その
もう五ヶ月か半年も変わらぬ雨模様の中、青白の合羽を纏った人影が屋敷の庭先で革の靴を履いていた。藤を編んだ物入れ一つに頭の笠、刀の一振りと、肩紐と割れ兜の他は黒ばかりの戦装束。それだけを共に出て行った男がどこへ行ってきたのか、知るのは当人と手紙を受け取った城主ばかり。
霊力を通せば指定の時刻に転送される仕掛けがされた手紙を、管狐が日に一度運んで来るのももう六度目となれば審神者の方も慣れたもの。もとより本丸を賑やかすような類のものでもなし、主戦力の抜けた本丸での四日間は何事もなく過ぎ去った。国広の脇差が修行に出た時の本差しのように着付けも儘ならぬものが出るでもない。左文字の短刀が抜けた時の初期刀のようについ本丸中を探しに出るものがいるでもない。見るに耐えぬものがあって帰って来ないのではないかと不安がるものもなかった。
どこに行くつもりなのか、あるいはどこへ行かせるつもりなのか、そう同田貫や管狐に問うたものもいた。男の答えは決まっていた。「何処へでも」。曰く、それは自分の決めることではない。狐の答えも決まっていた。「お答えできません」。曰く、機密につき。彼が修行に立った後、手紙を受け取った審神者に訊いたものもいた。けれど彼女の答えは「わからない」だった。
彼方にてどれほどの時を過ごしても、帰還時刻は定まっている。未だ雨の降り続く本丸の南西、時空を渡る門がひとりでに揺らいだ。姿を現したのは、相も変わらぬ墨色ばかりの装束に蛇の目紋の草摺をつけた男が一人──否、一振り。
出迎えはなかった。
薄情だとは言わない。むしろ口では、少しばかり時間が長いだけで遠征と大差はないとすら言うだろう。他の刀剣の時も、出迎えがあったのは初の極であった小夜と互いを迎えた土方歳三の刀らだけだったのだから。
ただ、遠征や出陣から戻るたびに見ていたはずのこの景色が、あまりに新鮮だと感じたものだから面食らってしまったのだ。景趣もろくに変わらず、新たな刀剣を迎えることもほとんどなかった時期をどう過ごしていたのかは忘れてしまったような気がした。
「門」を閉じて、雨に濡れるのも構わずに飛石を踏んで庭を渡る。毎度、修行から帰るものがある日の審神者は帰投を知らされるまで母屋の執務室にいる。近侍刀の役割を仰せつかったのが誰かは知らないが、彼と共にそこにいるだろう。
「主」
障子越しに声をかけると、慌てて立ち上がったのかガタリという音がした。
「本丸番号◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎◾︎所属、刀帳番号12
「入室を認めます」
障子を開くのと、おかえりなさい、と審神者が言ったのはほとんど同時だった。おう、と同田貫が応えるとなにかを言う前に近侍なのだろう堀川派の脇差が口を開いた。
「もう夜も遅いですし、長い旅で本丸の勝手がわからなくなっていることもあるでしょう。今日のところはこれで下がって休んでかまいません。明日の朝一番でありったけの余剰刀剣の連結を行った上で出陣です。えーと、質問はありますか?」
「いや、ねえ」
それじゃあ、と一礼して部屋へ向かう。本丸ではたった四日でも、修行の旅は四日ではすまない。背丈が伸びたわけでもなかろうに、どうにも行く廊下に違和を覚えて仕方がなかった。
「そういや物吉もしばらくは混乱してたっけな」
ざあざあと雨の降る夜に、独りごちた声は消えていく。
物吉貞宗。一尺と一寸に満たない刃でありながら、らしいといえば誰よりも脇差らしい少年。主人の腹を召すことのありうる短刀でなく脇差を名乗る、始終誰かを手伝っているようなそんな刀だ。
修行から戻ってもそのありようはさっぱり変わらなかったが、それでも主観で何年も離れていたためか極になってしばらくは部屋を間違えたり服を取り違えたりしていた。同田貫は周囲の騒ぎを気にしたことはなかったが、そんな彼ですら三日で本丸内の雑事を余さず覚えてしまった物吉らしくないなとその騒ぎは記憶に残っていた。
