ダメ講師グレン、覚醒。
その報せは学院を震撼させた。噂が噂を呼び、他所のクラスの生徒達も空いている時間に、グレンの授業に潜り込むようになり、そして皆、その授業の高さに驚嘆した。
専属講師としてグレンがあてがわれたシスティーナ達二年次二組のクラス以外にも日を追うごとに他のクラスからの飛び入り参加者で席は埋まり、さらに十日経つ頃には立ち見で授業を受ける者もいた。
また若くて熱心な講師の中にはグレンの授業に参加して、グレンの教え方や魔術理論を学ぼうとする者もいた。
そんなわけでテラスは御役目御免。講師の真似事をすることもなく、一人の学士として授業を受けられる。
そう思っていた時もあった。
「テラス君、ここがわからないのだけど」
「論文を見てくれないかな?」
「ルーン語学で聞きたいことがあるのだけど」
「あー、ちょっと待って」
グレンが覚醒する前の講師の真似事が響いて同じ学士から意見や質問を投げられるようになってしまった。
質の高さはグレンほどではなくても、他の講師よりも遥かに質の高さを持っているテラスはひっぱりだこ状態。
四方八方から飛んでくる質問などに答えている為に自分の魔術に取り組む余裕がなかった。
「どうしてこうなったんだろう…………?」
遠い眼差しでフェジテの空に浮かぶ『メルガリウスの天空城』を眺める。
「お~い、そこで黄昏ている青春生徒。黒板に書いたこの問題解いてみろ。お前なら余裕だろう?」
「元はといえば誰のせいですか、誰の」
教壇に立ち、やや乱暴気味にチョークで書かれた問題を止まることなく解いていく。
答えを書き上げると後ろから驚嘆の声が飛んでくる。
「はぁ~やっぱお前は凄ぇな。これ、生徒ならまず解けない問題なんだが」
「そんな問題を出さないでくださいよ」
わざとか、と叫びたい。
「いや、お前マジで今からでも講師として食っていけるぞ? 教え方も上手いし、いっそのことその道を目指すのもいいんじゃねえか?」
「…………まぁ、考えておきます」
席に戻るテラスは嘆息する。
「ふふ」
「どうしたの…………?」
「ううん、なんでもないよ」
隣で微笑むルミアにテラスの口からはまた息が漏れる。
休み時間になればまた質問責めか思うとやや憂鬱だ。
「頑張ってね、学士講師さん♪」
「止めてくれ…………」
学士の身でありながら講師以上の授業をしていたことからそう呼ばれるようになったテラスは元々の元凶のグレンを睨むも本人は気にもせずにチョークを動かしていく。
「…………おのれ、ロクでなし講師」
愚痴を一つ溢して僅かに空いているこの時間を自分の為に使う。
「ふふふ、そうなんだ」
食卓を挟んでいつものように今日の学園での出来事を話すとセラは嬉しそうに微笑んでいた。
「こっちは自分の勉強に集中したいよ……」
「それも大切なことだけど、友達と交流を深めるのも大事だよ。私はテラス君が人気者になってくれて嬉しいな」
「それは単純に皆が魔術を理解ではなく暗記に集中していたから、そうじゃない僕やグレン先生に尋ねているだけだよ」
「そうだよね、私もテラス君の話を聞くまでどうしてそんなことしているのだろう? って思っちゃったよ」
ぱくっと料理を口にしながら同意する。
「でもグレン君が講師か~。グレン君らしいといえばらしいかな。誰かに教えるのも上手だったし、正義感も強いからきっといい講師になれるよ」
遠い目で、しかしその顔は自分事のように嬉しそうに笑っていた。
現実を知りながらも全てを救える『正義の魔法使い』という理想を目指しているグレンに酷いことをしてしまった。
「…………会いに行ったらいいのに」
「…………できないよ、私にはもうグレン君に会う資格はないもの。それに今はテラス君のことで精一杯だからね。昨日だって遅くまで魔術の勉強していたでしょ? 頑張るのはいいことだけど、ちゃんと休まないと駄目だよ」
「吸血鬼はそこまで睡眠は必要ないのはセラ姉さんも知ってるでしょ?」
「それはそれ、これはこれだよ。無理は絶対にしちゃ駄目。ただでさえテラス君は天才なんだからそこまで自分を追い詰めなくても問題はないんだよ。それに……くどくどくど…………」
呪文詠唱の省略、簡略化を頭で考案することでセラの説教を聞き流す。
一度始めると長いセラの説教はこの一年一緒に過ごしたからよくわかった。
命令をすれば説教は消えるが、こんなことに命令をする気はない。
(やっぱりこの魔術に使う呪文詠唱は…………)
説教をするセラとそれを華麗に聞き流すテラス。
この二人のやり取りは日常茶飯事だ。
そして、一通りの説教が終えるとセラにテラスが転入する前の講師が一身上の都合で退職したために遅れた分を休日を使って授業することになっていることを話す。
「うん、お弁当用意しておくね」
「お願いします」
食事と説教を終えてテラスは自室で魔術の研究に没頭する。
「えっと、この魔術における流体制御ベクトルは…………」
興味がわき、それが趣味へと変わり、魔術馬鹿吸血鬼となってしまったテラスはそのことを自覚しないまま今日も遅くまで魔術に没頭してしまった。
「…………遅い!」
システィーナは懐中時計を握りしめる手をぷるぷる震わせながら唸っていた。
それはグレンの遅刻だ。
