水底の恋唄   作:鎌井太刀

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第十二話 ■■■さんに謝りたくて

◇◆◇◆◇

 

 

 放課後のチャイムが鳴る。

 今日もまた、大切な何かの欠けた歪な日常が過ぎていく。

 まるで何事もなかったかのように。

 

(……まどか。あなたは今、どこにいるの?)

 

 教室の中で、暁美ほむらは人知れず憂鬱な溜息を吐いた。

 ほむらがこの見滝原中学へと転入した翌日から、『鹿目まどか』と『美樹さやか』の二人が揃って行方不明となっている。

 

 更には上級生である『巴マミ』もまた、その姿を消していた。

 だが同日に彼女の物と思われる大量の血痕と無数の肉片が、住宅街のど真ん中にある公園で見つかっている。

 

 その細切れになった肉片の中からは、巴マミの生徒手帳が残骸として発見されていた。

 それがなければ死体の特定すら困難だったほどの、凄惨な()()()()だったらしい。

 

 無論、それら事件の詳細は未だ世間には公表されていない。

 ほむらの固有魔法である『時間操作魔法』で時を止め、警察など関係各所を調べた結果判明した事だ。

 

 ほむらがこっそりと閲覧した資料によれば、散乱した死体の中でも脳や内臓等の主要な部位が根こそぎ消失していたという。 

 それを野良犬や鴉の仕業というには、現場の状況はあまりにも作為的過ぎた。

 

 女子中学生を惨殺し、その中身を持ち去った【殺人鬼】が未だこの見滝原市に潜んでいる。

 

 世間では【猟奇殺人事件】として、今なお失踪中の二人も何か関係があるのではないかと騒がれていた。

 その影響もあり、学校では一人での登下校は避け、日没からの外出は極力控えるように指導されている。

 

 警察も見滝原市全域でのパトロールを強化しており、不用意に制服姿でうろつけばすぐにでも補導されてしまうだろう。

 ほむらとしても、一人の魔法少女として些か動き辛い情勢だった。

 

(こんな事件、今までのループにはなかったわ) 

 

 今回の時間遡行は、始まりからイレギュラーが続いている。

 自分の知らない所で、何か途方もない事態が起こっているような気がしてならない。

 

 ちらりと、ほむらは視線をとある席へと移した。

 そこには本来入院しているはずの『上条恭介』の姿がある。

 あまりにも自然な態度でクラスに混ざっているものだから、ほむらが彼の存在に気付くのに時間が掛かってしまった。

 

 彼はほむらの記憶にあるような、退院直後で松葉杖を持った姿ではなかった。

 そればかりか、彼が事故に遭ったという話そのものがなくなっている。

 

 代わりにクラスメイト達から聞かされたのは、上条恭介ではなく『美樹さやか』が事故に遭い、つい先月まで意識不明のまま入院していたという驚きの事実だった。

 

(……ここまでズレが大きい世界は、流石に初めてね)

 

 ほむらがこれまでに幾度も行ってきた<時間遡行>は、あまり融通の利く能力ではない。

 かつて心臓の病気で入院していたほむらが退院する日から、【ワルプルギスの夜】が襲来するまでの約一カ月間を繰り返す魔法だ。

 

 途中でやり直そうとしても、能力の象徴である<盾の砂時計>は一カ月経過しないと使用できない制限があった。

 さらに遡行した先の世界は、枝分かれする前の世界線と言うべき<平行世界>であり、殆ど同じ世界でありながらも僅かな差異が存在していた。

 

 でなければ、ほむらはとっくに目的を達成していたはずだ。

 決まった出来事だけが起こり、誰もが決まった行動を起こし、決まった結末を迎える。

 だがこの世界は、そんなゲームの様な単純で都合の良い仕様ではなかった。

 

 あるいは時間遡行者であるほむらの存在がバタフライエフェクトとして作用しているのか。

 ある程度展開の予測は出来ても、それが必ずしも当たると決まったわけではなく、安易な決めつけは時に致命的な失敗を招いてしまう。

 

 かつてまどかを救うために打った手が、裏目に出てしまった事だってある。 

 万華鏡のように様々な姿を見せる世界に打ちのめされながらも、ほむらは歯を食いしばりながら「鹿目まどかの救済」の為に、必要な最適解を探し求めてきた。

 

 だがここまで理不尽な展開は初めての事だ。

 なにせ転校初日から肝心の<まどか>が行方不明になっており、<巴マミ>と<美樹さやか>――見滝原の魔法少女とその候補が、軒並み姿を消してしまったのだから。

 

