◇◆◇◆◇
見滝原市は再開発が進んでおり、新しい街並みを外れると未だに古い建物が姿を見せる。
取り壊される予定のビルや空き家となっている場所も多く、新しい姿へ生まれ変わる為の一時的な歪みが点在していた。
そんな空白地帯の一つに、さやか達の新居はある。
そこはかつて工場だった施設の跡地であり、肉塊共も滅多に近寄らない場所だった。
沙紀によると「結構強い臭いが染みついてるから、それが理由じゃないかな?」との事だったが、さやかには全く気にならなかった。
むしろ快適なほどだが、それが肉塊除けになっているのであれば好都合だろう。
卵孵器との邂逅の後、転移したさやかは念のために魔法で追跡者がいない事を確認してから、工場内の一室へと入っていく。
屋内は殆どの資材が撤去されガランとしており、四隅に蜘蛛の巣の様な粘性の筋が張っている事以外は特に何もない空間だった。
さやかは壁の一面に向けて、自らのソウルジェムを翳す。
すると魔法陣が浮かび上がり、それまで何もなかった場所に『門』が開いた。
現れたそれこそが本当の新居への入口だ。
さやかは躊躇う事なく、現れた門の中を潜り抜けていく。
一瞬の暗闇。
その先には光が溢れていた。
さやかの目の前に、あたかも天国のような景色が現れる。
結界内とはいえ空には青空が広がっており、辺り一面には色取り取りの花々が咲き誇っていた。
頬には柔らかな風すらも感じ取れる。
この場所へ帰ってくる度に、さやかは感嘆の溜息を吐いてしまう。
まるで元の世界へと戻って来たかのような。
あるいはそれ以上に綺麗で、とても居心地の良い空間だった。
(……やっぱり、沙紀は凄い)
ここは沙紀が構築した結界の中だ。
花畑の中には<魔女>と呼ばれる者達の姿もある。
本来ならば、さやかのような『魔法少女』にとっては相容れない存在のはずだ。
けれども今では沙紀によって改造を施され、この箱庭を守る門番と化していた。
顔の欠けた案山子や不細工な人形など、気持ち悪さよりも若干面白さが勝るようなコミカルな姿のものが多い。
(沙紀から聞いた<魔女>って、もっと怖いものだと思ってたけど……意外とそうでもないよね?)
巨大な花から蝶の群れが飛び立ち、さやかの周りをヒラヒラと戯れる。
これも花の部分が魔女本体で、群れる蝶がその眷属である<使い魔>と呼ばれる存在だ。
彼女達がさやかに襲い掛かってくる事はないが、もしもの時は箱庭の番人として侵入者を撃退するらしい。
こうした魔女達は沙紀がいつの間に連れてきたのか、気が付けば新たな住人として増えていった。
段々と賑やかになっていく花畑の様相に、さやかはどこか面白味を感じていた。
何かの育成ゲームを隣で眺めている様な楽しさがある。
青空の下に広がる鮮やかな花畑。
そこに住まう奇妙な姿の住人達。
まるで不思議の国に迷い込んでしまったかのようだ。
さやかは童話の主人公になったかの様な気持ちになり、軽い足取りのまま箱庭の中を進んでいく。
しばらく歩くと、楽園の奥に一軒の小さな家が建っているのが目に入る。
それはお菓子の家を思わせるパステルカラーの外観をしていた。
その絵本に登場するような建物こそ、さやかと沙紀、二人の為だけの小さなお城だった。
「ただいまー、今帰ったよー!」
温かみを感じさせるドアを開けると、さやかは帰宅の報を告げる。
するとすぐに沙紀がひょっこりと姿を見せ、満面の笑顔でさやかを出迎えてくれた。
「おかえりっ、さやか!」
沙紀は頭の癖毛を跳ねるように揺らしながら、怪我もすっかり良くなった様子で勢いよく飛び付いてくる。
そんな彼女を、さやかは愛おしそうにしっかりと抱き止めた。
「ただいま、沙紀。こっちは何も問題なかった?」
「うん、大丈夫だったよ! この辺りも大分落ち着いてきたから、もうよっぽどの事がなければ問題なんて起こらないよ」
沙紀の無事を確認したさやかは、ほっと肩の力を抜いた。
こうして沙紀の無事を直に感じ取る事で、ようやく凝り固まっていた不安も溶けていく。
特にさやかにとっては、先程<卵孵器>の干渉があったばかりだ。
沙紀の身に何か良くない事が起こっているのではないかと、気が気ではなかったのだ。
何も問題が起きていない事を確認したさやかは、早速魔法で収納していた戦利品を披露する事にした。
「はいこれ、沙紀にお土産だよ」
「わぁ! たくさん獲ってきたんだね! 怪我とかは大丈夫だった?」
「あははっ、ヨユーだったよ。今回は丁度良いのがいたから、かなり楽勝だったね」
心配する沙紀に大丈夫だと告げる。
実際、今回の<狩り>は卵孵器との邂逅を除けば、特に大きなトラブルもなかった。
以前沙紀を傷付けた上位種を殺害した時は、沙紀の怪我を治す事ばかり考えていたせいで後始末がかなりおざなりだった。
食べられそうな果実は大まかに回収していたが、細かな物はそのままにしてしまっていた。
