◇◆◇◆◇
探し求めた少女の姿は未だに見えず。
暁美ほむらは街中を延々と彷徨い続けていた。
見滝原市はそれなりに大きな街だとはいえ、こうも手掛かりが掴めないままだと途方に暮れてしまう。
ほむらはそっと溜息を吐いた。
(……なかなか上手くいかないものね)
焦りばかりが胸に募るものの、それで事態が好転するはずもない。
唯一の成果らしきものは、もう一人の同行者くらいなものだ。
ほむらが振り返るとそこには、赤毛の少女がどこか不貞腐れたように歩いていた。
「……ったく、紛らわしい真似しやがって。違うなら違うって早く言えってんだ」
「いきなり襲い掛かって来た人の言う事じゃないわね」
ほむらがジトっとした目を向けると、少女はバツが悪そうに視線を逸らした。
彼女――<佐倉杏子>と邂逅したのは、つい先ほどの事だった。
捜索を行っていたほむらの前に、彼女は何の前触れもなく現れた。
『――この街のイレギュラーってのはあんたか?』
突然の問いかけに、ほむらはつい『……だとしたら?』と曖昧な態度を取ってしまった。
これまでの時間軸で卵孵器から散々<イレギュラー>扱いされてきたほむらは、杏子の問いに心当たりが有り過ぎた。
だがその結果引き起こされた反応は、劇的な物だった。
『ぶっ潰す!!』
問答無用とばかりに攻撃を仕掛けられる。
戸惑うほむらの心臓を目掛け、杏子は紅色の魔槍を突き放った。
『なにを――ッ!?』
ほむらはぎりぎりの所で時を止めて回避する。
時間停止の
(今の一撃……下手をすれば死んでたわね。奇襲じみた急所狙いといい、なぜだかわからないけど、今の彼女は随分と
彼女は確かに粗暴な一面もあったが、特に理由もなく襲い掛かってくる程の狂犬ではなかったはずだ。何がそんなにも彼女を駆り立てているのか。
仕方なくほむらは牽制射撃を行い、杏子の攻撃を止めようとする。
だがそれにも構わず、杏子はなおも殺意の籠った攻撃を繰り出し続けた。
ほむらの魔法を初めて見る彼女からすれば、目の前から突如消えるほむらは、まるで瞬間移動しているようにしか見えないはずだ。
普通なら驚きで手が止まる所なのだが、杏子が硬直したのはほんの一瞬だけの事だった。
『しゃらくせえ!』
ほむらの攻撃手段は銃火器や爆薬など、対人で使うには殺傷力が高過ぎて都合よく手加減できるような代物ではない。
ほむらにとって『佐倉杏子』は<ワルプルギスの夜>に対する貴重な戦力であり、この街の異常について何か事情を知っていそうな彼女を殺すわけにもいかなかった。
あるいは時を止めている隙に一旦引く事も考えたが、理由がわからないままでは根本的な解決にはならない。
(困ったわね……どうにか話し合いに持ち込めないかしら?)