(……せめて、まどかだけでも無事で居てくれれば)

 

 彼女の安否さえ確認できれば、あるいは最悪でも今回の事件の原因さえ突き止められれば、次回以降のループに生かせるはずだ。

 少なくとも、今回のような後手に回る事態は避けられるだろう。

 

 <時間>は暁美ほむらの味方だ。

 ほむら自身が諦めない限り、何度でも繰り返して『やり直せる』のだから。

 

(巴マミも美樹さやかもいない今、この街の魔法少女は私しかいない)

 

 しばらくすれば風見野の魔法少女である<佐倉杏子>もやって来るはずだが、それまでの間、この見滝原市に魔法少女は<暁美ほむら>しかいない事になる。

 

 元々この見滝原は<巴マミ>一人が管理しており、彼女が魔女も使い魔も倒しているお蔭で治安こそ良いものの、他の魔法少女にとっては旨味の少ない狩り場だった。

 

 ほむらはこれまでのループから、魔女の出現する大凡の場所を把握している。

 そのため効率良くグリーフシードを入手する事が可能だった。

 

 魔女と言ってもその行動は様々で、一か所に留まっている個体もいれば、各地を転々としている物もおり、その移動パターンは魔女によって個体差が大きい。

 

 だが時間遡行によって出現データを蓄積できるほむらにとって、既知の魔女が何時何処で出現するのかを統計から予測することは容易だった。

 ほむらにとって最大の障害でもある【ワルプルギスの夜】に至っては、非常に高い精度で出現範囲とその時期を予測出来ていた。

 

 帰宅した後も、ほむらは噂の【殺人鬼】の事などお構いなしに魔女狩りを続ける。

 何もせず自宅で待機するのは、ほむらにとって有り得ない選択だ。

 

 状況が不明であるなら、なおさら行動を起こさなければならない。

 そう思いまどか達の行方を探してはいるものの、手掛かりは一切見つからなかった。

 

 このまま闇雲に動いても徒労に終わるだけだろう。

 だが解決の糸口となるだろう存在に、ほむらは心当たりがあった。

 

 卵孵器(インキュベーター)――奴ならば、確実に何かを知っているはずだ。

 

 この街の魔法少女達を常に監視しているあの地球外生命体ならば、何かしらの情報は掴んでいるに違いない。

 だがいざ探すとなると、まるで向こうの方がほむらの事を避けているかのように、全くその姿を見かけなかった。

 

(……参ったわね。いつものようにキュゥべえを駆除してたのが裏目に出たかしら?

 出て来て欲しい時に限って姿を見せないなんて皮肉な話よね)

 

 まどかを契約させない為、ほむらはこれまでキュゥべえを見つけ次第、彼女の周囲から駆逐してきた。

 だが肝心のまどかの所在が不明である以上、奴等から話を聞かなくてはならない。

 

 都合の良い話ではあるが、元より互いに利用するだけの関係だ。

 魔法少女に寄生している害獣相手に、義理や思いやりなど不要なのだから。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 ほむらが探索を続けてしばらくすると、普段よりも注意深く周囲を見渡していたお蔭か、廃ビルの屋上に不審な人影を見つけた。

 

 既に夜も遅く、人気も少ない時間帯だ。

 屋上にあるフェンスを乗り越えてぼうっと立っている人影は、そこから今にも飛び降りそうなほど危うい雰囲気を放っている。 

 

「あれは……志筑仁美かしら?」

 

 目を凝らして見ると、それはほむらもよく知っている人物だった。

 

 <志筑(しづき)仁美(ひとみ)>――ほむらのクラスメイトであり、鹿目まどかと美樹さやか、二人の親友でもある少女。

 彼女は魔法少女でこそないものの、他の平行世界において『美樹さやかの魔女化』に深く関係する人物だった。

 

 ほむら自身とはそこまで親しい間柄ではなく、これまでのループを全て合わせても殆ど会話らしい会話をした事がない。単なるクラスメイトの一人でしかなかった。

 

 ほむらが彼女について一番印象に残っている出来事は、つい先日美樹さやかが教室内で嘔吐した件で、騒ぐクラスメイト達を一喝した事だろうか。

 

 いつか教室で聞きかじった知識によれば、彼女は名家のお嬢様らしく、こんな時間に立ち入り禁止になっている廃ビルに侵入している姿はあまりにも不自然だった。

 

