水底の恋唄   作:鎌井太刀

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第十三話 あたしは、狂ってなんかない

◇◆◇◆◇

 

 

 <志筑仁美>を名乗っていた肉塊の化け物を捌く。

 すると皮袋の中から、幾つもの鮮やかな果実達が顔を覗かせた。

 

 果実は全て透明感のあるゼリー状の物体だった。

 色や形がそれぞれ僅かに異なっており、さやかは宝箱を開けた時の様な高揚感を覚える。

 

「あはっ、こりゃ大漁だねっ」

 

 さやかは弾んだ声をあげた。

 <狩り>の戦利品を前にして、顔が思わず綻んでしまう。

 

 仕留めた狩人の特権とばかりに、さやかは中から一つだけ、バナナの様な細長い果実を選んで口にする。

 果実の薄皮がプチンと弾け、爽やかな味わいが口腔内一杯に広がっていく。

 

(うん、やっぱり取れたてが一番おいしいよね。

 早く持って帰って、沙紀にも食べさせてあげなきゃ)

 

 食材は鮮度が命だとよく聞くが、実際口にしてみると大いに納得する。

 更に言えば自らの手で狩った獲物の味は、また格別に違った味わいがあるように思える。

  

 あんなにも鼻が曲がりそうだった肉塊の臭気も、開きにして中身を晒してしまえば、殆ど気にならなくなった。

 それどころか瑞々しい果実に滴る甘露は芳醇な香りで、狩りで昂ったさやかの気持ちを落ち着かせてくれる。

 

(まぁ、ちょっと思う所もあるけど……美味しいは正義だよ)

 

 あれほど吐き気を催す肉塊から獲れる事に関しては、自然の摂理として仕方のない事だと目を瞑る事にした。

 どんなに肉塊の見た目がグロかろうが、そこから手に入る果実が美味しければ『食材』として価値があるのだから。

 

 命を糧にするという事は、綺麗事ばかりではいられない。 

 他の命を犠牲に自らの体を作り、熱量を得て一個の生命として活動する。

 

 連綿と循環し続ける生命の法則。

 そこに善悪が介入する余地はなく、ましてや美醜すらも意味がない。

 さやかは肉塊共への憎悪を一時だけ忘れ、今だけは真摯に食材として感謝の祈りを捧げた。

 

(キチンと処理してやれば美味しくなるんだから、食べ物って不思議だよね)

 

 肉塊から捌き終わった戦利品達は、全て魔法のマントの中へと収納していく。

 純白のマントのどこに入っているのか、さやか自身にもさっぱり分からなかったが、そういう魔法なのだと深く考えるのを止めた。

 

 念のため散乱した肉片などの汚れも魔法で一掃しておく。

 さやかの目には大して変わらなかったが、仲間の死を知った肉塊がどう反応するのか不明だったので、出来るだけ解体現場の痕跡は抹消する事にしていた。

 面倒だが、後始末はきっちりするのがマナーという奴だろう。

 

(すごい便利だけど魔法って結構感覚任せっていうか、あたしもなんとなくで使ってるよね。

 沙紀みたいに細かな理論立てて使うなんて普通は無理だよ)

 

 数学の授業でも見た事がないような数式と、どこの国の文字なのかすら解読不可能な文字列を組み合わせた<魔法陣>を使って、沙紀は新しい結界を構築していた。

 その結界の中に今のさやか達の住居があり、肉塊やその上位種共の目に付かない隠れ家として機能している。

 とはいえずっとその中に引きこもっている訳にもいかないので、こうやってさやかが食料調達の為に狩りに出ていたのだが。

 

(でもほんと、契約して良かったよ。あたしなんかでも沙紀の為に戦えるんだからさ。

 ……普通の人間のままだったら、バケモノ相手に怖くて狩りなんかできなかっただろうし)

 

 魔法という強い力があるからこそ、さやかは化け物である肉塊を簡単に殺す事ができた。

 勿論肉塊の中には、上位種とも呼べる強力な個体がいる事も既に知っている。

 

 だけど希少種であるのか、さやかが殺した個体以降は運良く遭遇していなかった。

 あるいは昼間の学校にでも行けば、他の上位種の姿も確認できるのかも知れないが、わざわざ危険物に近付くほど愚かではない。

 

 魔法を使えるようになり、力を手に入れた今でも肉塊共の姿は吐き気を覚える。

 だが人間と言うのは現金な物で、それを美味しく加工できるとなれば以前よりも我慢できた。

 

 さやかはるんるん気分で新居への帰途に就く。

 今回の獲物で三日ほどは食料に困らなくなるだろう。

 

 果実を保存する為の冷蔵庫も用意してあるが、足が早そうなのであまり長期保存には向いていない。

 沙紀と二人で食べる食卓を想像すると、さやかは幸せな気持ちになれた。

 

 だがそんな小さな幸せも長くは続かなかった。

 誰もいないはずの道の真ん中で、さやかは正体不明の何者かに声を掛けられる。

 

 

 

「――やあ、はじめまして、美樹さやか」

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 路地に蔓延る泥のような腐った肉の塊には、脈動する血管が植物の蔓の様に微細に這っている。