ほむらが回避に専念していると、やがてキリがないと悟ったか。杏子は舌打ちと共にその手を止めた。
『……あんた、ミキとか言ったか? 妙な技を使いやがる……流石はイレギュラーって奴か』
油断なく槍を構えながら、杏子の視線は真っ直ぐにほむらを射抜いている。
その言葉で彼女が自分を誰と勘違いしているのか、ほむらはようやく気付く事ができた。
『いま、私のことを<美樹>って呼んだのかしら? ……誤解があるみたいだけど、私の名前は『暁美ほむら』よ。あなたの言うイレギュラーとはどうやら人違いみたいね』
『…………はぁあ!?』
佐倉杏子にとっての<イレギュラー>とは、本当に美樹さやかの事を指していたらしい。
戦闘が膠着状態に陥って初めて、二人はようやくお互いの勘違いに気付けた。
そのままなし崩し的に、ほむら達は互いの事情を説明し合う事になった。
佐倉杏子は巴マミを殺した美樹さやかと、彼女が守護する怪物を倒しに。
ほむらの方は、行方不明になっている鹿目まどかと、その容疑者と目される美樹さやかを同じく探している事を正直に告げた。
「……まあ、取りあえずは一時休戦って事でさ。
あんたはいなくなった『まどか』って友達を探したい。
あたしはイレギュラーの『さやか』って奴を倒したい。
お互い獲物を探し出すまで協力する。悪くない取引だと思うんだけど?」
杏子はニッと笑いながら駄菓子を差し出した。
謝罪のつもりなのだろうか。ほむらは仕方なくその『うんまい棒』を受けとる。
話し合いの結果、二人は行動を共にすることになった。
お互いに目指す場所は同じで、その目的も互いの邪魔にはならないと判断したからだ。
ほむらは杏子から、一連の出来事についての説明を受けた。
この街で起きている異変――世界を滅ぼす怪物と、その守護者となった
「……知らなかったわ」
「あん? そっちはキュゥべえの奴から聞いてねぇのか?」
「ええ、私も探してはみたのだけど、キュゥべえには会えなかったわ」
「ふーん……そりゃ、運が悪かったな」
今回の時間軸では、ほむらがいつも通りキュゥべえを駆除した事が悉く裏目に出ている。
最近では時間遡行の度にまどかの周囲一帯から排除していたので、半ばルーチンワークと化していた。
だがそのせいで今回は、ほむらも怪物の仲間と思われたのかもしれない。
卵孵器の連中からしてみれば、いきなり現れた魔法少女が問答無用で襲ってきたのだから、時期的に考えても疑うなと言う方が無理がある。
自業自得とはいえ、そのせいで情報が入手できなかったのは失敗だった。
「で、だ……その『美樹さやか』って奴と『怪物』の居所なんだが、そっちに心当たりはあるのか?」
問われ、ほむらは思案する。
既に目ぼしい心当たりは全て探しているのだが、杏子からの情報で一つ思い当たる節があった。
もしも美樹さやかが本当に『魔法少女』になっているのだとしたら。
彼女もまた必然的にグリーフシードが必要となり、魔女を狩っているはずだ。
行方不明者の線を調べてもわからなかったが、魔女の反応の少ない場所を調べれば、あるいは。
魔女の数が減っている場所こそが、彼女の活動範囲を明らかにするはずだ。
普通の魔法少女ならば見分けなど付けられないだろう。
魔女の分布に偏りがあったとしても、それが偶然なのか作為的な物なのか、基準となる元の姿を知らない以上判断する術がないのだから。
だがこれまでの時間遡行によって様々な情報を蓄積してきた今のほむらにならば、その範囲を絞ることも可能だ。
手掛かりが何もない中、それが僅かな情報であろうとも喉から手が出るほどに欲しい。
それこそが『鹿目まどか』の所在を告げる唯一の道標となるのだから。
「……ちょっと調べたい事が出来たわ。あなたも協力して貰える?」
◇◆◇◆◇
「で、ここか? ……こんな所に人が住んでるのかよ」
「可能性は高いわね」
杏子は眉を顰めて辺りを見渡した。
薄汚れた建物は廃墟と呼ぶに相応しく、鼻を摘まみたくなるような悪臭のせいか周囲に人気が全く感じられない。
あれから一度ほむらの家に向かった二人は、そこで互いの持つ情報を整理した。
するとほむらの持つ過去のデータベースから、明らかに不自然な魔女の空白地帯が浮かび上がる。
その際ほむらが持ち出した謎の統計データに、杏子は不審そうな表情を浮かべていたものの、軽く尋ねるだけで深くまで踏み込んではこなかった。
