時に拳を、時には花を   作:ルシエド

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第一殺三章:ウルトラマンの重圧

 今でこそ竜児は四国"ギムレー"説を唱えているが、以前の彼は四国"扶桑"説を唱えていた。

 扶桑は中国の神話における東の果ての理想郷。

 後に転じて、日本を指す言葉になった。

 扶桑という巨大な神木が立ち、ゆえに土地の名も扶桑……と、中国では語り継がれていたので、竜児はこの神仙伝承に神樹のルーツの一つを見ていた。

 

 まあ、ハズレだったわけだが。

 この例に見られるように、竜児は知識を溜め込めるだけ溜め込み、推論や考察を考えられるだけ考え、そこから妥当なものを選んでいくタイプの人間だ。

 根がアホ寄りのタイプでもあるので、妥当なものを勘で選ぶこともある。

 なので外れる推論も多く、思考は数撃つタイプである。

 授業中でもそうだった。

 

(……考え事だけじゃなく、授業もちゃんと聞かないとなあ)

 

 竜児がかの獅子型バーテックスに腹をかっさばかれたのが夜、それから勇者と巫女の慰霊碑を訪れ、大赦で報告をして、報告書を書き上げて提出し終わったのが翌日夜明け頃。

 朝にウルトラマンの資料を確認しに行って夏凜と会い、資料に一通り目を通してから急いで登校したという流れだ。

 

 要するに、寝てない。

 寝てないせいか隙だらけの竜児は、一日分の授業が終わったことにも気付いていなかった。

 そしてヒロトとヒルカワが近付いて来てることにも気付いていなかった。

 

「ようようリュウさん。

 最高級のカシミア生地の感触って"処女の内股"と同じ触り心地らしいな。

 え、女の内股の感触って処女と非処女で違うの?

 ちょっとリュウさん、適当に処女の彼女作って確かめて見てくれよ」

 

「ヒルカワ君はなんで逮捕されないのかなー。未成年だからかなー」

 

「頼むよ、俺モテないんだよ。

 処女の内股触って

 『最高級カシミア生地!』

 って言って、ヤった後にまた内股触って

 『もう最高級カシミアじゃない……』

 って失望した感じに呟くだけでいいからさー、頼むよー。学校新聞の記事に……」

 

 通りすがりの夏凜の右ストレートが突き刺さり、ヒルカワの意識が飛んでいった。

 

「サンキュー夏凜。ビューティフル夏凜」

 

「いいってことよ」

 

 去っていった夏凜を見送って、竜児はヒルカワを教室の隅にどけた。

 バン・ヒロト君が竜児にバイトを打診する。

 

「どうよ今日、バイト来れそう?」

 

「あー……明日じゃ駄目かな」

 

「いいけどさ、うちの店のうどんがこのままだと給仕不足で絶えてしまうよ」

 

「ごめんなあ、毎日行けない人間で。

 僕のことは虚数のような無きに等しい存在として扱ってくだされ。

 見えないものを見ようとして、人間は虚数を定義した。

 目には見えないけど定義しとくと都合が良いのが虚数。

 そう、それは愛に似ております。

 愛も目に見えないけど定義して"ある"と言っといた方が良いものだからね。

 そんな感じに、無くて当然だし居なくて当然だけど、居ると都合がいい的な扱いを願います」

 

「リュウさんは本当に時々知識とか知性を覗かせるよな……」

 

「でもここで知性の証の眼鏡を強調すると?」

 

 眼鏡クイー。

 

「馬鹿に見える」

 

「おっかしいなあ……」

 

 頭の良さが倍増しに見える、と竜児本人は思っていた。明らかに半減していたが。

 

「ちょっといい?」

 

(!)

 

「ああ、結城さん? リュウさんに用?」

 

「うん、まあ、そんな感じ?」

 

「俺もう帰るから話してていいよ。んじゃねリュウさん」

 

「ん、ヒロト君また明日」

 

 ヒロトが帰って、入れ替わりに明るく可愛らしいポニテールの少女―――結城友奈が、竜児の席の向かいに座った。

 困った。

 これは困った。

 竜児は職務の関係上、友奈から近すぎても離れすぎてもよろしくないのである。

 

 彼の仕事は、東郷美森及び勇者達の監視と報告なのだから。

 仲良くなりすぎるのも、嫌われすぎるのも困る。

 

「何か用かな? 結城さん」

 

「昨日はほら、あやふやな感じに話が終わっちゃったから」

 

 昨日の晩、"何か見なかった?"と問うてきた友奈に、竜児は適当にはぐらかすという対応をしてしまったがちょっと不味かったかもしれない。

 怪獣を見た、見なかった、どちらで通すにしろ半端な対応だった。

 状況が読めなかったとはいえ、どっちつかずになってしまったと言える。

 

 竜児はインターネットも監視していたが、獅子の怪獣を見た人達は推定で十数人程度。

 ネットでは大赦の工作員が情報を抹消しており、広がる心配は当分ない。

 現場に居ても、見た人もいれば見てなかった人もいる。

 あの時竜児は、何も見なかったと言い切るべきだった。

 勿論、大勢が見たと言っている中で竜児だけが見ていないと言うパターンに入った場合、それこそ致命傷になりかねないので、半端な解答をするのが安牌ではあったのだが。

 

 スパイじみた勇者の監視役を続けるのは、中々に骨が折れるのだ。

 竜児が内心で冷や汗をかいているのとは裏腹に、友奈はぽけっとした表情で竜児の顔をじっと見ていた。

 

「今日、熊谷君調子悪い? なんだか体調悪そう」

 

「そう見える?」

 

「ん、見える」

 

 竜児の心の冷や汗がドバっと量を増す。

 

「でも本当に調子悪そうだね。どうかしたの?」

 

「えっと……」

 

「保健室連れて行こうか? 具合悪い? 病気?」

 

「……つ、つわりです」

 

「自分の性別を見失ってない!?」

 

 困っている他人、辛い想いをしている他人、そういうものに結城友奈は敏感である。

 

(内臓がないぞう)

 

 竜児は実際に、体調が少々悪かった。

 寝不足? 否、まだ欠損した内臓が完全に戻っていないのである。

 ウルトラマンと同化してまだ24時間も経っていないので、当然と言えば当然なのだが。

 そしてそれ以外にも、彼が自覚していない不調の要因があった。

 

(夏凜でさえ気付いてなかったのにこの人はもう)

 

 付き合いの深い――"付き合いが長い"とは別――夏凜でも気付かなかったというのに。

 他人の苦しみや痛みに生来敏感な子なのだろう。

 内心を読まれたくない竜児からすれば、嬉しいような困ったような、そんな気持ちになってしまう。単純に、心配してもらうのは嬉しいのだ。

 

(どうしようか。

 怪獣見たと正直に言った方がいいか、見てないと言った方がいいか。

 僕が居た場所的には見えてた方が自然なんだけど、追求をかわすなら……)

 

 昨晩のことを改めて思い出す竜児。

 無意識の内に蓋をしていた痛みの記憶、苦しみの記憶、殺された記憶が蘇って――

 

「う」

 

「え、熊谷君!?」

 

 ――竜児は、教室を走って飛び出した。

 教室を出て、人気の少ない手洗い場に駆け込む。

 そして、腹の中のものを盛大に吐き出した。

 

「げええええええええええっ!!」

 

 薄い血の色が着いた液体しか出て来ない嘔吐。

 それを見て、竜児はようやく無自覚だった自分の状態を自覚する。

 最後に飯を食べたのは昨日の昼。

 獅子に腹をかっさばかれてから、竜児は空腹を一度も感じなかったし、一度も食事を取っていなかったし、取ろうとも考えていなかった。

 

 彼の不調は、内臓が欠損していることだけが原因なのではない。

 "殺されたというストレス"だ。

 "死亡体験による心的外傷"だ。

 一度死んでしまった体験が心を傷付け、時間が経ってから鮮明に思い出されたことで、竜児の神経を不調に狂わせたのだ。

 

