過去から未来へ、日々は繋がっていく。
日常は積み重なっていく。人生は続いていく。
これは、懸命に生きる岡崎朋也の、とある日常の一幕である。
過去から未来へ、日々は繋がっていく。
日常は積み重なっていく。人生は続いていく。
これは、懸命に生きる岡崎朋也の、とある日常の一幕である。
「ただいま」
土曜日。
なんとか仕事を切り上げて帰り着くと、想像通り我が家の小さな玄関は足の踏み場もない状態になっていた。
色とりどりの小さな靴たちをそっと隅に寄せ、リビングのドアをあける。
「誕生日おめでとう!」
「汐ちゃん、おめでとう!」
「おめでと~」
「…でとー」
「えへへ、ありがとう」
今日は汐の、5歳の誕生日だ。幼稚園の友達を4人招いて、ささやかな誕生パーティーが開かれている。 どうやら大遅刻、とはならなかったようで、まずは一安心。
「ただいま、汐」
「あ、パパ!おかえりなさい!」
「…(ぺこり)…」
「お邪魔してます」
「おかえりなさい、おじゃましてます」
「してま~す」
それぞれに可愛らしい笑顔で迎えてくれた。
「はい、みんな、いらっしゃい」
挨拶を返しつつ、キッチンへ足を向ける。
「ただいま、渚」
「おかえりなさい、朋也くん」
包丁の手を止めて、渚が振り向く。
動きやすいように、後ろで結わえた髪が揺れる。
結婚して早6年。実はこんな仕草一つにいまだに喜びを感じているのだが……流石に惚気過ぎなのだろうか。俺は反射的に、半ばまで上がりかかった腕を抑えた。
「ごめんなさい。しおちゃんたちのお料理の仕上げがこれからだから、まだ朋也くんの分が…」
「いや、いいんだ。何か手伝えることはないか?」
食器の準備や盛り付けくらいは出来るだろう。
「ありがとうございます。でも、ふふっ、それならまず着替えてしまわないと。スーツが汚れてしまいます」
言われて気付く。
「あ、そうだ。道理で苦しいと思った」
基本的に俺の仕事は現場作業だが、最近、ときどき社長と一緒に外回りをしている。小さな会社なので、今までは社長と社長の奥さんが営業や経理に携わっていたのだが、
「岡崎君も、そろそろこういうところ、勉強しないとね」
と押し切られ、とりあえずは『社長のお伴』として、お得意さん巡りに同行しているのだ。
俺が営業なんて、と思ったが、やってみれば今までの現場の仕事とはまったく違う面が見えてきて、色々面白いのも事実。
――が、どうしてもスーツは窮屈で、疲れるらしい。
ネクタイを緩めて、ふーっと息を吐いた途端、言いようもない疲労感が肩にのしかかってきた。なんとか部屋着に着替えるも、先ほどまでのやる気はどこへやら、ビールをあおって布団にもぐりこんでしまいたい衝動に駆られる。
だが、まて。
今日くらいは。
娘と娘の友達の前くらいは、イイカッコをしたいのだ。
気力で持ち直し、キッチンで渚の言うとおりに野菜を盛り付ける。ただのサラダが盛り付け次第でここまで豪華になるのかと感心しつつ、リビングへと運ぶ。
「おまたせ」
「わーい、パパありがとう」
「はは、どういたしまして」
満面の笑顔で迎えられた、思わず俺も笑顔になる。
「汐ちゃんのパパすごいね。うちのパパなんて、全然お手伝いしないんだよ」
「うちもー。お母さんにいつも怒られてる」
去り際に聞こえて来たそんな会話に少し同情し、少し優越感を覚えた。
その後も渚を手伝い、お誕生会が終わり、迎えに来た友達の親と世間話をして、自分と渚が夕食を食べたのは20時過ぎだった。
はしゃぎつかれたのか、うとうとし始めた汐をお風呂に入れ、やっと一息。
「…でね、サキちゃんがね……パパがね……て…」
「うん、そうか…そうだな…」
布団に入った汐を撫でていると自然に目蓋が閉じて、やがて完全に眠ってしまった。
ほんと可愛くて……天使だよな……親馬鹿の極みだが。
そんなことを考えてぼーっと座っていたら、風呂からあがった渚に声をかけられた。
「良いお湯でした。朋也くん、お疲れさまです」
渚はすぐ後ろまで来ていたようで、俺の肩越しに汐の寝顔をのぞき込んでいる気配がした。
