闘技場から離れたグレン達は距離を稼いだところで一安堵していた。
グレンはセリカの原因を無事に解決に成功したが、霊魂――エーテル体を著しく喰われてしまった為に魔術が震えるかわからない状態になり、今も昏睡している。
そして、システィーナは魔人の正体を『メルガリウスの魔法使い』に出てくる魔煌刃将アール=カーンと推測した。
偶然にしては出来過ぎている。システィーナの古代文明マニアがなせる発想力だろう。
その可能性に賭けてグレン達はテラスを助ける為に来た道を戻ろうとしていた。
『待ちなさい』
不意に背後から響いてきた声に、グレン達は一斉に振り返る。
そして、一同は息を呑んだ。
「な―――」
そこにいたのは――――少女だ。
燃え尽きた灰のように真っ白な髪、暗く淀んだ赤珊瑚色の瞳。身に纏う極薄の衣。
そして、その背中に生えている―――この世に属するモノとは思えない、異形の翼。
「お、お前は――――ッ!?」
グレンはその少女に見覚えがあった。
「第一祭儀場の、天空の
『…………………ふん。人間って本当に蒙昧ね。辻褄の合わないことは、すぐ自分で自分を騙して流す、現実を現実のまま捉えようとしない…………………愚かなことだわ』
蔑むような昏い目でグレンを睥睨し、鼻を鳴らす少女。
「ね…………ねぇ……………………貴女……………………なんなの……………………?」
システィーナが震えながら、少女に問う。
「どういう………………ことなの……………………? 貴女、どうして…………そんな姿を…………ッ!?」
その問いは、システィーナに限った話ではない。
その場の誰もが等しく抱いた問いだった。
「貴女……………どうして…………? どうして、ルミアと同じ顔なのよ……………………ッ!?」
震えるシスティーナが指摘するとおり。
その異形の少女の顔は―――――ルミアとうり二つであった。
『………………私? そうね、今はナムルスとでも名乗るわ』
誰もが抱いていた疑問に、少女はそんな風に答えていた。
「……………………
そのあからさまな偽名に、グレンは呆れるように嘆息する。
色々とその少女に聞きたいことはあるが、今はそれどころではない。
「悪いが、今はお前に構っている暇はねぇんだ。急いで戻らねえとテラスが―――」
『彼はこちらに向かっているわ』
ナムルスはグレンの声を遮ってそう答えた。
「それって……………………」
『倒したのよ。あいつを、一人で』
告げられたその言葉に一同は絶句する。あれほどの異質の存在をたった一人で倒した。
それと同時にテラスが生きている事に安堵するも―――
『だから私は彼から貴方達を逃がすために来たのよ』
「…………………………どういうことだ? あいつは、テラスは勝ったんだろう? なら今からでも迎えに行かねえと」
『死にたいの? グレン。…………いえ、私も言葉が足りなかったわ。彼は勝ったわ。それは間違いはない。酷い代償を支払っての勝利だけど、ね』
「それってどういうことですか?」
意味深に話すナムルスにルミアが食いつく。
『私は遺跡の
リィエルとルミアはその言葉の意味がすぐに理解できた。
一度彼の住処の地下で見た吸血鬼としての本能の暴走。
もし、それと同じかそれ以上に酷い状態になっているとしたら次の彼の狙いはグレン達だ。
「そんなのって……………………ッ!」
「あのッ馬鹿!」
システィーナもグレンもナムルスの言葉に少なからずのショックを受ける。
自己犠牲がどうとか自分で言っておきながら自分がそれをするなんて馬鹿としか言えない。
グレンはポケットから一発の銀色の弾丸を取り出す。
「クソ……………………ッ」
悪態を吐くグレンは遺跡調査前にテラスと話したことを思い出す。
『先生に渡しておきたいものがあります』
『なんだ? 金か?』
『生徒から渡すもので真っ先に金が出てくるのは……………………まぁ聞き流しますけど、これを先生が持っておいてください』
『チッ、金じゃねえのか。銀色の弾丸……………………?』
『万が一に僕が暴走して皆の敵と先生が判断したらそれを僕の心臓に撃ち込んでください。そうすれば弾丸に込めた純銀が血液と共に全身を巡り、僕の動きを封じることができます』
『おまッ! んなもん俺に渡すんじゃねえよ!』
『先生だからこそ渡しておきたいんです。いざという時に
『テラス、お前…………』
『頼みましたよ、グレン先生』
(お前はそうなることを前提に考えているのかよ…………………)
彼は自分のことを怪物だと自称するが、いったいどこが怖いというのか。
常に自分を切り捨てる手段と方法を考えているなんて普通はできない。
ルミアの為とは言え、もう少し自分を大切にしろ。
「先生! どうにか彼を、テラス君を助ける事は出来ませんか!? 私でできることならなんでもします! だから!」
グレンの腕にすがりよって必死に懇願するルミアにグレンは何とか宥めさせる。
「落ち着け。誰もあの馬鹿を見捨てるなんて思っちゃいねえよ。取りあえず今は―――」
『もう遅いわ』
それはやってきた。
ゆっくりとした足取りで闇の世界から最初にグレン達が目にしたのは血のように紅い二つの光。それはすぐに眼だと理解した。
足音がするたびに奈落に呑み込まれるような感覚がグレン達を襲うなかでそれは姿を見せた。
そこにはグレン達の知っているテラスではない。
獲物を見つけた捕食者の表情と狂気の瞳を迸らせる
四翼からは闇色の
「「―――――――――ッ!?」」
リィエルとグレンは反射的に剣と銃を構えた。
先程の魔人とは違う。闇そのものが人の姿をしているその存在に心臓に悲鳴が走る。
「………………………………よぉ、テラス。少し見ない間に随分と変わったな? なんだ? ドッキリか? 魔術馬鹿のお前にしては面白いドッキリだぞ?」
それでもグレンはいつもの調子で声をかけるもテラスに返答はない。
完全に自分達の事を餌として見えていない。
すぐに襲いかかってこないのは恐らくは値踏みをしているからだろう。
最初に食べるのは誰か?
