『黒虎』。その異名は裏社会において最大級の触れてはならない存在です。かの者が通った跡地は荒野と化し、壊滅させられた組織は数知れず。
ビーハイブ最強のヒットマンが、若を殺しに来たのです。
「なるほどなるほど。やはりビーハイブの大幹部様は戦争を諦めていませんでしたか。何か火種を起こすとは考えていましたが、まさか若の命を直接狙ってくるなんて………はぁ。私としたことが随分と間抜けでした」
「ど、どう言う事ですか………? 何故、佐々木様が……」
「ですが此方も嘗められたものですね。こんな白昼堂々と暗殺を行ってくるとは思ってもいませんでしたよ」
私の登場を予期していなかったのか、プロのヒットマンである筈の彼が動揺している事に少し疑問はありましたが、まずは若の安全確保が先決です。
彼と同様に後ろで驚いたまま硬直している若の襟首を掴み────なんとなく目に入った小咲さんの方に投げ飛ばします。
「────へぇ?」
「ぬおおぉぉおぉおのでら、避けッ!!」
若の悲鳴を勝手に合図にして、私は一歩踏み出しました。
「っ!!?」
「チッ………これを見切りますか。流石は黒虎」
一歩目から二歩目の踏み込みへ。その間のみで彼の元に辿り着くと同時に木刀を振るった。
『縮地』と呼ぶ歩法技術。緩やかな動きから一瞬で最高速度へ、かつ落下の加速度を付けたその踏み込みは初見なら殆ど防ぎようがない。だというのにそれを防いだ目の前の男は、やはりあの『黒虎』本人だと言うこと。
彼の得物である2丁拳銃の銃身でしっかりと私の木刀を受け止めている。
「よく、わかりませんが………その身のこなしに、私達の事情を知ってる貴女は集英組と言うことか」
「おや? 私の事は知らされていなかったのですか。なるほど………私など取るに足らない人間だと、そう思われているようですね」
どうやら本当に嘗められていたらしい。腹が立つ。
潜入任務で標的の護衛の情報が当人に渡されていないなど………取るに足らない存在だと馬鹿にされている以外あり得ないです。
なら、その認識を訂正してもらわねば私の看板が廃るというもの。
「はぁぁ!!!」
「ッ!!?」
ショルダータックルの要領で黒虎の腹目掛けて思いっきり体当たりします。反応されて腕で防がれてしまいますが、衝撃は殺し切れなかった様子。面白いように吹き飛んで──────いや、衝撃を後方に受け流した?
思った以上に吹き飛んだことで私の間合いの外に逃げられてしまいそうになります。軽やかにバク転して空中で体勢を整えている黒虎に、余裕を与えないよう再び大きく踏み込んで斬り掛かります。
「んッ?」
が、刀が彼に直撃するその直前………爆音と共に木刀の腹にかなりの衝撃が奔った事で軌道が逸らされてしまった。
まさかと思い彼の手の中にある拳銃を見れば、私の木刀に銃口を向ける様子がわかった。
「斬撃を見切って弾丸を当てたのですか!?」
「私の拳銃は手足も同然。まあ、貴女の得物が真剣で無かったお陰ですが。それに────」
黒虎が更に一歩後に退きながら私に銃口を向けてきます。そのままトリガーに添えられた指が引かれ、弾丸が発射される。
「弾丸をこうも容易く斬られてる方が驚きですよ」
発射された弾丸をタイミング良く木刀で切り捨てれば、呆れた様な声色で黒虎に皮肉を呟かれました。
貴方に言われたくない。こちとら弾丸斬りなどメチャクチャ神経削ってやっているんです。しかもゴム弾だから出来ることであって、実弾でこの距離から射撃されたら普通に間に合わずに終わりです。幾ら目線と銃口から軌道を予測して射線上に木刀を置くことで防いでいるとは言え、実弾なら微調整する隙が無いから無理。
ぶっちゃけ、刃の背が太い木刀だからできたタネのある曲芸です。高速で動く木刀の腹に弾を当てる神業と一緒にしないでください。
