水底の恋唄   作:鎌井太刀

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第五話 あんな××なんかいらないよ

◇◆◇◆◇

 

 

 夜の病室で沙紀と過ごす蜜月の時はすぐに終わりを迎えた。

 沙紀の存在が生きる活力となった為か、さやかはついに退院の日を迎えてしまったのだ。

 非常に名残惜しくはあるが、決まってしまった物は今更どうしようもない。

 

 それに沙紀がいるとはいえ、壁一枚隔てた傍にたくさんの肉塊共が収納されている病院は、決して居心地の良い場所とは言い難い。

 定期的に関わってくる医師や看護師らしき肉塊の存在もストレスだった。

 

 だからさやかは退院が決まった日の夜、意を決して沙紀を自分の家に誘った。

 

「ねぇ、沙紀。あたしと一緒に来ない?」

「……行くって、さやかの家にってこと?」

「そうだよ。あたしの部屋結構広いからさ。沙紀一人くらい増えたって全然余裕だと思う。だからさ、一緒に行こうよ。

 あたしは沙紀と、このまま別れたくないんだ」

 

 熱を込めて説得するさやかだったが、沙紀の表情はいつまでも晴れなかった。

 憂いを帯びた顔でさやかを見上げている。

 

 その理由がさやかには分からなかった。

 否、目を逸らしてしまっていた。

 

「……さやかは、両親と一緒に暮らしてるんでしょ?」

「まぁ、うん。けどうちの両親って共働きだから、昼間は誰もいないはずだよ。それにあたしの部屋には鍵も付いてるし、沙紀が来るなら絶対に入れさせないから」

 

 それを聞いても沙紀は、首を縦に振ってくれない。

 そんな生活が長く続くわけがない事を、沙紀はさやかよりも理解していたのだろう。

 

 家の中に沙紀の様な異物が入れば、そこの住人にバレないわけがないのだと。

 

「やっぱりダメだよ……さやか。それじゃいつまでもわたしを隠せないって事くらい、わかってるよね?」

 

 沙紀の言葉を咄嗟に否定したかった。

 うまくやれる、あたし達なら絶対に大丈夫だから――だがその言葉も、沙紀の悲しげな顔を見てしまえば、なんとも根拠のない薄っぺらな言葉でしかなかった。

 

(沙紀はあたしなんかよりもずっと頭が良いから、あたしのこんな浅い考えじゃダメだって、わかってるんだ)

 

 あまり頭の良くない自分がこんな時ばかりは憎らしかった。

 沙紀を守りたいのに、こんな様では沙紀を危険に晒してしまいかねない。 

 

 それでも、沙紀と別れる選択肢だけは選びたくなかった。

 もしも選ぶ時が来たなら、それはきっとさやかが死ぬ時か、沙紀を肉塊共から逃がす時になるのだろう。

 

 そんな救いようのない結末だけは、断じて認めたくなかった。

 

「……なんであたし、子供なんだろう」

 

 せめて大人であれば、取れる手段はもっと増えただろう。

 

 さやかはただ沙紀と一緒に居たいだけなのに。

 本当なら一分一秒だって離れたくなんかない。

 

 別にお金持ちでなくてもいい、権力だっていらない。

 天才じゃなくても、何か特別な力がなくても全然構わない。

 

 ただ沙紀と二人で暮らせるだけの力があれば良かったのに。

 沙紀の側だけがさやかの生きる場所で、それ以外の世界は全て肉塊共の蠢く地獄でしかないのだから。

 

 絶望のあまり涙を流すさやかを慰めるように、沙紀は後ろからさやかを抱きしめた。

 

 これではどちらが年上なのか分からない。

 とはいえ、出会いからして沙紀には情けないところばかり見られてしまっているので、既に今更な話ではあったのだが。

 

「……ねぇ、さやかは<魔法>って信じる?」

 

 沙紀がさやかの耳元で囁いたのは、夢物語のような都合の良い言葉だった。

 

「ちょっとさやかにも協力してもらうけど、()()()()()使えるはずだよ」

 

 魔法の話をしているのに理論的とはおかしな話だとさやかは思ったが、沙紀の言う<魔法>とは、一つの技術体系の様だ。

 

