まだ幼かった時、そんな質問を母にしたことがあった。
「んー・・・かっこいい人・・・だった、気がする。」
気がするってなんだ?仮にも愛しい人なんだろ!?
「ごめんなさいね。思い出そうとするとこう・・・もやがかかったみたいな・・・。うーん、あ。でも強くて、優しくて、純朴だけどそれを表に出せない・・・みたいな?。見た目は・・・黒くて、大きくて・・・ヤマアラシ?」
でかいヤマアラシが・・・オレの、父親?
うふふと恋する少女のように赤面して笑う母。あんたほんとは覚えてんじゃねーか?
「で、外見とは裏腹にロマンチストで・・・」
「母さん。その人の職業は。」
「んー?分からない!」
「は?」
あれ?これなんか雲行き妖しくなってきたぞ。
「あ、でもお母さんに忍びとしての修行をつけてくれたのはお父さんだったのよ。とても強くて・・・やめろって言われたけどお母さん勝手に師匠って呼んでたの。だからきっとアウトドア系の人ね!」
「え・・・。」
弟子に手えだしたのか!?俺の父親!?
「じゃ、じゃあ何で別れることになったの?」
「えー・・・と。たしか・・・よく覚えてないんだけど知らないうちにお金渡されてて、会えなくなっちゃった。みたいな?」
・・・それ、態のいい愛人で、手切れ金渡されただけじゃね?
「きっとミギワのためのお金だから。大事に取っておきなさいね。」
この人一人にしちゃだめだ。
そう思いながら「ふーん」と言って膝の上に上がって抱き着くと「あら、可愛いハリネズミ!」と言って抱き締め返してくれた。
母さん・・・ヤマアラシとハリネズミは別モンだよ。
ーーー何かの間違いなんじゃなかろうか。
興味本位で尾行していったイズナが見た女の印象はそれだった。
事の始まりは一年と少し前、イズナの兄がある任務に就いたことだ。
内容としては千手柱間の木遁の解析、のようなものである。
ただし、ある一族と親しくなってその秘術の弱点などを聞き出せないかという・・・あまり言いたくはないが色任務的なものだ。
もちろん同じ遺伝情報を持つ千手一族を調べたいところだが残念ながらうちはには殊更警戒しているため探りを入れるにしてもまず候補からは外される。
次に泥遁とやらを操る一族・・・は完全に雲隠れしているようで無しになり、次に目を付けたのが眉唾物のチャクラを使わずに土遁を行使できる一族の噂だった。
いい機会だからと、何故かその諜報任務はイズナではなく兄が行くことになった。
休戦期間とはいえイズナは何故交渉事どころか対人関係が苦手な兄が行かねばならないのか納得がいかなかった。が、我慢した。何故か周りは乗り気だったからだ。
そして、我慢に我慢を重ねていたある日。当初乗り気だった周囲がにわかに騒ぎ始めた。
曰く、兄が諜報相手の女に骨抜きにされ、絆されかかっている。と。
このときイズナの兄は丁度集落の中でも評判の良い娘との縁談が来ていて、兄自身は乗り気ではなかったが、古参含め上の世代が特に躍起になって進めていた。だからこそ逆に乗り気ではない要素として何があるのかという調査の元、この任務が露見したわけだが。
集落から出た一団をつけていたイズナは、当初はあの硬派の兄を骨抜きにするとかどんな悪女かと、自分の中にある悪い女のイメージを膨らませて意気揚々(きっと大半は兄の恋人(偽)に対する好奇心だろうが)と、されど女一人相手にこんな人数いるのかという疑問を抱えながら現地に向かう事となった。
逸る一団より離れたところから、その女が頻繁に利用するらしい茶屋の前で待ち伏せる。
驚くべきはここからである。
イズナは宿に出入りする女を見てアイツか?それともアイツ?と仕切りに睨みつけるかの様に視線を変えていた。
一際派手な女が通った時、それとは全く別方向に集団が動き出したので慌ててイズナもその後を追う。と、囲まれていたのはさっきの様な派手な女ではなく、自分よりも明らかに年下であろう、女どころか少女と言っても差し支えないくらいの子供だった。
え゛ッとイズナの中に衝撃が走る。
少女の年齢は多く見積もって16くらいだ・・・きっともう少し年下だろうが。
顔は流石というか、あどけなさが色濃く残っていて、されど背筋の凍る様な美しさが混ざった綺麗な顔立ちをしている。今は美少女だか、将来は恐ろしいほどの美女になるだろう。
が、そこから下に視線を滑らせると殆どが着物で覆われているものの、そこから出ている首も、手も、足も。全て白くて細い。少し力を加えたら折れそうな雰囲気で、正直触るのが怖い。
まだ未発達な、否。発展途上な幼い肢体だと言うことが目に見えて分かるものだ。
ーーー嘘でしょ・・・?