一時的な協力者ではあっても、純粋な仲間とは言い難いからか。
互いの事情には決して深入りせず、目的の為に利用し合う関係だと割り切っているのだろう。
そういう割り切りの良さがあるからこそ、ほむらは彼女の事を頼りにしていた。
ほむらの杏子への評価は高い。
その精神性は『理想的な魔法少女』と言っても良いほどに完成されている。
誰かの為ではなく自分の為に魔法を使う――その信念は単純であるが故に強く、容易には壊れない。
魔法少女として生き抜くためには、彼女のような姿勢こそが正しいのだろう。
ほむらの脳裏には、これまでの時間軸で目にした数々の悲劇が思い浮かぶ。
理想に縋っていた巴マミは、魔法少女の真実を知った途端に壊れてしまった。
正義の魔法少女になろうとした美樹さやかは、誰かを救った分だけ最後には呪いを生んだ。
そして鹿目まどか――優しすぎる彼女の最後には、いつだって救われない悲劇があった。
彼女は優しすぎて、強すぎる。
誰かの為に命を使える彼女は、いざとなれば躊躇わない。
その身を捧げても誰かを救おうとしてしまう。
そんな『優しさ』という彼女の美徳が、彼女を殺す。
かつてほむらの憧れた魔法少女は、そんな『鹿目まどか』だった。
その憧憬は今でも変わらず、胸の裡に大切にしまってある。
暁美ほむらは、佐倉杏子の事を『理想の魔法少女』だと思っている。
利己主義な彼女だからこそ、話の持っていき方にさえ注意すれば<ワルプルギスの夜>に対抗する為の強力な戦力になってくれた。
そんな物分かりの良い彼女の事が、ほむらは嫌いではなかった。
見つけた空白地帯の中心地となっていた場所はここ――廃工場の跡地だ。
元が何かの工場だったせいか、周囲に民家はなく倉庫類が並んでいる。
そのせいで街中にありながら人から隔離された異界のような雰囲気が漂っていた。
悪臭もそうだが、こんな不気味な廃墟に居付きたくなどないだろう。
それがまともな感性を持つ者であれば。
ほむらの脳裏に、さやかの家で見た赤い部屋が思い浮かぶ。
あの狂気的なまでの赤色は早々に忘れられそうになかった。
「……彼女はもう、正気じゃないのかもしれないわね」
「それって『美樹さやか』のことか?」
杏子の問いに小さく頷く。
恐らく巴マミを殺した張本人であり、卵孵器曰く『世界を滅ぼす怪物』とやらを今なお守護している狂人。
その行動から彼女が正気じゃない事は最早明白であり、今更話し合いで済むはずもないだろう。
杏子は自身の武装である魔法の槍を現出させ、その肩に担いだ。
ごきりと首を鳴らすと、横目でほむらの事を流し見る。
「一応再確認するけどさ、あんたの目的は攫われた『鹿目まどか』って奴の方なんだろ?」
「……まだ攫われたのかどうかすらわからないけど、一緒にいる可能性は高いと思うわ」
行方不明になったまどかと最後に行動していたのは、間違いなく美樹さやかだ。
彼女自身の異常性と併せて考えれば、彼女がまどかに何かをした可能性は高い。そうでなくとも何かを知っているはずだ。
ほむらの中で「美樹さやかもまた怪物による被害者なのだ」という意識は全くなかった。
直感によるものも大きいが、杏子の話もそれを裏付けている。
たとえ怪物に洗脳されているのだとしても――巴マミを殺した時点で、彼女は既に引き返せない所まで行ってしまっている。
最悪の場合、美樹さやかを殺してでもまどかを救出しなければならない。
それに考えたくもないが、もしもまどかが既に死亡しているのだとすれば、この時間軸は失敗だ。
すぐにでもやり直さなくてはならないだろう。
時間操作の魔法に必要な砂時計の砂も、もうすぐ落ち切る。
その後、砂時計を反転させてやれば『時間遡行』の魔法は発動する。
別の平行世界へと横断し、ほむらはまた初めからやり直す事になる。
(……私は、彼女が幸せになれる未来を望んでいる。
まどかのいない未来なんて、決して認めない)
鹿目まどかの生存とその幸福こそが、ほむらの祈り。
それ以外の結末など決して認めない。
そんなほむらに向かって、杏子は好戦的な笑みを浮かべた。
「なら『美樹さやか』はあたしの獲物だな。奴にはでかい借りがあるんだ、悪いがここは譲れないね」
「……ええ、あなたの好きにして構わないわ」