極刀剣はどれも本丸生活に再び馴染むまで少しの時間を要した。巡ってきた年月の差か、同田貫はとりわけ時間がかかった。もっとも、戦のことだけは欠片たりとも混乱や記憶違いが見られなかったことを思えば、単に修行の前から本丸内のことには興味がなかっただけかもしれない。それでもさすがに一月近くも経てば、以前より馴染んでいると言って過言でもなくなった。
正月を祝っているのか、はたまた新たな仲間を歓迎しているのか定かではないが、しかし題目がなんであろうと酒は酒、馳走は馳走である。因縁浅はからぬ新入りをこれでは折角の飯が食えぬと蜻蛉切に押し付けて、重箱を三段ほど失敬したのは内番服のジッパーを首元までしっかりと閉めた人型の槍。
「いいのか」
隣に胡坐をかいた男にそう言ったのは、先月の初めに修行から戻った打刀だ。
「何がだ」
口になにやらほおばったままの御手杵が問い返す。
「『西に黒田の日本号』」
東に松平の御手杵あり。東西二名槍の名を、とうの
「いや、うん。まあそうなんだけどさ。顔合わせはすんだし、どうせ同じ部屋だろ?話すにしても夜の方が落ち着くからな」
「そうか。……で、本音は?」
「日ノ本は逃げないけど飯は逃げる」
「そんなこったろうと思ったよ……」
食うか?と御手杵が重箱を差し出すのと、そんな格好じゃあ寒いだろと同田貫が酒を
「んで、何だってここに来たんだ。雪見には向かねえだろ」
庭に面しているとはいえ、この縁側から見える物は道場と畑ばかり。積もった雪は脇に寄せられ踏み荒らされて、白と言うよりも褐色をしている。
「うーん、ちょっと聞きたくてさ」
「俺にか?」
「そうそう。だってあんたが修行から戻って本丸慣れたなあと思ったらすぐ連帯戦、連帯戦で話す暇もろくにねえんだもん」
俺も!戦に!出たい!と、御手杵が器用にも小声で叫ぶ。彼も連帯戦にかり出されてはいるものの、夜目の利かない彼が参加できるのは最後の一戦だけで、その上八戦目までを担当する第一部隊とは直接交代することすらない。
重箱の一つ目が空になったところで、食べるばかりだった御手杵が話すために口を開いた。
「あんた、修行から戻ってずいぶん楽しそうになったよなあ」
「そうか?自分じゃよくわかんねえんだが」
本丸で過ごした一年半程度では、有り様などそう変わるものではない。けれどいくら変わろうとも思わなかったとしても、ゆうに数百の年月を経たともなれば、変わるなという方が道理が通らぬというもの。
「ああ。ずいぶん楽しそうだ。戦場でもそうだけどさ」
御手杵の榛色の瞳はあらぬ方を向いている。聞きたいような気も、聞きたくないような気もした。けれどそんな人がましい逡巡を悟られることが一等恐ろしかった。
「厨番の手伝いとかさ、嫌がらなくなったよな」
不安になると人は饒舌になるらしい、とかそんな誰から聞いたのかも覚えていない、どうだっていい知識が頭の中を駆ける。
「なにがあったんだ?」
まさか何もなかったはずはない。何かを、それがいったい何なのか未だ極修行許可の下りる気配のない御手杵にはわからないが何かを、掴むための何事かがきっとあったはずだ。
「そうだなあ、あえて何がというもんがあるわけじゃねえけど、それでもいいんなら聞くか?」
「あ、ああ」
嘘だと言いたくなるのを押さえて、やっとのことそう答える。誰にも言っていないようだったから、言いたくないのかとも思っていたのは取り越し苦労だったらしい。
「さあて、何から話したもんかねえ」
何を見てきたのかと訊かれれば、人を見てくる旅だった。誰に逢いに行ったのかと問われれば、自分に合いにいく旅だった。この身を分けて、解いて、偏在する旅だった。肉の身で歩き通したのと同時に、付喪に成りきれぬ刀の霊に引っ付いて、あらゆるものを見てきた。歴史などと大局的なものではなくて、明日の食事にも困窮するような連中や、3年後には生きているとも知れぬ輩の下にばかり行ってきたことを思えば、やはり人を見る旅であったのだろう。
「俺が元々は一つの刀じゃねえって話はしたっけか」
「それは聞いた」
「なんでまあ、あれだ。端から全部回ってきたんだよ」