 ほむらが疑問に思うのと同時に――ふわりと、仁美が屋上から飛び降りた。

 

「ッ!?」

 

 ほむらは反射的に自身の固有魔法で時を止める。

 世界がモノクロに凍り付き、仁美は身を投げた姿のまま宙に静止していた。

 

 時の止まった世界の中をただ一人、暁美ほむらだけが自由に駆けた。

 ほむらは仁美の落下地点近くまで距離を詰めてから魔法を解除する。

 すると時が再び動き出し、そのまま落ちてくる仁美に向かって跳躍した。

 

 時間停止中は止まっている物体に干渉できない。

 故に落下し始めた仁美を、ほむらは魔法少女の身体能力を生かして受け止めた。

 

(……間一髪ってところね)

 

 仁美を抱えたまま着地したほむらは、一先ずほっと安堵の息を漏らした。

 慎重に降ろすと、仁美は飛び降りたショックのせいかぐったりと気を失っている。

 念のために彼女の呼吸と脈を確かめてみるが、特に大きな異常は見られない。

 

 けれどその首筋には、【魔女の口付け】がはっきりと残されていた。

 

 【魔女の口付け】――それは魔女の呪い。

 餌となる人間に付けられた魔女のマーキングであり、その呪いを受けた者は魔女に操られ、破滅的な行動を取らされてしまう。

 特に理由のない自殺や事件の殆どは、この【魔女の口付け】によるものだった。

 

 仁美もまた魔女の呪いによって、己の意思とは無関係に自殺を図ってしまったのだろう。

 

(……まさか、私が彼女を助ける事になるとはね)

 

 これまでのループで仁美が【魔女の口付け】を受ける事は、そう珍しい事ではなかった。

 殆どのループで仁美は【魔女の口付け】を受けているが、その度に美樹さやかが――あるいは巴マミが、危うい所で仁美を助けていた。

 だがそのどちらもいない現在、ほむらにその役が回ってきたのだろう。

 

 ほむらは仁美の首筋に手を当て、魔女の呪いを打ち消した。

 だが呪いを完全に解くには魔女本体を倒すしかない。

 ほむらのした事は応急手当の様な一時的な処置でしかなく、呪いが再発する可能性もあった。

 

 だが呪いを掛けた魔女の魔力には覚えがある。

 見つけ出して討伐する事は容易だろう。早ければ今日中にでも片が付く。

 ほむらが脳裏でこれからの予定に変更を加えていると、気を失っていた仁美が目を覚ました。

 

「……ぅ、ここ、は?」

「気が付いた?」

「あなたは、たしか……暁美さん、でしたか?

 わたくし、どうして……なんで……こんなことっ!」

 

 徐々に思い出してしまったのだろう。

 己が自殺しようとした事を。

 

 【魔女の口付け】を受けている間の記憶には個人差がある。

 全く覚えていない者もいれば、夢を見ているかのように感じる者。

 

 はっきりと覚えている者は少ないが、中には仁美のように自分がしでかしてしまった事を後悔する者もいる。

 

 生命の危機に陥った事を本能的に理解しているのだろう。

 死に瀕した者ほど、その記憶を鮮明に覚えている傾向があった。

 

 動揺して取り乱した仁美が落ち着くまでしばらく付き添うと、やがて仁美はどこか躊躇いがちにほむらを見上げた。

 

「あの……暁美さんが、わたくしを助けて下さったんですの?」

「ええ、偶然ね。運が良かったわ」

 

 幸い、ほむらが魔法少女に変身した姿は見られていないはずだ。

 だからどんなに不自然だろうが、仁美は『運良く』飛び降りても無事だったという結果を受け入れるしかない。

 

「それは……大変なご迷惑をお掛けしました」

「気にしないで」

 

 ほむらが偶々通りかからなかったら、仁美は死んでいただろう。

 

 本当に彼女の運が良かったとしか言えない。

 ……些か、運命の作為的なものを感じずにはいられないが。

 

 仁美は自身の両腕を抱き締め、恐怖に震えていた。

 そんな彼女に酷かも知れないが、どうして今、彼女が出歩いていたのかをほむらは尋ねる。

 

 学校では事件の影響で外出を控えるように言っているはずだし、仁美の家もまさかそんな状況で娘を出歩かせるような真似はしないだろう。

 時間的に考えて、家に籠ってさえいれば【魔女の口付け】を受ける事もなかったはずだ。

 

