水底の恋唄   作:鎌井太刀

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第十七話 お前だけは絶対に許さない

◇◆◇◆◇

 

 

 脳裏に閃くものがあった。

 それは悪魔の囁き。

 

 とても尋常な生命とは思えない、黒く蠢く肉の塊。

 この世の醜さを煮詰めたかのような冒涜的な存在。

 

 目の前のそれこそが、ほむらの探し求めてきた少女――『鹿目まどか』である事を。

 

(う、そ……でしょ? これが……こんな、のが……まどかだって言うの?)

 

 

 

 鹿目まどか――彼女はほむらにとって、初めての友達だった。

 

 ほむらは生来心臓に欠陥を抱えており、長期入院を繰り返していた。

 血管が人よりも細く、急激な運動は勿論、極度の緊張でも胸が苦しくなってしまう。

 

 その結果出来上がったのが、極度の人見知りで、運動も出来なければ勉強も出来ない、何の取り柄もない少女だった。

 いろんな病院で入退院を繰り返しては、その度に学校が変わった。

 

 友達なんて、一人も出来なかった。

 

 両親の負担になっている自分が嫌で、こんな身体など捨て去ってしまいたかった。

 人に迷惑ばかりかけて、恥ばかりかいて……これからもそんな人生を送っていくのかと思うだけで、ほむらは死んでしまいたくなる。

 

 そんな後ろ向きな事ばかり考えていたからか。

 学校からの帰り道、ほむらは魔女に襲われてしまった。

 

『だったら、死んじゃえばいいんだよ』

 

 それは甘美な誘惑に聞こえた。

 重荷に感じる何もかもを放り捨てて、楽になりたい。

 それでもほむらは、死にたくないと……醜くも生にしがみ付いてしまう。

 

 そんな中途半端で、何の覚悟もない、臆病な自分。

 魔女の結界の中、ほむらは己の死を間近に感じていた。

 

『もう大丈夫だよ、ほむらちゃんっ!』

 

 そんなほむらを、鹿目まどかは救ってくれたのだ。

 魔女を倒す彼女の背中を、ほむらはただ呆然と眺めていた。

 

 

 暁美ほむらに、生まれて初めて友達ができた。

 その友達は『魔法少女』で、ほむらの命の恩人で、とても優しくて明るい女の子だった。

 

 ほむらは彼女に守られる日々を過ごした。

 友達との接し方に慣れないほむらを、まどかは優しく見守ってくれていた。

 だがそんな平穏な日々も、長くは続かなかった。

 

 災厄の魔女である【ワルプルギスの夜】が見滝原に降臨する。

 既にもう一人の魔法少女である巴マミは死亡しており、この街に残された魔法少女はただ一人、鹿目まどかのみとなっていた。

 

 それでもまどかは、毅然と立ち向かう。

 誰が見ても勝てるはずのない災厄へと向かって。

 

『わたしは魔法少女だから――みんなのこと、守らなきゃいけないから』

 

 そんな彼女を、ほむらは嗚咽混じりに引き止めた。

 巴マミの死骸を前に膝を付きながら、大切な友達を失いたくない一心で。

 

『ねぇ、逃げようよ……だって、仕方ないよ……誰も、鹿目さんを恨んだりなんかしないよ……!』

『ほむらちゃん、わたしね……あなたと友達になれてよかった』

 

 ――あなたを守れた事が、今でも自慢なの。

 

 そう優しく微笑んで……まどかは飛び立っていく。

 鹿目まどかはその最後まで、暁美ほむらを守る為に戦ってくれた。

 

 

 

 ……雨が降っていた。

 天から無慈悲に降り続ける冷たさに、身体の芯まで冷え込んでくる。

 

 だがそれは、雨だけが原因ではないのだろう。

 大切な友達を失った喪失感が、ほむらの心から熱を奪っていた。

 

 ほむらの目の前で、鹿目まどかは死んでいた。

 彼女は勇敢に戦い……そして散っていった。

 

 それでも彼女は、確かに友達(ほむら)を守りきったのだ。

 

『私なんか助けるよりも、あなたに……あなたに生きていてほしかった!』

 

 きっと誰が見てもそう思うだろう。

 誰かの迷惑にしかなれない根暗な自分と、世界中のみんなを笑顔にできるような、眩しい彼女。

 彼女が命を失ってまで守られるほどの価値が、自分なんかにあるはずがない。

 

 そんなほむらの前に――『キュゥべえ』は現れた。

 

