「このように三属呪文は―――」
―――どうしてこうなったのだろう? テラスはチョークで黒板に三属呪文の解説をしながら深く、深く思った。
グレンとシスティーナの決闘は結果から言えばシスティーナの圧勝だった。
黒魔【ショック・ボルト】の呪文のみの決闘で一節詠唱ができないグレンと一節詠唱ができるシスティーナでは大きな差があった。
決闘でシスティーナは確かに勝利した。だが、グレンは屁理屈をこねにこねて引き分けと言い放って逃走。
誰もがグレンに酷評し、侮蔑と軽蔑の眼差しを向けるなかで全員の視線がテラスに向けられた。
『え…………?』
決闘直後、テラスはグレンの授業は自習になって自分が勉強に取り組める時間が増えると予想していたが、その予想は大いに崩れ去った。
同じ学士とはいえ、テラスは既に講師を上回るほどに魔術の造詣が深い。
自主的に魔術を学ぶより、テラスに教わった方がいい。クラス全員(一部の成績優秀者を除き)がテラスに魔術を教えて欲しいと頼んできた。
初めは断った。
あくまで自分は学士という立場、まだまだ足りないものも多い、講師ではないなどと様々な理由を述べて断ろうと試みたが、引き下がらないクラスメイト達に折れてしまった。
決闘騒動から三日経った今なんかは講師のように同じ学士に魔術を教えている。
グレンは窓際に椅子を持ってきて腰を下ろし、呆然としている。文句一つも言わない。
それが既に暗黙の了解となっている。
「あ、あの…………先生…………」
それでも何かを学ぼうと健気で真面目な生徒はグレンに声をかけて来た。
「ん? 質問があるなら俺じゃなくてテラスにしたほうがいいぞ?」
(それはダメでしょう? 非常勤講師…………)
学士が授業している時点でもう駄目だが、それでも自分から質問してくる真面目な生徒の質問を他の誰かに投げ渡すのはよくないだろう内心でぼやく。
「無駄よ、リン。その男に何を聞いたって無駄だわ」
「あ、システィ」
質問したリンは、グレンとシスティーナに挟まれて所在なさげにおろおろする。
「その男は魔術の崇高さを何一つ理解していないわ。むしろ、馬鹿にしている。そんな男に教えてもらうことなんてない」
「で、でも…………」
「大丈夫よ、テラスや私が教えてあげるから。一緒に頑張りましょう? あんな男は放っておいていつか一緒に偉大なる魔術の深奥に至りましょう?」
システィーナがうろたえているリンを安心させるように、笑いかけたその時だ。
一体、何がその男の気に障ったのか。
「魔術って…………そんなに偉大で崇高なもんかね?」
ぼそりと、グレンが誰へともなくこぼしていた。
それを聞き流せるシスティーナではない。
「ふん。何を言うかと思えば。偉大で崇高なものに決まっているでしょう? もっとも、貴方のような人には理解できないでしょうけど」
鼻で笑い、刺々しい物言いでばっさりとシスティーナは切り捨てた。
普段ならここでこの話は終わっても不思議はなかった。だが―――。
「何が偉大でどこが崇高なんだ?」
その日はなぜか食い下がった。
「…………え?」
想定外の反応にシスティーナも戸惑う。
「魔術ってのは何が偉大でどこが崇高なんだ? それを聞いている」
「そ。それは…………」
「ほら、知っているなら教えてくれ」
一呼吸置いて言葉をまとめ、自信もって返答する。
「魔術はこの世界の真理を追究する学問よ」
「…………ほう?」
「この世界の起源、この世界の構造、この世界を支配する法則。魔術はそれらを解き明かし、自分と世界がなんのために存在するのかという永遠の疑問に答えを導き出し、そして、人が高次元の存在へと至る道を探す手段なの。それは、言わば神に近づく行為。だからこそ、魔術は偉大で崇高な物なのよ」
自分でも会心の返答だとシスティーナは思った。
だから、返ってきたグレンの言葉は不意打ちだった。
「…………何の役に立つんだ? それ」
「え?」
「いや、だから。世界の秘密を解き明かした所でそれが一体なんの役に立つんだ?」
「だ、だから言っているでしょう!? より高次元の存在に近づくために…………」
「より高次元の存在ってなんだよ? 神様か?」
「…………それは」
即答できないシスティーナにグレンはつまらなそうに追い討ちをかける。
