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キュゥべえから<怪物退治>を依頼された巴マミは、件の怪物が感知されたという場所までやってきた。
現場に到着するとそこは住宅街のど真ん中であり、知らされた魔力パターンから痕跡を追っていくととある民家の前までたどり着く。
その家の表札には『美樹』と書かれていた。
(……少し厄介かしら)
魔女や使い魔とは違い、怪物は結界の中には籠もっていない様子だった。
それが逆に、こちらから手を出し難くさせている。
結界の中ならばこちらも慣れたものなのだが、狭い屋内での戦闘は出来ることならば避けたかった。
マミの武装であるマスケット銃は、ある程度開けた場所でないと十全に扱うことが難しい代物だ。
そのため堂々と住宅の真正面から押し入って戦うわけにもいかず、更には内部にどんな罠があるのかすら不明だ。
こちらから結界を仕掛けて隔離しようにも、対象の怪物がどんな反応をするのか分からなければ、安易に手を出すのはあまりにもリスクが大きい。
(怪物の他にも反応があるわね。ここの住人みたいだけど……二、いえ三人。
人間と一緒に暮らしてる? 非常食、もしくは人質かしら?
厄介だけど、幸いこちらのことはまだ気付かれていないはず。可能なら奇襲で確実に仕留めたいのだけど……)
下手に突入して、中にいる住人を危険に晒す事はできない。
マミは屋内にいる怪物に気付かれないよう監視を続ける。
中にいる住人達の安否を確認しつつ、何かあれば即座に介入できるように。
「……困ったわね。これは長期戦になるかしら? 何か隙があればいいのだけど」
明日も学校があるため、出来ることなら時間は掛けたくなかったが、人命を優先するのであれば迂闊に手を出すのも躊躇われた。
とはいえ、あまり悠長にしているわけにもいかない。
住人達がどんな状態であるかも不明な以上、迅速に、かつ慎重に行動しなければ。
マミはタイムリミットを夜明けまでに設定し、それまでに動きがなければ仕掛けてみる事に決める。
隙があれば前倒しで決行するが、最優先事項は人質の解放で、次点を怪物の討伐へと定める。
(……死んじゃったら、取り返しがつかないもの)
かつて交通事故で両親を失った時のように、人間という存在はあまりにも脆い。
どんなに大切な存在だったとしても、運命の歯車が少しでも狂ってしまえば、あっさりと粉々になってしまう。
唯一生き残ってしまったマミは、自分一人だけ命を繋いでしまった事を後悔している。
そのせいで部屋に引き籠もっていた時期もある。
いつしかマミは、自分が生きている意味を魔法少女になった運命へと重ねた。
それは両親を救えなかったことに対する代償行為なのかもしれない。
それでもマミは魔法少女として、人々を守る為に戦い続けている。
やがて日付が変わろうかという頃になって、ついに怪物が動きを見せた。
屋内から出てきたソレを見たマミは、遠目であるにも関わらず一目で理解した。
普段、魔女や使い魔といった奇怪な姿の者達と戦っているマミだったが、怪物の姿はそれ以上の衝撃を与えた。
あれが怪物。
キュゥべえが言っていた「世界を滅ぼし得るバケモノ」だと。
「――っ!?」
悲鳴を上げそうになる自らの口を咄嗟に塞ぐ。
間抜けにも気取られて、警戒させるわけにはいかない。
何を目的に巣穴から出てきたのかは知らないが、狩り取る絶好の機会だった。
アレに気付かれないように、確実に仕留めなければならない。
怪物は一人の少女を連れて家から出ると、どこかへと向かっている様子だった。
その行動にマミは不穏な物を感じながらも、いつでも少女を救出できるように注意しつつ怪物の後を尾けていく。
幸いというべきか、あるいは狙っていたのか、深夜の通りに人気は全く見えず、アレの姿が騒ぎになる様子はなかった。
(……見た目からは分からないけど、人目を忍ぶ程度の知能はあるのかしら?)
まさかあの怪物が、ただの散歩で出かけているはずがない。
後ろに引き連れた少女の存在も気がかりだ。
隠れ蓑として使うつもりか、あるいは盾か。
最悪は怪物の餌という線もあるだろう。
何にしてもバケモノのすぐ側にいる少女が最も危険であり、マミは何を置いても彼女の救出を優先する事に決めた。
虎視眈々とチャンスを狙うマミの想いが通じたのか、機会は思いの外早く訪れる。
公園の広場で、何を思ったのかバケモノが少女から離れたのだ。
奇怪な鳴き声を上げ、怪物はそのおぞましい体を無防備に曝け出した。
(――今よ!)