振り向いて見上げると、部屋着から覗く鎖骨、綺麗な首筋、湯上りで濡れた髪、ほんのりと赤い頬………思わず抱きしめそうになる、が、なんとか、抑えた。
「ああ、渚もお疲れさま」
平常心を装ってなんとか返事を返す。
「ありがとうございます。大きいお皿を洗ってもらって」
俺の様子には気づかなかったようで、渚は台所に向かっていた。
渚が言うのはスパゲッティとケーキを乗せていた大皿だろう。縁の部分に細かい装飾がされていて、確かに、なかなか洗い甲斐のある仕様だった。
「ああ、いいよいいよ、そのくらいは」
しかしこんな大きなお皿がウチにあったのだろうか。
「お母さんに、お店用のものを貸してもらったんです。早めに返したかったので、良かったです」
なるほど、早苗さんから借りたんだな。
「そうだったのか。早めに返すなら、今からでも行ってこようか?」
渚の実家である古河パンは、ここから歩いて20分ほどだ。返却だけだから、電話を入れておけば、非常識な時間でもないだろう。少し頭を冷やしたいところでもある。
「ありがとうございます。でも大丈夫です。朋也くん、お風呂入っちゃってますし。寒いですから」
それに、と続ける。
「ちょうど明日、お願いしたいことがあったので……一緒にお願いしてもいいですか?」
翌日、日曜日。
渚のお願いを受けて、俺は渚の実家・古河パンのレジに立っていた。
せっかくの休日が……と思うのだが、愛する妻に潤んだ瞳の上目遣いで【お願い】されて、断ることができるだろうか。まあ、単に疲れて眠かったから潤んでいたのだろうが。
「おい朋也、もちっと笑顔を心掛けろよ。いつもより売れてねーじゃねーか」
俺の内心を知ってか知らずか、奥から顔を出したのは店主の古河秋生――渚の父親である。
渚と汐と早苗さん――渚の母親だ――は、今日は3人で買い物に行っている。渚のお願いとは、早苗さんの代わりの店番をすることだった。
かくして俺は、休日の昼下がり、嫁の父親と二人っきりという、非常に残念な状況に陥っている。正直、少し泣きたい。
「ならおっさんがレジやってくれよ。窯の調整、少しくらいなら俺でもできるからさ」
これまでも何度か古河パンの手伝いに入ったことがあり、パンの焼き方や包装を教えてもらっていた。少なくとも仏頂面でたたずむ馴染みのない男よりは、顔見知りのおっさんのほうがお客さんにとっても良いのではないだろうか。
「あー、ダメダメ。俺が店番してるときに、遠くからお使いに来た小学生が逃げだしたことがあってな」
こんなに気さくなおニーさんなのによ、と項垂れる。いやまあ確かに、基本目つきが鋭いし声も大きいので、子どもたちの気持ちも分からないわけでもないが。
なんどか手伝いをする中で思い知ったのだが、早苗さんの営業スキルは非常に高い。
住宅街に店を構えるこの古河パンは、基本的に固定客によって支えられている。
普通の食パンを定期的に買う、この近隣のお客さんがメインターゲットなのだ。
なので、利益を増やすには、そういった常連客に菓子パン・総菜パンを一緒に買ってもらえるかどうかが重要になるのだが、早苗さんは勧め上手というか、買い物中の客とのちょっとしたやり取りの中で、さりげなく追加でパンを買わせてしまうのである。営業スキルというか、あれは早苗さんの人徳のような気がしないでもないのだが、とにかく大半が固定客の古河パンにおいては、基本的に品物は完売に近い形に落ち着くのが常である。
――が。
「しかし残っちまってるなァ。午後焼く分はもっと減らしたほうがいいか」
古河パンは朝と夕方の2回パンを焼くのだが、午前中の品はまだ半分くらいが残っている。
早苗さんがいないのでいつもより量を減らしていて、これだ。
「なんか、すみません」
「あァいいっていいって。値引きして、学校帰りの中高生でも捕まえてけば、捌けるだろ」
さすがに申し訳ない気持ちになるが、おっさんは気安く流してくれた。
ドカッと、そのままおっさんは、わざわざ椅子を持ってきて俺の横に座った。
今は休憩時間のはずだが。
「……なんだよ」
おっさんは答えず、煙草をくわえる。ごそごそと自分のポケットを漁ったのち、