 ある意味、忙しくしていた方が竜児にとっては救いだったのかもしれない。

 忙しくしている間は、竜児も余計なことを考えないで済んでいたのだから。

 

「はぁっ、はぁっ」

 

 体が震える。

 目眩がする。

 まともに立っていられない。

 また吐き気がして、竜児はまた空っぽの胃から嘔吐した。

 メビウスが、心の内側から竜児を気遣う。

 

『大丈夫? 今君の心に、とても大きくて嫌な感情の奔流が……』

 

「……情けない。本当に情けないなあ、僕」

 

 怖かった。

 恐ろしかった。

 あの時の死ぬ実感を思い出すだけで、体の震えが止まらない。

 

(『恐ろしくて吐いた』とか、誰にも言えそうにない)

 

 これから怪獣と戦うこともあるだろうに、ここまでビビっていて戦いになるのだろうか。

 いや、ならない。

 絶対に戦いは成立しない。

 勇気無き者が、怪物と戦えるものか。

 彼が大赦の面々を前にして大口を叩き、"戦える"と啖呵を切れたのが、今となっては不思議に見えてしまうほどだ。

 

 情けないことに……竜児は、大赦の仮面を付けていた時の方が、強がっていられた。

 感情を表に出さないでいられたのだ。

 仮面の無い素の自分で何かにぶつかろうとするだけで、情に流され弱気に流され、強く物事にぶつかっていけない竜児(じぶん)が居た。

 

(聞くところによれば、勇者はある日突然戦場に放り出されても戦ってくれたという。

 中学生の女の子が。

 戦闘訓練も受けてない女の子が。

 怖くないはずがなかっただろうに。

 勇気を出して、果敢に戦って、自分より大きな怪物に立ち向かって、世界を守ったんだ)

 

 眼鏡にちょっとだけ着いた吐瀉物を洗い流すべく、蛇口からの水流を眼鏡にあてる。

 濡れた眼鏡を震えた指先で顔にかけると、まるで竜児が泣いているかのように見えた。

 眼鏡を拭く余裕もない。

 そんな竜児の背中を、優しくさすってくれる小さな手があった。

 

「大丈夫?」

 

「……結城さん」

 

 友奈が微笑んで、小さな手で背中をさすってくれている。

 体に変調を起こさせていた心のストレスが少し緩和され、吐き気が多少和らいだ。

 

「あ、ありがとう……」

 

「いいのいいの。無理して喋らないで、楽な姿勢でいるといいよ」

 

 友奈は微笑んでいる。

 普通、女の子が男子の嘔吐を見れば一瞬嫌な顔を見せたりするものだが、友奈は嫌な顔一つしていない。

 優しい顔を作っている気配もない。

 彼女の地が、他人を気遣う心優しい人物であるということが理解できる一幕だった。

 

 竜児は友奈にとってクラスメイトでしかない。

 特に親しくない知り合いでしかない。

 それでも友奈が親身に助けてくれるのは、彼女がそういう人間だからである。

 

(優しいんだよな)

 

 竜児が彼女に持つ好感は、彼女のこういった性情を見て来たことに起因する。

 その在り方が綺麗だったから憧れた。

 自分はこうはなれない、でも彼女にはこのままであってほしい、その在り方に自信を持っていてほしい。

 ……そう思うから、彼女を騙して利用しているようなこの現状が、心苦しい。

 

 どこまで行っても彼女は勇者で、彼は大赦だ。

 

「聞きたいことがあったんだけど、もういいや。

 どうしても聞かないといけないことでもないしね。

 それより大丈夫? 保健室行く? 痛いところとか苦しいところとかない?」

 

「だ、大丈夫」

 

 友奈は他人の思考が読めるのか? 他人の隠し事を推測できるのか? いや、違う。

 友奈は竜児が隠し事をしてるだなんて、そもそも考えてすらいない。

 彼女は"なんとなく"で他人が嫌がることを避けているだけだ。

 結城友奈はなんとなくで、人を傷付けない最善の選択肢を選び取っている。

 

 友奈が悩みの打ち明けを強く望むのは、基本的に友人の枠の内だけだ。

 彼女は怪獣を見たかどうかを彼に聞くのを諦めた。

 それが、怪獣のことを思い出したくもない今の彼の心には、とても喜ばしいことだった。

 

(僕の指が震えてる)

 

 怪獣への恐怖で震えている指も、今ならば体調不良で震えているように見えるだろう。

 そこは不幸中の幸いと言うべきか。

 肝心なところだけは、隠し通すことに成功していた。

 

「悪いものでも食べたのかな……熊谷君、味の変なうどんとか食べた?」

 

「……い、いや、ちょっと緊張することがあって。心因性とかそういうのだから、大丈夫」

 

「大丈夫じゃない人ほど青い顔で"大丈夫"と連呼するって話、知っておりますか」

 

「そういうのじゃないから、うん、大丈夫だから」

 

 心に原因があるのは分かっている。

 勇気があれば解決するのも分かっている。

 メビウスに竜児が教えた『勇気が無ければ他の全ての資質は意味をなさない』の格言が、直球で竜児に返って来ていた。

 勇気が無いことが、恐怖に体を負かしてしまい、全てを台無しにしてしまっている。

 

 だからだろう。

 竜児が、気の迷いのような言葉を吐き出してしまったのは。

 

「結城さんは、勇気の出し方ってどうやってんの?」

 

「へ?」

 

「いや、ほら、勇気が必要な時ってあるじゃん。

 僕がちょっと調子が悪いのは、勇気が足りないってのが原因でさ。

 勇気の出し方とか、参考までに結城さんに聞いてみたいなって思ったんだ」

 

 竜児の背中を優しくさすっていた友奈が小首を傾げる。

 何故そこまで優しくなれるのか。

 何故勇気を生み出せるのか。

 何故そう在れるのか。

 聞きたい気持ちは、いつも彼の内にあった。

 

「勇気の出し方? んー」

 

「結城さんは特に考えたこともないとか?」

 

「そんなこともないけど、えーとね、なんて言えばいいのかな」

 

 見方によっては、それは大赦のお役目を蔑ろにしかねないものではあったけど、彼は聞かずにはいられなかったのだ。

 

「私もね、幼稚園でしてあげる劇の前とか"上手くできるかな"って思うとすっごく怖いよ。

 初めてのことに挑戦する時もとっても怖い。

 怖いことが全く無いって言い切れるのは、友達とお喋りしてる時くらいじゃないかな」

 

「……」

 

「そういう時は、劇の後の子供達の笑顔を思い浮かべるかな。

 あと、友達だね。

 私がなんかやっちゃっても、助けてくれる友達がいる!

 そう思うと、隣に居る友達や後ろに居る友達がすっごく頼もしく感じるんだよ」

 

 勇気とは、頭で理屈を考えて理屈の中から生み出すものではない。

 勇気を出すための理屈をひねる人間は、現実に頭でぶつかり心で負ける。

 理屈だけで勇気を捻り出せるなら、臆病者などこの世にいない。

 

「私もそんなゆーもーかかんってわけじゃないからね。

 頭で色々考えてると、嫌な考えがいっぱい出てきて怖くなっちゃうことも多いよ」

 

「そうなんだ」

 

「だからそういう時は、頭じゃなくて(ここ)で考えるようにしてるかな」

 

 とんとん、と少女の指が控えめな胸を叩く。その奥には、たいそう熱いものがありそうだ。

 

「こう、気持ちがビビっ! ってするとね? 何にだって立ち向かえる気がするんだ」

 

 友奈は感覚的に話す。

 理詰めに話しすぎて夏凜にキレられた竜児とは対照的だ。

 だが、だからこそ、彼女の勇気がどこから湧いているのかを感じることができる。

 

「理屈じゃなくて、理由を想うというか……んー、なんて言えばいいのかなぁ」

 

「……勇気は、勇気を出す理屈じゃなく、勇気を出す理由から生まれる、とか?」

 

「そう、それそれ! いやー、熊谷君は他人の言葉とか気持ちを整理するのが上手なんだね!」

 

「偶然だよ、偶然」

 

 君ならそういうことを言いそうだと思っただけ、と言おうとして、竜児は言葉を飲み込む。

 それは大赦の人間として彼女を見張っていたことを、暴露するに等しい言葉だったから。

 

「ありがとう。もう吐き気も収まったから、さすってくれなくて大丈夫」

 

「そう? 無理はしないでね」

 

 友奈は心配そうな顔をしている。そして、ちょっと恐る恐るといった感じに問いかけた。

 

「熊谷君、私に触られて嫌じゃなかった?」

 

 その言葉の意味を、竜児は一瞬理解できない。

 

(……!)