その瞬間を、マミは見逃さなかった。
バケモノが少女に襲いかかるよりも、マミが仕掛ける方が僅かに早い絶好のタイミング。
マミは自身の武装である魔法のマスケット銃を周囲に展開すると、無数の銃弾をバケモノへと打ち込み、少女から遠ざけるように容赦なく吹き飛ばした。
更にリボンをワイヤーの様に操ると、マミは人質になっていた少女を庇うように怪物の前へと降り立つ。
「――ようやく隙を見せたわね。バケモノ」
そしてマミは、蠢く異形に向かって何度も弾丸を撃ち込んだ。
その背に庇う少女が、どんな顔で自分を見つめているのかも知らずに。
◇◆◇◆◇
全ての生命に対する冒涜としか思えない
一度は直視しただけで吐き出し、逃げ出したおぞましい存在だったが、今のさやかにとってはそれすら忘れ果ててしまうほどの絶望的な光景が、目の前に広がっていた。
『
上位種から舌のような管が伸び、そこから乾いた銃声が二度、三度と間断なく放たれ、その度に沙紀の体が大きく跳ねる。
「沙紀……ッ!?」
「……さ、や……か……」
『……
上位種がキチキチと嘲るような鳴き声を上げ、沙紀を痛めつける為か乱杭歯の並んだ顎を開いた。
「やめろぉおおおおおおおお!!」
さやかは肉塊に対する恐怖も忘れ、地面に転がっていた適当な石を投げつける。
だが肉塊はその場から動くこともせずに、その触手で埃でも払うかのように全ての石礫を叩き落としていた。
だが元より、こんな物でどうにかできるなどとは思っていない。
少しでも注意を引いた隙に、さやかは沙紀の元へと駆け寄った。
『
上位種から伸ばされた触手が、ぎょっとするほどの素早さでさやかの四肢を拘束すると、黙って沙紀が殺されるのを見ていろとばかりにさやかの口元を塞いだ。
「……っ……っ!」
(沙紀! 沙紀!)
触手の気持ち悪い感触すら今はどうでもいい。
気が狂わんばかりに暴れ、さやかは沙紀へ呼びかける。
地面に転がる沙紀のワンピースは土埃に汚れ、体中の至る所から真っ赤な血が染みのように広がっていた。
(いや……いやだよ……! このままじゃ沙紀が死んじゃう!)
どうしてこんなひどい事が許されるのか。
一方的に沙紀をなぶり続ける邪悪なバケモノが、なぜこの世に存在しているのか。
さやかには理解できなかった。認めたくなかった。
やはり肉塊共は、自分達とは違うのだ。
ただ静かに、穏やかな日々を望んでいただけなのに、そんなささやかな願いすら侵略者共は許してくれない。
身動きを封じられたさやかは必死に、テレパシーで沙紀へと呼びかける。
『沙紀! お願い返事して!』
『ごめん、ね……沙紀、失敗しちゃった。アレがこんな近くにいるだなんて、気付けなかった』
沙紀の弱々しい思念を聞き取ると、さやかは血の気が失せた。
それは今すぐにでも自分の頭を吹き飛ばしたくなるくらいの悔恨だった。
今沙紀に襲いかかっている
同じ個体かどうかは不明だが、あろうことかそんな危険な存在を、さやかは沙紀に伝えていなかったのだ。
(ばか! あたしの大バカ! 何て大事な事伝え忘れてるのさ!)
うっかりでは済まされない。さやかは後悔で今にも死にそうだった。
『さやか、ごめんね。わたし、ずっと一緒にいるって約束したのに』
『そんな、沙紀! 何言ってるの!?』
(謝るのはこっちの方なのに!
いやだ……嫌だっ! 沙紀を失いたくなんかないッ!)
さやかは触手をふりほどこうと全力で暴れ、噛みつくものの、結果はより拘束が強くなるだけだった。
「さや……か……だい、じょ……から」
沙紀の口から掠れた声が弱々しく紡がれる。
こんな時になっても、沙紀はさやかの事を案じてくれているのだと、さやかは理解してしまった。
『そんな、あたしの事はいいからっ! お願いだから逃げてよ沙紀!』
涙の浮かぶ目で必死に訴えるさやかだったが、沙紀の目は焦点があっておらず、恐らく
さやかのいる方へ精一杯手を伸ばしており、さやかは今すぐにでも駆け寄ってその手を握りしめたかった。
けれどもそんなさやかの想いを踏みにじるかのように、
『……
嘲るように上位種がキチキチと鳴き声を上げる。
あんなにも優しく美しい天使を蹂躙するその姿は、さやかにとって憤死しそうなほどの悪夢だった。
さやかはここに、存在してはならない邪悪を知った。
(許さない……お前だけは絶対、殺してやるッ!!)