「志筑さんは、どうしてこんな時間に出歩いていたのかしら? 外出は控えるようにって学校でも言われてたでしょう?」

 

 そこまで口にしてから、ほむらも他人の事は言えない事に遅れて気付いた。

 客観的に見ればほむらの行動もかなり不審だろう。

 

 生憎と記憶を操作するような魔法は使えないので、その辺りを聞かれても何とか口先で誤魔化すしかないのだが。

 だが幸いというべきか、動揺している仁美はその辺りの事に気が付かなかったらしい。

 自殺未遂によるショックが影響しているのか、驚くほど素直に仁美自身の事情を打ち明けてくれた。

 

「……実はわたくし、さやかさん達を探していたんです」

 

 その答えは、ほむらにとって少々意外でもあった。

 志筑仁美がまどか達二人の親友である事は知っている。

 

 だが彼女は、どこか一線を引いた立ち位置にいると思っていた。

 そんなほむらの疑問が顔に出ていたのか、仁美は言葉を重ねる。

 

 まるで己の罪を告白するかのように。

 

「お二人がいなくなってしまったのは……もしかしたら、わたくしの所為かも知れないんです」

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 仁美から告げられた予想外の言葉に、ほむらは訝しげに目を細めた。

 

「……どういう事?」

 

 志筑仁美に関する厄介事は『上条恭介を巡る恋愛事情』くらいしか思い浮かばず、それが今回の失踪に繋がるとは到底思えなかった。

 

「さやかさんが事故に遭ったあの日、わたくし上条さんとお会いしてましたの」

 

 仁美が待ち合わせに向かう恭介と顔を会わせたのは、本当に偶然だった。

 春休み中は会えないだろうと思っていた彼との出会いは、仁美にとって嬉しくなかったと言えば嘘になる。

 

 仁美には誰にも言えない、秘めた想いがあった。

 それは親友の幼馴染に恋をしてしまった事。

 

 その感情を自覚したのはつい最近の事で、彼の近くには既に親友である<美樹さやか>がいた。

 彼女が恭介に恋をしているのは、一目見れば分かってしまう。

 

 二人はまだ付き合っていない様子だったが、それも時間の問題だろう。

 親友として、彼女の恋を応援しなければ――そんな風に諦め切れる程度の気持ちなら、仁美がこんなにも苦しむ事はなかったのだろう。

 

 彼と過ごした時間は、圧倒的に彼女の方が上だ。

 彼を見つめた、傍にいた、会話した、時間時間時間……重ねた時間を比べてしまえば、幼馴染である彼女とぽっと出の新参である仁美では勝負にすらならない。

 

 ずるい――と、嫉妬してしまう身勝手な気持ちを、胸の奥で押し殺し続けた。

 

 好きになった人が、目の前で自分ではない誰かの物になってしまう。

 それを大人しく見守れるほど、仁美は自身の初恋を諦め切れてはいなかった。

 

 だから仁美は、彼を引き止めてしまったのだ。

 

 その最中、彼がさやかと一緒にどんなコンサートに行くのかを知ったり、仲の良い幼馴染の二人を冗談めかして揶揄ってみたり。その会話の中で、二人がまだ付き合っていない事を確認したり。

 

 そうして仁美は、恭介を無理に引き留めてしまった。

 その結果、彼はバスを一本逃してしまい、その僅かなズレが大きな悲劇を生んでしまった。

 

「もしもあの時、わたくしが彼を引き止めなければ、さやかさんが事故に遭う事もなかったんじゃないかって……ずっと後悔しておりました」

 

 悔恨からか、仁美は顔を伏せた。

 もしもという仮定は、ほむらにとって他人事ではない。

 

 平行世界における可能性の切り替え。

 『鹿目まどかの救済』という理想の結果を得るため、無数の『IF(もしも)』を探し続けているほむらにとって、仁美の話は笑い事ではなかった。

 

(美樹さやかの方が事故に遭ったのは、そういう事だったのね……)

 

 今回の世界線に対する疑問が一つ解消された。

 内心納得しているほむらに、仁美は言葉を続ける。

 

「……謝って許される事ではありませんわね。

 わたくしの醜い心が、あの悲劇を起こしたことに変わりはありませんもの」

 

 仁美は深い溜息を吐くと、再び自殺しかねないほど気落ちした様子で言った。

 

