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「おたまさん、行ってきます」
わたしはおたまさんにそう声をかけて、長屋を出た。
「行ってらっしゃい」と声を返して、おたまさんは布団に戻っていきます。
おたまさんは夜遅くまで仕事しているので、朝にわたしと田助と一緒に起きるのは辛いはずなのに、ちゃんと一緒に朝ごはんを食べてくれています。そのことについて、「無理はしなくていいんだよ?」と言ったら、「一緒に暮らしているのに食事の席を別々にするなんて、家庭崩壊の危機!! そんなことは良妻賢母を自負しているわたくしには許せませんとも! 何も心配することなどありませんよ! ええ!!」ってすごい勢いで言われて、食事はみんな一緒に食べることになりました。
わたしや田助を気遣ってそんな風に言ってくれるのは嬉しいのですが、おたまさんが体調を崩さないか心配してしまいます。早く、大人になっておたまさんを助けられるようになりたいです。
わたしと田助はあの騒動の後、おたまさんと一緒に暮らすことにしました。
おたまさんの他に清姫様も一緒に暮らさないかと声をかけてくださったのですが、わたしはおたまさんの方にお世話になることにしました。清姫様には、申し訳ないですが、やはり、いきなりお城暮らしというのは、実際に自分がそれをすると思うと、とても恐れ多い気がして、無理だ! って思いました。
それでも、清姫様はせめて暮らすのが無理ならお城で働いてはどうかとお仕事の紹介をしてくださって、今、わたしはお城で下女中として炊事や清掃などのお仕事をしています。
それに清姫様が口をきいてくださったおかげで、田助を一緒に連れていってもお仕事できるのが、本当にありがたいことです。清姫様にはお世話になりっぱなしで本当に頭が上がりません。
お城に着くと先輩の女中さんたちがお仕事の準備をしていました。
「おはようございます」
「おぬい、それに田助もおはよう。今日も頑張っておくれ」
「はい!」
わたしは返事を返すと早速お仕事に取り掛かりました。
昼食も食べ終わり、お仕事もひと段落しました。
つまり、暇な時間です。
こういう時は、皆さんのんびりとお茶を飲みながら世間話をするのが、いつもの習慣になっています。
わたしもお茶を飲みながらみなさんのお話を聞くのですが、あまりわたしにはピンとこない話が多いです。早く、大きくなって皆さんの話をちゃんと分かりたいと思います。
そんな感じでのんびりとした時間を過ごしていると、扉から清姫様付きの女中の方がわたしを呼びに来ました。
「おぬい、清姫様がお呼びになってるよ」
「分かりましたー」
清姫様は時々、話相手としてわたしのことを呼んで、お菓子やお茶を振舞ってくださいます。
わたしは清姫様とお話できて、楽しいのですが、他の女中の皆さんに申し訳なく思います。
しかし、皆さんは「清姫様はお城が壊されてから、率先して城下の人たちのためにとても良くしてくださったからね。そのお方があんたと話して心安らかになられるなら私たちにとやかく言うことはないよ」とおっしゃってくださいました。皆さんが本当に清姫様のことを大事に思っているのがよく分かります。
清姫様の部屋に行くと、清姫様は笑顔でわたしを迎えてくれました。
部屋には美味しそうな見たこともない菓子が用意されて、お昼を食べた後だけど、お腹がきゅーと鳴りそうなほど食欲を刺激されます。
「今日の菓子は南蛮から取り寄せた、とっておきの菓子なんですよー」
「毎度、毎度、すみません。こんな珍しいものを私たちに」
「いえいえ、いいんですよ。あなたは、あの方たちの大切な恩人だと聞いてます。それはすなわち! 私、ひいてはこの下総国の恩人でもあるのです! その恩人に対してせめてお茶の時間に美味しい菓子を振る舞うくらいのことはさせて下さい!」
清姫様はそう力強く言って、笑顔でお菓子を勧めてくれます。
「清姫様……。ありがとうございます! そう言われるなら遠慮なくいただきます。ほら田助も清姫様にお礼を言って」
「きゃっきゃっとー」
「はい、どういたしまして。田助は偉いですねー」
清姫様に頭を撫でられながら、そうお礼を言われて、田助も嬉しそうにしています。
「さぁ、お茶も冷めてしまいますし、早く菓子を食べましょう」
その言葉を合図に私たちはお菓子を食べ始めました。
「すっごい、おいしー! これ、なんてお菓子なんですか!?」
あまりの美味しさに声が大きくなってしまいます。
このふわふわとした食感に口いっぱいに広がる上品な甘さ。幸せに味がついてるならこんな味なのではないでしょうか。
「ふふ、落ち着いて。かすていらという菓子ですよ。私も名前は知っていたのですが、食べるのは今日が初めてなんです」
「わたし、こんな美味しいもの食べたのはじめてかもしれません! ほら、田助もお食べ」
「きゃっ、きゃっ、きゃっ!」
「田助も喜んでるようですね」
「武蔵ちゃんたちにも食べさせたかったなー……」
「そうですね……」
「あ、すいません! わたしったら」
