一言で言えば、グレン=レーダスの授業は最低だ。
だらだらと間延びした声で要領を得ない魔術理論の講釈を読み上げ、時々思い出したかのように黒板に判断不能な汚い文字を書いていく。
授業内容が何一つ理解できない生徒でもこれだけはわかった。このグレンという非常勤講師は恐ろしいほどにやる気がない。
まだ独学でしたほうがましだった。
テラスも教科書を開いたふりをしてノートには別のことを書いている。
それは
セラから教わった範囲を中心に考え、完成に近づけていく。
(練習したいな…………)
実際に試してどこまで形になっているのかを知っておきたい。だが、生憎も今は授業中。勝手な行動は許されない。例えそれがやる気のない講師の授業であっても。
テラスは孤立していても時間を無駄にすることはしない。空いている時間があれば何か得るものがないかと考えるほどだ。
不毛な時間を無駄にせずグレンの初授業が終わりを告げて、次の錬金術実験もとある暴力事件により、担当する講師が人事不省に陥ったために中止となり、その時間も別の事で埋めたテラスだった。
「あ、テラス君、こっちだよ!」
「あ、うん。今行くよ」
アルザーノ帝国魔術学院の食堂は、巨大な貴族屋敷のような学院校舎本館の一階に存在し、生徒達からは伝統的に評判がある食堂だ。
テラスは初めは教室で食事を済ませようと思っていたが、ルミアに誘われて食堂まで弁当持参で足を運んだ。
ルミアとシスティーナと同じ席に座ると、教室と同じように鋭い視線が背中にひしひし伝わってくるも無視する。
「システィーナ、機嫌が悪いの?」
「別に機嫌悪くなんてないわよ」
明らかに不機嫌そうな顔をしているシスティーナだが、本人はそうではないらしい。
「もう機嫌直そうよ、システィ。せっかくの昼食の時間なんだしさ」
ルミアも機嫌が悪いシスティーナの機嫌をなんとかしようとしていた。
「失礼」
テラスの隣、システィーナと正面にグレンは腰を落ち着かせた。
「―――――ッ!? あ、あ、貴方は―――」
「違います。人違いです」
華麗にスルーして、グレンは食事を開始した。それを見てテラスも弁当の蓋を開けて食事にする。
「うわぁ。それ、テラス君が作ったの?」
「ううん、お姉さんが作ってくれたんだ」
ルミアは色鮮やかな弁当の中身を見て積極的にテラスに話しかけていた。
「お姉さんがいるの?」
「血の繋がりはないけどね。母親、姉代わりに僕の面倒を見てくれるんだ」
「ふふ、いいお姉さんだね」
「なんなら一口食べる? 先生やシスティーナもよかったらどうぞ」
「え、いや、悪いわよ…………せっかくお姉さんが貴方の為に作ってくれのに」
「お、いいのか? サンキュー」
遠慮するシスティーナとは対極にグレンは弁当のおかずをつまんで一口で食べる。
「先生!? 貴方には遠慮というものがないのですか!?」
「いや、くれるって言ったから貰ったんだが? なんか悪いのか? …………ん、この味」
「お口に合いませんでしたか?」
「あ、いや、美味いぞ。うん、いいお姉さんを持って幸せだな、えっと…………」
「テラスです」
「おう、テラス。是非ともお姉さんに俺の分も作って貰えるか頼んでくれ」
「はは、一応言っておきますね」
「テラス! 言わなくてもいいわよ! こんな男に貴方のお姉さんの料理を食べさせる必要はないわ!」
「まぁまぁ、システィ。でも、これ凄く美味しいね」
システィーナを宥めながらもテラスのお姉さんが作った料理を絶賛するルミア。
「…………ところで、そっちのお前。お前はそんなんで足りるのか?」
グレンは当然、テラスもルミアもしっかりと食べているに対し、システィーナはジャムを薄く塗ったスコーンが二つだけ。
「お前、成長期だろ? 食わないと育たないぞ?」
