時に拳を、時には花を   作:ルシエド

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第四殺二章:輝きの始点(ゼロ)

 少し、色んなことがありすぎた。

 強大な敵も、粉砕されたウルトラマンも、等しく風の思考を阻害してくる。

 敵が強いなら倒す方法を考えないといけない。

 味方がやられたなら、助ける方法を考えないといけない。

 

 どちらを考えても良い考えが浮かんでこないと、風は無力感に包まれてしまう。

 

(朝っぱらから、こんな暗い気持ちになるとはねー)

 

 風は部室を一人掃除していた。

 勇者部は体力付けに朝練をしたりもするが、昨日ドビシゴルゴンと死力を尽くした戦いをしたことで皆消耗し、精神的にも体力的にも参ってしまっていたので、今日は無い。

 怪獣の津波との戦いは、勇者全員が死力を尽くし、なお勝ち目の見えない戦いだった。

 しかも、次の戦いではウルトラマンの助力も無い。

 

 さて、どうしたものか。

 怪獣の津波を一撃で消し飛ばす大火力?

 そんなものはない。

 怪獣を自滅させる誘導手段?

 そんなものはない。

 御霊の位置の特定?

 それもない。

 小型怪獣を一体に纏めて合体させる?

 誘導手段はないというに。

 

 数が多いのが本当に厄介だ。

 勇者一人で抑え込めるドビシはせいぜい1~3体。

 勇者部総がかりで20体抑え込むのも厳しい。

 すると五万体は自由に動けてしまうわけで、神樹の周りをぐるりと囲む壁を作る力か何かが欲しいところだ。

 

「ら、ら、ら、女子力~、掃除力~」

 

 適当にオリジナルの歌を口ずさみながら部室を掃除しているのは、その方が気が紛れるからだろう。

 両親が居なくなってから、家事の全ては風がやっている。

 家事をやっていた方が落ち着くのだ。

 

(悩ましいわねえ)

 

 ドビシゴルゴンにも、付け入る隙が無いわけでもない。

 石化攻撃を精霊で弾き、ドビシゴルコン分裂体にタイマンで勝てる勇者は、ドビシゴルコンの仮想敵としてあからさまに過小評価されていた。

 人間を舐めている。

 強いて言うならば、それがドビシゴルゴンの弱点だ。

 

 そこをどう突くか、と考えると、『不可能』の壁がいくつも出て来てしまうのだが。

 

(積極的に口には出さないだけで、皆思い詰めているのよねえ。

 頼りになるウルトラマンがやられちゃって、皆ちょっとどころでなく動揺してる)

 

 部長の風が、皆に気を使って引っ張っていくべきなのだが。

 

(……それはあたしもか。客観的に自分が見れてないなあ)

 

 風も全く動揺していないわけではない。

 彼女もまた、フォローされるべき中学生の女の子でしかないのだ。

 

(いかんいかん。部長のあたしがしっかりしないと)

 

 弱さを他人に見せている余裕はない。

 

(皆を騙して勇者部に引き込んだ責任くらいは、果たさなくちゃ)

 

 犬吠埼風には、自分に課した責任があるのだから。

 

「ちぃーっす、勇者部の人居ますか?」

「おはようございます、お邪魔します」

 

「はいはい、いらっしゃい。二年生かしら? 何か相談?」

 

 掃除をしていると、やがて部室を訪れる少年二人。

 二人は二年三組のバンとヒルカワと名乗った。

 友奈と東郷と夏凜のクラスね、と風はクラス番号を頭の中で照らし合わせる。

 

「リュウさんを探してほしい。俺らのダチで、昨日から家にも帰ってないらしいんだ」

 

「リュウさん?」

 

「熊谷竜児。うちのクラスの知恵袋っすね」

 

「あー……カレのことだったかー」

 

「知り合いでしたか。これは話が早い。

 俺とヒルカワはあいつとダチやってまして。

 ライン入れたり電話したりしたんすが、返答なし。

 家に電話入れても反応ナッシング。

 んでちょっと調べてみたら、あいつ昨日下校してから行方不明っぽくて」

 

 三人は知らない。

 今の竜児が石化した上で粉砕され、神樹の樹海の世界の中に、残骸として保存されているということを。

 それを把握しているのは、大赦と夏凜しか居ないだろう。

 三人からすれば、竜児は普通の少年で、ある日突然消息を経った一般人だった。

 

「夜遊びしてて電話に出れなかったとか、そのせいで昼まで寝てるとか、あるんじゃない?」

 

「リュウさんがそんな不真面目なことするわけないっすよ。俺じゃあるまいし」

 

「君はやるのか。イケない後輩だねえ」

 

「うへへへ、面倒くせえことしたくなくて楽しいことだけしてたいので」

 

 ヒルカワが頬を掻く。

 ヒロトが溜め息を吐いた。

 

「ヒルカワがちょっとまともっぽいこと言ってるの珍しいな」

 

「アホヒロト、リュウさんがいるから俺はバカやれてんだよ」

 

「自覚はあったのか」

 

「すぐ横に全否定してくれる人が居ないと、好き勝手できないからな。へへへ」

 

 いい友人いるじゃない、と風は胸中でここにいない竜児に呼びかける。

 男のぶきっちょな友情に、風は思わず笑みを浮かべていた。

 

「頑張ってるやつなんすよ、ホントに。

 俺に何かあっても、普段の行いの報いってことで納得はできるっす。

 でもリュウさんにに何かあるとか、そういうのは理不尽っつーか……」

 

「心配なんですよ、コイツ。

 俺もヒルカワも何かせずにはいられなくて、ここ頼っちまいました。頼みます、先輩」

 

 勇者部は、人助けの部だ。

 何があってもそれは続ける。

 怪獣が来ようが、嵐が来ようが、いつでもそれは変わらない。

 

「期待しないで待ってなさいな。勇者部の名に掛けて、全力で探して来てあげる!」

 

 風の頼りがいのある宣言に、ヒロトとヒルカワはほっと胸を撫で下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風は依頼を受けてすぐに一限目の授業に向かい、午前の授業を終えてから、昼休みに竜児の行方を一番知っていそうな者の下を訪れた。

 そんな者、一人しか居ない。

 三好夏凜以外の誰が、その条件に該当するというのか。

 

「あいつが居ないのは知ってるわよ。あいつの行方は知らないけど」

 

「え? 心配しないの? 夏凜は幼馴染でしょ?」

 

「……いいでしょ、私が何考えてたって。探したって無駄よ」

 

 だが、夏凜は風の呼びかけに薄い反応しか示さなかった。

 放課後に竜児を探すのにも参加しないと言う。

 風は"夏凜らしくない"と思ったし、"夏凜が一番に探したいはずだ"と思っていた。

 なのに竜児と一番親しい少女の塩対応を見てしまって、面食らってしまう。

 

「無駄って……つまんない意地張ってたって、いいことないわよ」

 

「意地なんて張ってないわよ。

 どうせあいつのことだから、ひょっこり戻って来るわ。

 小学校の時にあいつがいじめの被害にあってた話だって、去年まで私知らなかったのよ?

 しかも聞いたの兄貴からだったし。なんてこともなさそうなツラして、本当にもうさぁ」

 

 むすっとした夏凜は露骨に不機嫌だ。

 その内心を、風はイマイチ測り切れない。

 辛いことがあっても何でもないことのような顔をして、しれっと戻って来る竜児の一面を、夏凜は語っていた。多少の不満も混じえながら。

 

 ところが風は、夏凜のそういう不満ではなく、『いじめ』の部分に食いついた。

 

「そうよ! それだわ! 竜児君だ竜児君!」

 

「うわっ!? ちょっと風、いきなり近くで大声出さないで!」

 

「あー、あれだったのね。思い出した思い出した。彼覚えてるのかしらあれ」

 

「え?」

 

 あれは私が中一の時だっけ? 小六の時だっけ? と風は記憶を探り、こめかみを一休さんのように指先でグリグリし始めた。

 

「確かね、小さい子を集めて校庭でキャンプするみたいなことしてたのよ。

 面倒見られる小さい子と、私みたいな引率する年長組に分かれて。

 大人はちょっとだけ監督してくれてて、色んな小学校から子供が集まってたわ」

 

「ああ、昔はボーイスカウトとか呼ばれてたやつが変化したってやつ?」

 

「そうそう、それそれ」

 

 風は当時のことを思い出す。

 年長組と年少組に分けられた、小中学生の集まりの校庭キャンプ。

 その中で、自分のひとつ下の年齢の集まりに、竜児は居た。

 

「一人の男の子がゴリ松って呼ばれてたオッサンを間違えて

 『お母さん』

 って呼んじゃってね。他の子供みんなに笑われて、泣いちゃったのよ」

 

「開幕がおかしい」

 

 学校の先生をお母さんと呼び間違えるのはまあいい。

 だがオッサンをお母さんと呼び間違えるのは、流石に子供達の腹筋に悪かっただろう。

 

「それがちょっといじめになりかけててさ。

 大人が割って入る前に竜児君が割って入ったわけよ。

 『てめーら他人を泣かせてまで他人を笑いてーのか!』って」

 

「……あー、そういえば、小学生の時の竜児は今より攻撃的だった気もする」

 

「で、庇った代わりに子供達が竜児君いじめ始めてさ。あたしも許せぬ! と思ったもんよ」

 

「うへえ」

 

「ところがどっこい。

 竜児君はあたしの助けも大人の助けも求めなかった。

 それどころか、いじめはやめろー! って言ったあたしを突っぱねてきたのよ」

 

 夏凜は一度も"そうなの?"と驚いた顔を見せない。

 ただ、何度も"でしょうね"という顔は見せていた。

 

「あたしはもーびっくりしたわ。なんて言ったと思う?