全部?と鸚鵡返しに聞いた声がどうにも間抜けなのは許して欲しい。それがいったいどれほどの時間になるのか、想像もつかなかったのだ。たとえ千年を経た平安の刀であっても、たくさんの自分が過ごす膨大な年月を真に思うことができるのは同じような成り立ちの男士だけだろう。
「あ、いや。回ってきたってのは正確じゃねえな」
肉の体は一つしかないのだから、到底間に合いはしない。そのとき確かに存在した鋼とその主人の記憶は、刀が研がれるたびに、その刃が毀れるたびに、少しずつ同田貫の中に降り積もった。
元々、同田貫正国という刀剣男士は歴史を知らない。世界のそれも、自分のそれすら。不連続な逸話ならば確かな事実からはじめから偽りを承知で作られた大衆娯楽の話まで、いくらでも挙げられた。けれどそれも結局のところは薄皮を一枚隔てた先。連続し実感を伴った記憶という物を、彼は持たなかった。
「はじめて聞いたんだけどそれ」
「言う必要ねえしな」
必要なくても言って欲しかった、という御手杵の声はほとんど悲鳴に近かった。けれど同田貫の返答は、記憶だろうと知識だろうと知っているなら他差はあるまいと言うなんとも淡泊なもの。自分の半分、この肉の身がただ伝承から成っているということを彼はよく知っていた。事実も歴史も記憶も刀身そのものですら関係なしにその血肉が形作られたことを識っていた。
たとえ人の手に握られる感触を知らなくても、戦い方は知っていた。
たとえ人の食べ物を知らなくても、水や米がないと死ぬことは知っていた。
たとえ人の顔を知らなくても、何をしたのかは知っていた。他の刀剣や、あるいは今の主が知るような著名な主人ならなおさら。
だからそれで十分だった。畑の耕し方も、馬の世話の仕方も知らなかった。知らなかったのなら必要ないのだろうと思っていた。戦い方だけは承知していたから、ただそれだけを求められているのだと。
「それであんなに嫌がってたのか」
「武器の仕事じゃねえってことだろ……まあ理由の残り半分はやり方わからねえからだけどよ。最初の馬当番、相方蜂須賀だったんだぜ?」
「それはきついな……主も少しは考えてくれればいいのに。どうなったんだ?」
「見かねた堀川が手伝いに来た」
「本丸の門を抜けたら山ん中でさ。亀甲……同田貫村のそばの」
数多の鋼に身を分けたからだろうか。人にありうべからざる頑強さも膂力も、肥後の山中に旅装束で放り出された時には失われていた。刀剣男士としての性質で残ったのは傷の治りが早いとか、肉が死んでしまってもそのうち起きるとか、老いることのない身で食わず眠らず歩き通せるとかそういうことばかり。幾百年の旅を続けるための必要十分な体だけが彼には残っていた。
「どうせ後でまとめるってんなら、この身すべて鋼にしても構わなかったんだがなあ」
そんな程度の人の体で彼は、ずっと歩いていた。一つ所に留まったのはどれだけ長くても十年のこと。少しずつ少しずつ、鋼の欠けて折れた端から集まる記憶の欠片を頼りに同田貫は進まず、停まらず、歩いてきた。
「あっちこっち渡り歩いて、まあ、どこぞに仕官したこともあったけどよ。
たとえば、山賊に加わった。いつだか商人でも襲ったのだろう、意外に目利きの上手い頭領の腰とは別に三振りばかり同田貫があった。お縄に着いたか、内輪揉めで散り散りになったか、うちの二本は同じ日に折れた。夜に紛れて彼が消えてから五年は経たない秋のことだった。
戦をした。何度も、何度も。肥後、薩摩、遠江。海を渡って漢城、蔚山。
「石を落としたところで、斬り合ったところで、俺たちがやってる
そんなこと、気づきもしなかった。至極小さな兵たちに、橋の上に収まる「軍勢」。平地で短刀を武器にする者がいて、槍衾などは夢のまた夢。それに疑問を抱いたことすらなかった。この平屋は本丸というにはあまりに不用心ではないか、といったのは厚藤四郎だったか。この空間を守る結界術が見えたでもないのに、それを考えすぎだろうと思ってしまった。
戦のことしかわからないのは本心だった。けれど本当はただ、知った風な
「俺は戦のことだって分かっちゃあいなかったよ」
「そんなことねえって」
「いいや。見たこともねえのにわかってたまるかよ、あんなもの」