ほむらにとって、まどか以外は究極的にどうでもよかった。
杏子がさやかの相手をしてくれるのであれば、その隙にまどかの救出へと向かう事ができるのだから好都合だ。
互いに目的は異なれども行く先は同じ。
二人は肩を並べて、廃墟の中へと足を踏み入れた。
◇◆◇◆◇
廃墟に隠されていた結界を見つけ、その中へと侵入する。
だが入った瞬間、ほむらは後悔せざるを得なかった。
鼻が曲がる臭気は外界の比ではなく、生物の腐った臭いが鼻孔のみならず目に染みて突き刺さる。
たまらず魔法で保護するものの、常人ならばまともに呼吸する事すらできないほどの悪臭がこもっていた。
「なんだここ……マジでこんなとこに誰かいんのかよ」
杏子も鼻を抑えながら顔を顰めている。
魔法少女だからこそ、この程度で済んでいるのだろう。
杏子の言う通り、誰かいるとは到底思えないほどの地獄がそこには広がっていた。
悪臭もそうだが、頭上に鎮座する黒い太陽は人体に有害そうな熱を放射している。
地に広がる地獄の草花は、そのどれもが臓器を思わせる生々しい肉感を持っていた。
悪臭の一部はそんな草花の放つ甘く腐った香りで、気持ち悪さと吐き気を覚えずにはいられない。
頬を舐めるような湿気を帯びた空気は、肌にまとわりついて生理的な不快感を煽った。
湿気のせいか結界内には薄っすらと霧が立ちこめており、空気が紅に色付いている。
やがてほむら達侵入者の存在に気付いたのか、奇怪な姿をした化け物達が現れた。
悪夢の花畑から生まれるように、その悍ましく冒涜的な姿をほむら達の目に晒す。
『〇(”%☆=””A!!』
「……ッチ、なんだこの魔女! 気色わりぃ!!」
感じ取れる魔力の反応から、その化け物達は間違いなく『魔女』のはずだ。
確かに通常の魔女や使い魔も不気味な姿をしている。存在そのものがどこか病んだ雰囲気を持っている事に違いはない。
だが目の前の化け物達は、通常のそれとは格段に狂った姿をしていた。
人の生皮を剥いで磔にしたかのような案山子の魔女が、腹部から内臓のような触手を伸ばして攻撃してくる。
眼球のこぼれた赤子の魔女が脳漿を垂らしながら、気持ち悪いほど機敏な動きで這い寄ってくる。
『P”AiF”F”%$A!!』
中でも一番鬱陶しいのは、紅の霧に紛れて飛び交う無数の人面蝶だった。
一匹一匹なら素手で握り潰せる程の弱さなのだが、群れで頭上をひらひらと舞い、幻覚作用のある鱗粉を降り注いでくる。
おまけに翅に埋め込まれた目玉からは魔力が放出されており、鱗粉との相乗効果もあるのか放っておくと五感を狂わされてしまう。
一時は危うく杏子と同士討ちになりかけたものの、お互いに距離を取って面を薙ぎ払うような攻撃方法へと変える。
ほむらの場合は拳銃ではなく短機関銃や爆薬を主力に使い、人面蝶を蜂の巣にして叩き落とし、案山子や赤子の魔女をまとめて爆殺した。
杏子の方は流石の技量というべきか、魔槍を縦横無尽に操り、ある種の結界を構築していた。
範囲こそほむらに比べて狭いものの、彼女に近づいたものは例外なく串刺しにされていく。
そうやって畸形の魔女達を駆逐しながら進んでいく二人だったが、やがて一際大きな花が咲いているのを目にする。
それはトラックほどの大きさを持つ化け物花だった。
その花弁はあたかも巨人の舌を切り取って縫い留めたかのようにテラテラとしており、柱頭からはあの人面蝶がふよふよと次々に飛び立っていた。
もはや花というよりも、花の形をした悪魔の工芸品と言われた方が納得できるだろう。
それを目にした二人は、即座にその巨大花を焼き払った。
最初は杏子の魔法で、そしてトドメにほむらの爆弾で、花弁の一つも残らぬよう念入りに吹き飛ばす。
『◇(”%(=””A!?』
巨大花が消えた後には、一本の道が続いていた。
どうやらその巨体で道を塞いでいたらしい。
二人はその道の先へと進もうとする。
だが不意に、その足を止めざるを得なかった。
目の前の地面から、黒いタールのような液体が染み出している。
それは隆起して、とある人型を形作った。
黒い粘液はあっさりと流れ落ちると、ベールのように脱ぎ捨てられ一人の少女を現す。
――<美樹さやか>が、二人の目の前にいた。
彼女は億劫そうに呟く。
「……こんなとこまで来るなんてね。よっぽどあたし達の事が気にくわないわけ?