「そもそも、魔術って人にどんな恩恵をもたらすんだ? 例えば医術は病から人を救うよな? 冶金技術は人に鉄をもたらした。農耕技術がなけりゃ人は飢えて死んでいただろうし、建築術のおかげで人は快適に暮らせる。この世界で術と名付けられた物は大体人の役に立つが、魔術だけは何の役に立ってないのは俺の気のせいか?」
魔術の恩恵を受けるのは魔術師だけだ。魔術師ではない者に魔術は扱えない。
それ以外にも大勢の魔術師は魔術の研究成果が一般人に還元されることを頑なに妨げている。一般人が普通に生きていく分には見ることも触れることもない代物だ。
「魔術は…………人の役に立つとか、立たないとかそんな次元の低い話じゃないわ。人と世界の本当の意味を探し求める…………」
「でも、何の役にも立たないなら実際、ただの趣味だろ。苦にならない徒労、他者に還元できない自己満足。魔術ってのは要するに単なる娯楽の一種ってわけだ。違うか?」
システィーナは言い負かされ、歯噛みするしかなかった。
あまりの悔しさにシスティーナが唇を震わせていると…………。
「悪かった、嘘だよ。魔術は立派に人の役に立っているさ」
「…………え?」
突然の掌返しにテラス以外のクラスの全員が目を丸くする。
「あぁ、魔術は凄ぇ役に立つさ…………人殺しにな」
酷薄に細められたその暗い瞳。薄ら寒く歪められた口から紡がれたその言葉。それを聞いてテラスは確信した。
この非常勤講師こそが、セラが言っていた《愚者》のグレン=レーダスだと。
「実際、魔術ほど人殺しに優れた術は他にないんだぜ? 剣術が人を一人殺している間に魔術は何十人も殺せる。戦術で統率された一個師団を魔導士の一個小隊は戦術ごと焼き尽くす。ほら、立派に役に立つだろ?」
「ふざけないでッ!」
流石に看過できなかった。魔術を無価値と断じられるならまだしも、外道におとしめられるのは我慢できない。
「魔術はそんなんじゃない! 魔術は――――」
「お前、この国の現状を見ろよ。魔導大国なんて呼ばれちゃいるが、他国から見てそれはどういう意味だ? 帝国宮廷魔導師団なんていう物騒な連中に毎年、莫大な国家予算が突っ込まれているのはなぜだ?」
「そ、それは―――」
「お前の大好きな決闘にルールができたのはなんのためだ? お前らが手習う汎用の初等呪文の多くがなぜか攻性系の魔術だった意味はなんだ?」
「―――それは」
「お前らが大好きな魔術が、二百年前の『魔導大戦』、四十年前の『奉神戦争』で一体、何をやらした? 近年、この帝国で外道魔術師が魔術を使って起こす凶悪犯罪の年間件数と、そのおぞましい内容を知っているか?」
「――――っ!」
「ほら、見ろ。今も昔も魔術と人殺しは切っても切れない腐れ縁だ。なぜかって? 他でもない魔術が人を殺すことで進化・発展してきたロクでもない技術だからだ!」
普段のすっとぼけた顔とは違う何かを憎むようなグレンの形相はテラスに向けられた。
「テラス。お前もそれを知っていてあえて避けて教えてるだろう? そこまで魔術の造詣が深いお前のことだ。魔術がどのようなものか理解しているはずだ」
「っ! う、嘘よね…………そうよね?」
グレンの言葉にシスティーナは最後のよりどころのようにテラスに縋る様に見るとテラスは小さく息を吐いた。
「ええ、先生の仰る通り、魔術による戦争、犯罪。魔術で多くの人が死んでいることぐらいはね」
「―――――っ!?」
裏切られたかのようにショックを受ける。
「だろう? まったく俺はお前らの気が知れねーよ。こんな人殺し以外、何の役にも立たん術をせこせこ勉強するなんてな。こんな―――」
「誤解しないでください。僕は別に先生の考えを全面的に肯定したつもりはありません」
「はぁ?」
「え?」
グレンの言葉を遮って言い放つテラスに訝しむ。
「…………じゃ、なんだ? 魔術は人殺し以外にも役に立つっていうのか?」
「確かに先生の言う通り、普通に生活している人は魔術を見ることも触れることもないでしょう。それは肯定します。だが、人殺し以外に役に立たないのは流石に極論じゃありませんか? 何が先生をそうさせているのかは知りませんし、僕には興味もありません。しかし、魔術があったからこそ救われた人もいるんじゃないですか? 白魔【ライフ・アップ】なんかは傷を癒す魔術で、到底人殺しには向かないものです」
語るテラス。その言葉にグレンの顔が歪む。