「余計なお世話です。私は午後の授業が眠くなるから、昼はそんなに食べないだけです。真面目ですから。まぁ、先生にはそんなこと、関係なさそうですけどね」
グレンの大量の料理を一瞥して言い放ったシスティーナの挑発的な言葉に、空気が一気に重たくなる。
(食事中にこれ以上のいざこざは面倒だし、仕方がないな…………)
せっかく緩和した空気をまた重くなって余計な面倒を抱えたくはない。流石のテラスも転入初日は人間らしく振る舞いたいものだ。
「システィーナ」
「なによ?」
目を合わせるとテラスは吸血鬼の能力を発動させる。
「先生はシスティーナの健康を気遣って言っているんだから、そんなに邪険しないであげてはくれないかな? 食事の楽しみ方も人それぞれって言うし」
「…………わ、わかったわよ」
ふいっと視線を横に逸らして、納得してくれたシスティーナにルミアは驚いた。
てっきり反論でもするのかと思っていたが、あっさりと頷いて納得したシスティーナに驚きを隠せれなかった。
吸血鬼の能力『
異性限定で対象を魅了する。数秒から数分までしか効果がないのが玉に瑕の能力だ。白魔【チャーム・マインド】に似た能力だが、精神汚染はない為に幾分良心がある能力でもある。
「………………………」
グレンの瞳はほんの僅かだが、訝しげな眼差しをテラスに向けていた。
「あ、システィーナそれにルミア。少しいいかな?」
「どうしたの?」
転入初日の授業と呼んでいいかはわからないが、全て終了して放課後にテラスは二人に声をかけた。
「実はちょっとわからないことがあって二人に聞きたいんだけど、時間は大丈夫?」
「…………貴方の真面目な態度があの講師に少しでも伝わってくれたらいいのに。それで? どこがわからないのかしら?」
真面目に魔術に取り組むテラスの姿勢と不真面目で適当な授業をするグレンを見比べて嘆息しながらもテラスの質問に答えようとする二人にテラスは教科書を持って尋ねた。
「今日一日教科書を読んでみて思ったんだけど、どうしてこんな的外れなことばかり教えているのかな?」
「「え?」」
テラスの質問に二人の目が丸くなる。
「的外れってどういうこと…………?」
「グレン先生の授業を無視して自分で魔術の復習と予習をしていて思ったんだけど、どの教科も覚えろといわんばかりで肝心の魔術に関する仕組みや理解が載っていない。これがこの学園の魔術に関する授業なの?」
テラスの言葉に二人は顔を見合わせた。
テラスもこの学園に来た時はセラから教わったこと以外に何か役に立つことぐらいは見つかるかもしれないと内心は期待していた。
しかし、グレンのやる気のない授業のおかげでこの学園の魔術に関する捉え方、考え方を知って正直落胆した。
これなら学園で魔術の勉強するよりもセラに教わるか自分で学ぶかしたほうがましだ。
「食堂で話したお姉さんのこと覚えてる? 僕はその人から魔術を教わったんだけど、こんな的外れなことは教わっていないんだ。根本的な理屈が抜けているし、ひたすら覚えろなんてことはしなかった」
システィーナもルミアもテラスが話した理屈をそういうものだと勝手に聞き流していた。そんなことを考えなくても術式と呪文を覚えた方が使える魔術が増えていくから。
「今からお姉さんに教わったことを少しだけ二人に話すからそれを聞いたうえで答えて欲しんだ」
セラから教わったことを二人に伝えると二人の表情が驚き、未知に触れる好奇心の興奮。自分達では見えていない何かが彼には見えていた。
「…………凄い、これまで私達が習ってきたのがなんだったのかと思い知らされたわ」
その式の意味、理屈、構造などの説明を聞いたシスティーナの目の色が変わってくる。