 

 だが理解した途端、目からウロコが落ちた思いだった。

 

(ああ、そうか。

 これを逆の立場にしてみれば……

 僕だったら、親しくない異性がゲロ吐いてる場面見たら、見なかったふりするかもしれない)

 

 付き合いの浅い人がゲロ吐いてるのを見て、すぐ心配して背中をさすりに行ける人は多くない。

 それが異性ならなおさらだ。

 付き合いの深い人、それかいっそ赤の他人の方が、背中をさすってやりに行くハードルは低いだろう。

 中途半端な知り合いが一番そうしてやりにくい。

 

 友奈も異性慣れしていない少女の一人でしかないのだ。

 その根底の感性は普通極まりない。

 ゲーゲー吐いている竜児を見つけたとしても、体に触れてまで助けてあげようとするには、ほんのちょっとの勇気も必要だったはずだ。

 

 親しくない他人に体に触れられることを嫌がる人間は少なくない。

 「余計なお世話だ」と怒られ、背中に伸ばした手を跳ね除けられる可能性もあった。

 友奈はそれを分かった上で、苦しんでいた竜児に手を伸ばしたのだ。

 それは勇気と呼んでもいいし、優しさと呼んでもいい。

 

「嬉しかったよ。さっきまで、凄く苦しかったから。ありがとう結城さん」

 

 怪物に立ち向かう勇気とは根本的に違う、大きな勇気とは違う小さな勇気に、竜児は心からの感謝を告げる。

 友奈は可愛らしく微笑んだ。

 

「そっか、ならよかった!」

 

 嫌われるかもしれなくても、誰かに優しくするために勇気を出せる彼女。

 自分より強いものに立ち向かう勇気を出せる彼女。

 恐ろしいものに立ち向かえる勇気を出せる彼女。

 結城友奈と自分を比べて、熊谷竜児はとても申し訳ない気分になった。

 

 情けない気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふらふらと、竜児は屋上に歩を進めた。

 一日分の授業が終わったことで、校庭に部活動生徒がわらわら出始めている。

 屋上から元気な同級生達を見下ろして、体調不良の竜児は羨ましそうな溜め息を吐く。

 そして、屋上の手すり壁に背を預けて座り込んだ。

 

 立っていれば校庭からも屋上の竜児が見えたのだが、座り込んだせいで今の竜児は誰の目にも映らない。

 まるで、竜児が皆から逃げ隠れしているようにも見えた。

 

『君はいいのか』

 

 竜児が左手に出したメビウスの腕甲(メビウスブレス)から、メビウスの声が響く。

 

『あの子達を人柱にするような大赦に従う今を続けて、それでいいの?』

 

 メビウスが問いかける。

 大赦にしか帰る家が無い竜児の返答は、決まりきっていた。

 

大赦(ぼくら)がなんで顔を隠してると思う?

 代わりがいるからだよ。

 誰かが死んでも代わりになれるからだ。

 勇者が死んでも、普通の女の子を新しい勇者として補充できるのと同じ。

 皆が顔を隠してれば、人が多く死んで入れ替わっても悲しまずに職務を続けられるでしょ」

 

 全員が顔を隠した組織なら、『尊い人命が失われる』という事象は起こらない。

 死亡は組織人数という単純な『数字の増減』だけで判断され、換えのきかない人間の死も『人間が死んだ』ではなく『有用な才能の喪失』として換算できる。

 それは、群体としては理想的な運用だ。

 

 バーテックスが何体死のうと、代わりのバーテックスがいるのと同じ。

 大赦の人間に代わりなんていくらでもいる。

 少なくとも、竜児はそう考えていた。

 

「人体に例えて見れば分かる。

 細胞の一つ一つが意志を持ってたら大変だよ。

 爪も切れない。髪も切れない。病気の内臓も切り離せない。

 全体のために末端を切り捨てるという行為ができなくなったら、本当に大変だ」

 

 全体を生かすために少数を生贄に捧げる、人類史に何度も見られた理屈。

 

「それに、肌の細胞はあっという間に入れ替わるけど、心臓の細胞は入れ替わらない。

 それなら肌の細胞が"なんでお前だけ"って言って心臓の細胞に反乱することもありそうだ。

 事実、西暦の時代には追い込まれた人間の内輪揉めがあったって書いてあったじゃん」

 

『……』

 

「『全』に切り捨てられることを『個』が嫌がるのは当たり前のことだ。

 だからこうして、僕らは仮面で『個』を捨てていかないといけない。

 仲間が死んでも悲しまないように。

 自分が死んだ時に誰の手も止めさせないために。

 僕らは、いくらでも代わりのいる組織の歯車でなければならないんだ」

 

 ウルトラマンの心は揺らがない。

 

『何度でも言うよ。君は、それでいいの?』

 

 少年の理屈も揺らがない。理屈だけは揺らがない。

 

「僕の本質は誰にも犠牲になってほしくない、組織人として甘すぎる人間だ。

 仲間の顔を知ってしまえば、仲間を犠牲にできなくなってしまう、そんな三流だ。

 僕みたいな情けない人間を組織の真っ当な歯車にするために、あの服と仮面はある。

 組織に恩義があるはずなのに、あんな道具に頼らないといけないなんて、本当に半人前だよ」

 

 爪を切っても全体(ひと)は死なない。

 腕を切っても全体(ひと)は死なない。

 だが神樹(しんぞう)を切られれば全体(ひと)は死ぬ。

 

「人柱にされる側の人には、文句を言う権利がある。

 人柱を立てないと延命出来ない世界なら、いっそ滅びてしまえと言う権利がある。

 その権利を踏み躙らないといけない時もある。

 個人の権利を犠牲にして、個人を犠牲にしないと、全体が生きていけない世界がある」

 

 人間の手で世界を守る最善手は、世界のために勇者(しょうじょ)を使い潰していくことだ。

 大赦に騙されている勇者達は、強敵を倒すために満開を使う。

 満開の対価として自分の大切なものを失っていく。

 気付けば大事なものを軒並み捧げた後で、後悔しても時既に遅しだろう。

 

「僕は大赦の人間だ。

 勇者を生贄にするやり方を否定しない。

 勇者システムも否定しない。勇者の本当の味方にはなれない」

 

 ウルトラマンがどこかで負けて戦力が減れば、この先勇者達は確実にそうなるはずだ。

 

「ただ、黙って……代わりをするだけだ。僕が死ぬまで」

 

 そうしたくないのなら、勝つしかない。勝ち続ける以外に無い。

 巨人が勝ち続ける内は大赦も勇者に無理を強いることはないだろう。

 散華で始まる絶望の状況はやって来ない。

 彼の勝利が、続く限りは。

 

「メビウスも、本当に危なくなったら僕を見限って帰ってほしい。

 そうでなくても他の人間を選び直してほしい。君を道連れにはしたくないんだ」

 

『僕は君を見捨てない。君も死なせない。それじゃ駄目かな』

 

「……」

 

 竜児の思考をメビウスが全て読み取れているわけではない。

 だが、心は一つなのだ。

 少年の心は全てウルトラマンに伝わっている。

 熊谷竜児の心は、今にも泣きそうだった。

 

 少年の口から語られるのは大赦の理屈。そう、理屈でしかない。

 その心は怪獣への恐怖と、死の恐怖と、喪失の恐怖と、自分が何もしないことで他人が傷付くことの恐怖で染まりきっている。

 こんな心の状態で"代わりに戦う"と語るなど、笑い話にもならなかった。

 