「そもそも僕から言わせれば二人とも極論過ぎますよ。グレン先生は魔術を人殺しに、システィーナは魔術を神聖視している。その時点でもうおかしい。まるで魔術に善悪の感情があのようではありませんか? 魔術はあくまで魔術です。魔術をどう扱うかは使い手の判断によって大きく変わります。真理を追究するのも、人殺しに使うにも人間が決める。人間という生物は自分にとって都合の悪いことを自己解釈し、正当化する。わかりやすい例えで言いましょうか? 人を殺した人間がいるとしましょう。だけど、その人間はこう言います『違う、だって、あいつが…………』などと何かに自分の不都合を押し付ける。人間という生物は自分にとって良いものしか受け入れず、悪いものは追い払う。システィーナの場合、魔術を神聖視しているあまり、悪いところ、グレン先生が言ったことを受け入れようとしない」
「――――それは」
「グレン先生は魔術を人殺しと断定し、システィーナが抱く魔術の情熱を無下にしようとする。この際ですからはっきり言いましょう。どちらも子供だ」
歯噛みする二人を無視してテラスは告げる。
「納得しろとまでは言いませんよ。ただ、理解はしてください。魔術は神聖視するものでもあり、人殺しの道具でもあるということを。それを理解しているだけでも違うんじゃないですか?」
互いの考えを肯定するように促すテラスにグレンは尋ねた。
「テラス。それじゃお前はなんで魔術師を目指してる?」
「え、目指してませんよ?」
『はぁ!?』
呆気なく答えるテラスの言葉に全員が反応した。
「じゃ、じゃあ貴方は何の為にこの学園に転入したのよ!?」
「趣味」
これ以上にないぐらいに簡潔に答えたテラスにクラス全員が頭を押さえた。
あれほどに魔術の造詣が深い者が魔術を学ぶその理由は趣味と聞いてシスティーナは先ほどまでのグレンに対する怒りなどがテラスに向けられ、左手の手袋をテラスに叩きつける。
「決闘よ! 貴方に決闘を申し込むわ! 私が勝ったら今すぐその考えを改めなさい!」
「え~と、どうしてこうなるの…………?」
何故か決闘を申し込まれたテラスは困惑してグレンやクラスメイトに視線を向けるとどうやら全員がシスティーナの味方だったようだ。
「あはは…………テラス君、流石に今の言葉を聞いて趣味はないよ」
苦笑しながら唯一ルミアだけが、何がいけなかったのかを教えてくれた。
高々と語ったくせにその本人は趣味で魔術を学んでいるのは流石にどうかと、そう思っている。
しかも、講師以上に身に付けているから余計に質が悪い。
たかが趣味でそこまでいけたら誰も苦労はしない。
「え、え~と、とりあえずシスティーナ。少し、落ち着いて…………人間とは話し合いができる生物なんだから」
必死に笑顔を取り繕い宥めようとする。
そもそも仮にテラスが決闘を受けてもたかが学士の魔術など効かない。例え【ショック・ボルト】を百発受けても平然としていられる自信がある。
「うるさいうるさい! いいから黙って受けなさいよ!!」
どうやら話し合いは通じなかった。
意地でも決闘を受けさせようとするシスティーナにテラスはグレンに視線を向けるが逸らされる。ルミアに向けても苦笑するばかり。
そもそもどうしてこうなった?
グレンの考えは全面的に肯定していないだけであって、一部は肯定している。システィーナのように神聖視はしていなくても真理を追究するものだとは思ってる。
だからどちらも完全に肯定も否定も取らずに、その使い手である人間に問題があると教えただけでどうしてこういう風になったんだ。
若干涙目で睨み付けてくるシスティーナに戸惑うテラスは観念するように息を吐く。
「わかったよ…………。ルールはシスティーナが先生とした時のように【ショック・ボルト】のみで決着。僕が勝っても要求は何もしない。これまで通りにしてくれると助かる」
「~~~~ッ! もうそれでいいわよ!」
何故かヤケクソ気味になっているシスティーナにテラスはわからなかった。
以前に行われた決闘の場所、中庭でその決闘は始まった。
「《雷精の―――」
「《バン》」
システィーナよりも短く切り詰めた一節詠唱であっさりと勝敗は決まった。
その理由は趣味であってもテラスの実力は本物。超絶技巧の術行使にシスティーナは敗北した。
「なんか、ごめんね…………」
システィーナが怒っている理由はわからなくも取りあえず謝っておいた。