こまった。
内心思いながらコーヒーを飲む。砂糖入れないがミルクは多めだ。
目の前には眼鏡の公務員、厚生労働省の所属、SAO対策の責任者の一人だった、いや今も担当の菊岡さんだ。
年齢は俺より上で、良いビジネススーツを着ている。
俺もジャケットパンツスタイルで公共の場に出ても恥ずかしくない程度の服装をしているが、公務員の服装センスには負ける。
そして菊岡さんの隣には警視庁のサイバー犯罪対策課の諸志田(もろしだ)さんだ。
こちらも年齢は菊岡さんと同じくらいだろうか。
菊岡さんに呼び出されたのは日比谷のちょっとだけ豪華な喫茶店だ。
「犯罪捜査なら警察の仕事ですよね。傷害事件じゃないですか」
「確実に犯罪といえるかどうか。どうもね」
菊岡さんの、このはぐらかすようなしゃべり方は好きじゃない。
一度、同調圧力で集団を動かそうとする声のデカい奴を戦闘地域に連れてったことがある。
大の大人が泣き崩れる姿は気持ちいいものじゃなかった。見せしめだ。だがそれで数千人がまとまったのも事実だ。
未来には希望を、現実には恐怖を。それが行政の上層部のスタンスだった。
生死にかかわる状況ではぐらかす奴は、後ろめたい失敗を持つか、無責任な発言を態度でごまかしているだけだ。
つまりは、菊岡さんはこの話に責任を持てないが、ヤバい案件だと感じているのだろう。
「サイバー事件なら民間人よりサイバー課でしょう」
「いや、それが犯罪として立件されているわけじゃないんだ。ネットの噂というか」
事件が起きないと捜査が出来ない。
予防捜査は簡単には認められない。
菊岡さんが言い淀むと諸志田さんが口を開く。
「たしかに被害者からは訴えは無いんだが、傷があるのは事実だ。どうしてもSAO事件のことを思うと今の段階で情報収集をしておきたいんだ」
前のめりになって話してくる。
「数日、時間を下さい」
そう言ってコーヒーを飲んで帰るのが精いっぱいだ。
銃撃が肉体に浮かび上がる?そんな馬鹿な。
◆
4週間前からGGOのコミュニティで噂が出た。
撃たれた場所と同じ場所が赤く腫れる。
そんな噂だ。
ネットの隅の噂を諸志田さんを知り調査を始めた。
諸志田さんはSAO事件対応チームにおける警視庁からの出向者だった。
噂を調べるうちに3人の人物と接触した。
それが「被害者」だ。
ゲーム後に起きてみると撃たれたところが腫れていた。
大した腫れではないので湿布などでごまかして治療したらしい。
だが諸志田さんは聞き取りで事実であることを確認した。
そこで菊岡さんを通してGGOをプレイしている俺に話が回ってきた。
刑事個人が民間人に「噂の検証」を頼む。違法捜査ぎりぎりじゃないのか?
ダーシーカフェに寄って晩飯だが、依頼のことはエギルには相談できない。
守秘義務というわけじゃないが、犯罪の可能性があることだ。
あまりペラペラ言うことじゃない。
エギルが心配している。
「浮かない顔だな」
「クレープケーキ残ってる?」
俺がダーシーカフェの甘い系で一番好きなのがクレープケーキ。
クレープをミルフィーユのように重ねて生クリームで食べる珠玉の一品だ。
最高なのだ。500円スイーツでは関東最強だろう。
「ちょっと待ってろ」
エギルは厨房に引っ込む。
どうしよう。
諸志田さんの読みだとGGOのBOBの出場が必要になってくる。
被害者(仮)の共通点はいくつもある。男性であること。ログイン時間が夜半であること。一人暮らしであること。そして前回のBOBの参加者であること。
この条件で、思い当たる協力者候補で俺が浮かび上がったのだろう。BOBは関係ないけれど。
正直言って怖い。ゲームで怪我をするという噂を俺は事実として受け取っている。
ついこの間まで「ゲームの死=現実の死」の世界にいたのだ。
ゲームの中でも極力死にたくない。
そしてこの件だ。断るのも選択肢の一つだ。
だが、だが、断っていいのか。
普通に考えれば違法捜査一歩手前への協力だ。断ってもいい。いや断るべきなのだ。
だが、俺のこの苦しみを溶かす運命なんじゃないだろうか、とも思っている自分がいる。
SAOでの苦しみ、悲しみを、この事件の捜査に協力することで消せるのでは。
誰か救えれば、誰かを死なせた贖いになるのでは。
いや、それは勝手すぎる。救うことと死なせたことは等価にはならない。
「いつも以上に暗い顔だな」
ケーキを俺の前に出される。
エギルから見ると相当暗い顔していたようだ。
「そんなに?」
「ぼうけんのしょが消えてもそんな顔はしないぞ」
この例えは少し笑えるな。
「ん~面倒ごとなんだけど、なかなか踏ん切りつかなくてね」
少しだけ無理して笑い顔を作る。
「お前はきつい時は、そういう笑い方するよな」
エギルが知っているということは皆知っていたのかな。
「なんだ、知ってたのか」
「命預ける相手の顔色くらい見るさ」
そうだよな。あんな世界で命を預けるんだ。まともなリーダーかどうか値踏みするよな。
「お前を市長に選んで正解だったよ。帰ってこられた。お前じゃなきゃ街の皆は一つにならなかったよ」
「褒めても余分に会計しないぞ」
「本当だよ」
俺じゃなきゃ、か。
その日の晩はケーキを食べて帰った。少しだけ、気持ちは調査を引き受けることに傾いた。
自分にしかできないこと、と言うつもりはないが誰かに頼られていると思えば受ける気にもなる。
だがそんな感傷的な気分は翌日には吹き飛んだ。
被害者が出たのだ。