 石くれは丸みを帯びた臓器の様な光沢を放ち、踏みしめるアスファルトはどこか生き物の皮のような不安定な弾力を返した。

 相も変わらず悪夢のような世界だったが、今宵の紅月は毒々しい紫色の雲に隠れている。

 

「……なに、あんた」

 

 さやかの目の前には、白い小動物らしき生き物がいた。

 さやかの認識している世界の中では不自然なほど、その生物は白かった。

 その輪郭は水彩画のように滲み、紅色の両目だけがその存在をはっきりと主張している。

 

「ボクの名前はキュゥべえ、今日はキミに話があって来たんだ」

「ああ……あんたが卵孵器(インキュベーター)って奴?」

 

 正体不明の存在が名乗ると、さやかは沙紀から聞いた話を思い出した。

 この宇宙の熱的死を回避するため、遥々この星へとやってきた者達の事を。 

 

「随分とボク達の事に詳しいみたいだね。まさかアレから聞いたのかい?」

「……アレ?」

「まさか、キミが知らないはずがないだろう?

 ここ最近、キミのすぐ近くにいたあのバケモノの――」

 

 言い切る前に、さやかはキュゥべえを串刺しにしていた。

 掘削音にも似た騒音を立てて、幾多もの魔法剣を瞬時に突き立てる。

 そのどれもが深々と突き立てられており、さやかの怒りの程を示していた。

 

「――あのさぁ、あんたが沙紀の何を知ってんのか知らないけど……あの子をバケモノ扱いとか、ふざけた事言ってると許さないから」

 

 既に死んでいるキュゥべえに対して間抜けな台詞かも知れないが、この程度で死ぬような存在ではない事は既に沙紀から教わっている。

 その証拠に針鼠になった個体からさやかが視線を外すと、そこには新たなキュゥべえの姿があった。

 

「あんたらがそういう生き物だってのは知ってるよ。

 でもさ、正直、これっぽっちも興味ないんだよね。……あたし達に構わないで、どっか行ってくれないかな?」

 

 規格外の魔法少女となった今のさやかでも、一人で卵孵器(彼等)を滅ぼす事は不可能だろう。

 鬱陶しいが、こちらに干渉してこないのであればそれで良いとさやかは思っていた。

 今更彼らの話に興味などないし、どうでも良かった。

 

(早く帰って、沙紀の顔を見たいのに)

 

 イライラとした表情で睨みつけるさやかを、キュゥべえは感情の窺えない瞳で見返していた。

 

「……随分な反応だね。無意味に壊されるのは勘弁して欲しいんだけど、まぁいいさ。

 ボクはね、キミに興味があるんだよ。美樹さやか」

「あたしの方はないよ」

 

 きっぱりと即答する。

 得体の知れない存在に興味を持たれても、全く嬉しくなかった。

 

 無視して帰ろうかとも思ったが、このまま去ればさやか達の拠点まで付いて来かねない。 

 どう対処するべきか思案していると、突如さやかの目に映るキュゥべえの姿に変化が起こった。

 

 滲んでいた輪郭が徐々に形を持ち始め、それまでのモザイクアートの様な姿から一変し、本来の姿であろう白猫を思わせる姿へと変わっていた。

 さやかの驚きを察したのか、キュゥべえは訳知り顔で頷く。

 

「……なるほどね。キミにとってアレがどんな姿に見えているのか、大凡の検討は付いたよ。

 キミに合わせて少しばかり調整してみたんだけど、やっぱりね。

 ねぇ、美樹さやか――キミは、元の世界に帰りたくはないのかい?

 家族も、友人も、何もかもが滅茶苦茶に見えているんだろう?

 ボクなら、それを元に戻してあげられるよ」

「…………へぇ」

 

 得意気に語る卵孵器の戯言を、さやかは鼻で笑い飛ばした。

 奇跡を対価に魂を奪う、実に悪魔らしい提案だ。

 とはいえそれすらも、さやかにとっては今更過ぎる話だ。

 

「それがあんたらの<奇跡>って奴? 生憎だけどあたしの奇跡は、もうその使い道を決めたんだ。だから、あんた達にとって都合の良い駒にはならないよ」

 

 心の底から願った時に、さやかの身に奇跡は起こらなかった。

 天使(沙紀)と出会わなければ、さやかはとうに自殺していただろう。

 そんなさやかの心の裡などお構いなしに、キュゥべえは語る。

 

「……キミも本当は気づいているんだろう?

