速攻でゲットあんどクリア。そのまま勢いで投稿。
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<鹿目まどか>にとって、美樹さやかは一番の親友だ。
二人の出会いは小学五年生の時、まどかが見滝原小学校へと転入してきた頃にまで遡る。
とは言え、転校早々仲良くなれたわけではなかった。
まどかは生来内気な性格をしていて、お世辞にも社交性が高いとは言えなかったし、そのせいで転校してから仲の良いクラスメイトも中々出来ずにいた。
おまけに家では弟のタツヤが生まれたばかりだった。
赤ん坊というのは驚くほど手の掛かる存在だ。
当然まどかの両親も弟にかかりきりになってしまうわけで、まどかは何だかパパとママを弟に取られた様に感じてしまっていた。
理性では「お姉ちゃんなんだから、我慢しないと」と思ってはいても、それで感情が納得できるかどうかは別の問題だった。
そんな風に家でも学校でも一人ぼっちになる時間が増えてからは、まどかの心にはずっと隙間風が吹いているようで、それが『寂しい』って事なんだと深く実感する。
急に世界で一人きりにされたかのような、そんな気分になってしまう。
まどかは夜中にベッドの中で蹲り、声を押し殺して涙を流す日々を送っていた。
そんなある日の事。まどかは登校中に道路の凸凹に躓き、転んでしまう。
おまけにその日に限ってランドセルがちゃんと閉まっていなかったらしく、盛大に中身を地面にぶちまけてしまった。
真新しいノートに教科書、筆記用具にパパが作ってくれたお弁当。
それらがみんな地面にひっくり返ってしまっていた。
おまけに悪い事は重なるもので、前日に降った雨で出来た水溜まりの中に運悪く中身が放り出されており、まどかはあまりの惨事にショックを受けて固まってしまう。
周りにはまどかと同じ様に小学校に通う生徒達がたくさんいたが、誰もが見ているだけで助けようとはしなかった。
擦りむいた膝小僧と両腕がジンジンと熱を持つ。
どん臭い自分が恥ずかしかった。
誰も助けてくれないことが悲しかった。
パパが作ってくれたお弁当を粗末にして、申し訳なさと罪悪感に押し潰されそうになる。
自分なんかいてもいなくても変わらないんだって、目の前に突き付けられたみたいだった。
後ろ向きな考えが止まる事なく溢れ出してしまう。
なんだか世界中の全てが意地悪をしているように思えてしまい、まどかの目にはじわりと涙が浮かんだ。
「……大丈夫?」
まどかが泣かない様に必死に我慢していると、遠巻きにした傍観者達の中から一人だけ、手を差し伸べてくれる子がいた。
驚いたお陰か涙も引っ込んでしまい、まどかは辛うじて泣かずには済んだ。
「あ、ありがとう、ございます」
つっかえながらも、精一杯のお礼を返して立ち上がる。
見ればその子は半袖に短パン姿で、ぱっと見では男の子か女の子か良く分からなかったけど、近くで見れば女の子だとすぐに分かった。
よく考えればランドセルの色も赤いのだから間違えようもない。
彼女はテキパキとまどかが落としてしまった物を拾うと、立ち尽くすまどかに次々と手渡していく。
「教科書とかは直ぐに拭いたからギリセーフかな。ちょっと染み残っちゃったけど、まぁ端っこだし目立たないか。お弁当も袋が汚れただけで中身は無事みたい。衝撃で崩れちゃってるかもだけどさ。
汚れは洗えば落ちるし、お弁当も食べられるから大丈夫だよ」
一時は取り返しのつかない失敗だとパニックになってしまったけれど、彼女の言葉を聞くとなんだか大したことがないように思えて、不思議と安心できた。
そんな安心ついでに、塞き止めていた涙がついに溢れてしまう。
「あーあー、泣くなって! 全部大丈夫だから!」
泣く子には勝てないとばかりに、彼女は必死にまどかを慰めようとしてくれた。
家族以外の誰かにこんなにも優しくしてもらえたのは、この街に来てから初めてな気がする。
「わたし、鹿目まどか……です」
「知ってるよ、つか同じクラスだし」
「……えっ」
驚くまどかに、彼女はニカッと悪戯っぽく笑った。
「あたしは美樹さやか、よろしく
ちょっぴり強引に握られた手は力強くぶんぶんと上下に振られ、まどかはあわあわしながらも、その涙はいつしか止まっていた。