イズナはそんな少女に詰め寄って行く大人げない仲間を尻目に、ただ呆然と立ち尽くしたままだ。
ーーーあんな小さい子が、兄さんの相手?え?あんなチンチクリンが?
腹の中で渦巻く気持ちの悪い何か。その何かを「いや、任務だし、仕方ないよね?」などと思い込んでなんとかその衝撃に蓋をしようとするもなかなかそうは行かない。イズナだって人間である。流石に感情を抑えるにも限度があるのだ。
そんな風にわなわなと震えていたイズナはふと時折帰ってくる兄が大事そうに持っている手紙の内容をちらりと見てしまった時、まるで師弟関係を結んでいるかの様な内容が書かれていたのを思い出す。
あれが今目の前にいる少女とのやり取りだとするれば・・・益々顔が青くなった。
自身の尊敬していた兄が、実はロリコンで、且つ紫の上みたいなのを狙っているのではないかと言う疑惑が浮上する。
いや、まさかあの硬派な兄が本当に弟子?に手を出したりはしていないだろう、と。
そう、信じたい。・・・ここのところの兄の様子を見るに不安しかないが。
こんな任務を平気で実行している兄が信じられず、そんな事を平気でしてこいと言う周囲が信じられない。
大名やら位の高い者が若い娘を側室や後妻としている歳の差婚の例は知っていた。
が、実際に身近なところで、しかも真っ当なお付き合いではない世で言う結婚詐欺染みたことを、この年端も行かぬ少女にしてしまったと思うと一族第一のイズナもさすがに申し訳なさが先立った。そして、その加害者が兄だということに受け入れがたい何かが胸中に渦巻いてくる。
唐突に何かがせり上げてきて思わず口を覆う。
気持ち悪い、気持ち悪いきもちわるいきもちわるい
そんなイズナに気付いたのか、誰かが「大丈夫ですか?」と言って手拭いを差し出してくれた。
「あ、ありがとう・・・。」
そして、その人物・・・名も知らぬ少女の顔を見たが最後、イズナは卒倒した。
結局イズナが目を覚ましたのは集落に戻った後。
その時に渋る少女を幻術に掛けて一方的に別れさせたことを知った。
金も置いてきたから大丈夫だろうと安心したように語って笑っている同胞を見た時、初めてイズナは一族のことが嫌いになって、同時に自身を恥じた。
――――これが、後のミギワの母であるミソギとイズナの最初で最後の接触であった。
□ ■ □
今、うちはの集落はにわかに騒がしくなっていた。
それもそのはず、先の戦で負傷し昏睡状態だった族長が意識を取り戻したからである。
パタパタと絶え間なく廊下を行き来する足音を聞きながらミギワは行儀が悪いのを承知でごろんと大の字に寝転がる。
(今日の分の修行も事務処理も終わっちまったし、さて、どうすっかな・・・。)
この所ミギワに仕事を斡旋してくるイズナも目が覚めたばかりの族長につきっきりでこちらには来ていない。
やることがない。
そして、ミギワにとってその事実はあまり喜べるものではなかった。
だらけるのが嫌いというわけではない。が、落ち着かないというか、手持無沙汰とでもいうのか・・・。
自分がただ飯喰らいの様で座りが悪いのだ。
イズナにこっそりとそのことを伝えてはいるのだが、そのたびに「そんなことしたら俺が兄さんに怒られちゃう」と困った風に笑うのだ。戦場に出してくれ、それとも自分では役不足なのかと問うと「それはもっとできないかな。例え俺がいいって言ってもきっと兄さんは反対すると思うし・・・俺も兄さんもミギワには幸せになってほしいんだ。それだけ、ミギワが大切なんだよ。聞き分けておくれ。」と言って悲しそうな顔をする。
