルは
セラは台所で紅茶を淹れてそれを二人の前に置く。
「あ、いつもすみません…………」
「いいのよ、私が好きでしてるからね」
恐縮するルミアにセラは笑顔で対応し、椅子に腰を下ろす。
「…………セラ、苺タルトないの?」
「う~ん、流石にそれはないかな~?」
いつも通り平常運転のリィエルに困り顔をするセラにルミアは言う。
「あの、私にできることは何かありませんか?」
「…………気持ちだけ受け取っておくね?」
「でも、私…………何もできないままでいるのは嫌なんです…………ッ!」
心からテラスの事を心配してくれている、とセラは思った。
数日前からテラスは意識不明の昏睡状態に陥り、まだ意識が目覚めていない。
システィーナを賭けた決闘前日からテラスは学院に姿を現すことはなかった。
何かあった、と心配になったルミアはテラスを探すためにこの家に訪れたのだが、丁度その時に出会ったのがテラスを抱えているセラだった。
『テラス君ッ!?』
心配で、テラスに駆け寄ろうとしたルミアだったが、リィエルがその行き先を阻んだ。
『…………ダメ、よくはわからないけど、今のテラスに近づくのはダメな気がする』
「…………え?』
突然のリィエルの言葉に戸惑うルミアはセラに視線を向けるとセラはリィエルの言葉に同意するように頷いた。
『今のテラス君は危険なの。近づいたらルミアちゃんが危ない』
そう告げられてルミアはテラスの傍にいることも許されず、ただ呆然と運び込まれるのを見るしかできなかった。
「…………ルミアちゃんの気持ちはよくわかるよ? でも、今は駄目なの。今のテラス君はとても危なくて、危険な状態だから」
同じ吸血鬼であるセラは発見と同時にすぐにテラスの容態に気付いた。
テラスから聞いていた吸血鬼の弱点の一つである―――純銀。それが体内に入っている事に気付いたと同時に少なからず安堵した。
発見した場所が人気のない路地裏であったということに。
吸血鬼は瀕死・重症を負うと本能的に人間の血を求めるようになる。
それこそ、理性を簡単に吹き飛ばすほどに。
それも吸血鬼にとって最も秀でた弱点ともいえる純銀なら尚更だ。
例え意識がなくても、本能がその人間を嗅ぎ取ってその人間の血を一滴残らず吸い尽くすだろう。
だから今はテラスは厳重に隔離している。
身体に拘束術式を施し、テラスの周囲には何重もの結界が覆われている。
そこにルミアを連れていけば、それは生贄と同じ。ルミアが死ぬまでテラスはルミアを血を吸いつくそうとするはず。
「私は、テラス君ほど吸血鬼の本能は強くはないからまだ大丈夫なんだけど…………テラス君は人以外では補えない程に吸血鬼の本能が強い」
セラは初めから人を襲って血を吸うことに抵抗があり、代わりに動物の血を代用して補えることがわかったからいいが、テラスはそれは無理だった。
完全人間専用。人間の血でなければテラスの吸血本能は満たされない。
「今は時間をかけてゆっくりと身体にある銀を分解するのが、一番安全な方法だから…………待ってて?」
テラスが死ぬことはない。
再生能力と不死性で少しずつではあるが、体内にある銀を分解して、元に戻ろうと動いている。
それまでは苦痛に強いらされるが、耐えて貰うしかない。
「…………私、いつも助けられてばかりなんです」
ぽつり、とルミアが口を開いた。
「辛い時も苦しい時もテラス君はいつもそんな私を助けてくれました、励ましてくれました…………テラス君の方がずっと傷ついて苦しんでいるのに、彼は自分のことを放ってでも私を助けてくれるんです」
ルミアは異能者ということで追放された身だ。
だけど、母親や姉から確かな愛情と優しさを貰って育てられてきた。
一人ぼっちになった時に、彼に救われ、システィーナという大切な親友であり家族が傍にいてくれた。
だけど、テラスには家族の愛情すら注がれてもいない。
物心ついた時からずっと一人で孤独に生きてきた。
それなのに、彼は自分の事よりもルミアの方を優先した。
「私は、テラス君の優しさに甘えているのはわかっているんです………彼は凄く、凄く優しい。自分の辛さを捨ててまで優しい彼に甘えて、何も返せていない…………」
世界よりもルミアを選び、いつも守り、助け、救ってくれた。
それなのに自分を彼に何をしてあげた?
