白面金毛の奴が帰ってくる――――!

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眠気混じりのぼうっとした頭と手が勝手にやらかしたので、私は悪くないです()


名前

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 我が本当になりたかったもの、それは――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪の降る夜のことであった。

 白熱球の電灯がやんわりと照らす純白の町並み。

 子の刻をとうに過ぎた真夜中に、それはふと響き渡った。

 

 ――――おぎゃあ、おぎゃあ

 

 赤子の泣き声である。

 しんしんと降りしきる雪の儚さの中に、生まれ出でたばかりの命が、生を叫んだ。

 しばらくの間、その赤子は闇夜の帳に一人、ただ泣いていた。

 しかし、それを放っておかないのが人の世というもので、ちょうど近場の民家に灯りが点いて、戸口から男が一人、顔を出した。

 短く切り揃えられた黒髪に、太い眉。そして、澄んだ青い色の瞳。歳の頃は二十を過ぎ、その中盤に差し掛かった辺りであろう。どことなく快活な雰囲気を纏う青年であった。けれど、今ばかりは時刻が悪いのだろう。眠たげに目を擦り擦り、己の目を覚まさせた要因を探るように、表に視線をやっている。

 やがて捉えたのはもちろん、雪の中に一人ぽつねんと泣いている赤子である。

 男は血相を変えた。

 着の身着のままに、それこそ裸足のまんまで飛び出して、泣きぐずる赤子を腕の中に抱き込む。首の座っていない赤子を抱き上げるのにもずいぶんと慣れた仕草であった。

 そして、男は一も二もなく家の中へと飛び込み、暖房を手当たり次第に点けていく。そうしながらも、赤子を毛布にくるんで揺らし、あやすことも忘れない。

 あまり身に纏う雰囲気に似つかわしくない甲斐甲斐しさであったが、赤子にとってはそれが功を奏したらしく、やがて泣き止み、次いで穏やかな寝息が聞こえてくる。

 そこでようやっと男は一つ安堵の息を吐いて、赤子を居間の隅にあるベビーベッドに横たえる。

 

「……潮? さっきの赤ちゃんの泣き声、なんだったの?」

 

 そこで、背後の襖が開いて、男――潮と歳の頃を同じくする女が姿を見せた。

 腰まで伸ばされた艶やかな黒髪に、てらいのない顔立ちはしかし相応の美しさがある。けれど、やはり目だけは眠たげにやや細められている。

 

「麻子。寝てていいって言ったのに」

 

「寝つけなかったんだもん。仕方ないじゃない。寅子も今は寝ててくれてるし」

 

 そこまで言葉を交わすと女――麻子は、部屋の隅のベビーベッドに寝かされている赤子に気がついたらしい。

 

「ちょっと、潮。あの子、どうしたのよ?」

 

 声をすぼめて、しかし詰問するような調子で、潮へ問いかけた。

 しかし、潮のほうもまだ事態が掴みきれているわけではなかった。

 赤子が泣き続けるのも可哀想であるし、寅子が起き出してもらい泣きしてしまうのもよろしくない。先ほどまでの最優先事項は目下あの赤子を落ち着かせることであった。

 

「いや、俺にもよくわからん」

 

 思考を放棄していたので、そう答えるより他になかった。

 潮のその様子に額に手をやった麻子は、深呼吸を一つした。

 

「整理しましょう」

 

「おう」

 

「寅子の夜泣きを落ち着けて、私たちも寝ようとすると赤ちゃんの泣き声が聞こえてきたのよね」

 

「少し間を置いても続いていたから、俺が様子を見に行った。すると、外であの子が泣いてたんで、急いで家に戻って、あやした」

 

「なるほど。わからないわ」

 

 麻子が首を傾げた。

 21世紀に入って、日夜進歩を続ける現代社会において、赤子が真夜中の道ばたに置き去りにされるなんてこと、あるものだろうか。

 

「……捨て子、なのかな」

 

 一番に思い至った可能性が、思わず口をついて出た。

 潮の太い眉が片方、吊り上がる。

 麻子自身も同じ心持ちであった。

 腹立たしい。己らでこさえ、生んでおきながら、それを捨て去るとは何事だろうか。

 

「とりあえず、今夜はこのまま様子を見て、明日警察に行こう」

 

 腹の底がむかむかする麻子も、潮のその言葉には一つ頷いて、溜飲を下げた。

 

「とりあえず、今日はもう寝よう」

 

「そうね」

 

 潮の言葉に、麻子はベビーベッドまで歩み寄って、寝息を立てる赤子を起こさぬように、優しく抱き上げた。

 

「寅子の隣に寝かせてあげよう。そのほうがきっと寂しくないよね」

 

 そっと、麻子がそう囁いた。

 それを聞いていた潮がにかっと暖かい笑みを浮かべる。

 

「ああ、そりゃいいや」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――そんなことがあってから、時は流れ、一年ほどが過ぎる。

 

 

 芙玄院。

 そう銘打たれた寺院の横手に併設されている住居には、ある夫婦が暮らしている。

 寺院の嫡子である蒼月潮と、その妻である蒼月麻子夫妻である。

 夫婦が第一子を授かってから一年ほどが過ぎたある冬の夜に、二人はその子と出会った。

 

 