じゃあ本人の意思はどうでもいいのかと言いたかったが、その雨に濡れた子犬の様な雰囲気と表情にミギワはいつも黙ることしかできなくなってしまうのだ。
そして、最もムカつくのがミギワとその父親である族長との親子仲を取り持とうとしてくることだ。
四六時中そうした態度を取っていれば当然のように避けるべき対象に認定するところだ。が、この男はそういった手合いではない。
ふとしたときに思い出したかのように言い出すタイプで、普段世話になっていることもあって無下に扱うことが出来ない。
そんなミギワを知ってか知らずか今回の昏睡から回復したその初日に「ミギワも兄さんのお見舞いに行ってあげなよ。そこら辺で摘んだ花でもきっと喜ぶから。」と食えない笑顔で言っていた。
まあ、その初日からここの所ずっと会えていないが。肝心の族長の部屋にも面会謝絶の紙が貼られていたのでそのまま放置していた。
「・・・・暇だ。」
別に絆されたとかというものではない。このままだとやはり座りが悪いままなので、取り敢えず見舞いという体を借りてイズナに会いに行こうと自身を納得させて立ち上がった。
―――――――――――
「じゃ、手筈通りよろしく。」
「え!?あ、あの・・・」
いいからやんなさいよ!!と強く背中を押されてツムギは受け身も取れず、無様に転倒した。
そんなツムギをドンくさいわねーと言ってクスクスと笑うその女は数か月前に族長の縁者の友人だと言って伴場強引に居候することになった、本人曰く難民だそうだ。
この屋敷の、それも限られた範囲内でしか歩き回ることを許されない軟禁状態である代わりにここに滞在することを許された、特例。
何故滞在を許されたのかは世話係の一人に任命されたツムギにも分からない。
他の世話係仲間の間でも彼女のそのよく言えば自由奔放、悪く言えば我儘で非常識な性格に疲弊していた。
族長やその補佐であるイズナ、古参組、そういったお偉方にはお偉方なりの考えがあるのだろうが実際の対応をしている自分たちはもう限界が近い。
今だってそうだ。彼女はどうしても族長やイズナ様に会いたいらしく、外に出たい、手助けをしろと駄々をこねている。
そしてこちらが手出ししないのをいいことに好き勝手暴れまわるのだ。勘弁してほしい。
そんなことを考えながら今回はどうやって彼女をなだめようかと内心で考えているとダンッと強く床を蹴る音が響いた。
「ヒッ!?」
傍で笑っていた女が情けない悲鳴を上げる。
不思議に思って音のした方に視線を向けると族長様の息女のミギワ様が立っていた。
「な、なんであんたがここにいんのよ!!」
到底客人としてふさわしくない態度をとっている女には目もくれずミギワはツムギの下に歩いてくる。
と、ツムギの腕を掴んだ。
「ちょうどよかった。お前みたいなやつを探してたんだ。」
「へ?え?や、あの・・・ええ!?」
言うが早いかそのままツムギを引っ張っていってしまった。
「あ、あの!あの、ミギワ様!!」
「あ゛ぁ!?」
「ひ、あ・・・の・・・わたし、仕事、が」
どすの聞いた声に思わず怯んだ様子のツムギを見て、ミギワはばつの悪そうな顔をして目線を逸らした。
「あー・・・なんだ、その。悪いな、邪魔しちまって・・・その、頼みたいことがあってよ。」
そんなミギワの様子を見てツムギは目を見開く。
周囲が話していたミギワの像と現在自分に謝っている彼女が同一人物だとは思えなかった。
暴力的で女らしさの欠片もない鼻持ちならない女だと兄は言っていたが、きっと、妬みか何かだろう。