そのせいか、街中を行きかう肉塊共の様子もどこか警戒している様に思える。
曲がりなりにも連中にそれなりの知性があるのならば、さやかが狩りを続ければ続けるほど、今後警戒は高まっていく一方だろう。
「わたしも手伝えたら良かったんだけど……」
「沙紀が留守を守ってくれるから、あたしも安心して出かけられるんだよ。
そもそも沙紀がいなかったら、こんな素敵な場所にも住めなかったんだし」
ここまで快適な生活空間は、外の世界じゃありえないだろう。
門番代わりの魔女達がいなければ、沙紀の傍を離れる事すら難しかった。
そうなれば今みたいな狩りも出来ずに、沙紀にひもじい思いをさせてしまったかも知れない。
そう考えれば、やはり今の平穏は沙紀の功績が大きく思えた。
「……うん! それじゃさやかの為に美味しい料理作るから、ちょっと待っててね!」
戦利品を冷蔵庫に粗方仕舞い終えると、早速獲れたての食材を使って沙紀が調理を始める。
果実の目利きに関しては、沙紀には到底敵わない。
さやかの目にはどれも同じように見えてしまうそれを、沙紀はそれぞれ最適な調理法で料理してくれていた。
素のままだと爽やかな甘さしか感じられない果実達だが、沙紀の手に掛かれば実に多彩な味覚へと変化する。
勿論どれもが美味しく、かつての様な生ゴミとは比べる方が失礼な出来栄えだ。
沙紀は機嫌良さそうに鼻歌を歌いながら手際良く調理していく。
その陽気な旋律に耳を傾け、さやかは沙紀の後姿を飽きる事無く眺めていた。
元々娯楽らしい娯楽を失っていたさやかにとって、沙紀の観察は新たな趣味と言っても良かった。
元の世界にあった娯楽――例えるならテレビや音楽、無数の書籍など。
それらは今のさやかにとって、無価値なゴミでしかなくなっている。
好き好んで画面越しに肉塊を観察するほど酔狂じゃないし、耳が痛くなる様な雑音を聞く趣味もなく、正気を削ってまで異界の言語を翻訳する価値もない。
さやかにとって意味や価値のある行いとは、全て沙紀に関する行為に帰結した。
沙紀の作った料理を食べ、沙紀の綺麗な歌声を聞き、沙紀と触れ合う事以上の幸せをさやかは知らない。
数多くの娯楽を失ったが、今のさやかに退屈や不幸とは無縁だった。
沙紀さえいれば、この箱庭で永遠に暮らすことも可能だろう。
一先ず満足するまで沙紀の事を眺めたさやかは、沙紀の料理が出来上がるまで一度席を離れる事にした。
(まどかにも顔を見せないとね)
元気になったかな、とさやかは別室で休んでいる<親友>の元へと向かう。
◇◆◇◆◇
さやか達の新居は二階建てであり、まどかの個室はその奥の方に用意されていた。
これまでの癖でノックをしてから部屋に入ると、親友に似合うピンク色の多い女の子らしい内装が目に入った。
「ただいま、まどか」
「……う……ぁ……ぅ」
吐息に混じるような微かな呻き声を上げ、まどかの瞳はさやかを真っ直ぐに見つめていた。
さやかは不安そうな顔を浮かべているまどかの頭を優しく撫でる。
するとほんの少しだけ、まどかは心地良さそうに目を細めた。
少し前までは落ち着かない様子だったが、今では大分容体も安定している。
手足も少しづつ動かせるようになっているし、瞳に感じるまどかの意識も段々と明瞭になっている気がする。
言葉の方はまだうまく操れないようだが、焦る事はないとさやかは親友の回復を見守っていた。
「ここにいれば、誰もあんたを傷付けない。あたしがずっと守ってあげられるよ」
沙紀と一緒にね、とさやかは照れ臭そうにはにかんだ。
最近ではまどかの世話は、食事なども全て沙紀に任せっきりだ。
今のまどかの状態について一番詳しいのも沙紀であり、さやかが手伝える事は少ない。
狩りで外に出掛ける以上、あまり構ってあげる事も出来ていなかった。
今のまどかにさやか達と同じ食事は良くないとの事だったので、今では別のメニューを与えている。
そのため最近では、まどかと食卓を共にする機会も減っていた。
それが少し寂しく。けれどまどかに悪いとは思いつつも、沙紀と二人きりの状況を喜んでいる自分もいた。
その埋め合わせというわけではないが、こうして暇が出来れば顔を会わせ、声を掛けるようにしている。
さやかの話す内容は、もっぱら沙紀の事だった。
傍からは単なる惚気話にしか聞こえないだろう。
沙紀がどんなに可愛いか、優しいか、面白い話をしたのか、その凄さを、その美しさを、さやかは親友に嬉しそうに語りかけた。
大好きな少女の事を、大切な親友に話せる。
それはどこまでも温かく、胸が幸福感で一杯になる至福の一時だった。
さやかが心行くまで語り終えると、丁度良く階下の沙紀から食事の用意が出来た事を告げられる。
「それじゃまた後でね、まどか。
早く元気になって、また一緒に遊んだりしよう?