テラスの話を聞いたらこれまでの講師達の授業が如何に的外れだったのかがよくわかる。
「テラス! お願い、私達に魔術を教えて!」
やや興奮気味で顔をずいと近づけてくるシスティーナに少し引きながらまぁまぁ落ち着いてと宥める。
「それはいいけど、僕も学士で誰かに教えたことがないから上手く説明できるかはわからないよ?」
「それでも貴方の魔術の質の高さは講師以上よ! お願い!」
「わ、わかったら頭を上げて! 空いている時間でよかったら教えるから!」
頭を下げて必死に懇願するシスティーナに戸惑い、了承するテラスとシスティーナの隣で苦笑いを浮かべているルミア。
「じゃ、今からの方がいい?」
「もちろんよ!」
魔術に対する真っ直ぐで情熱的なシスティーナにテラスは苦笑した。
転入初日。その様子をセラに聞かれたテラスは同級生に魔術を教えたことを話したら、どこか嬉しそうな表情をしていた。
テラスが転入し、グレンが講師着任から一週間。
空いている時間があれば二人に魔術を教えているテラスにムキになっている節すら感じられるほどにやる気がないグレンの授業。
始めはそれらしく授業をしていたグレンも段々面倒臭くなってきたのか、教科書を黒板に釘で打ちつけるほどにまでなった。
「いい加減にして下さいッ!」
ついに怒りが頂点に達したシスティーナは机を叩いて立ち上がった。
「む? だから、お望み通りいい加減にやってるだろ?」
「子供みたいな屁理屈こねないで!」
肩を怒らせ、システィーナは教壇に立つグレンにずかずかと歩み寄っていく。
「まぁ、そうカッカすんなよ? 白髪増えるぞ?」
「だ、誰が怒らせていると思っているんですか!?」
「ほら、そんなに怒るからその歳でもう白髪だらけじゃないか…………可哀想に」
「これは白髪じゃなくて銀髪です! 本当に哀れむような顔で私を見ないで! ああ、もう! これならテラスに教壇に立って貰った方がマシよ!」
「え…………?」
教室内の誰の視線がテラスに集まる中で、自分の名前が出るとは予想していなかった彼自身は驚きを隠せなかった。
(勘弁してよ、システィーナ………)
二人に魔術のことを教えているとはいえ、それは自分にとって魔術の再確認も意味合いも含めて教えているだけでわざわざ講師のような真似事はしたくはなかった。というよりも吸血鬼である彼は出来る限りは目立つ行動は避けたかった。
郷に入っては郷に従え。ここは人間が魔術を学ぶ学園なら人間のように振る舞いのが当たり前だ。
「ほう、テラス。自習にするからお前、ちょっとこいつらに教えてやれ。俺も楽が出来ていいし」
「貴方って人は講師としての最低限の矜持もないのですか!?」
うわぁ、と滅多にしない嫌そうな表情を浮かべるテラスの隣で苦笑しながら頑張ってと応援してくれるルミアの優しさが心に沁みる。
周囲からも怪訝と好奇心の視線がテラスに向けられる。その理由はシスティーナが優秀で学年首位という成績を持ち合わせているからだ。
そのシスティーナが推したテラスに興味を示さない者は誰もいない。
「テラス! この駄目講師に教えてやって! 魔術がいかに偉大で祟高なものかを!」
期待の眼差しを向けられるテラスは肩を落とす。
どうしてこう持ち上げてくるのかな、とため息を吐きながらグレンに視線を向けるもとてもいい笑顔で親指を立てて来た。
―――ハハハ、楽できていいぜ。
瞳がそう語っているようにしか見えなかった。
「はぁ、わかったよ」
諦念し、教壇に立つテラスにキラキラと瞳を輝かせているシスティーナが視線が痛い。
「さてさて、お手並み拝見と行かせて貰おうか」
ニヤニヤと笑みを浮かべながら上から目線の物言いに正直イラ、ときた。
「それじゃ、始めますよ?」
チョークを片手にテラスの授業が始まった。