精々、血を提供した程度。それだけだ。
「お願いです、セラさん! 私を彼に会わせてください!!」
立ち上がり、ルミアは真意な瞳でセラを見据えながら言った。
「今、テラス君が苦しんでいるのなら、辛いのなら今度は私が助けてあげたい! 傍にいてあげたい! もう、助けられるだけは嫌なんです…………ッ!!」
瞳に涙を溜めて懇願するように頼み込むルミアにセラは沈痛な表情で首を横に振る。
「今のテラス君に会わせるわけにはいかないの。きっと、後悔すると思う」
「それでも構いません! それにここで彼に会えない方がもっと後悔します!」
強い意思の言葉。何を言っても引き下がろうとはしない姿勢にセラは嬉しそうに笑った。
(ちょっと嫉妬しちゃうな…………)
彼と出会い、共に生活をし始めた当初は同情だった。
放っておくことはできない。そう思ってセラは彼の傍にいた。
だけど、魔術を教え、拳闘を教え、苦楽を共にして、いつしかはそれが当たり前のようになった。
一緒に生活するのが当たり前のように。
彼の面倒を見るのが当然のように。
共に生活するのが本当の家族のように思えるようになった。
だからセラは家族としてテラスを愛すると決めた。
母のように愛情を与え、姉のように面倒を見て、恋人のように寄り添う。
家族として彼を――テラス=ヴァンパイアを愛そうと。
(ルミアちゃんも同じなんだね…………)
テラスの事を慕っているから、大事に想っているから、傍にいようとしている。
「…………うん、わかったよ」
ルミアのその強い意思を汲み取ってセラは二人をテラスがいる場所に案内する。
セラが二人に案内したのはこの住処の地下室だ。
空き家だったものを買い取り、魔術で改造したこの地下室には万が一に吸血鬼の本能が暴走した時に拘束できるようにテラスが自分で作った部屋だ。
作ったテラス自身も使うことはないと思ってはいたが、その万が一の予防策が役に立った。
暗く長い階段下り、セラの指先に灯した黒魔【トーチ・ライト】…………魔術の光を頼りに一歩一歩下りていく。
すると―――
「ああああああああああああああああああああああああああああ―――ッッ!!」
「テラス君!?」
苦痛の叫びがルミア達の耳に届き、ルミアは慌てて駆け降りる。
黒くて足元が見えなくてもそんなことは構うことなく、下りて行ってルミアは彼を見つけた。
「ぐっ……うっ…………………ぐっ、あ…………ああ…………」
両腕、両足、首に術式が施された魔術で拘束されている。だが、その瞳は妖しく光り輝き、狂気に満ちて、鋭い犬歯は剥き出で、口からだらだらと涎が零れ落ちている。
「――――――っ」
絶句するルミア。
そこにいるのは自分が知っているテラスではない。
血に飢えた吸血鬼―――その言葉通りの怪物がそこにいた。
遅れてセラとリィエルがルミアの傍にやってくると、リィエルはすぐに得意の高速武器錬成で大剣を錬成してルミアの前に立つ。
「リィエル。お願い…………それを下して」
「…………でも、今のテラスはすごく、すごく危ない」
「お願い…………」
ルミアの懇願にリィエルは大剣を
「…………ありがとう、リィエル」
柔和な笑みを見せながらリィエルに礼を言ってルミアは真っ直ぐにテラスを見据える。
一歩、近づこうとした時にセラに肩を掴まれる。
「私も一緒に」
「はい」
二人は理性を失い、本能のままに血を求めるテラスに一歩、また一歩と近づいていく。
「あぐ…………う、ぐぅ…………」
もがき苦しんでいるテラスは不意に動きを止めて視線を近づいてくる二人――人間であるルミアに向ける。
「ああああああああああああああああああああああ―――――っ!!」
凶悪な獣のように咆哮を上げてルミアの血を貪ろうと動くが、拘束の魔術により碌に動けない。それでもその血を求めるかのように手を伸ばす。
「………今から結界を解いて中に入るよ? 覚悟はいい」
「はい」
セラは結界を
「チ…………血ヲ……………………」
血を吸いたいという渇望を求めるように呻き、ルミアに手を伸ばしている。
それでも二人は歩む速度を変えることなくテラスに近づいて―――抱きしめた。
「――――――ッ!」
瞬時、テラスはルミアの首筋に鋭い犬歯を突き立てて噛みついた。
「…………ルミアッ!?」
リィエルはすぐに大剣を錬成し、テラスを斬ろうとしたが、ルミアがリィエルに向けて首を横に振った。
「…………ごめんね。こんなに苦しんでいるのに何もしてあげられなくて」
噛みつかれて激痛が走り、血を吸われているのにルミアはいつもの笑みを浮かばせながら
テラスを強く抱きしめる。
「だから、今度は私が貴方を救わせて。私の血でテラス君が少しでも楽になれるのなら全部あげる」
どこまでも穏やかで優しく…………そして、覚悟を決めた表情で語るルミアにセラも続ける。
「テラス君。それ以上ルミアちゃんから血を吸えば君はきっと後悔する。私はそんな君を見たくないよ…………戻ってきて」
切なくも懇願するセラもテラスを強く抱しめる。
「…………………………………………ルミア? セラ姉さん…………?」
不意に声が聞こえ、離れると先ほどの怪物のような顔をしていたはずのテラスは二人の知っているテラスに戻っていた。
「…………………なに、してるの? 死にたいの…………?」
完全に戻ったわけではない。ルミアの血を吸い、多少は理性を取り戻せれたテラスは二人に呆れるように告げた。
暴走した自分にわざわざ近づいて自ら首を捧げるなんて行為、自殺しか考えられない。
あと少し、理性を取り戻すのが遅かったら間違いなくルミアは死んでいた。
「………………それでも、私はテラス君を助けたかったんだよ?」
青ざめた表情で穏やかに笑うルミアにテラスは乱暴に噛みついたルミアの首筋を舐めて傷を癒す。
「……………………もう、二度としないでよね?」
「ふふ、保証できません」
笑うルミアの笑顔にテラスは呆れるように息を吐いた。