あたし、楽しみに待ってるから」
そう言い残し、さやかは親友の部屋を後にした。
「ぁ……か……ゃ……ん、……ぉ……ぃ、て……」
部屋に一人、取り残されたまどか。
人形のようなその瞳からは、一筋の涙が零れ落ちていた。
◇◆◇◆◇
夕食を終えると二人で簡単なゲームをしたり、沙紀からお話を聞いたりした。
沙紀の話す内容は豊富で、旅の出来事だったり、様々な物語を教えてくれた。
そんな楽しい時間はあっという間に過ぎると、二人は適当な所で切り上げて、一緒に入浴へと向かう。
そこは深い森の香りに包まれたかのような、一面緑色の入浴場だった。
大きさはそれほど広くはない。二人で一緒に入れば触れ合うくらいの大きさだ。
それで十分だったし、これ以上広くてもあまり意味はないだろう。
湯船の中で、沙紀の体温を感じる。
さやかの腕の中に、沙紀は抱えられるように収まっていた。
沙紀の綺麗な体に、あの時の怪我の後遺症は見られない。
その事がさやかには何よりも嬉しかった。
治癒の魔法が使えて、沙紀に傷跡を残さずに済んだ事が誇らしく思える。
「きゃっ、もう、くすぐったいよ~!」
「あ、ごめんごめん。相変わらず沙紀のお肌ってばスベスベだからさ、気持ち良くてつい撫でちゃうんだよね」
「……もう、さやかのえっち」
無意識に撫でていた手を沙紀に摘ままれる。
上気した沙紀の頬が桜色に染まっていた。
はしゃいで、戯れて、湯船の温かさに全身の力を抜く。
肌と肌の触れ合った部分から、じんわりとお湯とは違う沙紀の熱を感じ取る。
反響する浴室に水の音だけが穏やかに耳朶を震わせる。
いつしか二人の間には沈黙が降りていた。
それは決して苦痛ではなく、とても満たされた静寂だった。
その平穏に紛れるように、さやかはぽつりと切り出した。
今思い出した、取るに足らない出来事とばかりに。
「実はさ、狩りの帰りに
「……………………何か、言われたの?」
振り返った沙紀が、さやかの顔を見上げる。
その瞳は不安に揺れていた。
そんな沙紀を安心させるように、さやかは微笑んだ。
「くだらない事は沢山聞いたけど、あたしを『元に戻してやる』って持ち掛けられたよ。
あいつにどんな意図があるのかよく分からないけど、多分そうする事で、あいつ等の利になる提案だったんだろうね」
まぁ結局断ってやったけどさ、とさやかは誇らしげに笑う。
「さやかは……さやかはそれで、良かったの?」
切なげな、どこか弱々しい調子で沙紀は問い掛ける。
沙紀には葛藤があった。
それはさやかの症状を知った時から、密かに確信していたこと。
(――わたしなら、さやかを治せる。元の世界に返してあげられる)
さやかの症状を治せるのは、恐らく『卵孵器の奇跡』を除けば、地球上で沙紀だけだろう。
<沙紀の父親>という身近な症例もあったし、多少違いがあるとはいえ沙紀の能力を以てすれば誤差の範囲内だ。
それでも今の今まで言い出せなかった。
期待がなかったと言えば嘘になる。
(だってさやかは、沙紀にとってようやく出会えた王子様なんだもん)
もしもさやかじゃなければ、こんなにも悩まなかったのだろうか。
沙紀の為に、その身を賭して守ってくれるような人じゃなかったら。
綺麗だって言ってくれなかったら。
抱き締めてくれなかったら。
優しくしてくれなければ。
――さやかじゃなければ、きっとここまで好きにはならなかった。
適当な所で治療してお別れするのも、きっと簡単だった。
(さやかは……人間の世界で生きた方が、幸せなの?)