『その言葉は本当かい? 暁美ほむら。

 戦いの運命を受け入れてまで、叶えたい願いがあるのなら。

 僕が力になってあげられるよ』

 

 その言葉に、ほむらは希望を見出した。

 涙を拭い、魔法の契約を結ぶ。

 

『……私は、鹿目さんとの出会いをやり直したい。

 彼女に守られる私じゃなくて……彼女を守る私になりたい!』

 

 それは誓約となってほむらの(ソウルジェム)へと刻まれる。

 

 絶対に彼女を守って見せる。

 何度繰り返す事になっても。

 たとえその結果、暁美ほむらが永遠の迷路を彷徨う事になろうとも。

 

 鹿目まどかは、明るくて、優しくて、勇気があって。

 ほむらにとって、他の何よりも……誰よりも、大切な少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それが今では、醜悪な肉塊と化している。

 

 

 

 

 

 

「――……うそ……よね?」

 

 まさか、そんな、ありえない。

 勘違いに決まっている。

 

 こんな汚く、悍ましく、穢らわしい肉塊の化け物が……あの鹿目まどかだなんて。

 

 そんな事実は、あってはならない。

 あっていいはずがない。

 

 狼狽するほむらは、目の前で蠢く肉塊の化け物と目があった。

 

 出来の悪い福笑いのような、均衡の崩れた二つの目。 

 その瞳に宿るまどかの面影に、ほむらは気付いてしまった。

 

「――――ッ!?」

 

 その悪魔的な事実を理解した瞬間、ほむらは反射的に嘔吐(えず)いた。

 

 目の前の現実を受け入れられない。

 胃の中身と共に吐き出し、拒絶する。

 

 これはきっと、ほむらを惑わせるために用意された罠に違いない。

 だが果たして……誰がこんな罠を用意したというのか。

 

 この世界において、ほむらとまどかの関係を知る者は誰一人としていないはずだ。

 知人に似せるという意味では、まだ志筑仁美の方が可能性があるだろう。

 

「あ、あなた……まどか、なの……?」

『ぉ……だよぉ……ぁどぉか……ダよぉ……』

 

 耳障りな音階で、肉塊は肯定するように震える。

 それでも、否定しようと思えばできるだろう。

 

 まともな神経をしていれば、コレがまどかであると認識できるはずがない。

 

「――――ッ」

 

 だがほむらには……他ならぬ『暁美ほむら』には理解できてしまった。

 目の前の肉塊が正真正銘、探し求めていた『鹿目まどか』である事を。

 

 これまで遡行してきた幾つもの世界で、ほむらは『魔女化した鹿目まどか』の姿をその目に焼き付けて来た。

 そんな呪われた経験が、最悪の真実を告げてしまう。

 

 目の前の肉塊こそが、間違いなく『鹿目まどか』であることを。

 

「あ……ああぁ……ッ!!」

 

 再会の喜びはない。

 あるのは震えるほどの恐怖と絶望。

 

「……ぉして……コぉしテ……」

 

 <まどか>はもどかしそうに肉塊の体表を震わせ、掠れた声を上げる。

 そして何かの堰が外れたかの様に、ぐぱっと大きな穴が開いた。

 

「――オねガい、ころシてェぇ!!」

 

 それは口だったのだろう。

 細長く伸びた管は舌だったのだろう。

 幾つも覗いた鋭い突起は、歯だったのだろう。

 

 人間と掛け離れた構造をしているのに、聞こえるのは不思議と『まどかの声』だった。

 そんな冒涜的な事実が、頭がどうにかなりそうなほど理解できなかった。

 

 殺して、と肉塊になったまどかが懇願している。

 眼球から溢れる水滴は、彼女の涙なのだろうか。

 

 わからない。

 人間とはかけ離れてしまった彼女の姿を、脳が理解する事を拒絶している。

 

 それでもほむらは命じられるままに、銃口をまどかへと向けた。

 

 かつて一度やった事だ。

 思い出したくもない経験が、ほむらの体を動かしている。

 ほむらは震える手を必至に抑えつけ、拳銃の引き金を引いた。

 

 ――BANG(バン)

 

「ぎァっ……ぁぁ……ぐぅあ……!」

 

 BANG(撃つ)BANG(撃つ)――BANG(撃つ)!!