だってこんなにも素直に謝ってくれる人を、身内と言えどツムギは見たことがなかった。
確かに髪やらは服装やらは周りと比べるとお世辞にもお洒落とは言えないがそれだけだ。
ツムギの二軒隣のヒビキ姉さんは男兄弟に囲まれて育ったせいか装いは綺麗だが所作が男らしいことで有名だし、それに比べたら背の低いのも手伝って可愛らしい小動物の様(ただしちゃんと女子としての手入れをすれば)だと思う。というかどっからどう見ても小学生くらいにしか見えない。かわいい。
男衆は怖がるか歯噛みするか。女たちはヒソヒソと遠巻きに噂話をしているかだったが、なんでみんな今まで関わろうとしなかったんだろうと、棚上げもいいところだがツムギは不思議に思った。
「その・・・花畑とか・・・知らないか?」
・・・その見た目とは裏腹の初々しい姿にツムギは乙女として負けた気がした。
――――――――
「そう、あ、そっちのほうの茎を軸にたした方が・・・そうそう。」
「・・・こうか?難しいな・・・。」
「はい!完成だよ。ミギワちゃん。」
数刻前までの緊張が嘘のように朗らかな笑顔でツムギが言う。
そんな彼女に「ありがとう。」と言って、照れたのを隠す様にミギワは頬を掻いた。
「でもちゃんはやめてくんねーか。なんか、こう、むずむずする。」
「え?でも私呼びすてで名前読んだことなくて・・・あとはミギワ様としか変えようが・・・。」
「ああ、うん。ちゃんでいいわ。」
花冠作りで打ち解けた二人は手探りながらも楽し気に花冠の改良を行う。
何気ない会話の端々から同じだったり全く違ったりする点を見つけるたびに一喜一憂していた。
「へえ、イズナ様ってお料理もお出来になるのね・・・すごいわ。比べるのもあれだけれどうちは私と母様以外台所に入ったことすらないもの。」
「まあな、族長は台所にたったとこ見たことないからわからねーけど。・・・っと、イズナ叔父さんの作る料理はそこらの宿の飯よりうまいぜ。」
言いながらミギワは出来上がった花冠に更に(おそらくは)月桂樹のモノであろう小枝を外れないように注意しながら巻き付けていく。そして、巻き付け終わったものから今度は花を摘んでいった。
「?わざわざ葉っぱだけ?花は?」
ミギワの不思議な行動に首を傾げるツムギ。そんな様子を余所にミギワは様々な角度から花が残っていないか入念にチェックしていた。
「んー?ああ、コレ?だってほらこないだの戦、勝ったらしいから。ソレ。」
「ふーん?」
何故戦に勝ったら肉の臭み消し用の葉を巻き付けることにつながるのだろうか。
よくわからないが、きっと何かしらのこだわりがあるのだろうと思ってツムギは黙認することにした。
「でもなんで花無し?」
「あー・・・なんだっけ。ええと、なんか花はあんまりよくなかった気がするんだよな・・・忘れたけど。」
良し!と言ってガバッとミギワが立ち上がる。
「ありがとうな、ツムギ。助かったよ。」
「ええ、お役に立てたようで何より。ミギワも頑張って作ったんだから、きっと相手も喜ぶわ!」
そんな何気なく言ったツムギの一言に、一瞬身を強張らせたミギワは力なさげに「そうだな」と呟いて笑って見せた。
「あ、と、ところで・・・さ。族長の寝所の面会謝絶って、いつ頃解除されるかとかは・・・」
「?ああ!そういう事!ええっと、確かもう今朝にはなかったけど・・・たぶんもういないんじゃないかしら。次の戦相手が千手だってわかったから今頃念には念を入れて会合中よ。きっと集会場ね。」