なんて……あんたらに言っても意味なんかないんだろうけどさ」
ほむら達に聞かせる気のないその言葉は、独り言のように彼女自身の中で完結していた。
「美樹、さやか……」
信じがたい思いでほむらは呟く。
彼女の魔法少女姿は、ほむらの知るそれとは全く異なっていた。
記憶にある純白だったマントは漆黒へと変わり、手に持つサーベルはそれ自体が生き物のように血管が浮かび上がって脈動している。
他の時間軸においては青と白で構成されていた衣装も、今では黒と赤に染まり殺人鬼を思わせる姿へと変貌していた。
彼女がこちらを見る目は嫌悪によって細められ、その口元は殺意に歪んでいる。
一見すると笑っている様にも見えるが、その瞳に宿る憎悪の輝きがそれを否定する。
ほむらをして思わず後退るほどの狂気を、彼女は放っていた。
「こいつが――ッ!」
一目見て杏子は確信する。
彼女こそが、巴マミを殺した張本人。
規格外の魔法少女にして、化け物を守護する狂人。
彼女が生きているだけで、何もかもが滅茶苦茶になってしまうと。
そんな二人に、
「――あたし達の楽園に、お前らなんかお呼びじゃないのよ!」
それを聞いた杏子は己の耳を疑い、次に相手の正気を疑った。
呆れと怒りが混ざり合い、思わず失笑してしまう。
「ハッ! 楽園だあ? こんな気持ちわりぃとこがそう見えてんなら……やっぱお前、狂ってんだな!」
元々怪物を守護するような狂った魔法少女だ。
理解できないと思った者が、本当に狂っていたとしても今更驚きには値しない。
杏子の槍とさやかの剣が、幾度も打ち合い火花を散らす。
「あああああ! ほんっとにイライラする! あんたらの鳴き声をあたしに聞かせるな! あたし達の楽園に入ってくるな! あたし達の邪魔をするなぁあああ!!」
会話にならない。
彼女とは見ている世界が本当に違うのだと理解させられる。
「……もしかしたら、あんたも怪物とやらに操られてるのかも知れないけどさ。
あたしには関係ないね。マミの仇、ここで討たせてもらうよ」
ほむらは静かに、戦意を高める杏子のサポートに回ろうとする。
だがそれを察した杏子からテレパシーが届いた。
『おい、ここはあたしに任せて先に行きな。お前は友達探しに来たんだろ?』
『……でもここは、二人掛かりで倒した方が良くないかしら?』
ほむらがそう答えると、杏子はハッと笑い飛ばした。
「舐めんじゃねぇ! こんな奴、あたし一人で十分さ!」
杏子の槍が複雑な機動を描き、それに編み込まれた結界が一本の道を作り出す。
それはほむらの為に作られた結界の奥へと向かう道筋だった。
『早く行け!』
『……感謝するわ』
杏子の気遣いに感謝し、ほむらは時間停止の魔法を発動させた。
全てが動きを止めた世界で、唯一人暁美ほむらだけが自由に動ける。
モノクロに色を失った世界の中、杏子が作った道をほむらは駆け抜けて行った。
◇◆◇◆◇
――美樹さやかが気付いた時、目の前から一匹の肉塊が消えていた。
目を逸らしたつもりも、油断していたつもりもない。
慌てて周囲を確認すると何時の間に抜かれたのか、沙紀の待つ我が家に向かって
「なっ――!? 行かせるもんか!!」
咄嗟に追撃しようとするものの、さやかの前には杏子が立ち塞がった。
「おっと、ワリィがあんたの相手はこのあたしだよ!」
「邪魔だぁああああ!!」
魔法少女としての戦歴を考えるならば、比べるまでもなく杏子が圧倒してしかるべきだろう。
さやかの方はどう見ても力任せの戦い方、行使される感情むき出しの魔法は、杏子からすれば素人丸出しの単調なもので、慣れてしまえば対処もしやすい。