 

「ピギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァ!!」

「あ……あ、あああああッ!?」

 

 それでも、死なない。

 殺してあげられない。

 

 このままでは無暗に痛がらせるだけだと悟ったほむらは拳銃を放り捨てて、盾から新たに短機関銃(サブマシンガン)を取り出した。

 無我夢中で引き金を引くと、ガガガガガッとスコールのような音が轟く。

 

「ャアアアアアア――!? イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイタイタイタイタイタイタイヨォオオッッッ!!」

 

 それでも。

 それでもまどかは、生きていた。

 

 薬莢が金音を立てて床に転がり、無数の弾丸がその分厚い肉を貫いても、まどかの悲鳴は一向に止まらない。

 

「ぃたいよぉ……こ、ぉして……よぉ……もう、やだよぉ……ぁぁぁっ!」

 

 その体を収束させ蠢きながら、すすり泣くような声を上げ続けている。

 

 それを聞いたほむらは、今すぐ自分の頭に拳銃を突きつけ、引き金を引きたい衝動に襲われた。

 取り返しのつかない事を犯してしまった罪悪感に、胸が押し潰されそうだった。

 

「ああああああああ!!?? ごめっ、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 涙ながらに謝罪し、手にした短機関銃を取り落とす。

 

 ……銃は駄目だ。

 弾丸をいくら撃ち込んでも、痛がらせるだけで即死には至らない。

 

 その身に纏っている肉の鎧は強靭かつ強固な可塑性を持っており、弾丸程度ではいくら穴を開けてもすぐに塞がってしまう。

 あるいはこのまま撃ち続ければ致命傷になるのかもしれないが、それはまどかに拷問染みた苦痛を与え続ける事を意味する。

 

 早く、早く。

 一刻も早く、まどかを解放しなければ。

 これ以上の苦痛を彼女に与えてはならない。

 

 あんな姿になった彼女を元に戻す術を、ほむらは知らない。

 奇跡や魔法ですら、ああまで成り果ててしまった彼女を救えるか分からない。

 

 ならばせめて、彼女の望みを。

 安らかなる死を。

 

 あんな……ただ死ぬ事よりも惨い姿から、解放しなくては。

 それが出来るのは、今ここにいる自分だけなのだから。

 

 本当なら殺したくなんかない。

 苦しめたくなんかない。

 

 けれどもそれが、ほむらが今のまどかにしてあげられる、唯一の救いだった。

 

「ごめんなさい……まどか……ッ!」

 

 涙は捨てたはずだった。

 弱い自分とは決別し、まどかを救うために強くなったはずだった。

 

 なのに今のほむらは以前と変わらず無力なままで、苦しむまどかに涙を流して謝る事しかできなかった。

 ほむらの脳裏に、過去の惨劇が否応なしに思い出される。

 

 

 

『――わたしたちも、もうおしまいだね』

 

 それはほむらがまだ眼鏡をかけ、髪を三つ編みに纏めていた頃の事。

 魔法少女の真実を知って、それでもまどかと共に<ワルプルギスの夜>と戦った世界。

 

 戦いの果てに力尽き、魔女に堕ちようとするほむらに、まどかは一つしかないグリーフシードを与えてくれた。

 

『わたし、魔女にはなりたくない。嫌な事も、悲しいこともあったけど……守りたいものだって、たくさん……この世界にはあったから……』

『――まどか!』

『ほむらちゃん……やっと名前呼んでくれたね、うれしい……』

 

『うぅぅ……ぁあああああああああああああああああッッ!!』

 

 

 

 ――暁美ほむらはかつて、守りたいと願った少女をその手で殺した。

 

 魔女になりたくないという彼女の願いを叶える為に。

 そして今もまた……醜悪な肉塊に変わってしまった彼女を、ほむらは殺そうとしている。

 

(私はまた、まどかをこの手で――!)

 

 顔を歪め、涙を流す。

 ほむらの感じる怒りも、悔しさも、何一つ彼女の救いとはならない。

 

 ほむらは自身の盾を操作し、時を止めた。

 動揺する心を押さえつけ、手製の焼夷弾を肉塊となったまどかの周りへと配置する。

 

 通常の爆弾とは違い、焼き尽くすまで消える事のない炎が、まどかの魂を醜悪な肉の牢獄から解放してくれるはずだ。

 いくら強固な可塑性を持っていようが、それが生物的なタンパク質であるのなら燃えないはずがない。 

 

 部屋中に爆薬を詰め込むと、ほむらは肉の家から脱出した。

 この悍ましい不浄の建物ごと、まどかを焼滅させるつもりだった。

 

 ――そして時は動き出し、爆発と共に炎が噴き上がる。

 

「ぁ……ぉ……――」 

 

 肉の爆ぜるような音。

 生き物のように家屋が歪み、踊り狂う様にその身を揺らしている。

 