「集会場・・・わかった。行ってみる。」
このとき、その変化を気に留めなかったことを、そして何より彼女を引き留めなかったことを、ツムギは後悔することとなる。
―――――――――
「・・・では、やはりミギワ嬢に戦場に立ってもらう他ありませんな。」
皆もよろしいな?と古参のうちの一人が言うと輪の中の数人が頷く、イズナを含む半数は渋い顔をしたままだ。
「だがのう・・・。ちいとばかり早計過ぎやせんか?戦力不足とは言え初陣が最前線・・・それも千手相手に変化しているとはいえ年頃のおなごを出すなど・・・生き急ぐどころの話では済まされんぞ。」
第一折角手に入れたあの力、余所にやるにもなくすにも惜しい。と髭を蓄えた翁が言う。
その言葉にまたも周囲がううむと唸った。
「しかし、ミギワ様のあの潜在能力は素晴らしい!!族長の影の件は誰かに変化させて代役を立てさせましょう。ミギワ様は最前線ではなく後方支援から始めさせて、慣れてきたら前線に出ていただくのがよろしいのでは?」
ミギワの体術の指南役をしている初老の男がいきいきと意見する。
「・・・俺は反対です。あの子・・・ミギワはまだ実戦に出せるような力は持っていない。出したところで・・・。」
「出したところで?はっ。死ぬでしょうなあ。ああ、それとも能力を見込まれて捕虜になるかも・・・それがどうしました?」
ばっと手に持っていた扇子を開きながら男が鼻で笑った。
「あ、あなた何い「願ったり叶ったりでしょう?」!?」
イズナの意見は、再度発せられた男の声で掻き消された。
何を言ってるんだこの男は、とイズナは頭が真っ白になった。
「いえねえ。私情を挟むわけじゃありませんが・・・ここ最近の彼女は特に目に余る。こそこそこそこそ、それこそネズミか何かのように・・・私にはうちはを探る不届き者にしかみえませんなあ?」
「それに彼女、戦に出させろと言ったそうじゃないですか。本当に我らのためを思っているというのなら、その命を投げ打っていただくというのも、ほら、うちはのためじゃありませんか!!」
まるで演劇のようにわざとらしくその男の取り巻きらしい男たちがこぞってしゃべり、唾が飛んだ。
そのあまりにも身勝手な内容にイズナはわなわなと怒りから震えが止まらなくなった。
が、その直後に周りを凍てつかせるかのような一言がイズナの後ろから発せられる。
「言いたいことは、それだけか。」
地を這うかのような低く底冷えのする声の方には、族長。うちはマダラが立っていた。
「お、おお。族長様。体調はもうよろしいんで」
「もう少し休んでいたほうが・・・。」
途端に兄にすり寄るかのように態度を軟化させた男らを見て、またイズナの中の苛立ちが首をもたげる。
ここの所続いている会合に、イズナはマダラの代理として出席している訳だが、なかなか話が進まない。
足の引っ張り合いばかり、これならまだ寺子屋に通っている子供たちの集会の方が立派なんじゃないかとすら思えてきた。
そして、そんな会合を継続しなくてはならない原因の一端である扇子の男はぱちりと扇子を閉じて置くと、これまた余計な口を開いた。
「族長様も族長様です。貴方がしっかりしていれば今頃はこんなことにならずにうちの娘と・・・!」
「族長様はお優しいですからなあ。例え任務だったと言えどあのような女狐から生まれた半端ものでも見捨てられないのでしょうよ。血の流出を抑えるためにしても、あんな娘を今日まで育ててきたのだから。」