そのはずなのに――杏子はずっと劣勢に立たされたままだった。
戦いの駆け引きも、技量も……彼我の単純な力の差が、それを些事とばかりに踏み潰してしまっている。
美樹さやかの持つ膂力、魔法の威力は杏子のそれとは別次元の域にあった。
それだけではない。杏子が経験による勘で回避するのに対して、さやかは明らかに目で見てから回避している。
普通ならさやかの方が一拍遅れるはずなのに、実際は真逆。
杏子が先に動いても、後から動いたさやかの方が圧倒的に速い。
経験も技量も関係ない。絶望的なまでに純粋な性能差が二人の間にはあった。
例えるなら自動車と自転車で競争するかの如く、もはや動力源から異なっているとしか思えない次元だ。
重機を素手で殴りつけたかのように、最初の数合打ち合っただけで杏子の手には痺れが走っている。
さやかから間断なく放たれ続ける攻撃を辛うじて回避するものの、出鱈目に飛来してくる魔剣を躱すだけでも切り傷が増えていく。
(なるほどね……こいつは確かにイレギュラーだ)
なによりも異常なのは、これほど馬鹿げた魔法の使い方をしていながら、魔力の尽きる気配が一切ない事だろう。
この分では持久戦に持ち込んだとしても、こちらが一方的に磨り潰されるだけだ。
魔剣の嵐を潜り抜けながら、杏子は先に行かせた少女――『暁美ほむら』の事を思考の隅で考える。
元々見滝原にいる魔法少女は、全員潰すつもりだった。
この街を縄張りにしている魔法少女は『巴マミ』だけだったので、今この街にいるとすれば余所からの流れ者か、ぽっと出の新人かのどちらかになる。
新しい縄張りをわざわざ余所者にくれてやる理由はないし、青臭い新人など邪魔なだけだ。
ほむらの事も最初は単なる余所者だと思っていたが、「イレギュラー」に対する反応と、得体の知れない魔法を使う姿を見て「当たり」だと確信した――実際は、紛らわしい事に違っていたようだが。
こうして本物の『美樹さやか』が姿を現すまで、杏子は内心ほむらの事を疑っていた。
他人の言葉を頭から信じるほど馬鹿ではない。
人違いと彼女自身は言っていたが、それが嘘である可能性もあった。
それでも信じたフリをしたのは、手札がまるで見えない相手との戦いを一先ず避ける為。
油断させていれば、あの奇妙な魔法のネタも分かるかもしれないと思ったからだ。
それに本当に人違いだった場合、無駄な労力を払うことになる。
なので本命が見つかるまでの間は、彼女に協力して様子を見る事に決めたのだ。
そうして少しの間だが『暁美ほむら』と行動を共にした。
実際に付き合ってみると、やっぱり底知れない奴だと思ったし、胡散臭い所も沢山あった。
普通ならわかるはずのない情報を出しておいて「統計の結果よ」の一言で済ます姿には、杏子も思わず呆れてしまった。
これで実力のない奴だったら、当初の目的通り適当に潰して放置していただろう。
――行方不明になった友達を見つけたい。
ただ、その言葉に嘘は感じられなかった。
その時浮かべた彼女の瞳は、愚かしいほど真っ直ぐなものだった。
誰かの為に魔法を使う事を馬鹿らしいと考える杏子だが、ほむらは彼女自身の為に、その友人を探しているのだと分かった。
結局、魔法少女としては似た者同士なのだろう。
元々杏子にとってこの戦いは、自分が気に食わない奴をぶっ飛ばす為のもの。
巴マミの仇だとか口では言っても、それは死んだ奴の為などではない。
自分の腹の虫がそうしなければ治まらないからしているだけの事だ。
だからこの戦いに、もう一つくらい自分勝手な理由を重ねてもいいだろう。
