ガルマが城ヶ崎莉嘉と一緒に悪党をやっつけるお話です。
グランブルファンタジーとアイドルマスター シンデレラガールズのクロスオーバーです。
誤字脱字はご容赦ください。

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エージェント・アンド・アイドル

 ドラフのガルマはベッド脇に広げた所持品を点検する。ポケットナイフに使い慣れたソードオフ、予備の弾薬に触れてチェック。足首に小型拳銃を装着する。天井の隅とその反対側に分解したショットガン、クローゼット内の隠しポケットのダガー。枕元に隠してある閃光手榴弾。一日一回のチェックを終えてからガルマは盗賊服兼アサルトスーツに着替える。部屋を出てからロックを確認した途端に少女が声をかけてくる。

 

 

「あーガルマくんだっ! お姉ちゃーんあっちだよあっちー!」

 見覚えがある。名前は城ヶ崎莉嘉、名前の区切る場所がわからず、カブトムシという昆虫をやけに好む女の子だ。確かオツバクの一種だと聞く。その他にリカは耳慣れないことを次々に繰り出してくるが、それは異世界からの来訪者だからだろう。姉の城ヶ崎美嘉もそれは同様で、二人はたまに談話室でくつろぎながら、見覚えのない端末を見せあってプリクラという絵を見ながらはしゃいでいる。

 

 

「莉嘉! そんな大声出さなくても聞こえるって、ガルマさん迷惑するよ……おはようございます」

 後ろから付いてきた城ヶ崎美嘉はガルマを見つけると頭を下げて、ガルマも頷きを返す。本人はもっと吹っ飛んだイメージを出したいらしいが、こういうところで育ちの良さが見て取れる。ガルマは城ヶ崎一家は貴族か王族の類だと考えていた。ジョウガサキという響きといい、手にした端末の特殊性といい、十分に当てはまる。

 

 

 ただ本人たち自分たちはアイドルといっており(ショチトル島からやってきたディアンサのようなものだ)それもまた頷ける。グランサイファーには他にも島村卯月やアナスタシアといったアイドルが乗っており、時折合同練習でダンスの練習をしている。今度は巫女たちとの合同ライブも行うらしく、その練習も欠かせない。

 

 

 連れ立って歩く。次の会議まで時間に余裕があり、船内の談話室で茶を一杯飲もうかと思っていた。

 

 

「ねぇねぇガルマくん、ガルマくんってコーヒー飲む? それともお茶派?」

 後ろのリカが尋ねてきた。彼女たちも談話室に向かうのだろう、足取りはガルマを追いかけていた。

 

 

「ちょっと莉嘉、ガルマくんじゃないでしょ、相手はプロデューサーじゃないんだから」

 莉嘉がたしなめる。二人はいつもこんな会話をしているのだろうかと思いながら団員たちでごった返す談話室に入り、空いている机にかけるとお茶を淹れる。リカやミカは隣の席で次の依頼について話し合っている。ガルマはふと思いついて個人用ロッカーから茶菓子を出すと、二人に差し出す。

 

 

「食うか」

 

 

「あっくれるの? やったーありがとう!」

 差し出したチョコレートをリカはためらいなく口にする。ちょうど菓子を作りすぎたローアインに押し付けられて閉口していたところだ。

 

 

「莉嘉、ちゃんと敬語! すいません、良くしてもらっちゃって……」

 ミカが恐縮する。

「ガルマさんは次の依頼、参加するんですか」

 

 

「ああ。というより、次は俺がメインでな。お前たちは聴講だったか」

 グランサイファーでは依頼に参加しない団員も、聴講という形でミーティングに参加できる。得意分野ばかり受けていると伸びしろが減ってしまう、というカタリナの提案で実現したものだ。そのため、船を改造して作った大型会議室は常に新しい依頼を受けるか耳にするために団員たちが詰めかける。新しい経験に貪欲なのだろう。とはいえ義務付けられているわけではなく、出張や別室での作業が多い団員は別件を優先させても構わない。

 

 

「そうなんです。とうきょ……あっちだとわからないことも多いから、社会勉強したいと思って」

 

 

「それはいい。ただちょっと今回、お前たちには刺激が強いかもな。団長からそれは聞いてるか」

 

 

「ちゃんと聞いたよ! でもアタシたちは怖いもの知らずだからね、どこにだって行くよ!」

 

 

「お邪魔します、仲がよろしいようですね」

 空いていた隣のスツールにスーテラが腰掛けた。気配を感じさせない動き方だったが驚かない。このエルーンはいつもこんな感じだ。ガルマが茶を淹れてやると、スーテラは礼をいってカップを手にした。

「ガルマさんとお茶はよく合ってますね。馬子にも衣装ですか」

 

 

「残念だが俺はコーヒー派でな。今回は会議前にリラックスしたいと思って敢えて茶にしたんだ」

 

 

「そうですか、主役はお辛いことで。なんなら変わりましょうか」

 

 

「ぜひお願いしたいところだが、これは図体がデカいドラフにしかできなくてな」

 

 

(なんか……すごいね、お姉ちゃん。大人同士のちょーちょーはっしっていうか……Pくんとちひろさんとはまた違うよねえ)

 後ろでリカが姉にささやいたが、丸聞こえだ。

 

 

(うん……どの世界でもこういうのってあるんだね)

 

 

 こそこそとしていて気になる。ガルマは自分の茶を飲み干し、腕時計を確かめながら席を立った。ミーティングの時間だ。

 

 

*****

 

 

 今回の依頼は裏オークションと売買される盗品の監視だ。

 

 

 グランサイファーが飛び交う島々は数十であり、島には数多の人間が住んでいる。そして欲望の数は人口の数乗になり、そうなるとよこしまな考えが膨らみ形になる。アルスター島のマフィアが良い例で、中では島ぐるみで不正行為を働くところもある。この裏オーディションでは盗まれた宝石から覇空戦争時代の逸品、虹クワから宝星石の売買も盛んである。火種を撒き散らしたい武器商人が訪れ、奴隷商人もやってくる。以前に刀剣男子たちとともにグランサイファーは不正競売を壊滅させたが、今回はその残党らが徒党を組んだものと見て差し支えない。首謀者は全員捕まえて監獄に送られたはずだが害悪はどこからでもやってくる。

 

 

 依頼者はよろず屋シェロカルテ。アウギュステで雑貨屋の視察をしていたところ、暗黒大陸エスティオスとも極秘ルートで商取引を行うとも噂される商人から、この闇オークションを知らされたのだ。どうやらシェロカルテの手広さから彼女を金の亡者だと思っていたらしいが、シェロカルテは笑顔で辞退してから商人を送り出し、商人を秩序の騎空団に補足させた。こんなことがあってはいけません、と彼女は珍しく怒っていた。

 

 

 最初は会場をグランサイファーで強襲することも考えた。だが商人からもちかけられた話だけでは規模が不明でそもそも競売を運営する組織の内幕もわからない。例え当座の闇競売を壊滅させられても、尻尾切りで幹部に逃げられる可能性も考えられる。前回は闇競売を壊滅させたが、こうしてのさばってきたのだが良い証拠だ。そうなれば顔が割れたグランサイファーの前に二度と悪党どもは姿を表さず、爾後の摘発は不可能になるだろう。監視がギリギリのラインだ。

 

 

 そこでお鉢が回ってきたのが、もともと盗賊だったガルマだ。ガルマが競売へ潜入し、人数から規模、繋がりについて探る。つまりその回は見過ごして次の開催を待つ段取りだ。団長はかなりこの意見に渋い顔をしていたが、俺は構わんとガルマが快諾したので納得した形だ。実際に最初期にもたらされた情報から、ガルマは何人かの知った人間を発見している。

 

 

 だが会議の途中でリカが立ち上がった。彼女の目は怒りに燃え、資料として配られた目録に虹クワの名前を見つけていてもたってもいられなくなった。他にも貴重な生物や外来種の名前が見られる。ゆくゆくは闇競売が生態系に与える影響が憂慮される程度だった。

 

 

「ムシたちを売り買いするなんて許せない! メチャクチャなところに連れ去られたら、ストレスがかかってすぐ死んじゃうよ! アタシも行く! 助けなきゃ!」

 

 

「ダメ。危険なのわかってる?」とミカがいった。絶対に意見を変えないという顔をしていた。

「莉嘉、あんたはわかってるの? プロデューサーぐらいの男の人が本気で向かってくるんだよ? こっちをやっつけようとして。実際に想像したことがあるの? アンタも騎空士になって強くなったから、そんな悪党もあしらえるかもしれない、でもそいつらの仲間がいるかもしれないの。もし仲間がいて顔を覚えられたら、こっちの努力は水の泡になる」

 

 

「でも一人なんて危険すぎて――」

 

 

「リカくん、落ち着きたまえ。俺だって怒りを覚える」

 リカの隣に着席していた探偵バロワ――なぜか彼が声をかけると、奔放なアイドルたちはかなり大人しく従う――がリカに語りかける。彼の堅太い前腕は怒りに震えていたが、取り乱すことはなかった。

「俺こそ奴らの本拠地に乗り込んで、ばったばったとなぎ倒してやりたい。かつての虹クワたちのように助け出してやりたい。だがここは堪えどころだ、状況がわからないところに無茶は犯せないのだ、わかってくれ」

 

 

 たしなめられたリカがぐっと呻いた。座りかけた彼女は、しかし目録に収められた黄金色のカブトムシとクワガタムシの図表を掴み、再び背筋を伸ばした。

 

 

「だけどここで売られるカブトムシは、クワガタムシたちは生き延びられないよ。カタログだと売り買いされる量が多数って……多数? 五十? 百? それだけの数が死んじゃうんだよ? この子達はそうでなくとも絶滅危惧種なの、これを放っておくだけでも大問題だよ」

 

 

「だからってアンタが捕まったら問題は大きくなるばかり。だから、今回はアタシと待っていよう。時機が来るのを耐えて、それからやっつけに行こう。カブトムシは、今回は……仕方がないよ。莉嘉、聞いてる?」

 リカはつんとそっぽを向いていたが、ミカの声の調子が変わると、そちらを向いた。

「お姉ちゃんは、アンタに万一があって欲しくないの。アンタはアンタの道を通って、アタシを超えたすっごいアイドルになりたいんでしょ?」

 

 

「……」

 

 

「確かにムシを守ることは大事。絶滅危惧種の子たちを保護して故郷に帰すことは、すごく大事。でもさ、ぶっちゃけた話、アタシにとっては莉嘉のほうが大事なんだ。莉嘉が傷つく世界なんて、莉嘉がいない世界なんて考えられない。莉嘉がいないステージなんて、きっとぜんぜん楽しくない。アタシたちとPで結成したユニットの夢も消えちゃう。だから莉嘉には、今回はアタシと一緒にここで耐えることを学んでほしい。つらかったステージも我慢したみたいに、しんどいトレーニングをやり抜いたみたいに。どう?」

 

 

 リカの頬が赤らんでいた。目元も少し潤んでいた。ガルマはぼんやりと見ていたが、ミカの目も潤んでいたことは気づいていた。まさに姉妹だ。感情を共有しあっている。ガルマに兄弟はいないし親の顔も覚えていない。なのでなんの感情も湧かなかった。

 

 

 目の前で起こっていることはおそらくすばらしいのだろうが、それはがらんどうのガルマの心を簡単に通り過ぎていった。虚無。周りの団員たちは少なからず共感するところがあるのだろうが、ガルマにとっては子供向けの紙芝居を見させられている気持ちにさせられる。確かに日常の最中にドラマが挟み込まれるのは大事だが、会議が進まない。

 

 

 ガルマが発言した。

 

 

「少し休憩しないか。もし出品するなら品物も用意してあるんだろう。それを見せてくれ」

 

 

*****

 

 

 別室に入ったガルマは、横のスーテラ、エッセルと並んで商品として用意された箱を開けた。開ける前から光が吹き出すのが見えたが、中を見るに十狼雷が収められていた。かつてエッセルに力を貸すと誘惑し、逆にエッセルを操り破壊の限りを尽くそうとした狂銃は、いまはパーツ別にバラバラにされた状態で箱に収められている。別のケースには弾薬が入っており、弾は黄金色に輝いていた。然るべきところに収められれば、引き金を引かなくても自分から発射されるだろう。エッセルは不安そうな顔をした。

 

 

「十狼雷が手を出してくるかもしれないね」

 エッセルがいう。かつて自分が十狼雷に操られ、団長たちと対峙した過去を思い出しているのだろう。

「私は団長たちのおかげで解放された。だけどもし他の人に……」

 

 

「大丈夫です、わたしがついていきますから」

 エヘンとスーテラは胸を張った。

「わたしの魔導弓の腕も上達しました。いくらガルマさんが過ちを犯しても、無傷でその手から十狼雷を弾き飛ばしてやりますよ」

 

 

「ああスーテラ、お前は来なくていいぞ」

 

 

「なっ!?」

 スーテラはうろたえたようにガルマを見た。拒否されるとは思っていなかったようで手が震えている。

「多少頼りなく見えるかもしれませんが、わたしは何度も修羅場をくぐりぬけてきました! ちょっとやそっとの障害でくじけませんよ!」

 

 

「今回は単独のほうが良い依頼でな。というかだ、これは勘だが、俺は大丈夫だ」

 ガルマは十狼雷の引き金部分を取り上げて、虚空へとトリガーを引く真似をした。何も聞こえてこない。やはり問題なしだ。

 

 

 十狼雷はエッセルを操って団長と対峙したが、逆に団長から破壊寸前まで追い詰められ、封印措置を仕掛けられたことで射撃以外の動作はできない。

 

 

「問題はない。もし敵地でこいつが手を出してきたら、島の外に捨てるとするさ」

 

 

「でもガルマ、相手は本物の悪党なんだ。そんなところに援護も補助もなくて一人で行くのは、危険過ぎないかい」

 エッセルが問う。その顔には憂慮がにじんでいる。ガルマは十狼雷を箱に戻すと二人に目だけで笑いかけた。

 

 

「俺も悪党だよ。いや元悪党か。元来が姑息で卑怯だったからな、卑怯者のやり口は承知している。それに一人のほうが人質を取られないし、逃げるのも簡単だ。そろそろ戻らないか。あと、ジョウガサキのご機嫌、よく取っておいてくれ」

 

 

****

 

 

 会議に戻るとリカとミカの姿はなかった。休憩時間のうちに連れ出したのだろう。クレバーな判断だ。概要の説明が終わった後、ガルマが知る限りの情報共有が行われた。知っている顔、特徴、それから島の特徴。訪れたことのない島だったのでブリーフィングを受け、具体的な事項を詰めて三時間後に会議は終わった。

 

 

 ここからは元悪党の仕事だ。

 

 