 俺をいじめられっ子なんていう"弱い奴"にするな!

 俺が弱くてこいつらが強いなんて決めつけるな!

 キャンプが終わる前にこいつら全員に俺が勝つ!

 来いやフリースタイルだ! いじめなんてない!

 俺も悪くない、こいつらも悪くない! そういうことにしてくれ! って、ね」

 

「あの頃のあいつなら言いそうだわ」

 

「だからもう、この時のキャンプでいじめってホントに無かったのよ。

 大人にいじめで怒られた子供とかホントにいなかったのよ。

 竜児君がいじめっ子達全員に、オセロやらかけっこやらで勝負挑んでたから」

 

「あいつ足遅かったからそりゃ負けたでしょ」

 

「負けてたわー。思いっきり負けてた」

 

 夏凜は"どうせいじめっ子が後で親に怒られるのも嫌だったんでしょうね"と目を細める。

 

「勝って、負けて、勝って、負けて。

 竜児君が勝った相手が竜児君と仲良くなって。

 竜児君が負けた相手となあなあで仲良くなって。

 いじめっ子の中にも竜児君が嫌いなままで終わった子も居て。

 ギャラリーの中に彼を応援する者が生えてきて。

 始まりはいじめだったのに、なんだかバトルトーナメントみたいになってたわ」

 

「ちくしょうなんであいつそんな面白そうな話を私に隠してたのよ……!」

 

 いじめに本来勝者はいない。

 彼はいじめっ子の多くに勝ったが、優勝者になることはなく、勝者の栄冠は与えられない。

 いじめとは負けて失ってしまうものは多いが、勝って得るものなどありはしない。

 

 ただ、いじめっ子といじめられっ子という構図を壊して、ぐだぐだの勝敗戦に持ち込んで、やんややんやと決着をつけたなら。

 ふわっとした勝負に貶めてしまうなら。

 まあ、得るものはあるだろう。

 

 夏凜は気付いていないし、風も覚えていないし、竜児も覚えていないが、その時竜児を応援していた子供達の中に、ヒルカワやヒロトの姿もあった。

 つまらない男達の友情の始点、である。

 今の人間の世界は狭い。

 狭い世界の子供達の想い出は、忘れられているだけでどこかで繋がっていることも多かった。

 

「そういえばあいつあの頃、一人称『俺』だったっけ」

 

「時が経つと男の子は成長するものなのねえ。夏凜くらい近いと変化が分からないのかしら」

 

「『俺』でも『僕』でもあいつ変わってないじゃない。

 根はアホで、理屈っぽくて。

 無知なのも無力なのも嫌で、だからずっと勉強だけはしてんのよ」

 

「……そういえば、違うのは一人称だけくらいのものだった気もするわね」

 

 負けたままが嫌な負けず嫌いが、無知なままが嫌で知識を集める勉強家になった。

 竜児の根本は何も変わっていないと夏凜は言う。

 夏凜は親しい相手の心の動きに敏感だが、多少の変化があっても、相手の変わらない本質も見てくれている。

 

 竜児の変化や成長を知った上で、本質は何も変わっていないと言ってくれるなら、これもまた不動の友情と言えるのではないだろうか。

 だからこそ、風は再三夏凜を竜児の捜索に誘う。

 

「繰り返すけど、夏凜は本当に心配じゃないの?

 放課後一緒に探すくらいはいいでしょ、無駄にはならないわ」

 

 無駄だ、という言葉を夏凜は飲み込む。

 夏凜は竜児がバラバラになったことを知っている。

 探すだけ時間の無駄なのだ。

 彼がバラバラになっている今の時間を無駄に使うことは、夏凜にとって絶対に許せないことだった。

 

「だから行かないって……ん? 何その首にかかってる紐」

 

「これ?」

 

 風が首に掛けている紐に目をやると、風が胸元から、紐で吊られた青い石を取り出した。

 

(カラータイマーの破片)

 

「落としたら大変だから、紐で首に吊ってんの。なんだかほんのり暖かいわよ」

 

 カラータイマーの破片は青い。

 赤く点滅などしていない。ならば、それは。

 

「風」

 

「何?」

 

「こいつがまだ青いってことはね、ウルトラマンがまだ負けてないってことなのよ」

 

 竜児はまだ戦っている。

 彼の心はまだ折れていない。

 夏凜の中で、竜児を心配する気持ちが、少しだけ薄まってくれた。

 

「それがどうしたのよ、夏凜」

 

「……なんでもないわ」

 

 夏凜は木刀と弁当を握りしめ、風との会話で使ってしまった時間、昼休みの残りの時間を確かめる。

 

「あいつが今どこで何してたとしても、変わんないわよ。

 たったひとつのもののために、周りに心配かけながら突っ走るのがあいつだけど……

 たったひとりでは居られないから、結局誰かの居る場所に帰って来るのがあいつだから」

 

 竜児が帰って来ると、そう信じて。

 夏凜は今の自分にできることをやる。

 とりあえずは健康な体を保つ栄養補給の食事と、余った昼休みの時間を使っての鍛錬だ。

 

「絶対、帰って来る。分かってるのに私が心配してるのは、私が未熟だから」

 

 風は納得したわけではなかったが、夏凜と竜児の関係はそういうものなのだと理解した。

 納得はしなかったが。

 だからまた後で、竜児を一緒に探そうと誘うつもりでいた。

 

「……行き場の無い気持ちを鍛錬にぶつけられる子は強いわねぇ」

 

 そして、同時に、間近に迫っている世界の危機に真摯に立ち向かおうとしている夏凜に、一種の敬意を抱いてもいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 放課後。

 風の竜児探しは、まず竜児の周辺調査から始まった。

 竜児の普段の素行はどうか、帰宅する時はどういう道を通っているのか、そこを知ればどこでどう行方不明になったかも分かって来るだろう。

 そう考えた風は、勇者部の者達にまず聞いてみた。

 

「東郷も事件性があるかもって思ってるわけだ」

 

「はい、風先輩」

 

「でも一年から同じクラスだったのに、最近まで話したことなかったんでしょ?

 それでよく断言できるわね。あたしだったら絶対無理よ、そんな断言」

 

「心に護国思想を、魂に大和魂を持つ男子(おのこ)が、無断欠席などすると思いますか?」

 

「え? そりゃ、サボりはしなさそうな形容だなとは思うけど」

 

「……」

 

「……」

 

「あれ、もしかしてこれ話終わりなやつなのかしら」

 

「これ以上に必要な言葉があるのでしょうか?」

 

 しれっと言い切りおる。

 日本男児だからこれはおかしい、という揺るぎない認識。

 東郷もまた、竜児が無断欠席したことにおかしなものを感じているようだ。

 それは、東郷の隣に居た友奈も同じようで。

 

「熊谷君はですね、イメージとしてはお風呂に入ってる人です!」

 

「お、お風呂?」

 

「はい! 自分も十分暖かいのに、自分の周りや触れてるものばっか暖かいって言ってる人!」

 

「言いたいことなんとなく分かるけど、何か例えがやたら面白いわね」

 

「暖かい場所が好きなのに、風呂が好きな自覚が無い男子な感じです」

 

「冬のお風呂かい!」

 

「でも私はちょっと距離取られてる感じがするので、寂しいです……」

 

「友奈と距離取ってんの? 珍しいわね、そういう奴」

 

「理由が分かんないからどうしようもないんです……」

 

 しょぼーんとする友奈。

 他人の気持ちに敏いと、勇者との距離を測ろうとする竜児のスタンスを、なんとなく察してしまうのだろうか。

 友奈だけが格別他人の気持ちの動きに敏いと、友奈だけが竜児に距離を取られていると感じてしまうのかもしれない。

 その竜児当人は、勇者と仲良くしすぎている自分に悩んでいたりするのだが。

 

 竜児が学校終わった後にどっちの方向に帰るかとか、うどん屋のバイトにどっちの方向から来ていたとか、そういった話もちゃんと聞いて、風は適宜メモしていく。

 妹の樹にも話を聞いてみることにした。

 