よよよとわざとらしく泣く男と便乗する取り巻き。そも、何故そんな奴がいまだに上役にいるのであろうか。
イズナは、そもそも兄さんを嵌めるためにあんな任務に就かせたのはお前で、娘の妊娠期間を間違えて不貞をごまかせなくなったのもお前が原因だろうが。と、私怨が駄々洩れになっている男に内心で毒づいた。
もっともその失態のおかげで兄が托卵されなくて済んだのだから、そこだけは相手の馬鹿さ加減になら感謝してもいいが。
―――本当に、なんであんな女が良くて、あの子が駄目だったんだろう。
思い出すのは今は遠い、過去の噺。
イズナが拒絶し、振り返りもしなかった兄と少女の事。
今でも鮮明に覚えている中途半端な始まりと終わり。
『大丈夫ですか。』
差し出された手拭いと可愛らしい笑顔。
場面が切り替わる。
『母は、死にました。』
兄に似た顔に、少女と同じ色の眼の童女がぽつりと言った。
床板を捲ったその下にあったのは―――。
・・・少女がもう来ないことを知らずに任務の合間を縫って会いに行っていた兄の姿も、今でもはっきり覚えている。
「イズナ。」
すぐ傍で自分を呼ぶ声がして意識を戻した。
「念のため廊下と縁側見てきてくれ。こないだのもどきみたいな奴がここにこないとも限らねえ。」
そう言った兄の顔は冷静さを保っているが、その目の奥には明確な殺意とも憎悪ともとれるような炎が浮かんでいた。・・・写輪眼にならないだけまだ自制心が働いているとみていいのだろうか。
よくよく周りを見てみると先程まで渋っていたり、逆にミギワを経験を積むようにと押していた面子も写輪眼が発動している。
イズナはこれから起こるであろう出来事を予測してこくりと頷くと、まず縁側へと歩を進めた。
途端にふわりと、何処かで嗅いだことがあるような匂いとともに一陣の風が吹き抜ける。
「・・・?」
足元に落ちている花に目がいく。
その小さな薄黄色の花は縁側から見える庭には見当たらない品種だ。
摘まみ上げてみる、そこでやっとそれが月桂樹の花であることを思い出した。
―――なんでこんなところに?
そんなことを考えた時。向こう・・・門前が何やら騒がしくなった。
――――――――――――
「ミギワちゃーん!どこー?」
ツムギはきょろきょろと周りを見渡すもそれらしき人物はいない。
「ミギワちゃーん!!」
花畑から帰った後、作りすぎたおはぎをおすそ分けしようとミギワを探しているのだが一向に見つからない。
用のある時以外はあまり行きたくないのだが、集会場にまで顔を出すことにした。
「ギャッ!ちょっと誰よ!こんなところに・・・こんなもの!」
既に反射レベルで苛立ちの募る声と、ぐしゃりと何かが踏みつぶされる音に振り返る。
と、そこには此処にいるはずのない客人の女と無残に踏みつぶされている花冠があった。
花とはまた別にあの葉がついている、ミギワの作った花冠だ。
それを視認してからのツムギは早かった。
「何してくれてんだテメエ!!」
普段からは考えられない口調と声量で発せられた声を皮切りに、突進するかの如く女の方に走っていく。
いつもの様子とは違うツムギの様子に怯んだ女。その足を払って転ばせる。
すっ転んだ女の上に馬乗りになったツムギは「ミギワちゃんを何処にやったっ返せやゴラァ!!」と言って女の返答も待たず、感情のまま殴りつける。
「げふっちょ!ぐがっ」
「オラオラオラァ!吐け!今すぐ吐けやあぁ!!」
女を傷つけるなという命が出されていた気もするがそんなこと知ったことではない。
あんなに頑張っていたのに!あんなにあんなに、あんなに!!