「そう言ってるメビウスこそ、迷いはないのか?」

 

『迷いって?』

 

「ウルトラマンティガの一文、見たでしょ。

 "守れてない役立たず"とレッテル貼られたティガの変身者が殺された話。

 ビビった民衆が暴徒になってウルトラマンになれる人間をリンチ殺人した、ってアレ。

 ひっどい話だぜ。僕が君の立場だったら絶対に、人間に幻滅と失望を隠せないよ」

 

 竜児は"もし自分がその当事者だったら"と思う。

 失望して、絶望して、何もかもが嫌になってしまいそうな気がした。

 だからメビウスもそんな気持ちをちょっとは抱いているだろうと、そう思ったのだ。

 

『人が愚かでいる権利も、愚かでなくなり成長していく権利も、僕は守りたい』

 

 だが、違う。

 そういうものではないのだ、ウルトラマンは。

 

 人の愚かさ、醜さが、今日ウルトラマンにバレたというわけではない。

 メビウスは人の悪い部分をよく知っている。

 けれどそれ以上のことも知っている。

 それよりもずっと大事なことを知っている。

 人の善い部分を知っている。

 

『信じてるんだ。人は愚かでも、弱くても、いつか尊いものに成長していけるんだって』

 

 ウルトラマンはきっと、人間よりもずっと強く、人間のことを信じているのだ。

 

『賢明な人は早咲きの花。

 愚かな人は遅咲きの花。

 違いはただ、それだけだと思うんだ。

 人は誰でも大きくなれる。優しくなれる。賢くなれる。強くなれる。僕はそう信じてる』

 

「―――!」

 

 メビウスは深く、深く、人間を愛している。

 愛しているから守る。

 愛しているから成長を見守る。

 ずっと昔からそうやってきた。ただ、それだけのことだ。

 

「……僕も、そういう台詞をさらりと言える大人に、なりたいな……」

 

 子を愛する親のような、弟を愛する兄のような、メビウスの慈しむ愛に包まれる気持ち。

 それは竜児に安らぎを与え、安心と癒やしを少年に与えていた。

 

 『家族』『兄弟』というものを意識させる愛。

 メビウスは兄のように寄り添い、誰よりも少年に近い場所に……少年の内側に、融合という形で寄り添っている。

 兄を想うような気持ちが少年の内に湧き上がる。

 兄に寄りかかるような弱さが少年の内に湧き出づる。

 竜児はその気持ちを口にしなかったが、一つになった心はその気持ちを言葉などという野暮な伝達形式を介さず、メビウスに直接伝えてくれていた。

 

「……」

 

『寝ちゃったか』

 

 そのせいで、緊張の糸が切れてしまったのだろう。

 ずっと寝ていなかった竜児は、放課後の屋上で眠りこけてしまう。

 まだ14歳の竜児の体に、睡眠不足・内臓喪失・精神消耗の三重苦は中々に重かったようだ。

 

 眠りこける少年の手首にて、メビウスブレスが絢爛に輝く。

 

『駄目だな。僕では、兄さん達のように上手くやれないのかもしれない……』

 

 ウルトラ兄弟で最も若い弟ポジションの青年、メビウス。

 

 彼はウルトラ兄弟の兄達に頼ることはあった。悩みを打ち明けることはあった。弟として教えを貰うことはあった。

 だが自分が兄のように振る舞い、弟の如く頼ってくる少年を"戦士の道の上"で正しく導いた経験は、そんなに無かった。

 メビウスは少し悩んでしまう。

 兄が自分を導いてくれたのと同じやり方で、この少年を導いていいのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竜児は薄ぼんやりと目を開く。

 夕日に染まる屋上が見えて、耳には校庭から部活の音が届いていた。

 鼻孔が捉えた匂いは花のようで、よく知っている女の子が愛用しているシャンプーの残り香……の、ような気がした。

 

『カリンちゃん、リュウジ君が起きたよ』

 

「へー、本当に一体化してんのね。寝たふりも判別できるって便利そうだわ」

 

 メビウスブレスが点滅して、少年の耳元で少女の声が応対する。

 寝起きの思考は回りが鈍く、竜児は夏凜に肩を貸してもらっていたという状況をすぐには理解できない。

 ただぼうっと、夕日に照らされる屋上を見ていた。

 

「ああ、変な勘違いはしないでよ?

 私はメビウスと話しに来たのよ。

 これから一緒に戦うかもしれないわけだからね。

 あんたみたいなのが寝てたからって肩貸してやるほど私は暇じゃないから。ね、メビウス」

 

『え、どうしたの? 君はさっきまですこぶる心配……』

 

「あー煮干しが美味しいわ! 美味しいわね!」

 

『そんなに大声を出されると僕の声が聞こえないよ。

 君が言っていた子供の頃のリュウジ君と君の話は……』

 

「あーそういえばリュージがどうでもいいやつみたいな話した気がする!」

 

「んー、ああ、僕うっかり寝てたのか」

 

『どうしたんだカリンちゃん!

 さっきまであんなにも友達思いだったのに!

 とってもいい子だと僕は思っていたのに!

 さっきまでの君を、友達を気遣える優しい君の心を取り戻してくれ!』

 

「あああああああもうっ! 何この宇宙人! どうなってんの!?」

 

『まさか……ヤプール!? ヤプールに心を!?』

 

「ヤプールって何よ! 正常なのは私でメビウスが変なこと言ってんのよ!」

 

「んー……あー、よく寝た。二時間くらいかなぁ、よく寝た。僕としたことが」

 

 竜児の頭が回るようになってきた。

 

「あれ夏凜なんでいんの」

 

「ほんっっっっっっとによく寝てたみたいね!」

 

 夏凜が竜児の襟元を掴み、ぐわんぐわん揺らすと、眼鏡がスポーンと吹っ飛んでいく。

 

「眼鏡!」

 

 それを空中で顔面ウルトラキャッチしたところで、完全に少年の目が覚めた。

 

「今メビウスと、リュージの歳の話してたのよ」

 

『君は拾われた時に年齢を決められたんだって?

 それならカリンちゃんの年上だったり、年下だったりするのかみたいな話をしてたんだよ』

 

「メビウスもウルトラマンの中じゃこの前まで若造扱いだったんだってさ」

 

『カリンちゃんは若いから侮られることもあったけど、結果を出して認めさせたんだってね』

 

「わー僕が寝てる間に仲良くなってる」

 

 ウルトラマンの勇者と人間の勇者は、どうやら特に何かなくとも性格的な相性が良いらしい。

 

「で、私の方が実はリュージよりお姉さんだったに決まってんじゃん、って話になってさ」

 

「え、なんでそこ確定事項なの」

 

「私の方が姉っぽくない? リュージは頭良くてもガキっぽいし」

 

「あっはっは、そのギャグおもしれー。

 チンパンジーから似たようなギャグを聞いた覚えがあるよ、僕」

 

「なーんであんたはそういう煽りだけは常時キレッキレなのかしらねえ!」

 

 夏凜が竜児の眼鏡を引ったくって投げ飛ばし、竜児が空中でキャッチした。

 友人同士の気心知れた遠慮のない掛け合い……の、ように見えたが、夏凜はその過程でなんとなくに竜児の内心を察したようだ。

 

「で、落ち込んでるみたいだけど、どうしたの?