ですが、アドバンテージは私の方にあります。幾らかの有名な黒虎でも刀の間合いでは思うようにその力を振るえていない様子。本来であれば彼の間合いはもっと外です。だから今も何とか私の猛攻を迎撃しつつ後ろへと逃げ続けているのでしょう。
「あの黒虎さんが逃げてばかりですか! とんだ腰抜けですね!」
「挑発には乗りませんよ!」
逃げてばかりでは彼に勝ち目はありません。事実、黒虎を追い込むことに成功しているのですから。彼の後ろは既に校舎が迫っています。このまま後方に下がれば壁にぶつかりますし、左右に逃げようないよう私が牽制しているので横に逃げることは不可能。
ならばと更に追い込む様に二刀の木刀で攻撃に圧を掛ければ、黒虎はこれまでより勢いよく後方へ跳びます。
少しだけ距離が離れた隙に、何やら持っていた拳銃を懐に仕舞い込んで新たな武器を取り出しましたが、構えるよりも前に黒虎は校舎の壁にぶつかりました。
「貰ったッ」
足が止まった彼に反撃を警戒しつつ木刀を振り下ろします。すると彼はその一撃を高く跳躍することで躱しますが────身動きの取り辛い空中など逃す筈がありません。
そう考えて追撃をしようと木刀を上に振り……………
何故か、空振った。
「………はっ?」
思わず呆けた声が出てしまった。
だって………だって、黒虎が空中を浮いている。いや、どんどん空へ登っていくんですから。時折窓の縁を蹴って登っているように見えますが、それでも浮き上がっていく様子は不自然でした。
まるで何かに引っ張られているような………。
いや、そうか。引っ張られているんだ。銃口からワイヤーが伸びている特殊な拳銃によって。
私の木刀を空中で避けたのと同時に発泡し、屋上の屋根にワイヤーの付いた弾を着弾させ………恐らくだが、繋がっているワイヤーを巻き付ける機能がついた拳銃が彼を上へと引っ張っているのでしょう。
彼はそのまま3階まで登ると、校舎の中へ入って行きました。恐らく距離を取るためか………このまま雲隠れする為でしょう。多分ですが、学校への侵入とあってか黒虎の装備も不十分。装備を整えられてから襲ってくる可能性がある。
なら、装備を整えられる前に今叩かなくては。
「壁登りが出来るのは貴方だけではありませんよ」
私は木刀を仕舞い込みながら少し助走して跳躍します。次に一階の窓の縁を足場にもう一度跳躍し、更に二階の窓縁下に足を掛けて跳ぶ。続けて二階の窓の縁を掴みながら、勢いのままに腕に力を入れて下半身を上へと持ち上げます。
こうすると鉄棒の大車輪を思い出しますね。ですがあの時の様なヘマはもうしません。
手を離して空中で一回転し、三階の窓の縁へに手を掛ける。そして最後の一踏ん張りと力を入れて上半身を持ち上げ、黒虎が侵入した窓から校内に侵入しました。
辿り着いた先は教室が列ぶ廊下。左右に目を向ければ、私の侵入に気付いたらしい黒虎が振り向いた姿勢のまま、あり得ないものを見たような表情で固まっていました。
「隙あり!」
仕舞い込んでいた木刀を抜き放ち、彼目掛けて投げ飛ばします。
しかし流石は悪名高い黒虎。当たる直前で軽く首を振って避けられてしまいました。
彼が木刀に気を取られている間に走り出していた私は距離を詰めて襲いかかろうとしますが、間合いに入るよりも先に銃口を向けられる方が早かった。
彼の目線と銃口からある程度の弾道を予測、発砲タイミングに合わせて斬り落とせば距離を詰められそうです。
そう考えていた私を嘲笑うかのように、彼は何故か私から銃口を逸らして壁へと発砲しました。
「なにを、ッが!?」
脇腹に、激痛。
体勢が崩れる。
視界が揺れる中、何とか倒れるのを防ぎますが足が止まってしまう。
「貴女を甘く見ていました。ここからは本気でやらせて頂きます」