「え? 熊谷先輩行方不明で学校に来てない? そんな……」

 

「心当たりはないかね、妹よ」

 

「あったら真っ先に探しに行ってるよ」

 

「そりゃそっか」

 

「先輩と次に会う時は、もうちょっと先だと思ってたら、そんなことになってるなんて」

 

「ん? なんじゃそりゃ」

 

「えー……こう、ね? お姉ちゃんに言うとね……」

 

「はっきりしないわね! はっきり言いなさい!」

 

「察してよぉ!」

 

 樹の中の理想型の未来は、こうだ。

 

 まずオーディションに合格する。

 樹に合格する自信はないが、合格したらいいなとは思っている。

 そして姉に合格の報告してびっくりさせてから、自分の夢の話を暴露して、うんと姉に褒めてもらう。

 最後に、あの図書室の受付で、竜児に全部の報告をする。

 そして「お姉ちゃんにこの報告ができて嬉しい」という気持ちを、彼に肯定してもらうのだ。

 それが、樹が今抱いている野望。可愛らしく小さな野望である。

 ちょっとだけ、ロマンチストな彼女の一面が垣間見えた。

 

 とはいえ、樹が全体的に姉に黙っているせいで、風にとってはちんぷんかんぷんである。

 

「うーん、情報は結構集まったけど……」

 

 風は一人、街を歩いて、集めた情報を手帳のページに書き起こす。

 部の仲間達に呼びかければ、皆すぐにでも動いてくれるだろう。夏凜以外は。

 そうすれば、竜児の捜索は始まるはずなのだが。

 

(違和感)

 

 風の表情が険しくなっている。

 彼女の心の状態を反映しているかのように、空模様が怪しくなってきた。

 

(聞き込みすればするだけおかしい。

 あたしは一般人の帰路を調べてる、はずだった。

 なのに、なんというか、これは……)

 

 大前提として、竜児を何か怪しんで、その足跡を一から全部調べないと分からないような違和感があった。

 風が本気で調べ、行方を追ったからだろう。

 竜児が普段どんな帰路を選んでいるか、どういう行動をしているか、それを調べていく内に、風は一つの違和感に辿り着く。

 

(あたしはこれに見覚えがある)

 

 見覚えのある偽装。

 

(そう、これは……()()()()()()()。無個性な、決まった手順をなぞる大赦のやり方)

 

 竜児は先日、風に見破られたと思った。

 風なら見破れるだけの能力があると、自然に考えていた。

 竜児の彼女に対する評価は、極めて正しかったと言える。

 

(―――勇者の、見張り? 同年代の? 私達の素行を常に報告する……)

 

 今にも雨が降って来そうな空の下、風は来た道を逆走し、学校に戻る。

 こそこそ動いて、職員室やら校長室をこそこそ漁る。

 巧みな行動は誰の視界にも映らない。

 この行動力と豪快さと小器用さが、彼女を今日までの戦いの中で生かしてきた。

 

「……うわ、当たりかぁ」

 

 そして、見つけてしまう。

 

 風はクラス分けの紙を見つけてしまった。

 二年生のクラス分けは、勇者を一箇所に集めておきたい大赦の意志を反映している。

 友奈と東郷と夏凜、そして竜児が一つのクラスに集められているのは偶然ではない。

 偶然ではないから、クラス分けの紙には、『竜児が勇者と同じ扱いでクラス分けされている』という決定的な証拠が残ってしまっていた。

 

「人間不信になりそうだわ。ったく、嫌なもの見ちゃったわね……」

 

 風は眉間を揉む。

 樹がしていた竜児の行動の話も、友奈がしていた竜児の普段の話も、東郷がしていた竜児の気合いの話も、今の風には色褪せて見えて仕方ない。

 あれは私達の見張りだったんだ、という感情が、竜児への悪感情をかき立てる。

 

 竜児が無数の石ころになってしまっている間に、かなり洒落にならない秘密の解明が行われてしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨粒がぱらぱら見え始めてきた。

 風は電話で大赦に問い合わせた。

 いや、問い詰めた、と表現する方が正しいかもしれない。

 竜児が大赦の人間であるならば、今学校に居ないのは間違いなく大赦絡みだろう。

 

 風の問い詰めの電話に出たのは、この事態を予想していたのか、安芸先輩その人であった。

 

『彼は現在大赦のお役目を果たしています。

 彼は欠席扱いですが、書類上は出席扱いになっています。

 彼の出席日数が足りなくなることはありません。これでよろしいですか?』

 

「彼は無事なの?」

 

『私はそこまでは把握していません。

 ですが、あなた方がお役目を果たさなければ、結末は決まっています。

 世界の終わりは、彼の安否を一つの結末に収束させるでしょう』

 

「……ああ、そうよね。あたし達が負けたら、どっちにしろ死亡は確定か」

 

『お役目を蔑ろにしませぬよう』

 

「分かってるわよ」

 

 風に対し、安芸は含みを持たせるような言い方をする。

 

『五分後に通話が来ます。必ず出て下さい』

 

「?」

 

 あやふやな感じに締められ、通話は切られた。

 五分後? と風が首を傾げていると、見知らぬ番号から電話がかかってくる。

 

「はい、もしもし?」

 

『こんにちわ~』

 

 通話に出ると、妙に間延びした声が聞こえた。

 

「ええと、どちら様でしょうか」

 

『通りすがりの妖精さんだよ~?』

 

「は?」

 

 なんだこの子。

 のんびりした声に、風の張り詰めていた心が緩んでいく。

 

「名前くらい名乗ったらどう?」

 

『じゃあ、そうだね。そのっちとか呼んでほしいな』

 

 電話の向こうの少女の声は、名を名乗らず、そのっちと名乗った。

 

 

 

 

 

 声色や語調からして、自分とそう歳は変わらないかも、と風は推測する。

 気になるのはのんびりした会話のテンポだ。

 こういう独特の会話テンポを持っている人間は、意外と会話の腰が強く、話している内に会話のペースを握られていることが多い。

 ノッてる時の東郷がまさにそれだった。

 

『今から言う場所に行ったらね、あなたの疑問は大体解けると思うな~』

 

「どういうこと?」

 

『レポート? 日記? 記録書? 報告書?

 あ、言い方はなんでもいいか。それのコピーがあるんだよ。

 ドラクマさんと春信さんしか読んでないような、そういうのがね~』

 

「ドラクマ……?」

 

『竜児でドラゴン、プラス、クマさんだよ?』

 

「……あ、ああ、そういう?」

 

 電話の向こうの女性は、本当にテンポが独特だった。

 

「何が目的なの? ちょっと把握できてないんだけど」

 

『目的~? え~、じゃあね。

 今回のバーテックスを倒したら教えてあげる』

 

「今じゃ駄目なの?」

 

『そのくらいの頃に説明したほうがいい気がするんだ。それじゃあね~』

 

 通話が切られる。

 なんだったんだ、と風は思うも、雨の中指定されたデパートのロッカーに向かう。

 ロッカーを開け、中に入っていた書類の束を取り出した。

 

「これね」

 

 依頼を受けて街で竜児を探して、情報の中に竜児を探して、雨の中竜児を探して、今は紙の束の中に竜児の心を探している。

 実体の見えない『熊谷竜児』を探す冒険をしているようだと、風は思った。

 誰も居ない人気のない喫茶店の片隅で、壁を背にして軽く書類を読み始める。

 

 確かに、そのっちが言っていた通りだった。

 日記のようなもの、報告書形式のもの、走り書きっぽいものまである。

 赤の他人が竜児のことを報告したもの、竜児が身内の春信に出したと思われるもの、明らかに竜児の日記としか思えないものもあった。

 そのっちとやらがどうやってこれを集めたのか、皆目見当もつかない。

 ともかく。

 まず風は、竜児に関して大赦の誰かが書いたらしい走り書きに目を通す。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 熊谷竜児(仮称)は孤児である。

 

 現在管理状態にある四国住民の中に、彼を出産したと見られる人間は存在しない。

 秘密裏の出産で、出産直後に捨てられたなら、5歳前後の外見年齢で拾われたことに説明がつかない。

 秘密裏に出産が行われ、5歳前後の年齢で養育に飽きた(もしくは耐えられなくなった?)親が捨てたのではないか、と推測されている。

 

 遺伝子調査の結果、四国内に肉親確認できず。

 肉親は既に全員死亡済みか?

 

 彼に対し、試験的に組織に忠実な人間を一から教育する提案がなされる。

 議決次第、教育開始予定。

 5歳前後から選択的な教育を受けさせられた人間は、将来的に勇者候補のコントロールに有益なものとなるか。要経過観察。

 

※追記

 試験的教育の提案に議決者四割の反対意見有り。

 緩和された第二案が決定。実行。

 

※追記2

 熊谷竜児13歳、再決議完了。

 組織に対する忠誠心に揺らぎは確認できない。

 今後、年齢相応の問題が発生しないか経過を観察する。

 

■■■■■■■■

 

 最初から目眩がした。

 

 これが本当なら、竜児は勇者の見張り、有事の抑止力、精神的なコントロールを行える人材を用意すべく、大赦が一から教育した人間ということになる。

 勇者という鉄砲玉を、まっすぐ飛ばす火薬と言ったら、言い過ぎだろうか?