 まるで夏の路上に打ち上げられてのたくってるミミズみたいじゃない」

 

「ひでえ」

 

 的確な表現が突き刺さる。

 だがそれで心が暗くなるということはなく、気安い掛け合いにむしろ心が軽くなる気がした。

 

「僕さ、生まれて初めて内臓ぶち撒けたんだよ、昨日」

 

「そりゃ誰だって初めてでしょうね……」

 

「初めて自分の中身を見たんだ。

 自分の心臓(なかみ)があんなに醜いなんて、思ってもみなかった。

 なんかさ、自分の心の醜さを直視させられたみたいな気分になったんだ」

 

 自己嫌悪。

 恐怖に負けている自分の心が嫌いになればなるほどに、昨晩見た自分の心臓の醜さと、自分の心の醜さが重なっているような、そんな気がしてしまう。

 竜児の心が醜いだなんて言っているのは、竜児だけだというのに。

 

「ビビってるんだよなー、僕。情けない。本当に情けない」

 

 勇者とは、勇気ある者。

 勇者とは強き者ではなく、自分よりも強い者に立ち向かう勇気を持つ者だ。

 そういう意味では、夏凜はこの上なく勇者であるし、竜児はこの上なく勇者ではない。

 

「僕の中身(こころ)は怖がってる。

 怖いってだけでするべきことから逃げてる。

 怖いってだけでしたいことから逃げてる。

 怖いってだけで自分の想いを裏切ってる。

 なっさけねえ話ですよ。死にたい。悔しい。悲しい。辛い。申し訳なくて切腹したい」

 

 頭が考える"こうするべき"を、心が"恐ろしくてしたくない"と裏切っている。

 自分で自分を裏切っているのだから、それはもう辛いに決まっている。

 それでも立ち向かいたいと思えているのは、彼の心に友奈との会話、メビウスとの会話という、勇気の杭が突き刺さっているからだろう。

 もう少し。

 あと少し。

 彼の心に、何かが刺されば。

 

「なんだっけ、先月あたりにあんたが私に話してたの。ガチョウ効果だっけ?」

 

「……ダチョウ効果?」

 

「そう、それそれ。なんかそれについてあんたがペラペラ話してたの、なんだっけ?」

 

「思考停止して現実と向き合うのをやめてしまう、人間の心の動きのことだよ。

 昔、ダチョウは現実から逃げるため頭を砂の中に突っ込んで動かなくなると言われてた。

 ……まあ迷信だったんだけど。

 日本だと『頭隠して尻隠さず』の訳に使われてる慣用句でもあるね。

 その迷信にあやかって、これはダチョウ効果と名付けられたんだ。それがどうかした?」

 

 ダチョウ効果(ostrich effect)は、人間が現実と向き合えずに思考停止をしてしまうという心の動きが、実は多くの人間の心に備わっているということを明文化した用語だ。

 受け入れがたい現実が目の前にある時、人はその現実から逃げ、しまいにはその現実がそこにあることすら否定してしまう。現実が見えなくなってしまうのだ。

 それを実験にて立証したのが、ダチョウ効果である。

 だがこの状況にそれが関係あるとは思えなくて、竜児は思わず首をかしげてしまった。

 

「あ、迷信だったんだ。ダチョウがビビって砂に頭を突っ込むって部分だけ覚えてたわ」

 

「……?」

 

 夏凜は特に何も考えないで話している。

 改まって何かを話す必要性を、彼女は何も感じていない。

 

「いや、あんたも砂の中に頭突っ込んでるから何も見えなくなってんのかなって思って」

 

「―――」

 

 彼女にはどうやら、今の彼が砂の中に頭を突っ込むダチョウに見えたらしい。

 竜児に対し、周りが見えればお前は間違わないだろう、と言わんばかりの言い草であった。

 

「ぷっ……あはははは! そっか、そりゃそうか! 確かに今の僕はそんな感じだ!」

 

 何かすべきだと分かっているのに、怯えから砂の中に頭を突っ込んで硬直しているだけの、迷信のダチョウ。まさしく今の竜児そのものだ。

 

「なーに笑ってんのよ」

 

「なんというか、結城さんとかメビウスとか、今は夏凜に、頭引っこ抜かれた気分だ」

 

 砂の中に頭を突っ込んでいたダチョウは、親切な人達に砂から頭を引っこ抜かれたことで、ちゃんと周りが見えるようになった。

 

(勇気ってのは頭じゃなくて心から生まれるもの、だったね結城さん。

 勇気を頭から出す理屈なんて誰も教えてくれなかった。

 でも皆と話してる内に、僕の中には勇気を出す理由があるって分かった)

 

 守りたい。この時間を。この友達を。―――心の底から、少年はそう想う。

 

(勇気を出したい。理由はある。勇気が必要な理由が、(ここ)にあるんだ)

 

 ダチョウ効果の研究は、"現実に立ち向かえない人間をどう導くべきか?"という問題の解決法も調べ上げている。

 "現実と向き合え"という直球の指摘はNG。

 現実と向き合えない人間の主張と人格を否定することは、その人間の反発を増々強めてしまい、現実から目を逸らす傾向をもっと強めてしまうのだとか。

 

 大切なのは理解し、共感し、信頼させ、肯定することであるそうだ。

 現実と向き合えない人間が、現実と向き合えるようになるためには、信頼できる誰かとの会話が必要になる。

 "ああ、そうかもしれない"と思わせたならきっと勝ち。

 "ああ、それが正しい"と思えたならば既に変わった後だ。

 その瞬間から、その人は現実に立ち向かっていけるようになる。

 

「安心しなさい。

 自分を信じなさい。

 あたしはちゃんと分かってるから。

 あんたは自分で思ってるほど、臆病者でも駄目な奴でもないってこと」

 

 夕焼け空を背景に、夏凜は竜児に格好良い笑みを見せる。

 夕陽が見劣りするような笑みだった。

 

 夏凜は竜児をごく自然に理解し、人らしい共感を示し、竜児の信頼を勝ち取って、何気なく竜児を肯定してくれていた。

 

「うん」

 

 戦える。

 

 心の奥底から、そう思えた。

 

『来る』

 

「え?」

 

 時は来たれり。

 世界の時間が止まり、世界が端から形を変えていく。

 神樹が発したフェーズシフトウェーブによる世界の亜種メタフィールド化―――すなわち、樹海化が始まった。

 

「これは……!?」

 

 竜児は絶句していた。

 敵を待ち受ける心構えが出来ていなかったから。

 夏凜は沈黙していた。

 いついかなる時も常在戦場の心構えで在る彼女は、既に臨戦態勢に入っていたから。

 

「メビウス、リュージをお願い。こいつ戦いが向いてる奴じゃないから」

 

『分かった』

 

 夏凜とメビウスが何の動揺も見せていないことに、少年は一種の疎外感すら覚えてしまう。

 

『リュウジ君。君はこれから、三分間の命を削って戦うことになる』

 

「……三分間」

 

『君がこれからの戦いで一秒を無駄にする時は、思い出してほしい。

 それは君に与えられたたった三分の内の、貴重な一秒なんだってことを』

 

「僕に……できるだろうか」

 

『できるよ』

 

 今は、体を動かす権限を全て竜児に譲渡した後だとしても。

 少年に踏み出す勇気を貸すことくらいはできる。

 彼が、ウルトラマンメビウスである限り。

 

『やる前からしくじることを考えていたら、その先には行けない』

 

「……うん」

 

『行こう! 君の勇気だけではなく、僕達の勇気で!』

 

 空より、翼の生えた獅子の巨獣が舞い降りる。

 

「やってやるさ!」

 

 竜児がメビウスブレスを擦り上げる。

 

「『 見せてやる、僕らの勇気を! 』」

 

 炎のように吹き上がる光が∞の形を空に描き、少年は叫びと共に巨人と成った。

 

「『 メビウーーース!! 』」

 

 赤き巨人は、赤き勇者を肩へと乗せて、樹海に降り立つ。

 

 神々の時代を終わらせる炎の巨人の物語は、この時ようやく本当の意味で始まった。

 

 

 

 

 

 まずは一人で戦いたい。竜児はそう思った。

 合理性というより、彼の意地や理想といったものが多大に混じった思考であった。

 

「夏凜、ここは僕に」

 

「なんか言ってるみたいだけどシュワァッとしか聞こえないんだけど」

 

『……聞こえますかー』

 

「おー、便利なもんね」

 

 口から言葉を出す感覚だと、どうやら夏凜には伝わらないらしい。

 巨人の声帯では言葉が伝わらないようだ。

 だが心から言葉を出す感覚で話すと、言葉がテレパシーとなって夏凜へ伝わる。

 便利な能力もあったものだ。

 

『夏凜はちょっと下がってて』

 

「何よ、一緒に戦うんじゃないの?」

 

『危なくなったら、ちゃんと頼るから。

 最初は僕だけにやらせてほしい。最初から甘えっきりではいたくないんだ』

 

 んー、と夏凜はちょっと悩む。

 

「……しっかりやんなさいよ」

 

 色々と含みのありそうな感じで、夏凜は後ろに下がった。

 獅子を睨んで、メビウスが構える。

 

『あれはおそらくブラキウムと、ビースト・ザ・ワンの融合昇華体だ』

 

(融合昇華体? メビウスの知ってる敵?)