「まどかさんについても同じです。

 退院したさやかさんに直接謝る勇気がなくて、さやかさんの事をお願いしてしまいました。

 その後はご存知の通り、お二人とも行方知れずになっています。

 もしもあの時、わたくしが逃げずにさやかさんと向き合えていれば、こんな事にはならなかったんじゃないかって……」

 

 仁美の知る<暁美ほむら>は、つい最近まで心臓の病気で入院しており、文武両道で何事にも隙のない少女だった。

 転校早々クラスメイトの失踪が重なり、仁美は彼女に対して罪悪感のような物を持っていた。

 

「転校生のあなたにこんな話をしてもご迷惑でしょうが……わたくしの知る限りの情報を教えるのが筋だと思いましたの」

 

 命の恩人に対して何も話さないというのは、仁美には不義理に思えたのだろう。

 

 転校してきたばかりで不安もあるはずだ。

 それなのに転校早々クラスメイトが失踪したり、事件が起きたり、その挙句に自身の事で面倒を掛けたとなれば、事情を包み隠さず告げた方が誠意ある対応だと仁美は思ったのだ。

 

「命を助けてもらったお礼には、とてもなりませんが」

「……いえ、そんな事はないわ。私も気にならなかったと言えば嘘になるもの」

 

 さらりと無関心を装うが、仁美の情報は正にほむらが欲していた物だった。

 嘘ばかりが上手くなっていく自分を、ほむらはどこか他人事のように見ていた。

 

(今回の事件、鍵になるのは『美樹さやか』かしら?)

 

 それは勘だった。

 ほむらには<美樹さやか>がこの事件の中心にいるように思えた。

 

 言葉では説明できない、ほむらの直感が導き出した答え。

 それに従い、ほむらは彼女に関係する場所をもう一度洗ってみる事に決めた。

 

 その他にも、仁美に【魔女の口付け】をした魔女の討伐もしなければならないので、あまり時間の余裕はなかった。

 

 話しているうちに、仁美もどうにか落ち着いてきた様子だ。

 なのでこのまま別れても大丈夫だろうとほむらは判断する。

 

「それじゃあ危ない真似はもうしないで、気を付けて帰りなさい」

「ええ……暁美さんも、お気を付けて」

 

 仁美はほむらの言葉に何か言いたげな様子を見せたが、結局そのまま大人しく別れた。

 その背を見送ると、ほむらは仁美とは反対方向へ足を向ける。

 

 

 

 ――それが<志筑仁美>を見た、最後の姿となった。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 暁美ほむらと別れた仁美は、一人で夜道を歩いていた。

 彼女の忠告に従い、今日はこのまま素直に帰るつもりだ。

 

 親友達の捜索を諦めるつもりはないが、流石に自身が訳もわからず自殺未遂をしたとあっては、そうも言っていられない。

 

(暁美ほむらさん……不思議な方でしたわね)

 

 転校初日から、ミステリアスな人だとは思っていた。

 

 同い年のはずなのに、周りの生徒達よりもずっと大人びた少女だった。

 よく大人っぽいと言われる仁美と比べても、ほむらの方がずっと年上のように思えてしまう。

 

(それにしてもどうしてわたくし、あんな真似を……さやかさんの事、自分でも気づかぬうちにそこまで思い詰めていたのでしょうか?)

 

 さやか達の件で気に病んでいた自覚はあったが、無意識に自殺を図るほどとは想像もしていなかった。

 あるいは、自身の深層心理に溜め込んだストレスが衝動的な自殺を引き起こしてしまったのだろうか。

 それらしい理屈を考えてみても、仁美にはどうにも納得できなかった。

 

 そんな風に考え事をしながら歩いていると、仁美はふと、見覚えのある人物とすれ違った。

 思わず振り返って確かめると、それは現在失踪中であるはずの親友――<美樹さやか>その人だった。

 

「さ、さやかさん!?」

「ん? ああ……仁美、かな? 奇遇だね、こんなとこでさ」

 

 さやかは気軽な調子で仁美へと振り返る。

 自身の状況などまるで理解していないかのような、あまりにも軽い態度。

 そんな彼女に、仁美は思わず声を荒げた。

 

「な、何を言ってますの? さやかさん達がいなくなって、もう一週間。

 わたくし達がどれほど心配したか……っ!」

 

 安否が不明だった親友が無事だった事に安堵するものの、多大な心配を周囲に掛けた事に違いはない。

 大切な親友だからこそ、さやかの悪びれない態度に仁美は怒ったのだ。

 

 けれども、そんな仁美の想いは届かない。

 煩わしげに耳に手を当てて、さやかは顔を顰めた。

 

「……うるさいなぁ。キィキィ喚かないでよ」

「さやかさん……何がありましたの? 雰囲気が随分と変わって……」

 

 本当に彼女は、仁美の知る<美樹さやか>なのだろうか?