(見つかるといいな……あんたの友達)
佐倉杏子は、紅の魔槍を振るい続ける。
刺し貫き、叩き潰し、魔法で蛇の様に軌道を縦横無尽に変化させる。
魔剣の嵐に対抗するために、杏子自身もまた嵐となって死線の中を突き進んでいった。
たとえ勝利できずとも、稼いだ時間で
◇◆◇◆◇
ほむらは結界の奥へ向かっていた。
後を託した杏子の事は気掛かりだが、当初の目的を見失うわけにはいかない。
恐らくほむらの探し求めている少女がいるとすれば、この道の先だろう。
肉の花を咲かせる地獄の草花を踏み潰しながら、ほむらは異界の奥へ奥へと進んでいく。
こんな場所に、本当にまどかはいるのだろうか。
そんな疑問が脳裏を過ぎるものの、ここまでの異常を目の当たりにして、引き返す選択はもはやなかった。
この街に起きている一連の異常事態。
ここがその発生源であると既に確信している。
こんな正気を失うような結界――尋常な魔女が構築したものではなく、例の『怪物』とやらが関係しているのだろう。
こんな場所が他にあってはたまらない。
沸き上がる恐怖を押し殺しながら道を進んでいくと、やがて行き止まりへと突き当たった。
どこかで道を間違えたのかとも思ったが、そうではなかった。
目の前にあったのは――肉の城だった。
それが何であるか、初見で理解できる者などいないはずだ。
赤と黒と白の建材が生物的な規則性をもって一つの建物を形作っている。
それは遠目からは家のようにも見えた。
事実それは家なのだろう。
今にも蠅が集りそうな腐臭を纏ったその建築物は、建材として使われている肉の壁が微かな脈動を繰り返している。
堅いところは黒く、平たいところは赤く、柔らかなところは白く。
肉と骨と脂が一つの生き物のように奇跡的な配置で構築されている。
生々しい熱が感じ取れる。
見ているだけで生気を吸い込まれそうな引力は、あるいは呼吸なのだろうか。
比喩でも何でもなく、この家は生きていた。
明らかに異常すぎる狂気的な建築物。
何かの罠と考えた方がよほどしっくりくるだろう。
いっそのこと、爆薬で跡形もなく消滅させてやりたい誘惑に駆られる。
だがここがあの狂った美樹さやかの棲家なのだとしたら、ほむらが探し求める少女もこの中にいるかもしれない。
たとえそれが極小であろうとも、可能性がある限り強硬な手段は取れなかった。
(……行くしか、ないわね)
怯える心を押し殺し、ほむらは肉の家に向かって一歩一歩静かに近づく。
扉らしき四角い板は無数の筋によって構成され、ドアノブらしき腫瘍は透明感のある腸を思わせる輝きを放っていた。
触りたくもないそれに恐る恐る触れると、生暖かい感触が手に伝わる。
咄嗟に手放したくなる衝動に抗いながら捻ると、思いの外すんなりと開いた。
隙間から覗き見ると、普通の民家の中のようにも思える。
その材質が冒涜的であることを除けばだったが。
手前には玄関があり、廊下の先には恐らくリビングとキッチンがあるのだろう。
脇には骨で出来た靴棚らしき物があり、その上に肉の花が活けてあるのは果たしてなんの冗談か。
玄関の直ぐ近くには階段があり、二階へと続いているのが見える。
ほむらは意を決して、一歩足を踏み入れた。
『ォ蛾エリナSa"イ……ザ矢Ka?』
――――…………いま、何か聞こえた。
とても人類が出したものとは思えないそれを、断じて『声』だと認めたくない。
鼓膜を削られる不快な音が、何の間違いか言葉めいた抑揚を刻んでいた。
ほむらは手に拳銃を握り締め、いつでも時間停止の
さっきの『声』は、二階から聞こえてきた。