その日からまどかの日常は変わった。
さやかに手を引かれ、彼女を通じて友達の輪が広がり、クラスにも馴染めるようになった。
さやかのお陰で、まどかの世界はいつしか寂しくなくなっていた。
だからこそ時々思ってしまうのだ。
与えられてばかりの自分が、彼女に何を返せたのだろうか。
何か一つでも彼女の役に立てたのだろうか。
鹿目まどかにとって、美樹さやかは一番の親友だ。
けれど鹿目まどかが『美樹さやかの親友』だと胸を張るには、まどかは自分でも嫌になるくらい何も誇れる物がなかった。
特別に勉強ができるわけでもなく。
お世辞にも運動ができるとは言えないくらい、どん臭く。
周りから優しいとは言われるけど、結局それも自信のなさだとか気の弱さの裏返しでしかなく。
こんな何もない自分が彼女の親友で良いのだろうかと、時々申し訳なさで消えてしまいたくなる。
そんな罪悪感にも似た気持ちを隠しながら、まどかは中学一年の終業式を迎えた。
春休みを前に待ちきれない様子の生徒達が騒ぐ中、まどかの親友も見るからにそわそわとしていた。
「あたし、この春休みに恭介に告白するんだ」
理由を尋ねてみると、親友から驚く様な言葉が返ってきた。
彼女の想い人である上条恭介の事はまどかもよく知っている。
さやかの幼馴染であり、彼女が長年想い続けてきた相手だ。
彼の事が好きだという気持ちは知っていたが、告白に踏み切るまでとは想像もしていなかった。
未だ初恋すらしたことのないまどかにとって、恋愛というのは現実感の乏しいフィクションのようなものだ。
そんなまどかが恋患うさやかに何か有益な助言をできるはずもなく、せいぜい彼女の恋愛相談という名のお喋りに付き合うのが精一杯だった。
それでも親友は「いやー、話を聞いてくれるだけでもすっごく嬉しいよ。こんな相談、まどかにしかできないからね!」と言ってくれた。
そしていよいよ約束された二人のデートの日が近付く。
親友が告白するんだと思うとまどかも何だか緊張してしまい、うまく眠れなかった。
春先の肌寒い夜空を見上げ、気休めでもしないよりはマシと流れ星を探した。
どうか親友の恋路が上手くいきますようにと、まどかは真摯に星に祈りを捧げた。
だから――美樹さやかが交通事故に遭ったと知らされた時、まどかは冗談ではなくふっと倒れそうなくらい体中から血の気が失せた。
「そんな……どうしてさやかちゃんが……」
何故、どうしてよりにもよって事故に遭ったのが彼女なのか。
昨晩電話越しに聞いたさやかの明るい声が脳内にリフレインする。
今日は親友にとって大切な一日になるはずだったのに、どうして飛び切りの不幸が彼女を襲ってしまったのか。
信じていた何かに手酷い裏切りを受けた様な気持ちになってしまい、まどかはさやかの事が心配でたまらなくなった。
果たして、幸い……と言っていい物か。事故にあったさやかは奇跡的に一命を取り留めたらしいものの、面会謝絶の日々が何日も続いた。
一週間が過ぎ、一月が過ぎ。
春休みが終わってしまい、新しいクラスでもまどかは去年に引き続き保健委員になった。
新しい教室の中、さやかの席だけがずっと空席のままだった。
まどかの方はといえば、無事に新しいクラスのみんなとも仲良くなれた。
だけど今年から同じクラスになったさやかの想い人である<上条恭介>とは、うまく話せていない。
さやかが事故に遭う前は、普通に話すくらいはしていたのに。
彼もあの日以来塞ぎ込んでいるらしく、周囲の無責任な噂ではさやかが事故に遭ったのは彼の所為なのだと言う。
まどかにはその噂の真偽を確かめる事が出来なかった。
嘘でも真実でも、それは誰かを傷付けてしまうから。
彼と話してしまえば、まどかはきっと問い詰めてしまうだろうと自覚していた。
それにまどかの親友なら、きっと想い人が元気でいてくれる方が嬉しいと思うから。
そんなどこかギクシャクとした空気を残しながらも、流れていく時間にいつしかクラスメイト達がさやかの事を気にしなくなっていく。
それでもまどかは、さやかがいつ戻ってきても良い様に授業内容をノートに取り、あまり得意ではない勉強を頑張った。
このまま来年になってしまえば、もう中学三年生だ。
受験が迫る中、元々まどかと同じくらい成績の良くないさやかにとって、授業に付いていけない事は致命的と言っても良いだろう。
