世の中言うほど監視社会ではない。
簡単に言えば「被害者」を襲った「加害者」を特定できなかった。
不審な事件ではあるが、その証拠は限りなく少ない。
住宅街の車道や歩道を映す監視カメラ設置は「公共の防犯」と「プライバシー」の問題の両面に板挟みだ。
繁華街や公共施設、学校周辺、コンビニには監視カメラ設置は日本全国一般的になったが、住宅街となると少し話が変わる。
俺がGGO不審事件の話を聞いた前日に新しい「被害者」が出たのだ。
一人暮らしの男性。夜半にGGOプレイ中に寝落ちしてしまい、翌朝起きたら銃弾を食らった右太ももから出血をしていた。
それ程大きな怪我でもない。
男性は強盗に入られたと思い警察に届け出をしたところ、男性の証言「ゲームをしたまま寝てしまい」というワードを諸志田さんが見つけて、事情を聴いたところGGOだったという流れだ。
一応被害届は出た。これでれっきとした傷害事件だ。
その事実が俺の心に波紋を作る。ゲームで負傷したのだ。フルダイブVRで。
おかしい。脳を焼かれるという茅場のクズのやり方ではない。負傷箇所は足だ。それもそれほど大きな傷でもない。
不思議だが異様だ。
VRで怪我。なんなんだ。現実にあの世界が侵食してきた気分だ。それなら俺の仲間を生き返らせてくれ。課金が必要なら全財産を出してもいい。
◆
秋葉原は2010年ごろから飲食の街でもある。ラーメン屋、牛丼屋、カレーショップetc
中央通りから一本裏に入った通りの昼からやっている飲み屋のランチメニュー。
ここのもつ煮定食が美味しいので月に1,2回はお昼に食べに来ている。
昨晩はあまり寝れなかった。事件調査の返事はOKを出したが、いろいろと条件を付けた。
ログイン場所の確保、ログイン中の立会人の準備、何よりも心拍等のバイオモニターをすること。
「ええ明日で」
電話を終えて、俺は秋葉原の街から御徒町へと歩き出した。特に御徒町に何かあるわけではなく、宝石商などがひしめくこの街をぶらつくのが好きだ。寂しい街でもなく賑わい激しい街でもない。
もう一時間後には中野に向かう。仕事の関係だ。
何となく御徒町をぶらつき、気持ちを整える。少し空白の時間を作らないと仕事に影響しそうだ。
◆
第1日目
「お久しぶりです」
「元気みたいですね」
看護師として俺のバイオモニターチェックを担当してくれるのは野木さんという俺より2,3歳上の女性だ。
彼女の案内でモニターする病室には、家庭用ではない業務用のPCやヘッドセットがベッド共に準備されていた。
「準備できしだい始めるようにというお達しですけどどうします?」
「数時間は潜りっぱなしになるので、先に手洗い済ませてきます」
◆
シティでは至る所にBoBの広告が出ている。
映画のポスター風からアニメキャラとのコラボイラスト。
曇り空に設定され、どんよりと思い空気を纏うこの都市でアニメ調の広告は目立つ。
足元の道は薄っすら濡れている。
宇宙船が存在するSF設定はあるが街並みは、暗く重い。
一説には、公共スペースであるシティの道や広場は意図的に「滞在したくない」ようにデザインされており
ゲーム内通貨を消費する店に入りやすくするよう調整されている、という都市伝説もある。
市長時代に年長者プレイヤーでリアルでは行政関係の仕事をしていた「凶馬」さんから
何度が圏内の大掃除提案をされ実施したことがある。
不思議な事にプレイヤーに半ば強制で掃除をさせると犯罪率が下がった。
生存圏内を「生活の場」と意識させることで、諍いが減ったのだろう。
そう言えばMMOTODAYのSAO関係のスレッドに凶馬さんが結婚したという書き込みがあった。
俺はふとそんなことを思い出しながら「BAR」という文字とB.A.R(ブローニングM1918自動小銃)のイラストが描かれた看板の店に足を踏み入れた。