 風の中に、大赦への少なくない嫌悪感が湧いた。

 代わりに、竜児への同情心も湧いて来る。

 

 中一の時に親の庇護を失い大赦に囲い込まれたのが風なら、5歳前後の時に親の庇護を失い大赦に囲い込まれたのが竜児になるのだろうか。

 タイミングこそ違うが、竜児と風はご同類と言えるだろう。

 風は小さな共感を覚える。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 例の東郷美森と、最高の勇者適正値を持つとされる結城友奈を隣り合った家に引っ越させた。

 二つの家の親御さん達には既に説明がしてあると聞いた。

 神樹様がどの勇者候補を選ぶかはまだ決まっていないと聞いたが、もう既に決まっているようなものだとも思う。

 讃州中学勇者部の勇者候補は、勇者適正値だけ見ても極めて優秀だった。

 

 東郷美森と結城友奈。

 二人の絆を深めて、互いを助け合うように仕向け、信頼し合うように仕向け……可能であるならば、"この友達が生きる未来を守るため戦う"というモチベーションを持たせる。

 それが理想形らしい。

 今のところはそうなっているので、監視して報告しているだけの僕もまた、彼女らに対して何かをする必要性がなかった。

 そうして、僕らは彼女らを平穏から一番遠い場所に誘導していく。

 

 これは人道に反している。

 胸が痛い。

 心が苦しい。

 僕が大赦として、世界を救うために生き、世界を救うために死んでいったなら、この命を彼女らの命のように捧げたら、少しは許されるだろうか。

 彼女らが天国に行き、僕が地獄に行けば、少しは許されるだろうか。

 ……いや。

 この書き方は卑怯だ。

 彼女らは僕を許さないだろうし、許せないだろう。僕は許しを請うてはいけない。

 

 何も変える気が無いのなら、僕の行動の全ては自己満足でしかない。

 許されるだろうか、という自問自答も、"自分を許せるか"という言葉の言い換えでしかない。

 なら、答えは一つだ。

 僕は僕を許せない。

 

 『大赦』が「許しを得る」という意味の名の組織であるならば、僕はこの組織の一員に向いていないのかもしれない。それがなんだか悲しかった。

 

■■■■■■■■

 

(向いてなかったんでしょうね、生まれつき)

 

 風は心の中で呟いた。

 彼女の中で、共感が膨らむ。

 何も知らない東郷と友奈、家族の樹を。何も知らない彼女らを黙って勇者という役目に引き込んだ時の気持ちが、風の胸中に蘇る。

 初めての戦いの後、東郷に言われた言葉が風の脳裏に蘇る。

 

―――なんでもっと早く、勇者部の本当の意味を教えてくれなかったんですか?

―――友奈ちゃんも樹ちゃんも、死ぬかもしれなかったんですよ?

―――こんな大事なこと、ずっと黙っていたんですか

 

 初めての戦いの後、そう言う東郷を見て、風は少なからず胸を抉られる想いになった。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 何も知らない彼女らの楽しそうな笑みを見ていると、泣きたくなる。

 

 もしも。

 誰も死なせず、何も失わず、終わりを迎えられたなら。

 僕はようやく、少しだけ自分を許せるかもしれない。

 

■■■■■■■■

 

(ああ、あたしも、こんなこと思ってたわ。

 選ばれる前には、勇者に選ばれず、勇者部としていつまでも楽しくやっていられたら、って。

 勇者に選ばれた後には、誰も死なせず、お役目を終えられたら……って、思ってた)

 

 その想いは、犬吠埼風が持っていたものと同じものだった。

 

 勇者に選ばれる前、何も知らずに無邪気に笑っている部員達を見ている時、風は時たま胸が苦しくなることがあった。

 勇者に選ばれた後、紆余曲折あれど部員が皆風を許し、風を否定せず、バーテックスとの戦いに参加することを決めてくれたことが、嬉しくて苦しかった。

 

 騙して監視して、大赦に全てを報告していた竜児。

 騙して勇者部に皆を引き込み、大赦の思惑通りに戦いに放り込んだ風。

 彼女には、この二つに違いがあるだなんて思えなかった。

 

 竜児がここに居たならきっと、「犬吠埼先輩も世界を守るための人柱として立てられた、ただの被害者です」と言っていただろうに。

 「あなたに罪は無い」と言っていただろうに。

 今、風の内心を擁護してくれる者はいない。

 

「……勇者部で、あたしだけは、彼を責められない……

 いや、むしろ……あたしだけは、彼が責められたら、庇ってやらないといけないか」

 

 家族の復讐のために力を求めて、その力で世界を守るために戦い、敵から仲間を守ることを何よりも優先して考える。

 風のスタンスは、一貫性で言えば矛盾だらけだ。

 

 家族の復讐に始まり、復讐より世界を守ることが大事で、世界よりも仲間が大事で、復讐しようとしていた敵のバーテックスから仲間を守るため、戦う。

 その仲間が戦わないといけなくなったのは、風が復讐のために大赦の指示に従い、勇者部という場所に仲間達を引き込んだから。

 世界を守るために戦っているのに、世界のために仲間が犠牲になるのは否定する。

 

 愛ゆえに家族の仇を取りたくて。

 責任感があるから世界を守りたくて。

 情に厚いから仲間を見捨てられず、仲間を犠牲になんてできない。

 優しい心と、世界と境遇の悲惨さが、犬吠埼風の行動をこんなにも矛盾させていた。

 

(ああ、なんでさっきまで竜児君にちょっと怒ってたのか分かった。

 怒ってたのは、あたし自身に対してだ。

 あたしは思い出してたんだ。

 自分のために、東郷と友奈を、樹を、戦いに巻き込んだ罪悪感を。自分の勝手を)

 

 優しさは、復讐心と矛盾する。使命感とも矛盾する。

 

 優しさゆえの矛盾、優しさゆえの苦悩、優しさゆえの自己嫌悪。

 

 情に流されるから矛盾する。熊谷竜児は、鏡の向こうの犬吠埼風だった。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 僕は感情的な人間だ。

 感情で動いてるんじゃない。そこは夏凜とかと違う。

 僕は理性的に動きたいのに、理性で決めた事柄を、感情で動かしてしまう人間だ。

 ……恥ずべきことだと思う。

 感情を行動の基準とするか、理性で決めたことを貫くか、どちらかであれば良かったのに。

 せめて全体の歯車になりたい。ならなければならないと思う。

 

 僕を動かしているのは、熱い勇気じゃない。

 燃え滾るような激情じゃない。

 焼き尽くすような心の叫びでもない。

 冷たく重い、責任感だ。

 責任感で仕事しているんだから、情に流されてはいけないんだ。

 

 皆と笑っていても、冷たく見てる自分がいる。

 皆のように心の熱さで動けない自分がいる。

 冷静であるべき時も、熱さではなく迷いでそれが揺らいでしまう。

 迷ってはいけない。迷いは世界の滅びに直結する。

 だから僕は、勇者ではない。

 熱く燃えることができないなら勇者ではないと思う。

 勇気で決断できなければ、勇者からは一番遠い人間であると思う。

 結城さんを見て、そう思った。

 

 勇者は凄い。

 見ていると、その熱さに僕も引きずられそうになる。

 

 もう少しで、犬吠埼風の妹さんも勇者適正値を認められ、ここに来るそうだ。

 

■■■■■■■■

 

 日記形式で勇者を褒めている竜児の文を見ると、気恥ずかしさと、勝手に日記を見ている申し訳無さと、"あたしはそんなんじゃない"というむず痒さと、後輩の知らない一面を見て覚えた微笑ましさが、風の心の中で渦巻いていく。

 

「あー、もう。あー……もう」

 

 

 

■■■■■■■■

 

 『満開』についての説明を受ける。

 夏凜に話す内容を選び、大赦からの情報に気を付けようと思う。

 彼女らは使わなければならない。

 僕は使わせなければならない。

 選択の余地はない。

 どうするべきか。

 

■■■■■■■■

 

 満開についての記述が出て来たが、検閲されて塗り潰され、読めなくなっている部分が増えてきた。

 この書類、そのっちとやらや大赦にとって不都合な部分が塗り潰されているらしい。

 

(満開)

 

 満開については、風も聞いている。

 勇者は戦闘経験値を溜めることで、溜め込んだ力を一気に解放し、とてつもない力を発揮し勇者のレベルがアップする。

 これが、満開であると。

 未だ使ったことはなかったが、いつか使うだろうという確信はあった。

 