 全てが狂った世界で正常に見えるモノがあるとすれば、それこそが最大の異常だってことを」

 

 さやかにとっては、世界の全てが臓物色に腐って見える。

 ならばその世界の中で、唯一美しく見える少女とは一体何者なのか。

 

「あれは、キミが思っているような善性の生き物なんかじゃない。

 いわばこの星を滅ぼす邪悪そのもの。

 ボク達とは真逆の存在――外宇宙からの侵略者だ」

 

 卵孵器(incubator)は、沙紀の事を侵略者(invader)だと断言する。

 

「……」

「もしかして、信じてないのかい?」

「……どうでもいいよ、あんたの言葉なんか。あたしの中にこれっぽっちも響いてこない。

 たとえあんたの言ってることが全て本当だったとしてもさ――何も変わらないよ」

 

 仮にあの肉塊の正体が正真正銘、さやかの知っている<人間>その物だったとしても。

 それはつまり、さやかがこの手で人間を――かつての友人を殺していたのだとしても。

 

 さやかの感じる世界が全てであり、沙紀が救ってくれた事実は不変だ。

 

「変わらないよ。あたしにとって大切な事は何一つね。

 沙紀がこの世界を滅ぼす侵略者だっていうなら、手伝ってもいいくらいだよ」

 

 この地獄の様な世界を壊してくれるなら、それはさやかにとって正しく救世主と呼ぶべき存在なのだから。

 

 かつてあった温かな景色。光溢れる思い出の場所。

 真の絶望も、地獄の在り処も知らなかった、今よりほんの少しだけ幼かった頃の自分。

 

 かつてはあんなにも戻りたかった世界なのに。

 今ではそれも、うまく思い出せなくなっていた。

 

「沙紀の隣こそが、あたしの生きる場所なんだ。

 それを奪おうとする奴は、あたしが許さない」

 

 たとえ不滅の存在だとしても、殺し尽くしてみせる。

 そんな殺意と共に魔剣を突き付けるさやかに、キュゥべえは絶句したような呟きを漏らした。

 

「…………美樹さやか、キミは狂っている。マトモじゃない」

「じゃあさ、まともなイキモノってなにさ?」

 

 結局、正しさや常識なんて物は多数決の結果でしかない。

 そこからはみ出た存在が異端者としての烙印を押される。

 

 人が人として社会を生きていくための規範。

 だがこんな地獄の様な世界で、ゾンビのような体になってまで、そんなモノを問われても今更過ぎる話だ。

 

 何が正しくて、何が間違っているとか。

 そんな迷いは既に摩耗してどうでも良くなってしまっている。

 

 今のさやかにとって、沙紀の存在こそが真理そのものだ。

 彼女の笑顔こそが至宝であり、彼女の幸せこそが唯一絶対の正義。

 

 だからたとえ、肉塊の正体が本当に人間だったとしても。

 肉塊の中から取り出して果実の正体が■■だったとしても。

 人として、さやかが許されない大罪を犯しているのだとしても。

 

 沙紀の正体が、人間じゃなかったとしても。

 それでもあえて言ってやろう。

 

 

「――あたしは、狂ってなんかない」

 

 

 沙紀の存在が、さやかの正気を証明してくれる。

 もしもそれこそが狂気であると言うのであれば。

 

「たとえあたしが狂ってたとしても、別にどうでもいいよ。

 ……あんたみたいな奴に、あたし達の事をこれっぽっちも理解して欲しくなんかないからさ。

 狂ってる? 理解できない?

 理解する気もないくせに、自分だけがまともだって顔しないでよ」

 

 たとえ、さやかが狂っているのだとしても。

 この沙紀を大切に想う気持ちは、誰にも否定させはしない。

 

 沙紀の存在がこの世界の悪であるのなら、さやかもその隣まで堕ちていこう。

 どこまでも深き海の底の様に、二人だけの静寂と平穏があるのなら。

 

 そこがどんな地獄だって、さやかは構わなかった。

 

「あんたにあの子は触れさせないよ。卵孵器(インキュベーター)」 

 

 そう言い捨てると、これ以上語る言葉もないとさやかはマントを翻す。

 後には水溜まりだけを残して、美樹さやかはその場から姿を消したのだった。 

 

 

 

 

 さやかの行使した魔法が<転移魔法>の一種であると見当を付けたキュゥべえは、追いかける素振りも見せずにその場で独白する。

 

「まったく不条理極まりない。

 彼女にとってそれは何らメリットのない、リスクばかりの選択のはずだ。

 まさか本当にアレに対して<恋愛感情>という物を持っているとはね」

 

 感情を理解できない生物である卵孵器(インキュベーター)にとって、恋愛とは単なる生殖活動の一環でしかない。

 その為に母体となる種全体を危険に晒す行為ともなれば、統一意思の制御下にある彼等にとっては単なるバグか、悪性のウィルスとしか思えなかった。

 

 それに彼等の事前の予想とは異なり、アレによって精神干渉を受けた痕跡が全くなかった。

 つまりあれは、驚くべきことに正真正銘彼女自身の意思によるものという事だ。

 

「……本当に()()は、わけがわからないよ」

 

 皮肉な事に卵孵器だけが、さやかが未だ人間である事を保証する。

 幾多もの魔法少女達を破滅に追いやった原因の一つは、そんな恋愛感情(理解できない物)なのだから。

 

 人類に対して過度の干渉を禁じられている彼等にとって、後はこの結末を見届けるしかなかった。

 残り時間も少なく、解決に動いている魔法少女もほんの僅か。

 

「終わりの時は近いね」

 

 願わくば、彼女達が食い止めてくれることを。

 奇跡を叶える存在であるはずの卵孵器は祈っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


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