それをこの女は!とドロドロの黒い沼地みたいなものがツムギの中で溢れていく。
普段女の前では自制に自制を重ねていたのでそれも相成ってツムギは何もかもがハイになっていた。
例え殴りすぎて顔面が血だらけになろうが相手の化粧が剥げ様が、自分の拳が傷つこうが止めなかった。
・・・たぶん、この女を見ていると父親と姉を思い出して更に容赦がなくなっているのかもしれない。
殴り続けていた拳は後ろから来た誰かの手に掴まれたことにより停止させられる。
「はい、ちょっと落ち着こうか。」
ぎろりと振り返った先にはイズナと、族長と古参勢と・・・ボコボコにされたツムギの父の姿があった。
そこでようやく沈静化したツムギは女からどいて着物を直し、返り血で血まみれになりながら微笑んだ。
「あら、族長様にイズナ様。それに皆様も、お騒がせしてしまい申し訳ありません。」
「今場所を変えます故。」と言って尚も逃げ出そうと這う女の首根っこを掴み上げる。
「ま、まぢなざい。」とボロボロの父がまるで縋るかのようにツムギに寄っていこうとする。
しかし、そんな男の様子に今気づきましたとでも言うかのようにツムギは冷たい目を向けた。
「あら、まあ。今度は何をなされたの?・・・
そんな、集落の中でも物静かで嫁にするならこの娘だろうという話に必ずと言っていいほど名の上がるツムギからは到底発されないような罵りに周囲はぎょっとしていたがイズナだけは耐えきれないと言わんばかりに吹き出した。
「ご、ごみっ・・・ごみ虫っははっ!!」
そんな周りを置いてけぼりにして取り敢えずと女を適当に其処ら辺に放ってから、ツムギはマダラとイズナの方を向き、いすまいを正すと・・・土下座した。
「十数年前のことと言い、今回と言い申し訳ありません。おそらく今回のことで母も母の生家もこの男とは縁を切るでしょう・・・好きにして頂いて構いません。・・・本当に申し訳ありませんでした。」
尚も頭を下げ続ける娘の姿に他と同様に呆気に取られていたツムギの父・・・会合で私怨たっぷりにミギワを貶してマダラを含む数人に袋叩きにされた男は震える声で尋ねる。
「じゅ、十数年前って・・・お前、何を・・・」
「・・・お前は、真相を知っていたのか。」
険しい顔で言うマダラにツムギは首を振った。
「いいえ。ですが、母が何処かに謝りに行っていたことと、陰ながら泣いていたことは幼心に覚えています。」
ヒステリックに泣き叫び、当たり散らす姉と、そんな姉をなだめようとして母に怒鳴り散らす父。
そんな荒れた環境の中で母は、ツムギにひたすら謝罪の言葉と「お前はああいう風になってはだめよ。」という言葉をことあるごとに、それこそ暗示のように言っていた。
姉を無理矢理不貞を働いていた男の家に押し込めた後は謝罪の日々。
ツムギにとっては幸いというか、友達がいなくなったりとか、いじめにあったりとかは奇跡的に無かったが、母の帰宅してきたときの様相は酷いものだった。もちろん、周囲の大人たちの眼も。
ずぶ濡れになっていたり、日によっては何かを投げられたのか額が切れて出血していたことすらある。
後から知ったのだが、その発端となった出来事にはツムギの家以外にも様々な家が共謀していて、失脚したらしい。そして、当時の族長の長男だった肝心の当人には謝るどころか会う事すらできなかったとも。
そんな母とは引き換え、父親は謝りに行くことなど終ぞなく。自身の今後の心配ばかりしていた。
そんなことをしておいて、現在まで何故か嫁を貰っていない族長の嫁にとツムギを押そうとしているのだから本当に、救いようがないとツムギは思う。
目に見えて生活は破綻していたのにも関わらず、そんな男とは離縁しろという実家にもう一度だけチャンスをと言った母のおかげで父は母の生家の後ろ盾を失わずに済んだ。・・・まあ、その後。その母の愛に胡坐をかいていた男に現在は母も見切りをつけているようだが。