 吹き荒れる業火の中に、ほむらは蠢く影を見た。

 

 それはまどかのいる場所だった。

 その小さな影は建物と一緒に揺らめいたかと思えば、やがて力尽きたのかその動きを止める。

 

 業火は周囲の酸素を奪い、常人が近付けば酸欠で倒れてしまいかねない。

 だが魔法少女であるほむらはただ茫然と、生きながらに火葬されていくまどかを見送っていた。

 

 熱気が顔に吹き付け、閃光が網膜を傷付ける。

 どうせならばこのまま、頬を流れる涙さえも諸共に燃やし尽くして欲しかった。

 

 いっそのこと、ほむらもまたこの炎の中に身を投じてしまいたい。

 けれどもほむら自身の祈りが、そんな逃避を許さない。

 鹿目まどかの救済を果たすまで、ほむらは自殺する事すらできなかった。

 

「あ、あ……ああ……っ」

 

 生きながらに焼かれ死んだ彼女の苦痛を想像するだけで、ほむらの胸は張り裂けそうになる。

 

 何かもっとうまい方法はなかったのか。

 そもそも救う手段は他になかったのか。

 

 自己嫌悪と後悔に、ほむらは膝を付いてしまう。

 

 だが燃え盛る炎が、決して消える事のない炎が、突如として雪崩れ込んできた黒い水によって強制的に鎮火させられた。

 

 水で消えるような炎ではない。

 むしろ単なる水では勢いを増すだけなのに、あっさりと鎮火させたその大量の水は、毒々しいほどの魔力を孕んでいた。

 

 タールのような粘性を持った水面の上に、突如一人の少女が現れる。

 炭の塊――恐らくは、まどかの残骸であろう物を抱き抱えながら。

 

 

 

 ――美樹さやかは、慟哭の声を上げていた。

 

 

 

「ああ、まどか……まどかぁ! こんな、こんなひどいことって……ッ!」

 

 黒く炭化した肉の塊は、ぼろぼろになってその体積を減少させ、あたかも幼子の焼死体のような有様になっている。

 

 それを抱き締め涙を流す光景は、その場面だけを切り抜けば悲劇にも見えるだろう。

 大切な親友を失い、涙を流す感動のシーンにも見えるだろう。

 

 だがまどかをこんな目に遭わせたのが目の前の女であると考えるだけで――鼻が曲がりそうなほどの腐臭が漂う。

 

(――お前が! お前がそれを言うのか!)

 

「美樹……さやかぁあああああっ!!」

 

 まどかを裏切り、まどかの親友を騙るこの女が、ほむらには許せなかった。

 彼女の為に涙を流すのならば、何故こんな真似をしたのか。

 

「お前はぁあああああああ!!」

 

 激情のまま、ほむらはさやかに向かって引き金を引いた。

 まどかを撃った時と比べてしまえば、その引き金はあまりにも軽過ぎる。

 

 だが放たれた弾丸は全て漆黒のマントに防がれ、僅かな痛痒すら与えられない。

 それを契機に、さやかの殺意の籠った視線がほむらへと向かう。

 

 その淀んだ瞳に底知れぬ何かを感じながらも、ほむらは一歩も引かない様に声を張り上げた。

 

「お前はッ……まどかの親友なんでしょ! なんでこんな真似をしたの!?」

「よくも……よくもまどかを殺したな! このバケモノが!!」

 

 だがほむらの怒りの声も、さやかの耳には届かない。

 まどかを殺した上位種(クリーチャー)が、邪魔された事に怒り狂っている様にしか見えていない。

 

「どこまで愚かになれば気が済むの!? お前は一体、まどかに何をしたのよ!!」

「この子があんたになにしたのよ! なんでこの子が殺されなきゃいけないの!!」

 

 糾弾するほむらに、さやかもまた激情を叩きつける。

 大切な親友を殺した憎き仇へと向かって。

 

 互いが互いの事を心底理解できない。

 ただ互いの怒りだけが相乗し合い、悪感情が天井知らずに高まり続ける。

 

 今この瞬間、ほむらにとって最悪の敵は『ワルプルギスの夜』ではなく『美樹さやか』へと変わる。

 

 故に。

 

 

 

「「――お前だけは絶対に、許さない!!」」

 

 

 

 互いを『まどかの仇』だと認識したまま、二人は殺し合いを始めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 長くなったので分割。残りはこれから仕上げていきます。
 作者のSAN値が尽きるのが先か、年を越すのが先か……(吐血)

 それでは皆様、来年も良いお年を<(_ _)>

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