 ドビシゴルゴンは異常なほど満開ゲージが溜まらなかった。

 数万体に分裂しているせいか、満開ゲージが溜まる速度も数万分の一。

 次の戦いでも満開は使えないだろう、と思うと、思わず風の口から溜め息が漏れる。

 

 風は満開の代償、散華を知らない。

 竜児がここの部分の文章に込めた苦悩と苦痛は、大赦の検閲によってその1%も風に伝わってはいなかった。

 

 竜児の満開についての記述に続いて、竜児のバーテックス考察と、勇者の戦闘考察、更にはそこから展開される独自考察も風は読み込んでいく。

 風は目を見開いた。

 そこには、竜児が"勇者が危険かもしれない"と考えていた、ドビシゴルゴンを倒せるかもしれない手段も記述されていたから。

 

「ってこれ、これなら、あの怪獣にも……イケんじゃないのこれ?」

 

 希望が生まれる。

 希望が繋がる。

 少し無茶してやろう、と風は考えた。

 

 この後輩の頑張りを、自分が少しでも多く形にしてやりたいと、そう思ったのだ。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 勇者五人の容姿評価。

 

■■■■■■■■

 

 いつだか竜児が夏凜に関節ロックされながらしていた、勇者の容姿評価もあって、風の顔がちょっと赤くなった。

 おそらく、見られたと知れば竜児の顔の方が赤くなると思われる。

 

「あら? ……ここからは、勇者ごとの個別の記述のページなのかしら」

 

 竜児が勇者五人に対して、思い思いに書き綴った紙束が五つ見つかった。

 あたしの分だけなら見てもいいわよね、うへへ、と風は自分の分だけ手に取った。

 見る前にほんのちょっと、ドキドキもしていた。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 犬吠埼風。

 

 彼女の勇者衣装に使われている花の意匠はオキザリス。

 花言葉は

 『輝く心』

 『母の優しさ』

 『喜び』

 『あなたを見捨てない』

 である。

 神樹様は犬吠埼風の生き方を、頑張りを、しっかりと見ているのだろうか。

 だとしたら、神樹様は目を掛けてくださっているのだろうか。

 そうだったら嬉しい。

 

 オキザリスは、日本ではカタバミと言った方が通りがいい。

 そして一部地域では、クローバーと混同される。

 四つ葉のカタバミと四つ葉のクローバーを間違えている人は、世の中に結構いるそうだ。結構形も違うのに。

 カタバミもクローバーと同じく、昔は『幸運』の象徴だったそうだ。

 しかも四つ葉のカタバミは四つ葉のクローバーより珍しいという。

 珍しいから幸運の象徴になった四つ葉のクローバーより、更に珍しいというのなら、それは幸運を超えたとびっきりの幸運なのではないだろうか。

 

 犬吠埼風と出会えたことが、周りの人にとっての幸運なのか。

 周りの人に出会えたことが、犬吠埼風にとっての幸運なのか。

 どっちなのだろう。

 どっちでもあるのだろうか。

 彼女の境遇と今の笑顔を見ていると、今の彼女の人生には幸せがあるのは間違いないと思えるのだが、その幸せが何かを僕が正確に理解しているとは言い難い。

 僕は彼女の友達でも、仲間でもないからだ。

 

 そういえば、もうあの人も三年生。

 今年が受験だ。

 表向きは他人なのでそっけない触れ合いしかできないが、あの人が見ないここでくらいは好きなように書いたっていいだろう。うん。

 あの人の受験に、良き幸運がありますように。

 

■■■■■■■■

 

 読んでいるだけで風が気恥ずかしくなりそうな文字列が続く。

 竜児が面と向かって風に言えない事柄が続く。

 

「こういうの五人分も書いてたんだ……なんと、まあ」

 

 細かな部分に、他人の本質の片鱗を見ている。

 竜児本人しか見ないような日記形式の記述の隅っこで、ごく自然に他人の幸せを願っている。

 そこには勇者への尊敬と、勇者を矢面に立たせている苦悩の両方が見えた。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 『風樹の嘆』。

 

 皮肉な話だ。

 風樹の嘆とは、子供が親孝行をしたいと思った時には既に、親が死んでしまっていて、もうどうにもならない……と嘆くことを言い換えた言葉だ。

 「親孝行 したい時には 親はなし」のことわざと意味は大体同じである。

 

 あの姉妹の名前を見ると、皮肉な運命を感じざるを得ない。

 犬吠埼家の夫婦の状態は、概要くらいしか調べられなかったが、それでも死人同然の状態だということは分かっている。

 運命の神様とやらがいるなら、一発くらいは殴りたい。

 

 『母の優しさ』はオキザリスの花言葉だが、神樹様がそれをあてがったのも妥当な話に思える。

 凄い人だ。

 母親が必要な年齢のはずなのに、ちゃんと妹の母親代わりをやっている。

 おちゃらけてるのは普段の様子だけで、その実とても面倒見がよく包容力や寛容さに溢れ、他人のために家事などを毎日こなしても、それを苦に思わない辛抱強さもある。

 あれは、多分僕にはないものだ。

 

 学生に家事の負担は大きい、はずなのだが。

 勇者部の活動も、家事全般も、驚くほどそつなくこなしている。

 これで勉強も投げ出しているわけではないというのだから凄い。

 

 でも賞賛で終わるのはちょっと嫌だな。

 褒め言葉だけで現実は変わらないのである。

 大赦の上の人に彼女の家事の負担を減らせる誰かを派遣できないか、ちょっと打診するべきかもしれない。

 頑張っている人を尊敬するのは良い。

 でもまあ、中学生が頑張らないといけない環境を維持するのはどうかと思う。

 家事の負担が減れば、彼女も遊べる時間や自由な時間が増えるはずだ。

 掛け合ってみよう。

 

■■■■■■■■

 

「面倒見たがりのおばさんかい、あんたは」

 

 風は呆れた顔で呟いた。

 そういえば四月あたりに、大赦からそういう提案と打診があった気がする。

 断ったが。

 

(家事は趣味だし、好きでやってるし、樹の面倒を見るのはあたしだー!

 って断った覚えがあるわ。こういう裏事情があったなら、ちょっと罪悪感覚えるわね)

 

 竜児がそれを聞き、しょぼんとした顔をしているのを想像したら、ちょっと笑ってしまった。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 いい家族で、いい姉妹だ。

 その関係を羨ましく思うこともある。

 血の繋がった家族は、どんなに努力しても手に入らない。

 だから羨ましい。

 だから失われてほしくないと思う。

 戦いになんて向かってほしくないと思う。

 

 そんな姉妹を、僕ら大赦は戦場に向かわせる。

 そうじゃないと世界の命運が尽きるから。

 僕は大赦だ。

 僕はあの姉妹を戦わせる。

 でないと世界が守れない。

 大赦である自覚を持て。

 謝るな。

 許しを請うな。

 彼女らが戦いの中で死ぬかもしれないと分かって、組織の方針に加担してるんだ、僕は。

 

 沢山死んでいる。

 勇者も、巫女も、他の戦った人達も、大勢が犠牲になって今のこの世界がある。

 僕らの代で世界を終わらせちゃいけない。

 過去の人達の戦いと犠牲を無駄にしちゃいけない。

 無意味な犠牲にしてはいけない。

 でも。

 それで僕らの行動は、正当化されるのだろうか。

 されない。

 されるわけがない。

 正しくないことを積み重ねて、罪を重ねて、犠牲を積み上げるしかない。

 

 犠牲になってくれ、と。

 生き残ってくれ、と。

 同じ人に対して同時に思ってしまう。

 全てを解決してくれる都合のいい神様が、どこからか湧いて来てくれないだろうか。

 

■■■■■■■■

 

(過去に、犠牲になった人達がいた……? だから彼は、苦しんでいる……?)

 

 竜児の手記だったり日記だったりするこの文書は、間違いなくどこかで検閲が入った文書も混ざっている。

 同様に、検閲の入ってない文書も混ざっていた。

 だからか結構スレスレの情報も入っている。

 

 されど風は、そういったスレスレの情報をあまり記憶に残さなかった。

 そんなものよりも、苦悩している後輩の心と文に向き合う方が、ずっと大切なことだった。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 5月1日。

 犬吠埼先輩、誕生日おめでとうございます。

 

 勇者部活動お疲れ様です! 普段から皆感謝してます!