 

『ライザーはよく知っている武器だからね。

 あれの恐ろしいところは前回の戦いでは見られなかった。気を付けて』

 

 かぱっ、と獅子が口を開けると、そこから黒い球体が吐き出される。

 黒い球体は遠くまで飛ばせないようであったが、離れた位置からでもメビウスの体を引っ張る強烈な吸引力を発していた。

 メビウスの姿勢が崩れて、転びそうになり、慌ててたたらを踏む。

 

(ブラックホール!?)

 

『リュウジ君、前! 顔を守って!』

 

(―――!)

 

 ブラックホールを一瞬で生成、一瞬で消滅させ、姿勢を崩させたメビウスに向かって、獅子の怪獣は青い炎球を発射した。

 音速の五倍程度で飛来した炎球が、メビウスの顔面に炸裂する。

 

(いでっ!?)

 

 痛いやら熱いやらで、竜児は両腕で思わず顔を庇った。

 これ以上顔に攻撃を喰らいたくない、という安易な思考。

 

「右腕で腹を守って!」

 

 そこに夏凜の声が飛び、竜児は反射的に右腕だけで腹を守った。

 腹を守った右腕に、青い炎球が三連続でヒットする。

 顔に一発当てて顔を守らせ、ガードがら空きになった腹へと連撃を当てるという、実にオーソドックスな攻め手であった。

 

(あ、危なっ)

 

「ガードが甘い! 考えが甘い!

 顔に攻撃されたから即顔だけガードするなんて、腹に攻撃しろって言ってるようなものよ!」

 

(夏凜の指摘が胸に痛い!)

 

 獅子が持つ固有能力は、おそらく自分の体表数m範囲でのブラックホール生成。

 これでは迂闊に近寄れない。

 竜児は素人臭い構えを取って、接近も攻撃もできずに足踏みしてしまう。

 

「左手を前に! 右手を引く!

 前に出した腕は体を庇う盾! 後ろに引いた手は十分に加速をつけられる矢のイメージ!」

 

 夏凜の声がまた飛んで来て、巨人が構えの形を変える。

 左半身を前に出す形になって、構えの形が少しだけマシになった。

 

「左で防いで!」

 

 夏凜の指示が飛んで来る。

 先端が槍のようになった獅子の触手が飛んで来る。

 左腕のメビウスブレスを盾のように使い、触手を弾いた。

 

「右で撃ち抜く!」

 

 そして、夏凜の声に従った右の拳が触手を撃ち抜く。

 巨人の身体能力がフルに乗った右ストレートは、非人道的なレベルの速度と威力を内包し、命中した触手を木っ端微塵に粉砕した。

 獅子が痛みにうめく。

 

『やっぱり、このフィールドはウルトラマンに有利に出来ているみたいだ』

 

(そんなに? メビウスから見ても?)

 

『僕の本来の身体能力じゃ、ここまで拙い技でこの攻撃は防げない』

 

(神樹様の中のウルトラマンにお礼言わないといけなそうだね、これは!)

 

 もう一度触手が飛んで来て、竜児がもう一度同じ防ぎ方をしようとして、防ぎ方がワンパターンだったのであっさり脇腹を触手にぶっ叩かれる。

 

(あづっ!?)

 

「腰が入ってないのよ!

 足の使い方がなってない!

 今の自分の体に足の指もないってこと分かってる!?

 足を横一直線に平行に並べんな! だから安定して立てないのよ!

 目の前にある壁を押すイメージを持って!」

 

(こ、こうかな?)

 

 また構えの形が変わる。

 怪獣がブラックホールを生成してウルトラマンの姿勢を崩そうとするが、今度は姿勢が揺るぎもしなかった。

 どっしりと重心が低い位置で安定し、腰の入った構えが強さを演出する。

 

「もうちょっと右足を後ろに……そうそう!

 『立ち』の基本は前後左右から押されても揺らがない立ち方!

 『居』の基本は(たい)(やわら)! 構えの隙間を意識して!」

 

 名コーチ夏凜の指導によって、竜児メビウスは戦士として百流レベルの構えから、ようやく三流レベルの構えにまで改善していた。

 が、これでも所詮三流である。

 夏凜は眉を顰めた。

 

(『居着いてる』わね……)

 

 『居』とは日本語において『留まる』の意を持つ。

 構えて敵を迎え撃つのは『居』であるが、『居』から『動』へと流れるように移行する『流』を成せているのであれば何ら問題は無い。

 武道においてこの『居』の状態から流れるように『動』に移行できない状態のことを、『居着く』と言う。要するに構えが立派でも隙だらけ、という状態だ。

 

 分かりやすく言えば、構えがマシになっただけ。

 構えから攻撃・防御・回避に流れるように移行できない以上、これは三流であると言う他無い。

 

(どうしよう、手出したい)

 

 夏凜がうずうずし始める。

 

「右跳んで! そう、そうそう!

 そんなのあんたが受けきれるわけないでしょ!

 腕で受け切れない、と思ったら足で逃げる!

 『立ち回り』ってやつよ! 敵の攻撃を受け切れる位置を常に意識!」

 

 夏凜は口しか出せない現状に歯がゆさを感じる。

 手を出したいのだ、物凄く。助けたいのだ、物凄く。

 既にその身は戦装束。

 メビウスと並んでも見劣りしない、美しき赤の装束がその身を包んでいる。

 でも手が出せない。

 ここで手を出すと、後で竜児がスネそうな気がしたから。

 夏凜は手を出しても文句を言われなさそうな、竜児の劣勢を待っていた。

 

 見ていられなくなってきたのか、メビウスも竜児に助言を始める。

 

『リュウジ君、仲間の手を借りるべきだ』

 

(封印の、儀をしてもらうだけで、十分だと思うけど!)

 

『君はカリンちゃんのリスクを減らしたい、それだけだ。違うかい?』

 

(……うっ)

 

『そういうの、僕は好きだよ。でも今はちょっと違うんじゃないかな』

 

 御歳約二万歳、メビウスの落ち着いた声が竜児の心の内に響く。

 

『君の手は、困っている誰かに差し伸べるためにある。

 それは他の人も同じだ。

 君の周りの人には、君に手を差し伸べる権利があるんだ。君に差し伸べる手があるんだ』

 

(……メビウス)

 

『ウルトラマンはいつも地球人と共に戦い、奇跡を起こしてきた。

 君は甘えっきりでいたくないと言ったね。

 でも他人に甘えないってことは、他人に心配をかけてもいいってことじゃないんだよ』

 

 竜児が横目に夏凜を見る。

 夏凜がうずうずした様子で、普段よりも大きく生成した二刀を指で叩き、心配そうな顔で巨人を見上げていた。

 無理して心配かけてちゃ世話ないな、と少年の心が切り替わる。

 

『夏凜! 大口叩いておいて悪いけど、助けて!』

 

「待ぁってましたっ!」

 

 少年の懇願と同時に、少女は翔けた。

 待ってましたとばかりの俊足。ブラックホールの生成を許さぬ速攻。

 メビウスだけを見ていた獅子は、地を滑るように走る夏凜の接近に反応できない。

 夏凜は地を走り、獅子の皮膚に触れるか触れないかという軌道で跳び上がり、獅子の両目を大きめの太刀で突き刺した。

 

(夏凜、速い、上手い!)