 ガルマは手早く書類で知人宛の手紙を書き、グランサイファーを手頃な島に降ろすと盗賊時代に使っていた郵便局の私書箱へと投函した。三つほど手紙の交換が行われ、手続きに入る。出品者名、商品名、それから所属。これも手早く書き終えてしまうと今度は船をとある古びた島に下ろし、ガルマは単独で島のスラム街の更に荒廃した区画に赴いて酒場に入ると、コロッサスウォッカと菊粋を同時に頼んだ。一分もしないうちに酒が出され、ほぼ同時に汚れたコートを着込んだドラフが真横に座り込んだ。ガルマは酒を飲みながら書類と持参金をカウンターに置き、ドラフはビール一杯を飲み干すと現物を持って出ていった。ガルマは度数が強い酒を飲んでいたがどんどん頭が冷えていき、自身が帯びた銃やナイフの存在がありありと意識された。かつての日常、落ち着いた手順を慎重に、それでいて大胆に繰り返すシンプルな楽しさが蘇ってきていた。王族の誘拐、宝物庫襲撃、宝石の強奪。あの頃はなんでもやった。もしあの時代に団長と出会っていたら、その場で滅されていただろうと思う。かつて吸っていた時代の空気が目の前に溢れ出し、ガルマは存分に吸った。来る時は冷やかしで何人かの若者がガンをつけていたが、店を出る時は誰もガルマと目を合わせようとしなかった。

 

 

 トントン拍子に事が進んだ。受理。確認。人相のチェック。最終的に島の名前と暗号と開始時刻が告げられたが、書類の最後にはどう見ても後付の手書きで《このマスク野郎!》と書かれており、それを見てガルマは思わず笑ってしまった。盗賊時代、顔の下半分を布で覆って犯行に及んでいたガルマは、同僚にからかわれた。あの時の人間が事務局にでも勤務しているのだろう。

 

 

 申請の途中、グランサイファーの騎空艇でリカを見かけた。今度リルルやディアンサたちと一緒に公演をするためにダンスレッスンに励んでいたが、傍目にはウヅキやミオより目立って動きが悪かった。動きの悪さはコーチ役のミズキにも明白なようで、何度も指導を受けていた。ガルマは五分ほど練習風景を見たが、単に少女が手足をばたつかせているようにしか見えないので興味が失せた。アクビしながら立ち上がると、リカの視線がこちらを向いた気がした。鷹揚に手を振りガルマは部屋に戻った。

 

 

 時間は砂丘のように進む。こうしている間に少女たちは少女でなくなるしガルマも年老いていく。年老いていく指で撃鉄を合わせてスーツに袖を通して島へと乗り込む準備をする。いやはや、何もかも過ぎ去るものだ。最後にスーツケースに詰めた十狼雷、書類、島での手順を確認したガルマは、似合わない黒スーツとネクタイに身を固めて服の中には武器をしこたま詰め込み、整備してあった小型騎空艇に乗り込む。会議後からラカムからこつこつと時間をかけて教わっていたので運転は問題ない。乗り込んだガルマが深呼吸すると手に汗が染み込んでいることに気づき、苦笑してからエンジンをかける。柄にもなく緊張がひどい。甲板ではルリアや団長、ビィたちが手を振ってくれる。

 

 

 しばらくは悪党の仕事。そして悪党はこの俺だ。嗅ぎ慣れた空気、吸い慣れた空気。頭が冷えていく。

 

 

*****

 

 

 目標の島の領空に入った辺りで伝声管から声が伝わってくる。ノイズまみれの酷い声だが、聞き取るには十分。

 

 

《今夜はこの部屋はプライベート公演が開始される予定です。許可のない騎空艇は立ち入りができません。もし無許可騎空艇が一定時間以上空域にとどまる場合――》

 

 

「予約はS席だ。天井の明かりは緑色、それから琥珀色でな。値段は八百五十九万ルピ」

 

 

《……少々お待ちを》

 野太い男の声が一瞬途切れた。書類と相談しているのだろう、間があって再び響いた。管制塔からの調子は悪くない。これならスムーズに行くだろう。

《参加人員は一名でお間違いないですね? 名前は、》

 

 

「二名だよっ!」と背中から大声が響いてガルマは本気で心臓が止まりそうになる。とっさに伝声管を塞いだガルマは後ろを振り返って、後部座席下の空きスペースから城ヶ崎莉嘉が顔を出しているのを見て二重の意味で心臓が止まりそうになる。不測の事態に頭がフリーズし、一瞬後にメタ的にフリーズを感じ、力を抜く。ガルマは口を開いた。

 

 

「お前どうやって入った」

 

 

「ジオラちゃんに手伝ってもらった! カンナちゃんにお姉ちゃんの注意をそらしてもらって、リナリアちゃんがディアンサさんとハリエさんを引き止めてる! みんなまだ気付いてないよ」

 

 

《おい、一体どうなってる》

 伝声管から音が漏れた。声色が警戒のそれだ。

《トラブルか?》

 

 

「いや問題ない」

 ガルマは声色を戻した。

「参加人員は二名だ。改めて伝える。二名だ。品物も積んである」

 

 

「そーだよっ! アタシも入ってもう満員!」

 

 

《書類と違うぞ》

 管制官の声に敵意がある。

 

 

「疑うなら着いてから調べろ。こっちは逃げも隠れもしない」

 正確には逃げられない、だ。既に魔術レーダーで機体の番号から形まで記録されている。ここで取って返したら追手がかかるだろう。いやはや素晴らしい。もし撃ち落とされたら空の底まで真っ逆さまだ。

 

 

 ガッと音がして伝声管の音は消えた。ガルマは操縦桿を握ったまま後ろを向いた。

「お前、姉の教えに背いたな。どういう積りだ。姉の好意を台無しにしたな」

 

 

「わかってる。会場に乗り込む。カブトムシを助ける。悪人をやっつけてケーサツに突き出す。そうでしょ?」

 リカの目は真剣に輝いていた。良くない兆候だ、とガルマは思った。人間同士の駆け引きを冒険か何かと勘違いしている。こういうのが期待外れの現実を見せつけられると、大抵はろくでもない結果になる。そういう奴が早朝のゴミ捨て場や路地裏で見つかるのだ。

 

 

「いいか。最初にいっておくが俺たちは既に疑われている。こういうのは最初が全てだ。俺一人で入り、チェックし、出品して大物に顔を覚えてもらう。そうしてようやく主催者の目通りが良くなる。次は来るのかねといわれるようになり、別な業者を紹介されるようになる。ところが初めのポイントでお前がしゃしゃり出てきた。予定外のことが起きた。奴らはそれが大嫌いだ。予定外は手入れや事故を招く。全滅するかもしれない」

 

 

「そうなんだ。これからうまくやらなきゃね」

 

 

「下手したらここで死ぬかもな」

 ガルマはいった。やや誇張が過ぎるが、それくらいいってもバチは当たらない。リカの首に汗が一筋流れる。

「もし向こうで捕まれば、俺は皮を剥がされるだろう。お前は高値で売られる。後は地獄の釜の底だ」

 

 

「アタシはそうなってもいい。ガルマくんがそうなったら嫌だけど、アタシ一人なら、我慢できるよ」

 

 

「売られたことがない奴はみんなそういう」

 ガルマはかつての仲間、同僚、部下、それから裏切った相手、自分が手にかけた者を考えた。実際にガルマによって遠い国へと売られた子どもの顔が過ぎり、憲兵の保護を求めると連れ出し、そのまま盗賊のアジトへと連れて行った貴族の娘の顔も思い出した。あの吸い慣れた空気の頃、行き先が虚無だと理解できなかった頃。

 

 

 リカがガルマの肩に手を置いた。おそらく無意識だろう。リカの手は汗ばんでいて、力がこもっていて、小さかった。諸々の顔が消え失せて、いまここにリカの顔だけがある。この顔を売り飛ばす訳にはいかない。彼女の姉のために。

 

 

「どうなるか、本当のところわからないけれど、レインボウクワノコを助けたい。黄金色のムシを助けたいよ。小さいからってレア物扱いされて飼育箱に押し込められたら、絶対に死んじゃう。それにあの目録にはダース単位でムシの数が書いてあった。絶滅危惧種なのに。いまここで本当に滅んじゃう。だから、アタシができることなら、なんでもしたい」

 

 

「……死んでも責任は負わんぞ」

 ガルマはいうと、目の前のハンドルを握り直した。既に過去は去り、遥か彼方に見える降着場が、魔術高射砲を鎮座したまま騎空艇を待ち受けていた。降着場周辺は撹乱のためか煙めいた霧で覆われており、奥にあるらしき建物は見えなかった。

 

 

*****

 

 

 発着場に騎空艇を固定すると、遠くから銃兵と検査官らしき男が群れてやってくるのが見えた。

 

 

 ガルマはため息をついてから即興でプランを練った。道は四つある。一つはすんなり通してもらえる。不可。二つ目は隅々まで検査されてから通される。薄い。三つ目は検査の末に殺される。四つ目はあの銃兵らがこちらをいきなり撃ち殺すこと。四は無いだろうが、三が大きい。伝声管の時点で落とされなかったのは、正規の書類を出していたからだろう。直に検分してどうこうしようというのなら、交渉のチャンスが生まれる。ここが勝負のしどころだ。

 

 

「アタシたち、大丈夫かな」

 早足で男たちがやってくるのを観て不安になったか、リカが声に出した。

「ちょっと不安になってきた」

 

 

「それはこれからの態度で――」

 いったガルマの口が途中で止まった。リカが怪訝そうにしていると、ガルマは頭を掻いた。膨れ上がった緊張感がしぼむ。

 

 

 検査官は知ってる顔だ。

 

 

 向こうは承知の上だったらしい。キャノビーを開けて騎空艇から出たガルマの肩をいきなりどつくと、ドラフの検査官は声を出して笑った。周囲の兵士は無表情で事態を見守っている。

 

 

「バドラ……お前だったのか」

 ガルマがいうとドラフはまた笑い、ガルマに顔を近づけ、拳同士を合わせてきた。

 

 

「久しぶりだな、そしてバカをしたもんだ。てっきり足を洗ったと思ったが、こんな形でヘマしながら戻ってくるとはな。どういう風の吹き回しだ?」

 バドラがリカを見やると、リカは緊張丸出しという顔でニコリとした。その顔にはまだアイドルらしさが浮かんでいなかったが、さすが場馴れしたものがあるせいか、だんだん緊張に慣れてきて、バドラを見る目つきが新鮮になってきた。

 

 

「書類には一人。でもアタシを入れて二人目! ちょっと飛び入り参加だけど、そこは勘弁してくんない? 世間勉強ってことで!」

 元気よくいうリカとガルマを見比べていたバドラは、やがて納得がいった顔になった。ガルマの肩を掴んで兵士らを見張りに残し、島の外周を歩いていく。ここから男一人落とすのは容易だ。

 

 

 覚えている限りのバドラの知識を総動員する。汚職でバルツ公国を追われた検査官。趣味は宝石集めで公金で宝石を買い込んだので職を追われた。バドラと組んだガルマは多くの盗みを働き、やがて貴重な宝石と禁止薬物を盗む大掛かりな仕事をした後、バドラは宝石と薬物全てを持って姿をくらました。解せないのは何事もなかったかのようにガルマに接してくるその態度だ。だがこちらの立場は弱い。合わせなくてはならない。宝石の線から突っ込むかと思った矢先、バドラが口を開いた。

 

 

「人が悪いな、お前。あいつも売るんだろ?」

 バドラは首をしゃくって騎空艇のリカを見た。リカが手を振るとバドラは目を戻す。

「あいつ、おおかたスリリングを求める世間知らずの貴族令嬢だろう。大金を積まれて護衛を引き受けたが、実はあいつも商品の一部。お前は売っぱらってトンズラって寸法だな。それにしちゃ手際が悪いな、お前がどうして書類不備だ? こういうもののハリネズミ具合は知らないわけじゃなし」

 

 

「ああいう手合いのワガママぐらい知ってるだろう」

 話を合わせた。常に相手の思考の上を行きながら口を開かなければならない。

 

 

「さっき、出発十五分前に言い出した。実は計画もそこで思いついた。どうしても書類を改ざんする余裕がなかった。それに姉のほうも駄々をこねてな。姉妹セットなら結構な金額になるから連れてこようと思ったが、あいにくあの騎空艇には一人しか入る余裕がなかった」

 

 

「バカの血筋はバカというやつだな。しかしお前、そんな指輪してたか? なんだ、オンナでも作ったのか」

 

 

「最近厄介になっている船じゃ若造が多くてな、流行に遅れないためにはアクセが欠かせないんだ。だいたい指輪ならどこぞの貴族令嬢でもつけている」

 

 

「まったくだ! ああいうのは親からもらった自分の身体をクソみたいに整形する。そのくせホコリ一つを嫌ってすぐに吐きそうな顔しやがる。どうせあいつもそんなこと言い出すんだろう?」

 

 

「その通り。メイドの掃除が雑だから荷物入れは汚い。我慢できるスペースは一人分しかない。ということで、ジャンケンでどっちが来るか決めてもらった。負けた姉は悔しそうにしてたよ」

 

 

「ジャンケン! それはいい!」

 バドラは声を出して笑った。本気で喜んでいるのは明らかだ。

「ああしたクソ貴族どもは、そういうチャラチャラした遊びで人生をドブに捨てるんだ。いい気味だよ、いままで贅沢放題で遊んできたツケだ。苦しんで死にやがれ」

 

 

「お前、貴族に襲われたのか」

 ガルマは口に出してから、自分は猥談が下手になっていることに気づいた。女性が多いグランサイファーならではの弊害だ。ますますバドラが笑い転げた。良い兆候だ。

 

 

「それ以上だ! 俺はな、以前に貴族に捕まって――キャトルミューティレーションされたんだ! 知ってるだろう? 内蔵をいじくり、身体に板だかなんだか埋め込むアレだよ。きっとあれは位置情報を貴族結社に通知することで人民を監視しようとする陰謀だと見るね。いいか、かつて牧場の牛や豚が血を抜き取られて死ぬ事態が発生した。それにミステリーサークルと呼ばれる奇妙なイタズラが畑で発生した。上空から見下ろすと異様な模様に見えるやり方で麦畑が倒されてるアレだ。多くの人間は魔物の仕業だと考えた。あるいは特殊な星晶獣だと。だが違う! 俺は以前、バルツを追われてからある貴族に助けを求めた。くすねた宝石を高額で買ってくれた奴だ。あの頃は無知だった。貴族の異常さをわかってなかったんだ。監獄から保釈してくれた上に、貴族は客人としてもてなしてくれたよ。だがある日、夕食を終えた俺は……領主の部屋に呼び出され……」

 バドラはガルマに腕を回したまま、本気で恐ろしがっているように身震いした。バドラは本気で口にしている。初耳だが丸呑みするように話を聞く。

 

 

「そして奴は俺の腹をキャトルミューティレーションした! 薬物で俺の意識を壊すと、極めて巧みな魔術で俺の胃の中身を調べ、夕食が残っている腹をいいように細工したんだ! 俺は消化中の胃の中身を抜き取られた挙句、金属製の小型モノリスを埋め込まれた! 俺は辛うじて逃げ出したが、きっとそれも奴の計算づくに違いない! この忌々しい代物はいまでも残っているし、まだブルブル震えてやがる! 信じられるか? 四回腹を開けたのに医者どもは何も見つからないとほざく! おかげで俺は粥しか食べられないし治療液を入れないといけない! 全ては貴族結社の悪行だ、あいつらを滅ぼさないことには俺は自由になれない。確かこの空には『組織』という集団がいるらしい。そいつらと貴族結社は結託していると見るね」