さやかの悲痛な叫びは無力にも封じられ、その身で沙紀を庇うことすらできやしない。
『
そして上位種は一際巨大なピンク色の管を出現させると、その先端を沙紀へと向ける。
それはさやかに、これまでとは比較にならない一撃であることを理解させた。
(やめて、お願いだから、やめてよ……あたしはどうなってもいいから、沙紀だけは……)
たとえ哀願の意が通じたとしても、上位種がそれを聞き届ける可能性は皆無だろう。
アレの慈悲に縋ってどうなるというのか。
それでも沙紀を助けてくれる何かに縋らずにはいられない自身に、さやかは狂いそうなほどの殺意を抱いた。
かつて沙紀は言ってくれた。
さやかは狂ってなんかないと。
もしそうだとしたら、それは世界の方が狂っているのだと。
それが奇しくも真実であった事を、ここに至りさやかは悟った。
(こんな……沙紀を傷つける世界なんて、間違ってる)
か弱い少女が無惨に殺されようとしているのに、誰も救いの手を差し伸べない。
こんな肉塊共が蔓延る狂気の世界で、沙紀を救えるのは唯一人<美樹さやか>しか存在しなかった。
――力が、欲しい。
狂気の中、さやかは渇望する。
想いが現実を変える力を持つならば、それは世界を壊すほどの情念だった。
特別な力も、途方もない力もいらない。
ただ沙紀を守り抜けるだけの力が欲しい。
傷ついた沙紀を癒せるだけの力が欲しい。
沙紀が笑顔でいられる、幸せにできる。
そんな力をさやかは望んだ。
だが想いだけで奇跡が叶うはずがない事を、さやかは既に知っている。
神は祈るだけの者に救いを与えない事を、病院のベッドの上でさやかは嫌と言うほど理解させられていた。
けれど、今のさやかは知っている。
奇跡の叶え方を。
そのための手段を。
『――沙紀、いますぐあたしと契約して』
それは<魔法の契約>だった。
奇跡を叶える代償に、魂を物質化させる禁断の契約。
いずれ異形となり果てる『生きた死者』となって初めて、人は魔法という超常の使役者と成り得る。
――でも、さやか、人間じゃなくなっちゃうんだよ?
最早思念にすらなっていない、そんな沙紀の優しい想いを受け取ったさやかは小さな笑みを浮かべる。
本当にこの子はどこまでも優しいのだと分かって、こんな時だがさやかは自分の事のように誇らしかった。
『あたしが人間じゃなくなる? ――上等だよ。
沙紀を守る為なら、あたしはどんな姿にだって変われる!』
美樹さやかは、沙紀の為なら何でも出来る。
何にだって変われる。
何故なら沙紀を失う事以上の恐怖を、さやかは知らないのだから。
「だから、あたしと契約して――沙紀!!」
そんなさやかの魂からの叫びに<■■■■・■■■>である沙紀は本能的に応えてしまう。
――<契約>。
魂の物質化に伴う契約の光が、天を貫く柱のように立ち昇る。
沙紀が卵孵器より収集した情報の中には「契約魔法」も存在している。
少女の肉体を魔法少女という超常の存在へと変える禁忌の外法。
本来ならば宇宙の熱的死を回避するため、卵孵器によって徴収されるはずの熱量すらも、沙紀は余すことなく即座にさやかへと還元させた。
――せめてこのくらいは、さやかの為に。
自らのふがいなさのせいで、大切なさやかまで危険に晒してしまった。
人間という種が、同族に対して優しいなどと沙紀は微塵も思っていない。
これまで歩いてきたどの世界、どの時代においても人間は飽きることなく互いの血を流し続ける存在だった。
ましてや非力な沙紀とは違って、一歩間違うだけで簡単にさやかを殺せてしまう存在を、どうすれば信じることができるのだろう。
沙紀はあらゆる意味で、人間という種を愛している。
それは生きる糧であったり、恋する対象であったり、敬愛する父の種族であったりと、彼女の人間に対する想いを一言で言い表す事は難しい。
それでも沙紀に優しくしてくれた人間は、父以外ではさやかが初めてだった。
目の前にいる<魔法少女>の反応こそが人間としては正しく、沙紀の姿は他者が見れば問答無用で排除される世界の異物でしかない事も理解している。
――それでも沙紀は、沙紀の
沙紀のこれまでの生に比べて、さやかと過ごした月日は閃光のように眩しく、振り返れば一瞬の事のようにも思える。
けれどもその中で積み重ねた一つ一つの思い出は、沙紀にとってどんな知識、経験にも勝る質量を持っていた。
沙紀の事を可愛いって言ってくれた。
どこに行っても醜い化け物だと蔑まれてきた沙紀を、綺麗だって、天使だって言ってくれた。
沙紀の頭を撫でてくれた。抱きしめてくれた。
まるで大切な宝物を扱うかのように、さやかは優しく包み込んでくれた。
一緒に食事をした事。まどかの世話をした事。部屋の模様替えをした事。一緒に眠った事。病院では夜通したくさんの事を話した。
深夜の月光浴をしていた沙紀に「行かないで」と手を差し伸べてくれた。
あの時救われたのはさやかだけではない。
沙紀もまた、長い孤独の旅から救われていたのだ。
――やっぱりさやかは、沙紀の王子様だもん。
代わりなんていない。
ただ一人、この広い宇宙の中で沙紀を見つけてくれた唯一の存在。
沙紀はさやかの為に、その人類を超越した驚異的な処理能力を限界以上に酷使する。
全ては沙紀の王子様の為。
大好きなさやかの為に。
夜に太陽の輝きが現れたかのように、一面が白い光で満たされる。
『
その光の中で、上位種が苦しみの声を上げている。
『
怯えたように震える上位種など今はどうでもいい。
契約によりさやかの体は人間ではなくなってしまうが、それすらもどうでもいい。
力が満ちていく。
これが……これこそが、沙紀を守るための力。
さやかの望んだ奇跡。
この地獄のような世界に唯一残された
「よくも沙紀を傷つけてくれたな!