黒虎の声が聞こえてくる。直後、悪寒。
直感を頼りに身体を前へと倒せば、頭の上をゴム弾が高速で通り抜けていく風切り音が聞こえた。
「ヴゥ!?」
次に太腿に激痛。だけどそれが気付け薬の代わりになってくれたらしい。視界が定まり、黒虎の様子が見えた。
それは二丁の拳銃を壁と天井に向けた姿。銃口からマズルフラッシュが見えた時には私の右肩と左手に衝撃が奔り、後方へと強制的に身体が退いてしまう。
「ッ………」
的外れな発砲。しかし、外れた銃弾が私に当たる原理はすぐにわかった。
ゴム弾による跳弾。周りが鉄筋コンクリートだからこそ出来る技。実弾では貫通してしまう為こうはいかないが、ゴム弾だからこそできる技だ。加えて、跳弾する方向を正確に予測して私に当てる精密さ。
ここはただの学校の建物だ。コンクリートだけでなく、木造に窓ガラスだってある。幾らゴム弾でもガラスを割ったり、めり込んだりしてしまう。なのに、コンクリートだけを選び取り私に当ててくる。
絶体絶命。そう思った。
だけど私は負けられない。若の命に危害を加えようとする輩がいる以上、私は負けてはならない。
そう覚悟を決めて再び黒虎に目を向ければ…………奴は構えを解いていた。
「もう止めましょう。周りを壁で囲まれた貴女に勝てる見込みはない。それに、お嬢のご友人をこれ以上傷付けたくありません」
いつの間にか射撃が止んでおり、黒虎が私にそう声を掛けてきたのだ。
私の頭が真っ白に染まる。勝てないだとか、傷つけたくないとか………ふざけた事を告げてくる奴の言葉が、私の心を突き立ててくる。
「貴女の主を攻撃しようとしたのは………謝ります。お嬢のパートナーに相応しいのか確かめたくなってこの様な暴挙をしてしまった。しかし、言い訳になりますが殺すつもりは最初から無かったのです。一条楽に攻撃はもうしません。信じてくださ────
「うるさい」
奴の休戦の声を遮り黙らせる。
…………なるほど。どうやら主である千棘さんの事を想うがゆえに暴走してしまったと。まあ、わからないでもない。うちの組の連中も若の事となるとよく暴走してしまうから、恐らく似たような物なのだろう。
「なぁアンタ」
もう若に危害を加えない。確かにそれが本当ならばもうこの男と戦わなくて良い。若の警護という任務は達成された。めでたしめでたし。
巫山戯るな。それで全てが通ると?
「極道ってのは掲げた代紋とメンツで生きてんですよ。だってのに、敵に情け受けて喧嘩止めてもらって………それで若を守りましたなんて口が裂けても言えねぇんですよ」
極道は嘗められたらおしまいです。父から何度も聞かされた言葉。
なのにこの結末。敵に庇護を受けて助けられるなんて、許せる筈がない。侮られている状態のまま終わるなんて、私の顔に泥塗りたくられたまま帰らせるなんて、絶対にさせない。
もう、ビーハイブとの抗争なんて関係ないのだ。集英組組員である私が嘗められたままなど、組の沽券に関わる問題。これだけはどんなに両者で血が流れようと無視できない事。
それに、私個人としても奴にどうしても許せない部分がある。
「構えてください、黒虎………いや、鶫誠士郎。ここからはただのメンツの問題。嘗められたまま帰れない」
木刀を両手で握り、構える。私の覚悟の現れを見てか、困った表情から一転、精悍な顔立ちとなって彼もまた自然と構えた。
その様子を見て、私はまた苛立ちを募らせる。やはり絶対にこの男とは相容れない。絶対に負けたくない。そう、強く思う。
何故なら。
「集英組若頭補佐 佐々木理央の名。甘く見てんじゃねぇよ!!」
マジで、顔の良さが気に入らねぇからだ!!!!!
そのイケメンフェイスで勉強も運動も性格も良くて、凄腕のヒットマンとか言うモテる要素てんこ盛りのお前が許せないィィィィ!!!!