 沙紀が言うには、この世界には魔法が確かに存在し、日常の裏側に秘匿されているらしい。

 その起源はこの惑星の外にまで遡れるとの事だったが、重要なのは<魔法>という力は「感情()さえあれば使える技術」であるという点だ。

 

「だから沙紀が魔法を使えば、さやかと一緒に暮らせるんだけど……魔法で<どの手段>を選んでも、さやかの両親に干渉しなくちゃならないの」

「なんだ、沙紀はそんな事気にしてたの」

 

(沙紀って本当に優しい子だよね。あんな肉塊共を気にしてあげるだなんて)

 

 今となってはあの二つの肉塊から自分が生まれたなんて、さやかには信じられなかった。

 他の肉塊と何が違うのか、今でもさっぱり区別が付けられない。

 

 ただただ気持ち悪く、おぞましく、吐き気がする。

 そんな冒涜的な肉塊共がどうなろうが、さやかにはどうでも良かった。

 

「あたし達の邪魔になるなら、あんな肉塊(両親)なんか要らないよ」

 

 沙紀の両親の話を聞いた時、さやかは羨望を覚えた。

 

 だけど、とさやかは思い直す。

 さやかの記憶にある両親もまた優しく、尊敬できる大人達だった。

 

 そんなさやかの両親もきっと、さやかの事を愛してくれたのだろう。

 希望と共にこの世界に生んでくれたのだろう。

 羨望せずとも、さやかもまた愛されて生まれてきたのだと信じる事ができた。

 

 

 

 ――だから断じて、あんな肉塊共からひり出されたはずがない。

 

 

 

 両親の皮を間違えて裏側にして被っている様な肉塊共には殺意しか沸かない。

 愛する彼らの真似を肉塊共が醜く真似する度に、さやかの心の底には憎悪が募っていた。

 

「さやか……うん。それじゃお邪魔しようかな。だって約束したもんね。

 沙紀はずっと、さやかの傍にいてあげるって」

「……ありがとう、沙紀」

 

 後ろから回された沙紀の手を、さやかはそっと握る。

 

 この狂った世界で、さやかはもう大それた願いなど持たない。

 けれどもただ一つだけ、決して譲れない想いがある。

 

 さやかにはもう、沙紀がいればいい。

 沙紀だけがいればいい。

 

 それを邪魔する肉塊共(ヤツラ)に、容赦なんかしない。

 

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇

 

 

 ――数日後。さやかは登校の準備を終え、学校の制服へと着替えていた。

 

 久しぶりの制服は案の定ヘドロの様な汚泥がこびり付いていたが、この汚れは幾ら手洗いしても決して落ちる事がないことを既に知っている。

 

 そもそも骨と筋で出来たような蛇口から出た水ですら、血の様な粘性を持ちうっすらと赤味を帯びているのだ。

 そんな水でいくら洗ってもそれこそ血で血を洗うような物だろう。むしろ洗濯しないほうが汚泥も落ちてよっぽど綺麗に思える。

 

 とはいえ、肉塊共に紛れるにはこんな服を纏った方が効果的なのかもしれないとさやかは考えていた。

 迷彩効果とでも言うのか、さやかが血塗れとしか思えない制服を着ていれば、似たような肉塊共も違和感を覚えないのだろうと推測できる。

 

 念のため沙紀にもおかしなところがないか聞いてみたのだが「さやか、すっごく可愛い!」とはしゃいだ様子で「可愛い」を連呼しており、普段の賢く大人びた様子が微塵も見られず、年相応の無邪気さを発揮していた。

 

(可愛い可愛いって……まったく、沙紀には負けるってのに、もう)

 

 恭介にすら一度も言われたことのない褒め言葉に、思い返す度にさやかの頬が赤くなってしまう。

 こんな制服姿を褒められても正直微妙なはずなのだが、沙紀のまっすぐな賞賛はそれだけで心地好い物だった。

 

「……いってきます」

 

 リビングに蠢く両親らしき二つの肉塊に一応挨拶するものの、沙紀の魔法が十分に掛かっているのか、さやかの言葉に反応らしき反応は見られなかった。

 

(本当にすごいな、沙紀の魔法は)

 

 沙紀が掛けた魔法は暗示のような物であり、さやか達にとって理想の環境を作ってくれた。

 あの二つの肉塊は今後さやか達に干渉する事なく肉塊共の日常を送り、さやか達の平穏を守る文字通り肉壁になってくれるはずだ。

 

(才色兼備で超絶美少女、あげくの果てには魔法少女ってか!