グレンか、リィエルか、システィーナか、ルミアか。誰から食べた方が美味しいのだろうかと思考に耽っている。
「ほら、なんとか答えろよ? もっと面白いリアクションはなかったんですか? とかいつもの小生意気みたいなこと言えよ。おい! 聞いてんのか!? 頼むから返事をしやがれ!!」
「《■■■―――》」
嘆きの声のような呪文が聞こえるとテラスの足元にある影が蠢き出して蛇のように襲いかかってくる。
「ちくしょう!?」
「いやぁぁああああああああああああああああああああっ!!」
グレンの正確無比の銃撃とリィエルの剣技が影の蛇を破壊するも、蛇はすぐさまに再生し、何事もなかったように再び襲いかかる。
当の本人はただそこに突っ立っているだけで何もしようとはしない。
ただ単に影の蛇を操っているに過ぎない。
偶然か? たまたまか? もしくは嗜好か?
とにかくテラス本人は攻撃をしてくる気はないようだ。
(適度に動かせて血液の流れを良くしてから食べようってか!? 完全に俺達は捕食対象かよ!!)
内心で愚痴りながらグレンは銃声を鳴らし続ける。
「《集え暴風・戦槌となりて・撃ち据えよ》!」
背後からのシスティーナの呪文に二人は即座に後方に跳ぶ。
システィーナの隣にはルミアが寄り添い、システィーナの左手に手を添えている。
システィーナの黒魔【ゲイル・ブロウ】がルミアの異能の力も載せて破滅的な衝撃波を周囲に撒き散らしながら風の戦槌が猛然とテラスに迫る。
そして炸裂。
システィーナが放った風の戦槌はテラスに直撃した。
だが―――
「うそ……………………?」
確かに直撃したのに、テラスは一切効果はなかった。
ルミアの力を載せたはずなのにテラスは防御すらしていない。
「やぁああああああああああああああああああ―――――ッ!」
システィーナの魔術を放った直後にリィエルは烈風のごとくテラスへ襲いかかる渾身の斬撃が、テラスを肉薄にする。
甲高い音が響くとリィエルは目を丸くする。
自分の渾身の一撃をテラスは歯で受け止めては錬金術によって錬成したリィエルの大剣を噛み砕いた。
「う―――!」
虫を払うように腕を振るうとリィエルは咄嗟にセリカに
悠然と値踏みするように見下している
完全に遊ばれている。
その気になれば一瞬で殺すことも可能のはずなのに碌に攻撃らしい攻撃をしてこない。
逃げまとい、抗おうとする獲物を見て楽しむ捕食者の思考でグレン達を嬲って狩りを楽しんでいる。
(どうする…………………!? どうやってあいつを連れ戻す!?)
グレンはどうにかしてテラスを元に戻そうとする。だが、その方法がわからない。
唯一できる可能性があるのはテラス本人から貰った銀の弾丸をテラスの心臓に撃ち込んで動きを封じることぐらいだが、そう簡単に当たる相手とは思えない。
今こうして生きていられるのは単なる気紛れ。
テラスの影は蛇のように蠢いて、本人はもっと楽しませろといわんばかりに見ている。
「テラス君……………………私達のことがわからないの?」
ルミアがシスティーナよりも前に出てテラスに声を投げる。
「グレン先生やリィエル、システィも皆、テラス君のことを心配してるんだよ?」
「ルミア…………」
声を交えながら歩み寄るルミア。
「………………………………?」
だが、彼は首を傾げているだけだ。
何を言っているのかがわからないような目でただルミアを見ている。
「そうなったのも皆を助ける為に頑張ってくれたんだよね? だからちゃんとお礼が言いたいの。助けてくれて、守ってくれてありがとうって。だから、お願いだから……………………私達の知っている優しい貴方に戻って……………………ッ!」
「ルミアッ!」
しかし、ルミアの言葉は彼には届かなかった。
影が無数と棘となってルミアを襲う直前にグレンが駆け出してルミアを抱えて辛うじて避けることが出来た。
「テラス! お前、自分が何をしたのかわかってんのか!? お前がなによりも大切にしているルミアを殺そうとしたんだぞ!?」
激昂するグレン。だが、それでも
世界は灰色となって無音となる。
音を失わずに済んだのはグレン達だけ。テラスまでも灰色となって停止している。
『この状態はそう長くは保たないわ。急いでこの場から離れるわよ』
ナムルスがグレン達に引くように告げる。
「待て! それじゃあいつは―――」
『今の彼には私達の言葉は届かないわ。ここで無駄死にしたいの?』
正論過ぎるその言葉にグレン達は一度テラスを一瞥して苦渋に満ちた顔でこの場から離れていく。