 不審に思う仁美に向かって、さやかは状況に不釣り合いな笑みを浮かべた。 

 

「ねぇ仁美。あたし達ってさ、親友だよね?」

「え、ええ……わたくしは、そう思っております」

「じゃあさ、親友のあたしからお願いがあるんだけど――」

 

 さやかの口角が更に吊り上がる。

 それはとても残酷で、同じ生き物に向けられる物とは思えないほど残虐な。

 

 

 

「ちょっと死んでくれない?」

 

 

 

 ――殺意だった。

 

「…………え?」

 

 仁美には、その言葉がすぐには理解できなかった。

 音の連なりが、耳朶を震わす音階が、異界の言語の様に素通りしてしまう。

 

 何の脈絡もなく、今日の晩御飯を聞くような気軽さで。

 美樹さやかは仁美(親友)の死を望んでいた。

 

「今さ、怪我した沙紀に栄養のあるもの食べさせてあげたくてね。肉塊(あんた)達が溜め込んでいる果実が一番おいしいから、適当な獲物を探してたんだ。

 ほんとに丁度良い所に来てくれたよね。流石はあたしの親友様だ」

 

 つらつらとさやかは饒舌に語る

 それは独り言の様な、他者の理解を求めない一方的な呟きだった。

 

 同じ言語を話しているはずなのに、全く意味がわからない。

 まるで異界の言葉を聞かされているみたいだった。

 

 嘲るように、酷薄な笑みをさやかは貼り付けている。

 けれどもその目はどこまでも醒めていて、間抜けな獲物を観察するような、捕食者の眼差しをしていた。

 

「な、なにを……何を言ってますの!?」

 

 仁美の知るさやかとは、最早別人ともいえる様子に恐怖を感じる。

 逃げようと、仁美は本能的に後ずさった。

 だがそれすらも叶わず、不意にバランスを大きく崩して転倒してしまう。

 

 尻餅をついた仁美の目に、切り落とされた自身の左足、その断面が視界に飛び込んだ。

 

「――――ッ!!」

 

 仁美は絶叫した。

 痛みで目の前が真っ白になり、喉が張り裂けるほど叫んだ。

 けれども仁美の喉は空気を震わせず、ただ無音だけが夜道を空しく滑っていく。

 

 静寂が支配する中、さやかの狂気染みた嘲笑だけが響き渡った。

 

「あはは! いくら叫んでも無駄だよ!

 肉塊共(あんたら)の悲鳴ってすっごい耳障りだからさ、魔法でちょっと静かにして貰ってんの。

 だからいくら仲間を呼ぼうとしても無意味ってわけ!」

 

 彼女が何を言ってるのか全くわからない。

 話が致命的に噛み合わない。見ている世界が違う。

 

 見ればいつの間にかさやかの格好も変わっており、闇夜から這い出た様な漆黒の衣装に変わっていた。

 その手に持つ非現実的な剣の輝きだけが、やけに眩しく仁美の目に映った。

 

 悪夢のような別世界から突如現れた殺人鬼は、逃げ足を失った哀れな獲物を丁寧に解体していく。

 抵抗も、嘆きも、何もかもが無駄な行為であると嘲笑いながら。

 

 

 ――わたくし、さやかさんに謝りたくて。

 

 

 仁美の断片的な思考は過剰な痛みによって呆気なく忘却の彼方へと塗り潰され……やがて何も感じなくなった。

 

 志筑仁美は、美樹さやかによって生きたまま解体された。

 断末魔の悲鳴すら、謝罪の言葉すら、許されずに。

 

「……早く沙紀に食べさせてあげたいなぁ」

 

 自身の帰りを待つ愛しい少女の姿を思い浮かべ、さやかは嬉しそうに微笑む。

 その手に仁美の赤黒い■■を掴みながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Q.作者は、仁美の事が嫌いなのかい?
A.(嫌いじゃ)ないです。
 特に悪い子じゃないと思います。
 ただ致命的にタイミングが悪い子だとは思ってます(白目)


 これからエンディングに向けて物語は加速していきます(なお亀更新) 

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