 面と向かって言うと色々問題あるから、ここに書いときます。

 

 大赦の名前使って犬吠埼家に新鮮なちょっとお高い魚介を送った。

 いやあ、こういう時には便利だな、大赦の名前。

 去年の野菜詰めよりかは喜ばれると思う。多分。

 贈り物の基本は消え物……で、いいんだよな、多分。

 

 しかしながら大赦が誕生日に気を利かせて誕生日プレゼント贈ってくれた、みたいな感じに偽装しているが、これ貰ってもあんま嬉しくないんじゃなかろうか。

 僕だったら微妙。

 プレゼントは何を貰ったかより、誰に貰ったかだよね。

 ……こういうのは込められた気持ちが大事だって言うし、うん、大丈夫だろう。

 気持ちって相手に伝わらなければ意味ないじゃん、という当たり前のことは、考えないようにしておく。考えたら終わりな気がする。

 うん、これでいいのだ。

 

 ご両親にプレゼントを贈られた方が、彼女は嬉しいだろう。

 何を貰うかも大切だが、それ以上に親に誕生日を祝われたという事実の方が大切なはずだ。

 親の愛の方が大切なはずだ。

 孤児の僕が言うんだから間違いない。うむ。

 でも微粒子レベルにほんのちょっとでも、このプレゼントが、ご両親のいない彼女の誕生日の穴埋めになってくれたなら、いいなと思う。

 妹さんと一緒に美味しいものを食べて、その寂しさが少しでも減ってくれたらな、と思う。

 

 やっぱり、難しい。

 人の心の中の寂しさや悲しみを倒すのは、とても難しい。

 僕にはちょっと難易度高いミッションだ。

 

 あと約一年。犬吠埼先輩が卒業するまで、僕の素性を隠しきれるか。

 頑張ろう。

 先輩には卒業まで生きていてほしい。卒業しても生きていてほしい。

 

■■■■■■■■

 

「め……めんどくさっ!

 善意と好意の示し方が面倒臭い!

 いやお勤めを果たすにはこれしかなかったんだろうけど!」

 

 そういえば今年と去年だけ大赦から誕生日に贈り物あったわ、と風は思い出す。

 てっきり勇者部を始めたことに関してのご褒美だと思っていたのだが。

 ……どうやら、少年のポケットマネーだったらしい。

 マグロが美味かったのを覚えている。

 

 同時に、風は少年が罪悪感と好意から贈ってきた誕生日プレゼントのマグロを、雑に片っ端から食ってしまったことをちょっと申し訳なく思ってしまった。

 

「数ヶ月遅れだけど、ご馳走様でした。ありがとうね」

 

 風は紙に向けて手を合わせる。

 日記にしか書かれなかった『誕生日おめでとう』に、風は変則的な『ありがとう』を返した。

 風の個人ページが終わって、風は最後の書類を手に取って読む。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 大赦にそう育てられて、そう生きて、そう選んできた。

 後悔はない。

 生まれも育ちも自由には選べなかった。

 そう、選べなかっただけだ。

 生き方も死に方も、きっとどこかで与えられるだろう。

 それでいいんじゃないかと、僕は思う。

 優しさを貰った。勇気を貰った。想い出を貰った。生きがいを貰った。

 これだけ与えられておいて、恩を何も返さないのは何か違うと思う。

 

 僕はこの世界の人間の体現だ。

 狭い四国の中で、僕らは何も生み出せず、神樹様から与えられたものだけで生き延びている。

 与えられて生きて、与えてくれた御方に感謝して生きている。

 

 誰にも言う気はないけれど。

 僕は最大多数の最大幸福を目指そうと思う。

 何かを犠牲にする道筋だとしても。

 誰かを矢面に立たせ、犠牲にしていかないといけないのだとしても。

 せめて、より多くが生き残れるように。

 生き残れた人達が、より幸せになれるように。

 赦されないことをして、生き残った多くの人が、自分が幸せになることを(ゆる)せるように。

 

 勇者にも多くのものを貰ってしまった。

 僕は彼女らに、何かを返せるだろうか。

 奪うだけに終わってしまうのが怖い。

 せめて、僕に力があれば。

 力がないから勉学の道を志したのに、これは未練なんだろうか。

 

 勇者の代わりになってやれたら、喜んで代わりに戦い犠牲になってやれるのに、と思っている人は、僕や安芸先輩だけではないと思った。

 

■■■■■■■■

 

 苦しみながら、悲しみながら、東郷とその周りの勇者を監視し、自分の心に反するような職務を続けて来た一人の少年の物語を、風は読み終える。

 竜児を探してほしい、という依頼を受けて。

 今、風は竜児を見つけた。

 どこを探しても見つからなかった、誰にも見せていなかった、竜児の心を見つけた。

 彼の心は、その紙の中にあった。

 

「最大多数の最大幸福、か。

 それはきっと……

 直接バーテックスと戦う、あたし達やウルトラマンも目指さないといけないものね」

 

 風が"負けられない"と思う理由が、一つ増えた。

 

 

 

■■■■■■■■

 

 今の僕にできることをする。

 

 ウルトラマン、か。

 

■■■■■■■■

 

 書類の最後の一枚で、ようやく書類の日付がウルトラマンがやって来た日に追いついた。

 

(ウルトラマンが来て、彼の心もちょっと救われたのかしら)

 

 運命が変わろうとしている。

 勇者という生贄と、大赦という祭壇の構図と、その繰り返しの運命が。

 全ての真実を知らない風もまた、それを感じていた。

 ウルトラマンがこの星に降り立ったその時から、全てが変わる可能性が生まれた。

 

 風が見た書類の全ては、過去の記録だ。

 それは竜児の過去の想いでしかない。

 今は無い想いかもしれないし、今はもっと大きくなっている想いかもしれない。

 紙だけで人の心を全て知ることなど、できやしない。

 

 それでも、彼に対する理解は深まった。

 

「上司の誰かが隠してたりとかしてたのかしら、こういうの。

 こんな内心全部見えてたら、こんな人情家に監視役なんて任せないわ、きっと」

 

 風は苦笑する。

 一時間前までは、竜児に対する怒りすらあったのに。

 今では、"ほらほら好きなだけ見てればいいわ"という気持ちになっていた。

 

「あたし達、難儀な性分よね。

 勇者部で誰か死んだりしたら、あたしも、あなたも、きっと自分が許せなくなる」

 

 紙を通して、風は鏡合わせの自分に、どこかにいる竜児に語りかける。

 

「だから、絶対に誰も死なせない」

 

 風が紐で首から吊って、胸元に隠しているカラータイマーの欠片が、いつの間にか青く強く輝いていた。

 彼女の心の輝きと、明るい想いに呼応しているかのように。

 

「あたしも、竜児君も、後悔させないために。誰も犠牲にしないで、お役目を終えなくちゃ」

 

 青い輝きが増していく。

 風は竜児との会話の記憶を思い返して、自分が言った言葉を思い出し、苦笑した。

 

―――うーん、まあ、でも。

―――苦しいって顔と声に出してもらわないと分かってやれない、ってのもどうかと思うしネ

 

 風と竜児は、学校で何度か顔を合わせたこともあったが。

 竜児は一度も、苦しさを顔や声には出さなかった。

 風は邪悪で愉快な笑みを浮かべ、奇妙な笑い声を漏らす。

 

「今、どこに居るのか知らないけど。

 帰って来たら、覚悟しときなさいよ。ふふふふふふ、はははははは」

 

 そうして、犬吠埼風は、勇者部で唯一竜児がウルトラマンであると知っている夏凜とは似て非なる者となった。

 竜児が大赦に課せられたお役目の詳細を知る、勇者部唯一の人間となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雨の中、風は竜児を探す。

 同じく竜児を探していたらしい友奈・東郷・樹を「雨激しくなってきたから帰りなさい」と言って帰宅させてからも、雨合羽(あまがっぱ)を着て探し続けた。

 日が沈めば流石に帰り、雨でびしょ濡れになった体をシャワーで流し、くかーと睡眠。

 

 翌日、土曜日。学校がないのをいいことに、風は樹を置いてまた家を飛び出していった。

 雨は更に勢いを増していたが、風は雨合羽一つ引っ掛けて、躊躇わず竜児を探しに出た。

 

「ま、見つかんないかもしれないけどね」

 

 大赦絡みである以上、外を探しても見つかる可能性は低い。

 風もそんなことは分かっていた。

 分かった上で、森を、川を、路地裏を、海岸線を、雨合羽と自転車で駆け回っていた。

 

「家族もいない、夏凜は探してない。

 だから必死に竜児君探してる人はいない……それじゃ、寂しいでしょ」

 

 もしも、どこかで彼が倒れていたりしたら、と思えば。

 もしも、彼がどこかで助けを求めていたら、と思えば。

 そのかすかな『もしも』の可能性だけでも、彼女が走る理由にはなる。

 

「自分が居なくなって、本気で心配して探してくれる人がいない。

 寂しすぎるわよそんなの。せめて一人くらい、本気で探してやるわ」

 

 オキザリスの花言葉は、『あなたを見捨てない』。

 

 彼女はいつも、そう生きている。

 

「この思考を、人は女子力と呼ぶ! ……うーん、これは流石に無理があるか」

 

 ドヤった顔は彼女らしく、その優しさも彼女らしい。

 風は止まらず駆け回り、ある海岸線ですんごいものを見てしまった。

 

「うわーお」

 

 雨の中、砂浜で木刀二本を振り回し、鍛錬している夏凜がそこにいた。

 そんな急激に腕が伸びるわけがないのだが、勇者の力か彼女の気合いか、明らかに二日前よりも剣の振りが鋭くなっている。

 もっと露骨な言い方をすれば、二日前よりも明らかに強くなっていた。

 

 鬼気迫る表情と鍛錬。

 一秒でも、一分でも、時間を無駄にせず今の自分を強くしようという気概が見えた。

 今の夏凜は、ありとあらゆる事柄を頭から追い出して、全ての思考と全ての時間を、自分を強くすることに費やしている。

 

 夏凜は自分を鍛えていた。

 勇者として強くなろうとしていた。

 三好夏凜が、熊谷竜児が、犬吠埼風が生きるこの世界を、明日も続けていくために。

 真夏の雨は生温いが、鍛錬で熱く火照った夏凜の肌を程よく冷やしてくれている。

 

「……情熱の女ね、夏凜。

 口で語るより背中で語る女とか、中学生のそれじゃないわよ」

 

 ここで夏凜に声をかけるのも無粋だろう。

 風は気合いを入れ直し、豪雨の中山を自転車で駆け上がっていった。

 

「しゃあ! 絶対見つけてやるわよー!