「火」
と手を出した。
「いや、俺吸わないから」
「なんだ、そうだったか」
「悪いな。ずっとなんだよ」
俺は渚の妊娠がわかったときに禁煙したのだ。産後、渚の調子が安定しなかった時期があって、そのまま現在にいたるまで継続中である。ということは、おっさんは、6年近く俺の禁煙に気付いていなかったということになるが……。
「しかし、朋也、こうやってお前と二人で話すのも久しぶりだな」
「ああ。そうだな」
おっさんも渚の前では吸っていないようだし、俺一人で個人的にこの家を訪れるようなこともないので、気づきようがなかったのだろう。何より、しわ一つない外見や破天荒な行動だまされそうになるが、この人は××歳のお舅様である。娘を持つ身となってつくづく思うのだが、娘婿など娘を奪う敵以外の何物でもない。認めてはもらえているようだが、かといって敢えて一対一で話そうとも思わないだろう。
「でも、どうしたんだ、そんなに改まって」
「いや――なんだ……その」
おっさんは口ごもる。珍しいこともあるものだ。
「なんだよ、おっさんらしくないぜ」
よくわからないが、とりあえず笑って促してみる。
すると吹っ切れたようで、いつもの、真っすぐな目を向けて言った。
「朋也、お前ら、二人目の予定はないのか?」
「………はぁ?」
「いや早苗に訊いとけって頼まれたんだよなんだか心配しててな――つーかなんだよこれ気持ち悪いじゃねえか固羅ぁあぁぁぁっぁあ!!!!」
「こっちのセリフだ糞おやじ!普通訊くかアンタが!俺に!」
突如落とされた爆弾に、二人とも大パニックである。いやおっさん、自分で自爆しておいてパニくらないでほしいんだが。
「仕方ないだろ、早苗に男同士で話してみたらどうですかって言われたんだからよ……」
「早苗さんがそういったなら仕方ないかもしれないが、言い方があるだろう……」
あとそういうのは普通、母と娘間の話題じゃないのか。
「じゃあなんだ、もっとこう××が××で××なのか?って訊きゃいいのか?」
「やめろ生々しくなる」
「男女平等!」
「TPOの問題だろ!」
はぁ、と溜息をつく。同時に少し引っかかった。『話してみたらどうですか』ってことはおっさん側に何か行動主体となるものがあったということになる。
「いや俺も気になってたんだよ、朋也。ここのところお前の様子が妙だったから」
一転して、キッと鋭い視線を俺に向けてくる。
「な、なんだよ。それ」
思わずたじろぐ。
「お前、浮気してるんじゃないだろうな」
「――――――は?」
今度こそ、俺は固まった。
「いや――なんでだよ?」
「なんだか妙な感じなんだよ、ここんトコのお前が」
「だから何がだ」
まったく思い当たることがないのだが。
「そもそも俺が浮気なんかするわけないだろ」
「俺だってお前のことはある程度認めちゃいるがな、その割に、最近お前、渚を避けてないか」
「はぁ?」
三度フリーズする。
どうしてそんなことを言われるのだろうか、まったく身に覚えがなかった。
「だから何か疚しいことでもあるんじゃねーかってな、気になったんだよ」
「ねえよそんなこと! つか、それが何で二人目の予定につながるんだ」
「そりゃあお前、あれだ、うまくいってないのかと――」
「わかったわかった。そこまでにしてくれ頼むから」
聞きたくもないのでさえぎっておく。
煙草の煙を、ふわっと吐き出す。
一泊おいて、おっさんは語りだした。
「この間、渚と汐とウチに遊びに来たことがあっただろう」
「ああ、あの時か」
たしか、早苗さんが、おすそ分けで貰った大量の野菜で、鍋をしたときだったか。
「あの時お前は、明らかに渚を見ないように、触れないようにしてただろ?」
『だろ?』と言われてもな。
「いやそんなことはないんだが」
「じゃあ自覚はないのか。俺ですら気になるくらいだったんだよ。あの時は」
でな、とおっさんは続ける。
「お前らが帰った後に早苗に話したら、最近ずっとそうだって言うからよ。これは何かあるんじゃないかと心配になったわけだ」
「それで浮気につながるのか」
ようやく話の流れが見えた。