この世の地獄だと、誰かが言った。この世は地獄だと、誰もが言った。それでもそんな修羅の道を捨てられぬいきものが、この島々には大勢いた。
泰平のために死んだわけではなかったのだろう。ただ食うや食わずの現状をどうにかするためだったとしても、そのために木の根を齧り泥水を啜った者はいた。ただ城主に来いと言われただけだっとしても、海を渡り屍を踏みつけて進んだ者もいた。同田貫正国は歴史を知らない。知ったことではなかった。彼が知っているのは、もっと近視眼的な過去だけだ。
血と、泥と、蛆と、糞尿と。結局のところ、華々しい戦果と言ったところで実体として存在するのは切り落とされた首や耳だ。塩漬けにしなければ腐り落ちるだけの。女も、子供も、もう槍など持てぬだろう老人も、そこにいたというだけで死ぬには十分すぎた。積み上げられ馬に踏み潰されていく屍を河に、流れて淀み腐っていく血を水に、そこに混じる砕けた骨を水底の砂利に、瓦斯で膨らんだ臓腑を泡に、喩えた異国の英雄譚がある。
「その河の底に数えるのも億劫になるような数埋まっってんのが俺だ。河の底からじゃあ岸の景色は見えねえし、見えなくていいんだ」
そんな地獄の底で錆びかけの鉄棒一本に縋って、なんとかかんとか自分の嫁御のところに辿りつこうとするような、そんな主を山ほど見た。戦場で同田貫が砕けてそれきり行方の判らぬ主もいた。人に紛れて必ず国元に帰るのだと誓い合ったその中で、再び肥後の土を踏めたのは自分だけだったこともあった。
「ああ、新撰組に加わろうかと思ったこともあったな。流石に止めたが」
隊員の一人が同田貫を持っていたのを思い出したからだ。けれど同じ時分に世間を騒がせた人斬りだって主には違いなく、結局彼は幕府下の諸国が一つの国に成るまであちらこちらを彷徨うていた。明治の帝を遠目に見たこともあったし、天覧試合に出る前のことではあるが榊原にも会った。もしもただの一瞬のために一振り刀を頼るとしたなら──などとは到底、訊けるはずもなかったが。
空を渡って海を渡って、外つ国にも行った。
「陸奥守が羨ましがりそうな話だな」
「結局前の主にゃあ会えなかったがな」
変わった剣が欲しいという連中に刀を売りつけた商人にも、戦利品だと薬で研がれた刀を持っていった兵にも、丁度いいからと拵えを弄った刀を草刈り鎌代わりに使っていた百姓にも、会えはしなかった。どれも違う時代なのに一時に済ませようというのが土台無理な話だったのだ。代わりにずいぶん色々な言葉に堪能になってしまった。時折過去の、刀が読み書きを覚えても仕方なかろうという考えの自分が呆れたようにこちらを見ているような心地もした。
「外つ国の連中は刀の名前なんて知ったこっちゃなかった。流石に正宗やら吉光やらなら話は別だったのかもしれねえけど、それこそ俺の知ったことじゃねえ」
そこではただ刀であることが重要だった。そういうことは蝦夷でも日の本でもあったけれど、ただ
けれど秋津洲で、それも肥後から離れた地でそれでも同田貫を買い求めた侍はいつだってその手で振って、馴染むのを分かって買っていく。侍という言葉が比喩でしかなくなった時代には同田貫の名を求めた者も少なくなかったけれど、まだ彼らが士族でも市民でもなく侍だった時代には、同田貫はただその強さを要求されていた。
「なあ、徳川の世はどうだった。天下泰平ってのはそんなにいいものだったのか」
ただただ何年も何十年もしまいこまれていたこと、腰に二本差しにされてけれど一度だってまともに抜かれなかったこと、備えていた戦が終ぞ来なかったこと。忘れはしない。樋の入らない刀身は矢鱈に重たく、美術品としてどころか甲冑を相手にしないのなら実用品としてもそういいものではない。そんなことは、この頃になれば同田貫自身にも身に染みていた。だから一度、刀鍛冶としての同田貫は絶えたのだ。
決して安い買い物でない刀を錆び付かせるような馬鹿はそうはいなかったが、それでも忘れ去られたことは何度かあった。
「馬鹿といえば、そうだな、こいつはただの与太話だったんだが」