 勇者部ぅー、あたしオンリぃー、ファイトぉー!」

 

 高所から探しものをしようとする風は、"山の上からだと雨で遠く見えないわね"とうっかりに気付き、やがて世界を端から塗り替える光の屹立を見た。

 

「! あれは……」

 

 世界の時間は止まり、一瞬で世界が塗り潰される。

 

「樹海化……

 悪いけど、ここで世界が終わったりしたら、バッドエンドにもほどがあるから」

 

 まだだ。

 世界の終わりを受け入れるには、今はあまりにも中途半端過ぎる。

 熊谷竜児は苦悩を抱いたままで、風にはまだまだやりたいことがあり、部員の皆に残したい未来の可能性がある。

 そして、行方不明のあの少年を、風はまだ見つけていない。

 

「あたしはね、頑張ってるやつが報われないっての、好きじゃないのよ。

 叶うなら、頑張ってた人は皆笑って、幸せな気持ちで終わってほしいと思わない?」

 

 勇者のアプリを起動し、風は誰よりも早く勇者の姿へと変わった。

 周りには誰もいない。

 だが樹海の端に、初めから群体で来たドビシゴルゴンが見える。

 風が胸のあたりを指でなぞると、そこにはちゃんとカラータイマーの欠片があった。

 

 青い輝きと、ほんのりとした暖かみが、胸の奥に繋がっている。そんな気がした。

 胸のカラーライマーが、風の気合いを百倍にしてくれている。

 

「どこにいるかも分からない彼を、ちゃんと見つけてあげないといけないのよ。邪魔しないで」

 

 誰も彼もがまだ道半ば。

 ここで終わりになんてさせない、と心で叫んだ風の足が、強く地面を蹴り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜児が思いついていたけれども、勇者が危険だと判断し、やらなかったこととは何か?

 それをそのっちの書類で知り、風が実行に移した、その行動とは何か?

 

「よっし」

 

 竜児はそれを、『御姿(みすかた)』と呼んでいた。

 俗語にはいやらしい意味しかないが、その俗語の元になった神聖な界隈においては、地上に顕現した神霊。神そのものである御神体。神の力の物質的な顕れを示す。

 大赦においては、勇者がこれに該当する。

 勇者は、神樹の力でその体を変化させている少女であるからだ。

 西暦の勇者は、まるで体を作り変えられているようだ、とすら言っている。

 

 とはいえ、普通の勇者は御姿ではない。

 満開を数十回繰り返し、それでようやく半人半神になるかというところか。

 竜児が考案したのは、そういうものではない。

 

 勇者は神樹の力を使っている。

 彼女らに力を貸しているのは、神樹の中の土着の神々だ。

 ならば、例えば、ウルトラマンが勇者に直接的に力を注げば……土着の神の力と、ウルトラマンの力が、勇者の中で混ざる。

 時間制限は付くが、()()()()()()()()()()()()()()()

 そして今、風の胸にはカラータイマーの欠片があった。

 

「さあ来い怪獣! こっちよ!」

 

 乱暴に勇者の力をぶち込んで、カラータイマーの欠片から返って来た力を受け取って、風は大剣を地に突き立てる。

 ドビシゴルゴンが、一斉に風の方を向いた。

 近くに一つ、遠くに一つ、神々とウルトラマンの力が高度に混ざった神樹の力が観測できてしまって、バーテックスが露骨に動揺している。

 

 どちらかが偽物だろう、とドビシゴルゴンは判断する。

 ドビシは無難に、近い方の神樹から順に潰しにかかった。

 近い方の神樹……犬吠埼風は、こっそりほくそ笑む。

 

(上手く行った!)

 

 ドビシゴルゴンの最悪な点は、ばあっと広がってばあっと群がり、神樹に対し防衛戦困難な数の暴力を見せることだ。

 だが、もしも、勇者の一人が自分を神樹だと誤認させられたなら、どうなるだろうか。

 『数の多さ』という長所は、『一人の人間に同時に襲いかかれる個体の数』という制限を受け、『一斉に襲いかかれず遊兵が激増する』という短所に変わっていた。

 

 ドビシが面倒そうに石化光線を放ち、風は精霊で―――()()()()

 

「くっ」

 

 光線を左腕で受け、右腕の剣を振り、風の斬撃がその個体の目を潰した。

 目を潰したのはただの勘。

 戦闘勘。

 だが、頼りになる勘だった。

 風の勘は見事に当たり、風の片腕を石化させた目を潰すことで、風の石化は解除される。

 

「おー、石化怖い怖い。

 でもわざと一発受けた甲斐はあった。

 これで分かったわ。あんた達全員の目を全部潰せば……ウルトラマンは、蘇る!」

 

 石化させた目を破壊することで、石化は解除される。

 ならばウルトラマンを石化させた個体を全て潰せば、ウルトラマンは復活する。

 5万5千の敵を見据えて、全て潰すと風は決めた。

 

 飛びかかる無数の虫、虫、虫。

 怪獣の女王が変じた怪獣の群れは、津波となって風に群がる。

 風は大剣をぶん回し、片っ端から切り飛ばし、懐に入って来た怪獣の腹の辺りを尋常でない肘打ちで打つ。

 小型怪獣の腰に巻かれていたベルトらしき物が砕かれ、小型怪獣の腹の中身が、肘打ちの衝撃でぐちゃっと潰れた。

 

「うちの学校の後輩の男の子の研究がね、このベルトが弱点だって教えてくれたのよ!」

 

 『アマゾン女王の腰帯』について風は全てを理解したわけではないが、そこが弱点だということは理解していた。

 

 そもそも、力の総量からしておかしかったのだ。

 ブラキウム・ザ・ワンであれ、マデウスオロチであれ、その力を1/55000にして、勇者やウルトラマンに痛打を与えるパワーを与えられただろうか?

 いや、無理だ。

 ならばドビシゴルゴンの小型個体の出力は、どう考えても無理がある。

 

 竜児の資料を読んだ風は、小型怪獣の腰のベルトに目をつけた。

 それを破壊された怪獣は案の定劇的な弱体化をし、ベルト破壊による反動かまともに戦うことすらできなくなっている。

 石化させる目。

 力を増す腰帯。

 この二つは、分裂小型個体として動いている時のドビシゴルゴンの強力な武器であり、同時に壊されると困る弱点でもあった。

 

 仮にこのベルトを全て破壊することが出来たなら、メビウスと友奈の筋力を合わせた剣一閃で真っ二つにされた最初のドビシゴルゴンの力を、1/55000にした弱小個体だけが並ぶだろう。

 

「しゃあああああああっ!!」

 

 風の鬼神じみた無双が始まる。

 

 今の彼女に入った気合いは、天衝くほどの勢いだ。

 四方八方、全ての敵を切り刻まんばかりに大剣が飛び回る。

 そのたびにドビシゴルゴンの首が飛び、目が潰れ、ベルトが砕けていく。

 

「そらそらそら、どっからでもかかって来なさい!」

 

 息が切れ始める。

 風の怪獣を圧倒する無双は凄まじいものだったが、その分だけ消耗が激しいようだ。

 斬って、斬って、斬って。

 人間技と思えない量の死体を量産し、その死体の上でふらりとよろめき。

 

 ふらりとよろめいた風の背中に、ドビシの一体が背後から噛み付こうとして―――飛び込んで来た友奈のパンチに、跡形もなく吹き飛ばされた。

 

「風先輩!」

 

「……友奈!」

 

「みんな来ました! もう大丈夫です!」

 

 風がここで踏ん張った甲斐があった。

 敵を神樹に近付けないまま、仲間達と合流できたのだから。

 合流してくれた仲間達に、風は胸の前に吊っているカラータイマーの欠片――何故かとてつもなく強く輝いている――を持って見せる。

 

「こいつら今、私を神樹様かもしれないって思ってるから!