「いえ、いいのですよ。いけませんね、ついしんみりしてしまって。こんな美味しい菓子と茶をいただきながら暗い顔をしていたらあの方たちに笑われてしまいますね」
「そうですよ。武蔵ちゃんとか『そんな顔でこんな美味しい菓子をいただくなんて、いけないわ。食事は笑顔でなくちゃ!』って言うと思います」
「あの方ならそう言いそうですね。ほんと、賑やかな方たちでしたね……」
「はい……」
あの賑やかな日々を振り返ると、懐かしさと淋しさが同時に押し寄せるような気持ちになります。
わたしはまだあの人たちのように未来に目を向けて歩き出せていないのでしょうか。
口の中に広がる甘さがこのほろ苦い気持ちを溶かしてくれたらいいのに。
「ただいまー」
「はい、おかえりなさい」
家に帰るとおたまさんが夕食の準備をしてくれていました。
わたしはおたまさんのその姿がお母さんみたいで心がふんわりと温かなくなるような気がして、少し顔がにやけてしまいます。
けど、そのことを言うとおたまさんはきっとフクザツな顔をしそうなので心の中で思うだけにします。
乙女心は繊細なのです。
「今日のお勤めはどうでしたか」
「今日も変わりなく、ちゃんとお勤めました。あ、それと清姫様がお茶に誘ってくれて、かすていらってすっごい美味しいお菓子をご馳走してくれたの!」
「おやおや、それは、それは。まったく、お姫様ってのは優雅な生活をしていることで。わたくしもお姫様生活をしてみたいものです。」
「あ、あと、お土産にって。かすていら、おたまさんの分も清姫様が持たせてくれたよ」
「みこーん! なんと! ここにきて、この心遣い! これがプリンセス! プリンセスの余裕という奴ですか! きぃっっ、おたま、なんだか分からないけど負けた気分!」
「清姫様はほんとお優しいよねー」
「くっ、童の心すらがっつりハートキャッチとは。あのお姫様、やりますね」
「きゃっ、きゃっ、だうー」
私たちはそんな風に一日の報告をしながら、一緒に夕食の支度をします。
こうしていることが当たり前のようで、それでもやっぱり当たり前じゃないのが不思議な気分になります。
ただ、こうしてることが本当にわたしは楽しくて、幸せで、時々涙が出そうになります。
両親がいなくなって、じいちゃまと暮らすようになって、おにいちゃんたちに出会って、おたまさんと暮らすことになって。
出会って、別れて、また出会って、その繰り返しの中で私たちは嬉しかったり、悲しかったりをまた繰り返して。
何だかそれは終わりのない芝居のようで、気が遠くなるような不安な気持ちになります。
それでも、わたしは今感じる幸せのために生きたい。
一生懸命に生きることの大切さをわたしは教えてもらったから。
その受け取ったものをわたしは大事にしたい。
背中の田助がしがみついてきました。
そうだね。田助もわたしと同じだもんね。
わたしは隣のおたまさんをちらっと見ます。
今はもういない大切な人たち、今いる大切な人。
胸の中の寂しい気持ちと暖かな気持ちがいっしょに混ざって、言葉にならない気持ちが出来上がる。
この気持ちを私はずっと引きずっていくんだろう……。
「「ごちそう様でした」」
「きゃっ、きゃっ、うー」
そう言うとおたまさんは出かける準備をし始めました。
「それじゃ、わたしはお店の方に行ってきますから、片付けはお願いしますね」
「はーい」
返事を聞いた後、何処か嬉しそうな顔を残して、おたまさんは仕事に向かいました。
「おたまさんは大変だねー」
「あうー」
「わたしも早くおたまさんみたいに一人前にお仕事できるようにならなきゃ」
そう呟くと、田助の首が船を漕いで眠たそうにしています。
「田助、もう眠い?」
「うっ……、うっ……」
「今日はお昼にお菓子食べたし、お腹いっぱいでもう眠いよねぇ。わたしも。もう寝ちゃおうか」
「あーい……」
田助を布団に入れて、私ももう寝ることにしました。
何か特別なことが起きるわけでもない、平凡で普通な一日が終わる。
それがわたしが大切に思う人たちがくれた何よりも特別な贈り物なんだろう。
意識が沈む。
今日という日が過去になり、明日という未来が始まる。
その有り難さが今はとても尊いものに思える。
夢を見た。
それは青空の下に、じいちゃまがいた、おにいちゃん、赤毛のおにいちゃん、そして決して忘れることのない二刀を持つ侍がいた。
一緒にいた期間はそれこそ瞬きのような一瞬だった。
しかし、その刹那のような時間がわたしの人生の中でいちばんの輝きを持っていた。
剣を持てば無双。しかし陽だまりのような暖かさを持った人だった。
よく、田助と一緒に日向ぼっこをしているのを見た。
それはどこにでもいる娘子のようで、誰が見ても天下無双と名高い侍とは思えない、穏やかな姿だった。
だからだろうか。
彼女を思い出すと陽だまりのような優しい太陽の光を思い描く。
あぁ、そうだ。彼女は青空が好きだと言っていた。
あの広い青空、どこまでも広がる果てなき蒼は彼女の何事にも囚われない自由な生き方と同じだ。
無限の空に思い出す、天元の華。
わたしはあの華の輝きを決して忘れない。