「――――というわけです。何か質問はありますか?」
テラスは魔術式に関する解説、説明をしながらそれを黒板に書き終えて質問がないかと促すも、システィーナとルミアを除くクラス全員が驚かされた。
一週間前に転入したばかりの同じ学士であるテラスの魔術に対する造詣の深さに声が出なかった。
途中で噛んだり、言葉を詰まらせるところはあっても説明などに不備もなく、わかりやすい。同じ学士とは思えない。
「ほぉ、普通にすげえな……」
グレンから見てもテラスの授業に関心の声を出す。
点数をつけるとしたら80点だろう。それでもグレンからしてみたら高得点だ。
「どうですか? これで少しは危機感を持ったはずです。先生が授業に対する態度を改める気がないと言うなら、私達は彼に教わります」
(いや、無理だと思うよ…………)
講師ではなく学士としてこの学園に来たのだから、いくらグレンにやる気がないといえ講師であることには変わりない。
そもそも学士が学士に授業する行為自体がおかしい。
システィーナはテラスに授業をさせてグレンに危機感を持たせれば態度を改めると考えていたらしいが、この講師は違った。
「よし、今日から俺の授業はテラスに任せた。うん、それがいい」
自分の仕事をテラスに丸投げした。
「貴方っていう人は――――ッ!」
忍耐の限界を超えたシスティーナは左手に嵌めた手袋を外し、グレンに向かって投げつけた。
「痛ぇ!?」
「貴方にそれが受けられますか?」
静まる教室に、システィーナはグレンを指差し、力強く言い放った。
「お前…………マジか?」
グレンも眉をひそめ、柄になく真剣な表情で床に落ちた手袋を注視している。
魔術師にとって左手とは心臓に近い位置にあり、魔術を使うのにより適した手である。そして、その左手を覆う手袋を相手に向かって投げるという行為は魔術による決闘の意思表示。
「私は本気です」
「シ、システィ! だめ! 早くグレン先生に謝って、手袋を拾って!」
駆け寄るルミア。だけど、システィーナは烈火のような視線でグレンを射抜き続ける。
「…………お前、何が望みだ?」
「その野放図な態度を改め、真面目に授業を行ってください」
「…………辞表を書け、じゃないのか?」
「もし、貴方が本当に講師を辞めたいなら、そんな要求に意味はありません」
「あっそ、そりゃ残念。だが、お前が俺に要求する以上、俺だってお前になんでも要求していいってこと、失念しってねーか?」
「承知の上です」
「…………お前、馬鹿だろ。嫁入り前の生娘が何言ってんだ? 親御さんが泣くぞ?」
「それでも、私は魔術の名門フィーベル家の次期当主として、貴方のような魔術をおとしめる輩を看破することはできません!」
「あ、熱い…………熱過ぎるよ、お前……だめだ…………溶ける」
グレンはうんざりしたように頭を押さえてよろめいた。
完全に空気と化しているテラスは先ほどの自分の授業はなんだったのかと、思う。
「テラス君も見てないで二人を止めて!」
「…………いや、もうここまできたらぶつかり合った方がいいと思う」
まさに一触即発。触れれば爆発するような空気を醸し出している。なら、今後の事も考えていっそのことここで爆発させた方がいいと判断した。
「やーれやれ。こんなカビが生えた古臭い儀礼を吹っかけてくる
骨董品がいまだに生き残っているなんてな…………いいぜ?」
グレンは底意地悪そうに口の端を吊り上げた。床に落ちている手袋を拾い上げ、それを頭上へと放り投げる。
「その決闘、受けてやるよ」
そして、眼前に落ちてくる手袋を横に薙いだ手で格好良く掴み取ろうとして―――失敗。
グレンは気まずそうに手袋を拾い直した。
こうして講師と学士の決闘が始まった。