VRMMOにおける情報収集は大まかに3パターン。
1、ゲーム内SNS
2、VR上での井戸端会議
3、情報屋
BAR「B.A.R」はアメリカスタイルのBARだ。
ネオンで形作られたデフォルメされた女性や、アンクル・サムの「I WANT YOU FOR U.S.ARMY」の汚れたポスターが貼ってある。
白いシルクハットの初老の白人がこちらを指さす有名なポスターだ。
店内は薄暗く、ネオンの明かり、光量の抑えられたスポットライトが幾つかと、ピンボールマシンの明かりが店内を彩っている。
情報屋というのは、公式情報屋と野良の二パターンがある。
公式は登録ユーザーがオフィシャル情報の拡散をする役割をしており、一種の広報マン。
野良は噂、人脈を使い「誰が何のアイテムを持っている」から「嫌いなスコードローンの行動予定」まで探り出す。
「よう、ナイヴス」
声を掛けてくれたのがジェイクだ。
よれた黒スーツにレイバンの型落ちグラサン、小太りな姿は愛嬌。
俺が唯一知る野良の情報屋であり、このBARのオーナーでもある。
店を持つには運営に区画代を月額で払い、専用のモジュールアプリで店を作る。
「やあジェイク。一つ面白い話はないかい」
まるで映画だが、このジェイクの服装を見ると彼が求めているものはよくわかる。
映画ごっこだ。
VRMMOにはロールプレイ、つまり役割演技を忠実にこなしたい人たちは少なくない。
「まずは?」
ジェイクはニヤッと笑い、俺に店のルールを再確認させた。
「そうだった。バーボン、ロックで」
これだ。バーボン、ロック。
1980年代のアメリカの探偵映画のお決まり。
バーボンをロックで頼むシーンは観たことないが、このBARでは鉄板。
カウンターに座ると間を置かずグラスが出てくる。
店の隅の席には三人組だけ。
カウボーイハットでこちらを舐めるように見ている。
あれはこの店のルールを知らない新参者をイチャモンをつけて、逆にやられる三下ロールプレイの愛好者だ。
一度絡まれて店から叩きだしたが3分後にはニコニコして戻ってきた奇特な三人組だ。
叩きだした後に不安感と自己嫌悪に陥りそうになったが、ネタ晴らしを喰らって「嵌められた」と凹んだことがある。
SAOには絶対いないゲーマーだ。命懸けじゃないとこういう遊び方もある。
「あっちの三人にはビールを」
目線を隅の三人を示し、彼らにビールをおごる。
ビ―ルが手元に来ると三人は俺に向かって「グラシアス!」と言ってくれた。
「で、今日は何のようだい?」
情報屋の顔が少し覗き、ちょっとした交渉となる。
「一つ二つ面白い噂話を聞きたくてね」
「うちじゃ金の代わりに情報を貰うぞ」
もう一度ジェイクは笑う。
金の代わりに情報を交換するのは情報屋の常とう手段だ。
そうすれば、一つの情報を売る代わりに別の情報が手に入る。
「VRMMOで怪我した話って聞いているか?」
「その返事はお前さん次第だな」
「出来れば一から十まで知っていれば聞きたい」
「そうなるとちょっとやそっとじゃ無理だな」
簡単に言えばジェイクは色々と情報を知っているようだ。
いつかどこかで漏れるだろう。いいや、話してしまえ。
「SAOサバイバーの情報」
俺が小声で呟く。
ジェイクは身を乗り出し顔を近づける。
SAOサバイバーは一種の都市伝説になっていた。
2年間近くVRMMOに囚われた人々。その生活情報や内部事情はあまり知られてない。
勿論、SAOサバイバーをまるでステータスのように言いふらす輩はいるが、それでもその証拠となるものはない。
「で、どんな奴だ?もしかしてTOPプレイヤーか?」
早口なジェイクはそこからTOPプレイヤーの名前を10人ばかり言ってくる。
「ジェイク。俺だよ」
バーボンを一口飲み、情報を宣言する。
この時、本格的にこの事件へと踏み入れたんだろう。