進学するにも、最低限の成績は維持しなければどうにもならない。
だからこそ自分がほんの少しでも手助けできるように、いつ親友が復帰しても良いようノートを取り、出来る限り内容を詳しく教えられるように勉強した。
それくらいしかできない自分が歯がゆく、未だ目覚めない彼女の一刻も早い目覚めをまどかは願っていた。
その祈りが通じたのは、事故から半年が過ぎた頃。
ようやくさやかが目を覚ましたと、待ち望んでいた吉報を知らされた。
勿論、知らせを受けるなりまどかはすぐに会いに行こうとした。
だが事故の後遺症か、さやかの容態は未だ不安定であるらしく、親族以外に面会の許可は未だ下りていなかった。
それでもまどかは辛抱強く病院に通った。たとえ会えなくても、さやかの様子を聞くことくらいはできたから。
その間にももう何冊目になるだろう授業ノートを作ったり、必要なプリントを預かったりと。
まどかは自分にできる精一杯の事を頑張ろうと決めていた。
そしてようやく落ち着いたのか、遂にさやかと面会できることになった。
だがまどかがお見舞いに行った際、病室での彼女の様子は以前の物とは一変していた。
かつての快活さは見る影もなく、陰気でどこか張り詰めたそれへと変わっている。
それが事故の所為なのだと頭では理解できても、そのあまりの変貌ぶりに驚いてしまう。
「……ごめん、あんた誰だっけ?」
彼女の目はまるで汚い物を見るかのような嫌悪が込められており、その口からはまるで初対面のような余所余所しい言葉が吐き出された。
親友のそんな態度に、まどかの心はどうしようもなく打ちのめされてしまう。
これは罰なのだろうか。
何もできない。何の力にもなれない。無力で無様な自分への。
それでもまどかは、傍に居続けた。
たとえ何も出来なくても、彼女を一人ぼっちにはさせたくなかったから。
想えば願いは叶うと、『いつかさやかちゃんが元に戻ってくれる』と信じた。
しばらくしてまどかの願いが通じたのか、表面上は落ち着いたさやかに、退院の許可が下りる。
そしてまどかは、恭介やさやかの両親にも協力して貰い、退院祝いのサプライズイベントを用意したのだ。
まどかにしては珍しく強引に、さやかを屋上へと連れ出すと、そこではさやかの関係者一同が勢揃いしていた。
「退院おめでとう、さやか」
「おめでとうさやかちゃん、またみんなと学校行けるわね」
さやかの両親が温かな笑みを浮かべて愛娘の回復を喜んでいる。
その周囲に並ぶ医療スタッフ達も、奇跡の回復を果たしたさやかを口々に言祝ぐ。
それらが一段落した後に、真打の登場とばかりに現れたのは、さやかの想い人である『上条恭介』だった。
彼は覚悟の込められた瞳で、真っ直ぐにさやかを見つめていた。
「さやか……君にはすまない事をしてしまったと思ってる。あの日僕が遅れなければ、君が事故に遭う事もなかったんじゃないかって、ずっと後悔していた。
謝れば許してくれるだなんて、そんな都合の良い事はもう思わない。だけどせめて一曲、聞いて欲しいんだ。――僕の想いを」
そして恭介が奏でる演奏はなるほど、音楽に関して素人のまどかですらも聞き惚れるような旋律だった。
そこに込められた情熱、誠意、彼のさやかへのひたむきな想いが直接伝わってくるようで、単なる聴衆の一人でしかないまどかですら感動を覚える物だ。
周囲の関係者達も心地良さそうに耳を傾ける中、当のさやかの様子が気になったまどかは、隣にいる彼女の様子を窺った。
「あは、は……そっか、そういう……事ね。うん……うん、ありが、とね」
「さやかちゃん、泣いて――」
「ぁ……これ、は……<嬉し涙>ってやつ? だから大丈夫……いやほんと、大丈夫だから」
お願いだからそれ以上構わないでくれと言いたげに、さやかは顔を伏せてしまう。
その涙を見て、何か致命的な失敗をしてしまったのではないかと、まどかは漠然とした危機感を抱いた。
(さやかちゃんなら、喜んでくれるって思ったんだけど……わたし、余計な事しちゃったのかな)
彼女の想い人の演奏ですら、彼女の心には響かなかったのだろうか。
かつてはすぐ近くに感じられた親友の心。
それが今では、どこか遠くに感じてしまう。
言葉少なに立ち去る親友の背中を、まどかはただ呆然と見送っていた。