万感の想いを持って駆け出す。
当然奴もまた跳弾を利用した射撃を行おうとするが、それよりも前に私は窓際へと寄った。
「なっ」
一瞬撃つ事を躊躇った誠士郎。それは私が素早い挙動をしたからではなく、跳弾の出来ない窓ガラス方向へ寄ったからだ。
換気の為か開いている窓も多く、また割れて跳弾出来るかも怪しい窓ガラス。それでもガラス縁に弾を上手く当てて跳弾させていたようだが、ここまで寄れば跳弾に使える縁は使い辛いだろう。
気にしなければならないのは天井と地面と、教室側の壁だけ。
「一芸だけで私に勝てると思うな」
3方向、しかも壁側の角度から来る弾丸だけなら、避けるのは難しくない。
首を振って弾丸を避け、木刀で弾き距離を詰める。そのまま奴の懐に入った瞬間、木刀を横薙ぎに一振りする。当たる直前に木刀の腹に銃弾を撃ち込まれるが関係ない。奴の腕ごと胴体に打ち込んだ。
「カハッ!?」
「────アぅッ!」
吹き飛んでいく奴に更に追撃を加えようとするが、誠士郎が空中で発砲した跳弾が私の身体に突き刺さり、後方へと身体が下がってしまう。
ゴム弾とは言え、凄く痛い。衝撃で後に転びそうだ。耐えようして耐えられる物ではない。今頃私の身体中に打撲並の痣と内出血跡が沢山出来ているだろう。
だけど今の一撃で誠士郎の片腕もかなりダメージを与えたはず。射撃にも多少の────
「……わぷっ!」
これまでの複雑な軌跡を通る跳弾とは違う、真っ直ぐ飛来してきた弾を切り落とそうと木刀を振るった直後。
私の顔面に大量の液体が掛かった。
「ッ……ペイント弾か」
瞼を閉じて目にペイントが入ることは防いだが、視界は最悪だ。すぐに拭おうとするが、その間に何発ものペイント弾が私の身体に当たる。
真っ赤に染まる視界でポタポタと水滴が床に落ちる音が聞こえた。
「ふざけてるんですか?」
「いいえ。ただ、貴方の視界を遮りたかっただけです」
軽やかな足音が連続で聞こえる。徐々に遠ざかっていく音から、恐らく逃げるつもりなのだろう。
慌てて私も彼を追い掛けて走り出すが、牽制のためか拳銃を構える気配。視界の悪い今、弾斬り落としは難しいと思い横に跳んで避けようとした。
「あっ」
足が滑って体勢が崩れる。
そういえば私、保健室で寝てたまま飛び出したから靴下だった。廊下もワックスが掛けられたばかりだし、さっきペイント弾で床も濡れて滑りやすくなっていた。
単純な判断ミス。しかも凡ミス。しかし、今回だけは致命的なミスだった。
左眼に物凄い衝撃がした。思わず首が後へと曲がる。
だけどそんなことが気にならなくなるくらい、左眼が…………熱い。
「あが」
焼けるような痛みに、声が抑えきれなかった。
「ぉぉぁぁあ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!!!?!?!?」
「佐々木様ッ!!」
痛いッ、痛いッ痛いッッッ!!!!
弾丸が目に当たったのか? まずい、逃げられてしまう。だけど、今の私がどんな状態なのかわからない。目の痛みでどうにかなってしまいそうだ。もう、前後左右どっちなのか、わならな
「うぅ………」
何かにぶつかった気がした。そしたら、身体が傾いた様な気がする。そういえば…………私、窓際にいたような。
「あ────ー」
突然の支えを失ったような浮遊感。目が開けられないけど、多分窓から落ちた。
受け身を、取らないと。でも、3階から落ちたら流石に無理、か。
命の危機を察したら、流石に目の痛みよりも本能的な恐怖が勝ったらしい。頭が急に冴え渡る。でも遅い。もうすぐ地面が迫っている事だろう。
なんとも………儚い命だった。
「佐々木様ぁぁあ!!!!!」
ふと、誰かの叫び声が聞こえた。それと同時に、柔らかい何かが私を包み込んだ気がする。
それはなんだか、凄くいい匂いだった。