「そういうわけで風の魔術は操作しなければならないパラメータが多すぎて威力は炎熱、冷気、電撃に比べて劣るけど、基本三属に比べて、呪文改変のバリエーションが無限大と言えるほどに―――」
そんな遅刻講師グレンに変わった空いた時間を学士講師という不名誉な名称を頂戴したテラスが代わりに授業を行っている。
受けるも聞き流すも自由なテラスの授業の真っ最中だ。
「あいつったら…………最近は凄く良い授業をしてくれるから、少しは見直してやったのに、これなんだから、もう!」
「でも、珍しいよね? 最近、グレン先生、ずっと遅刻しないで頑張っていたのに」
その隣でテラスの授業に耳を傾けながらルミアが不思議そうに首をかしげた。
「あいつ、まさか今日が休校日だと勘違いしているんじゃないでしょうね?」
「そんな…………流石にグレン先生でもそんなことは…………ない、よね?」
グレンの事を信頼しているルミアでも完全否定はできなかった。
「でも、その場合だとテラス君が今日一日先生になっちゃうね」
「…………そうね。魔術を学ぶ理由が趣味なのは納得はできないけど、講師として本当に向いているわ」
満席御礼の教室。その中にいる殆どの生徒がテラスの授業に耳を傾けている。
元々はグレンの授業を聞きに来た生徒は、二組の押しに負けてテラスが教壇に立つと、不安と疑問の声でざわついていた。
それでも、一度始めるテラスの授業にその不安も疑問も消えた。
「本当に何者なのよ、あいつ…………。実は講師でしたって言われても納得できる私がいるわ」
「ふふ、そうだね」
意味深な微笑みを見せるルミアにシスティーナは首を傾げ、何かを言おうとした時、教室の扉が無造作に開かれ、新たな人の気配が現れた。
「あ、先生ったら、何考えてるんですか!? また遅刻ですよ!? もう…………え?」
説教をくれてやろうと待ち構えていたシスティーナは教室に入ってきた見覚えのないチンピラ風の男とダークコートの男がいた。
「あー、ここかー。いや、皆、勉強熱心ゴクロ―サマー! 頑張れ若人!」
突然、現れた謎の二人組に教室全体がざわめき始めた。
「え~と、どちら様でしょうか? 一応この学園は部外者は立ち入り禁止ですよ?」
そんな中、テラスが臆することなく声をかけた。
「あ、君達の先生はね。今、ちょっと取り込んでいるのさ。オレ達が代わりにやって来たっつーこと。ヨロシク!」
「それはそれはよろしくお願いします。それで貴方方は何者でしょうか? 僕からは犯罪者のようにと失礼極まりないように見えますが?」
「ハハ、当たり! 俺達はね、テロリストってやつだよ。要は女王陛下サマにケンカ売る怖ーいお兄サン達ってワケ」
クラス中のどよめきが強くなる。
(まずいな…………)
テラスはこの状況をどうするかを思案する。
この二人は魔術師のなかでもかなりの実力者だ。超一流と言っていいほどに。
吸血鬼になってから多くの魔術師を殺してきたテラスだからわかる直感だが、負ける気はしない。
吸血鬼であり、条件付きとはいえ不老不死。今では魔術まで身に付けているテラスなら二人でも殺せる自信はある。
だが、この場で戦闘になれば必ず何人かは死ぬ。
横目でこの教室にいる同じ学士達を見る。流石に彼等を巻き込むのは気が引ける。
どうにかしてこの二人を教室の外に連れ出すか。そう考えていた時。
「ふ、ふざけないで下さい!」
臆せず二人の前に歩み寄るシスティーナ。
「あまりにもふざけた態度を取るなら、こちらにも考えがありますよ?」
その言葉にテラスは悪手という単語が脳裏を過ぎる。
だが、そのおかげで閃いた。
「え? 何? 何? どんな考え? 教えて教えて?」
「…………っ! 貴方達を気絶させて、警備員に引き渡します! それが嫌なら早くこの学院から出て行って…………」
「きゃー、ボク達、捕まっちゃうの!? いやーん!」
「警告はしましたからね?」
魔力を練る。呼吸法と精神集中で、マナ・バイオリズムを制御する。
そして、指先を男に向け―――黒魔【ショック・ボルト】の呪文を唱えた。
「《雷精の――――」
「《ズドン》」
「危ない!」
テラスはシスティーナを叩き飛ばし、テラスの胸に光の線が貫いた。
「…………え?」
飛ばされ、尻餅をついたシスティーナは自分でもわかるぐらいに血の気が引いた。
胸に風穴が空き、そこから血を流しているテラスがそこにいた。
「あーあ、当てる気はなかったんだけどな、自分から飛び込んじまいやがった」
テラスを見下し、面白そうに拍手を送る。
「勇敢な生徒に拍手! よかったね、こいつのおかげで君は助かったよ」
チンピラ男が使ったのは軍用の
「あ、ああ…………」
血に染まって行くテラスにシスティーナの目をこれ以上にないぐらい見開いてしまう。
「い、いやぁぁぁあああああああああああああああああああああああああっっ!!」
自分のせいでテラスを殺してしまったそのショックにシスティーナは悲痛の叫びを上げる。
(どうしよう…………凄く気まずい…………)
この状況をなんとかする為にシスティーナを利用したとは口が裂けても言えず、更には現在進行形で死んだふりをしているテラスは悲鳴を上げているシスティーナにもの凄く罪悪感を抱いていた。
「さーて、この中にルミアちゃんって女の子いる?」
(まぁ、今はこのまま奴等が動くのを待とう)
男達が自分から教室を出て行くまでテラスは死んだふりを続けた。