 

 

「そうか。鎌使いの男と槍使いの女に気をつけろよ。で、その貴族どうなった」

 

 

「逃げやがった。後日、俺が仲間と一緒に家を燃やしてやったんだが、あいつは間一髪で逃げおおせたわけよ。お前と同じようにな、ガルマ」

 バドラはこれみよがしにウインクした。ガルマは自分の書類を出した際、官憲に捕まったものの自力で脱走したと書いておいた。それが通用しているのだろう。

 

 

「まったくその通りだ。あの子の処置はどうする」

 そろそろ本題に話を戻したかったので、ガルマは反対向きにバドラを向かせた。騎空艇を虚空に見据えながらバドラはやや考え込んだ。

 

 

「なかなかの上玉だが、競売スケジュールは決まっている。上にねじ込むだけはねじ込んでみるが……やれるとしたらフィナーレ直前かその後ぐらいだな。だがタイミング的にちょうどいい。バカな令嬢が客席で見物してたら、唐突に舞台にあげられる。そして自分にお値段がつけられるって寸法よ。最高。ところであいつ、何か習ってるのか? 乗馬とかなんとか。裸一貫で掛け合うのは厳しい」

 

 

 ガルマはアイドルについて考えたが、どういえばいいのかわからなかった。

「まあ、歌と踊りを少々。公演もこなすとか」

 

 

「なんじゃそりゃ。演劇かオペラか? まあそれで伝えておこう。終わり頃に人員を差し向ける。あ、お前出すのなんだったっけ?」

 バドラは手持ちの書類をめくった。

「天星器……十狼雷か。悪くはないんだが、天星器自体を出す奴が三人いてな。あの令嬢も連れてきてくれて助かったよ。ちょっとはハクがつく」

 

 

「上に顔覚えを目出度くしたいんでな、奮発した甲斐があったよ。もう行っていいか?」

 

 

「おい、まだお前が逃げた顛末を聞いてないぞ!」

 バドラはやかましくいったがガルマの肩を放した。そして周りの兵士に声をかけると屋敷のある方角へと大股で進んでいき、ガルマは騎空艇へと戻った。すっかり修羅場の緊張に慣れたリカは見張りに愛想を振りまいていたが、見張りは無表情だった。

 

 

「おかえりなさい。どう? アタシたち、生きてお屋敷に入れそう?」

 

 

「まあな。とりあえず出ろ。歩きながら話そう」

 

 

*****

 

 

 魔力の霧に包まれた中をガルマとリカは寄り添うように歩いた。リカは周りの兵士に笑顔で、ガルマは過去を思い出す殺気立った空気を吸いながら、ゆっくりと歩いていった。緊張と脱力が一体となって身体は奇妙にほぐれていた。カンデラのおかげで足元は見えたが、目の前は開けているようにも見えたし闇そのもののようでもあった。霧は形を変えて固形化しては薄くなり、遠く離れた山々の頂きのように朧げに屋敷が見えることもあれば、すぐに身を翻して隠れてしまう。屋敷が生き物のようにこちらから逃げているようでもあった。

 

 

 歩きながら短く、小声で事情を説明した。既にボディチェックされ、脇と足と腰に下げていた短銃は取られてしまった。許された荷物は天星器。高度な商品はとても兵士には扱えないので、屋敷で検査員の手を経てから搬入される。

 

 

「そっか。じゃあ、中に入れそうだね。良かったぁ撃たれなくて」

 リカは安心したように伸びをした。ガルマは頭のすぐ上を霧がかすめ、わずかに霧がうごめく。術者は霧を媒介にしてこっちの動きも把握している。ケースに異物を入れれば兵士が気づかなくても霧で丸見えだ。遠くのほうには霧のわだかまりが見え、兵士がたまにそれに触れていた。通信も兼ねている。あれが自律型の攻撃兵器でなければいいが。例えばあれが地雷も兼ねているとすれば、侵入者が触れただけでアウトだ。

 

 

「喜んでる場合じゃない。お前は商品になるんだぞ」

 ガルマは咎めた。相変わらずリカは無鉄砲だ。

「もし落札でもされたら、俺の手の届かないところに売られていく。姉が嘆くだろう」

 

 

「だいじょーぶ! アタシ、こう見えてもバイタリティあるから☆」

 意味をわかってるのかわかってないのか、リカがニカッと笑った。なぜかリカと話しているとたまに星がよぎる。

「もし売られちゃったら、そこの貴族さんをノーサツしちゃうよ! このイケてるダンスとビジュアルでね!」

 

 

「そうかい。キャトルミューティレーションされないように気をつけろよ」

 

 

「? なにそれ」

 

 

「子どもは知らなくていいことだ。そら、屋敷が見えてきたぞ」

 ゆっくりと霧が晴れていくと豪壮な屋敷が見えてきた。なかなかの大きい。横だとグランサイファー並に長いが、縦もかなりのものだ。上には窓にバルコニーに窓にバルコニーに作り付けの壁に凹みに蔦に……と見上げるとキリがない。横は大玄関となっている入り口付近を除けば、多くが霧で覆われて全貌がわからない。階段と部屋と廊下をでたらめにくっつけた建物を、さながら暗黒色の外壁と窓とレンガで覆っただけの不気味な生き物のように見える。これくらいの霧を出せるのだ、中をいじっていてもおかしくない。

 

 

 さてまいったな、とガルマは思案する。

 

 

 リカが商品になった時点で穏便に帰る結末は捨てた。顔見せで済ます予定だったがこうなった以上、ここで闇競売すべてをひっくり返さなければならないが、このままなるがままに玄関へと通されれば敵に飲み込まれるのと同じだ。最初から博打をしなければならない。ガルマがリカを見下ろすと、リカはニコリと笑った。

「なあアイドルさん、ひとつ頼みがある。かなり危険だが」

 

 

「え? いいよ! アタシはスリリングなことダイスキだからね。でもそういうのはPくんが止めるんだー。思うんだけど、バロワくんってなんかPくんに似てない? 気のせいかな?」

 

 

「探偵と盗賊は相性が悪いからよくわからないな。とりあえず、あそこまでひとっ走りしてきてくれ。後ろで俺がでたらめなことをいうが、無視しろ。それとあそこが煙みたいに黒いだろう。あれには絶対触るな。たぶん爆発する」

 

 

「ん? よくわかんないけど、りょーかい。よーいドン!」

 リカはおもむろに道の脇に出るとヒールを脱ぎ、しゅっと息を吐いて走り出した。後ろと前にいた保安係の兵士が面食らい、ガルマとリカのどっちを追うか混乱する。ガルマは大きく息を吸い込み、周りにいる保安係――それと後続にいるかもしれない客に――に伝わるように大声で叫ぶ。

 

 

「待てリカ! いくら漏れそうだからってそっちに行くな! 森は危ない! トイレは中にある!」

 そしてガルマも走り出す。兵士もリカの後ろを走り出す。彼女は本気で速い。黒いドレスが浮き上がっても気にしないで走る様は野生児だ。

 

 

 リカは城の外壁をなぞるように駆け、余裕があるらしく周りの鉄格子にたまに触りながら突っ走る。途中でリカは霧のわだかまりとすれちがったが、霧は爆発することもなくうごめいていた。リカは飛ぶように走り暗黒に消えそうになる。ガルマも外壁に触れて、知識にある魔術建築の風景とマッチングさせる。問題なし。ここまでは実在の建物だ。とすると、改造したのは上か。

 

 

 ガルマは霧によるくさびの地点を通り過ぎざま、手で接触する。内部に手を入れると魔力の感覚が伝わり――視覚混乱・伝達・監視・素材膨張――爆発しない。賭けに勝った。これに地雷機能はない。ということは、城を歩いていて顔の前が爆発する事態は起きえない。

 

 

 目を閉じると頭の中で、術士らしき女が保安係のリーダーらしき男と言い争っている様子が浮かぶ。おそらくリカが商品というのが伝わっているからだ。城の内部に魔術の手を伸ばし、壁に触れる。迷路のような内部が整理されていき、本来の視界が取り戻される。

 

 

 その時、外周の向こうで兵士たちの怒鳴り声が聞こえた。リカがお仕着せの悲鳴をあげ、しゃがみこむ様が見える。巡回中の保安係だ。他の兵士たちも続々と走っていき、これが潮時と判断したガルマは本気で駆けた。これ以上はリカが害される。ドラフと少女がいるなら、たいてい殴られるのはドラフだけで済む。身体が大きい奴の特権だ。

 

 

*****

 

 

「ガルマくんサイテー」

 リカはぶすっとしていた。

「あんな言い草ないし。ホントひどい。女の子にあんなこと普通いう? お城入ってすぐおトイレに押し込まれたよ? 女の人がついてくるから大変だったし」

 

 

「すまんな、デリカシーがないとよくいわれるんだ。実はいままで彼女もいなかったんだ」

 

 

「えっそれホント?」

 

 

 軽口でごまかしながらガルマは天井を見上げる。名のある芸術家に描かせたのか、見事な出来栄えで天司のイメージ図が描いてある。だがそこにも霧が立ち込めていて、暗黒色は景観の邪魔だ。

 

 

 捕まったガルマたちは剣と槍を突きつけられて詰め所に連れて行かれた。だがガルマが天星器のケースを開けてバドラの名前を出すと殺気立った雰囲気がゴチャついたものになった。警戒と不信は増えたが殺意は薄まった。それから子どもがトイレに行きたいんだとゴリ押ししているうちに、スーツを着たシニアスタッフらしき男が走ってきた。隊長を外に連れ出して話をすると、帰ってきた隊長は怒り狂って怒鳴り散らした。一発ぐらい殴られるかと思ったが手は出されなかった。客が汚れていたら悪影響が出ると思ったのだろう。

 

 

 大玄関ホールに連れてこられた二人は手錠をはめられて身体検査をされたが、特に罰則はなかった。強いて言えばリカの持っている端末を詰問されたが、それも競売で使うとゴネると通してくれた。ガルマは兵士にタバコがないかと尋ねてにらまれ、トイレから戻ってきたリカにもにらまれた。一度、バドラ本人が目の前を通り過ぎたが、目玉をぐるりと回すと連れと話しながら奥の部屋へと消えた。

 

 

 何人か通り過ぎるのを見ているうちに、知っているエルーンやヒューマンの顔を見つけた。とはいえ向こうはこちらには目もくれず、ガルマも声をかけない。あいつは殺人、あいつは強盗、あいつはクーデター未遂で刑場の露と消えるところを脱獄した男。

 

 

 既に天星器は二人一組の検査官によって回収済みなので、二人は特に何をする必要もなかった。すると自動的にリカが姉や他のアイドルのことを語りはじめ、ガルマはおとなしく耳を傾けた。

 

 

「それでね、お姉ちゃんったらすごいんだ、アタシが知らないところでもすっごく練習してるし、コスメも新しいの全部揃えてるし、お肌に塗った感触もメモして――」

 

 

「ふうむ」

 

 

「この前のライブ打ち上げは動物園に行ったけど、ライオンがかっこいいし、みんなチョーかわいくて、Pくんとまわると面白かったし――」

 

 

「ほお」

 

 

「サンタになった時はね、イヴちゃんのブリッチャンを貸してもらってぱこぱこ歩いてさ、……ねえガルマくん、ちゃんと聞いてる?」

 

 

「聞いてるよ」

 

 

「誠意がこもってない。まるでお地蔵さん」

 

 

「それはすまんな。実際のところ、聞いても実感が湧かないんだ」

 リカが首をかしげたのでガルマは続けた。いつもの虚無がやってくる。そこに後悔はあまりないが、良かったとはとてもいえないところ。

「つまり、俺は物心ついた頃から盗賊でな、家族なんて縁がなかった。物乞いしたり盗みをしたり、他人を傷つけて生きてきた。正直な、他人を信用しない人生だったんだ。ずっと食い物や金品を奪ったりして、酒を飲んで犯罪の準備をしてな」

 

 

 リカがぽかんとした顔になった。子どもには縁遠い話題すぎたかとガルマは後悔したが、リカが何かいう気配はなかった。まあ、変に同情されるよりありがたい。

「だからなんだっていうとだな、つまり俺には家族とか友人関係でわかることはないんだ。まるで空の底について口にしてるみたいでな、現実感がゼロだ。何をいわれても素通りする。土台を作る素地もないんだと思う。ただまあ、お前はすごいんじゃないか」

 

 

「何がすごいの」

 

 

「血が繋がった人がいるとか、命よりも大事とか、そういうのをきちんとを考えられることだ。俺にそんな回路はないからな、できてる奴はまるで星晶獣だよ。というか、俺のほうに問題があるんだろうな。グランサイファーに乗ってから、相手が人間だとようやく考えられるようになった。人間というのはな、脳を載せた魔物じゃなかったんだ。それにまず驚いた。あと親切にされて驚いた。面白い奴もいて驚いた。楽しいことをして、それをし続けようとする人間もいれば、自分の決めたものに実直に進んでいく人間もいる。他人のために命を張れる奴もいる。冗談のオンパレードだと思ったよ。人間は酒を飲んで殴り合ったり、子どもの財布を奪うだけの野蛮人じゃなかったんだ。人をだまして喜ぶ生物だけじゃなかったんだ。だがこの年だからだろうな、驚くだけで他にはあまり感じない。それに感じなくてもいいんだ。ああそうかい、もうお前らだけで勝手にしてくれよな、的なもんだ。

 

 

 だからリカ、お前がいろんなことで真剣に喜んだり話したりできることがな、俺から見ればすごいんだ。いつもいつもお祭りのクライマックスで、打ち上げ花火を見ている気分になる。変なことをいいすぎたかな」

 

 

 リカはもごもごと口を動かしていたが、やがていった。

「ガルマくんはまだ若いよ。Pくんみたい」

 

 

 ガルマは一瞬、本気で笑った。

「いいや、おっさんだとも。ガキが気を遣うのがその証拠だ」

 

 

「アタシはアイドルだよ! ガキっていわないで」

 

 

「おっと口が悪かったな。なにせ人気者とおしゃべりするのは初めてなんだ。次からよろしくご教授頼む」

 

 

「もう! ガルマくんと話してたらアタシまでちひろさんになっちゃう」

 

 

*****

 

 

 やがてスタッフが来ると二人を会場へと連れて行った。玄関ホール正面にある大階段を登ったら扉を開けて脇の通路に入り、広い通路を二回折れてから更に上への階段を上がり、また出たホールをくぐると下り階段を降りて更に数十メートル。屋敷の広さもあるが、間違いなく魔術で改造されている。ガルマは時折装飾品や壁に触れて、この壁は本物かフェイクかをいちいち判断した。フェイクの場合、緊急事態には罠になる。

 

 