 あたしばっか狙ってくると思うから、そこんとこヨロシク!」

 

 短い説明だが、勇者部のノリで全員が理解した。

 

「風先輩は、その石と世界を守ってください!

 石と世界を守る風先輩を、私達が守ります!」

 

 ドビシゴルゴンの津波、その中で風にぶつかるものだけを、五人の勇者が迎撃する。

 

「皆!

 ウルトラマンになくて、私達にあるものは何?

 ウルトラマンにできなくて、私達にできることは何?」

 

 叫ぶ風。

 

「それは『時間』よ! 皆、気合い入れて!

 ウルトラマンと三分戦うことしか考えてなさそうなこいつに!

 三十分でも三時間でも戦ってやれる、人間の根性ってやつを見せてやるわよ!」

 

 その強さに、ドビシゴルゴンは『計算外』と思考していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 跳んで、斬る。

 跳んで、蹴る。

 飛び回って敵を蹴散らしていた夏凜が、戦いの途中で石の山を見つけてしまった。

 それは、ウルトラマンの残骸。竜児の残骸。

 おそらく神樹が一箇所に集めてくれたのだろう。

 一瞬、少女は泣きそうになった。

 

 けれどもその感情を噛み殺し、石の山を背後に背負って、地を強く踏み名乗りを上げる。

 

「さあさあ、ここからが大見せ場!

 遠からん者は音に聞け! 近くば寄って目にも見よ!」

 

 たん、と踏み込み、夏凜の剣と東郷の狙撃が豪快に敵の群れを吹き飛ばした。

 

「我らは勇者! 讃州中学勇者部が五人!

 女と侮り舐めるのならば、そっ首落として痛い目見せて差し上げよう!」

 

 友奈が拳を突き出し、友奈の拳を踏んだ夏凜が、凄まじい足ですっ飛んでいく。

 すれ違いざまに切られたドビシ達は、自分が切られたことすら気付かなかった。

 

 完成形勇者の最新式レーダーシステムが、敵の数は5万5千だと言っている。

 それがどうした? 夏凜の鼻が鳴らされる。

 

「一騎当千と舐めるなら、そのままそこで朽ちていけ!

 我ら勇者は一騎当万! 五人合わせて五万を超えよう!」

 

 1+1+1+1+1を、五万にする計算式。

 

 樹が縛り上げた怪獣の群れを、軽快に豪快に一匹残らず夏凜が切り刻む。

 

「今は休んでいるメビウスを合わせて、当騎六万! 5万5千もなんのその!」

 

 そして、二人並んで同時に踏み込む夏凜と風。

 大剣と二刀が息を合わせてひるがえり、数百のドビシゴルゴンが吹っ飛んだ。

 

「「 ここに咲かせた勇者のひと花、散らせるものなら散らしてみなさい! 」」

 

 覚悟。

 意志。

 勇気。

 そういったものが、ドビシゴルゴンの心を気押し、圧倒していく。

 この瞬間、初めて。

 ウルトラマンばかりを脅威と見ていたバーテックスが、人間の勇者を明確に、天地の神を脅かしうる『脅威』として見た。

 

 小型怪獣が結集していく。

 元の大型に戻り、勇者の精霊の守りさえも貫く石化光線を放ち、勇者を容赦なく皆殺すつもりなのだ。

 合体に要した時間は一秒。

 勇者達が"元の一体に戻る"と判断してから、合体完了までで一秒だ。

 

 その一秒を、勇者は無駄にしなかった。

 

「勇者フォーメーション、A! 東郷発案、フォーメーション・大和!」

 

 風が前に出て、大剣を振り下ろす。

 ドビシゴルゴンはそれを防ごうとしたが、風の大剣は手前で空振った。

 外したのか? と気を抜いたドビシゴルゴンの眼前に、突如現れた夏凜が剣を振り上げた。

 

 これは、投石機を模したフェイントだ。

 風の大剣の先端に、樹が紐で紐の投石機の仕組みを作り、夏凜という石を投石する。

 風の大剣という線の攻撃を防ごうと身構えた敵の防御を、夏凜という点の突撃攻撃がすり抜け、ピンポイントに刀で貫く。

 風・樹・夏凜の、巧みなコンビネーションアタックだった。

 

「―――!」

 

 ドビシゴルゴンは咄嗟に両腕を上げて防御しようとして、右手を友奈に殴り飛ばされ、左手を東郷に撃ち抜かれてしまう。

 そして、夏凜の斬撃がXの字の形に深く、ドビシゴルゴンの目を切り裂いた。

 

「―――変な目であいつ見るのやめなさい。ぶっ殺すわよ」

 

 ドビシゴルゴンの唯一の目が潰れた。

 これで石化の力も止まる。

 再生途中で止められた、ウルトラマンも蘇る。

 

「戻って来て、ウルトラマン! メビウースッ!!」

 

 風はカラータイマーの欠片を掲げ、空に叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜児とメビウスは、闇の中に居た。

 石化させられてからずっと、二人はあぐらをかいて向き合っていた。

 

「こんなイメージトレーニング、意味あるのかな」

 

「リュウジ君にはあるさ。

 これは君もまだ使ったことのない、これまでは使えなかった技だ。

 だからイメージトレーニングで、僕のイメージを十分浸透させていったんだよ」

 

「もう何十時間イメトレしてるか分からないくらいだもんね。

 実戦でいきなり使って、成功してくれるといいんだけど」

 

「練習あるのみだよ。イメージトレーニングでも、実戦でも」

 

「でっすよねー」

 

 メビウスが微笑む。

 

「僕らウルトラマンは、心の光を体現している。

 太陽の光も、想いの光も、等しく僕らを動かす力だ。

 死した僕らを、人の想いの光が蘇らせたこともある」

 

「そりゃまた、すごい」

 

「想いの光は、諦めない限り絶えない。

 心折れない限り、心の光は死なない。

 まだ諦めていない。だから何も終わっていない。僕も、君も、きっと勇者も」

 

 闇の中に、光が差した。

 風が持っていたカラータイマーの欠片と同じ、青く眩い心の光。

 

「これは……リュウジ君、勇者の誰かの心の光じゃないかな」

 

「うん、分かってる。

 実は石化させられてた間も、ずっとこの光を感じてたんだ。

 暖かくて強い光。こんなにも強い心の光を持ってる人って、いるもんなんだな」

 

 どこかの誰かの心の光。

 それを受け、竜児は立ち上がる。

 

「『輝く心』―――オキザリスの花言葉」

 

 一つの花の花言葉を、無意識の内に口にしながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 光に包まれ、再生した巨人は立ち上がる。

 人の心の光によって立ち上がり、風の心を受け止めた竜児は、彼女の心の光をそのまま撃ち出すがごとく、メビウスブレスから新技を放った。

 

「『 メビュームピンガーッ!! 』」

 

 それは、かつて神戸での戦いにおいて、ウルトラマンメビウスが分身宇宙人ガッツ星人の分身能力を封じるために使った封印攻撃。

 風の心の光を受け、ぶっつけ本番で竜児が成功させた技。

 絆の封印攻撃だった。

 

「『 これで貴様は……二度と分裂できない! 』」

 

 肩に乗ってきた風に、竜児がゆっくり巨人の拳を寄せる。

 風は一瞬戸惑ったが、すぐにその意図を理解し、自分の拳を巨人の拳に軽くぶつける。

 ちょっとだけかっこつけた、子供らしい友情の証明。

 風は、とってもいい笑顔でメビウスに笑いかけていた。

 

「! 怪獣が……!」

 

 ドビシゴルゴンの目が急速に再生され、その眼がなりふり構わず樹海を石化させ始める。

 樹海を石化させ、樹海を構築する神樹の力を奪おうとしているのだ。

 ドビシゴルゴンも最後まで使うまいと考えていた、切り札たる最終手段であった。

 

『人が人を想い、繋がりあおうとする心……奇跡を起こすその光を、僕らは守り続ける』

 

 竜児の中で、メビウスが語り始める。

 

『それを見た者達は僕らをこう呼んだ。"光の巨人"と!』

 

 人の想いを受け止め、復活し、前よりも強くなった竜児というウルトラマンに語りかける。

 

『怪獣が何を壊そうが、何を奪おうが、人間は立ち上がる。何度も……何度でも!』

 

 それは、ウルトラマンの心意気。

 

『ウルトラマンが人間を救うのではなく。ウルトラマンは人と力を合わせ、戦ってきたんだ!』

 

 竜児は頷き、拳を構えた。

 

 勇者達がそれに続き、各々の武器と勇気を構える。

 

「『 見せてやる、僕らの勇気を! 』」

 

 ドビシゴルゴンを討つ、最後の闘いが始まった。

 

 

 




 輝く心の勇者

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