そして、その原因についても、合点がいった。
思いっきりおっさんは誤解している。
誤解は解かなければならない。しかしなんといって説明すればいいのだろうか。
困惑を見抜いたのか、おっさんは俺にこういった。
「まあ、こんだけ言い合っていれば今更だろ――何かあるなら聞くぜ」
その言葉に、意を決する。
いつの間にか立場が逆転していることはさておき。
ここまで言われて、隠すことでもない。
しかしどこから話したものだろうか。思考を整理するように遠くに目をやりながら、俺は話し始めた。
2~3か月前だろうか、はっきりと覚えていないが、確か汐を寝かせたあと、お隣さんが二人目のおめでたという話をしていた時だった。そして、うちもそろそろ……と口に出しかけたところで、なんだか押し黙り、お互いに気まずくなってしまったのである。
その時は汐がトイレに起きたので流れてしまったのだが、俺はその時の妙な空気が気になっていた。理由が分からなかったからだ。
そして翌日、会社からの帰り道でふと思い当たった。
実は、渚と俺は、汐が生まれてからこれまで、一度も【そういうこと】がなかったんじゃないか、と。
産後は渚の調子が安定しない時期が続き、汐も決して体が強いほうではなかった。さらに俺自身も仕事や業務資格の取得に追われていたし、故郷に帰った親父と一緒に、実家を処分するための諸々の整理もしていた。もちろん、おっさんや早苗さん、みんなが手助けしてくれていたとは言え、かなり忙しい生活を送っていた。
そうして、あれよあれよと、気づけば5年経っていた、というのが実情だった。
「――それで、家に帰ったら、渚を変に意識してしまって」
だいたいそのようなことを、俺はおっさんに話していた。
そこまで聞くと、おっさんは眉間に皺をよせ、ひとこと。
「童貞高校生かお前は」
あきれたように言った。
「言わないでくれ自分でも結構情けないんだ」
羞恥と自己嫌悪に頭を抱える。
「しかし、なるほど、言われてみればお前の挙動はまさに思春期野郎だな」
「だから言うなよ」
辛辣な追い打ちをかけられるが、図星なので強く言い返せない。
それより、何より。
「渚が、また大変な思いをするんじゃないかって、不安なんだ」
それこそが一番の理由だった。
産前、日に日に弱っていく渚を見守ることしかできなかった日々は、俺にとっては辛い記憶だった。奇跡的に無事だったとはいえ、もうあんな思いはしたくないし、させたくない。
今ある大切な日々を、壊してしまわないように。
そんなことから、渚に触れること自体を、少し躊躇するようになってしまっていたのだ。
語り終えて、おっさんを見る。
おっさんは頭を搔きながら、ぽつりと言った。
「――それ、渚と話しあったのか?」
「え、いや、特には」
こんなことを言っても、渚も困るだけだろう。
「それが間違いだな。お前の渚の話なんだから、本人に言わなくてどうするんだ」
だいたい、と続ける。
「いい加減な俺が気になるくらいだぞ。早苗だってとっくに気付いてた。なら、渚だって、お前のそういう態度を気にしないはずがないだろう」
「それは――」
そうなのかもしれないが。
「そもそも、渚のことをお前ひとりが思い悩むってのが筋が違う。あいつは確かに身体が強いわけじゃないが、自分のことを考えられないほど、心が弱いわけじゃない。なにか勘違いしてるんじゃねーかお前」
そう突き放すように言われた。あんまりな言葉に胸が抉れる……いや、まさに、これも図星だった。
「不安ってのはうつるんだよ。お前がそんなことで不安がっていたら、当然渚にもうつるし、汐にだってうつる。結果、家の空気が悪くなるんだ――バカみたいだろ、そんなの」
相談してみろ、とおっさんは重ねて言う。
「ひとりで抱え込むほど、物事は悪い方向に転がっていくもんだ。話し合ってみろよ、お前たちは家族なんだから」
午後も変わらず、古河パンは暇だった。
おっさんは、いつもより少な目に午後のパンを焼き、お得意さんへの対応を一通り俺に教え込んだあと、営業に行って来る、と言い、午前中の在庫を抱えて出かけて行った。バットを背負っていたから、公園で野球を教えている小学生に配るつもりだろう。売れずに残ってしまうよりはよほど良い。