 リカがうんざりしはじめた頃合いで会場に到着した。会場は広い。天井はガルマを縦に重ねて何人分かわからないほどだ。だが特徴的なのは各座席が方角別に強化ガラスで仕切られており、ガラスや客席の真上には霧のわだかまりがあった。ガルマたちが通された南側――ここを平民席にするか――は驚くほど人種が多様で人数も多い。初見の客かと思うが、常連でもパッとしない客はここに入るのかもしれない。あるハーヴィンは頭が薄汚い割に服装だけがやたら豪華だし、最前列に座っているヒューマンは何を勘違いしたのか、隣にエルーンの女をはべらせながら後ろをチラチラ見ている。異様に余裕のある態度で、まるで勝手知ったる我が家という風情だ。保安係に見咎められるという緊張がまるで無い。

 

 

 部屋の中央には台座が置かれて光で上から照らされている。台座は水晶玉でも置けば見栄えしそうだが、いまは空だ。商品の周りには格闘技の試合のように人が詰められる。反対側も似たような顔ぶれだったが、東席と西席が面白かった。

 

 

 東席と西席には秘書やカバン持ちを除けば一人しかイスに座っていなかった。さながら東と西の二人がこれから空間を挟んで議論をし、北と南が見物人のようだ。

 

 

 西に座る男を見てガルマは思い出した。やたらと豪華なイスに座る大柄なヒューマンは伯爵と呼ばれている。キノコ傘めいた特徴的な帽子を身につけた大男だ。資産規模はおおよそ何十億ルピ。城を四つか五つ所有しており、帝国にもコネがある。彼の一番の特徴は人間の売り買いが得意で、特に子どもを専門にしている。こういう手合いは同業者からも嫌われるものだが、伯爵はいままで生き延びているのが実力の象徴だろう。とある時期から子ども中心に売買を始めたというが、はてさて真偽はどうだろうか。

 

 

 東席でアルコールをラッパ飲みしているのはトーリスという名のエルーン。経歴は不明だが、ある日奴は武器商人になった。それまで魔術のせいで陽の目の当たらなかった銃器と弓類の改造に勤しみ、魔術を利用した狙撃用ライフル、十天衆ソーンのような超長距離が用いる特殊弓を売り始めた。実際に何人かを実演で処刑すると名声は否が応でも高まり、比例してつり上がった憎悪に対抗するために自前の武装組織を用意した。初志貫徹というやつか、トーリスの周囲にはべる男たちはどいつもこいつも銃器を担いでいる。自分とのセキュリティチェックのあまりの違いに笑ってしまいそうになるので、ガルマは背後に控えている保安係を見やった。彼も銃で武装している。運営にも一枚噛んでいる。

 

 

 前のほうにいた若い男はチラチラとリカを見やっている。連れがいるのに贅沢な奴だ。ガルマが適当に手を振ってやるとリカが割り込んできた。

 

 

「ね、ガルマくん。もしかしてあの人、アタシを見てた?」

 

 

「見てたとも。ああいう遊び人には近づかないほうがいいぞ。オモチャにされて捨てられるのがオチだ」

 

 

「やっぱりガルマくんってさあ、見かけは全然違うけどPくんそっくりだよねー」

 

 

「いつかそいつと酒でも飲んでみたいもんだ」

 

 

 司会と思しき黒ネクタイの男が廊下から姿を表し、適当な挨拶の言辞を述べる。手数料の五%は運営に還元されます。皆様の良き競売が叶いますようにうんたらかんたら。アクビをしていると照明が落ちる。二十秒ほど。何か中央のほうで動きがあった。音はない。

 

 

 やがて明かりが灯されると中央台座には炎をまとった獣が不安そうに周囲を見ている。

 

 

 最初の品は星晶獣だ。

 

 

*****

 

 

 事前にカタログ配布がなかったのでロクでもないものが来るだろうと思っていたがこれは予想外だった。リカが指差して何かいいかけたが、ガルマは首を振って制止した。

 

 

 獣は大型犬めいた姿だが耳が長く垂れ下がり、背中から断続的に炎が吹き上がっていた。属性は火で、炎の色は獣の不安に応じて青にも黄色にもなった。獣の不安に反応して炎が強く吹き上がると、平民席がおおっとうめいた。西と東は了解済みなのか無言だ。台座に鎖で首をつながれた獣は唸りながら怒りの炎を吹き出し、自分もろとも火の塊になってガラスにぶち当たった。轟音が三回も続くと客席がざわつきはじめるが、そこでアナウンスが入る。

 

 

《この獣はアウギュステ近辺の小島で発見されました。ご覧の通り属性は火であり、覇空戦争時代に星の民が回収し忘れたものと推定されます。餌は水だけ与えておけば良く、排泄をしないので手間はかかりません。ただ……丈夫な小屋が必要ですね?》

 最後で客席から笑いが起こった。そこでようやく一人の客が、手元にある数字入りのボタンを押した。天井部に五十と表示される。

 

 

「ガルマくん、あれなに」

 

 

「あれで金のやり取りをする。だいたいあそこから競売がスタートする。自分が提示した金額は全て支払われて、運営への上納金になる。要するにどれだけ金を出せるかのチキンレースだ。一位だけが賞品をもらえるが、二位以下は何ももらえない。だが金は全て取られる」

 

 

「せちがらいねえ」

 

 

 七十五、百、百二十。獣が鞭打たれたように唸ると、飛び上がって通路全体に炎を撒き散らした。だが床もガラスも傷一つつかず、逆に雲が出現すると、大量の水を不意打ち気味に獣に浴びせた。獣が唸って丸まり、ぶるぶると震える。遊び人がボタンを押すと質問した。

 

 

「こいつにつがいは必要なのか? 掌に収まるような子どもが欲しいんだ」

 遊び人は同意を求めるようにエルーンの女性に目を向け、女性は笑みを浮かべると頷いた。

「もしくは、こいつもっと小さくできないのか?」

 

 

《水をかけても弱るだけです。つがいについては現在島を調査中です……落札された方に後でお伝えします。ですが、病気の心配はありません。なにせ星晶獣ですので、丈夫さだけが取り柄です。トレーナーについては保証外ですが、あしからず》

 遊び人が二百と入力すると女がニコリとした。ガルマが二百二十と入力すると、強張った顔をしたリカがうめいた。

 

 

「なにしてるの」

 

 

「勘違いするな。これは見せ金だ。買うつもりはないが、びた一文出さないのは怪しまれる」

 今回自由に使える金は割りとある。といってもシェロカルテからの融資が大きい。いちいち経費や経理の顔色を伺いながら買い物をするのは、疲れる。

 

 

 二百五十。

 

 

 三百。

 

 

 東のトーリスが四百を出すと客席がざわついた。水をかけられておとなしくなっていた獣は、通路内に霧のわだかまりが出現すると、今度は飛び上がって毛を逆立てた。霧に向かって何度も威嚇すると、再び炎が立ち上がるが、勢いが弱い。尻尾が逆立つとガラスをバンバンと叩き、客が笑いアナウンスが締めた

 

 

 リーンと音高く鈴の音が鳴る。これが競売終了の合図で、ただちに商品は回収され、落札者が会場を出る時に梱包済みで渡される。モノによっては後日送られてくる場合もあるが、そこまで詳しいところをガルマは知らない。

 

 

 再び通路が暗黒になると、獣が悲鳴を上げて喚いた。大型犬の割には小型犬のような声で鳴き、唐突に止んだ。通路の暗黒が紺色になり、水色になり、いきなりライトアップされると星晶獣は消えて通路には汚れ一つなかった。一つ目は終わり、カウントはゼロになった。周囲を見回すがガルマたちを不審に思う輩はいなさそうだ。ガルマが息をついていると、背後の保安係が少し身体をズラして壁に触れた。こちらを見たので視線をリカのネイルに戻す。霧を壁に埋め込み、伝達と監視を同時に行う手法か。

 

 

「かわいそう。こんなやり方で売り買いするなんて、ひどすぎるよ」

 リカがいうと拳を握りしめた。指が真っ白になる。現実が予想を上回ったのだろう。これで音を上げるなら最初から来なければ良かったのだが、それをいうほどガルマは不躾ではない。ガルマはハンカチを渡した。

 

 

「なにこれ」

 

 

「キツくなったら握れ。本当は噛んだほうがいいんだろうが、あまり恥ずかしいことはできないからな」

 

 

 リカはハンカチを強く握りしめた。

 

 

*****

 

 

 二品目は名工による伝説級の刀。名称不明。かつてこの刀は一万人の血を吸い、周囲では霊的現象が頻発した。試し切りは藁、鋼鉄、魔物、最後に丸太役として連れてこられた人間。斬殺した瞬間に刀が震えて大音響で金属音がした。リカはうつむいて耳を塞いでいた。

 

 

 三品目は腕が四つある男。男は朗々と自分の生い立ちについて語りながら、それぞれに小刀を振り回して通路内に置かれた果物を切っていく。親に捨てられ浮浪児として育った惨めな生涯、生えた腕でできる百の事柄。男が軽々と逆立ちすると遊び人が口笛を吹き、二本目の左腕の血管が盛り上がった。男が四つの腕で拍手をすると、やかましくショーケース内に音が響く。男は足も生えていたが実は自分で切り落とした旨を述べると、客がブーイングをした。伯爵が不満そうに鼻を鳴らし、六十とだけ数字をつけた。男の目には悟りというより諦めが浮かんでいたが、いきなりガラスを殴り始めた。怒りと涙をごちゃ混ぜにしてガラスを叩きつけながら叫ぶ男に、出現した保安係が遠くから発砲した。どうやら麻酔の類らしく、血は出なかった。金額がいきなり半額になり、三割になり、最終的に十五で男は消えた。

 

 

 四品目を準備している最中にリカが立ち上がったが顔面蒼白だった。必死にこみ上げてくるものを耐えようとしているが、傍目からして負け戦だった。ガルマがリカを扉へと誘導したが保安係が塞いだ。

 

 

「競売中の出入りは禁止です」

 

 

「うちのお嬢様は気分が悪いんだ。汚したら他の客が怒るぞ」

 

 

 保安係はしかめっ面をしてから壁に手を当てた。ガルマとリカをにらんでから扉を開けて、他の保安係に引き渡す。リカに渡したハンカチは絞られたように折り目がついていたが、まだ彼女は握りしめていた。リカにとっては二度目のトイレで、彼女は何もいわずに入っていった。ガルマが保安係にいま何品目かと尋ねると、五品目という答えが返ってきた。品目は粉状の薬物で、吸い込めば万人が幸福の奴隷になる魔法の薬。現在は五百。これは見送ろう。下手に金を出してから、後で疑いをかけられたくない。

 

 

 消沈した顔でリカが戻ってくると、ガルマが渡した水でうがいをした。少し休ませたほうがいいかもしれない。座れるところを探すと昔から置かれているような様子のイスが廊下に並べられている。イスのホコリを払ったガルマは苦い顔をしている保安係を遠くにやり、リカを座らせた。腰を下ろした瞬間にリカはぐたっとしてガルマによりかかり、二、三回深呼吸をした。

 

 

「キツイか。息を吐け。吸うんじゃなくて吐く。そうすれば自然と空気が入ってくる」

 

 

「わかってる。ライブの前にいつもしてるから」

 

 

 リカは目を閉じて呼吸を繰り返し、ガルマはその細い身体を、腕にかかる髪を意識した。まるで自分の娘のようだが、家庭を持つことは意識さえしなかった。過去の全ては虚無に行き着く。現在でさえ虚無のようだ。

 

 

 おそらく彼女は現実を受け入れようと必死なのだろう。確かにこの集まりはキツイ。だが現実に張り倒され、ぐちゃぐちゃにされてもなお、リカは正気を失うまいとしている。同年代の少年少女に比べれば立派なものだ。忘れていたがリカの感覚は一般人とあまり変わらないのだ。あまり自分の経験を当てはめないほうが良い。

 

 

 ガルマはこのままリカを連れて逃げ出すことを、天星器を運営に預けたまま会場を飛び出し、保安係をなぎ倒し、騎空艇まで戻って逃げ出すことを考えた。やはり無理だ。一度乗り入れた以上この騎空艇は首輪付きになっているし、リカとガルマの顔が割れたままグランサイファーに戻ることになる。そうなれば向こうが芋づる式にこちらを補足するだけだ。秩序の騎空団の管轄に逃げ込み、保護してもらうのか? 永遠に?

 

 

 ガルマは首を振った。リカには酷だが、いまここで事態を打破するしかない。

 

 

 リカが大きく息を吐き出すと、ガルマの肩を支えにしながら一人で立ち上がった。目には疲労が濃いが、負けん気が戻ってきている。

 

 

「よっし! ガルマくん……アタシ会場に戻るよ。いろいろ迷惑かけてゴメンね」

 

 

「無理なら外で座っていてもいいんだぞ」

 ガルマはいった。

「どうせ最後にはスタッフが呼びに来る。下手な義務感で傷つくより、体力を温存するのも手だが」

 

 

 リカは首を振った。

「ううん。これは義務じゃないよ。確かにひどいものがいろいろ出てくるけど……虹クワを助けなきゃいけないし、それから、あの商品にされちゃった人も助けるんだから、きちんと全員把握しないと」

 それからガルマに手を差し出した。

「お願い、ガルマくん。アタシを支えて。アタシは見くびってたし、考えが足りなかった。たぶん、スパイ映画みたいなこと考えたんだと思う。一人で潜入して、カッコ良く相手をすり抜けて、世界を救う……まだまだちっちゃいアイドルに過ぎないのに、図に乗っちゃった。アタシを何に使ってもいい。さっき外を走らせたみたいに、危険なことを命令してもいい。だから、アタシがクワガタを助けるのを手伝って」

 

 

「殊勝で何より」

 ガルマは立ち上がった。

「まあ、世間知らずの阿呆でないことはわかった。それだけでもお前には伸びしろがあるし、そもそもお前には伸びしろしかない。そこまで自分を卑下するな」

 ガルマはリカの前を歩き、ダークドレスがその後ろをついてきた。慣れないヒールの足音が頼りないが、ついてきている。

「さっさと戻るぞ、相棒。お嬢様でいたくないなら、存分に利用させてもらう」

 

 

*****

 

 

 休憩時間がもたれ、参加者達は別室へと通された。貴族が舞踏会や晩餐会に使うような豪奢な部屋で、シャンデリアは生きた光にあふれていた。何十もあるテーブルには庶民には一生お目にかかれない料理が並び、酒も高級酒から王室用まで幅広く揃えられていた。とはいえこれは平民席だけの話で、西席や東席はもちろんその中でも特別な別室に通される。ここまで階級差をつけてどうするのか。

 

 

 あちこちで客たちが親交を深めたり、あるいは人脈を広げようと躍起になっている。互いのビジネスカードが交換されて上辺だけのマナーの良い話がかわされる。単に商売上の人脈として扱う者もいれば本気で趣味仲間を見つけようとしている者もいて、会場の個々の雰囲気は千差万別だ。あちらこちらで談合も行われているが、おそらく運営はそれも承知している。そしてこの部屋に霧は設置されていないだろうとガルマは考えた。多少はガス抜きの場所を作らないとおかしくなるのは世の常だ。

 

 

「ねえお兄さん、お兄さんってお金持ち?」

 リカが件の遊び人に声をかけた。遊び人はエルーン女とともにドラフ夫婦と会話していたが、遊び人の注意がドラフの女性に向けられているのは丸わかりだった。特にその豊満な胸に。

「ちょっといい話あるんだけど」

 