わからない。
わからないことが、こんなにも怖い。
沙紀はずっと一人だった。
故郷には沢山の姉妹達がいたが、沙紀のような特殊な個体は他にいなかった。
父は優しかったが、その優しさは姉妹全員に向けられており、沙紀一人の物ではなかった。
両親の愛を疑った事はない。
けれども心に感じる寂しさは埋められなかった。
だから沙紀は、旅に出たのだ。
父から聞いた恋物語を道標に、いつしか自分だけを愛してくれる誰かを見つけに。
その果てに、沙紀はさやかと出会えた。
(……さやかには、幸せになって欲しい)
沙紀は心の底から思う。
自身の事よりも、種の宿命よりも、いつしかさやかの幸せの方が大切になっていた。
(だってさやかには、笑顔の方が似合うから)
それでも怖い。
踏み出すことが、死よりも恐ろしい。
今ある沙紀の幸せ――さやかを、その全てを失うかも知れない。
沙紀の傍から、さやかがいなくなる。
また一人ぼっちになってしまう。
そう考えるだけで、沙紀は狂いそうになる。
さやかがくれた幸せを知ってしまった以上、もう一人だったあの頃には戻れない。
さやかが元の世界へ戻り、一人取り残されてしまえば、恐らく沙紀の命もあっさりと潰える。そんな確信が沙紀にはあった。
(それでも、わたしは……沙紀は……!)
――
大好きな人を裏切るくらいなら……そんな出来損ないなど、ここで潰えた方がマシだ。
覚悟の込められた瞳で、沙紀は真っ直ぐにさやかを見つめる。
「ねぇ、さやか。さやかが本当に望むなら、わたしは――」
その言葉の先を、さやかはそっと塞いだ。
驚きで目を丸くする沙紀に、さやかは穏やかな顔で微笑む。
それは真実、幸せに満ち足りた者の笑顔だった。
「……ねぇ沙紀。あたしね、全然後悔してないんだ」
かつてのさやかにとって、これは呪いだった。
見る物触れる物、感じられる物全てが不快で、世界が臓物塗れの地獄にしか思えなかった。
――だけど。
「沙紀と出会うために必要な
――これはきっと、祝福だ。
この呪いがあったからこそ、さやかは沙紀と出会えた。
たとえ元の世界に戻れたとしても、そこに沙紀がいないのであれば意味がない。
「あたしはね、沙紀が傍にいるだけで十分幸せなんだよ?」
事故に遭った事。
後遺症で周りの全てが地獄に見えた事。
その中で、一人の天使と出会った事も。
きっと一連の出来事全てに、意味があったのだ。
もしも運命というものがあるとすれば。
それはきっと、沙紀と出会い、結ばれる為に紡がれていた。
「例え沙紀の正体が何だったとしても、あたしはそんな沙紀に救われたんだ。
沙紀の可愛い所も、優しい所も、今のあたしはみんな知ってる。
そんな沙紀の良い所が、事故で狂ったあたしにしか分からないなら……あたしの
五感が狂ったお蔭で、さやかは沙紀の美しい心に触れられた。
孤独な旅を続ける少女を、唯一人、さやかだけが見つけられたのだ。
だから沙紀の正体が■■だったとしても、構わない。
その美しさに触れ、その優しい心を知ったのだから。
「沙紀はやっぱり、あたしの天使だよ。
沙紀を拒絶する世界なんてどうでもいいし、そんな場所になんかもう戻りたくない。
沙紀のいる世界があたしの生きる場所なんだ」
きっと事故に遭わなければ、さやかはそれを理解できなかっただろう。
認識が狂い、地獄に落ちて初めて本当の<沙紀>と出会えた。
だからこれは、呪いではなく祝福。
沙紀と出会い愛を知る為の
「さやか……さやかぁっ!」
「――大好きだよ、沙紀」
感極まって涙を流す沙紀の頬に、さやかは唇を落とした。
誰にも邪魔される事のない聖域の中で、二人は互いの温もりを確かめ合う。
いつしかそれは溶けて交わるように、一つの形へと重なった。
◇◆◇◆◇
証をここに。
星辰の輝きを。
因果の結実を。
約束の刻まで、あと少し。
さあ、
――『抹消された■■■■の聖歌』
〇あとがき
Q.最後辺りのあれって絶対セッ(ry
A.さやかちゃんの遺伝子情報ゲット(意味深)。
元ネタエロゲ―だからね、幕引きに向けて避けては通れません(白目)。
でもこの小説は健全(グロ)です。
Q. 沙紀の正体ってやっぱりショ〇スなのん?
A. 似て非なるナニカです(発狂)。
原作『沙耶の唄』でもそうですが、クトゥルフ的な〇ョゴスとは違う能力を持ってたりします。
特に沙紀は変異種ともいえる■■■であり、通常個体より一部の性能が特化している設定です。