「・・・あーと、ちょっといい?そもそもなんで君、ここに?」
気まずそうにイズナが話に入ってくる。
その手に持たれた花を見てツムギは改めて我に返った。
「あ、申し訳ありません。実はミギワ様にこれを・・・あら?」
残念ながら彼女の持ってきたおはぎの入った重箱は、女を殴るときに放り投げられ無残な姿を晒していた。
落ち込む彼女にイズナが首を傾げた。
「?ミギワに?ミギワなら家にいるんじゃ・・・?」
「え?いえ。族長の見舞いにと花冠を作られて・・・そのまま集会場に言ったとばかり・・・。そうしたらこの者がミギワ様の御作りになられた花冠を潰していたのですもの。カッとなってしまって。」
言って道に転がった無残に潰された花冠に目が集まる。
イズナは知らず蒼白になっていた。
嫌な汗が頬を伝う。
「・・・今すぐみんなを招集しよう。」
―――もし、あの会話をミギワが聞いていたのだとしたら。
「ミギワが、集落を出たかもしれない!!」
結局、ミギワは見つからなかった。
そんな彼女の部屋には綺麗に畳まれたうちはの装束と、多額の金の入った袋。
『今までお世話になりました。お金、お返しします。』
という簡素なメモのみが置かれており。
彼女の数少ない私物の中から何やら一際大事にしていた箱のみが無くなっていた。
□ ■ □
「はぁ・・・・はぁ・・・・ぐっっ」
木に寄りかかって、ズルズルとそのまま蹲る。
脚から零れ落ち、広がっていく血だまりをぼんやりと見つめた後。
ミギワは視線を空に向けて、そのまま寝転がった。
切れた場所が悪かったのか、既に足の感覚はない。
チャラリと金属の擦れる音が聞こえ、ああそういえば忘れていたと自身の脚に巻き付けていた不可視の鎖を解いた。鎖を解いた足はドシャリと土嚢か何かのように無様に倒れる。
一応繋がってはいるが、現状歩くのは無理だろう。もう一度鎖を巻き直せば動かすことなど簡単だがそうしてまで動きたいと思えなかった。
―――まさか、あそこに設置型の連携トラップがあるとはな・・・。
普段の彼女なら踏まないドジであろうが、今彼女は自暴自棄になっていた。
失血のためか、徐々に薄れていく意識の中で思う。
―――オレ、何のために生きているのだろう。
会合で盗み聞いた会話を思い返して、思う。
任務、血の流出。一族のため。
―――
相手を憎む気力も、もう湧かない。
そも、誰を恨めばいいのかもわからない。
父親か?それともうちはの上役たちか?それともうちはそのもの?
―――だめだ。もう疲れた。
愛されていたわけじゃなかった。
必要とされていたわけじゃなかった。
そもそも、存在すら。本当は許されてなどいなかった。
『優しい世界でありますように』
幼い頃の、唯一の綺麗なものが思い出される。
きっとこれが走馬灯という奴だろうか。
「あ、かが、み。」
ま、と呟いて。手がそのまま宙を切る。
ぽろりと何かが顔を伝った。
ミギワは、泣いていた。
―――そうか。
そのまま胎児のように背中を丸める
「オレ、助けてほしかったんだ。」
平穏をくれる誰かを、探していた。
もう、遅いだろうが。
「助けてくれ、鏡間。」
今更何言ってるんだかと自嘲して、更に丸くなる。
―――きっと、最期ぐらい、いい夢が見れると思うんだ。
重くなった瞼に逆らわず、ゆっくりと瞳を閉じていく。
「・・・言うのが遅いぞ。ミギワ。」
意識を完全に飛ばした彼女の身体を抱えてその人物はその場を後にした。
家出直前ー自室にて。
「遺骨、持った。ワッパ、持った。水筒、持った。ん?なんだこれ?」
袋を開けると大量の・・・札束。
「・・・。」
無言で袋を閉じた。
「お世話になりました。・・・と」
ちらりと袋を見る。
「やっぱり手切れ金だったんじゃねーか。」