 

「なんかいった? お嬢ちゃん。キミドラフの彼氏がいるじゃん」

 遊び人は軽くあしらおうと思っているが、リカは思った以上に食いつく。ドラフ夫婦は遊び人に飽き飽きしていたのか、ガルマが近づくとすぐに人波に消えた。エルーン女は眉をひそめているが口には出していない。出さないほうがいいぞ。

 

 

「俺は彼氏じゃない、エージェントだ。つまりこいつを管理している。一千万ぐらい出せるだろ?」

 

 

 遊び人は笑ったが、こちらを見くびった声だった。

「うはは! 千って冗談。なに、一晩だけの関係でそれ? 高くね?」

 

 

「ううん一生」

 リカは事も無げにいった。

「アタシはここに出品される予定なんだけどさ、ちょっと値段安いの嫌だし、それに遊びに行きたいじゃん? そういう空気読んでくる人のところに行きたくてさ。お兄さん的にアタシどう? いいでしょっ☆」

 

 

「悪いけど運営と喧嘩する気はないから」

 古めかしい装飾が張られた酒をエルーン女につがせ、遊び人が一息にそれを呷った。

「だいたいキミの見てくれが良くてもさ、一千はないって」

 

 

「まだいるよ。アタシのお姉ちゃん」

 リカが続ける。大したものだ、とガルマは内心で思った。リカが何を考えているにせよ、見かけは自分と他人を一緒に売ろうとしている阿呆な貴族だ。

「名前は城ヶ崎美嘉だよ。アイドルやってて、この前はPくんの主導でユニットを作ってさ、曲はたくさんあるしCDデビューもしたから、もうプレミア価格バッチリ。それに事務所の友達みんなも紹介できるよ。百人以上いるんだ。えーとみりあちゃんにイヴちゃんにヘレンちゃんに」

 

 

「おい待て話が見えない」

 遊び人が遮ろうとするがリカは端末を出して更に被せた。リカがケータイと呼ぶそれはシールやらで多めにデコられている。

 

 

 ケータイの中では大勢の少女たちが動いていた。ガルマが知っている娘がいれば知らない娘もいる。リカの話によればこのケータイは映像を撮影するという機能が備わっており、これを再生しているのだが、何も知らない遊び人の目には異世界が出現したとしか見えない。

 

 

「これがとときん、これが幸子ちゃん。桃華ちゃんにみりあちゃん、ありすちゃんだっている。あ、卯月ちゃんだ」

 リカがまくし立てながらケータイの画面を指差す。男がケータイ自体に疑念を持つ前に植え付けなければならない。自分には大勢の価値ある知り合いがいて、大勢を本当に売ることができるのだと意味付けしなければならない。そもそもこれほど大勢の少女たちをたった一千万で売ろうというほうが破格すぎる。男は自分が突然幸運にめぐまれたことに自分で気づくようにしなければならない。

 

 

 ウサミン星から来たという安部菜々、未央が笑顔でピースサインを送る。ガルマが知らない植物に隠れているのは乃々だとリカはいうが、ここまで来ると理解できない。理解しなくても良いものだ。そういう世界があることはガルマは身に染みてわかっている。これはリカに全て任せるべきだ。

 

 

「ストップ、ここ、止めろ」

 

 

 リカが停止ボタンを押すとケータイは一人の女性で止まっていた。髪はショートに揃えられていて、飴をなめながらこっちに手を振っていた。丸っこい瞳は大きな小動物を思わせる。

 

 

「フレデリカちゃん?」

 リカがいった。

「わかるよーこの子かわいいよね、ハーフなんだ。フランス系でさ、歌もすっごくきれい」

 

 

「こいつもついてくるんだな? 本当だな? お前と姉貴と一緒についてくるんだな?」

 

 

「千五百万」

 

 

「……くそ」

 遊び人がリカの腕をつかもうとするのでガルマは前に出た。だが男が首を振りガルマは理解した。それからリカに曖昧なジェスチャーを送る。リカも曖昧に頷いてそれに答える。

 

 

「千二百万出す。お前が競売にかけられる前に俺は運営にかけあう。その場に連れてこれるのか?」

 

 

「ううん。ここを出たら連絡する手はずになってる。でも全員連れてこられるよ」

 

 

「よし。じゃあそれで行く。競売中は我慢してろ」

 

 

 会話が終わるとリカが素知らぬ顔でガルマの元に戻り、遊び人はリカなぞ知ったことはないという顔でエルーン女と歩いていった。そこにガルマのところへ別の客(ガルマには知らない顔だったが向こうはこっちを知っていた)がやってきて話が始まった。リカは世間知らずのお嬢様という顔でそれを聞きながら、じっと豪奢なテーブルと、そこに並べられたお酒や人々を眺めていた。

 

 

 休憩時間が終わる頃、保安係がガルマ宛に封筒を携えてやってきた。中を検めると簡潔に記してあった。

 

 

 十四番手、最終手。いまよりおよそ二時間後。競売後は速やかに出荷予定、金の受け渡しは変わらず。このマスク野郎。

 

 

*****

 

 

 金が絡んで人や武器が売買される競売なのだから、てっきり一つか二つは大きな問題があると城ヶ崎莉嘉は思っていた。346事務所のアイドルたちとライブをする直前も、握手会でも、大勢の人が集まって何かをするのだから、小さな問題であれ大きな問題であれ、なにかは起きた。だがこの裏競売に関しては腕が四つある男の人以外、何も起きなかった。六番目、三十人のハーヴィン。七番目、ホワイトラビット四匹とブラックラビット四匹(目の前のおじさんがアクビした声が耳に残っている)。数字が動いてガルマはメモし、商品は落札されて暗闇に消えた。ハーヴィンが何の意味もなく折檻されたことは辛かったし、露骨にこっちをイヤな目で見る男もいた。さっきの取引は何かの形で聞かれていたかもしれない。

 

 

 一番堪えたのは八番目の虹クワだ。レインボウクワノコ、小さくて美しくてこの世界にしかいないクワガタは、クワガタは、透明なケースに入れられて客たちの目を惹いた。蜜を塗った木を用意して、そこにクワガタは飛んでいった。虹色の鱗粉が空間に映えて数字がどんどん上昇していくことがリカには耐えられなかった。

 

 

 永遠にも思える程の昔、あの楽しかった小学生時代、お姉ちゃんが家で夏休みの宿題をしているのを横目にクワガタを採りに行ったあの日。大人たちがアイスを食べてうだっている夏の日に莉嘉は近所の友達と虫取り網を持って、公園にクワガタやカブトムシを捕まえに行った。車の音は遠かったがどこか安心感があった。一匹目は捕まえられなかった。男の子の網の使い方がヘタで、逃してしまった。莉嘉が二匹目を捕まえようとすると、クワガタは自分から網にかかってきた。飛び跳ねて喜んで、あまりに嬉しくて森の管理人のおじさんにもクワガタを見せにいった。ハチミツを木に塗って、カブトムシが来るかどうか待ったこともあった。飛んでいくハチを追いかけてわざわざ巣も見に行った。途中でアイスクリームを食べているとトンボみたいなムシがアイスに飛びつこうとして大騒ぎになったり、ちょうちょが莉嘉の肩についた。ムシたちがやかましく鳴いているのに、車の音はほとんどしなかった。自分たちの話し声さえ聞こえなくて、ただムシの声と音と姿だけが世界の全てで、木の周りを走りながら、いつも自分が予想できないタイミングで飛び出すクワガタはかっこよさの象徴だった。森に消えて、空を踊って、世界を自分のものにしたようなクワガタが大好きだった。

 

 

 そのクワガタはいま、銃器のようにケースに収められてじたばたと手足を動かし、売られるのを待っている。そこで死ぬために。

 

 

 拳を握りしめた。絶対にクワガタを助けたい。他の人も助けたいし、あの鞭で背中を打たれたかわいそうなハーヴィンも助けたい。でもなにより大事なのは、あのクワガタなのだ。自分の輝きが、元気の象徴が汚されたようで我慢ならない。だからお姉ちゃんが説得してくれたけど、莉嘉のことが大切だといってくれたけど、騎空艇の荷物入れに乗り込んだ。この果てに自分がどうなってもいい、だけどお姉ちゃんが悲しむのが気がかりだ。瞳を閉じてこらえていると、ガルマが背中を叩いた。

 

 

「おい相棒、もうクワガタは終わったぞ。それと次の商品だが……あれ、わかるか?」

 

 

 紹介された名前を見ても莉嘉はピンとこなかったが、そのうちにある一点に思考が集約されていった。それはなぜか自分の家のテレビ画面で……テーブルにプレーヤーを置いて、横にいるのはお姉ちゃんと小梅ちゃんで、それに……それに……

 

 

「多分あれ、アタシ知ってる」

 莉嘉はガルマに耳打ちした。

「小梅ちゃんが持ってきたホラー映画で見たかも。なんか人がブースに閉じ込められて、あれのせいで残酷に死ぬの」

 

 

*****

 

 

 ガルマは頷いた。映画の概念は前にリカから聞いた。

 

 

 現物が小さいからだろう、写真付きの図表が回ってきた。アルビオン附近で発見された新型兵器。名称《Gコード》。スタッフが空間へとケースを運び、中を開けると大きめの容器を取り出した。容器は全部で三つあり、中にはなみなみと琥珀色の液体が――騎空艇の整備士の服に染み付く色だ――詰まっていた。見るからに禍々しい色合いだ。

 

 

 発見? 製造ではないのか?

 

 

 まっさきに東側のトーリスが食いついたが、西席の伯爵もつられて価格を上げていく。説明の間にも数字が上がり、どんどん桁が上がっていく。

 

 

「この薬液の実際の名称は不明です。というのも、この原液はアルビオン周辺の小島で発見されたからです。我々が有する調査団によれば、覇空戦争後の遺跡を探索中、もともと武器庫だったと思しき小部屋からこの原液は発見されました。他にもいくつか液体は置いてあったものの、みな使い物にならず、原型を留めているのはこれだけでした。この名称も正式なものではなく、他の部分のラベルが不鮮明だったため、残った部分から取ったものです。

 

 

 肝心の効能についてお伝えしましょう。これはいわゆる疫病薬であり、該当地域に撒き散らせばたちどころに病気を発生させ、附近の住民を死に至らしめます。当該の住民はおおよそ三日から一週間かけて発熱・嘔吐・全身麻痺などの症状で終結しましたが、動物への効果は薄いものであります。またこれは空気中に散布されると広範囲に広がり、風下の人間に莫大な影響を与えます。つまり敵対国の首都で撒けばその国に大きな打撃を与えられるということです。現在のところこの兵器に対する特効薬は市場に出回っておりませんが、我々は既に特効薬を発見済みであり製造準備にかかています。特効薬があるため、死の町となった場所に特効薬を打たせた探索隊を向かわせるなり、上空から散布して軍隊が立ち入れるようにするなり、さまざまな用途があります。詳細は落札後にこちらで作成した資料を参照のこと」

 

 

 実験写真がまわってくる。手足に斑点が出た元人間。魔物。辺りには赤黒い水たまり。

 

 

 どんどんどんどん値段は上がっていく。ガルマはリカに顔を寄せた。

 

 

「リカ、リカ。どうだ、あれは本物そうか」

 リカは写真が怖くて目をつむっていたが、ガルマの問いかけに顔を上げた。

「映画で観たのはどうだった。嘘ばかりの映像だったのか」

 

 

「ううん、ドキュメンタリー系の映像に映画を混ぜた奴で……毒のシーンは本物の映像を使ってたの。すごく怖くて、小梅ちゃんは楽しんでたけど、アタシとお姉ちゃんがギブアップしたから、別の……ハロウィンのかぼちゃおばけの映画にしてもらった」

 

 

「そうか」

 ガルマは考え込んだ。もしあの薬液が大量生産されて一斉に使われれば、市街戦、もしくは陸戦自体がひっくり返る。薬がない病気を、致死性の疫病を瞬時に撒き散らす。国は簡単に落ちるし、国を落とせる武器をめぐって人々は血眼で争うことだろう。

 

 

 本来はリカのみを連れてグランサイファーへと戻る予定だった。しかしリカが乗り込まなかったとしてもこの時点でガルマは行動しないといけなかっただろう。逆にリカという味方がいてくれて良かった。

 

 

 結局競り落としたのはトーリス。彼は大きく立ち上がると興奮覚めやらぬ様子であれこれと秘書に喋っていた。

 

 

 横にスタッフがやってきたが、こちらが暴れると思っていたのか保安係もついている。男が耳打ちする前にガルマはリカとともに立ち上がると、劇場の途中で席を立つ無粋な客のように、他の客の視線を横切りながら部屋を出た。出る時に遊び人がこちらを睨んでいたことは承知済みで。ガルマはリカに深呼吸を促し、アイドルのやり方で深呼吸をしたリカはアイドルらしく廊下を歩いていった。歩くごとに彼女の歩みは立派になり、目に留まり、何か気品を感じられるようになってきた。ガルマはリカを見送りながら、知らず口笛を吹いてしまった。

 

 

 次にリカを見るのはショーケースだろう。

 

 

*****

 

 

 内心で莉嘉はほっとしていた。もうあの残酷なショーを見なくて済む。だが同時に自分にとっての修羅場がやってきたことも自覚していた。スタッフに付き添われて部屋を出て歩いていると、横をバドラが並んだ――ガルマの知り合い。見慣れた顔だったので多少はほっとしたが、バドラの目には這いずるような憎悪が満ち満ちているのがわかり、背中が緊張した。歩きながらバドラが口を開く。さっきのガルマに対する態度からは一転していた。理不尽と思えるほどの憎み方だった。

 

 

「ガキ、名前は」

 からかってやろうかと思ったが、バドラは本気だ。殴られかねない。莉嘉は真面目に質問に答えた。

 

 

「城ヶ崎莉嘉」

 

 

「くそみてえな名前だな。読み書きはできるのか」

 

 

「ルートとか平方根なら学校で習ってる。三角錐の求め方も」

 

 

「なんだそりゃ」

 バドラが莫迦にした目で睨んだ。

「計算はできるんだよな? つまり足し算掛け算だよ。りんごをいくつ、みかんをいくつ、そこにぶどうを足しました」

 

 

 底の底まで見くびられているのはいい気がしなかったが、我慢した。

「習った」

 

 

「よし。さっきお前の特技はアイドルとか聞いたが、踊れるんだな?」

 

 

「うん」

 

 

「どのくらい」

 

 

「えっと、ライブなら休み休みで四時間ぐらい」

 

 

「長さじゃない!」

 バドラが喚くと通り過ぎざまの燭台を殴りつけた。燭台が揺れるが保安係は意に介さない。スタッフはこちらを見もしなかった。

「種類だ。バレエ、タンゴ、ワルツ、オペラ、どういうのができる。お貴族様なら少しは勉強したんだろう」

 

 

 莉嘉はジュニアアイドルとしてデビューして、トレーナーにならって激しいダンスを自信がつくまで練習した。海外のダンス動画を見ながら姉と一緒に練習もしたし、足首がバカになるまで必死にターンの練習もした。センターになったこともある。だが名前がついたダンスは手を出さなかった。トレーナーから話は聞いていたが、そちらは数年先で構わないという結論にして見逃したのだ。