 

 竜児は巨人視点での勇者の戦いぶりを見て、心底理解する。

 これは強い。

 これは恐ろしい。

 ウルトラマンやバーテックスの巨体から見れば虫のように小さい人間が、恐ろしい速度で跳び回って、バーテックスを一撃で粉砕する火力を叩き込んで来る。

 これは、敵に回したくない性能だ。

 

 大型が多いバーテックスからすれば、人間サイズで跳び回る勇者はさぞ見にくいのだろうと、竜児は心の中で同情する。

 巨人になって初めてバーテックスの気持ちの一部が分かるとは、皮肉な話だ。

 されど勇者システムの持つ恐ろしさは、そっくりそのまま味方に付けた時の頼もしさとなる。

 

 ウルトラマンから見れば、人間は手の平に乗るサイズでしかない。

 手の平に乗るサイズということは、眼球よりは大きいということだ。

 獅子の両目に流れるように太刀二刀をぶっ刺していった夏凜の動きと技のキレは、まさしく勇者の名に恥じぬもの。

 

『夏凜! 封印の儀を!』

 

「りょーかい!」

 

『メビウス! 何か飛び道具無い!?』

 

『メビウスブレスを擦って、そのまま擦り上げたエネルギーを手刀のように振って!』

 

 夏凜が弱点を露出させる封印の儀を始め、獅子が防御のためにブラックホールを発生させた。

 敵が守りに入った。

 ここで攻めずして、いつ攻める。

 

(計算、計算、一瞬で計算しろ! 重力でどのくらい曲がる!?

 基本はr=2GM/c2!

 vesc=√2GM/rが前提!

 見える範囲、感じ取れる範囲から数字を推測し、計算―――!)

 

 竜児が巨人の手をメビウスブレスに添え、擦るようにして手刀を振った。

 メビウスブレスから発された光が、手刀によって刃となって飛翔する。

 光の刃はやや上向きに飛び、ブラックホールに吸引され―――竜児の計算通りに曲がって、獅子の喉元へと綺麗に命中した。

 

 すげえ! 当たった! 奇跡だ! と、放った本人が一番驚いていた模様。

 

『これがメビュームスラッシュ! 使い勝手の良い牽制技だよ!』

 

(よし、いける!)

 

 獅子が喉を抑えて悶える内に、夏凜の封印手順は完了した。

 三好夏凜は現行勇者の中で最も進んだシステムを使う勇者である。

 他の勇者が複数人がかりで一定の時間をかけて行う封印の儀を、彼女だけは一人で、かつ迅速に完了させることができるのだ。

 

「封印の儀、出来たわよ! 私が儀を維持できてる内に、仕留めて!」

 

『え?』

 

 夏凜が叫ぶ。

 竜児が腹に気合いを入れる。

 そして、メビウスは自分の目を疑った。

 

 封印の儀を行うことで、勇者はバーテックスの弱点・御霊(みたま)を露出させられる。

 引きずり出した御霊を破壊することで、本来殺せないバーテックスに復活を許さず殺し切ることが可能となる。

 獅子の胸部上端に現れた御霊は、青い宝石の形をしていた。

 メビウスの胸にあるカラータイマーと似た、色と形をしていた。

 

(御霊が出た!

 あの体に浮かんだ宝石のような部分を砕けばバーテックスは……メビウス?)

 

『……カラータイマー?

 何故怪獣体(バーテックス)に……いや、今はそんなことを言ってる場合じゃない。撃って!』

 

(う、うん!)

 

 巨人と怪獣は、同時に動いた。

 同時に動いてしまったせいで、そこで竜児の弱点が露骨に露呈してしまった。

 

 メビウスブレスが擦られ、光のチャージが始まる。

 怪獣は前兆なしに尾を振り上げ、突き出し、刺突として放った。

 獅子は大技の予備動作と必要時間を極限まで削り、巨人は敵を前にして予備動作と必要時間が多量に必要な技を選んでしまった。

 

 ゆえに、チャージ中の巨人の鳩尾下辺りを獅子の尾が貫いてしまう。

 技の選択の正誤が、攻防の勝者を決定付けた。

 

『―――う、ぐ』

 

「リュージ!」

 

 怒り飛びかかろうとする夏凜だが、奇襲は二度成立しない。

 獅子はブラックホールを生成し、軽い夏凜の体を浮かせる。

 ブラックホールの吸引力を前にして踏み留まるには、巨人の体重が必要だった。

 

「くっ、こんの……!」

 

 地面に刀を刺してしがみつく夏凜。

 咄嗟の機転は中々のものだが、攻撃に中々移れない。

 歯噛みする夏凜の視界の中で―――腹を貫かれても光のチャージを辞めない、赤い巨人の姿が見えた。

 

『腹を刺された。けど助かった。前の僕は、全力で撃ったら後ろに吹っ飛んでたから』

 

 竜児は恐れで心を震わせながらも、理性で一つの計算をしていた。

 人間の自分を殺した尾。

 自分の腹を切り裂いた尾。

 今自分の腹を貫いている尾。

 これを腹筋で掴まえておけば、光線を撃っても体が後ろに吹っ飛ぶことはないのでは? と。

 

『しっかり引っ張ってくれよ、僕の体を……!』

 

 光線の反動を殺せない、踏ん張りの効かない足はもういい。

 尾を掴まえる腹筋と、光線を撃つ両の腕に全てを懸ける。

 かくして、巨人の両手が十字に組まれた。

 

「『 メビュームシュートッ!! 』」

 

 光のスパーク、光熱の光線。

 

 宇宙の闇を象徴するブラックホールが、宇宙の光を象徴するウルトラマンの必殺光線を真正面から受け止めた。

 

(くっ、ブラックホールを防御に……!)

 

『リュウジ君! メビュームシュートの収束が甘い!』

 

「分かってる! くっ……フィールドは僕ら有利なはずなのに……!」

 

 神樹の中の六人のウルトラマンが力を貸してくれているフィールドなのに、光線の威力が凄まじく上がる樹海のはずなのに、ブラックホールを貫けない。

 複数の生物の特性を合わせたザ・ワンの多様で異様な強さに、ブラキウムのブラックホール能力を加えた、このウルトラマン殺しな能力構成。

 ブラキウム・ザ・ワンは、それなりにウルトラマン殺しを想定されていた。

 

 憤慨する竜児。

 その脇を飛び抜ける四色の小さな影。

 見知った四つの少女の背中に、竜児は思わず息を飲んだ。

 

(―――勇者)

 

 時間切れだ。

 戦闘開始から一分半が経過している。

 それは、彼女らがここへ到着するのに、十分過ぎるほどの時間であった。

 当代の勇者、残り四人の到着である。

 

「夏凜!」

 

 リーダー格の犬吠埼(いぬぼうざき)(ふう)が、状況を唯一理解している勇者の夏凜に呼びかける。

 夏凜は腹からの声で叫び返した。

 

「皆、手ぇ貸して!」

 

「どういう状況!? ま、まあ良いか! こっちの味方でいいのよね夏凜!」

 

「そっちの味方でいいのよ風! あいつを……ウルトラマンを助けて!」

 

 怪獣が盾代わりのブラックホールを迂回して、曲射軌道で青い炎と触手を撃ち放った。

 風は夏凜を信じる。

 理屈も説明も要らない。ただ夏凜を信じて、怪獣の放った青い炎を大剣で両断した。

 

「後で説明頼むわよ!」

 

 光線とブラックホールが拮抗する凄まじい戦場を、暴風をものともしない勇者が飛び回る。

 

 結城友奈が触手を殴り粉砕した。

 東郷美森が炸裂する弾頭で青い炎を粉砕する。

 犬吠埼(いぬぼうざき)(いつき)は糸を手繰って、数ある触手を切り裂いていく。

 そして夏凜は、巨人に迫る攻撃の全てを切り捨てた。

 

 だからウルトラマンは、光線を撃つことだけに集中していける。

 怪獣もブラックホールの長時間維持に、目に見えて消耗して弱り始めていた。

 

(……助けてもらった嬉しさと。

 助けてもらった申し訳無さと。

 助けてもらわないといけない自分の弱さと情けなさで、どうにかなっちゃいそうだ……!)

 

『君は、この助けにどう応えるべきだと思う?』

 

(分かってる!)