離れた肉塊に向けてサーベル状の剣を矢継ぎ早に投げつける。
咄嗟に筒状の管で受け止められたが、さやかは新たな剣を間断なく出現させて切り傷を増やしていった。
『――――!』
肉塊が怯えたように震え、奇怪な悲鳴を上げる。
その有様はさやかの溜飲を下げるどころか、更なる殺意を掻き立てた。
「許さない、お前だけは絶対に許さないからなぁああああ!!」
さやかの殺意に怯んだのか、肉塊は距離を取ろうと触手を伸ばした。
「それはもう見たっての!」
触手を切り裂くものの、小賢しくもさやかの剣にまとわりつこうとする。
戦いという点において、悔しいがさやかよりもずっと肉塊の方が手練れなのだろう。生まれてこの方殴り合いの喧嘩すらしたことのない少女にとって、殺し合いの経験などなくて当たり前だ。
けれども一つだけ、さやかが肉塊よりも圧倒的に勝っている点がある。
沙紀は言っていた。
感情を糧に魔法はその力を発揮すると。
――ならばさやかのこの想いが、
さやかを無視して沙紀にトドメを刺そうとする上位種の攻撃を、さやかは憤怒と共に手にした剣で細切れにした。
『
「人間の真似してる
やはり肉塊共にとって、さやかは同族にでも見えているのだろう。
その事実に吐き気がするが、それで少しでも動きが鈍くなってくれるのならば好都合だ。
どこか動きの鈍い上位種は、じりじりと逃げ出すような素振りを見せる。
だがさやかは、沙紀を傷つけた化け物を生かしておくつもりなど欠片もなかった。
「逃がすかぁあああああ!!」
さやかは無数の剣を顕現させる。
『
「トドメだぁあああ!」
世界に音を響かせる。
その波紋はさやかの魔力を伝播させ、至る所から魔剣を出現させた。
大地から生えるように、空を引き裂くように。
剣は肉塊を串刺し、切り裂き、細切れへと変えていく。
沙紀を傷つけたその罪は万死に値する。
さやかの天使を傷つける肉塊など、全てこの世から消滅してしまえばいい。
――戦いが終わると、細切れになった上位種の死骸が地面に散らばっていた。
臓物塗れの世界の中で、その一帯だけはあたかも花畑の様な鮮やかさだった。
まるで肉の内側に無数の宝石を隠していたかのように、色鮮やかな果実がそこかしこに転がっている。
それを見たさやかは理屈を超えた所で、自分が正しい事をしたのだと実感していた。
汚らわしい肉塊を殺したお蔭で、世界は少しだけ綺麗になったのだと。
さやかは変身した姿のまま傷ついた沙紀を抱き上げる。
血を流しすぎたせいか、ただでさえ華奢な沙紀の体が異様に軽く思えてしまった。
すぐにさやかが癒しの魔法で沙紀を包み込むと、銃弾で穴だらけになっていた傷痕がゆっくりと塞がっていく。
(良かった、間に合った……沙紀を、守れたんだ)
安心すると、これまで抑え込んでいた恐怖が一気に噴き出した。
今更になって震えが止まらない。
よくもあんなバケモノを倒せたものだと、さやかは自分でも信じられなかった。
「……さやか、どこか、怪我してるの?」
「怪我してんの、沙紀の方じゃん! あたし……沙紀が死んじゃうんじゃないかって、すっごく怖かったんだから!」
さやかに力強く抱き締められた沙紀は、さやかの頬に手を当てる。
こんなにも自分を心配してくれて、傷付きながらも守ってくれる人。
「……やっぱりさやかは、沙紀の王子様だね」
涙を流す青の騎士を、異界の姫が愛おしそうに見上げていた。