 

 

 これがナターリアや西川保奈美なら話は違うのだろう。でまかせをいおうかと思ったが、バドラの目つきから判断すると、正直にいうほうが無難だ。

 

 

「どれも習ったことがないよ」

 

 

「怠け者め。どうせ色気づいて男と遊んでいたんだろう。お貴族様じゃ犬と遊んでいたのかもな。お前みたいなバカを押し付けられてガルマも気の毒だ」

 

 

 カチンときた。どうしてここでガルマが出る。ガルマのなにを知ってるというのだ、横からしゃしゃり出てきて。

 

 

「それこそガルマくんは気の毒だねえ、アタシみたいなアイドルと出会う前はこんなおじさんといたんだもの」

 

 

「くん? くん付けだと? 笑わせる、学校の委員長じゃないんだ、あいつは盗賊だぞ。俺と一緒に死線をくぐり抜けた、俺は奴と組んで一億ルピをかっさらったこともある。あの時のあいつの顔をお前にも見せてやりたいね」

 

 

「ああそう、おじさん、悪いことしてる自覚ある? 罪もない人やムシを売ることがどれだけの犯罪か、わかってる?」

 

 

「くそガキは黙れ」

 バドラは目を見開いて莉嘉に顔を寄せた。ヒリつくようなニンニクの臭いとともに、姉のいったことが――大人が本気で向かってくることの意味が――理解できた。ここが、正念場。

「いいか、俺はくそ貴族のせいでこんな立場に陥ったんだ。俺は朝から晩まで貴族のもとで誠実に働いていたが、ある日貴族は俺を馬小屋に閉じ込めた。そして奴は、俺に薬物を打ったんだ。信じられるか、馬や牛に打つ鎮静剤だぞ! 人間で実験してみたかったんだとさ! 俺は三日三晩死線をさまよった。だが鍵の掛かった馬小屋で目を覚ますと、隙間にクワを突っ込んで扉を壊し、外に逃げ出した。貴族は興奮剤から劇物、それに血液の混合剤まで用意してやがった。その横にはユニコーンの角が置いてあったが、多分人間の腹から角を生やしてみたかったんだろうさ。つまりあそこは死の罠ってわけで、俺はそこから抜け出したんだ。そしていま俺は、お前に対する死の罠になった。ここでお前は売られて死ぬ」

 死ぬ、と同時に莉嘉の肩を突いた。内心で莉嘉は恐れていたが、精一杯耐えた。ここで負けたくない。ガルマからもらったハンカチを思い出す。ガルマに命じられて走ったことを思いだす。

 

 

「アタシは死なない」

 

 

「そういうのが真っ先に死ぬ。さあ入れ」

 バドラが部屋を開けると中では打ちのめされた大勢のハーヴィン、それから霧で拘束された腕が四本のヒューマンがいて、横には完全武装の保安係が立っていた。別室に通じるドアもあったが、あまりにも無味乾燥だった。莉嘉は突き飛ばされるように中に入れられると、目の前でドアが閉まった。四本腕のヒューマンはわめきながら全身を絡める闇の鎖を揺らし、ハーヴィンが泣き始めた。

 

 

*****

 

 

 リカがいなくなった途端に落ち着きがなくなった。自分でも驚きながらガルマは、目に入らないメモを見返したり客を見回して時間を潰そうとしたが、こうして待っていると時間の流れは本格的に遅くなった。競売にかけられる商品も目に入らなくなる――というよりどうでも良くなる――ので、ガルマは何度も指輪をいじりながら足を組み替えたりした。宝晶石。ヒヒイロカネ。人間だか動物だかそんなもの。値段が釣り上がり時間が消えていき、ある商品の途中で保安係が遊び人に近づくと何かを話し始めた。すぐに話が終わって遊び人が立ち上がると部屋を出て、ガルマも同じように後ろを続いた。遊び人が保安係に頷き、衛兵の格好をした男は警戒を解いた。

 

 

 いうなればこれも談合だ。商品を確実に手元によこせ、というのだからそれなりのコネがないとできない。なぜ遊び人はあれほど余裕たっぷりだったのか? 簡単だ、身内が開く競売だからだ。手順もメンバーも運営もわかりきっているものだから、あの性格では緊張を持続できるほうが珍しい。おおかた世間勉強の積りで参加させたのだろうが、本人にとっては楽しい犯罪だ。バカにはいくらでも付け入れられるし、そこから全てが崩壊する。

 

 

 そしてガルマは談合に加わる。なぜならエージェントを通して金は流れていくからだ。

 

 

 さきほどとは違う道を通り、城の中をぐるぐると歩き回った。そしてある地点でガルマは距離感を掴んだ。この城はやはり霧で膨らんでいるが、平均的な造りの城だ。だとすると、頂点の屋根裏部屋から玉座の間、大広間の位置取り、考えてみるとすべてが見えてくる。それは脱出ルートにも通じる。

 

 

 やがて廊下の向こうに保安係が二人立っている扉が目に入った。霧があちこちに配されているあたり、ビンゴだ。先導する保安係が話を通すと一人が扉の中に入り、少しして名前を呼ばれた。ガルマと遊び人は机に向かうスタッフと書類が山積みの小部屋を通り抜け、調度品が丁寧に整えられてカップが置かれた涼しい部屋に入った。

 

 

 天井が高く、通り抜けた小部屋と比べると異様に広く感じる。というのも、部屋の隅にはフードをかぶった魔術師が五人、トライアングルを作るように床に座り込み、魔法陣の前で瞑想をしていたからだ。魔道士たちとガルマの間は強化パーティションで区切られていたが、それでなくとも建築の常識を無視した広い部屋だった。魔術改造は疑うべくもない。おそらく他の部屋に魔術師を配置し、ここでブレインの役割を担うのだろう。部屋中央の壁には絵画の代わりに霧で作ったモニターがかけられ、そこからショーケース、客席、西席東席、それに城のあちこちを見ることができた。部屋の隅にはドアがあり、そこから他の連中がたむろする別室を予想できた。

 

 

「手狭ですみません、さすがにモニタを別室にはできませんでした」

 運営とみられる男は白スーツ姿で二人を出迎えた。二人は知り合いの様子で、ガルマがいなければさぞかし仲の良い会話をしたことだろう。

 

 

「他の運営の方は……いらっしゃらないので? 豪腕ですな」

 ガルマがいうと白スーツは謙遜した。

 

 

「単なる人手不足ですよ。以前私は別の競売に伝達役として参加しておりましたが、壊滅しましてね。一からまた立ち上げたのは良いのですが、まだまだずさんです」

 

「いえ、高度な警備体制、感服します、エルフレッドさん」

 遊び人が名前を口にした途端、白スーツが眉をあげた。なんてことのない動作だが、遊び人の顔が一気に青くなった。バカめ、第三者がいるのに名前を出したか。しかも本名。

「すみません、口走りました」

 

 

「いいよいいよ、さっきお酒を飲んでいたんだろう? 口が軽くなるのも無理はない。やはりお父さん似だね。そういえばお母さんの調子はどうだい、見舞いに行けなくて済まないね」

 エルフレッドがいうと遊び人がますます慌て、顔が蒼白になった。

 

 

「すみません、母はいま集中治療を受けていて、どうか病院には手を――」

 

 

「そういう意味じゃない。どうも君は軽率だね。まあ座りなさい、貴方も」

 エルフレッドは遊び人を座らせ、ガルマを見た。いきなり本題に切り込んできた。

「貴方が売り込んできた子だが、悪いが、こいつに譲って頂けませんか。出来は悪いが唯一の血縁なんですよ」

 

 

「血とかそういうのどうでもいいので。幾ら出しますか」

 

 

「そうですなあ、千三百万はどうですか」

 

 

「あいつ単品ですか、それともメンバー全員?」

 ガルマはうすら笑いで応じた。そもそもメンバー全員をガルマは知らないし、この世界にいるかどうかも怪しい。さて、どこまで押し通せるか。

 

 

「これは手厳しい。しかし一人単品で一千万はどうも。見てくれが良いのは認めますが……」

 

 

「しかし、本当に筋の通った良い子がメンバーにはいるんですよ。名前も響きが良くて……ねえ?」と遊び人が振るが、エルフレッドとガルマは無視した。こいつ、フレデリカという名前も忘れたのか。

 

 

 差し出された茶に手をつけていると、後ろに保安係の気配。茶を置いた瞬間に短銃が頭に突きつけられており、横の遊び人はニヤケ面がひどくなった。エルーン女は来なくて正解だったな。

 

 

「エージェントに対して無礼ですな、ここのセキュリティは」

 

 

「長々とした口上は申し訳ない、しかしあなたと話して確認しました。あなたたち二人は詐欺師だ」

 エルフレッドが真顔でいってのけた。

「書類不備、城に来てからの様子、あの子の挙動不審……いろいろと要素はありましたが、核心はあなたの態度ですよ。堂々としすぎている。金なぞどうでも良い、というぐらいだ。まるで金の使い道を知らないようでもある。目的は競売ではなく我々の逮捕でしょう。せいぜいあの子は使い走りか何かですね」

 

 

 後ろ暗い虚無。ガルマの過去を縛るもの。かつてバドラに宝石を持ち逃げされ、その後で自前の盗賊団を抱えるようになった頃、ガルマは金に対する執着が失せた。リカに告げた心境が到来したのもそのくらいだろう。生きながら死んでいる心地で酒を飲むのは、飯を食うのは、部下たちに宝石をふるまうのは、まったく楽しくなかった。砂遊びと同じようだった。

 

 

「おたくのバドラが反対すると思いましたが」

 殆ど当てずっぽうでガルマがいうと、エルフレッドが眉を上げた。

 

 

「よくご存知で。彼の経験は大したものですが、やけにあなたにこだわる。それでして、彼には別室の仕事を割り当てております。さて、もういいでしょう」

 後ろで撃鉄が動いた。

「あの子は私たちが引き受けます。まあ、割高で奴隷商人に売り飛ばすと思えばお得ですな」

 

 

「競売に薬物が出品されておりますでしょう。五品目。出荷前に在庫をきちんと確認したほうが良いですよ」

 ガルマはいった。

「出荷数と記録が合わない場合、全てはあなたにふりかかる。そちらのバドラですが、一つお伝えしましょう。彼は薬物中毒だ。おそらく別室というのは商品保管室。中毒者が薬物と巡り合った場合、理性で勝てる見込みはまずない。彼は注射器を常時携帯している筈だ」

 

 

 再びエルフレッドの眉が上がり、何か思い当たるフシがある顔をしてから、やはりガルマを殺そうと合図しようとした直前、ショーケースに音楽が鳴り響いた。

 

 

*****

 

 

 保安係がカードを渡してきたのでショーの順番はわかった。そしてアナウンスも静かな時は聞こえてきたので(たいていは誰かが怒ったり泣いていた)近づいてくることがわかった。いよいよ始まると思うとなぜか座っていられなくなり、立ち上がるとストレッチを始めた。保安係が咎める目で睨んだが、莉嘉は無視した。ヒールはあまり慣れてない。足をぶらぶらさせてストレッチして、身体を大きくねじる。最終的に自分がどうなるかわからない。そう思うと一段と気合が入った。

 

 

 やるぞ、やるぞ、やるぞ!

 

 

 ほんの少しPの顔が脳裏をよぎり、その瞬間、本当の意味で莉嘉は泣きそうになった。困った顔をしたP、いつもお願いを聞いてくれたP、事務所で企画書相手ににらめっこをしながら、みりあやきらりにかまってくれるP。それにお姉ちゃん、他のみんな。

 

 

 拳を握りしめると、開いて、花開くようにまわった。保安係がぽかんとしたのがわかったが、莉嘉は反応しない。ライブでファンのみんなを見る。だけどそれ以上にファン全体を、会場のみんなを賑やかす。そういう目線でいたからだ。

 

 

 自分に気合を入れると別の保安係――いまでは許可証を首からぶら下げたスタッフだ――がやってきて、莉嘉を呼びに来た。鏡はあった。身だしなみを最終チェックするとスタッフに連れられて舞台裏の廊下を歩き、大道具さんが作り上げた階段を上がり、いきなりホールの前。心の中でカウント。ファイブ、フォー、スリー……入らされると透明な壁でしきられた通路を進む。指定の地点まで来ると霧がアナウンスをするので、そこで止まる。

 

 

 別れる直前のガルマからの指示。

「俺は運営をめちゃくちゃにしてくる。できるだけ時間を稼げ。客席の注目を集めて、みんなを釘付けにしてやるんだ。事故が起きても夢中になりすぎて見逃すくらいにな」

 

 

 みんなを魅了するのは、アイドルとしてお手の物。

 

 

 上からのライト。容赦のない熱線はまるで莉嘉を品物のように扱っている。ライブのあの熱線も思い出す。

 

 

 どこか遠くでアナウンス。横に男の人が来ると、ケースを開けて中の天星器を取り出した。中の黄金の輝きは確かだけど、客席の誰も反応を示さない。眠たげにしているものもいる。もう時間は随分経った。莉嘉はまだ、静かに立ったままだ。アナウンスがどうでもいいことをしゃべっているが、ある特定のところまでは耳に入らない――これから彼女が動きます。見ていてください。

 

 

 莉嘉は目を開けると懐からケータイを取り出して音楽画面を出す。練習用の音源。スロウスタートをさせると脇に置いて、ゆっくり空間を確かめる。腕は回せる。足運びは気をつけて。ヒールで踊った経験はあまりない。今回はソロ。お姉ちゃんはいない、きらりちゃんもいない。だけど踊れる――回れる――歌える。

 

 

 行ける。

 

 

 やがていつも事務所のみんなと練習している曲が流れ始め、莉嘉は本番と同じ熱気で、本番と同じ声量で歌う。

 

 

 どうしてこうなったかはわからない。きっと初めから運命づけられていたのだ。

 

 

*****

 

 

「なんだこれは」

 エルフレッドが手を下ろした。莉嘉がいきなり携帯端末を脇に置くと曲を流し、見たことのない振り付けで踊り始めたのだ。こんなことは聞いていないという顔でエルフレッドがガルマを睨む。ガルマはリカのケータイを見やってから魔術師連中に呼ばわる。

 

 

「会場全体に伝わるように霧をスピーカーモードにしろ」

 

 

「は?」

 魔術師の一人がキョトンとした。

 

 

「できるだろうが! とっととやれ!」

 ガルマが声を荒げると慌てて魔術師連中が作業に取り掛かった。エルフレッドと遊び人が目を見交わし、保安係の動きが少しゆるまる。ガルマは改めて肩を張ると、じっくりとモニターを見つめた。そこではリカが曲に合わせ、手を上げ、足を回す。バラバラの動作のはずなのに一つの動きになり、それがリズムを作り、いつのまにかドラマになっている。目が惹きつけられる。遠くからでも吸い寄せられてしまう何かが発散されている。口が動き、やがて声がこのモニタールームにも届くようになると、ガルマは思わず笑ってしまった。

 

 

 ディアンサ達と練習していた曲じゃないか、あいつめ。

 

 

*****

 

