若と千棘さんが偽りのお付き合いを始めた夜の事です。
二人のお陰でここ最近忙しかった組の皆はビーハイブとの抗争に出向くことも無くなり、落ち着いた日常が戻ってきました。
皆ビーハイブを排除するとか言いながらも、なんだかんだ本心では戦争を望んではいなかった筈です。
その為か、今までは只でさえ厳つい表情の組の者達が子供も泣き叫ぶ状態であったのに、今では馬鹿共に壊された屋敷を治す傍ら、ご近所さんに笑顔で挨拶をする余裕があるくらいです。
かく言う私も肩の荷が降りたというか。若頭の息子と言う期待を背負っていた為に、不甲斐ない結果を残さないよう常に張り詰めていたから………
まあ、それは良いんです。それより、今は若と千棘さんの件が大事です。
この事情を知っているのは組長と若、そして私だけ。混乱を招かないよう最低限の人数しか知らせてはいけない情報となっていますが、それでも秘密を知っているのが当事者二人と私だけと言うのは心もとないです。
私は今組長の元に私の父にも情報を共有させるべきだと提案しに行くところでした。
私の父はこの集英組の若頭。であれば最重要機密も知っているべきです。
そう考えた私は組長の部屋までやって来て、直談判しようと覚悟を決めた時でした。
「何故ですか
組長の部屋から私のよく知る父の声が聞こえてきたのです。
突然の父の怒鳴り声に、私は開けようとしていた襖から手を外してしまいました。
とは言えそれは驚いたから手を放したわけではなく、組長が父に二人の事とビーハイブの件を報告するのだと考えたから手を放したのです。
だから、安心した私が組長の部屋から離れようとしたときに部屋の中から聞こえた父の声に思わず思考が停止してしまったんです。
「今までの………今までの理央の頑張りは! 理央の想いを無視するって言うんですかい!?」
……………………は?
今、父は何と言いました?
「
え…………何言ってんだこの馬鹿親父。
おっと、口が悪くなってしまいました。いや、違う違う、今はそんな事言ってられません。
えっと…………なんだ? つまりは…………父の言葉を吟味するなら、私は若に好きだと言う想いを懐いていて、若と将来を誓い合う為に今まで組の為に尽くしてきたと。私が若と結婚するんだと…………
……
………
…………
………………………………
オロオロオロロロロロロロロロロ!!!
オェッ!! ぶゥエエエエ!! オボロャァァァァァァ!! き、気持ちわる………ゲェェェェ!!
考えただけで吐き気が!! 何てこと言いやがるんですかあのクソオヤジ!
あ、やべ。厠、マジ厠。吐くって、本当に吐くって!!
なに想像させやがるんですか気色悪い!! 私が若のことが好き? あり得るわけ無いでしょうが私はホモか!!
マジか。私って父上に今までそんな事思われてたの?ずっと若が好きとか思われてたの? オェッ………
いや、確かに私は未だに組長と若以外の組全員から女だと思われてるけどですよ。それは無いってマジ全力拒否不可避だから。ガチ否定の深みだから。
こんなん他の組の人達にも、しかも組長に勘違いされたら私この組で生きていけないから!
「ちょっと待ってください馬鹿父上!!」
「り、理央!? どうしてここに!」
私は許可も貰わずに部屋の襖を思いっきり開けて中に侵入しました。
当然いきなり現れた私に父上や組長は驚いていましたがそれ処ではありません。即刻今の父上の言葉を撤回しなくては!!