ほむらの侵入に気付いたのか、微かな物音が聞こえた後は不気味に沈黙している。
このまま二階へ向かうべきか。
あるいは一階でまどかの手掛かりを探すべきだろうか。
(……いえ、さっきのでもう気付かれたと考えるべきね。だったら早めに対処しなくては)
悠長に探索している時間はない。
もしも件の怪物が潜んでいるなら、その脅威を取り除いた後にでも調べればいい。
ほむらは慎重に階段を上っていく。
勿論玄関で靴を脱ぐような間抜けな事はしていない。
ここは悪魔の棲む家だ。
人の家にするような礼儀など一切不要の伏魔殿。
ほむらのように銃を手に持って入るのが、この場合の正しい作法だろう。
心臓がうるさいくらいに脈打っていた。
ほむらは緊張したまま二階に顔を出す。
するといくつかの扉が並んでいるのが見えた。
どこに入るべきか悩んでいると、ふと床に何かが這いずったような水の跡が目に入る。
床の材質と微妙に色の異なるその痕跡は、一番奥の部屋へと続いていた。
(……罠、かしら?)
今更ながら、『怪物』とやらの正体が何なのかさっぱりわからない。
魔女か何かの亜種だとばかり思い込んでいたが、先程の畸形の魔女達といい、明らかに趣が異なる。
恐らくこの異空間の主であり、美樹さやかが狂った元凶。
先程の『声』からしても、とても人間的な何かだとは思えない。
(たとえ罠だとしても……行くしかないわね)
元よりここは化け物の巣穴――侵入者であるこちらが圧倒的に不利な立場にある。
ならば今更罠の一つや二つに怖気付いている暇はない。
足音を殺して、奥の部屋まで進む。
息を整え終えると、ほむらは意を決して扉を開いた。
「…………っ」
そこは明かり一つない真っ暗な空間だった。
一段と濃い腐臭が空気を侵食している。
痛覚と同じ要領で嗅覚を鈍らせていなければ、恐らく一呼吸しただけで胃の中身をぶちまけていただろう。
あるいはほむらが魔法少女でなければ、命の危機すらあったかもしれない。
極まった悪臭はもはや化学兵器の領域に達しており、室内に毒ガスが充満していると考えれば常人が無事に済む保証などないだろう。
暗がりの中、ほむらは悪臭の発生源らしき影が蠢く姿を見た。
正体を確かめるべく明かりを付けようとするが、照明のスイッチなどは当然のようにどこにも見当たらない。
自分で明かりを灯そうにも、ハンドライトでは片手が塞がれる。かといって火を起こすには手間がかかるし、この場では何が起こるか分からない危険性があった。
油断なく明かりを欲したほむらは、盾の中からケミカルライトを取り出す。
これは酸素を必要とせず、化学反応によって折り曲げるだけで発光する代物だ。
おまけに発熱せず引火性もないため、こうした屋内で使う分には便利だった。
今回使うのは明るく発光する代わりに持続時間が短い物だったが、こんな場所に長居する気は欠片もないので一切問題にはならない。
無事に発光したのを確認してから放り投げると、ぼんやりとしていた影の正体が浮かび上がる。
化学的な白光に照らし出されたのは――黒い塊だった。
それが肉の集合体であると気付いた時、その肉塊は呻くような鳴き声を上げた。
『……ぁ……ぇぅ……』
その『声』の残滓は、ほむらが間違えるはずのない大切な少女の物だった。
――暁美ほむらはついに、
推敲が足りないぃ……でもせっかくのクリスマスだしね、どうにか間に合わせたい(血涙)
大筋は変わりませんが、後からちょこちょこ修正いれると思います(汗)。
次か、その次辺りで一先ず完結です。
年内にはどうにか終わらせたい(願望)。
次回がSAN値的に最大の山場です(作者的にも)。