 

 客席がざわつくのが見えた。軽やかにステップを踏んで周り、商品を辛うじて躱すと、足を高く上げて(失礼!)手を胸に持ってくる。マイクはないからブレスは地声。でも問題ない、船でディアンサちゃんたちと練習していたから。それにお姉ちゃん、卯月、凛、未央とも練習した。体の隅々まで振り付けは馴染んでいる。最初は不満と怒りだらけだった客席が、意味不明の感情に打たれて少しずつ静まり返っていく。観客は――ファンになるかもしれない人たちは――ぼうっと莉嘉をよく見て、莉嘉の一挙手一投足を見て、決して目を離さない。莉嘉はアイドルだから、それら全てがよく見えるし、理解もできる。どこの世界でも、観客は観客で、アイドルはアイドルなのだ。

 

 

 全方位が観客。あっちにも、こっちにも。みんなに愛想を振りまいて、それから笑顔でピースサイン。いつもと違う世界で、いつもと同じことをして、そして実力はもっと上げる。

 

 

 やがて曲の隙間で、一人の客が数字を押したのが見えた。数字は見えないけれど、我先にと他の客たちも数字のボタンを押し始めた――連打だった。特に西と東の大富豪が押して押して押して、周りの人が止めるのになおも頑張っている。莉嘉はさりげなくふらついて、それでいて存在感たっぷりに立て直す。身体を心地よい汗が流れ、緊張がほぐれていく。できることを精一杯していると、それまでの強張りは薄れていく。それまでの恐怖が、焦りが消えていく。

 

 

 ここは怖いところだ。

 

 

 でも楽しい。

 

 

 歌うのは楽しい。

 

 

 伯爵の叫び声――「いいから買え! ドラフのコブつきでも構わん! 城を売ってでもいいから買え!」

 

 

 東のエルーンが食いつくように見ながらボタンを押して、とうとうガラスにへばりついた。それはスタッフにつまみだされるよ、と莉嘉は注意してあげたい。遅れて保安係が止めに入ると、エルーン脇の警護が保安係を掴んで殴り合いになった。一斉に保安係と警護同士が争い合うが、莉嘉にはもう聞こえない。荒事はスタッフの仕事だ。

 

 

 やがてBメロ、Cメロが過ぎていく。歌声が終わっていき、曲が静かに平らに均されていく。それがわかるのか観客が失望していく。

 

 

 ステップ、ターン、決め。

 

 

 曲が完全に止まってファンがうろたえた。もう終わってしまうと思っているのだ。

 

 

 莉嘉はゆっくり一礼するフリをしてケータイを動かすと、別の音源を呼び出した。ヒールを脱いで気分もチェンジ。

 

 

 気分がいいからアンコール。曲目はお姉ちゃんと作ったあの曲だ。お姉ちゃんの分も歌わないといけないからブレスがちょっとキツいけど、行ける。アタシはお姉ちゃんを超えられるから。

 

 

*****

 

 

 客席が爆発する勢いで動いているのを見て、エルフレッドは本気で狼狽えた。無理もない。流血沙汰があることは慣れっこだとしても、ここがステージになるなど考えられないだろう。ガルマに食いついてきた。

 

 

「あなたは――あなたがたは詐欺師の筈だ。しかし、あれは、あれは――あの曲はなんですか。あいつは何もできない筈だ! 私はあんなもの知らない! なんなんだあれは、ちくしょう!」

 

 

「今回はご破産ですな」

 ガルマはいって、息をついた。

「残念だがPの許可は下りなかった。おそらくマネージャーも同じことをいうだろう。なので、エージェントとしても不許可だ。アイドルをプロデュースしたかったら異世界にでも行け」

 

 

「は? なにを、」

 ガルマが保安係の腕を取るとエルフレッドの肩を短銃で撃った。そのままパーティションに向けて連射させる。保安係が暴れるが構わず、弾切れになる。突き飛ばす。中の魔道士たちが警戒して魔術を中止するが、もう遅い。ガルマは呆然としている遊び人を捕まえると見定めておいたモニタへ投げ込んだ。魔術で作られたモニタが音を立てて割れると魔力が逆流して遊び人を侵食する。遊び人が大声で叫ぶが途中で闇に飲み込まれ、爆発する魔力が部屋を暗黒で満たし、ダガーを抱えて突っ込んできた保安係にハイライトを作った。ガルマは保安係の顔と腹に一発叩き込み、残りの保安係に向かって蹴り込み、パーティション前でうめくエルフレッドを抱え、指にはめた十狼雷の部品で作られた指輪に向けて叫んだ。

 

 

 オペレーション用に改造された通信機器だ。こちらからの送信しかできないが、既にニュアンスは伝わっている。

 

 

「もう時間は稼いだだろう。突入要請。繰り返す突入要請。これから俺はリカを救出する」

 

 

*****

 

 

 グランサイファーの司令室、エッセルは目を開いた。ガルマの声は明瞭に聞き取れた。

 

 

「向こうは限界だ。いますぐ突入して欲しいといってる。お願い」

 

 

 団長は頷き、観測空域ギリギリで周回させていたグランサイファーを発進させると霧に包まれた島へと船を突入させる。船の周囲には秩序の騎空団、バルツ公国の警備船、メネア皇国領の船が何隻。また『組織』関連からも騎空艇が出ており、今回は本格的な合同オペレーションだ。競売にエルステ帝国諜報部も関わっているとふんだ秩序の騎空団は、快く逮捕に踏み切った。『組織』は全面的な『敵』の関与を見て動く。最後の調整を終えたところだ。集める船と敵に繋がっているスパイとの関連性を考えると、こちらもこれが限界だ。

 

 

 ガルマ潜入時のオプションとして装備させた指輪は、十狼雷を通してエッセルへガルマの状況を受信させる。莉嘉が潜り込んだと知った時、即座に団長は他の団に協力を要請した。美嘉の懇願に頷いた形でもある。突発的だったが応じた者たちをまとめて突入態勢を作るとエッセルを中心にして司令塔を作り上げた。

 

 

 ここで全て討つ、全てを補足しきる。なんとしてもガルマと莉嘉を救出する。

 

 

 甲板では兵士たち、騎空士たちが勢揃いし、戦いに備える。姉はただ妹の無事を祈る。

 

 

*****

 

 

 曲目を全て終えると――あれから三曲も踊ってしまった――さすがに息が切れた。普段はこれくらい何でもないのに、常に無い緊張があるからだろう。それから莉嘉は一礼して、また後ろにも一礼する。伯爵は莉嘉を拝み倒さんばかりの様子で、莉嘉に向かって手を振りながら叫んでいた。観客自体はマナーもへったくれもなく、ただひたすらガラスに張り付いてアンコールを求めていた。いままで他の客に足止めされていたのか、強張った顔の保安係がやってくると、莉嘉の手を掴むと引きずろうとした。腕が引っ張られて莉嘉が呻くと、途端に会場が怒りに満ちた。特に伯爵の怒りが凄まじく、何人かの帯剣した護衛を外に出した。トーリスらの護衛は既に保安係との戦闘に入っており、館に散開して銃撃戦を繰り広げている。

 

 

 莉嘉はそのまま為す術もなく別室に連れて行かれたが、そこは修羅場と化していた。おそらくトーリスの護衛と思われる兵士らが保安係たちを相手に殴り合い、商品とされた人たちが逃げ惑って部屋の隅で縮こまっていた。護衛は莉嘉を目的としているのだろう、我先に突っ込んできたが、そこに腕が四本ある男が割り込んだ。既に彼を捕らえていた魔術は消え失せている。小刀でなく拳で護衛らをふっとばすと、莉嘉を見て怒りながら大笑いした。思わず莉嘉はハイタッチをしてから廊下に出る。

 

 

 どっちに行く? 右? 左? 上? 下? 迷った時の勘に従って左に走ると、傷だらけの支配人を盾にしたガルマが走ってきた。

 

 

「ガルマくん!」

 

 

「いたか! こっちだ!」

 ガルマが叫ぶとボロボロの男を追いかけてくる保安係に投げつけ、莉嘉の手を引いて走り出す。城の構造は走りながらもおかしくなり、上下左右に揺れている。ガルマは全く迷いなく走り抜ける。

 

 

「なんか気持ち悪いよ、吐きそう」

 

 

「嫌な魔術を止めたからな、城が縮もうとしてる。上に出るぞ!」

 

 

 下のほうからバドラの叫び声がしたので莉嘉は思い切りあかんべえをした。兵士らの服装はいよいよ厳重さを増し、複合装甲鎧をつけた兵士が何人も走ってくる。素手では到底太刀打ちできないので逃げるしかないが、後ろからトーリスの警護、伯爵の私兵も追いかけてくる。莉嘉はガルマと一緒に駆けながら、上へ下へと走る。だが確実に上層に向かっている感覚があった。やがてひとつのドアを蹴り開けると、莉嘉の目にはヘリポートのように見える場所だった。

 

 

「騎空艇発着場だ、富豪はここから離着陸して、」

 いいかけたガルマの耳元を銃弾がかすめた。莉嘉は背筋が強張ったが、ガルマの手を引いて駆けた。大型の荷物の裏に隠れると《エビス国公式物流》と書かれたフォントが爆発した。銃弾だ。首から上を出したら、多分死ぬ。

 

 

「お前はそのガキとグルだったのか!」

 発着場で騒音にまぎれてバドラの声がした。彼は使い捨ての長銃を背中に何丁も担いでいた。声は泣いているようでもあった。

「くそ貴族をやっつけてやろうとお前はいったのに、そのお貴族様に雇われてたってわけか! 裏切りやがって! 俺はお前の肩を持ってやったのに!」

 

 

「おかげで命拾いしたよ」

 ガルマが応じると弾丸がまた飛んでくる。莉嘉は汗塗れの手でガルマの手を握りしめた。縮こまっているとバドラが叫んだ。

 

 

「いいか、俺はお前の絵を腹の中に入れたんだぞ! 四回目の手術の時だ! またお前と組むことを夢にして今日まで頑張ってきたんだ! それを無駄にしやがって!」

 

 

「気持ち悪いだけだ」とガルマが呟いた瞬間、天頂から三つの筋が島に向けて落下してきた。彗星のように落下したものは自由落下の勢いで城の北側、南側を破壊しながら墜落して、勢いで魔術高射砲を破壊した。なおも魔術高射砲はおっつけで上空に射撃していたが、隕石のような何かは光を放つと高射砲を破壊していく。外周の発着場にたどり着くとまたたく間に火の手があがり、大慌てで島の内部に人が逃げてきた。

 

 

「ガルマくん、なんか落ちてきたよ」

 

 

「オペレーションの一つだ。もっとも最終手段だがな。上空の騎空艇からシロウ特製のアサルトスーツを着込んだガラドア、ミラオル、ザーリリャオーが射出されて着陸、外枠を無理やり破壊する」

 

 

「危ないね」

 

 

「だから最終手段だといっただろう。あいつらがGコードを確保して――」

 

 

「Gなら俺が持ってる」

 

 

*****

 

 

 ガルマは一秒止まり、ブラフかどうか頭で整理した。ここで嘘をつくメリットは? ない。危険を顧みずにガルマは立ち上がった。

 

 

 バドラの姿は傍目からもズタズタで右膝が大きくえぐれていた。だが片手に長銃、片手にケースごとのGコードを抱えた姿はよく見えたし、バドラは笑っていた。笑いながら薬物を置いて銃を向けた。

 

 

「やめたほうがいいぞ」

 ガルマはいったが、自分の言葉が空虚だと思った。

「間違いなくお前から死ぬ」

 

 

「そうだな。そこのお貴族様とお前も一緒に心中だ。原液を素早くパン、パン、パンと壊してみよう。ここは数年間立入禁止になるぞ。死体だけが干からびていく死の島だ」

 

 

 少し黙ってからガルマはいった。

「そこまでして俺を殺したいか? 競売をダメにしたことが気に食わなかったのか?」

 

 

「ああ、ブチ殺してやりたいね。せっかくマスク野郎の便宜をはかったのに全て台無しだ。うまくやれば大金を稼げる筈だった。まさか十回もやらないうちにダメになるとは思わなかったよ」

 

 

「ガルマくん、アタシが行く」

 見上げるリカの目は本気だった。

「ガルマくんが行ったら撃たれる」

 

 

「お前が行っても撃たれる」

 ガルマは笑い、バドラを見た

「なあバドラ、キャトルミューティレーションだが、誰の仕業だと思う?」

 

 

「貴族に決まってるだろう。もう撃つぞ」

 

 

「あれな、俺が依頼したんだ」

 普段と同じ足取りで歩きながらガルマがいう。バドラに近づいていくと、彼の強張った顔が、いままで想像もしなかった悪夢が眼前に出現した顔がよく見えた。あるいは口にしなかっただけで彼自身の悪夢に何度もそれは登場していたのかもしれない。いま口にしていることは嘘デタラメだが、バドラの中でそれは真実だ。

 

 

 ガルマは思わず、心の中で問いかけていた。

 

 

 お前はいつから薬物に手を出した? いつから幸福の奴隷になっていた? 俺たちが一億ルピを稼いだ仕事の後か? それともお前が一億ルピを持ち逃げした後、自分だけ儲けた罪悪感で薬を打ったのか? あるいは罪悪感などではなかったのか? 俺から手紙が来た時、お前はどう思った? いまお前の目に俺はどう見える?