曰く荒試しを賭け事にした輩がいて、中々決着のつかなかったのを面白がって妙な流行り方をしたんだとか。それは真実ではない。嘘か本当かで言えばただの尾鰭だ。ひらひらと人と電子の海を、何百年も後にかけたただの作り話。けれどそれが事実でなかったとしても、それを信じた人がいるのなら刀剣男士にとってそれは本当になる。創作にすぎない、ただの娯楽であると承知の上ですら力の一端に化けるのだ。
たとえば、川の中での戦い方。
たとえば、英雄を迎え撃った婆娑羅公方。
たとえば、首のない胴を抜けて畔まで切ったことを。
出るわ出るわ、大層な逸話の数々。それらをたしかに彼は見知っているはずだった。
「結局のところ俺たちは、つくりものにしか成れねえのさ」
この黒髪の器に慣れすぎたような気がするのと同じように、お前は人になど成れはしないと告げられたような気もする。老いず、朽ちず、四百年。最早この身鋼にあらず。されど人にあらず。とそんなわかりきったことを彼がようやく実感できたのは、刀が生き残るために武器でなくなった後のことだった。
「俺が燃えて、また造られて、それを丸ごと呑みこまされたようにか」
この槍に鍔があるように、この鉄に血が染み付いたように。この身が八つ首の感触を憶えているように、この柄がアスファルトの熱さを知っているように。お前も造られたのかと、槍は訊く。
「おうよ。この
黒漆の鞘も、鉄の丸鍔も、黒の柄糸も、一山いくらの拵えにすぎず。直刃の刃紋も、厚く樋の通らない刀身も、長い銘も、きっとぴたりと合う押し型は残っていまい。その辺に転がっていそうな刀、偶然から行きあい命を預けることになる刀。彼はそういうものだった。
ようやっと、ただ一つの刀に成れた気がした。同田貫の刀であるというだけでなく、他の刀剣男士がそうであったような。ただ一つの刀、換えのきかないもの。つくもを名乗るに相応しい来歴ある物に。
「ここにいるあんたはただ一つだろう?」
今までの同田貫のどれとも違う、どれとも知れぬ、
「同じもんが
ただ一つであること、ただ一つであったこと。他と違うものだということと、それがたった一つの所以のあるものだというのは全く違う。
まだ誰かの手に渡る前なら、刀にあるのは
一つ判ったことというなら、譲り受けたでもなしに俺を選んだ侍連中は誰も強い物を欲しがっていたこと。
「一つ解ったことと言うなら、そうだな。この名の理由か」
御前で兜に切れ込みを入れた刀に、正国の銘はなかった。そしてこの器を形づくるものは、正国のものばかりではない。刀、脇差、短刀、槍や薙刀、鐙に包丁、火縄の鉄砲。銘のあるものも無いものもあった。既に失われたものも、数でしか管理されなかったものもあった。共通するのはただ、同田貫の鍛治によること。同田貫正国、小山上野介、藤原──なんと言っても構うまいが──をはじめとし、業次、源左衛門、宣明、信助、国重、治兵衛、国勝、……と挙げればきりのない彼の父親たちの誰かが、それを自分の作だと知っていたこと。誰が欠けても今の自分はない。そう、誰が欠けても。
世に言う「同田貫」の作風からは離れていたとしても、打たれたのが「同田貫」の村でなかったとしても、銘に「同田貫」の文字がなくとも、それでも同田貫だと誰かが認めればそれは同田貫なのだろう。だから、正国なのだ。その名を持つ同田貫の刀工が幾人もいたから、きっと彼はこの名を与えられた。誰なのかわからない同田貫だというなら、これ以上相応しい名はあるまい。
何度目かの酒を含み、また口を開く。
「あとは、そうだな……っと」
眉を顰め、同田貫はこの何時間かで初めて言葉を止めた。気づけば西の空は柿色に染まり、わずかに紫雲が漂う。流石の付喪とはいえ、酒ばかりで昼過ぎから日が落ちかけるまで話すのは堪えたらしい。
「うん?どうしたんだ」
「いや、喉が」
「ああ。悪いな無理させて」
「……聞きたいことはわかったかよ」
「うーん……それなりに。今日はこれ以上いいや。厨行こうぜ。余った飯まだあるかも」
「お前まだ食うのか……」
溶けて再び凍る薄褐色の雪のように、人の夢と純然たるべきだった歴史を持って刀剣男士は肉を持つ。壺の中で燻る火種のように、かつて夢見られて彼らはここに在る。雪に幻視する桜のように、今でも人が夢を見るから。