「父上! 私は別に若に特別な想いを懐いているから組の為に頑張って来たわけではありません! 変な誤解しないでください! それと私は女ではなくーーー」
「理央! お前はいつだってそう自分を押し隠すから駄目なんだ! お前は毎日組の為に頑張ってるって言うのに! もしお前の言葉が無きゃ今頃儂ぁお前の腕を撃ったあのクソ眼鏡共々叩ッ切ってるところだ!!」
「いや、そこは切ってくださいよホント」
「お前は昔から我儘を言わんかった! 命令された事を何でも受け入れる……そこはお前の美点だが少しくらい背いてもいいんだぞ?」
「ああもう! だからですね。私はーーー」
そこから始まるのは私とこの馬鹿親父の言い争いです。
こうなると父上は私の言うことを全く聞かないから堪ったものではありません。質が悪いのは、私がここで引けば父上は勝手に自分の主張で結論付けてしまうから、私はどうしても引き下がれなくなりこのような平行線になってしまうのです。
よって、いつも私と父上の両方を諫めることが出来る組長しか止めることはできません。
「まてまて二人共。オメェ等熱くなりすぎだってんだ」
「ですがオヤジぃ!」
「竜、てめぇ情けねぇと思わねーのか。まだ俺等の半分も生きてねー理央が覚悟決めてんだ。それに楽が千棘嬢ちゃんと付き合うのもアイツが決めたことで、俺等はそれを邪魔しちゃいけねぇ」
「クッ…………」
…………流石組長です。あの頭に血が登っていた父上をいとも簡単に説得させてしまいました。殆ど組長が仕組んだ事案なので私としては首を傾げたくなる言葉でしたが、丸く収まるのであれば越したことはありません。
あれ? でもなにか大事なことを忘れてるような。
「………儂ぁ認めませんぜ。こればっかりは坊っちゃんの味方になれねぇ」
「おうよ。ま、歳食った俺等が今更若ぇ者の恋路をどうこうするのは良くねぇことだがな。竜、お前もこれを気に少しは大人になんな」
ん? ヤバい、考えごとしてたら二人の会話を聞き逃していました。なに話してたんです?
あ、父上が出ていってしまいました……
えと………どうなりました?
「つーことだ理央。迷惑掛けるかも知れねーが俺等も努力はする。言いてぇことはあるだろうが、おめぇもまだ病み上がりなんだ。今日はもう寝な」
え、組長? あ、ちょっ、まっ…………。えぇー…………閉め出されてしまいましたよ。
と言うか本当に待って! 今更思い出しけど、結局私が若のこと想っているとかふざけた誤解は解けたんですか!? ねぇ!? ちょっと!! ねぇってば!!!
「どーした理央。目の下に隈ができてんぞ」
「…………そー言う若も目の下に隈が出来ていますが?」
結果。私はあの後、誤解が解けたのか気になりすぎて夜も寝れませんでした。ツラい。
組の人達全員分の朝食の下拵えをしている若とばったり会ったときも、一瞬距離感を考えてしまうほどには心に来ています。
多分、千棘さんと付き合う事になった若も同じように思い詰めて夕べは寝れなかったのでしょうが、正直気遣ってあげられる余裕がありません。
「「ハァ……」」
思わず溜め息が………って、ん? 若も溜め息ですと?
あれ? 若の溜め息吐いた時って大抵良くないことが………
「坊っちゃん!!」
私が若の隣で水を飲んでいると、突然部屋の扉が勢いよく開けられて一人の組員さんーーーー辰郎さんが入り込んできました。
その勢いとは裏腹に何故か辰郎さんの表情は切羽詰まった様子ではなく、どこか浮かれているように見えるのは私の思い違いでしょうか。
「坊っちゃん何やってるんでさぁ。今日は大事な日でしょう? こんなところで油売って無いでオメカシしてこなきゃじゃないですか!」
「大事な日? なんだそりゃ?」
「今日って何かの記念日でしたっけ?」
辰郎さんの言葉に若と私は同時に首を捻ります。はて、何かあったでしょうか?
「何言ってんですかい。今日は千棘お嬢ちゃんとの『でぇと』でしょう!? もうやっこさんこっちに来ていますぜ?」
「は……はぁぁぁぁぁ!!!?」
直後驚きの声を上げた若は慌てて玄関まで走っていきました。
あまりの速度に呆気に取られた私でしたが、若が寝間着姿のまま千棘さんを出迎え(真偽を確めるため)に行った事に気づき、私は慌てて若を追いかけることになりました。