 その赤子は捨て子であった。

 警察へ届け出、実親の捜索が行われるも結果は芳しくなく、生後間もないことからその赤子は乳児院へと所在を移される。

 市長によって、睦と名づけられたその子は乳児院で一年を過ごし、そして、その所在はまたも移り、今は麻子の腕に抱かれて、芙玄院の境内にいた。

 それは、この一年蒼月夫妻が役所に児童相談所にと駆け回ったが故であった。特別養子縁組で蒼月夫妻が睦の里親となったのである。

 芙玄院が養育家庭として正式に届け出されていたので、出来たことであった。

 かつて届け出をしたのであろう潮の実父――紫暮は、その真意を語らなかったので詳しい事情こそしらないが、潮と麻子にとっては、自身らが拾った赤子を家族として迎え入れるに否やはなかった。

 それに、実娘である寅子(いんこ)にとっても姉妹ができることはいいことだろう。

 

 

 そうして蒼月睦は、蒼月家に住まうこととなったのだった――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――目が覚めると、赤子になっていた。

 

 

 なんて、そんな阿呆なことがあるか。

 いや、あった。

 というか、我だ。我だった。

 

 

 見覚えのある、というかほとんど魂に刻み込まれたといっても過言ではないほどの因縁のある男――蒼月潮が、我を抱き上げ、顔を覗き込んでくる。

 

「べろべろばー」

 

「きゃっ、きゃっ」

 

 …………。

 こんなことで笑ってしまうなんて、我は、我は……。

 

「おい、潮! 腹が減った!」

 

 赤子としての本能にうちひしがれていると、蒼月潮の頭に一匹の妖が降り立った。

 彼奴も同じく因縁のある相手だ。

 とら。蒼月潮と共にある黄金の妖。

 凶相を歪め、不満げにするとらに、しかし蒼月潮は毅然と言い放った。

 

「俺は睦の相手で忙しいから、他所入ってろ。教育に悪い」

 

「はっ。このわしがガキの教育にいいはずもねぇだろうが。なにせ、天下の大妖怪様よ」

 

「だから、他所行けってば。だいたい、腹減ったって、さっき昼飯食わせてやったとこだろうが」

 

「かーっ。わかっとらんな、潮。お前にとっちゃ麻子の作る飯はうまかろうよ。しかし、わしにはそんなもん、そこらのまずい人間食ってるのと変わらねぇのよ。いいか? わかったら、"はんばっか"を寄越しやがれ!」

 

「けっ。真由子のとこにでも行って恵んでもらえ、西洋被れのクソ妖怪めが」

 

「おっ? おっ? 言いよったな、くされ小僧がっ。なんならそのガキを食ってやってもいいんだぜ?」

 

「あんだと?」

 

「なんだよ?」

 

 まさに、一触即発。

 この二人、常にこんな感じである。

 けれど、それにしては大事にまで発展したことはない。

 なぜってそりゃ、

 

「はい、そこまで」

 

 がちぃん、と金属がなにか硬いものに当たった音が響いた。

 蒼月麻子である。彼女が中華鍋でもって、蒼月潮ととらの頭を殴打し、撃沈せしめたのだ。

 

「潮っ、とら君もっ。子供たちのいるところでケンカしないでっていつも言ってるでしょ?」

 

 そのとおりである。

 かつては白面金毛の大妖として猛威を奮った我も、今はなんの力もない赤子なのだ。

 法力僧として力をつけたらしい蒼月潮と変わらぬ力を奮うであろうとらのケンカに巻き込まれることなど、想像したくもない。

 なので、我は蒼月潮の腕の中から、蒼月麻子のほうへと両手を伸ばした。

 

「あーうー」

 

 こっちのがいいアピールである。

 その意を汲んだのだろう。蒼月潮が意気消沈した様子で、我を蒼月麻子に託した。

 

「ほら、睦も乱暴なお父さんより優しくて綺麗なお母さんのほうがいいって」

 

「そんなぁ……。っくしょーっ。やい、とら! てめぇのせいで睦に嫌われた!」

 

「知るか、アホ潮! わしゃ、関係ない!」

 

「うるせー! こっち来い! 久々に白黒つけてやる!」

 

 法力と炎雷を撒き散らしながら場所を移す二人を見送って、蒼月麻子は一つため息を吐いた。

 

「子供までできたっていうのに、ほんと変わらない人……」

 

 まったくである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、じゃあお昼寝の時間ね」

 

 優しい声音でもって囁きながら、蒼月麻子は、我をベビーベッドに横たえた。

 隣には、すでに寝息をたてているもう一人の赤子――蒼月潮と蒼月麻子の実娘である蒼月寅子の姿があった。

 我の姉であるらしい。

 

「ぅぁー」

 

「ん? はいはい、子守唄ね」

 

 控えめに唸ると、蒼月麻子は察したのだろう。いつも唄っている子守唄を聞かせてくれた。

 優しく、暖かで、得難い心地よさに身をやつす。

 我の手が無意識に伸びていって、隣に寝ている寅子の手をそっと握った。

 

「~♪ ……ん、ふふっ。仲良しさんね」

 

 日だまりのように柔らかく微笑む蒼月麻子に、我はどうしようもなく安心を覚える。

 

 

 ――――おやすみ、寅子、睦。

 

 

 我の"名"を呼ぶその声と、手のひらから感じる温もりに身を委ね、そして、迫りくる眠気にそっと目蓋を閉じた――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――我が呼ばれたき名は白面にあらじ。

 

 我が本当に呼ばれたき名は――――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




続かない


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