俺はおっさんの言葉を振り返っていた。
不安がうつる、というのは、大いに心当たりがあった。
高校生のころ、渚に出会う前の話だ。
怪我をしてバスケ部をやめたあと、居場所をなくした高校生活が不安だった。親父も、荒れていく息子が不安だったに違いない。だけど、互いのことだからこそ触れられない。お互いに臆病だったのだ。結果、俺は家には寄り付かなくなり、向き合うことにないまま、ますます距離が出来てしまっていた。
渚という拠り所を得て、俺の不安が少しずつ消えてことで、やっと家のことを考え、父親と向き合うことが出来るようになった。
もっと早く、親父と話し合っていたら、きっとあの家はもう少し、居心地がよかったに違いない。
俺は、危うく、同じ過ちを繰り返してしまうところだった。
今日だ、と思った。
物事には勢いが大切だ。
今日、家に帰ったら、思い切って渚に打ち明けてみよう。
「朋也くん、お話があるんです」
風呂上がりに、開口一番、渚は言った。
うちのお風呂は、汐と俺が最初で、家事を終えてから渚の順である。
俺は汐を寝かしつけて、居間でTVを見ながら、どうやって切り出したものか考えていたときだった。
「今日、お母さんに言われました。心配ごとは抱え込まないほうが良いんだと」
渚が俺の前に座る。
「最近ずっと気になっていました。朋也くん、何か悩みがあるんじゃないですか?」
なるほど、おっさんに言ったように、早苗さんは自分でも動いたのだ。そのあたりの気遣いは流石である。あと、渚の真っ直ぐな物言いに、あの父をしてこの娘あり、と思ってしまった。
同時に、改めて自分の勘違いを笑う。
あんな立派な両親がいるのだから、渚が弱いはずがない。
「俺も、おっさんに言われたんだ。渚を避けるようなことをしてて、本当にごめん。
実は――」
俺はここ最近の悩みを、正直に打ち明けた。
「――そうだったんですか」
聞き終えて渚は、良かったです、とつぶやいた。
「ずっと不安だったんです。なにか私が、朋也くんに嫌なことをしてしまったんじゃないかと」
「そんなこと、あるわけないだろ」
勘違いにもほどがある。
しかし、原因は俺の態度なのだから、当然俺の責任である。
「私も、二人目、ほしいです」
真っ直ぐに俺を見て、渚が言う。
「最後に私が体調を崩したのが3年前で、それからずっと調子が良いんです。もちろん、お医者さんに相談しますけど、なんとかなるんじゃないかって思います」
「3年前?もっと最近じゃないかったか?」
聞きながら、思考をたどる。いやまて、確かあの時は、汐がまだおむつをしていた頃だった。おむつを外すのがかなり早かったと記憶してるので、そのくらいなのかもしれないが。
「そうです。私、こんなに長く安定しているの初めてで。だからちゃんと数えてるんですよ」
胸に手を当てて、渚が言う。
なるほど、それなら確かに、間違いではないんだろう。
「でも朋也くん、私がずっと元気でいることに、まさか気付いてなかったんじゃないですか?」
「いや、そんなことはない。ないったら、ない」
昼間のおっさんを俺も笑えない。禁煙どころじゃない。一番身近な人のことすら、俺はちゃんと見えてなかったのだ。
「冗談です」
渚は気にしない素振りをみせてくれたが、それに対して俺は、ははは、と乾いた笑いを浮かべることしかできない。
「でも、この調子なら、二人目を産んでもすぐに働けるでしょうし、家計もなんとかなるかなって」
「家計……ああ――そうだな、そうだよな」
まったく、穴があったら入りたいくらいだ。俺の給料は一家3人つつましく暮らす分には問題ないが、特別に余裕があるわけでもない。渚の体調云々より、それこそ俺が何よりも先に思い悩むべきことだろうに。
思い知る。渚は優しく、しっかりもので、強い女性なんだと。
そんな人が、俺と一緒に人生を歩んでくれていること。
それがとても愛しくて、思わず俺は腕を伸ばし、渚を強く抱きしめた。
CLANNAD~今宵エデンの片隅で~