 かーっ、まったく沙紀もどこまでキャラ立てすりゃ気が済むんだか。そこが萌えか! 萌えなのかぁ!?

 沙紀はあたしをどこまで惚れさせる気なんだぁー!?)

 

 自分はノーマル、ノーマルなんだと内心で呟いても、では普通(ノーマル)とは何だという命題に突き当たる。

 

 普遍的な常識や健常さなど、この狂気の世界で失われて久しい。

 さやかが少し目を外界に向ければ、そこには肉塊の化け物どもが闊歩している。

 

 建物は腫瘍のように屹立し、天は禍々しく歪み、空気はどこまでも淀んでいた。

 そんな狂気の世界で学校に通うなど、最早正気とは思えないが、沙紀との日常を守るためにも頑張らねばならないと、さやかは意を決して学校へと向かう。

 

 周囲の景色が臓物色に狂っているせいで今一ピンと来なかったが、立地そのものは入院していた半年で大きな変化もなかったのか、大して迷うことなく進むことが出来た。

 その通学路の途中、いつも<まどか>と待ち合わせしていたと思われる場所に、一個の肉塊がぽつんと立っていた。

 

()詐埜苛チyaんn(さやかちゃん)お把Y雄ぅ(おはよう)!』

「……あぁ、うん」

 

 頭上にある孔から臭気を吐き出し、歪な眼球がぐるりと反転する。

 相変わらず醜悪極まりない肉塊だが、恐らくこの個体がまどかなのだろう。

 

 まどかとは似ても似付かない肉塊が、まどかの真似を下手くそな演技でしているみたいで、目にするだけで殺意が沸いた。

 

(なんで登校中まで、こんな肉塊と一緒にいなきゃいけないの?)

 

 それはまどかと交わした約束だ。

 小学校の頃からの習慣であり、欠かせない朝の日常だった。

 決して肉塊を連れ歩く事なんかじゃない。

 

「ねぇ……もうやめて欲しいんだ。こういうの」

()Dお()慟Iウ子Tぉ(どういうこと)?』

 

 相変わらず聞こえづらい声だったが、どうやら疑問の声を上げているらしい。

 さやかにとっては、当たり前すぎる事を言っているだけだというのに。

  

「一人の方が気楽だし、放っておいて欲しいんだ。

 ……<まどか>ならあたしの気持ち、分かってくれるよね?」

 

 本当にこの肉塊がまどかなら、さやかが嫌がる事をするような少女ではない。

 

 けれどやはり肉塊相手にそんな期待などするべきではなかったのか、肉塊はぐねぐねとその体を不規則に脈動させながらキチキチとした鳴き声を上げる。

 

D柄()弟■汚(でも)査ヤ苛血ゃンを補うッ手奥難%(さやかちゃんを放っておくなんて)

「――わっかんないかな! 邪魔だって言ってんの! あたしの側に寄られると迷惑なの!」

皮うッ(ひぅっ)……!』

 

(もっと早く、こうしていれば良かった……!)

 

 目覚めた当初は混乱していて、その次は現状に慣れるのに手一杯だった。

 すり寄ってくる肉塊を拒絶してしまえば、その醜悪な外見に相応しい本性を剥き出しにして襲いかかってくるのではないかと恐怖していた。

 

 だが今のさやかの胸には、小さな勇気が宿っている。

 この世界にたった一人でも、側にいたいと思える存在がいる。

 

 沙紀の存在があるからこそ、さやかは強くなれた。

 たとえ孤立したところで、さやかにとっては肉塊から距離を取れて万々歳であるし、むしろ沙紀以外の全てが鬱陶しく思えた。

 

「……じゃあ、もう話しかけてこないでよね」

 

 不気味に震えるだけの肉塊にそう告げると、さやかは一人で学校へ向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 




Q.キュゥべえって今どうなってるの?
A.もぐもぐ(きゅっぷい)。
 沙紀のおやつには困りません。

 次回、遂にほむほむが登場()。

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