 

 竜児の仕事は、地に足つけた人の勇者と、空から来た巨人の勇者を繋げること。

 その想いに応えること。

 

(勝って、応えなきゃならないんだ!)

 

 ここで負けて、何を語れようか。

 自分の返答にメビウスが何も言わなかったから、これがきっと正解なのだと、そう信じる。

 撃つ。

 撃つ。

 ただひたすらに光線を撃つ。

 命をそのまま撃ち出すように撃つ。

 貫けなさそうでも撃つ。

 撃ち続ける。

 撃って、撃って、撃って……光線は途絶え、ウルトラマンの膝が折れた。

 

(うっ)

 

 カラータイマーが点滅を始める。竜児の命、残り一分。

 

『あともうひと踏ん張りを!』

 

(うっ……立ってるの辛い……指先が震えて、思考がぼやける……)

 

 光線を撃って力を使い過ぎたのだ。

 三分間の命は削られ、もう1/3も残っていない。

 ブラックホールの向こう側で、力尽きた巨人を怪獣が嘲笑(わら)っている。

 怪獣は勝利を確信していた。

 巨人だけが敵であり、脅威だと考えていた。

 その思い上がりが、勇者の付け入る隙となる。

 

「とぅりゃぁっ!!」

 

 桜色の少女が、怪獣の胸に向かって飛び込んだ。

 怪獣は少し反応が遅れるも、攻撃をもって迎撃にあたる。

 青い炎、灰色の触手、ブラックホール。

 重力も慣性力も何もかもがあやふやで、光さえも真っ直ぐには進めない異常な空間を、攻撃の隙間をすり抜け突破する。その"勇者"の名は、結城友奈。

 

 信じられない勇気の突貫。

 それは例えるなら、人間がジャングルジムに向かって全力疾走し、ジャンプし、ジャングルジムの鉄骨の間に頭から飛び込んで、するりと合間を抜けて行くような跳躍機動であった。

 技術以上に要されるは胆力。

 勇気がなければ、これはできない。

 

「勇者、パーンチッ!」

 

 信じられないような勇気から、信じられない威力の拳が放たれた。

 怪獣の御霊(カラータイマー)に拳が当たり、ヒビが入る。

 なんたることか。勇気の拳は、怪獣と化したバーテックスすら凌駕する。

 

 サイズ差も、恐ろしい力も、胆力一つでねじ伏せる『勇気』。

 それを"人の心が持つ無限の可能性"と言わずして、なんと言うのか。

 ウルトラマンタロウの時代には、ウルトラマンに勝利するベムスターを改造強化した個体を、海野八郎という塾講師(ただの人間)が気合いとナイフだけで圧倒したという。

 友奈はまさに、その域に到達した人間であった。

 

 だからこそ、その強さは警戒されてしまう。

 

「わわっ」

 

 獅子が羽撃(はばた)き、その風圧で友奈を吹き飛ばす。

 そしてメビウスに刺さったままの尾を自切して、空高く飛翔した。

 翼を広げ、獅子は空の頂点より咆哮する。

 恐ろしい咆哮。

 おぞましい姿。

 醜悪に広げた翼が巨大化し、人の目に見える樹海の空の半ばを覆う。

 

「この姿をなんて表現すれば……この姿、この姿はまるで……」

 

「……悪魔」

 

 空高くへと飛び上がった獅子は、もはや勇者に一切の接近も許さないだろう。

 先の一撃で決めていれば、という後悔が友奈の内に生まれる。

 

 勇者を警戒した獅子にもはや油断は無い。

 あと一撃、胸の御霊に当てられれば勝ちが見えるのに。

 メビウスの体に力は入らず、竜児は気合いで立ち上がろうとするが、できない。

 

(あと、あと、ちょっと―――)

 

 痛み、苦しみ、疲労、消耗。

 竜児の意識は、そこで飛んだ。

 カラータイマーの点滅が異常なまでに速くなり、メビウスの体が前のめりに倒れる。

 

 

 

『諦めるな!』

 

 

 

 いや、倒れなかった。

 メビウスの声が内側から竜児を叱咤する。

 竜児は半ば無意識に、半ば気絶した状態で、夢遊病者のような動きでメビウスブレスを擦った。

 光が∞の軌道を描く。

 

(―――結城さん、かっこいいなあ)

 

 何も考えていなかった。

 何も意識していなかった。

 本当に、その時の彼は友奈への賞賛くらいしか脳裏に浮かんでいなかった。

 だからこそ、その一動作は"メビウスの肉体にとって最も自然な動作"となり、予備動作も所要時間も極限まで削り取られた発射モーションとなっていた。

 言うなれば、無我の境地。

 

 無我の境地から放たれた光線は、ブラックホールによる防御すら許さない抜き打ち。

 肺の中に残っていた指先ほどの僅かな空気を、死ぬ気で吐き出すような、そんな無理で捻り出した力の光は、獅子の胸部の御霊に命中。

 友奈が入れたヒビへと入り込み、その輝きを粉砕した。

 

(気合で限界を超えるのに慣れてる人、僕は、スゴイと思う)

 

 獅子のバーテックスが消滅する。

 光線を喰らって爆発四散した怪獣の破片は、光の雨となって結界の中に降り注いだ。

 怪獣の破片は、樹海が逐一拾って消滅させていく。

 

(……だから、今は、これが、精一杯……)

 

 意識が有るのか無いのかもあやふやな状態で、勝ったか負けたかすらも認識できない状態で、竜児は人間の姿に戻りながら倒れる。

 同時に、樹海化も解ける。

 彼の人間体の額が地面にぶつかった頃には、樹海化は完全に解けていた。

 

「よーしやったわねリュ……ちょっと、その怪我!」

 

 竜児の腹には穴が空いていた。

 メビウスの体に空いていた穴と同じものが。

 どうやら、巨人状態での負傷はある程度引き継がれてしまうらしい。

 ウルトラマンと融合した体は異常な生命力を持ち、恐ろしいことに腹の出血も半ば止まっていたが、重傷であることに変わりはなかった。

 

「きゅ、救急車ー!」

 

「いや電話で呼べよ声じゃなく」

 

「……案外余裕ねあんた」

 

「そうか……これが晩飯前の、"お腹減った"という気持ち」

 

「ああもう減ったのは内臓でしょ! 喋んの止めて大人しくしなさい!」

 

 夕焼け空の下、夕陽よりも真っ赤な血が路面へドクドクと流れ続けていた。

 

 

 

 

 

 一方、活躍した残りの勇者チームは、竜児達と入れ替わりに学校の屋上に転送されていた。

 勇者は戦いの後、神樹の力で樹海から適当な祠の前に転送される。

 この学校における祠は屋上にあるため、彼女らはここに戻されたのだ。

 竜児と夏凜がここに戻されなかったのは、神樹の気遣いといったところか。

 

「あれ、夏凜は?」

 

「夏凜ちゃんだけどこか別の場所に飛ばされたんでしょうか? 変ですね」

 

「あっ、夏凜先輩からメール来てるよお姉ちゃん」

 

 風、友奈、樹があーだこーだと話している。

 その横で、車椅子の東郷が遠くを見るような目で呟いた。

 

「あの、赤い巨人……」

 

 "なんなんだろう"という想いで、少女らの気持ちが一つになる。

 そんな中、友奈は笑顔で言い切った。

 

「かっこよかったね! それと、痛そうなのにすっごく頑張ってた!」

 

 友奈の言葉に、笑顔に、友奈の周りの少女達も思わず笑顔になる。

 巨人に対する警戒も、疑心も、推測も、困惑もあった。

 けれども友奈の言葉を聞いてから巨人の戦いを思い返すと、少女らの内でそれらは薄れる。

 

 『信』を基本とする彼女らにとって、巨人はどう考えてみても敵には見えない存在だった。

 

 

 




 半人前ウルトラマンは人間のサポートが無いと勝てない、っていうメビウスのノリが好きです
 ウルトラマン妹も人間に助けられる半人前ウルトラマン&怪獣頻出期の再来設定でややメビウスリターンズって感じがします

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