 

 

 全てが虚無の中の過去。相棒が戦利品を持ち逃げするなど、誰が想像できるだろう? 犯罪の中にも信頼関係はあった。バドラとは何回も組んでいた。ビジネス以外に抱くものがあったのだろう。だがバドラが金を盗んで消えた後、全ては終わった。信頼も心理も全てが消滅した。ガルマはその延長線上に立って生きている。虚無とはすなわち暗黒だ。

 

 

「俺たちは一億ルピふんだくっただろう。実はな、あれを独り占めしたかったんだ。お前が邪魔だったんだよ。だから貴族に金と宝石を渡して打ち合わせして、お前を密告した。寝ているお前を引き渡すのは面白かったよ」

 

 

 バドラが長銃をガルマに向けた。銃口の中の虚無がガルマを覗き、思わず息を吐いた。

 

 

「嘘をつけくそ野郎」

 だがバドラの声は震えていた――いままで考えるのを避けていた真実がいきなりさらけ出されたかのようだ。

「お前はそんなバカじゃない」

 

 

「あの頃な、ジュエルリゾートにハマってたんだ。どうしてもスーパービンゴを当てたかったんだよ。それにクリスティーナにお目通りもしたかった。デュエルを見ながら高い酒を飲んで、客に金をバラ撒きたかった。おかげで全部達成できたよ」

 ガルマは両手を広げた。デタラメの割に口はきちんと動く。こうやって虚無の頃、ガルマは何人も騙して消した。バドラも似たようなことをしていた。人を消す事に疑問は感じなかったのに、相棒が自分を裏切るなど予想しなかった頃。家族はいなかったが、相棒には心を許していた頃。

 

 

 そして以後、ガルマは盗賊団を作り上げて、官憲に逮捕された。その後、グランサイファーと出会った。

 

 

「惜しいことがある。その後お前は逃げ出したんだ。おかげで貴族に捜索代を支払う羽目になった。なあ? お前のおかげで大損したんだ」

 

 

 バドラが声にならない獣の叫びをあげると、銃の柄でガルマの横腹を殴った。体勢が崩れると首の上から銃を振り下ろそうとしたが、ガルマは寸前で肘を上げると銃を弾き、バドラの胸を力いっぱい殴り飛ばした。バドラはしばし床で悶えた後、立ち上がると憎悪そのものの顔で向かってきた。顎にカウンターを入れるのは容易だったがバドラは崩れず、ガルマの頬を殴りぬいた。久しぶりの肉弾戦はバカバカしいが楽しくもあった。虚無について思い出さなくても良かった。

 

 

 互いにノーガードで殴り、殴り、殴り、唐突にバドラがガルマにタックルした。倒されたガルマの上にバドラが乗り上げ、首を絞めてきた。

 

 

 殺す――こいつだけは絶対に殺す――

 

 

 怨念すら聞こえるほどの禍々しさがあった。ある意味でバドラは虚無そのものでもある。不思議と苛立ちはなかった。自分はこうなって当然という考えもあった。遠くでリカの声が聞こえるし、リカがこっちに向かって走ってくる。ケガをするからやめろといいたい。血管が収縮して脳に必死に酸素を送ろうとするがうまく動かない。空に一つの星が見える。星は動いてこちらへと落ちてきてガルマを埋め尽くして消えていくのだろ、

 

 

「莉嘉ァ――――――――ッ!」

 

 

 発着場附近の豪風を弾き飛ばすほどの大音量だった。かすむ目にはアサルトスーツをまとった人間二人が降りてきたようにしか見えないが、いきなりその二人がスーテラと城ヶ崎美嘉になり、バドラの左肩から矢じりが生えていた。異物に構わず殺しを継続しようとするバドラの右腕を、スーテラが持つガルマの短刀が貫いた。いよいよバドラの力が緩み、ガルマはドラフを突き飛ばす。むせこみながらガルマは体勢を立て直し、「お前が、」と言葉を続けるバドラの頭から生えた角を両手で握り、顔面に膝を叩き込んだ。

 

 

 バドラが倒れてガルマは見上げ、そこにグランサイファーが在る。全てを諦めて逮捕されたガルマは、いつの間にかあれにすくい上げられた。

 

 

 夢を追い続ける艇は、どうしてあれほど美しいのか。

 

 

 グランサイファーに魔術高射砲が砲撃するが、全て星晶獣が弾き、防ぐ。そのうちに上空からハウンドドッグの服装で降りてきた団長はガルマを一瞥すると、ビィを連れて保安係が向かってくる内部へと入っていった。銃撃と爆発音がして、チャフリリースがその階一帯を薙ぎ払う。外縁部でまた爆発が起きると上空の騎空艇が続々と降りていった。

 

 

 誰も裏切らないと団長は目で告げていた。誰も見捨てない、とも。

 

 

*****

 

 

 莉嘉の耳には最後まで何も聞こえなかった。バドラがガルマを殺そうとしている間、莉嘉はGコードとガルマのどっちを優先するべきかわからなかった。だがガルマを優先した。なんとかしてバドラをガルマからもぎ離そうと走り出した時、すべてが終わり、いつのまにか自分はお姉ちゃんに抱きしめられていた。ものすごく力強くて、ものすごく痛い抱擁だった。先に降りていたらしいスーテラがバドラを拘束し、Gコードを回収してからガルマにソードオフを渡すのも目に入らない。ただひたすら、姉の身体は風で冷たいのに、暖かかった。そんなことを感じているうちに悲しくなった。

 

 

「どれだけ……どれだけ莉嘉を心配したかと思って……」

 美嘉は泣いていたし、つられて莉嘉も泣いていた。バドラの恫喝や、モノのように扱われた人のこと、ニジクワのこと、そして夏休みのことを考えると涙が溢れてきた。そして自分が何をしでかすところだったのか、姉の心を辛い場所に置き去りにしたのかを、悟った。

 

 

「ごめんなさい、ごめんなさい……」

 蚊の鳴くような声で莉嘉は謝りながら泣いて、美嘉も一緒に泣いていた。立っていられなくて座り込んだ。永遠に思える時間を泣いて泣いて、涙が枯れた後、美嘉がようやく顔を離した。

 

 

「メイク、ぐちゃぐちゃだね」

 

 

「誰のせいだと思ってんの」

 美嘉はいったが、その声にさっきまでの棘はなかった。それから莉嘉を連れ帰ろうと、降りてきていた到着していた騎空艇に乗せようとする前に、屋上のドアが開いた。

 

 

 伯爵だった。

 

 

*****

 

 

 顔面が血まみれになったガルマはゆっくりと銃を伯爵へ構えた。目の前の男は莉嘉を買おうとした男であり、人身売買をしている。周辺に騎空団の面々が着陸し、別の場所に着いた騎空艇から兵士や団員が降りてきているが、油断はできない。美嘉は莉嘉を守るように前に出たが、伯爵はゆっくりと頭を下げた。周りの護衛は伯爵の合図で手持ちの武器を捨てた。

 

 

「どういうつもりだ」

 

 

「その子のお名前をお聞かせ願えませんでしょうか」

 

 

「断る。看守にでも訊け」

 

 

「私には娘がいました」

 伯爵はガルマを無視した。

「産まれた時から病気でした。私は娘を快方に向かわせるためにあらゆる手を尽くしました。快方には薬がいる。薬のためには金が必要だったのです。あくどいことをしましたし、いろんな物を売りました。人も売りました。子どものほうが高く売れるので子どもを売るようになりました。そうして金を稼いで、娘を救おうとしたのです。ですが無理でした。娘は十にも満たない年でこの世を去りました」

 

 

 ガルマは護衛を下がらせた。

「言い訳としては赤点だな。逮捕されるか飛び降りて死ぬか選べ。お前の話など無価値だ」

 ガルマはふと気づいた。自分が伯爵を殴りたくて仕方がないことに。自分があれほど虚無と向き合ってきたというのに、こいつは一曲聞いただけで改心しようとしている。楽になろうとしている。だが伯爵の年齢を考えれば、それも意味のない妄念だ。

 

 

 伯爵は少し黙ったが、それから莉嘉に向けて近づいた。ガルマが拘束しようとすると自分から地にひれ伏し、頭を地面にこすりつけた。

「お願いです、どうか、もう一度だけ踊ってください。あの子は生涯に渡って歩くことができませんでした。ベッドから出られなかったのです。ですが、あなたは、あなたはあんなに元気に、あんな恐ろしいところで、元気よく踊ることができて――」

 

 

 ガルマは降りてきていた秩序の騎空団のモニカに手を振った。いくら闇社会の大物だろうがこのままでは話にならない。

 

 

 ミカの後ろからリカが伯爵に話しかけた。

 

 

「おじさん、子どもの名前はなんていうの」

 

 

「ライカです」

 

 

「おじさん、アタシはライカじゃないよ」

 リカがいうと伯爵は泣き始めた。本気の泣き方だった。リカは先を続けた。

「でも、アタシは城ヶ崎莉嘉、アイドル。もしおじさんがまっとうなお金でチケット代金を払って、ライブに来てくれるなら、その時は踊ったげる。アタシは――アタシとお姉ちゃんは、アイドルだから。みんなを喜ばせること、楽しませることが仕事だから」

 

 

 伯爵が両手を合わせた。

「ありがとう……ありがとうございます。私は間違っていたのです。あなたに会って目覚めました。私がするべきなのは金などではなく、あの子のそばに居てやることだったのです」

 

 

「そこまではわからないけど……子どもに胸を張りたいなら……おじさん、しゃんとしなきゃ。問い合わせは、グランサイファーにお願い。もう戻らなきゃ」

 リカがいい、ガルマが護衛に合図すると彼らはなおも拝んでいる伯爵を起き上がらせ、秩序の騎空団のほうへと連れて行った。兵士たちが続々と階下へとなだれ込んでいき、団長が敵を薙ぎ払う。上からはスターダストを利用したエッセルが降りてきた。

 

 

「みんなは無事に着陸したよ。いまは……ガラドアは敵を蹴散らしながら品物を確保してるって。リャオとミラは森狩りの最中。団長があれだけ頑張ってるから、この分なら取り逃しはなさそう」

 

 

 話を聞いたガルマは息をつくと、リカとミカを連れて、騎空艇に載せた。毛布と飲み物をもらうと二人に渡すが、ガルマは改めて船から降りた。

 

 

「乗らないの、ガルマくん」

 

 

「まだ後始末が残ってる。エージェントは忙しいんだ」

 ガルマがいい残すとリカは笑い、ミカが苦笑した。

 

 

「アンタたち、ずいぶん仲良くなったんだね」

 

 

「口が滑ったよ。これ以上肩書は増やしたくないな。さあ、行け」

 いうとガルマは船を見送り、バドラのほうへ向かった。あいつも幹部の一人だ。全てを吐いてもらう必要がある。自分がどれほど傷つくかわからないが、それがリカやミカ、団長でないなら、構うものか。傷つくのは図体がデカいドラフの特権だ。

 

 

*****

 

 

 捕物はうまくいった。縮みゆく館を探索した兵士たちは次々に盗品を押収し、抵抗する保安係を捕らえていった。保安係自体が連絡を魔術に頼っていたため、兵士たちが突入したときには指揮系統がガタガタだった。そこにグランサイファー団長の投入により総崩れとなった。

 

 

 エルフレッドとその一味も根こそぎ逮捕されて船が満杯になったが、自分から自首した伯爵は尚も自供を始めた。騎空挺内に設置された取調室で関連する組織・結社・会社を当局に早口で伝え、盗品の隠し場所をメモした紙を渡した。自分の財産をまるごと投げ捨てるような行為に、取調官は疑問を持った。娘のためです、と伯爵は答えた。当日または翌日にかけて行われた手入れにより、繋がりのある大方の組織は壊滅した。伯爵の財産は半分以上が押収され、彼の社会的地位はゴミも同然になった。

 

 

 東席のトーリスは胸部を撃たれて前後不覚の状態であったが急行した兵士らによって確保され、その場で魔術医による強制蘇生を受けた。治療を受けたトーリスは暴れだしたため、公務執行妨害とフェードラッヘ近郊の自宅への武器大量隠匿の疑いで現行犯逮捕された。その場に居合わせたフェードラッヘ騎士団長ランスロットはトーリス宅の強制捜査を承認し、当日未明のうちに秩序の騎空団及び白竜騎士団の混成部隊による強行突入を受けたトーリス宅は制圧された。地下または屋敷に併設された巨大な武器工場では異世界から流れ着き分解実験されていた自動小銃やアンチ・マテリアルライフル、戦闘機らを全て押収、工場ごとトーリス宅を制圧した。

 

 

 バドラは重度の薬物中毒患者であり、彼の腕には注射痕が数多くあった。審議の結果、彼の証言には意味がないと決定され、バドラは出ることも入ることもできない特別な施設に送られることが決まった。ガルマはあらゆるツテを総動員して最終的にそれを知ることができたが、知った頃には仕事が忙しくてそれどころではなくなっていた。

 

 

 グランサイファーに戻ってからリカはかなり強く叱られた。逃亡を手助けしたハリエにジオラも同罪だ。ガルマはリカの肩を持つ積りで、彼女が船に乗り込んだ時点で気づかなかったのだから俺にも非があると主張すると、ミカはならアンタも正座しなさいといい出した。ミカは本気だったので、ガルマはかなり肩身の狭い思いをすることになった。スーテラはずっと笑っていた。

 

 

 そしてなお悪いことに、ディアンサたち巫女と346プロアイドル合同の大型ライブの運営役も言い渡された。

 

 

「さすがに冗談だろう。なぜ俺がそこまでしないといけないのだ」

 

 

「うるさいエージェント。莉嘉を連れ出した罰!」

 

 

 ということでガルマは巫女たちの曲を学び、ステージ設計や音響、舞台について勉強し、広報も学ぶ羽目になった。全てにおいてズブの素人であるガルマは先輩の技術を盗むことにした。すなわち祭祀のポピーからである。絶え間ない書類、決定事項が多い会議。深夜まで祭祀と詰めて勉強会を開くこともしばしばで、そんな時ガルマは素人でもわかるように噛んで含めて伝えてくれる祭祀の存在をありがたいと思った。その頃にようやくバドラの行方が手紙で送られてきたが、あまり興味はなくなっていた。一瞥するとゴミ箱に捨ててしまった。

 

 

 二ヶ月に及ぶ準備期間の後、グランサイファーはアウギュステに降り立ち、海辺で開かれるカーニバルの最終日を飾ることになった。特別席には伯爵――押収品を当局へ全てゲロし、当局による特別措置で保護されることで、司法取引がなった人物――が座り、今回はスポンサーの意向があってリカがセンターだ。隣には美嘉なのでダブルセンターだが、おそらく、たぶん、もしかしたら大丈夫だろう。本当に照明からスモークの色に至るまで全てに顔を出すことになった。

 

 

「緊張してますねえ」とスーテラが横でにやにやしている。蚊帳の外で見ているのはいい気分だろう。

 

 

「俺の総責任で仕上げる羽目になったからな。こんなことならケチな盗賊のほうがマシだった」

 

 

「いまのほうがスッキリして見えますよ」

 スーテラがニコリと笑い、ガルマは仕方なくステージを見やった。あと一分で始まる。最初はスモーク。それから舞台下から押上で登場。香盤表は暗記しているが不安で仕方がない。二曲目の振り付けは最後まで詰めていたが本当に大丈夫か? 時間通りに収まるか? ミムルメモルの楽器はきちんと演奏されるか? セレフィラは弾けるのだろうか? 途中で具合が悪くなる奴はいないだろうか?

 

 

「ガールマくん!」

 いきなり後ろから押されたので飛び上がった。リカがニコニコ顔で、その後ろでミカが笑っている。後ろには巫女たち、そしてウヅキたち。

「あは、ビックリした? どうよ、アタシのテクニック!」

 

 

「ガキがおっさんを驚かそうなんて百年早い」

 

 

「とかいっちゃって。手に汗握ってるの丸わかりだよ? ん?」

 

 

「お前もそうだろう」

 バレたか、とリカがいった。リカはひとつ息をつくと、ガルマを見た。

 

 

「ね、頑張って、っていって。こう……Pくんっぽく」

 

 

「またわからないことを注文するな……まあ、あんまり肩肘張るな。頑張ってこい」

 

 

「うん! おしゃー、みんな、がんばるぞー! えいえいおー!」

 リカは元気よく笑い、飛び跳ね、本番三十秒前。指定位置にアイドル達が向かっていく。少女たちが消えていき、ガルマは緊張を強くする。その瞬間は過去の虚無が消え去り、アイドルたちの美しさと仕事のプレッシャーと音楽の相互作用によって虚無だった場所から、ゼロから何かが新しく生みだされていることにガルマは気づかない。それを知るのは遥かな未来からであり、現在ではない。

 

 

 前口上が始まり、花火が上がる。ミムルメモルが吹き始める。

 

 

 ミュージック、スタート。

 

 

《終わり》




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